慰安婦論19):千田夏光・『従軍慰安婦』著者の功罪と"慰安婦問題"
千田夏光(せんだ かこう/なつみつ)は、日本の作家で、特に太平洋戦争や慰安婦に関する著作を多く手掛けた。満州(大連)で育ち、日大の学生時、学徒動員を経験し復員し毎日新聞の社員を経た後に作家活動に入った。
作家としての出発と慰安婦問題への関心:
『従軍慰安婦』(1973)の出版・毎日新聞の写真集編集がきっかけ
「私が慰安婦に興味をおぼえたのは、昭和39年毎日新聞社が写真集『日本の戦歴』を発行したときであった。この写真集は『毎日グラフ』別冊として編集されたが、15年戦争を通じ毎日新聞特派員が撮影して来た、2万数千枚の写真の選別から編集までを私は受持ってきた。 ところがその作業の中に数十枚の不思議な女性の写真を発見したのである。兵隊とともに行軍する朝鮮人らしい女性。頭の上にトランクをのせている姿は朝鮮女性がよくやるポ ーズである。占領直後とおぼしい風景の中で 和風姿で車に乗り込む女性。中国人から蔑みの目で見られている日本髪の女性。写真ネガにつけられている説明に“慰安婦”の文字はなかった。が、この女性の正体を追っている うちに初めて“慰安婦”なる存在を知ったのであった。」
千田が繰り返し付けている「北部中国の川を腰までまくり渡ってい く」女性の写真(タイトル画像)のキャプションには、こう記されている。
「日本軍もまた娘子軍をつれて歩いた。慰安婦と呼ばれる一群である。朝鮮婦人が多かった。彼女らはつねに進撃する部隊を追い第一線にむかったのだが、カメラをむけると白い歯をむいて笑った。望郷の思いを吹き消すためだったのかもしれぬ」「ところがその一枚一枚を見ていくうち、私は不思議なことに気がついた。朝鮮人慰安婦がいずれもカラリとした明るさを見せているのに、日本人慰安婦のほうは、なにか翳りがあるのである。なぜだろう。 みると、私の旧陸軍慰安婦に対する興味は、この時からはじまったのであった。慰安婦に朝鮮女性が多かったことは聞いていたが、彼女らが自らすすんで、喜んで慰安婦となることはまず絶対にあり得ない。強制または半強制であるはずだ。その実態はどうだったのだろうか。」
双葉社・広告文
「“御国の為に”と自らの身を挺した日本女性、挺身隊の美名の下に人身御供にされた未経験の朝鮮女性。皇軍に殉じて壮烈な死を遂げながら、勲章もなければ墓標もない女たちの実態を、豊富な資料ときめ細やかな取材によってまとめた貴重なドキュメント!」
秦郁彦氏による評価:
当初、類書がない貴重な調査報告として評価する声もあった。1985年に同書の解説を書いた秦郁彦は「著者の千田夏光は1924年生まれ、戦場経験は、新聞記者時代にふとしたきっかけで、このテーマと取り組むようになった。全体像をつかむにはまだ不満が残るが、他に類書がないという意味で貴重な調査報告といえよう。」と当時は評価した。
記述内容
『従軍慰安婦 正編』の中には原善四郎(関東軍参謀)に面会し、「連行した慰安婦は八千人」との証言を引き出したとの記述がある。しかし、原の軍歴に間違いがあったため『正論』や『諸君!』で面会した事実に疑問が呈された。
挺身隊の名の下5~7万人が慰安婦にされた
1973年に千田夏光が発表した著書『従軍慰安婦』(“声なき女”八万人の告発)には、挺身隊の名の下5~7万人が慰安婦にされたとしている。
『挺身隊』という名のもとに彼女らは集められたのである。(中略)総計二十万人(韓国側の推計)が集められたうち『慰安婦』にされたのは『五万人ないし七万人』とされている
この根拠を調べた在日朝鮮人運動史研究者の金英達(キム・ヨンダル)は、1970年8月14日付けソウル新聞の記事を千田夏光が誤読して典拠したとしている。(「日本の慰安婦問題#20万人説」参照)
1991年、朝日新聞では「従軍慰安婦」について、「女子挺身隊の名で戦場に連行された」と報道している。高崎宗司は、「挺身隊という名のもとに彼女ら(慰安婦)は集められた」と書いた千田の著書を依拠しているとしている。(「女子挺身隊#朝鮮での「挺身隊」と「慰安婦」の混同」参照)
関東軍特種演習への慰安婦強制連行証言
関東軍特種演習(関特演)において慰安婦が強制的に集められたと、千田は原善四郎元少佐の証言を紹介した。
(後方担当参謀原善四郎元少佐が)必要慰安婦の数は二万人とはじき出し、飛行機で朝鮮へ調達に出かけているのである。ここで、つまり昭和16年には、すでに朝鮮半島は慰安婦の草刈場となっていたことがわかる。実際には一万人しか集まらなかったというが草刈場になった事実は動かせない。
また、それ以降のページで原への対面インタビューが掲載されており、著者である千田の「70万人の兵隊に2万人の慰安婦が必要とはじき出した根拠というか基準は何だったのですか」という質問に対して、原がこう語ったと記載している。
はっきり覚えていないけど、それまでの訓練つまりシナ事変(日中戦争)の経験から算出した。
二万人と言われたが、実際に集まったのは8千人ぐらいだった。
集めた慰安婦を各部隊へ配属したところ、中には<そんなものは帝国陸軍にはいらない>と断る師団長が出たのです。ところが、二ヶ月とたたぬうち、<やはり配属してくれ>と泣きついて来た
記述に関する重要な疑義と本人の対応:
「関特演での慰安婦2万人動員計画」証言の創作:
