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【世界一周旅行記】ブログ記事一覧~世界の宗教と歴史を巡る旅


はじめに

「宗教とは何か」答え合わせの旅へ

私は「宗教とは何か」をテーマに2019年3月末から80日をかけて13カ国を巡る世界一周の旅に出ました。

そのルートは、
「タンザニア→トルコ→イスラエル→ポーランド→チェコ→オーストリア→ボスニア・ヘルツェゴビナ→クロアチア→イタリア・バチカン→スペイン→アメリカ→キューバ」
というものになっています。

「宗教とは何か」というテーマの下これらの国を巡った私の旅ですが、この時の体験が当ブログの原点になっています。今読み返してみると若さを感じる文章で私も恥ずかしさを覚えるのですが、当時の私のありのままがそこにあります。今の私との違いも感じて頂けたら幸いでございます(笑)

普段なかなか見ることのない宗教の聖地や現地の様子を僧侶の視点から綴った旅行記です。メインブログではこの連載はすでに完結していますが、当noteでは記事を再構成して順次更新しています。
普通の旅行記とは一風変わった視点の旅行記となっていますのでぜひお楽しみ頂ければと思います。

では早速始めていきましょう。

タンザニア編

1世界の宗教と歴史を巡る旅~僧侶の私がなぜ旅に出たのか

2019年3月26日から始まった私の世界一周の旅。

その記念すべき最初の国はアフリカのタンザニア。

ここはセレンゲティ国立公園やンゴロンゴロ保全地域というサファリで有名なエリアや、キリマンジャロという登山のメッカでも有名な国です。

ですが私の目的地は上の写真のオルドバイ渓谷。

人類発祥の地と呼ばれるこの景色をどうしても観たくて私は旅に出たのでありました。

宗教とは何かという問いは、人類発祥の歴史と切り離すことができない。それを知った時の衝撃はその後の私にとてつもない影響を与えることになりました。

タンザニア編で語られることは宗教と人類の進化の歴史へと目を向けた記録です。


2世界自然遺産ンゴロンゴロでアフリカの大自然に圧倒される

タンザニアに着いた私はまず、世界遺産ンゴロンゴロ保全地域を目指します。

その道中、日本とはまるで違う風景にいきなり面を食らうことになります。

自分の生きる世界とはまるで違う世界があるということを全身で実感しました。


3アフリカ・タンザニアの大地を歩く~念願のウォーキングサファリ

人類の祖先が歩いたであろうアフリカの雄大な大地を歩く。

私の念願が叶った瞬間でした。

この時の感動は今でも忘れられません。


4聖地とシンボルの関係について考える~人類発祥の地アフリカのオルドバイ渓谷を訪ねて

この旅のきっかけとなったオルドバイ渓谷。ついにここまでやって来ました!

圧倒的な景色!こんなところで私たちのご先祖様は生活していたのか!

