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慰安婦論15)朝鮮における妓生と公娼制度の導入


李氏朝鮮における妓生制度

ジョセフ・イ(漢陽大学政治学部准教授)
ジョー・フィリップス(延世大学アンダーウッド国際学部准教授)
(以下の文章は、上記2人の韓国在住教授のネット記事を参照した。)

おそらく最も当惑させられるのは、韓国では日本による"植民地"支配以前も以降も、国家主導の下で性的労働が行われていた歴史への認識がほぼ不在であることだ。韓国の民間団体が批判する 「日本軍が行っていた性奴隷制度=従軍慰安婦制度」を語るには、朝鮮の妓生(kiisen)制度について知らなければならない。

「妓生庁」で管理

李氏朝鮮王朝時代には全ての国民は、良民(両班、中人、常人)と賤民(奴婢、白丁)という階層に分けられていた。そして奴婢の階層の中に、いわゆる妓生の身分が存在した。妓生は「奴婢随母法」で規定された身分である「妓籍(kijyo)」に属する女性たちを指し、「妓生庁」という役所で管理されていた。

さらに細かく見ると、妓生は一牌イルペニ牌イペ三牌サンペという三階層に分類されていた。

一牌は官位を与えられる者もいたようだが、三牌にいたっては単なる売春婦であった。妓生は世襲される身分であり、母が売春婦なら女の子供も売春婦である、と国家が戸籍制度で定義していた。つまり、朝鮮では古くより社会制度として世襲される性奉仕公務員制度を実施していたのである。

国家的な性奴隷制度

妓籍の子供は庶属(sojyoku)と呼ばれ、男子は中人に移籍する事もあったが、女子は妓籍から抜ける事は決してなかった。さらに庶属、つまり子供の人身の売買は自由であり、親(または所有者)は売買することで金銭を得ていた。

売春そのものは世界中いつの時代にも存在したし、現在も存在している。しかし朝鮮のように国家として性奴隷制度を確立していた社会は稀だ。

国策による”従軍慰安婦”

妓生をその慰安相手の階層で分けると次のようになっていた。

  • 女妓」=支那使臣の接待専用の売春婦

  • 官妓」=官吏専属の売春婦

  • 軍妓」=軍に付属する売春婦 

  • 辺妓」=国境などの辺境に駐在する軍隊の為の売春婦

この「軍妓」、「辺妓」が朝鮮の国策による、いわば"従軍慰安婦"であった。

1886年に奴婢身分世襲が禁止されたが、社会制度、経済制度としての妓籍制度の根は深く、実際は日本統治時代にも継続していた。戦前の貧しい半島ではこのような社会風土もあり、慰安婦募集には多数の応募があった。また、法的手続きを踏めば人身売買も認められていた。

支援団体が”性奴隷”と呼ぶ理由

日本軍性病防止のため、また将兵による強姦防止のために慰安所の設営を求めたのは事実である。戦地の慰安施設ゆえに当然安全面や衛生面の管理は日本軍が行っていた。しかし慰安婦の募集や施設の運営は民間に委託されており、軍による慰安婦の強制連行など全く必要なかった。

慰安婦はかなりの高収入で外出や廃業も自由であった。にもかかわらず、韓国の慰安婦支援団体が彼女らを「性奴隷」と呼ぶのは、「悪辣な日本軍」という宣伝効果を狙ったものだろうが、朝鮮の歴史に長く存在した「妓生」という”公的性奴隷制度”を反映しての表現でもあるのだろう。(←以上の意見は、あくまでも2人の教授のものであり、論争があることは後述する。項を改めて、「妓生」を再定義する。)

朝鮮における妓生と日本政府による取締

一牌妓生の高い教養と芸能力

朝鮮において妓生キーセンは、歴史的に歌舞をはじめとする諸芸に秀で、宴席などで興を添える役割を担ってきた女性たちであった。(タイトル画像)高麗時代から存在し、李氏朝鮮時代には官婢かんぴとして宮中や官衙に所属し、国家的行事や高官の接待などを務めた。

彼女たちは賤民せんみんという最下層の身分に置かれていたが、その中で等級が存在し、一牌イルペ二牌イペ三牌サンペに分かれていた。特に一牌妓生は高い教養と芸能力を持つとされ、詩歌や書画にも通じ、単なる性的サービス提供者ではなく、芸術的な側面や知識人との交流も持ち合わせていた。李氏朝鮮後期には官妓制度が廃止されるなど、変化も見られたが、民間の妓生文化は存続していた。

一牌妓生による接待                                                                            

しかし、1910年の日本による韓国併合以降、日本政府は朝鮮における妓生に対して本格的な「取締」を強化した。これは、日本内地で施行されていた公娼制度を朝鮮に導入・適用する過程と深く関連している。