著作の中で、関東軍の原善四郎元参謀が関特演(関東軍特種演習)のために8千人(後に1万人とも)の慰安婦を集めたと証言したかのように記述した。しかし、後の現代史研究家である加藤正夫の調査に対し、千田本人がこの原元参謀との面会および証言は実際には行われておらず、すべて自身が創作したものであることを認めた。
「挺身隊」と「慰安婦」数の混同:
女子挺身隊の名のもとに5万~7万人が慰安婦にされたと記述したが、これは在日朝鮮人運動史研究者の金英達により、ソウル新聞の記事の誤読が根拠であると指摘されている。
麻生徹男軍医に関する記述と謝罪:
麻生徹男軍医の論文に関する記述が、慰安婦における朝鮮人女性の比率を高めたことにつながったとする誤解を招いた点について、麻生の娘である天児都氏からの指摘を受け、1996年に自身の記述が誤解を招き迷惑をかけたとして天児氏に謝罪した。しかし、その後も出版元の三一書房と講談社はその部分を訂正していない。この誤解により、麻生やその家族は非難される被害を受けたとされる。
後世の研究者による評価:
産婦人科医の天児都氏は、千田の著作には事実の裏付けがない記述や矛盾が多く、後続の作家がそれを検証せずに誤りを拡大したと批判している。また、別の研究者は、一次資料に基づく調査が行われておらず、感情的な筆致が日本軍に対する読者の憎悪を掻き立てる面があると分析した。
このように、千田夏光は慰安婦問題に関する著作で注目を集めたが、その記述、特に元参謀の証言を創作したことや、他の人物に関する誤解を招く記述があったことなどが指摘され、本人も関係者に対して謝罪した。しかし、記述の訂正が行われないまま流通した著作もあったことが問題視されている。
amazonレビュー
曇り雨のち晴れ ★★★★☆
従軍慰安婦、軍幹部は若い兵士の性をどう処理したか
従軍慰安婦問題が一般的に公になったのは、1990年代、韓国の元慰安婦が日本に賠償を求め裁判を起こしてからである。慰安婦も軍人・兵士も固く口を閉ざさざるを得ない事柄であったからである。
著者は、ある週刊誌に載った短い記事からその問題に取り組んでいったようだ。元・毎日新聞の記者で、余り資料も語ってくれる人のいない問題であり、かなり苦労しているが、現在と比べて両者の生存者がまだ結構いる時期である。
この本はその前に別の出版社(双葉社) から出しているが、「思い」が入りすぎているので、それを削り、レポート(新聞記者)的に「改訂」して出したものだが、内容的には変わらないとしている。
シベリア出兵の時、結構な数の花柳病(性病)が出て、軍としては、死者、負傷者で戦力が落ち、さらにこの病気にかかり1割くらいが離脱することは、大変な問題であった。
若い将兵の性の問題をきちんと考えないといけないという教訓を得、何らかの対策を講じなければどうしようもない事であり、そこで「慰安婦」を考えたようである。その形態にはいろいろあるようだが、軍の管理下に民間業者において営業させた、月1回の身体検査をする。また、戦線はどんどん遠くへ拡大していくので、到底間に合わない。そこで、朝鮮人(日韓併合で日本の統治下にあった)を、多数、様々な方法で集めたようである。
しかし、そういう資料はまず残っていないし、軍・兵も慰安婦も口をつぐむ問題であり、中々明らかにならない。結局、調査し、足を運び信頼を得た僅かなことから、積み上げるしかない。おそらく、不十分さや誤解や誤記憶も含まれているだろうが、おそらくこれを出せば集中攻撃も想定し、その実態を明らかにすることに努めた日本の恥部の一端であろう。
現在では、その存在は明らかであるが、日本政府はその賠償には応じていないが、1970年代段階で良く書き公にした功績は大きい書であろう。』
『続・従軍慰安婦(償われざる女八万人の慟哭)』(1974)
amazonレビュー
★★★★☆
『私は「祖父の証言」というサイトを作っています根本と申します。(要検索:チチハルに行っていた祖父の慰安婦証言サイト)
本書は「従軍慰安婦・声なき女八万人の告発」(1973年、双葉社)の続編である。取材範囲の広さでは正編より劣る。内容は、正編には載せられなかったエピソードや千田が聞き出すことが出来なかった朝鮮人被害者女性の証言、読者からの手紙、それに基づく再追跡、70年代にブームとなった日本人のキーセン観光などの話で構成されている。
P15。拉孟・騰越の朝鮮人慰安婦の話。太田毅「拉孟~玉砕戦場の証言」と読み比べてみるのも面白いと思う。
P51~57。水上少将の話。この名前をどこかで聞いたことがあると思ったら米軍の「捕虜尋問報告49号」に出てきていた。部下に対し思いやりのある優しい人物で、部下を脱出させた後自決したというが、彼が実は生きていたのではないか、という謎のエピソードである。
P151~P157。千田が正編では聞き出すことが出来なかった朝鮮人元慰安婦の話が載っている。この時代としては貴重な話だったろう。戦後、日本人男性に騙されて結婚した朝鮮人女性は、戦中、兵隊の洗濯をするだけで金になると騙されて連れていかれ、慰安婦にさせられた。(その男性により殺されてしまった彼女の遺体を見ると、〝性器が変形"していたという。)また、ラバウルで慰安婦をさせられた別の朝鮮人女性は、1日300人位の相手をさせられ、日本人慰安婦に比べ休日が極端に少なく、また朝鮮人男性も徴用工として働かされていたが彼らも一か月休みなしで働かされ慰安所には全く来れなかったという。徹底的なまでの差別の実態・・・我々のご先祖はなぜ朝鮮の人々にここまでひどいことをしたのだろうか?