人類発祥の地と呼ばれるこの地で、私はもの思いに耽ります。

宗教とはそもそも何なのか。どこから生まれてきたのだろうか。

そしてこの記事では宗教とシンボルというテーマでオルドバイ渓谷を見つめていきます。


5日本のコーヒーが美味しすぎることに気づく~キリマンジャロのコーヒー農園を訪ねて

私はコーヒーが大好きです。

毎日、ドリップしたコーヒーをマグカップに何杯も飲みます。

カフェ巡りもぼくの数少ない趣味の一つです。

普段ほとんど外出したがらない私でありますが、カフェに行くとなると思いのほかフットワークが軽くなるから不思議。

タンザニアといえばキリマンジャロコーヒー。

普段、うまいうまいと飲んでいるコーヒーがどんな風に育てられ収穫されているのか、すごく興味がありました。

きっとそれを生で見たらいつも飲んでいるコーヒーがもっとうまくなるにちがいないと、一人で息巻いていたのでありました。


トルコ編

1イスタンブールのバーザールは京都にそっくり?おすすめのモスクもご紹介

私が滞在した旧市街にはイスタンブールで最も有名なブルーモスクやアヤソフィアがあります

観光するにはもってこいの場所で多くの観光客がこのエリアを拠点にしています。

ホテルに着くと早速街歩き。やはりここはもうすでにヨーロッパ。ヨーロッパ風の建物が並んでいました。

この記事ではイスタンブールの顔、巨大なバーザールやスレイマニエ・モスクというこの街を代表するモスクを紹介しています。


2トルコの世界遺産アヤソフィアの歴史と魅力を紹介!美しすぎる大聖堂に恍惚

タンザニアでの滞在を終えイスラエルに向かう途中に立ち寄った国、トルコ。

短い滞在時間でしたが、私の記憶に大きな印象を残しています。その大きな要因となったのがこのアヤソフィアでした。

残念ながら私が訪れた時は修理中ということでしたがそれでもなお圧倒的な迫力、そして美しさでした。

それはまさに、言葉を失うほどのものでした。


イスラエル編

1エルサレム旧市街の聖地を巡礼~嘆きの壁や岩のドームなど三大一神教の聖地へ

トルコのイスタンブールの次に訪れたのは中東の国、イスラエル。

ここにはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の世界三大一神教の聖地が集うエルサレムがあります。

宗教を学ぶ一人の人間として、また宗教に携わる一人の僧侶として、この地を訪れるということには並々ならぬ思い入れがありました。

私は学生の時から、それらの宗教を講義や書物の上で学んできました。

そしてこの旅のために私は改めて聖書やコーランを読み直し、それぞれの歴史や教義を学びました。私にとって宗教とは何かを問う上でユダヤ教やキリスト教、イスラム教を知ることはどうしても必要不可欠なものだったのです。

私にとってそれらは本当にかけがえのないものになりました。

だからこそ、私にはずっと持ち続けてきた思いがあります。

「本で学んできたことを現地で見てみたい!」

「これまで本の上で得てきたものを聖地エルサレムという現地に立った時、私はどう感じるのだろうか!」

イスラエル編はそんな私の思いや体験が込められた記事となっています。


2パレスチナ問題を学ぶために自治区ベツレヘムの分離壁へ。現地の方は何を語るのか

2019年4月9日、私は現地の旅行会社のツアーに参加し、パレスチナ自治区にあるベツレヘムへ向かいました。今回参加するツアーはパレスチナの難民居住区にも足を運び、パレスチナ紛争の現実を学ぶというものでした。

私はここに来る前からユダヤ人とパレスチナ人による紛争について強い関心がありました。なぜならこの紛争はユダヤ教とイスラム教の争いという側面があるということが否定できないからです。私は宗教に携わる人間として、宗教間の争いにも目を向けなければならないと強く感じていたのでありました。