日本統治以前の朝鮮において、売春行為自体は存在していたが、日本のような公的な管理下に置かれた「公娼制度」は確立されていなかった。日本政府は統治の過程で、衛生管理治安維持、そして性産業からの収益確保などを目的として、朝鮮にも公娼制度を導入していく。

「妓生取締令」と「娼妓取締令」

1908年には韓国統監府によって「妓生取締令」と「娼妓取締令」が公布され、妓生は法的な規制下に置かれることとなった。これにより、すべての妓生は当局への登録が義務付けられ、営業には許可が必要となった。また、衛生検査の対象とされ、その居住や行動も厳しく制限されるようになった。

「券番」による統制

日本政府は、妓生を日本の芸妓や娼妓と同様の枠組みで管理しようとした。特に重視されたのが「券番」と呼ばれる組織の設立と統制である。券番けんばんは、妓生を取りまとめ、料金の管理や出勤の差配などを行う事実上の管理組織であり、当局の監督下に置かた。これにより、妓生は伝統的な師弟関係や共同体的な結びつきから切り離され、より画一的な管理システムに組み込まれていった。

この取締と公娼制度の導入は、妓生のあり方を大きく変容させた。伝統的に持っていた歌舞音曲といった芸術的な側面や教養よりも、性的サービスの提供者としての側面が強調されるようになり、妓生の社会的な地位は一層低下した。日本式の遊廓ゆうかくが各地に設けられ、妓生もこれらの区域で営業することが多くなった。

リベラル派風まとめ

日本政府による取締の目的としては、表向きは人身売買の防止や衛生状態の改善などが挙げられるが、実際には性産業を国家が管理し、財源とすること、そして日本軍や日本人渡航者への性的サービスを円滑に提供する体制を構築する側面が強くあった。

このように、日本統治下における妓生への取締は、朝鮮古来の妓生文化やその多面的な役割を解体し、日本の公娼制度の枠組みに強制的に組み込むものであった。これにより、妓生は芸を売る者から、性的なサービスを強制される存在へとその性格を大きく変えざるを得なくなり、多くの妓生が人権を侵害される状況に置かれた。この時期の妓生を巡る状況は、植民地支配における女性への抑圧という観点からも重要な問題として指摘されている。

朝鮮の妓生制度から近代的な「公娼制度」へ

1) 朝鮮の開国と変化の始まり:

  • 1876年に朝鮮が開国し、日本など外国との交流が始まった。

  • 日本の商人や移住者が朝鮮に来るようになり、彼らが日本式の遊郭(性的なサービスを提供する場所)も持ち込んだ。

  • これにより、それまで朝鮮にあった伝統的な妓生制度に変化が起き始める。日本の芸者や娼妓、さらには西洋の性労働者なども現れ、従来の妓生との区別があいまいになっていった。

  • 李氏朝鮮の終わり頃には妓生の組合もでき、雇い主なしで働く妓生も現れるなど、妓生の働き方も変わっていった。地方からソウルに出てくる妓生も増えた。

  • 一部の研究者は、日本の遊郭が朝鮮にできたことで、公然と性売買が行われる場所ができ、女性の人身売買が増えたと指摘している。

2) 日本政府による「取り締まり」の強化:

  • 日本政府は、朝鮮にある日本人居留地(日本人が集まって住む地域)を中心に、性的な営業に対する規制を始めた。料金所の営業に規則を設けたり、性労働者に税金をかけたり、許可証の取得を義務付けたりした。

  • 一時、ソウルでの売春が禁止された時期もあったが、日清戦争後には再び公認されるようになり、各地に日本式の遊郭が作られていった。

  • 日露戦争で日本が勝利し、朝鮮への影響力を強めると、日本の性産業に関わる人々がさらに朝鮮に入ってきた。ソウルなど主要都市には大きな遊郭ができ、これは日本政府の財源の一つにもなった。

3)「貸座敷娼妓取締規則」〜公娼制度への組み込み:

  • 日本人だけでなく朝鮮人の性営業も増える中、1908年に日本政府は「妓生取締令」と「娼妓取締令」を出した。

  • これにより、妓生は政府の許可がなければ営業できなくなり、公的な管理下に置かれることになった。政府は、規則の理由として「だまされてこの仕事をするのを防ぐため」と説明した。

  • 1910年の韓国併合後、この規制はさらに強まる。1916年には「貸座敷娼妓取締規則」という全国的なルールができ、朝鮮全土で日本式の「公娼制度」が正式に実施された。性労働者(娼妓)の年齢制限なども設けられたが、日本の内地より低い年齢が設定された。

4) 妓生の役割とイメージの変化:

  • こうした日本の公娼制度への組み込みにより、妓生は従来の歌や踊りなどの芸を見せる役割よりも、性的なサービスを提供することが中心となっていった。

  • 日本の統治が始まった頃の文献では、妓生は日本の芸者と娼妓を合わせたような存在だと記されたり、後に売春婦(蝎甫/カルボ)とは区別される見方もあったが、1940年頃の調査では、多くの妓生が実質的に性売買を行っていると報告されている。

