デジタルアクター試論 12. 美空ひばりとの違い——役を演じるか否か
デジタルアクター試論 目次
1. 発想の出発点——肖像権を払ってCGで作るという可能性
2. 最初の突破口は誰が開けるか
3. ブルース・リーという最有力候補
4. アイコンと役柄のバランス問題
5. 完全オリジナルのCGキャラによるスターシステム
6. 契約のパーセンテージ化
7. 仮面ライダー1号という日本の特殊事例
8. ルパン三世・クレヨンしんちゃんとの対比
9. 違う人が本郷猛を演じても定着しなかった理由
10. 今の仮面ライダーがほぼCGという逆説
11. 一文字隼人と佐々木剛氏
12. 美空ひばりとの違い——役を演じるか否か
13.
14. 「群像劇化」が原点を重くする逆説
15. 特撮主演というキャリアの賭け——村上弘明、長谷川初範、細川茂樹、オダギリジョー
16. 西島秀俊という稀有な存在——シン・ウルトラマンからBLACK SUNへ
17. 西島秀俊と木村拓哉——芸能人としての格と俳優としての評価
18. 30代・40代の本郷猛を描くという可能性
19. 総3Dアニメ化という選択肢
20. フランケンシュタインの被造物として
21. 唯一無二性を生んだ三つの偶然
22. 撮影現場の一体感、という最後の鍵
23. ブルース・ウェインとクラーク・ケント——比較対象の精緻化、そして本郷猛の特異性のまとめ
24. 最初のデジタル化に生じる微妙な変更
25. 『ボヘミアン・ラプソディ』が示した「受け手の補完」
26. マイケル・ジャクソンの伝記映画
27. 『ワイルド・スピード』のブライアン・オコナーと、ドミニクたちの老い
28. 乱用するプロデューサーへの懸念
29. 「コモディティ化」と「民主化」という言葉の歪み
30. 政治権力による技術の独占とプロパガンダ
31. ゲリラ的パロディというもう一つの危険
32. 結語

Takeshi Hongoh (Hiroshi Fujioka)
Hayato Ichimonji (Takeshi Sasaki)
“Masked Rider”
美空ひばり氏をCGで甦らせよう、というのとニュアンスがちょっと違うのは、やはり役を演じる、というところにあるのだろうか。美空ひばり氏の時は批判轟々だった。
2019年のNHK紅白歌合戦などで披露された「AI美空ひばり」の時に起きた激しい拒絶反応(「冒涜だ」「死者をロボットのように操っている」という批判)と、「若い頃の藤岡弘、氏や佐々木剛氏をCGで観たい」という願いの間には、決定的な「ニュアンスの差」があるように思う。その違いは、「役(キャラクター)を演じているかどうか」、そして「生前からの連続性」という二つのポイントにある。
一つは、「本人そのもの」を偽造するか、「役のパーツ」を再現するかという違いである。「AI美空ひばり」が多くの人を戸惑わせ、批判を浴びた最大の理由は、あれが『美空ひばり』という実在した個人そのものの「生霊(クローン)」を作ろうとしてしまったことにある。
新曲の歌詞として、本人が生前絶対に言っていない(言えなかった)言葉を、AIの計算によって本人風に歌わせた。
観客からすれば、「天国から本人が降りてきた」と思いたい反面、脳のどこかで「これはNHKと技術者が作詞・プログラミングした偽物だ」という冷徹な現実に直面させられる。
つまり、「本人の尊厳や魂の領域に、他人が土足で踏み込んで喋らせている」というグロテスクさが、批判の引き金になった。
一方で、本郷猛や一文字隼人の場合は違う。観客が観たいのは、「藤岡弘、という人間そのものの私生活のクローン」ではなく、彼らが作り上げた『本郷猛』という不滅のフィクションのキャラクターである。
「AI美空ひばり」は「美空ひばり本人」をAIで偽造してコントロールしている感覚だが、デジタルダブルライダーは「本郷猛」という役を完成させるための、最高のお面(ビジュアル・パーツ)としてデータを使う感覚になる。
映画の劇中でデジタル本郷猛がどれだけ熱いセリフを吐いても、それは「本郷猛のセリフ」であって藤岡弘、氏のプライベートの言葉ではないと、観客側もフィクションのフィルターを通して純粋に楽しむことができる。
この「役を演じる」というクッションがあるからこそ、倫理的な拒絶反応が起きにくいのである。
もう一つの決定的な違いは、ご本人が現在も存命であり、その技術とビジネスに「自分の意志」で関われるかどうかだ。美空ひばり氏の場合は、ご本人が亡くなった後に、残された側(遺族やテレビ局)が主導して進めたプロジェクトだった。
本人が天国でどう思っているかが分からない以上、どうしても「死人に口なし」のビジネスに見えてしまう側面があった。
しかし、藤岡氏や佐々木氏の場合、今まさに生きているこの世界で、「ご本人の承諾、あるいは監修のもとで、自分の若き日のデータを未来の特撮界に遺す」という、現在進行形のプロジェクトとしてスタートできる。
ご本人が元気なうちに、「俺の若い頃のデータを東映に託すから、これからも子供たちのために良い1号・2号映画を作ってくれ」と笑顔でバトンを渡す。これなら、それは死者への冒涜ではなく、「レジェンド本人が公認した、100年続く公式アーカイブ」になる。
エンタメにおいて、実在の個人をそのままハッキングするようなAIの使い方には、人間は強い警戒感を抱く。しかし、「あのカッコよかったヒーローを、もう一度あの姿で観たい」という、作品の文脈(役柄)に基づいたCG技術の使い方なら、私たちはそれを「映画の魔法」として幸せに受け入れることができる。
アニメキャラほど替えが効くわけではないけれど、美空ひばり氏のように本人そのものを捏造するわけでもない。
「役としての肉体を永久保存する」というこの絶妙な中間地帯こそが、技術が人間に拒絶されず、むしろ祝福されるための唯一の安全地帯なのかもしれない。
前章 11. 一文字隼人と佐々木剛氏
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