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慰安婦論13):朴裕河・『帝国の慰安婦』著者のスタンス


朴裕河(パク・ユハ)の著作活動

韓国の世宗大学校日本語日本文学科教授である朴裕河(パク・ユハ、박유하 以下、敬称略)は、日本文学・日本文化を専門とする研究者である。彼女は、特に日本と韓国の近現代史における複雑な関係性、ナショナリズム、記憶の問題などをテーマに、学術的な視点から問い直しを続けている。『帝国の慰安婦』が広く知られているが、彼女の著作活動はそれ以前から多岐にわたっており、日韓の歴史認識や相互理解に関する深い考察を展開している。

以下に、朴裕河の主要な著作とその概要を紹介する。

『反日ナショナリズムを超えて』

(原題: 『ナショナリズムの歴史学』 - 내셔널리즘의 역사학)
初期の著作であり、日韓両国におけるナショナリズムの形成過程やその歴史認識への影響を分析している。特に、"植民地"期から戦後にかけての言説空間におけるナショナリズムの役割に焦点を当て、硬直した相互認識からの脱却の必要性を論じている。

『和解のために - 教科書・慰安婦・靖国』

(原題: 『화해를 위하여』)
『帝国の慰安婦』の思想的原点とも言える著作。日本の歴史教科書問題、慰安婦問題、靖国神社問題といった日韓間の主要な歴史認識の対立点を取り上げ、それぞれの問題の背景にある歴史的経緯やナショナリズムの問題を掘り下げている。一方的な断罪ではなく、相互の立場や歴史的文脈を理解することによる「和解」の可能性を模索している。

『日本植民地の文学 - 植民地経験と文学的実践』

(原題: 『일본 식민지의 문학』)
"植民地"期朝鮮における日本語文学や、日本で活動した朝鮮人作家たちの文学作品を分析した著作。"植民地"という特殊な状況下で生まれた文学が、"植民者"と"被植民者"の関係性、アイデンティティの揺らぎ、抵抗や順応といった複雑な様相をどのように描いているかを考察している。文学作品を通して、"植民地"経験の多様な側面を読み解こうとしている。

『さびしい人々 - 大衆の誕生と植民地朝鮮』

(原題: 『쓸쓸한 사람들 - 대중의 탄생과 식민지 조선』)
"植民地"期朝鮮における「大衆」の登場とその社会的・文化的な意味合いを論じている。近代化の波の中で変容する社会構造、都市化、メディアの発達などが、人々の意識や集合的なアイデンティティにどのような影響を与えたのかを分析。"植民地"状況下での「大衆」の経験を多角的に捉え直している。

『帝国の慰安婦 - 植民地支配と記憶の闘い』

(原題: 『제국의 위안부』)
最も広く知られている著作であり、慰安婦問題をめぐる日韓の従来の議論に一石を投じた。本書では、慰安婦とされる女性たちの経験が多様であったこと、日本軍だけでなく朝鮮人も関与していた側面があること、そして当時の公娼制度との関連性などを論じ、問題の多層性を指摘した。この著作は韓国社会を中心に大きな 論争を巻き起こし、現在もその評価は定まっていない。

朴裕河の著作は、一貫して日韓関係、特に歴史認識の問題に対して、ナショナリズムや固定観念にとらわれない複眼的な視点からアプローチしようとする試みと言える。彼女の提起する論点は時に強い批判に晒されているが、それは同時に、日韓間の歴史認識の溝の深さや、過去と向き合うことの困難さを示唆しているとも言える。彼女の著作を読むことは、日韓関係の複雑性を理解し、より深い相互理解のための対話を考える上で、重要な示唆を与えてくれるだろう。