(こういった証言というのは70年代から現代まで朝鮮人・日本軍人ともに一致・一貫している。ならば当時の朝鮮人慰安婦や徴用工とはそのような存在であった、と解するよりない。これだけ多くの人間が一貫して同じ偽証をしているとは考えられない。またそれを裏付ける資料もいくつもあるのだ。)
P165・166。「戦争で犠牲を受けたのは朝鮮人だけではない、日本人も同じ。戦死した者、家を焼かれた者、孤児になった者、いろいろありますからね」という言葉。千田は他の日本人数十人に取材しても、やはり同系列の答えが返ってきたという。日本人も同じ被害者だというなら、その責任は誰にあるのだろう?辿っていくと結局は昭和天皇に行き着いてしまうのだろうが、上からの命令には絶対服従、下からの反抗や声を上げることを許さなかった当時の体制を我々は反省し、二度と繰り返さないようにしなければならない。
P167~。北海道の元兵士の証言。日本人慰安婦は一日数人でよかったのに対し、朝鮮人・中国人慰安婦は一日何十人も相手にさせられていたという。これもよく聞く話である。
P185。70年代にブームとなった日本人のキーセン観光の話。一見、慰安婦問題と関係ないようだが、千田の分析が面白い。日本人の思い上がり、そして韓国支配は昔は軍事力(サーベル)が今では経済力(札束)に姿を変えただけだと。
「軍事的警察的支配は常に被圧迫民族のなかに、彼らにとっては裏切り分子である協力者もつくりつつすすめていく。常にそうである。そのことも痛いようにわかる」(P219)。
P221。慰安婦にさせられる間際に結婚し徴集を免れた女性の話。日本は朝鮮の未婚女性だけを集中的に挺身隊(慰安婦)とした。それは既婚女性を動員すればさすがに反日感情に火が付くと考えたためらしいが、動員から逃れるために多くの親が娘を急いで結婚させようとしたという。(これを裏付ける記述が近年発見された資料「満州国第6憲兵団の1944年6月30日付高等警察新聞」にある。〝朝鮮では看護婦や慰安婦に徴用されるのを嫌い早期結婚の傾向あり"などと書かれている。)
ところが、若くて健康な男性はみんな日本に労務動員やら徴兵されてしまっていて残りは不具の者か精神病の者しか残っていない。それでも慰安婦にさせられるよりはマシだということで無理やり結婚させた。それが戦後、数千件以上ともいう離婚騒動になったという。ここまでは正編に書かれている話なのだが、千田はその当事者を見つけることが出来なかった。しかし今回、韓国人ジャーナリストの協力によって千田は初めて当事者女性を見つけ、話を聞くことができた。彼女によれば離婚騒動が持ち上がったのは45・46年にかけてだったが、50年からの朝鮮戦争でかき消されてしまったという。一家離散や肉親の死亡、国土の荒廃などで顧みられるゆとりがなくなってしまったのだと。彼女は最初「昔のことはもう話したくない」と言い、証言するのに気乗りしない様子だったという。この時代、彼女らはなぜ被害を訴え出なかったのか?千田はこう分析する。「それが潜在化しているのは日韓間の経済問題、経済の力関係、貧富差の問題から口に出して言えないことから来ているのも事実である。言いたいけれど言えないということである」・・・
P237。「戦争における異常心理は、殺し合い殺され合いをした者でないと分からないという。」・・・これが、現代の日本人が当時の日本軍の蛮行を信じがたく感じる理由の一つだろう。
P242。麻生徹男医師の貴重な話。彼はこう言う。「はじめ日本人は精神を尊ぶ民族であり、恥を知っている民族だと思っていました。ですから中国人婦女子に対し、暴行強姦をしていると聞いても、信じられませんでした。性欲だけでなく、すべての欲を凍結し、禁欲によって己を磨いていくのが日本人、と考えていた自分がこっけいに思えてきました。軍医としてはじめて慰安婦を検診させられた時の信じがたい驚きはいまも忘れません。昨日のことのように憶えています」・・・麻生医師の意見書(38年1月)も貴重な資料だ。
P245。この時代、韓国の名門・梨花女子大学の学生たちは慰安婦にさせられた女性たちのことを全く知らなかったという。興味深い事実だ。被害者の名乗り出がなく、また周りの人々も性に関する問題であるがゆえに固く口を閉ざし、語ろうとしなかったからだ。若い学生たちが率先して慰安婦問題の解決のために努力している韓国の現在の状況を見ると、彼らの意識の変化にはどのようなものがあったのか、と思う。ここから金学順さんが名乗り出るまで20年近くの歳月を要するわけだが、千田の説明により慰安婦の存在を知った彼女たちは憤慨し、千田に次々に手厳しい質問を浴びせたという。ちなみに彼女たちの一人が「日本では慰安婦をどのように集めたのか」と質問すると千田はこう答えた、「軍の命令を受けた女衒(ぜげん)という商売人が集めたけど、主としてというより全部と言っていいほど、売春経験者だったから問題らしい問題はなかったのです」・・・これも現在の研究結果と一致しており、千田はさすがだと思う。日本人慰安婦は一部の例外を除いてはおおむね成人の売春婦だった。「慰安婦はただの売春婦だ」というような主張は日本人にしかあてはまらないのだ。
P272。千田は九年間(!)も慰安婦の事を調べ歩いたという。彼の認識は今の研究レベルと照らし合わせてもほとんど齟齬が無いのではなかろうか?
