デジタルアクター試論 11. 一文字隼人と佐々木剛氏
デジタルアクター試論 目次
1. 発想の出発点——肖像権を払ってCGで作るという可能性
2. 最初の突破口は誰が開けるか
3. ブルース・リーという最有力候補
4. アイコンと役柄のバランス問題
5. 完全オリジナルのCGキャラによるスターシステム
6. 契約のパーセンテージ化
7. 仮面ライダー1号という日本の特殊事例
8. ルパン三世・クレヨンしんちゃんとの対比
9. 違う人が本郷猛を演じても定着しなかった理由
10. 今の仮面ライダーがほぼCGという逆説
11. 一文字隼人と佐々木剛氏
12. 美空ひばりとの違い——役を演じるか否か
13. 性格の可変性という基準——ブルース・ウェイン、長谷川平蔵、車寅次郎
14. 「群像劇化」が原点を重くする逆説
15. 特撮主演というキャリアの賭け——村上弘明、長谷川初範、細川茂樹、オダギリジョー
16. 西島秀俊という稀有な存在——シン・ウルトラマンからBLACK SUNへ
17. 西島秀俊と木村拓哉——芸能人としての格と俳優としての評価
18. 30代・40代の本郷猛を描くという可能性
19. 総3Dアニメ化という選択肢
20. フランケンシュタインの被造物として
21. 唯一無二性を生んだ三つの偶然
22. 撮影現場の一体感、という最後の鍵
23. ブルース・ウェインとクラーク・ケント——比較対象の精緻化、そして本郷猛の特異性のまとめ
24. 最初のデジタル化に生じる微妙な変更
25. 『ボヘミアン・ラプソディ』が示した「受け手の補完」
26. マイケル・ジャクソンの伝記映画
27. 『ワイルド・スピード』のブライアン・オコナーと、ドミニクたちの老い
28. 乱用するプロデューサーへの懸念
29. 「コモディティ化」と「民主化」という言葉の歪み
30. 政治権力による技術の独占とプロパガンダ
31. ゲリラ的パロディというもう一つの危険
32. 結語

大病を患われるなどいろいろ大変で出演が見込めない佐々木剛氏の、そこそこ若い時も見てみたい——その名前が出た瞬間、胸が熱くなると同時に、「デジタル・アーカイブ」という技術が持つ真の救いと、文化的使命がどこにあるのかを強く確信させられる。
佐々木剛氏の一文字隼人は、藤岡弘、氏の復帰までの「繋ぎ」として急遽用意されたにもかかわらず、その陽気で爽やかな魅力と、あの伝説の「変身ポーズ」を生み出して『仮面ライダー』を大爆発的な社会現象へと導いた、まさにシリーズ最大の救世主である。
佐々木氏がたどられた波乱万丈の人生(30代でのアパート火災による大火傷、そこからの壮絶な苦闘、そして現在の居酒屋でのファンとの温かい交流まで)を知るファンからすれば、「あの若き日の、最高にカッコよかった一文字隼人に、もう一度スクリーンで大暴れしてほしい」という願いは、単なる贅沢ではなく祈りに近いものがある。
佐々木氏の一文字隼人をデジタルで復活させることには、1号とはまた違う、特撮史における決定的な意味がある。もし今、佐々木氏に無理を押して実写作品へ出演していただくとしたら、それはどうしても現在の体調に合わせた、動きの少ない演出にならざるを得ない。
ファンとしてはお姿を見られるだけで嬉しい反面、どこか切なさを抱くのも事実だ。
しかし、デジタル・アクター技術があれば、私たちが観たいのは「1971年当時、レザージャケットを羽織り、ニヒルで陽気な笑顔を浮かべ、キレッキレの空手アクションでショッカーをなぎ倒していた、24歳の一文字隼人」そのものである。
技術によって彼の「最高の瞬間」を完全な形で召喚することは、彼の役者としての、そしてヒーローとしての尊厳を、最も輝かしい形で称えることになる。
これまで、歴代の周年映画などで「1号・2号の共演(ダブルライダー)」は何度も描かれてきたが、それはスーツアクターによるマスク姿での共演か、声だけの出演か、年齢を重ねてからの現代の姿での共演のいずれかだった。
もしデジタル技術のドミノが倒れれば、「24歳の本郷猛と、24歳の一文字隼人が、生身の顔のままで肩を並べ、同時にあの変身ポーズを決める新作映画」が作れるようになる。昭和40年代のあの熱狂のど真ん中にいた、あの若々しくギラギラした二人が、現代の最先端VFXの泥臭い戦場に生身の姿で降り立つ。
これは全特撮ファンが咽び泣く、究極のドリームマッチであり、彼らが命を懸けて作ったコンテンツへの、現代のクリエイターからの最高のリスペクト(恩返し)になるはずだ。
ここで肖像権料の話に綺麗に戻ってくる。佐々木氏のようなレジェンドが、自らの若い頃のデータを東映に公式にライセンスし、新作映画が作られるたびに、あるいはゲームに登場するたびに、「肖像権のロイヤリティ(使用料)」がしっかりとご本人やご家族に還元されるシステムが確立されたらどうだろう。
かつて生身で命を懸けてトランポリンを跳んでいた時代の薄給とは裏腹に、彼らが遺した偉大なアイコンが、現代のデジタル資産として彼らの生活や未来を豊かに支え続ける。これこそが、肖像権ビジネスとテクノロジーがもたらすべき、最も幸福な着地点ではないだろうか。
アニメの、声質さえ合えば、替えが効くキャラクターではなく、藤岡弘、氏であり、佐々木剛氏という「あの男たちでなければ絶対にダメだった」からこそ、彼らの若き日の肉体をデジタルで永遠に国宝のように遺していく。
この「2号=一文字隼人」の復活こそが、日本の特撮界が覚悟を決めて、最初のシャッターを開ける最大の動機になる気がしてならない。
前章 10. 今の仮面ライダーがほぼCGという逆説
次章 12. 美空ひばりとの違い——役を演じるか否か
