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デジタルアクター試論 24. 最初のデジタル化に生じる微妙な変更

★★加筆に伴い、構成を変更した★★

デジタルアクター試論 目次


1. 発想の出発点——肖像権を払ってCGで作るという可能性
2. 最初の突破口は誰が開けるか
3. ブルース・リーという最有力候補
4. アイコンと役柄のバランス問題
5. 完全オリジナルのCGキャラによるスターシステム
6. 契約のパーセンテージ化
7. 仮面ライダー1号という日本の特殊事例
8. ルパン三世・クレヨンしんちゃんとの対比
9. 違う人が本郷猛を演じても定着しなかった理由
10. 今の仮面ライダーがほぼCGという逆説
11. 一文字隼人と佐々木剛氏
12. 美空ひばりとの違い——役を演じるか否か
13. 性格の可変性という基準——ブルース・ウェイン、長谷川平蔵、車寅次郎
14. 「群像劇化」が原点を重くする逆説
15. 特撮主演というキャリアの賭け——村上弘明、長谷川初範、細川茂樹、オダギリジョー
16. 西島秀俊という稀有な存在——シン・ウルトラマンからBLACK SUNへ
17. 西島秀俊と木村拓哉——芸能人としての格と俳優としての評価
18. 30代・40代の本郷猛を描くという可能性
19. 総3Dアニメ化という選択肢
20. フランケンシュタインの被造物として
21. 唯一無二性を生んだ三つの偶然
22. 撮影現場の一体感、という最後の鍵
23. ブルース・ウェインとクラーク・ケント——比較対象の精緻化、そして本郷猛の特異性のまとめ
24. 最初のデジタル化に生じる微妙な変更
25. 『ボヘミアン・ラプソディ』が示した「受け手の補完」
26. マイケル・ジャクソンの伝記映画
27. 『ワイルド・スピード』のブライアン・オコナーと、ドミニクたちの老い
28. 乱用するプロデューサーへの懸念
29. 「コモディティ化」と「民主化」という言葉の歪み
30. 政治権力による技術の独占とプロパガンダ
31. ゲリラ的パロディというもう一つの危険
32. 結語

Cyclone color scheme RCB1000

(!!加筆に伴い構成を変更した)


 画像は、劇中使われたサイクロンではなく、実際に70年台の中盤、耐久レースで無敵を誇ったホンダのRCBを、サイクロンの色を付けたものだ。あの時代の何とも武骨なスタイルというのは、逆にかっこよく、CL350ベースやTS250ベースで、爆発バックにジャンプしているのもそれはそれでよかったが、こういうモンスターバイクで突き抜けるように疾走しているシーンこそ仮面ライダーにふさわしかったのではあるまいか、と思っている。

 閑話休題。

 本郷猛、一文字隼人のデジタル化には、一番最初に、微妙な変更があるかもしれない。ルパンのように「いつでも同じ」な記号ではないからこそ、彼らをデジタル化して現代のスクリーンに召喚する際、映画会社やクリエイターは「当時の姿を100%そのまま再現するか、あるいは現代の観客の目(解像度)に合わせて『微妙なアップデート(チューニング)』を施すか」という、極めて繊細な選択を迫られるはずだ。

 一つは、「1971年のテレビの画質」と「現代の4K/IMAX」のギャップである。

 私たちが脳内で美化している「若き日の藤岡氏・佐々木氏のカッコよさ」は、昭和のブラウン管テレビや、当時の16mm・35mmフィルムの「独特の粒子感や光の滲み」とセットになっている。それを現代の嘘がつけない超高解像度の環境にそのままドロップインすると、当時のメイクの質感や、衣装の生地のチープさ、あるいは肌の質感が、かえって「浮いてしまう」リスクがある。

 そのため、最初のデジタル化では、髪型や服装のディテール、あるいは顔の陰影のつけ方に、現代の映画として違和感のないレベルの「スタイリッシュな引き算・足し算(リファイン)」が隠し味として施される可能性が非常に高い。

 もう一つは、スーツ(衣装)と生身の「バランス」の再構築である。昭和当時の1号・2号のマスクやスーツは、今の基準から見るとかなりハンドメイド感があり、頭身のバランスも現代のモデル体型の俳優とは異なる(それが独特の「太い格好良さ」でもあるのだが)。

 もし、現代の最新の3Dデジタル技術で、キレッキレのアクションができるスーツアクターの体型をベースにするなら、その上に乗る顔の大きさや首の太さ、肩幅のバランスを、現代のライダースーツのシルエットに馴染むように数パーセントだけ調整するといった、骨格レベルの微調整が行われるかもしれない。

 最後に、最初だからこそあえて入れる「ファンを安心させるためのノイズ」がある。クリエイター側が一番恐れるのは、観客に「綺麗すぎて、なんだかゲームのキャラクターみたいで偽物っぽい」と思われることだ。

 それを防ぐために、あえて「完璧に綺麗に作らない」という逆説的な微調整が入るはずである。藤岡氏の、あの男臭い肌の絶妙な荒れ具合や汗の引き方、佐々木氏の、あのニヒルな笑みを浮かべた時の左右非対称な口元の歪み——こういった「人間臭い不完全さ」を、現代の技術でわざと強調してデジタルモデルに組み込むことで、観客に「あ、本物だ」と脳内補正させる。

 この「あえてノイズを残すための微妙な変更」こそが、最初のドミノを倒すための最大の職人技になる気がする。


 往年の名車(ポルシェ356など)を現代に蘇らせる際、完全に当時のパーツだけで組むと現代の公道では走りにくいため、外見の美しさはそのままに、ブレーキや電気系統だけを「見えないように微妙に現代化(レストモッド)」することがある。本郷猛と一文字隼人のデジタル化も、まさにその感覚に近いかもしれない。「一見、当時のままで何も変わっていない」ように見えて、実は現代の超高精細な映画のフレームに耐えられるよう、ミリ単位の職人技で「現代化」されている。


前章 23. ブルース・ウェインとクラーク・ケント——比較対象の精緻化、そして本郷猛の特異性のまとめ

次章 25. 『ボヘミアン・ラプソディ』が示した「受け手の補完」


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