総合的に見て、この本は正編と併せて読み、さらに90年代以降に出版された専門書や資料集、証言集などを合わせて読めばより慰安婦問題について理解が深められると思う。
自分が千田の本を読んでいつも感じるのは証言が圧倒的に生々しくリアルである事、そして、今でこそこの問題を徹底的に追及している韓国人達がなぜ当時は沈黙を通していたのか、彼らの意識の変化には如何ようのものがあったのか、という事である。性に関する問題であったこと、性道徳観念の強い儒教社会である韓国では、たとえ強制されたものであっても慰安婦が白眼視されていたという事、被害者たちが自らを恥じ名乗り出ることが出来なかったこと、朝鮮戦争による国家分断、宗主国日本には逆らえなかったという植民地支配の構造的問題、戦後日本と韓国の経済格差の問題、など要因は色々あろうが、もしこの時代に慰安婦問題が表面化していたら一体どういう展開になっただろうか。やはり日本政府は法的責任を否定し曖昧な謝罪と反省の言葉を繰り返すだけだろうか。
私は何人かの韓国人と交流したが彼らは揃ってみな優しく、親切で、従順で、素直で、攻撃的なところがない、そういう人達であった。韓国人に偏見を持っていた自分が恥ずかしくなった。これは「民族的性格」なのかもしれない、とさえ思った。日本人とは明らかに違う。だからこそ彼らは大日本帝国に飲み込まれ、屈従と忍耐を強いられてきたのではないか、と。(まあ、もっと多くの人達と交流しないと何とも言えない事であるが・・・)
私は、我々のご先祖が彼らに対して犯した罪の大きさを考えると、本当に胸が痛く、恥ずかしくなる思いだ。多くの日本人はいまだに慰安婦問題を否定しようとするが、それはこれが日本にとって極めて不名誉な、恥な問題だからだ。見下している朝鮮に対して贖罪意識を持ちたくない、そういう心理からだ。それではいけない。日本人はきちんと証言や証拠文書に向き合い、日本がかつて隣国に何をしたか、理解していなければならない。そうでなければ真の相互理解などできるはずもないのだ。
千田の本はそうした歴史を知るための先鞭をつけてくれた名著である、私はそう理解している。』
従軍慰安婦・慶子: 中国、ガ島、ビルマ 死線をさまよった女の証言(1981)
千田夏光の著書『従軍慰安婦・慶子: 中国、ガ島、ビルマ 死線をさまよった女の証言』は、彼が『従軍慰安婦』で提示した問題意識、特に戦場の極限状況における兵士と慰安婦の関係性を、特定の元慰安婦「慶子」への取材を通してより具体的なエピソードとして描こうとした著作と言える。
この書籍からは、確かに戦場の最前線、特に太平洋戦争(大東亜戦争)における過酷な戦地(ガダルカナル島やビルマ戦線など)における兵士と慰安婦の間に見られたとされる、単なる性的な関係を超えた人間的な交流や、困難な状況の共有を示唆する具体的なエピソードが、「慶子」という一人の女性の証言として拾える可能性が高い。
『従軍慰安婦・慶子』で語られる経験は、中国大陸の戦場から始まり、日本軍の最前線が推し進められた南方戦線、特に補給が途絶え飢餓と疫病が蔓延したガダルカナル島や、撤退戦が悲惨を極めたビルマ戦線といった、文字通り兵士たちが死線をさまよった場所での「慶子」の経験に焦点を当てている。
このような極限的な状況下では、兵士も慰安婦も共に生命の危険にさらされ、飢えや病気に苦しむという過酷な現実を共有した。本書には、こうした状況下で「慶子」が見聞きし、経験したエピソードとして、以下のような内容が含まれている(書籍の内容に基づいた一般的な傾向として):
兵士が自分の乏しい食料や物資を慰安婦に分け与えたり、病気になった慰安婦を気遣ったりした話。
戦闘や空襲の際に、兵士と慰安婦が共に壕に避難し、恐怖を分かち合った話。
慰安婦が、精神的に追い詰められた兵士の話し相手になったり、励ましたりした話。
撤退の際に、兵士集団と慰安婦集団が共に過酷な道のりを移動し、助け合いながら生き延びようとした話。
慰安婦が、戦死した兵士を悼んだり、その遺品を託されたりした話。
これらのエピソードは、『従軍慰安婦』で概括的に論じられた「戦場における慰安婦と兵士の複雑な関係性」や、一部で「同志的交流」と解釈されうるような人間的な側面の具体的な証言例となり得る。極限状況下での人間の相互作用や、生存本能に基づく協力関係といった視点から、慰安婦の経験を単一的な枠組みでは捉えきれない可能性を示すものとして、これらの具体的な描写はルポルタージュの要素として特筆され得る。
