耳あり芳一【第三話】白い手④
盲目の芳一と声を出せないミヨが白い手に挑む
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第三話 第四章「昼の確認」
◇
昼の陽が、じりじりと真上から照りつけていた。
だが、潮風は止まり、磯の香りすらも息をひそめたように感じられた。
舟隠し岩へ向かう舟は二艘。
一艘には久蔵とおえ、もう一艘には十兵衛と平八が乗っていた。
「なぁ、やっぱり……やめといたほうがいいと思うんだ、俺ぁ……」
平八は櫂を握る手を震わせながら、誰に言うともなく呟いた。
「この前だって鯵吉が飲まれた……んで、今度はおよねまで……」
「だからこそ、確かめに行かねばならん」
十兵衛の目は、舟の進む先――岩の裂け目を捉えたままだ。
そのとき、ふっと潮の匂いが消えた。
代わりに、ぬめりを帯びたような血の香が、風に紛れて鼻先を撫でる。
◇
舟隠し岩は、昼間だというのに陰りのようなものをまとっていた。
岩の表面には黒い苔が這い、潮が引いた後のぬめりが白い筋を描いている。
まるで何かが、じっと待ち構えているようだった。
「綱を引け、着けるぞ」
十兵衛の指示で舟は岩に寄せられ、男たちは順に岩場へと降り立つ。
久蔵が縄を持って先に進み、おえはその後を追った。
「ねえ、これ……」
おえが見つけたのは、濡れて乾いた片方の草履。
その隣には、数珠のちぎれた玉が波に転がっていた。
「姉さんのだ……」
おえの声が小さく震える。
「こっちにも……」
十兵衛が岩の裂け目を覗いたその時――
「……こちらへ……」
風に乗って、誰かの声がした。
若い女の、かすれるような囁き。
四人が顔を上げる。
裂け目の奥から――白く、美しい女の手が伸びていた。
それは濡れておらず、まるでどこか遠い屋敷から差し伸べられたような、
柔らかく、しなやかで、なまめかしい手だった。
「なんだあれは……」
平八が思わず声を漏らす。
「久蔵、下がれ!」
十兵衛の叫びが届く前に、白い手が久蔵の足首に絡みつく。
「うわ、うわあああッ!」
久蔵の身体が一瞬浮き、岩の裂け目に叩き込まれる。
水飛沫すらあがらず、ただ一閃にして――消えた。
「くそっ、十兵衛!下がれ、逃げろ!」
十兵衛が短刀を抜こうとしたその刹那、今度は背後からもう一本の白い手がのび、喉元を締めあげた。
「ぐ……ッ!」
その手はやさしく、けれど確かに、喉の奥に命の芯を押し込むように絞っていた。
◇
その時だった。
平八の耳に、岩の裏側から響く「ごぼ……ごぼ……」という泡の音が聞こえた。
彼は視線を巡らせた。
舟、岩場、裂け目、白い手、そして――
――岩が、動いていた。
裂け目が、唇のようにめくれ、顔ともつかぬ白い影が次々と浮かび上がる。
「ぬ、ぬあああああッ!」
平八は叫び、舟へ跳ね戻った。
「し、知らねぇ!知らねえよ!!」
櫂を握った手は汗で滑り、舟はくるりと回転する。
海の上に浮かんだ舟が、波に引かれるようにゆっくりと沈んでいく感覚。
背後から、笑い声とも啼き声ともつかぬ女の声が聞こえた。
「こっちへ……早く……早く……」
白い手が、岩の隙間からなおも伸びてくる。
しかしその指先は、触れる寸前で止まり、揺れていた。
舟は風もないのにすぅっと離れていき、平八の視界から白い手が消えた。
◇
夕刻、平八が村に戻ってきたとき、顔は土のように青ざめていた。
「草履が……手が……食われたんだ、全部……」
何を聞かれても、震えたまま繰り返す言葉は同じだった。
ざわつく村の広場に、誰かが呟いた。
「鬼の……仕業か……?」
◇
そのときだった。
風が止み、空気の底で「シャリン……シャリン……」という音が響いた。
皆が振り返る。
そこに、ふたりの影があった。
先に立つのは、墨染めの衣に白い肌を見せる娘。
無言で錫杖を握り、その鈴が音を鳴らしていた。
そのすぐ後ろを、ひとりの少年が歩いていた。
背に琵琶を負い、目を閉じていた。
少女は音もなく一歩進み、少年の足を止める。
そして、静かな声が――
「……この村に、怨が満ち始めています。」
声は幼く、しかし確かなものだった。
誰もが、言葉を失って立ち尽くした。
まるで、何かが始まったことを知っていたかのように。
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