『日韓メモリー・ウォーズ《私たちは何を忘れてきたか》』

朴裕河の著作『日韓メモリー・ウォーズ《私たちは何を忘れてきたか》』は、2016年3月に開催されたシンポジウム「日韓関係、五つの壁~私たちは何を忘れてきたか」の記録をまとめたものである。このシンポジウムは、朴裕河の『帝国の慰安婦』が引き起こした大きな波紋の中で行われ、朴裕河自身が登壇し、日本の社会学者である上野千鶴子、韓国の日本研究者である金成玟、日本の韓国研究者である水野俊平と共に、日韓の歴史認識問題や「記憶の戦争」について議論を交わした。

上野千鶴子の視点

本書において、上野千鶴子は単なる共著者というよりは、シンポジウムにおける重要な参加者、あるいは議論を深める役割を担っている。本書の紹介文にある通り、「『帝国の慰安婦』の著者・朴裕河(パク・ユハ)氏が騒動の最中に登壇。自著について、過去とこれからの日韓関係について、上野らと語りあったシンポジウム(2016年3月)をもとにまとめた一冊」であり、上野は朴裕河の発言や問題提起に対し、自身の専門分野であるジェンダー論や歴史社会学の視点から応答している。

1) 『帝国の慰安婦』をめぐる議論の構造化:

上野は、『帝国の慰安婦』の内容そのものの是非を直接的に論じるというよりは、同書がなぜ韓国社会で強い批判を浴びたのか、そして日韓双方の社会でどのような「記憶の戦争」が起きているのかという現象自体を分析しようとしている。朴裕河が提起した問題が、日韓それぞれのナショナリズムや歴史認識の根深さにどのように関わっているのかを、より大きな文脈の中で捉え直そうとしている。

2)「記憶」の多様性とナショナリズム:

上野は、歴史的な出来事に対する「記憶」が一つではなく、多様であり、またナショナリズムによってどのように形成・歪曲されるのかという点に関心を寄せている。慰安婦問題についても、画一的な物語ではなく、個々の女性たちの多様な経験や、それをめぐる記憶のあり方を考慮する必要性を暗黙的あるいは明示的に示唆している。

3) ジェンダーと歴史認識:

自身の専門であるジェンダー論の視点から、歴史認識の問題がどのように性別、特に女性の経験と結びついているのかを論じている。慰安婦問題は、女性に対する暴力という側面が強く、上野はその点を踏まえつつ、しかし単なる被害者物語に回収されない複雑性を指摘している。

4) 日韓の認知ギャップへの問いかけ:

本書のテーマである「〈ずれ〉と〈ゆがみ〉の根源へ」に沿って、なぜ日韓の間で歴史認識に大きなギャップが生じるのか、その構造的な問題について考察を加えている。「真実は何かに執着するより、共有しうる事実を〈どう考えるか〉」という視点は、単一の「真実」を主張し合うよりも、互いの認識の背景にある歴史的・社会的要因を理解し、異なる解釈が存在しうることを認めることの重要性を示唆している。

総じて、上野千鶴子は『日韓メモリー・ウォーズ』において、朴裕河の『帝国の慰安婦』を一つの起点として、日韓間の歴史認識をめぐる「記憶の戦争」という現象を、ジェンダー、ナショナリズム、そして「記憶」の多様性といった自身の学術的な視点から読み解き、日韓の間に存在する認知ギャップの根源を探り、対話や和解の可能性について間接的に問いかける役割を果たしている。彼女の発言は、『帝国の慰安婦』の内容に直接的な評価を与えるというよりは、同書が提起した論争を通じて、日韓関係のより深い構造的な問題に光を当てようとするものである。

この本に★1つだけの評価を付け、詳細に徹底批判している方(SA22CYH氏 )のコメントが非常に参考になる!