ただし、千田夏光の著作全般、そしてこの『従軍慰安婦・慶子』もまた、歴史研究や当事者の証言との整合性において、出版以降様々な議論や批判の対象となってきた。特に、激戦地への慰安婦帯同に関する「慶子」の証言内容については、史実として確認が困難な点や、当時の日本軍の状況と合致しないのではないかという指摘も存在する。したがって、本書から具体的なエピソードを拾う際には、これらが「慶子という一人の元慰安婦の証言として語られている内容である」という点を常に踏まえ、他の史料や研究成果と照らし合わせるなど、慎重な検討が必要である。
結論として、『従軍慰安婦・慶子』からは、戦場の最前線という過酷な状況下における兵士と慰安婦の人間的交流を示唆する具体的なエピソードが、「慶子の証言」という形で数多く見出せるが、これらのエピソードの歴史的な位置づけや解釈については、学術的な議論が続いている点に十分な注意が必要である。
amazonレビュー
サトぽん ★★★★★
死線をさまよう前のこと
2015年2月27日
1937年の上海事変の後、本格的に中支の奥深く日本軍は進軍を開始するが、陸軍の慰安所が、戦争遂行に必須の資源だと認識され始めたのもこの頃のことで、本書の主人公である「慶子」もこの頃に慰安婦として中国に渡った。長くなるので、このレビューでは、主人公が「死線をさまよう前の期間のこと」しか取り上げることができないが、それでも十分に「慰安婦問題」の参考になることが書いてある。
1981年に出版された小説仕立ての本だが、先行する「従軍慰安婦(1972)」の取材対象となった人物と、同一の女性が主人公のモデルだと思われる。彼女は福岡の私娼街の出身で、慰安婦に誘ったのは、石橋と言う元軍用商人だが、石橋には軍からカネは出ていない。私娼街の銘酒屋から慰安婦として女性を引き抜くためには、前借金の肩代わりのカネを用意する必要があるが、石橋にそのカネはなく、どこに頼みに行っても冷淡に追い返され、途方にくれたことになっている。私娼の立場からしても、遠い異国の戦場で慰安婦として働くメリットは全く感じられなかったらしく、石橋は日本人の慰安婦集めに難渋した末に、朝鮮人密入国者の子供を買って(もちろんダマして)、軍から割り当てられた員数を揃えることになる。
この話は事実だろう。大林清に「 玉の井挽歌 (1983年) 」という有名な本がある。ほぼ千田の例と一緒の時期に、玉の井の銘酒組合の組合長の元に、陸軍から慰安所開設の依頼が来た話が書いてあるのだが、本書同様、90年代以降、続々と発見された当時の軍や警察関係の資料と照らし合わせて、ほとんど記述に矛盾がないことに驚く他ない。組合長の国井は、軍の提案に何の魅力も感じられなかったものの、組合長としての立場から、結局は渋々と軍の依頼を受け入れることになる。
本書と「玉の井挽歌」に共通するのは、千田と大林が描く慰安婦が、遊郭の娼妓たる「公娼」ではなく、当時でも非合法な「私娼」であることだ。慰安所での料金は、一般兵士の給与で支払えるように、一円~二円程度に設定された。これはほぼ、当時の「私娼」の料金の相場と一致する。当時の公娼(吉原、島原、福原等)の料金は、三円から五円程度、高ければ十円と言う例もある。つまり、私娼でも魅力を感じない慰安婦に、公娼が自由意思で転出することはあり得ない、もし何らかの魅力を感じるとしたら、兵士・将校兼用の慰安所ではなく、将校専用の「高級」慰安所ということだ。
つまり、某慰安婦問題の権威の秦大先生のように、「慰安婦は内地の「公娼」の戦地版」と表現するのは間違い。日本人慰安婦の場合、公娼制度の最下層で呻吟する「私娼」達が慰安婦として戦線に動員されたのである(正確に言うと私娼と公娼の最下層)。
日本人が慰安婦になるには、21歳以上で、現役の醜業(売春)従事者である他に、性病に罹患していないこと、親族や本人の同意が必要だと言う制限があった。文春や読売によると、慰安婦問題の権威である(らしい)西岡力氏は、このことを知らなかったらしいので、一部に限っては、そう有名な話ではないようなのだが(笑)、慰安所の管理業者も、元軍用商人や遊郭、銘酒屋経営者といった軍が身元を掌握できる人間に限られた。慰安所制度が本格運用されるにあたって、軍と内地警察が談合して制限をかけたのである。
どうあがいても、一向に減らない前借金の連鎖を断ち切るため、客だけはイヤでもやってくると言う、慰安婦になることを彼女達は決意する。国井の場合のように、無理やり女性達を説得して連れていった関係上、すっぱり泥沼から脱出できた女性の例もあるが、業者の石橋から、同郷出身の兵士のためになる、と言われて出国した慶子のように、そのままズルズルと戦線の拡大に合わせて、終戦まで各地を転々とした例もある。
