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デジタルアクター試論 13. 性格の可変性という基準——ブルース・ウェイン、長谷川平蔵、車寅次郎

追加加筆に伴い、構成を変更した

デジタルアクター試論 目次

1. 発想の出発点——肖像権を払ってCGで作るという可能性
2. 最初の突破口は誰が開けるか
3. ブルース・リーという最有力候補
4. アイコンと役柄のバランス問題
5. 完全オリジナルのCGキャラによるスターシステム
6. 契約のパーセンテージ化
7. 仮面ライダー1号という日本の特殊事例
8. ルパン三世・クレヨンしんちゃんとの対比
9. 違う人が本郷猛を演じても定着しなかった理由
10. 今の仮面ライダーがほぼCGという逆説
11. 一文字隼人と佐々木剛氏
12. 美空ひばりとの違い——役を演じるか否か
13. 性格の可変性という基準——ブルース・ウェイン、長谷川平蔵、車寅次郎
14. 「群像劇化」が原点を重くする逆説
15. 特撮主演というキャリアの賭け——村上弘明、長谷川初範、細川茂樹、オダギリジョー
16. 西島秀俊という稀有な存在——シン・ウルトラマンからBLACK SUNへ
17. 西島秀俊と木村拓哉——芸能人としての格と俳優としての評価
18. 30代・40代の本郷猛を描くという可能性
19. 総3Dアニメ化という選択肢
20. フランケンシュタインの被造物として
21. 唯一無二性を生んだ三つの偶然
22. 撮影現場の一体感、という最後の鍵
23. ブルース・ウェインとクラーク・ケント——比較対象の精緻化、そして本郷猛の特異性のまとめ
24. 最初のデジタル化に生じる微妙な変更
25. 『ボヘミアン・ラプソディ』が示した「受け手の補完」
26. マイケル・ジャクソンの伝記映画
27. 『ワイルド・スピード』のブライアン・オコナーと、ドミニクたちの老い
28. 乱用するプロデューサーへの懸念
29. 「コモディティ化」と「民主化」という言葉の歪み
30. 政治権力による技術の独占とプロパガンダ
31. ゲリラ的パロディというもう一つの危険
32. 結語


寅さんの甥、満男がシリーズ中駆っていたGPz400R


 「役を演じているかどうか」という基準の先には、もう一つ別の基準がある。

 同じ「役を演じている」キャラクターの中でも、性格そのものをどこまで動かせるかには、明確な段階差があるのではないか。これを測る基準として、ブルース・ウェイン、長谷川平蔵、車寅次郎という三つの実例を並べてみると、許容される可変性の幅が、段階的に狭まっていく様子がよく見える。


 最も可変性が高いのはブルース・ウェイン=バットマンである。アダム・ウェスト版(コミカルで陽気)、ティム・バートン版(ゴシックで陰鬱)、クリストファー・ノーラン版(リアリズムと哲学的苦悩)、マット・リーヴス版(孤独で病的なまでに内向的)——バットマンは数十年かけて、その時代の空気に合わせて性格そのものを大胆に塗り替え続けてきた。

 これが許されるのは、コミック原作自体が80年以上、何人もの作家によって繰り返し「再解釈」されることを前提に作られてきたからである。

 バットマンというキャラクターの「本体」は、性格ではなく、もっと抽象的な骨格(大富豪の孤児、超能力なし、ガジェット、正義への誓い)にあり、その骨格の中で性格は自由に組み替えられる変数として、最初から設計されている。


 中間に位置するのが、鬼平犯科帳の長谷川平蔵である。

 長谷川平蔵を演じたのは、八代目松本幸四郎(後の初代松本白鸚)、丹波哲郎、萬屋錦之介、二代目中村吉右衛門、十代目松本幸四郎で、この中で吉右衛門は実父・八代目幸四郎の当たり役を継ぎ、十代目幸四郎はその甥として祖父と叔父の当たり役を継ぎ、さらにその息子である市川染五郎が若き日の平蔵(本所の銕)を演じるという、三世代にわたる血族継承が成立している。

 十代目幸四郎は撮影で叔父が実際に使っていた煙草入れを使わせてもらい、亡き叔父を思って涙ぐんだという。これは歌舞伎の「家元制度」——芸そのものを一門の中で継承していく仕組み——が、現代のテレビ時代劇にもそのまま機能した例である。

 ただし鬼平の継承には、バットマンにはない制約がある。

 十代目幸四郎は会見で「“自分流”とか“新たな”というよりかは、誰よりも長谷川平蔵を愛していることは負けないぞというつもりで務めさせていただきました」と語っており、これは性格の再解釈ではなく、先代への忠実さこそが継承の正統性の証明として要求されていることを示している。

 つまり鬼平型は、役そのものは血族の中で可変(継承可能)だが、性格・芸風はむしろ「先代に忠実であること」が期待される、という意味で、バットマン型よりも一段窮屈な継承の形である。


 最も可変性が低いのが、車寅次郎である。寅次郎の場合、血族による継承すら試みられなかった。

 渥美清氏の没後に作られた『男はつらいよ お帰り 寅さん』(2019年)は、寅次郎を新たに演じ直すという選択を最初から避け、主役を甥の満男に完全に譲り渡し、寅次郎自身は過去48作の本物のアーカイブ映像としてのみ登場させるという構成を取った。

 生死も劇中ではあえて曖昧にされ、満男のイメージとして過去作品からごく一部にCG合成が使われた程度で、それ以外は一切「演じ直す」ことをしていない。

 つまり鬼平のように「血族が役を継いで、先代の型を尊重して演じ直す」という余地すら、寅次郎には用意されなかった。これは鬼平よりもさらに一段階厳しい不変性であり、性格も役そのものも、誰にも触れさせないという、最も固い凝固状態にある。


 ついでに言えば、この三段階のさらに外側に、より緩い「役職型」の極端な例がある。

 007のジェームズ・ボンドは、そもそも「コードネーム(職位)」として設定されており、『ノー・タイム・トゥ・ダイ』では女性エージェントが一時的に007の番号を引き継ぐ場面さえ描かれた。

 水戸黄門も史実において「黄門(中納言)」という官職を得た水戸藩主全員を指す呼称であり、頼房・光圀・綱條など七人が該当する。

 月光仮面やハリマオ、ナショナルキッドのような昭和の単発特撮も、主演者が途中で代わっても大きな問題にならなかった。

 ナショナルキッドでは主演が小嶋一郎から巽秀太郎に変更されたが、ヒーロー本体は仮面で顔を隠し、変身の同一性自体が曖昧に処理されており、かつ番組が最終回で完結する一回性の読み物だったために、代役は自然に受け入れられた。これらはいずれも「個人」ではなく「役職・記号」として最初から設計されていたために、可変性の基準で言えばバットマンよりもさらに緩い、最も自由な極にある。


 つまり全体を並べると、007・水戸黄門・ナショナルキッド(役職・記号として設計、最大の可変性)→ブルース・ウェイン(性格まで可変、骨格のみ固定)→長谷川平蔵(役は血族継承可能だが性格は先代に忠実であるべき)→車寅次郎(役も性格も完全に固定、継承の試み自体が放棄された)という、四段階のグラデーションが見えてくる。本郷猛は、この基準で言えば寅次郎に最も近い、最も固い極に位置するキャラクターである。


前章 12. 美空ひばりとの違い——役を演じるか否か

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