朴裕河が提唱する「第三の道」

朴裕河の著書『帝国の慰安婦』が提案する「第三の道」とは、「性奴隷」か「売春婦」かという、慰安婦問題をめぐる日韓間の硬直した二項対立を乗り越え、より複雑な歴史的現実を認識した上で、日韓の「和解」を目指すための新たなアプローチである。

この「第三の道」は、以下のようないくつかの側面から構成されている。

1)「性奴隷」論と「売春婦」論への疑問提起:

朴裕河は、韓国で主流となっている「日本軍による強制的な性奴隷」という規定や、日本の一部にある「強制性はなく、単なる売春婦だった」という主張のいずれもが、当時の慰安婦を取り巻く状況の複雑さを捉えきれていないと考える。 彼女は、慰安婦には強制的に連れてこられた女性もいれば、騙されて来た女性、借金のために来た女性、あるいは当時の公娼制度の中で働いていた女性など、多様な背景を持つ人々がいたことを指摘する。

また、日本軍との関係性も、一方的な暴力だけでなく、場所や時期によってはある程度の人間的な交流が存在した可能性も示唆し、単純な「加害者」と「被害者」という図式だけでは捉えきれない側面があったと論じている。

このように、「性奴隷」という単一の規定に囚われることも、「売春婦」として問題を矮小化することもなく、当時の多様で複雑な現実を直視することの重要性を訴える。

2) 加害と被害の一方的な断罪を超えて:

朴裕河は、日本の"植民地"支配と戦争が慰安婦問題の根源にある日本の加害責任を否定するわけではない。しかし、問題の発生や継続には、朝鮮半島の業者など朝鮮人自身が関与していた側面があることにも言及し、問題を日本のみの責任に帰することへの疑問を投げかけている。

同時に、韓国社会における強い反日ナショナリズムが、慰安婦を「聖女」や「被害者」としてのみ扱い、歴史の複雑な側面を覆い隠している現状を批判している。

つまり、一方的な加害者/被害者という固定的な関係性から脱却し、歴史の多面的な構造を認識することを目指している。

3)「共に傷ついた」歴史の認識:

朴裕河は、"植民地"支配と戦争という過酷な歴史的経験は、日韓双方に深い傷を残したという視点を提示する。日本もまた、戦争という状況下で多くのものを失い、人間性を歪められたという側面があることを示唆し、日韓双方がこの歴史の中で「共に傷ついた」存在であるという認識を共有することの重要性を提案している。これは、被害者/加害者という二元論を超え、互いの痛みや歴史的経験を認め合うことで、対話の可能性を開く試みである。

4) 未来志向の「和解」:

「第三の道」が最終的に目指すのは、過去の清算に終始するのではなく、真の意味での日韓の「和解」である。これは、一方的な謝罪要求や賠償請求に応じることだけではなく、互いの歴史認識の違いを認めつつも、対話を通じて共通の歴史認識を模索し、未来に向けた建設的な協力関係を築くことを意味する。過去の歴史をめぐる対立を乗り越え、互いの尊厳を尊重し、共に未来を創造していく視点を重視する。

簡潔に言えば、朴裕河の提唱する「第三の道」とは、慰安婦問題をめぐる「性奴隷か売春婦か」という対立を、歴史的現実の複雑性と多様性を認識することによって相対化し、一方的な加害/被害の図式やナショナリズムから距離を置き、「共に傷ついた」歴史を認め合い、未来志向の対話と相互理解に基づく真の和解を目指すアプローチであると言える。彼女の議論は、従来の慰安婦問題をめぐる議論に強い批判を投げかけるものであり、日韓両国で大きな論争を巻き起こした。

名誉毀損で訴えられた経緯と裁判結果

朴裕河が著書『帝国の慰安婦』を巡ってナヌムの家および元慰安婦(と自称する活動家)らから名誉毀損で訴えられた経緯と裁判結果は以下の通り。

1) 訴訟提起の経緯

朴裕河の著書『帝国の慰安婦』は、2013年に韓国で出版されるや否や大きな論争を巻き起こした。特に、慰安婦の募集や日本軍との関係性に関する従来の通説とは異なる記述が含まれていたことが、元慰安婦の支援団体や一部市民団体から強い批判を呼んだ。

