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耳あり芳一【第三話】白い手④

盲目の芳一と声を出せないミヨが白い手に挑む


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第三話 第四章「昼の確認」




昼の陽が、じりじりと真上から照りつけていた。
だが、潮風は止まり、磯の香りすらも息をひそめたように感じられた。
舟隠し岩へ向かう舟は二艘。
一艘には久蔵とおえ、もう一艘には十兵衛と平八が乗っていた。

「なぁ、やっぱり……やめといたほうがいいと思うんだ、俺ぁ……」
平八は櫂を握る手を震わせながら、誰に言うともなく呟いた。
「この前だって鯵吉が飲まれた……んで、今度はおよねまで……」

「だからこそ、確かめに行かねばならん」
十兵衛の目は、舟の進む先――岩の裂け目を捉えたままだ。

そのとき、ふっと潮の匂いが消えた。
代わりに、ぬめりを帯びたような血の香が、風に紛れて鼻先を撫でる。



舟隠し岩は、昼間だというのに陰りのようなものをまとっていた。
岩の表面には黒い苔が這い、潮が引いた後のぬめりが白い筋を描いている。
まるで何かが、じっと待ち構えているようだった。

「綱を引け、着けるぞ」
十兵衛の指示で舟は岩に寄せられ、男たちは順に岩場へと降り立つ。

久蔵が縄を持って先に進み、おえはその後を追った。
「ねえ、これ……」

おえが見つけたのは、濡れて乾いた片方の草履。
その隣には、数珠のちぎれた玉が波に転がっていた。

「姉さんのだ……」
おえの声が小さく震える。

「こっちにも……」
十兵衛が岩の裂け目を覗いたその時――

「……こちらへ……」

風に乗って、誰かの声がした。
若い女の、かすれるような囁き。

四人が顔を上げる。
裂け目の奥から――白く、美しい女の手が伸びていた。

それは濡れておらず、まるでどこか遠い屋敷から差し伸べられたような、
柔らかく、しなやかで、なまめかしい手だった。

「なんだあれは……」
平八が思わず声を漏らす。

「久蔵、下がれ!」
十兵衛の叫びが届く前に、白い手が久蔵の足首に絡みつく。

「うわ、うわあああッ!」

久蔵の身体が一瞬浮き、岩の裂け目に叩き込まれる。
水飛沫すらあがらず、ただ一閃にして――消えた。

「くそっ、十兵衛!下がれ、逃げろ!」

十兵衛が短刀を抜こうとしたその刹那、今度は背後からもう一本の白い手がのび、喉元を締めあげた。
「ぐ……ッ!」

その手はやさしく、けれど確かに、喉の奥に命の芯を押し込むように絞っていた。



その時だった。

平八の耳に、岩の裏側から響く「ごぼ……ごぼ……」という泡の音が聞こえた。
彼は視線を巡らせた。
舟、岩場、裂け目、白い手、そして――

――岩が、動いていた。

裂け目が、唇のようにめくれ、顔ともつかぬ白い影が次々と浮かび上がる。

「ぬ、ぬあああああッ!」

平八は叫び、舟へ跳ね戻った。
「し、知らねぇ!知らねえよ!!」

櫂を握った手は汗で滑り、舟はくるりと回転する。
海の上に浮かんだ舟が、波に引かれるようにゆっくりと沈んでいく感覚。
背後から、笑い声とも啼き声ともつかぬ女の声が聞こえた。

「こっちへ……早く……早く……」

白い手が、岩の隙間からなおも伸びてくる。
しかしその指先は、触れる寸前で止まり、揺れていた。

舟は風もないのにすぅっと離れていき、平八の視界から白い手が消えた。



夕刻、平八が村に戻ってきたとき、顔は土のように青ざめていた。
「草履が……手が……食われたんだ、全部……」
何を聞かれても、震えたまま繰り返す言葉は同じだった。

ざわつく村の広場に、誰かが呟いた。

「鬼の……仕業か……?」



そのときだった。
風が止み、空気の底で「シャリン……シャリン……」という音が響いた。

皆が振り返る。
そこに、ふたりの影があった。

先に立つのは、墨染めの衣に白い肌を見せる娘。
無言で錫杖を握り、その鈴が音を鳴らしていた。

そのすぐ後ろを、ひとりの少年が歩いていた。
背に琵琶を負い、目を閉じていた。

少女は音もなく一歩進み、少年の足を止める。
そして、静かな声が――

「……この村に、怨が満ち始めています。」

声は幼く、しかし確かなものだった。

誰もが、言葉を失って立ち尽くした。
まるで、何かが始まったことを知っていたかのように。



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