そして今回私が依頼したのはパレスチナ側の旅行会社。

これまでエルサレムでいくつかのツアーに参加してきましたがそれはすべて、ユダヤ系、あるいは親イスラエル側のツアー会社でした。

そのため、ユダヤ人側からの話しか私は聞くことができませんでした。

一つの紛争が起こった時、どちらか片方の側からしか話を聞かなかったらかなり一方的な意見を聞くことになります。

「私たちは被害者で、彼らはこんなにひどいことをした」

もちろん、そのようなひどいことは実際に起こったかもしれません。

しかしその背景まではどうしても一方の側からの話だけでは掴めないことが多いです。

だからこそ、私はパレスチナ側の話も聞きたいと思い、このツアーに参加したのでした。


ポーランド編

1ポーランドの古都クラクフ観光~聖マリア教会や歴史ある旧市街を散策

イスラエルでは色んなものを目にしました。

そして頭がパンクするほどたくさんのことを考えざるをえませんでした。

イスラエルは、「自分が本当は何もわかっていない」ということをこれでもかと突き付けてきます。

そういう厳しさがある国だったように私には思えます。

もちろんそれを突き付けてくるのはイスラエルだけではありません。

どこに行ったとしてもそうだし、日本で生活していてもそれは同じです。

ですが、ここイスラエルで頭と体を総動員してそのことを感じられたというのは非常に貴重な体験になったのではないかと私は思います。

そんな私が次に向かうは東欧。アウシュビッツのある国、ポーランドです。

まず私が訪れたのはクラクフという街です。アウシュヴィッツへ行くにはこの街が拠点となります。

クラクフはポーランド南部の都市で、聖マリア教会を中心とする旧市街はコンパクトにまとまって非常に観光しやすい街として知られています。

クラクフは11世紀中ごろから16世紀末までポーランド王国の首都として栄え、プラハやウィーンと並ぶ文化の中心だった街です。

そして、ポーランドの首都ワルシャワが東京に例えられるのに対して、このクラクフは京都に例えられます。

第二次世界大戦ではワルシャワがナチスによって壊滅させられたのに対し、クラクフは奇跡的に破壊を免れました。

そのため中世からの古い町並みが現在も残っていて、非常に美しい景観が広がっています。


2アウシュヴィッツ収容所見学ツアーに参加して僧侶の私が現地で感じたこと

いよいよポーランド最大の目的地、アウシュヴィッツに向かいます。

クラクフのバスターミナルからバスでおよそ1時間半。

現地の公認ガイドの中谷剛さんのツアーに参加し、アウシュヴィッツ内を見学します。

アウシュヴィッツは現在博物館となっていて、当時の様子を伝えるたくさんの資料を見ることができます。

この記事では私が目にして衝撃を受けた「あるリスト」についてお話ししていきます。私はその資料を目にして、文字の力、言葉の力に戦慄を覚えたのでありました・・・


3アウシュヴィッツのガス室で感じた恐怖~「普通であること」の意味に戦慄

アウシュヴィッツ収容所での見学を終え、次に向かうのはビルケナウ収容所。

アウシュヴィッツからはバスで5分ほどの距離です。

こここそガス室で大量虐殺が行われた場所であり、ユダヤ人の絶滅を目的に作られた収容所です。

私はここを訪れ、「ある恐怖」を感じることとなります。

そしてこの記事ではアウシュヴィッツ収容所に残されているガス室に入った時の体験もお話ししています。


チェコ編

1百塔の街プラハへ~美しすぎる街並みとその歴史について

ポーランドでアウシュヴィッツを訪れた私が次に向かったのは中欧の国チェコ。

チェコといえば何と言っても百塔の街プラハ。

文化の香る中世の街並みと美しきモルダウの流れ。

ここは私の旅の中で最も気に入った街です。

治安も良く、食べ物もおいしく、そして何より美しい!

どこを歩いてもうっとりするほどの景色。

街全体が博物館と呼ばれるほど、この街の景観は素晴らしいです。

チェコ編ではそんなプラハの魅力をこれでもかと紹介しています。

イスラエル、ポーランドでは少し重たい話が続いてしまったので、チェコ編では明るく楽しく、プラハでの素晴らしい日々を綴っています。それぞれのリンク先ではより詳しくお話ししていますのでぜひ気になった記事があればそちらもご覧ください。

どうか気軽にリラックスして、プラハの魅力を堪能して頂ければと思います。


2世界一美しい図書館!プラハのストラホフ修道院がおすすめすぎる!

まず最初に訪れたのはカレル城よりもさらに西に行ったストラホフ修道院。

ここはプレモントレ会という、学問を重んじる修道会のための施設になっています。

なんと、ガイドさんによれば函館近郊のトラピスト修道院と兄弟関係の修道院だそうです。

思わぬところでつながりがあって、親近感が湧いてきます。

さて、この修道院で最も有名なのは「哲学の間」と「神学の間」と呼ばれる2つの図書室。

まるで映画のように神秘的な世界がそこには広がっているとのこと。

というより、実際に007やハリーポッター、数多くのCMでこの図書室は使われているそうです。

この記事ではそんな美しすぎる図書室を紹介しています。


3プラハ城・聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの光の魔法!

プラハ観光の目玉、プラハ城はその広大な敷地内に聖ヴィート大聖堂、旧王宮、聖イジ―教会、黄金小路など様々な施設を擁しています。

そんな中でもこの記事では圧倒的な存在感を放つ聖ヴィート大聖堂を中心にプラハ城を紹介していきます。

聖ヴィート大聖堂の中には有名なミュシャのステンドグラスがあります。

ステンドグラスから差し込む色鮮やかな光はまさしく魔法のよう。

プラハのシンボル、聖ヴィート大聖堂は素晴らしい教会でした。


4プラハ城のスタバが最高過ぎる!百塔の街を見下ろす絶景でコーヒーを

美しきプラハの景色を眺めながらコーヒーを飲めるなんて、なんと贅沢なひと時!