  • つまり、日本政府の政策によって、朝鮮の伝統的な妓生は、日本の公娼制度における性労働者という枠組みの中に強制的に位置づけられることになり、その役割や社会的なイメージが大きく変わってしまったと言われる。

リベラル派風まとめ:簡単に言うと、朝鮮が開国し日本が影響力を強める中で、日本式の遊郭や性に関するルールが持ち込まれた。日本政府は妓生を自分たちの作った公娼制度に組み込むための法律を作り、管理を強化した。これにより、本来は芸に秀でた存在であった妓生が、より性的なサービスの提供者として扱われるようになり、その伝統的な役割や地位が失われていった、ということになる。

公娼制の実施〜身分制支配から産業的売春へ

妓生と公娼に関する議論

朝鮮の伝統的な「妓生(キーセン)」という制度が、日本の”植民地”時代の「公娼制度」によってどのように変化し、この変化が元日本軍慰安婦の問題とどう関連付けられるか、という議論。

主な論点は以下の通り。

1) 元慰安婦とされる人々の証言:妓生学校

一部の元慰安婦は、日本の公的な機関に仕えることを目的とした「公娼制の妓生学校」に通い、そこで日本の営業許可を得るための知識や技術を学んだと証言している。

2) 伝統制度の崩壊説:

日本の導入した公娼制度によって、妓生を含む朝鮮固有の様々な形態の売買春制度が崩壊させられた、と見なす考え方がある(山下英愛などの見解)。

3) 制度の違いを強調する見解:

伝統的な妓生制度は、日本の公娼制度とは異なるものだとする見解もある(川田文子、金富子、梁澄子、金両基ら)。

  • 伝統的な制度には妓生の他に様々な形態があったが、これらは日本の公の管理下にある特定の場所に集められた公娼制度とは異なると指摘する。

  • 多くの妓生は売買春だけをしていたわけではなく、文化的な素養を持つ者もおり、文学作品の題材にもなった例があるとして、近代以降の日本人向け「キーセン観光」とも全く違うものだった、という反論もある(金両基)。

4) 本質的な同一性を主張する見解:

一方で、李朝時代以前の妓生と近代以降のキーセンは形は違えど、その根底にある「政治的、社会的、制度的な支配とそれに従属する構造」は本質的に同じだ、と指摘する見解もある(川村湊)。さらに、近代以降の私娼窟の中にも、性を抑圧しつつ文化の名で洗練させようとした妓生文化の根本的な要素が見られる、という意見もある。

つまり、この議論は、伝統的な妓生が単なる売買春婦だったのか、それとも文化的な側面を持つ存在だったのか、そして日本の公娼制度が伝統的な制度をどう変質させたのか、あるいはその根幹にある支配構造は変わらなかったのか、という点で見解が分かれている。これらの異なる見方が、慰安婦問題の歴史的背景を巡る議論にも影響を与えていると言えるだろう。

名乗り出た慰安婦第一号の証言のブレに戸惑っていた当時の左翼

【文春】臼杵敬子「慰安婦は事実でした。しかし、証言を二転三転させる1号の金学順が公に登場。まずいな、と思いました。」

 『高木(健一)「金学順さんの話なんだけど、私たちが聞いた話と他のマスコミに言っている内容が違う。知ってる?」
臼杵「ぜんぜん気が付かなかった。そうなの?」
高木「そうか。もう裁判だし。こちらでなんとかしよう」

慌てました。報道等を確認すると、金学順さんはキーセン学校に通い、キーセンの養父とともに満州で仕事をしていたというのです。その後、北京に立ち寄ったところで日本軍に捕まり慰安婦にされた、という話が語られていることがわかりました。

まずいな、と私は思いました。キーセンは日本で言う芸者のことです。キーセンという言葉は、裁判では誤解や偏見を招く可能性があると思ったのです。

金学順さんが日本軍に連れて行かれたという鉄壁鎮(てっぺきちん)という場所も中国地図から見つけることが出来ませんでした。

彼女が慰安婦だった期間も3か月ほどであり短い。

私は金学順さんの証言では、慰安婦問題を正しい形で提起するためには、裏付けが弱いと感じた。しかし、弁護団の方は、顔を出して肉声で被害を訴えることが出来る人は金学順さんしかいないと、原告とすることを決めたのです。

私は提訴後、彼女の証言にあやふやなところがあったので「ウソを言ったらダメよ」と言いました。でも金学順さんは「私は間違ったことは言ってない」と頑なでした。
(略)
金学順さんの証言のブレは、慰安婦問題を語るうえで、後世に大きなシコリを残すことになりました。発言が二転三転したことで、日本側から「売春婦だった」、「慰安婦問題はなかった」などの酷い言論を誘発する事態となってしまったからです。』

妓生学校の生徒たちの集合写真                                                             

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