彼女達に対する軍の評価はこうだ。制限のない朝鮮人慰安婦に比べ、歳を取り過ぎている、ほとんどが性病罹患経験がある、職業売春婦臭が酷く、皇軍兵士の贈り物としてはふさわしくない。散々な評判だが、数少ない日本人慰安婦、兵士の証言を読む限り、彼女達はその評判に相応した、過酷な扱いを受けたと考えざるを得ない。
もちろん、このことは、軍高官に「評判の良かった」朝鮮人慰安婦の境遇が、悲惨なものでなかったと言うことにはならない。千田が取材中に、直接に聞くことができなかった、彼女達の凄惨な軍慰安所での経験は、1992年の金学順さんのカムアウトにより、初めて明らかになる。彼女らの証言は、本書に書かれた朝鮮人慰安婦の姿よりも、数倍も苛烈なものであった。
しかし、だからと言って、慰安婦問題の先駆としての千田の価値が減じるわけではない。レビューを書くにあたって再読し、改めて日本人慰安婦の悲惨な境遇を再認識した。今でも、十分に読む価値のある本なのである。
【2015/3/5 追記】
日本人慰安婦については、 「慰安婦」問題を/から考える――軍事性暴力と日常世界 所収の、小野沢あかね氏の論文「芸妓、娼妓、酌婦から見た戦時体制」が参考になる。このレビューに関して言えば、漢口の積慶里慰安所で営業していた、神戸の遊郭業者Yへの聞き取りは、私は全然知らなかった資料で、非常に興味深いものであった。他にも、「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」(1938年1月19日付))における貸座敷業者、大内某が女性達に示した契約の内容の分析等、着実にこの領域の研究が進んでいることを認識させてくれる。
【2015/3/23 追記】
石橋に軍からカネは出ていないと書いたが、これはマチガイです。「上海の兵站司令部の主計将校から前渡金一千円を渡され、十五人ずつ集めて来いと依頼された」というのが正確な記述です。カネが少しは出ていたと言うことですね。で、朝鮮人密入国者とさらっと書いてしまいましたが、千田によれば、朝鮮から労働者をかき集めて働かせるルートが北九州にはできていたとのこと。
評論・慰安婦言説の転換点: 千田夏光『従軍慰安婦』を中心に 木村 幹
戦後初期の日本:
慰安婦に関する言説は、主に復員兵の小説や回顧録に現れた。
しかし、この時期は、軍隊内のエリート(将校)と非エリート(兵士)の対立という、当時の日本の戦争理解の枠組みの中で語られることが多かった。⇒兵隊やくざ
また、戦後のセックスワーカーを巡る状況との連続性で理解され、日本人と朝鮮人などの対立はあまり意識されていなっかった。
多くの人々が戦争を直接経験していたため、過去の話は「回顧」であり、「再発見」ではなっかった。
世代交代と新たな言説:
時間が経つにつれて、戦争を直接知らない世代が登場し、新たな言説が生まれる。
これらの言説が人々の関心を集めるためには、「今日」の問題と結びつける必要があった。
千田夏光の役割:
戦争を知る世代と知らない世代の間にいた千田夏光が重要な役割を果たした。
彼は慰安婦問題を「今日」の問題として理解するための二つの切り口(ベクトル)を提供した。それは「植民地支配」と「女性問題」である。
このベクトルは、慰安婦問題において特に効果を発揮した。
ただし、千田自身は、日本人を含む戦争被害者全体と、朝鮮人慰安婦だけをクローズアップすることに初期には「迷い」を抱えていた。
「運動」の時代と焦点化:
千田に続く世代は、この「迷い」を乗り越え、現代の視点から日本の過去を批判し、償いを求める「運動」を展開するようになった。
この運動の中で、慰安婦問題は千田が示した「植民地問題」と「女性問題」が交差する点、つまり朝鮮人慰安婦の問題へと焦点が絞られていった。
韓国への舞台の移行と言説の先鋭化:
言説の舞台は、多くの当事者がいる韓国へと移った。
韓国では、日本の言説を参考にしつつ、特に女性問題の運動家が関わることで、言説はさらに絞り込まれ、「男性優位の日本社会」という内部に批判対象を持たないため、より「先鋭化」(鋭く、ラジカル)していった。
日韓の言説の衝突と国際化:
一方、運動の批判対象となった日本では言説の展開が遅れ、1990年代に入ると、先鋭化された韓国側の言説と、未整理な日本側の言説が衝突した。
この言説の対立は外交問題へと発展し、国際社会にも伝わった。
現在の構造の成立:
こうして、日本、韓国、そして国際社会における慰安婦問題を巡る現在の言説構造が確立された。1990年代以降の慰安婦問題は、この言説の対立を基盤として展開される。