私はすっかりこのスタバにはまってしまい、1週間のプラハ滞在中に3度も来ることになってしまいました。満席で入れなかった日も数えれば4回わざわざここに足を運んでいます。

ですが、それだけの価値がたしかにあります。

天気のいい日だと特に気持ちがいいです。

プラハに来られた方は必ずプラハ城を訪れると思いますが、ぜひこのスタバもセットで訪れてほしいです。


5プラハの英雄ヤン・フス~ルターより100年も前に宗教改革を宣言した偉人

宗教改革といえば1517年ドイツのマルティン・ルター。

しかしそれに先立つことおよそ100年。

ここプラハですでに宗教改革が行われていたとしたらみなさんはどのように思われるでしょうか。

実はこの記事で紹介するヤン・フスこそ、チェコの宗教改革の立役者であり、現代でもチェコの英雄として最も愛されている人物と言われています。

英雄と言えばたいていどこの地域でも武人がその地位を占めるものです。

しかしここプラハでは学者たるヤン・フスこそ真の英雄として尊敬されています。

私がプラハの街を心から愛するようになったのも、そのような精神性がこの街から感じられるからなのかもしれません。


6プラハの見所カレル橋にあのザビエルが⁉聖人像に秘められたその歴史とは

これまで何度も記事に出てきたカレル橋でありますが、今の形で出来上がったのは1402年。プラハ城と同じくカレル4世の首都建造の大号令によって作られたものです。

そしてこのカレル橋で一際目を引くのは、橋の欄干に並ぶ聖人たちの像。

この像は両側の欄干に15体ずつ、計30体の像がカレル橋には設置されています。

橋自体が1402年に出来上がっているので、この像もずいぶんと古いものかと思いきや、そのほとんどが1683年以降に置かれたものだそうです。

なぜその時期に像がたくさん置かれるようになったのか。

実はそれもヤン・フスと密接に絡んできます。

この記事ではプラハのシンボルとも言えるカレル橋とその聖人たちの秘密についてお話ししていきます。


7プラハ観光の穴場!聖ミクラーシュ教会をぜひおすすめしたい!

プラハはあまりに美しく、そして心地よい街でした。私の旅の中でも最も気に入った街と言ってもよいでしょう。

もし海外でどこに行きたいか迷っている方がおられるならば、まず私はこのプラハをお勧めします。それほど素晴らしい街です。

その素晴らしいプラハにおいても、特に私が心を打たれたのがこの記事で紹介している聖ミクラーシュ教会だったのです。


8ゴシック、バロック建築の違いは?プラハの教会から見る違いとそのメッセージとは

この記事ではキリスト教教会の建築様式のロマネスク、ゴシック、バロックの違いとそれぞれに込められた意味について解説していきます。

プラハにはまさしくロマネスク、ゴシック、バロック様式の代表的な教会があったのでそれらを題材にお話ししていきます。


9プラハ観光にはヴルタヴァ(モルダウ)川クルーズは外せない!

プラハでの日々は天候にも恵まれ、散策をするには最高のコンデションで毎日を送ることができました。

そんな中でもいつも私の心を明るくしてくれたのがヴルタヴァ川でした。

そしてこのヴルタヴァ川ではたくさんのクルーズ船が運航しています。

橋からはいつもたくさんの船がこの川を行き来しているのを見ることができました。

この記事ではその船の一つに乗り込んで、美しき川の流れを堪能していきます。

10ペトシーン展望台タワーから眺めるプラハは最高!ぜひおすすめしたい穴場スポット!

