見出し画像

耳あり芳一【第二話】貝を拾う声③

芳一と和尚、怨念渦巻く気比の浜を彷徨う──


巻頭はコチラ

前回はコチラ


第五章「失われた子ら」


日が落ちると、潮は音もなく満ち始めた。浜辺はしんと静まり返り、波が砂を抱きしめる音だけが夜の底に染みこんでいく。

嘉兵衛は、火の落ちた囲炉裏の前でゆるやかに口を開いた。

「……おるいだけじゃない。あの浜に呼ばれて消えた子は、かつて何人もおったのじゃ」

芳一は、うなずいた。和尚も、湯呑の縁を指でなぞりながら目を閉じている。

「いつからか、海の声が変わった。昔は子守唄のような波音じゃった。それがある年を境に、妙に鋭く、悲しげになった」

「その年というのは……?」

「盛嗣様が、語られなくなった年じゃ」

嘉兵衛の言葉は、海霧のように重く室内に滞った。

――語りが途絶えると、浜の音も変わる。

芳一は、ふと琵琶に触れた。どこか、震えているような気がした。

和尚がそっと口を開いた。

「声には重さがある。魂の形をしておる。重ねれば響きとなり、閉じれば圧し潰され、いつしか怨みへと変わる」

嘉兵衛がうなずいた。「……語るとは、放つことなのじゃな」



そのとき、障子の向こうから、弱い足音が響いた。

扉が開くと、小柄な女が立っていた。古びた白装束に身を包み、顔の半分を深い頭巾で隠している。

「ミヨ……」

嘉兵衛が名を呼ぶと、女はわずかにうなずいた。

かつて盛嗣に仕えていた巫女。今は声を発することなく、筆と和紙でしか思いを伝えられない。

ミヨは膝を折り、懐から小さな巻き貝を取り出した。白く光るその貝を、静かに机の上に置き、筆を走らせる。

《その中に、海の子の声がいる。盛嗣さまは、海に沈もうとする声を拾って、ここに宿した》

芳一は、そっとその貝に手を伸ばした。

ひやりと冷たい。その殻の奥から、「みてて……きれい……」という声が、遠く遠くから響いた気がした。

和尚が静かに言った。

「だが、声を宿しすぎた者は、語れぬ。語れば自らが沈む。盛嗣のように」



一方、その夜。

又八は、家に戻るなり、床に突っ伏していた。傍らには、砂にまみれた貝が転がっていた。

その貝からは、かすかに嗤うような音が漏れていた。本人は気づかぬまま、唇を動かし、うわ言を繰り返す。

「ひろってやった……俺が……おまえを……」

静かな夜に、声の綻びが広がっていった。


第六章「おるいの声」




風はやみ、浜辺に奇妙な静けさが満ちていた。

空の色は昼とも夜ともつかず、雲は低く垂れこめ、海の向こうと空の境が曖昧になっている。人影もない砂浜に、ひとり、おふくが立っていた。白い足袋が濡れ、裾が波で湿っているのも構わず、まるで何かを待つように。

「……おるい……」

それは、ふいのことだった。

「かあさん、みてて……ほら、きれいな貝……」

娘の声だった。確かに、そうだった。

だが、姿はどこにもない。潮の音に混じって、柔らかな声だけが聞こえる。おふくは目を見開いたまま、返事をすることも、動くこともできなかった。

「おるい……? どこ……どこにおるの……?」

呼びかけても、返事はない。ただ、遠くへ引く波の音とともに、その声もかすかになり、やがて、再び「ひろって……」という囁きに変わっていった。



浜辺の小高い丘に佇んでいた芳一は、ただ静かに、そのやり取りを耳で追っていた。

「今、娘の声が……」

おふくが震える声で振り向く。だが芳一は、それに答えず、ゆっくりと琵琶の弦に指を置いた。

ポーン……。

その音は、浜の風よりも柔らかく、波の引き際よりも静かに広がっていった。すると、海面がざわめいた。

風もないのに、水面がさざなみ、中心からゆるやかに渦を描く。そして、その中央──白く透きとおった小さな手のひらが、ゆっくりと浮かび上がった。

おふくが悲鳴を上げかけたとき、芳一は再び弦を鳴らした。

すると、手はしずかに溶けるように波へ還った。あとには何も残らなかった。

「……琵琶の音が、娘を……?」

おふくがすがるように問うたが、芳一は首を横に振る。

「わかりません。ですが……今の声は、この世のものではなかった」



背後で、重く湿った声がした。

「……貝のなかに……子らの声を……宿したのだ……」

それは盛嗣だった。彼は、砂浜の傍らに立ち、白い着物の裾を濡らしながら、ただ、空を見上げていた。

「……貝は……語る。けれど……語ればわたしが……沈む……沈んでしまう……」

彼の声は、多重の響きを持ち、どこか機械のようで、また、人の奥底にある声のようでもあった。

和尚がそっと一歩、彼に近づいた。

「……それは、お主だけが背負うものではない。語りとは、ただ口を開くことではない。誰かに託すことだ」

盛嗣は、動かぬ目で和尚を見ていた。だが、なにかを振り払うように、首を左右にふると、海へと向き直り、波間に漂うように歩き出していく。

「もう、……わたしが、わたしではなくなる前に……」

その声は、砂に吸い込まれるように消えていった。



「和尚様……」

芳一の声が小さく漏れた。

和尚は、ゆっくりと答えた。

「……裂け口、地獄の門と呼ばれるものだ。成仏せぬ魂が溜まり、声が語られぬまま堆積すると、あれが開く。海が“耳”になる。貝を通して、声なき者を誘う“口”にもなる」

「では……盛嗣は、それを……?」

和尚はうなずいた。

「守っていた。己の身を“蓋”としてな」

芳一は、そっと琵琶を抱え直した。砂の上で、どこかの貝が、カチリ、と音を立てて閉じた。

その音に、彼の心は震えた。

(語らねばならぬ。語るとは、ただ声にすることではない──)

遠く、空の向こうで、鐘のような音が鳴った。

ゴーン……
ゴーーン……
ゴーーーン……



地獄の門の予兆であることを、芳一はまだ知らなかった。



※毎日夜7〜8時あたりに投稿しています。ハートマーク(スキ)押していただけると、とても嬉しいです。よろしくお願いします。

続きはコチラ

宜しければコチラもご覧下さい

※感想もお気軽にどうぞ

いいなと思ったら応援しよう!

北南屋 よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!