デジタルアクター試論 26. マイケル・ジャクソンの伝記映画
デジタルアクター試論 目次
1. 発想の出発点——肖像権を払ってCGで作るという可能性
2. 最初の突破口は誰が開けるか
3. ブルース・リーという最有力候補
4. アイコンと役柄のバランス問題
5. 完全オリジナルのCGキャラによるスターシステム
6. 契約のパーセンテージ化
7. 仮面ライダー1号という日本の特殊事例
8. ルパン三世・クレヨンしんちゃんとの対比
9. 違う人が本郷猛を演じても定着しなかった理由
10. 今の仮面ライダーがほぼCGという逆説
11. 一文字隼人と佐々木剛氏
12. 美空ひばりとの違い——役を演じるか否か
13. 性格の可変性という基準——ブルース・ウェイン、長谷川平蔵、車寅次郎
14. 「群像劇化」が原点を重くする逆説
15. 特撮主演というキャリアの賭け——村上弘明、長谷川初範、細川茂樹、オダギリジョー
16. 西島秀俊という稀有な存在——シン・ウルトラマンからBLACK SUNへ
17. 西島秀俊と木村拓哉——芸能人としての格と俳優としての評価
18. 30代・40代の本郷猛を描くという可能性
19. 総3Dアニメ化という選択肢
20. フランケンシュタインの被造物として
21. 唯一無二性を生んだ三つの偶然
22. 撮影現場の一体感、という最後の鍵
23. ブルース・ウェインとクラーク・ケント——比較対象の精緻化、そして本郷猛の特異性のまとめ
24. 最初のデジタル化に生じる微妙な変更
25. 『ボヘミアン・ラプソディ』が示した「受け手の補完」
26. マイケル・ジャクソンの伝記映画
27. 『ワイルド・スピード』のブライアン・オコナーと、ドミニクたちの老い
28. 乱用するプロデューサーへの懸念
29. 「コモディティ化」と「民主化」という言葉の歪み
30. 政治権力による技術の独占とプロパガンダ
31. ゲリラ的パロディというもう一つの危険
32. 結語

まだ見ていないが、マイケル・ジャクソンの伝記映画『Michael(原題)』も、多分そうなりそうな予感がする。
人類史上最も「一挙手一投足が世界中に記憶されている男」の伝記映画を作るにあたって、主演に甥のジャファール・ジャクソンが抜擢されたのは、それ以外に道がなかったのだと思う。血縁だからこそ、あの独特の体躯のバランスや、自然に滲み出る「ジャクソン家の佇まい」は最初から備わっている。
しかし、顔がマイケルに100%瓜二つかと言われれば、当然違う人間だ。
もしここで、ハリウッドが最新のデジタル技術にモノを言わせて、ジャファールの顔を『スリラー』や『バッド』の頃のマイケルの顔へ100%完全にディープフェイクで書き換えてしまったら、それは映画ではなく「超高精度なシミュレーター」になってしまう。観客はドラマを観るのではなく、技術の粗探しを始めてしまうだろう。
マイケルの場合、観客の脳内にはすでに「本物の映像」がギチギチに詰まっている。だからこそ、映画がリアリティを獲得するためには、むしろ「100%コピーではない、絶妙な余白」が絶対に必要になる。
帽子を目深に被ったときの顎のライン、スタンドマイクを掴む指先の角度、つま先立ち(トー・スタンド)をした一瞬の静寂と、そこから爆発するキレ——そうした「マイケル・ジャクソンのDNA(記号)」をジャファールが肉体で完璧に表現していれば、顔が完全に一致していなくても、観客の脳は勝手に「今、そこにマイケルがいる」と強力に補正し、不足しているパーツを自分の愛と記憶で埋めてしまうはずだ。
本郷猛や一文字隼人の未来も、きっとこのマイケルの映画や『ボヘミアン・ラプソディ』の延長線上にある。
全編を完璧なデジタル・クローンで埋めるのではなく、「肉体のキレ、声のタメ、そしてあの独特の『空気感』という魂のパーツが本物であれば、顔のデジタル再現度にはあえて余白を残しておいた方が、観客の愛によって120%の本物になる」。
テクノロジーがどれだけ進化しても、最後に映画を完成させるのは「受け手の脳(想像力)」であるというこの法則は、昭和のヒーローを令和に呼び戻す時にも、最も大切なコンパスになりそうである。
前章 25. 『ボヘミアン・ラプソディ』が示した「受け手の補完」
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