見どころ満載のプラハは旧市街を中心に散策するだけでも十分に満足できるのですが、少し離れた場所に行くとまた違った魅力を発見することができます。

その一つがこの記事で紹介するペトシーン公園です。

丘の上のある展望台からはプラハの絶景を楽しむことができます。


11骸骨だらけのセドレツ納骨堂!1万人の遺骨によるモニュメント

クトナーホラはプラハから車で1時間ほどの距離にある静かな街。

この街で有名なのは何と言っても骸骨だらけの教会、セドレツ納骨堂です。

私がクトラーホラに向かったのもその姿を見に行くことが目的でした。

セドレツ教会へは現地のツアー会社が何社もツアーを催行しています。

鉄道を使って行くこともできますが、現地ツアーを利用した方が手軽に行けるので私はツアーに参加してここを訪れることにしました。

実際に現地に着いてみると、入り口からすでに骸骨だらけ。

教会の中はさらにびっくりするほど骸骨だらけでした。


12プラハのおすすめ老舗ジャズクラブ「Reduta Jazz Club」を訪ねて

2021年10月、当ブログではチェコの大統領になった劇作家ヴァーツラフ・ハヴェルの『ハヴェル自伝』を紹介しました。

ヴァーツラフ・ハヴェル(1936-2011)Wikipediaより

そしてその本の中で、ある「ジャズクラブ」のことが書かれていたのですが、その箇所を読んだ時私はかなり驚きました。

と言いますのも、2019年私がプラハを訪れた時にたまたま立ち寄ったのがそのジャズクラブ「Reduta Jazz Club」だったのです。(以下レドゥタと呼びます)

私がレドゥタを訪れたのは、ネットでここが老舗でおすすめなジャズクラブだという情報を見たからでした。そのレドゥタがチェコの歴史を語る上でものすごい役割を果たしていたとは本当に驚きました。

というわけで、今回はその有名な老舗ジャズクラブ「レドゥタ」についてご紹介していきます。ぜひプラハに行かれる際の参考にして頂けると幸

13さよなら愛すべきプラハ~プラハ最後の夜と早朝のカレル橋

プラハでの8日間の滞在もいよいよこれが最後の夜です。

本当に名残惜しい。

できることなら残り全ての日程をこのプラハで過ごしたいと思ってしまうほどでした。

しかしそんなことも言ってられません。

いつかは離れなければならないのだ。どんなに恋しくても・・・。

というわけで私は最後の夜に、夜のプラハの街に出かけることにしました。


オーストリア編

鉄道でプラハからウィーンへ!歴史とモダンが融合した街並みに衝撃を受ける

プラハからウィーンへ到着。

思いのほか近代的でモダンな光景に度肝を抜かれてしまいました。 こんなにも近代的だったとはまったく想像もしていませんでした。

実は私はウィーンについては経由地として考えていたのでそこまでの予習をしてこなかったのです。 歴史ある文化と芸術の街というイメージが先行していたので、ここまでモダンな建築が軒を連ねているとは思ってもいなかったのでした。


ウィーンの象徴シュテファン大聖堂を訪ねて~独特な岩のオブジェとカタコンベ

ウィーン散策でまず向かったのは市内中心部にそびえ立つ最も目立つ建造物、シュテファン大聖堂です。

この教会を中心に街を作ったのではないかと思うほど、街の中心に位置しています。

建物の構造は同時代に作られたプラハの聖ヴィート大聖堂に似ているものの、この教会の特徴は宙に吊るされた石の装飾です。

この石が一体何を表すのか、そもそも本当に石なのかは近くで見てもわかりませんでしたが、オレンジ色のライトに照らされた石は非常に美しかったです。


シェーンブルン宮殿の見どころを散策!王宮の生活を覗き見る

次に向かうはオーストリアの誇る世界遺産シェーンブルン宮殿。

こちらはチェコ編でも何度も出てきたハプスブルグ家が13世紀後半から1918年までおよそ600年以上にわたって住居にしていた王宮です。

その中でも今回私は旧王宮と銀器博物館、シシィ博物館の3つの施設を訪れることにしました。


オーストリア国立図書館が美しすぎる!あの『美女と野獣』のモデルにも!?

シェーンブルン宮殿を訪れた私はその流れでオーストリア国立図書館プルンクザールを訪れました。

ここは以前紹介したプラハのストラホフ修道院と同じく「世界で最も美しい図書室」のひとつとして大変有名なのだそう。

本好きの私にはたまらない場所でした。


【おすすめ】ウィーンの聖ペーター教会~柔らかで穏やかな雰囲気に癒される

こちらの教会は1701年から1733年にかけて建設されたバロック様式の教会です。

優しく、心穏やかにさせてくれるような温かみのある空間。

私がウィーンで最も気に入った教会です。ウィーンに行かれる方はぜひ訪れてみてください


カールス教会のコンサートは絶対おすすめ!ウィーンで楽しく本場の音楽を体感!

