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【百合小説】隣の彼女は秘密を知っている<8>【創作大賞2025】

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第3章


『ごめん、今仕事が忙しくて。また時間できたら連絡するね』

 私はメールにそう打って、送信ボタンに指をかける。送信相手はもちろん、菜奈。
 私は一瞬ためらったが、思い切って、携帯の画面をタップした。当然だが、メールは躊躇なんてすることなく、菜奈の元へと飛んでいく。
 
 携帯を充電器に差し、ソファに腰を下ろす。テレビを付け、チャンネルを回すが特に見たいものも無い。そのまま流していたテレビドラマの中では、今まさに男女が想いを通じ合ってキスをするシーンだった。幸せそうな様子に羨ましさを感じていると、場面がぱっと変わり、教会がうつる。二人が結婚式を挙げてハッピーエンド、という、お決まりの展開だった。
 …菜奈も、きっとこれから、結婚、妊娠、出産と、こういう未来が続いていく。私はそれに、耐えられるだろうか。


 あれ以降、何度か菜奈とはランチに行った。でもその時間は、以前の楽しかった時間とは打って変わり、苦しいばかりの時間だった。

「笹本さんね。この前家に戻ったら、花とケーキを用意してくれてて。付き合って一ヶ月記念のサプライズ、って。ずっとそういうことに憧れがあったから…嬉しかった」

 顔を綻ばせ、私に屈託のない笑顔を向けてくる菜奈。彼女は、私と会うたびに、彼氏の笹本の話をするようになった。
 もちろん、心境はよくわかる。初めての恋人で、初めての経験がたくさんあるのだろう。元々少女漫画を読んで育ち、憧れだけが大きくなっていっていた彼女だ。今は楽しくて仕方がないに決まってる。
 …でもその話は、私にとっては、針のむしろに座っているかのような時間だった。
 
「そうなんだ。優しいんだね」

 私はパスタを無心でフォークに巻きつけながら、無難な返事を返す。

 あの時ちらっと見た笹本は、本当に普通の男だった。年齢は私たちの一つ上らしい。見た目は中肉中背で太っても痩せてもおらず、メガネをかけたすっきりとした短髪だ。目は少し垂れていて、眉は清潔感が感じられる程度に整えられている。外見から優しさが滲み出ていて、結婚相手にこんな人を連れてきたら親は安心するのだろうな、という雰囲気の人だった。

 …結婚。もしかしたら菜奈が突然彼氏を作った理由も、そこにあるのだろうか。

「料理も家事もこなせるから、すごいよね。私、家で何もしてなくて…尽くされてるのかな。なんだか、愛情をすごく感じるんだ」
「そうなんだ」

 じゃあきっといい旦那さんになるね。そう思ったが、なぜか口から出すことができなかった。菜奈の幸せそうな笑顔も、眩しいほど可愛いと思うのに、見ると胸が締め付けられる。 
 彼女の笑顔から目を逸らしたその時、菜奈の長い髪の隙間から、今まで見たことのないイヤリングが揺れているのが、見えた。

「あれ、菜奈、そのイヤリング…」
「あ、気づいた?そのサプライズの時に、笹本さんが贈ってくれたの」

 菜奈は髪をかきあげ、耳を出す。シンプルなゴールドの、流れる流線が特徴的なイヤリング。菜奈の外見にぴったりな、かっこよさがある。彼女は嬉しそうに、少しそのイヤリングを指で揺らした。その仕草は、まるで何度も鏡の前で練習したかのようにあまりに完璧で、可愛らしかった。

「私の部屋にイヤリングが並べて飾られてるのを見て、好きなんだろうと思ったって。それで、サプライズ。恋人からアクセサリーを贈られるって、こんなに嬉しくなるんだね」

 菜奈は嬉しそうに目を細める。菜奈のアクセサリーの好みは、もう少し可愛いタイプだったはずなのに。
 …笹本、イヤリングが好きなんだと思ったなら、並んでるものを見て好みを把握してから贈ってよ。思わず、そう心の中で呟く。
 でも、好みなどは関係ないらしい。結局、何をもらうかより、誰にもらうかの方が、重要なのだろう。彼女の嬉しさが溢れんばかりの笑顔が、それを物語っていた。

「あとさ、知ってる?」

 少し声を顰め、ふふ、と笑いながら菜奈がテーブル越しに顔を寄せてくる。私も少し体を乗り出すふりをして、耳を傾ける姿勢をとる。

「…イヤリングって、『いつも一緒にいたい』とか『あなたを守りたい』って意味合いが、あるんだって!」

 菜奈は無邪気にそう言って、可愛らしく笑った。でも、その言葉とは裏腹に、彼女の視線は私の目をまっすぐい抜いたまま、全く逸らされない。まるで——私の答えを、待っているかのように。

 ——知らないわけ、ないでしょ。

 そんな言葉が、また口の中から出てこないまま、喉の奥に消えていく。私は、テーブルの下で、自分の手の甲に爪が食い込むほど強く、拳を握りしめた。


◇ 


 私はそれ以降、菜奈からの誘いを、仕事を理由に断るようになっていった。
 私の仕事は経理事務で、本当は今の時期繁忙期でもなんでもない。それは、もう私と何年も一緒に遊んでいる菜奈も、わかっているのではないかと思う。でも、彼女は私に、嘘をついているんじゃないかと責め立てたことは、一度もなかった。

『そっか、残念だね。無理はしないでね!』
『最近会えてないね。美花がいないと、退屈だよ』
『…わかった。何度も困らせて、ごめん。連絡、待ってる』

 断るたび、菜奈からのメールの返信に、胃がじりじりと焼けるような感覚があった。実際に職場にいる時はまだマシで、家に居る時にそのやりとりをしてしまうと、そこから後は1日何も手につかなくなるくらい、鈍い痛みが消えなかった。だから私は、必然的に職場から帰ろうとしなくなってしまった。

「…はぁ」

 ほとんど電気の消えた、私以外誰もいない事務室に、私の小さいため息がやけに大きく落ちる。窓の外はビルの灯りがいくつも灯り、きらびやかな街が私の瞳には眩しすぎるように感じた。 
 職場に逃げているものの、ここに自分の居場所があるわけではなかった。周囲の人たちは、自分の生活と仕事のバランスをうまくとりながら、適度に仕事をこなしている人が多い。私もその一人で、特にこの仕事に何かを懸けているわけではないのだ。

 机に置いている携帯が、ぶーっぶーっと振動する。菜奈からの電話かと思って一瞬どきりとするが、表示されていたのは『父』の文字だった。

「………」

 一瞬手を伸ばしかけたが、すぐにやめる。どうせ、「たまには顔を見せろ」という催促の電話だろう。帰ったら帰ったで、彼氏はどうとか結婚はどうとか、絶対に聞かれるに決まっている。
 私は携帯のバイブレーションを消し、机に突っ伏した。なんでこんなに人生ハードモードなんだろう。なんでこんなに、辛いことしか私にはないんだろう。普通の人たちが普通に享受する幸せが、私も欲しい。

「………男の人を好きになれたら、違ったのかな…」

 私の中で一番考えるべきではない、考えたくない言葉が、口からこぼれ落ちた。
 何度も何度も何度も、今まで頭をよぎった。でも、言葉にしたことはなかったし、できなかった。


——もう、どこかに逃げたい。

 それは、言葉に出す代わりに、私の頬を伝って、地面に落ちた。




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#創作大賞2025
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