要するに、慰安婦問題に関する議論は、戦後初期の国内問題としての捉え方から、世代交代を経て千田夏光が「植民地支配」と「女性問題」という現代的な視点を導入し、その後の運動の中で朝鮮人慰安婦に焦点を絞り込み、韓国での言説の先鋭化と日本の対応の遅れが日韓の対立を生み、それが国際的な言説構造を形成するに至った、という変遷をたどった。
"慰安婦問題"
概説と論点
慰安婦は太平洋戦争まで合法とされた公娼であり、民間経営者が報酬を支払い、斡旋業者が募集していたことから、国家責任はないとする主張がある。また、兵士による買春や性犯罪は日本軍に限らず、他国軍でも見られた問題であるという指摘(韓国の第五種補給品、ライダイハン、RAAなど)もある。
一方、戦時下での女性への重大な人権侵害、性奴隷であるとする主張や、強制連行の有無にかかわらず現代の価値観では人権侵害であるとする見解もある。
日本政府の調査では、軍や官憲による直接的な強制連行を示す資料は発見されていない。また、強制連行説を主張した朝日新聞は、吉田清治の証言に基づいた記事を取り消し、報道の誤りを認めた。
"慰安婦問題"の経緯
1970年代: 千田夏光の著作『従軍慰安婦』が刊行され、日本人慰安婦は自発的、韓国人は強制された被害者と分けて記述したことが注目され、日本キリスト教婦人矯風会などを通じて韓国にも紹介された。
1990年代:
政府の国会答弁(徴用の対象ではないとする発言)が韓国で問題視され、尹貞玉らにより韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が結成された。
金学順氏が元慰安婦として初めて名乗り出たことを皮切りに、韓国、フィリピン、オランダなどで元慰安婦による日本政府への謝罪と賠償を求める訴訟が多発した。
訴訟については、日本の弁護士らが原告を「募集」した過程が指摘されることもあった(池田信夫、下川正晴らの見方)。多くの訴訟は、時効や国家無答責の法理、サンフランシスコ平和条約等による国家間の解決済みを理由に、最終的に原告敗訴が確定している。ただし、関釜裁判の一審では国の賠償義務を一部認める判決が出たが、控訴審で破棄された。
挺対協は活発な運動を展開したが、後に主要メンバーであった尹美香氏に対し、元慰安婦の李容洙氏らから資金の不透明さや活動への批判が出され、韓国内で議論となった。挺対協の活動は、反日ナショナリズムと結びついて慰安婦問題を「聖化」したという評価もある。
メディアと情報伝達:
日本の朝日新聞は、吉田清治の証言に基づき、「女子挺身隊の名で戦場に連行された」「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」などと繰り返し報道し、これが問題の拡散に大きな影響を与えた。後に朝日新聞は吉田証言を虚偽と判断し、関連する記事を取り消した。
韓国メディアも日本の報道を受けて「小学生までが挺身隊にされ、慰安婦にされた」といった、後に事実ではないと判明する報道を行った(東亜日報「十二歳の挺身隊員」社説など)。この「小学生慰安婦」のイメージは、記者が事実ではないことを認めながらも、「慰安婦であってもおかしくないと考え敢えて強調しなかった」といった弁解もあり、その後も韓国社会で繰り返し伝えられることになる。
日本のメディア(読売新聞など)は、朝日新聞の誤報が日韓関係の悪化の一因となったという見解を示している。
日本政府の対応:
当初「調査はできかねる」という姿勢だったが、後に慰安所の設置等に「政府の関与」があったことを認めた(加藤談話)。
1993年の河野談話では、慰安婦の募集・移送・管理等が本人の意思に反して行われたとし、「心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」と表明した。この談話は関係者への聞き取りも踏まえているが、軍や官憲による直接の強制連行を示す公文書は見つかっていないこと、談話作成過程で韓国側との調整があったことが後に明らかになり、論争となった。
1995年の村山談話でも、改めて深い反省とお詫びが表明された。
女性のためのアジア平和国民基金を設立し、国民からの募金による「償い金」と政府資金による医療福祉支援を元慰安婦に提供した。歴代首相がお詫びの手紙を送付したが、韓国の挺対協などが基金からの受給を拒否するよう働きかけ、受け取り者が嫌がらせを受ける問題も発生した。
政府は、軍や官憲による直接的な強制連行を示す資料は見つかっていないという立場を繰り返し示している(閣議決定)。
安倍政権では、河野談話の継承を表明しつつ、強制連行の有無に関する議論も再燃した。2015年には日韓間で合意がなされ、日本政府が責任を痛感し、首相がお詫びと反省を表明すると共に、「最終的かつ不可逆的な解決」を確認したが、その後も問題は残った。