ウィーンで自由に動くことのできる時間はたったの1日のみ。その1日の最後をどう締めくくろうか。悩んだ末に私が出した答えは、教会コンサートなるものでした。

ウィーンはクラシック音楽の本場。

クラシックのクの字もわからない私ではあったが、やはり本場のクラシックというものを聴いてみたい。

しかし、いきなりドレスコードが必要な本格的なコンサートに行くのは気が引ける。

そこで色々と調べてみると、ウィーンでは毎日いたるところでコンサートが行われているというのです。

その中でもおすすめと出ていたのがカールス教会でのコンサート。

まず、教会自体がとても美しい。そしてそこで行われているコンサートの質も信頼できるとのことでした。

この記事ではそんな私のクラシックコンサートの体験を紹介しています。


ボスニア・ヘルツェゴビナ編

ボスニア紛争を学びにサラエボへ~世界一周の旅で最も印象に残った街

ボスニア編では紛争を経験したガイドのミルザさんとともに紛争の歴史を学んでいきます。

当時の様子を知るミルザさんの言葉はあまりに衝撃でした。

そして私はサラエボ滞在中、強盗に遭うことになります。

この出来事が私のその後の旅に大きな影響を与え、ボスニアで学んだことがいよいよ自分の中に刻まれることになりました。

平和は当たり前ではない。突然暴力に襲われることはありえるのだということを心の底から実感したのでありました。

ボスニアは私の旅の中で最も心に残った国です。

海外旅行先としてはマイナーでなかなか知名度も少ない国ではありますが、だからこそぜひ読んで頂きたい記事となっています。


サラエボのスナイパー通りとトンネル博物館を見学~紛争当時の様子に衝撃

サラエボ空港やトンネル博物館へ続く幹線道路は、紛争当時スナイパー通りと呼ばれていた最も危険な道の一つでした。

その名の通り、紛争中はここを通る人間は女子供問わずスナイパーによって狙撃されたのです。

この日私はそんなスナイパー通りと空港近くのトンネル博物館という場所で紛争について学んだのでありました。


サラエボ市民の憩いの場、ヴレロボスネ自然公園が美しい

トンネル博物館の見学を終えた私が次に向かうのはヴレロボスネ自然公園。

サラエボの街を囲む山の麓にある自然公園で、きれいな湧水で有名。

天気のよい日にはボスニア人もよく訪れる憩いの場なのだそうだ。


サラエボオリンピック競技場の墓地を訪ねて~平和の象徴が紛争犠牲者の墓地に…

紛争中、サラエボ市内では多くの犠牲者を出すことになりました。

そのあまりの多さに、元々あった墓地区画に遺体を埋葬しきれなくなるという事態になってしまいます。

そこで急遽オリンピック競技場のサブグラウンドを墓地として利用することになったのでした。


旧市街でサラエボ事件の現場や多民族が共存した独特な街を散策

この日はサラエボウォーキングツアーということで、サラエボの文化と歴史、そして紛争当時のことを学ぶ半日のスケジュール。

第一次世界大戦のきっかけとなったサラエボ事件で有名なラテン橋や異国情緒あふれる旧市街の街並みを紹介していきます。


6ボスニアコーヒーが面白い!サラエボで飲んだ独特なコーヒーに興味津々

私はコーヒーが大好きです。

そんなコーヒー好きな私ですが、ガイドさんと話していく内にぜひボスニアのコーヒーを飲んでいってくださいと勧められお店に入ってみたのですがこれが大正解!

