見るのではなく観る!なぜ私はホームズの言葉を忘れていたのだろう!強盗のショックを経た私の旅の転換点
【ボスニア旅行記】(15)見るのではなく、観る!強盗のショックを経た私の転換点
2019年5月1日夕方。モスタル観光を終え、ミルザさんともお別れ。
4月28日のあの事件以来、私は一人で外に出ていない。(※「サラエボで強盗に遭う。旅はここまでか・・・」の記事参照)
外にいる時は必ずミルザさんと一緒だった。
思えばあれ以来、私はいつもミルザさんの後ろを付いて歩いていた気がする。
だから私は不安や恐怖もなく過ごすことができていたのだ。
だが、これからはまた一人で行動しなければならない。
いつまでもミルザさんに頼っているわけにはいかないのだ。
強い心を持たなければならない。
私はそう気を引き締めてミルザさんとお別れしたはずだった。
・・・だが、事はそう簡単には進まなかった。
ミルザさんと別れて部屋に戻り、椅子に腰かけた瞬間、私は涙が止まらなくなった。
今思えば、ミルザさんに対する感謝の念とこれからの不安、そして恐怖など色々な感情が混ざり合って、パニックになったのだろうと思う。
泣いている時でさえ、自分がなんで泣いているのかさっぱりわからなかったことを覚えている。
たしかに事件後幾日か経って、私はいくらか心の落ち着きを取り戻しつつはあった。
だが、やはり気を張っていたのだと思う。
ミルザさんと別れて一人になった瞬間、その緊張の糸がぷつんと切れてしまったのかもしれない。
その日の夕食も惨憺たるものだった。
私の泊まった宿は食事が美味しいことで有名だった。
だがそのレストランの食事ですら、味を感じないほどだった。
自分でも信じられないのだが、私は食事をしながらずっと泣いていた。
どうにもこうにも涙が勝手に流れてきて止まらないのだ。
悲しいからでもなく、つらいからでもない。
ただ涙が出てくるのだ。
私の体が泣きたがっているのだ。
こういう涙があることを初めて知った。
ミルザさんとお別れしたことのダメージがここまでのものとは思いもしなかった。
泣きながら食べた川魚は、何の主張もすることなく私の中へと姿を消していく。
この日食べた食事を私は忘れることはないだろう。

それから2日間、私はほぼ外には出なかった。
人とすれ違うことすら恐かったからだ。
またいつ襲われるかわからない。
そんな確率なんてほとんどないことはわかっている。
だが、体が言うことを聞かないのだ。
私は部屋にこもり、記事を書いたり本を読むことで頭をいっぱいにした。
他のことを考えないようにしていたのだ。
頭の中に隙間ができてしまうと、そこに恐怖や不安がどっと押し寄せてくる。
今自分に必要なのは体の休息と心のリハビリだ。
ショックから立ち直るには、時間が必要なのだ。

5月4日。ようやく心が少し落ち着いてきたように感じる。宿の近くの川まで歩けるようにもなった。
川はいい。綺麗な流れは心を癒してくれる。
さて、明後日にはもうボスニアを離れ次の国クロアチアへと向かう。
そろそろ私は外を歩かなければならない。いつまでも引きこもっているわけにはいかないのである。
さてさて、これからどうしたらいいだろうか。
どうしたら危険から身を守ることができるだろうか。
それを考えることが私には急務だった。これなくして一人で街歩きなどできっこない。恐怖で参ってしまう。
私はここに来る道中、ミルザさんからたくさんのアドバイスをもらっていた。
まずは手ぶらでいること。バッグを持っていると狙われやすい。
そしてお金も必要最小限に。パスポートはホテルに預けるかセーフティボックスへ。
この二つだけでも狙われにくくなりますと。
そして一番大切なのは周りを注意深く観ること。
いち早く怪しい人物に気づき、そこから離れること。
これが何より大事。
そもそも悪い人から狙われないようにするのが1番だそうだ。
・・・そうだ。
思い返せば、私はそこまで考えてこれまで旅をしていただろうか。
もし私がしっかり警戒して周りを見ていたら強盗に遭うこともなかったのではないだろうか。
もしいち早く怪しいことに気づけていたなら、私は手遅れになる前にそこを立ち去っていただろう。
そうだ!私は根本的に間違っていたのだ!
旅をする姿勢がなっていなかったのだ!
こうなることは必然だったのだ。
私は見ているつもりだったが、まったく観れていなかった。
自分では警戒しているつもりだった。でも、まったく足りていなかった。
この違いは大きい。
シャーロックホームズは『ボヘミアの醜聞』事件で助手のワトソンにこう言っている。
「君はただ眼で見るだけで、観察ということをしない。見るのと観察するのとでは大ちがいなんだぜ。たとえば君は、玄関からこの部屋まであがってくる途中の階段は、ずいぶん見ているだろう?」
「ずいぶん見ている」
「どのくらい?」
「何百回となくさ」
「じゃきくが、段は何段あるね?」
「何段?知らないねえ」
「そうだろうさ。心で見ないからだ。眼で見るだけなら、ずいぶん見ているんだがねえ。僕は十七段あると、ちゃんと知っている。それは僕がこの眼で見て、そして心で見ているからだ。」
見ることと観察することはまったくちがう結果をもたらす。
私はシャーロックホームズが大好きだ。
なのにすっかりこのことを忘れてしまっていたのだ。
観察力。
それがここボスニアで私に決定的に欠けていたものだった。旅慣れの影響ですっかり気が緩んでしまっていたのだ。
私はここまでたくさんのものを見落としてきていたに違いない。
しっかり観察すればもっと豊かな発見ができていたかもしれない。
この旅は一生に一度のものだ。
残りの貴重な時間を私はまた見るだけで通り過ぎてもいいのだろうか。
いや、絶対にそんなはずはない!
ならば私のやるべきことは決まった。
ここからは徹底的に観察しよう。
自分の身を守るため、そしてより大きな学びのために。
新たな目標ができると、不思議と力が湧いてくる。
やるべきことがはっきりすると、体が動く。
私はこの数日の休養のおかげでずいぶんと回復してきたようだ。
ここが私の旅の転換点だ。
ここから先は観察力を磨く旅。
うまくできるかわからないが、やれるところまでやってみよう。
私の旅はまだまだこれからだ。
続く
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『世界一周記』記事一覧はこちらのまとめ記事にて
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