菅内閣は、吉田証言や朝日新聞の報道が誤解を招いたとし、「従軍慰安婦」ではなく単に「慰安婦」と呼ぶことが適切であるとの閣議決定をした。
国際社会における動きとロビー活動:
日本弁護士連合会やNGOは、慰安婦を「性奴隷」と規定し、国連人権委員会などでロビー活動を展開した。国連の特別報告書(クマラスワミ報告、マクドゥーガル報告書)は日本軍の慰安婦制度を性奴隷制と規定し、日本政府に賠償などを勧告したが、これらの報告書の根拠や位置づけについては論争がある。
韓国系や中国系の住民団体によるロビー活動が特に米国などで活発に行われ、米国下院(121号決議)やカナダ、オランダなどで日本に謝罪や責任を求める決議が採択された。これらの決議は「人身売買による性奴隷」といった強い表現を用いることが多かった。
慰安婦像・碑の設置: 韓国を中心に、日本国内外で慰安婦を象徴する像や碑が設置され、特に韓国の日本大使館前や総領事館前への設置は日韓間の外交問題となっている。
韓国政府と国内の動き:
韓国政府は当初、日本による補償を求めていたが、後に金泳三政権は物質的補償は韓国政府が行うとし、元慰安婦への生活支援金を支給する方針に転換した。
韓国では、日韓請求権協定で慰安婦問題は解決されていないとする見解や、協定自体を無効とする主張も一部にある。
韓国政府は、「日帝下日本軍慰安婦被害者に対する生活安定支援および記念事業等に関する法律」に基づき、元慰安婦を生活支援対象者として保護・支援している。
韓国国内には、元慰安婦のための施設「ナヌムの家」などが存在し、歴史館を併設して韓国側の歴史観を発信している。
自国(韓国軍)による性暴力問題(ベトナム戦争など)があるにもかかわらず、日本の慰安婦問題のみを問題視することについては、政治的な意図やナショナリズム的な側面を指摘する声もある。また、元韓国軍慰安婦らが韓国政府や米国政府を提訴する動きもある。
主な論争点
「強制連行」の有無: 日本政府は直接的な資料はないとし、広義の強制性(詐欺、甘言など)を巡る議論と混同すべきでないという主張がある。虚偽と判明した吉田証言がこの問題の誤解を広めた原因の一つとされている。
「従軍慰安婦」という用語: この用語は戦時には存在せず、軍属ではない慰安婦に使うのは不適切だとする議論がある。政府は誤解を招くとして「慰安婦」の使用を推奨している。
軍の関与: 慰安所の設置や運営に軍が関与していたこと自体は、多くの研究者間で異論がないとされているが、その「関与」の度合いや性格が論争の対象となっている。
慰安婦の人数: 2万~40万人と諸説あるが、特に広まった20万人説については、ソウル新聞記事の誤読など根拠が乏しいとの指摘が多くある。
いわゆる慰安婦問題が単一の単純な問題ではなく、歴史的経緯、日韓両国内の言論・運動、メディア報道、政府の対応、法的判断、国際的な働きかけなど、様々な側面が複雑に絡み合った問題であることを示している。特に、一部の証言の虚偽性や、メディアによる誤報が問題の形成・拡散に大きく影響した。
⇒慰安婦論1)慰安婦問題に関する日本国へ政府の公式見解の韓国語への試訳⇒慰安婦論2) いわゆる「河野談話」への曲解を正す
⇒慰安婦論3)談話後の記者会見でも河野は…
⇒慰安婦論4)河野談話・英文テキストの分析
⇒慰安婦論5)日本警察による朝鮮人悪徳業者検挙の新聞記事
⇒慰安婦論6):慰安所設置の目的
⇒慰安婦論7):慰安婦の証言の信憑性〜イ・ヨンス
⇒慰安婦論8):慰安婦の証言の信憑性〜キル・ウォノク
⇒慰安婦論9):兵隊やくざと慰安婦
⇒慰安婦10) 慰安婦は性奴隷だったのか?
⇒慰安婦論11) 賃労働と奴隷労働
⇒慰安婦論12) 日本軍慰安所朝鮮人管理人の日記
⇒慰安婦論13) 朴裕河・『帝国の慰安婦』著者のスタンス
⇒慰安婦論14):李栄薫・『反日種族主義』編著者の歴史実証研究
⇒慰安婦論15):朝鮮における妓生と公娼制度の導入
⇒慰安婦論16):公娼制度の歴史と遊郭文化
⇒慰安婦論17):公娼制度・慰安婦制度と女衒の手口
⇒慰安婦論21):C・サラ・ソー『慰安婦問題論』〜タイトル詐欺!?
⇒慰安婦論22):倉橋正直・従軍慰安婦の売春婦型と性的奴隷型の2類型論
⇒慰安婦論23):小野沢あかね・公娼制の民衆史・国際関係史と日本人慰安婦
⇒慰安婦論24):吉見義明の強制連行論
⇒慰安婦論25):ネット上に流布するコピペに対するAI評価+二日市保養所
⇒慰安婦論26)慰安婦関連公文書の解釈論争
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