実に興味深い体験となったのでありました。


たった1本の路地を渡ることすら命がけ~ボスニア紛争、スナイパーの恐怖

サラエボは1992年4月から1995年10月まで約3年半の間、セルビア人勢力に包囲され、攻撃を受け続けました。

その間の犠牲者はおよそ12000人。一体、ここで何が起こったのでしょうか。

この記事ではサラエボの街を歩きながら、ボスニア紛争について学んでいきます。

その中でも特に私が印象に残ったのがこの記事のタイトルになっている小さな路地。紛争経験者のミルザさんが連れて来てくれた場所でした。


ボスニア紛争とは一体何だったのか。紛争経験者ミルザさんへのインタビューを通して

これまで紹介してきたトンネルツアーやサラエボウォーキングツアーでは紛争経験者のミルザさんと共に紛争の傷跡を巡ってきました。

紛争時サラエボにいたミルザさんから聞くお話は、本を読んで得ていたものよりもはるかに胸に響くものでありました。

遠いボスニアの地で起こった紛争。そしてサラエボだけでおよそ12000人が犠牲になり、国中が荒廃した悲惨な紛争。

私たちはそれを「異なる宗教や民族同士で殺し合う紛争が起こった」という大きな枠組みの中で捉えてしまいがちです。

わかりやすい構図で語られる、紛争という巨大な出来事。

ですが、事実は単にそれだけでは済まされません。

「民族や宗教だけが紛争の引き金ではない。あまりに複雑な事情がこの紛争には存在する。

わかりやすい大きな枠組みで全てを理解しようとすると、何かそこで大切なものが抜け落ちてしまうのではないだろうか。

なぜ紛争が起こり、そこで一体何が起こっていたのか。

それを知るためには実際にそれを体験した一人一人の声を聞くことも大切なのではないだろうか。」

私はそう感じたのです。

顔が見える個人の物語を通して、紛争というものが一体どのようなものであるのか、それを少しでも伝えることができるなら私にとって何よりのことです。

ミルザさんも「サラエボ市民の数だけ紛争体験のストーリーがありますが、私の体験が平和への気づきへと繋がり、平和な未来のためになるならいくらでも協力します」と快くインタビューを引き受けて下さりました。

この記事ではそんなミルザさんの紛争の物語をご紹介しています。


サラエボで強盗に遭う。旅はここまでか・・・

この記事では私が遭遇したまさかの事件についてお話ししていきます。

私はサラエボの旧市街をぶらぶら散歩した後、川沿いにある宿に向かって歩いていました。

そしてその途中、橋があったのでそこから川でも眺めようかと立ち寄ったのが私の運の尽きでした。

私はそこで2人組の強盗に襲われることになったのです。


10スレブレニツァの虐殺の地を訪ねて~欧州で起きたジェノサイドの悲劇

4月29日、私はミルザさんと二人でスレブレニツァという町へと向かいました。

そこは戦後最悪のジェノサイドのひとつが起こった地として知られています。

現在、そこには広大な墓地が作られ、メモリアルセンターが立っています。

そうです。そこには突然の暴力で命を失った人たちが埋葬されているのです。

私が強盗という不慮の暴力に遭った翌日にこの場所へ行くことになったのは不思議な巡り合わせとしか思えません。

前日に起こった事件の恐怖を引きずったまま今日ここで虐殺の現場を目の当たりにしたこの体験は、私にとって生涯忘れることのない出来事となりました。


11あなたにとって心の支えとは?~ボスニア紛争経験者ミルザさんとの対話

この記事では紛争経験者ミルザさんから学んだ人生への向き合い方をお話ししていきます。

ミルザさんの言葉は本当に重かった・・・。

この時の対話は今も忘れられません。


12ボスニア・ポチテリでワイルドな古城を散策~オスマン帝国の戦上手ぶりに感心

ポチテリはオスマン帝国統治下に作られた城塞都市で山に沿って石造りの建物が建てられています。

塔の上からは絶景を楽しむことができますが、なかなかにスリリングな体験もすることになります。

この記事ではそんな、日本では立ち入り禁止になるようなポチテリでの体験をご紹介しています。ちょっとした冒険気分が味わえてとても楽しい思い出になりました。


13知る人ぞ知るボスニア・ブラガイのイスラム修道院が美しすぎる!

