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デジタルアクター試論 4. アイコンと役柄のバランス問題

デジタルアクター試論 目次

1. 発想の出発点——肖像権を払ってCGで作るという可能性
2. 最初の突破口は誰が開けるか
3. ブルース・リーという最有力候補
4. アイコンと役柄のバランス問題
5. 完全オリジナルのCGキャラによるスターシステム
6. 契約のパーセンテージ化
7. 仮面ライダー1号という日本の特殊事例
8. ルパン三世・クレヨンしんちゃんとの対比
9. 違う人が本郷猛を演じても定着しなかった理由
10. 今の仮面ライダーがほぼCGという逆説
11. 一文字隼人と佐々木剛氏
12. 美空ひばりとの違い——役を演じるか否か
13. 性格の可変性という基準——ブルース・ウェイン、長谷川平蔵、車寅次郎
14. 「群像劇化」が原点を重くする逆説
15. 特撮主演というキャリアの賭け——村上弘明、長谷川初範、細川茂樹、オダギリジョー
16. 西島秀俊という稀有な存在——シン・ウルトラマンからBLACK SUNへ
17. 西島秀俊と木村拓哉——芸能人としての格と俳優としての評価
18. 30代・40代の本郷猛を描くという可能性
19. 総3Dアニメ化という選択肢
20. フランケンシュタインの被造物として
21. 唯一無二性を生んだ三つの偶然
22. 撮影現場の一体感、という最後の鍵
23. ブルース・ウェインとクラーク・ケント——比較対象の精緻化、そして本郷猛の特異性のまとめ
24. 最初のデジタル化に生じる微妙な変更
25. 『ボヘミアン・ラプソディ』が示した「受け手の補完」
26. マイケル・ジャクソンの伝記映画
27. 『ワイルド・スピード』のブライアン・オコナーと、ドミニクたちの老い
28. 乱用するプロデューサーへの懸念
29. 「コモディティ化」と「民主化」という言葉の歪み
30. 政治権力による技術の独占とプロパガンダ
31. ゲリラ的パロディというもう一つの危険
32. 結語

これも、やはりブルース・リーではなくジャッキー・チェン、キャノンボールの2作目で駆ったスタリオンは、しかし、画像のようなブリスターフェンダーがつく後期型ではないものだったが、まぁ、こっちの方がカッコいいので。

 俳優自体が一大アイコンだが、一キャストでしかないという側面もある。あの俳優をここで使いたい、という時に、アイコンと役柄のバランスの問題が出てくる。

 生身の俳優であれば、「アイコン(本人のパブリックイメージ)」と「役柄(劇中のキャラクター)」の間で、本人の演技力や演出によって絶妙なチューニングがなされる。しかし、それを「CGの肖像権ライセンス」という形でシステム化しようとすると、このバランスが恐ろしく極端な問題として浮き彫りになる。


 一つは、「記号」が強すぎて観客が劇に没入できない問題である。

 例えば、あるサスペンス映画の「うだつの上がらない、狡猾な小悪党のAさん」という役に、配役の妙(あるいは予算の都合)でデジタル版のブルース・リーをキャスティングしたとする。観客はスクリーンに彼が映った瞬間、どれだけみすぼらしい格好をしていようが、「あ、ブルース・リーだ。いつ怪鳥音をあげるんだ」というノイズ(アイコンの引力)に脳を支配されてしまう。

 生身の俳優なら「今回はアクションを封印した新境地」という文脈が通用するが、記号として消費されるデジタル・アクターの場合、観客が持つ固定観念を裏切るような地味な役をやらせると、作品のリアリティが崩壊しかねない。

 結果として、「ブルース・リーをキャスティングしたら、ブルース・リーっぽい役しかやらせられない(=一キャストとして機能しない)」という本末転倒な事態が起こりやすくなる。


 もう一つは、権利者(遺族やエージェント)の「イメージ管理」の壁である。

 映画監督が「このシーンで、あのスターの持つ『哀愁』や『狂気』が1ピースとして欲しい」と考えたとしても、ライセンスを握る側は自分たちの「アイコン」を守らなければならない。

 「世界中の子供たちのヒーローである彼に、こんな卑劣な裏切り者の役をやらせるな」「彼女のアイコンの価値(ブランド)が下がるから、劇中で無様に惨殺される役はNGだ」——生身の俳優なら本人の意志で「イメージ脱却のために、あえて悪役に挑戦する」という賭けができるが、管理ビジネスになったデジタル・アイコンは「絶対に値崩れしない、安全で最大公約数的なキャラクター」としてしか貸し出されなくなる危険性がある。

 これでは、映画の「一キャスト」としての流動性や面白みが完全に失われてしまう。


 もしこのバランス問題をクリアして、監督が「あの俳優をここで使いたい」を純粋に機能させるとしたら、二つのアプローチが考えられる。

 一つは「エッセンス(DNA)の抽出とブレンド」——ブルース・リーそのものを出すのではなく、「ブルース・リーの眼光」と「若き日の別の俳優の佇まい」を何割かずつブレンドした、実在しない「新しい一キャスト」を生成して配置する方法。

 もう一つは「カメオ・記号としての記名性の割り切り」——『レディ・プレイヤー1』のように、確信犯的に「あのアイコンがここにいる」という文脈(ファンサービスや象徴)としてのみ配置し、ドラマのドロドロした内面を演じる「一キャスト」としては、別の名もなきデジタル・アクターを充てる方法である。


 クリエイターにとって俳優は「作品を構成する最高の絵の具(パーツ)」だが、肖像権ビジネスにおけるデジタル・アクターは「完成された一級のブランド商品」である。この「パーツとしてバラして使いたい監督」と「ブランドをパッケージのまま守りたい権利者」の妥協点がどこに落ち着くかで、未来の映画の質は大きく変わりそうである。


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