これを受け、2014年6月、元慰安婦の共同生活施設である「ナヌムの家」に入居する元慰安婦(と自称する活動家)ら (訴訟提起時は計9名) は、朴裕河氏に対し、著書の記述が自分たちの名誉を著しく傷つけたとして、刑事告訴および民事訴訟を提起した。刑事告訴では、検察が朴裕河氏を在宅起訴した。

問題とされた主な記述は、慰安婦の募集における強制性の程度、日本軍との関係性における「同志的関係」や「ある種の同志」といった表現、そして慰安婦と当時の公娼制度との関連性などであった。これらの記述が、慰安婦を「性奴隷」として位置づける従来の認識と異なり、元慰安婦の人格と尊厳を否定し、名誉を毀損するものであると主張された。

2) 裁判の進行と判決結果

この刑事裁判は、一審、二審、そして韓国の最高裁判所にあたる大法院での審理を経て、長期にわたり争われた。

一審(ソウル東部地裁):無罪判決

2016年1月30日、ソウル東部地裁は朴裕河氏に対し、名誉毀損について無罪判決を言い渡した。 一審裁判所は、朴裕河の著書は学術研究の結果として発表されたものであり、問題とされた記述は歴史的な評価や意見表明の領域に属すると判断した。また、記述全体を通して見れば、"元慰安婦"の人格を貶めたり、意図的に事実を歪曲したりする目的があったとは認められないとし、学問の自由や表現の自由の範囲内であると結論づけた。

二審(ソウル高裁):有罪判決(罰金刑)

検察は一審の無罪判決を不服として控訴した。2017年1月25日、ソウル高裁は一審判決を破棄し、朴裕河に対し罰金1000万ウォン(約100万円)の有罪判決を言い渡した。 二審裁判所は、一審とは異なり、問題とされた記述の一部は客観的な事実に反し、元慰安婦らの名誉感情を害するものであると判断した。特に、「同志的関係」といった表現は、慰安婦が置かれていた状況を歪曲し、元慰安婦の人格権と名誉を侵害する可能性があると指摘した。二審では、学問の自由や表現の自由にも一定の制約があるとし、その範囲を超えていると判断した。

大法院(最高裁):二審破棄、差し戻し

朴裕河氏側は二審の有罪判決を不服として上告した。大法院は長期にわたり審理を行った後、2023年10月26日、二審判決を破棄し、事件をソウル高裁に差し戻した。 大法院は、名誉毀損罪における「事実の摘示」にあたるかどうかの判断について、より慎重な検討が必要であるとの見解を示した。問題とされた記述の中には、学術的な評価や意見表明の性格が強いものが含まれており、それらを直ちに名誉毀損にあたる「事実の摘示」と見なすことはできない可能性があると判断した。特に、歴史的事実に関する学術的な議論については、幅広い表現の自由が保障されるべきであるという点を強調した。

差し戻し審(ソウル高裁):無罪判決

大法院からの差し戻しを受けて行われた差し戻し審で、ソウル高裁は2024年1月24日、大法院の判断の趣旨に沿って審理を行い、朴裕河に再び無罪判決を言い渡した。差し戻し審では、大法院が示した基準に基づき、問題とされた記述が名誉毀損にあたる事実の摘示か、あるいは意見表明の範囲内かなどが再検討された。

大法院:検察の上告棄却、無罪確定

検察は差し戻し審での無罪判決を不服として再び大法院に上告した。しかし、大法院は2024年7月25日、検察の上告を棄却する決定を下した。これにより、朴裕河に対する名誉毀損を問う刑事裁判において、最終的に無罪が確定した。

3) 裁判結果の意義

朴裕河に対する刑事裁判で最終的に無罪が確定したことは、韓国において歴史問題に関する学術研究や表現の自由がどこまで認められるのかという点において、重要な判断を示したものと言える。一方で、この判決が『帝国の慰安婦』の内容そのものに対する学術的評価や歴史認識に関する論争に終止符を打つものではなく、本書を巡る議論は今後も続いていくと考えられる。

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