プラハ城・聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの光の魔法!
【チェコ・プラハ旅行記】降り注ぐ魔法の光!プラハの象徴プラハ城と荘厳たる聖ヴィート大聖堂
前回の記事「世界一美しい図書館!プラハのストラホフ修道院がおすすめすぎる!」では、プラハのおすすめスポット、ストラホフ修道院を紹介した。
さて、これからプラハの象徴たるプラハ城に入っていこう。

プラハ城は9世紀半ばからその歴史が始まり、14世紀のカレル4世によって今の姿がほぼ整えられた城だ。
プラハ城はその広大な敷地内に聖ヴィート大聖堂、旧王宮、聖イジ―教会、黄金小路など様々な施設を擁している。
プラハ城の入り口はいくつかあるのだが、私は城の西端にあるフラチャニ広場の入り口から入場した。

これがフラチャニ広場から見たプラハ城入り口。
実際はここから左に行った所にセキュリティチェックと入場口があり、そこから入っていくことになる。
プラハ城の最大の見どころは何と言っても聖ヴィート大聖堂。
プラハ城の敷地の中でも一際目立つ建物だ。

実際、モルダウ川対岸からの景色で最も目を引くのはこの聖ヴィート大聖堂である。
遠くからでもこの存在感。
だとしたら近くで見たらどれだけの迫力なのだろうか。
では、その大聖堂を近くから見てみよう。

広場を下がれるだけ下がってなんとかかんとかぎりぎり写真に収まるほどの大きさ。
これは川岸から見える大聖堂と同じ面。
ただ、これは聖堂の側面部分であって正面ではない。
正面は聖堂前の広場が狭く、写真を撮るのが不可能なくらい目の前にそびえ立っている。
それでもなんとか写真に収めようと、座って写真を撮ったり寝転がってまでカメラを構える人が続出するほどだ。

どうだろう。この圧倒的に映りきらないお姿。
正面から一応撮ってはみたものの、こうなってしまう。
ちなみに私はしゃがんでも寝転んでもいないということは付け加えておこう。
正面の入り口から入場していく。
中はひんやりとした空気が流れている。
そして目の前には圧倒的な空間が広がっていた。

とにかく広い!そして何より驚いたのが天井の高さだ。
柱が天井にまで伸びていく姿がなんとも荘厳な雰囲気を作り出している。

巨大な窓からは光の筋が差し込んでくる。
そしてこの大聖堂で有名なのはステンドグラス。
その中でも特に名高いのがこちら。

日本でも知られているミュシャによる作品だそうだ。
ミュシャと言えばこの画風。

これは同じくプラハ市内にあるミュシャ美術館のものだが、たしかにこのステンドグラスにもその面影を感じることができる。
この聖ヴィート大聖堂ではこのように多くの窓にステンドグラスが施されている。
そのステンドグラスはそれそのものの美しさもさることながら、もう一つ重要な役割を果たしている。
それはどのような役割かというと、

このように窓から差し込んだ光に色彩を与える効果があるのだ。
これによって堂内に様々な色の光が降り注ぐことになる。
かつての電気もライトもなかった時代では、これはまさしく光の魔法のように見えたのではないだろうか。

聖堂の奥の方は黄色い光が注ぎ込むようにできている。
場所によって様々な色の光が差し込むように工夫されているのだろう。

非常に素晴らしい。

さすがプラハ城のシンボル。外見だけでなくその内側までも美しさは健在だ。
聖ヴィート大聖堂を出て先ほどの広場に戻ってきた。


素晴らしい教会の姿を見られるとあって、ここはいつも人で賑わっている。
聖ヴィート大聖堂の後は見学コースに従って旧王宮、聖イジ―教会、黄金小路を順に巡っていくのが王道なのだが、今回の記事ではその中でも聖イジー教会を紹介していく。聖ヴィート大聖堂と比べながら見るとその違いが感じられて興味深いと思う。

赤い壁が特徴的なこの聖イジ―教会。
西暦920年に完成した城内最古の教会で、現在の姿は火事の後に1142年に再建されたものだ。

聖ヴィート教会とは明らかに建物の造りが違う。
天井は木で、ドーム状にもアーチ型にもなっていない。

そしてこの柱とアーチ。
建物の規模の割にはかなり太く、そして重心が低く感じられる。
聖ヴィート大聖堂のような軽やかさとも対照的だ。
この建物の造りの違いは、作られた年代の違いによるものなのだが、実はそこにはもっと重要な意味が隠されている。
建築様式はただ技術的なものにとどまるものではない。
そこに秘められた意図を知ると、教会巡りがもっと楽しくなる。
ここでその建築様式たるロマネスク様式とゴシック様式について少しお話ししていきたい。
ロマネスク、ゴシック~教会建築とそれに秘められたメッセージとは
まずはロマネスク様式。今紹介した聖イジー教会を参考にしていこう。

