【百合小説】隣の彼女は秘密を知っている<3>【創作大賞2025】
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第1章
3
私の特等席に座っていた彼女は、まっすぐにこちらを見つめていた。
彼女は確かに今、私の特等席について言及した。どうして、誰にも言っていないはずの、そのことを知っているんだろう。
思考が追いつかず、何も言えなくなる。動揺して固まったままの私を見て、彼女はすっと立ち上がり、そのまま私の隣の席へとやってきた。少し勢いよく、ぱたんと腰を下ろす。
「え、えっと…」
私は言葉を喉に詰まらせながら、同時に、目の前の彼女の眩しいほどの美しさに、息を呑んだ。
「荒牧さん。私が誰だか、わかって…ない?」
彼女は、その瞳に私をまっすぐ捉えたまま、問いかけた。少し睨むような目。美人は怒った顔も綺麗だなと、全く関係ないことを考えてしまって、反応が遅れる。
「えっとごめんなさい……どこかで会った?」
やっぱり知り合いだったのか。急いで記憶を手繰るけれど、まるで出てこない。どうしようもなく、私は素直に謝罪の言葉を口にする。
けれど、彼女はそのままじっと私を見つめたあと——急にふっと、口元を緩めた。
「ごめん、今の言葉は冗談。…初めまして」
口元を手で隠して、くすくすと笑う。
なんだ、私はからかわれたのか。けれど、私には彼女がわざわざそんな真似をする理由が、皆目検討もつかなかった。
「私は、深月菜奈。あなたは、荒牧美花さん…だよね。前から、あなたとは一度話してみたいと思ってたんだ」
目を細めながら、彼女——菜奈は、私に微笑みかけた。あぁいつもの流れかと、先ほどまでの高揚感がすっと引いていく。
私は昔から、なぜか女の子に「仲良くなりたい」と声をかけられることが多かった。その度に、ほんの少しだけ淡い期待を抱いたが、結局彼女たちの言葉に特別な意味なんて何もなく、その期待は毎回、音もなく砕けた。
もう今や、そうやって積極的に友達になろうとする人とは、逆に一線を引くようにしている。
「あぁ、そうなの。嬉しい。ごめんね、私、あなたのこと知らなくて」
そう答えながら、私はいつものやり方でその場を整えようとする。無難な笑顔、必要最低限の言葉。本当の感情はそこには乗せず、相手が求める『距離感』に合わせて、自分の輪郭を曖昧にしていく。
そうすれば、大抵の人はそれで満足してくれる。私は『友人のひとり』として扱われ、私も『安全な場所』にいられるのだ。
けれど、彼女は他の誰とも違う反応を見せた。
「あぁ、そうじゃないの。私が求めてるのは、あなたの『大勢いる友人の中のひとり』という立場じゃ、ないんだ」
菜奈は、私の表面的な反応を見透かすように、まっすぐ私の目を見つめた。その瞳の奥に、何か強い意志のようなものが揺らめいて見える。
どういうこと?友達じゃないなら——何に、なりたいの?
私の中に、戸惑いと、それからほんの少しの期待が、広がる。
「荒牧さん、今日の放課後、少し時間をくれない?私、好きな喫茶店があるんだ」
彼女が軽やかに首を傾げると、絹のような髪が肩をすべって落ちる。花びらがふわっと舞うように笑ったその顔に、私の心臓は、一拍、強く跳ねた。
その時私の特等席には、全然知らない、他の誰かが座っていた。でも、私の意識は隣に座る彼女に全部持っていかれてしまって、それどころではなかった。
それは私の特等席が決まって以来、初めてのことだった。
◇
「私を、あなたの『特別』にしてほしい。……言うなれば、『親友』、かな」
紅茶の湯気越しに、菜奈が、静かに微笑む。
『特別』の直後に続いた『親友』という言葉に、淡く浮かびかけた期待がまた、儚く砕け散った。
ああ、何度目の失敗だろう。期待さえしなければ、こうやって砕けることもないというのに。
「……そう、なの。あの…どうして私に?」
私は、何年振りかの失敗に取り繕うこともできないまま、視線を揺らす。咄嗟に口から出たのは、最も素朴な疑問だった。
「そう、だなぁ……単純な理由を言うと、あなたのことを、知りたいと思ったんだ。思考も、行動の理由も、その全部」
彼女は、両手で包んだカップに視線を落とした。答えのようで、答えになっていない返答。彼女のその言葉はまるで、『なんとなく』そう思っただけでなく、確かな裏付けをもって紡ぎ出されたような、そんな響きがあった。
菜奈は顔を上げ、ぱん、と小さく手を叩く。
「だから、お互いの情報換をしない?」
「……え?」
彼女の唐突な切り替えに、私は一瞬思考が止まる。
「まずは自己紹介、かな。今のままじゃ、あなたは『私のことを何もしらないのに、なんで親友?』って疑問に思ってしまうだろうから」
「あ、あー…うん、まぁ……」
まるで心の奥底を覗かれたかのような口ぶりに、ぎくりとする。なぜかこの人の前では、なかなかうまく取り繕えない。私は完璧な『普通』を演じないといけないのに。
「私は、あなたのことをずっと見てたんだ。…あ、ストーカー行為の類ではないよ。あくまで見かけた時、だけ」
菜奈はさらりと、そう言った。まるで日常の些細な出来事を話すような、ごく自然な話振り。まるでそのことが、彼女にとって『特別な意味』がないことを示しているかのようだった。
私の胸にまた一瞬、寂しさがよぎる。
「最初は、『ふんわりした可愛い子』という認識で。だけど……いつからか、それが変わっていって…もっと知りたいと、思うようになっていったの」
彼女の中でも思うところがあるのか、言葉に言い淀む。
「…全部話すべきか、どうか……」
私に話しかけているのか、それとも自分の独り言なのか、どちらともとれない話し方でぽつりと呟く。彼女の表情は、これから語られるであろう内容が、彼女の人生にとって紛れもなく大切なものであることを、示しているようだった。
「……無理に話さなくても、いいよ。でも、話してくれるなら、ちゃんと聞くけど」
私はそう声をかける。私の胸にも、彼女のことを知りたいという、静かな気持ちが芽生え始めていた。
彼女は今、何かに迷っている。だから私は焦らず、ただ彼女の言葉を待つことにした。
「…ありがとう」
菜奈は少しほっとしたような笑みを浮かべる。そして紅茶のカップを両手で包み込むと、大きく一度、深呼吸をした。
覚悟を決めたように、でもどこかためらうように、視線をこちらへ向ける。
「私の、高校の頃の話なんだけど。…もし話している間に、涙が出てしまったら…ごめんね」
その声の震えは、これから彼女が語るであろう物語の重さを、私に予感させていた。
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