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デジタルアクター試論 23. ブルース・ウェインとクラーク・ケント——比較対象の精緻化、そして本郷猛の特異性のまとめ

デジタルアクター試論 目次

1. 発想の出発点——肖像権を払ってCGで作るという可能性
2. 最初の突破口は誰が開けるか
3. ブルース・リーという最有力候補
4. アイコンと役柄のバランス問題
5. 完全オリジナルのCGキャラによるスターシステム
6. 契約のパーセンテージ化
7. 仮面ライダー1号という日本の特殊事例
8. ルパン三世・クレヨンしんちゃんとの対比
9. 違う人が本郷猛を演じても定着しなかった理由
10. 今の仮面ライダーがほぼCGという逆説
11. 一文字隼人と佐々木剛氏
12. 美空ひばりとの違い——役を演じるか否か
13. 性格の可変性という基準——ブルース・ウェイン、長谷川平蔵、車寅次郎
14. 「群像劇化」が原点を重くする逆説
15. 特撮主演というキャリアの賭け——村上弘明、長谷川初範、細川茂樹、オダギリジョー
16. 西島秀俊という稀有な存在——シン・ウルトラマンからBLACK SUNへ
17. 西島秀俊と木村拓哉——芸能人としての格と俳優としての評価
18. 30代・40代の本郷猛を描くという可能性
19. 総3Dアニメ化という選択肢
20. フランケンシュタインの被造物として
21. 唯一無二性を生んだ三つの偶然
22. 撮影現場の一体感、という最後の鍵
23. ブルース・ウェインとクラーク・ケント——比較対象の精緻化、そして本郷猛の特異性のまとめ
24. 最初のデジタル化に生じる微妙な変更
25. 『ボヘミアン・ラプソディ』が示した「受け手の補完」
26. マイケル・ジャクソンの伝記映画
27. 『ワイルド・スピード』のブライアン・オコナーと、ドミニクたちの老い
28. 乱用するプロデューサーへの懸念
29. 「コモディティ化」と「民主化」という言葉の歪み
30. 政治権力による技術の独占とプロパガンダ
31. ゲリラ的パロディというもう一つの危険
32. 結語

C8コルベットなんて、黒塗ったらそのままバットモビルだよね、と思いつき。

 本郷猛を「アメコミのヒーロー」と比較するとき、クラーク・ケントよりブルース・ウェインの方がはるかに適格な対応物になる。理由は、キャラクターの存在論的な構造そのものにある。


 クラーク・ケントとスーパーマンの関係は、実は「変身」ではない。スーパーマンが本来の姿であり、クラーク・ケントこそが人間社会に紛れ込むための演技・偽装である。

 彼はクリプトン星人として生まれ、最初から超人的な力を持ち、それを獲得する過程に苦痛も暴力も伴っていない。慈愛深い養父母のもとで育てられ、自分の力をどう良い方向に使うかを学ぶ物語であり、本郷猛が抱えていたような「自分の意志に反して、体を作り変えられた」という暴力性が、根本的に存在しない。


 一方、ブルース・ウェインがバットマンになる過程には、両親の殺害という決定的なトラウマがあり、その後何年もかけて自分の肉体と精神を武器へと作り変える、過酷な自己改造の物語がある。

 仮面の下にあるのは、常に「あの夜、両親を失った少年」という、決して消えない傷を抱えた人間である。本郷猛もまた、ショッカーによって肉体を強制的に改造された、暴力によって作られた力を持つ存在である。

 違いは、ブルース・ウェインが自らの意志で改造を選んだのに対し、本郷猛はそれを一方的に課されたという点だが、仮面の下に常に痛みを抱えた元の人間が存在し、その人間性と与えられた力との間で絶えず葛藤し続け、起源となるトラウマが絶対に動かせない神話的な定点として機能するという構造は、両者でほぼ完全に一致する。


 スーパーマンにはこの「人間性と力の間の苦悩」という軸そのものが存在しないため、比較として成立しにくい。

 そしてこの構造は、フランケンシュタインの被造物の系譜に、ブルース・ウェインと本郷猛をまとめて位置づけることになる。バットマン、本郷猛、フランケンシュタインの被造物は、いずれも「トラウマ/暴力を起源とし、その傷を一生背負い続ける存在」という、同じ系譜に属している。

 スーパーマンは、そもそも暴力的な介入というプロセス自体がない、まったく別種の神話(無垠の力を、いかに正しく使うかという物語)であり、この系譜には入らない。



 ここまでの議論を総合すると、本郷猛という存在の特異性は、次の四つの層が同時に重なり合うことで生まれている。

 一つ目は、性格の不可変性という層である。ブルース・ウェインのように性格すら時代に応じて塗り替えられる自由も、長谷川平蔵のように血族が役を継ぎながら先代の型を尊重するという余地も、本郷猛には用意されなかった。寅次郎と同じ、最も固い凝固状態にある。

 二つ目は、起源のトラウマという層である。本郷猛は、生まれつき力を持つスーパーマン型ではなく、暴力的な介入を経て自意識を持った存在として作られたフランケンシュタイン=バットマン型の系譜に属し、人間性と与えられた力との葛藤を、永遠に背負い続けるよう設計されている。

 三つ目は、唯一無二性を確定させた三つの偶然という層である。最初に一人で番組を背負った期間、代役が本郷猛ではなく一文字隼人という新しい人格になったこと、そしてその代役期間の絶妙な長さ——この三つが特定の順序で重なったことで、本郷猛は代替不可能な存在として歴史に固定された。
四つ目は、撮影現場の一体感という層である。佐々木氏の自制、藤岡氏の身体を賭した忠誠、平山氏の「殺さない」という決断——関わった人間たちの意志が、偶然にも同じ方向を向いたことで、この唯一無二性は技術的にも感情的にも、誰にも崩せないものとして固められた。

 この四層が同時に成立してしまった結果、記号化(ルパン、月光仮面)、役職化(水戸黄門、007)、血族継承(鬼平)、群像劇への解消(バットマン、ガンダムの多世代展開)、メディアの変換(総3Dアニメ)といった、これまで検討してきたあらゆる迂回路は、本郷猛という存在の核そのものには、最後まで届かない。

 残された道は、1971年という聖域には一切触れずに、未踏の時間(30代・40代の本郷猛)を大人向けドラマとして新たに切り開くか、あるいは、その聖域そのものをデジタルアクターという技術で永久に凍結し、もう誰にも侵させない形で保存するか——この二つしかない、というのが、ここまでの議論が辿り着いた結論である。


前章 22. 撮影現場の一体感、という最後の鍵

次章 24. 最初のデジタル化に生じる微妙な変更


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