建物の特徴として、窓が小さく、分厚い壁で囲まれた空間が挙げられる。
そのため、教会内は薄暗く、重たい雰囲気が漂う。
建物を支える太くて重心の低い柱が、一層教会の雰囲気に重さを加えている。
キリスト教は西暦4世紀になるまでは迫害されていたため、大きな教会などは持っていなかった。
そのため、初期キリスト教徒は小さな集会所に集い、礼拝を行っていた。
このロマネスクもその集会所の延長線上にある。
キリスト教徒が皆で共に祈りを捧げる礼拝の場としての役割。
祈りは厳粛なものだ。
だからこそ、重みがある空間作りになっている。
そして13世紀に入ると、建築界において革新的な技術が生まれる。
それが聖ヴィート大聖堂のようなゴシック様式だ。

1番の特徴はその高い天井。
この技術の革新的なところは、天井のアーチを尖らせることにより、ロマネスクのような重厚な壁と柱を用いることなしに高い天井を作ることを可能にしたところだ。
そして分厚い壁が不要になったことにより、巨大な窓を作ることができるようになった。
細く、垂直に高く伸び上がっていく柱のラインは、見る者にまるで石が天に舞い上がっていくかのような軽やかなイメージを与える。
そして巨大な窓に設置されたステンドグラスからは様々な色の光が降り注ぐことになる。
この時代のキリスト教会は、まさしくこのような美しくも軽やかで、そして幻想的な舞台としての教会建築を求めていた。
というのも、この頃の教会は集団の礼拝場としての役割だけではなく、教育の場としての役割や、奇跡が行われる舞台という側面が強くなっていたからだ。
もはや単に礼拝をするだけでは人々の需要を満たせていなかった。
教会側からしても、当時の字も読めない人々にいかに効果的に『聖書』の言葉を伝えるかということが問題となる。
そのためにはやはり絵画や像を使うことが効果的な方法だったのだ。
だが、さらに言えば教会の建築そのものが『聖書』の教えを体現していることがベストであると考えられた。
また、この頃には聖餐という儀式が司祭によって執り行われていて、これが非常に重要視されていた。
これはパンとぶどう酒が神の奇跡によって実際にイエスの体と血になるという儀式。
神の奇跡がまさしくここで行われ、目の前のパンとぶどう酒にキリストが宿る。
そのような信仰が当時の中心的な教えだった。
そして、教会側も従来の暗く重々しい雰囲気の建物ではなく、その奇跡にふさわしい神秘的な舞台を求めていたのであった。
『聖書』そのものとしての教会、そして神の奇跡の舞台としての教会。
教会が求めていた二つの理想。
それらが完璧に体現されたのが13世紀に発明された、このゴシック建築だったのだ。
思い出してほしい。
ステンドグラスから降り注ぐ様々な光。それは光の魔法のような美しさだ。

この幻想的な光の世界。
そして天に舞い上がっていくかのような柱の構造。
見る者は思わず天を仰いでしまう。
神の奇跡の舞台として、これほどふさわしい舞台はかつてどこにも存在しなかった。
そしてキリストの教えはまさしくそのような奇跡を教えている。
この神秘的な空間で、人々は『聖書』に説かれた世界を感じ、自分達がその世界の中にいることを実感する。
この当時の教会は信徒による集団礼拝よりも、神の力をこの場に顕現させる司祭の儀式に重きを置いていた。
神の奇跡を行う代理人としての司祭の働きが重んじられ、その司祭によって人々は導かれる。
「神の奇跡はまさしくここにあります。
この美しい光の魔法、そして天をも仰ぐこの教会。
神の力はあなたにも降り注ぎます。
神は必ずやあなた達にも奇跡をお与えになるでしょう」
そのような教えがゴシックの建築から与えられるメッセージなのだ。
ちなみに火事で焼けてしまったパリのノートルダム大聖堂は、このゴシック建築の代表であり最高傑作の一つと言われていた。

時代の変遷によって教会に求められる機能が異なる。そのことを体感する上でこの聖イジー教会と聖ヴィート大聖堂を比べてみるのは実に刺激的な体験となるのではないだろうか。これらの建築様式について興味のある方はぜひ以下の「ゴシック、バロック建築の違いは?プラハの教会から見る違いとそのメッセージとは」の記事もおすすめしたい。
さて、ざっくりとプラハ城内について紹介させて頂いたが、次の記事では
プラハ城衛兵の交代式と世界一インスタ映えすると言われるスタバをご紹介していきたい。
※本記事の主要参考資料はこちら
新教出版社 フスト・ゴンサレス『キリスト教史』
『世界一周記』記事一覧はこちらのまとめ記事にて
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