ブラガイは美しい湧水と、そこに立つイスラム修道院が有名です。

キリスト教の修道院は数多くあれど、イスラム修道院を訪れることはなかなか珍しい体験です。

水量の多さと勢いに圧倒されます。そして見上げれば断崖絶壁。ここはものすごい景色でした。

ボスニア屈指の名勝です。ここはぜひとも訪れることをおすすめします。


14モスタルの世界遺産スタリモスト~ボスニア観光でぜひおすすめしたい名所

モスタルも山の近くにある街で、オスマントルコ時代の名残で、石造りの建物が目立ちます。

日中は観光客でいっぱいです。メインの通りは通るのも大変なくらい混雑します。

ここモスタルはクロアチアからの日帰り観光スポットとしても有名で、ドブロブニクやコトル、スプリットなどのアドリア海沿岸のリゾートからやって来る人も多いです。


15見るのではなく観る!なぜ私はホームズの言葉を忘れていたのだろう!強盗のショックを経た私の旅の転換点

サラエボで強盗に遭ってから私は一度も一人で外出をしていませんでした。

外に出る時は必ずミルザさんと一緒。

ツアー以外の時間はずっと部屋に引きこもっていました。

そしてモスタルでのツアーを終え、いよいよミルザさんともお別れ。

ここから先は一人で過ごしていかなければなりません。ミルザさんに頼ることはもうできないのです。

ミルザさんと別れて部屋で一人きりになると、私はそれまでの緊張の糸が切れたのか、泣き崩れてしまいました。自分でも訳が分からないほど涙が出て来て止まりませんでした。

モスタルには5日間滞在しましたが、飲食物の補給以外は恐くてほとんど外出もできない有り様になってしまいました。

しかし、ゆっくりとではありますが少しずつ心のリハビリも進み、改めて旅を始めようという気持ちを回復していったのでありました。

この記事ではそんな私の旅の転換期となったモスタルでの日々をお話ししています。


16ボスニア・モスタルの虐殺博物館を訪ねて~収容所を再現したジオラマに絶句…

2019年5月4日夕方。

私はモスタルの街を歩くことにしました。

夕方になると日帰りツアーの観光客も帰りはじめ、モスタルの街は一気に人が減り始めます。

街歩きをしていて、私は虐殺博物館なる建物を見つけました。

外から覗いてみると、かなり本格的な博物館であることがわかりました。


クロアチア編

バスでボスニア・モスタルからクロアチアのドブロブニクへ

10日間を過ごしたボスニアを終えて次に向かうはクロアチアのドブロブニク。

この街はアドリア海の真珠と称えられる美しい港町です。

サラエボで強盗に遭い落ち込んでいた私が元気を取り戻せたのは、このドブロブニクのさんさんと輝く太陽と美しすぎる街並みのおかげでした。

ボスニア編では重たい話が続きましたが、このクロアチア編ではチェコ編と同じく、明るく楽しく過ごしたドブロブニクの街並みを紹介しています。

アドリア海の真珠という名は伊達ではありませんでした。本当に素晴らしい場所です。どうか気楽に読んで頂ければ幸いです。


魔女の宅急便のモデル!ドブロブニクの旧市街が美しすぎる!朝の城壁巡りに大感動!

『魔女の宅急便』のモデルの一つとなった街、ドブロブニク。

旧市街をぐるっと囲む城壁から見た景色は絶景そのもの!私は一瞬でその景色に魅了されてしまったのでした。

この記事ではそんなドブロブニクの絶景の城壁巡りを紹介しています。


スルジ山からのドブロブニクの絶景!徒歩下山ならではの楽しみも

スルジ山は旧市街をちょうど真上から見下ろすことができる山です。

展望台からの景色はまさしく絶景!

まるで宝石箱にできる限りのお宝を詰め込んだかのような、そんな印象さえ抱かせるほどの光景です。

そして帰りはあえて徒歩で下山していきます。

ものすごい斜面に沿ってギザギザに登山道が作られています。

大迫力の徒歩下山はドブロブニクでも屈指の思い出になりました。


夕日のドブロブニク城壁は美の力技!プラハの寝技と双璧だ!

朝に訪れた城壁があまりにも素晴らしかったので、私は夕暮れ時に再び城壁巡りに出かけることにしました。

朝のさんさんと輝く太陽に照らされた城壁も素晴らしかったですが、夕暮れのオレンジ色に染まるドブロブニクもこれまた絶品でした。


現在noteで公開中なのはこの記事までです。

これからも順次更新していきますのでぜひお楽しみに!


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