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【百合小説】隣の彼女は秘密を知っている<15>【創作大賞2025】


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最終章:二人の章

1 美花視点


 私は震える手を押さえつけ、意を決して扉を開けた。
 からんからんと、懐かしいドアチャイムの音が響く。店内を見渡し、あの時と同じ一番奥の席に、久しぶりに見る——菜奈の姿を見つけた。

 彼女は、紅茶が入っているのであろうカップを片手に、窓の外を眺めている。さきほどのドアチャイムには気が付かなかったのか、通りを通る女性がいるたびに、彼女の目線が揺れるのが分かった。

 ——綺麗だな。

 何年も一緒にいるのに、相変わらず息を呑んでしまうほど美しい。久しぶりということもあってか、いつもより一層輝いて見える。

 背後で次の客を知らせるドアチャイムが鳴り、はっと我に帰った。同時に、菜奈がこちらに気付き、その表情全体がぱっと華やいだ。

「美花!おかえり!」

 無邪気な笑顔が弾けるように咲きこぼれ、先ほどの美しさとはまた違う、可愛らしい菜奈の魅力が顔を覗かせた。先ほどまで緊張で固くなっていた私も、思わず綻んでしまう。

「ただいま。…来てくれて、ありがと」

 そう言葉にした瞬間、今までの、菜奈との思い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡った。

 あの教室の特等席から見た、目を逸らすことができないほどの輝き。
 初めてこの喫茶店で聞いた、熱い紅茶をすする小さな音。
 居酒屋の安っぽいテーブルの上で、彼女が流した涙と、私の心の中の熱。
 そして、駅のホームで私の世界を無慈悲に壊した、あの一言。

 嬉しさも、悔しさも、愛しさも、絶望も。私の感情のすべてが、目の前にいるこの人に、いつだってぐちゃぐちゃにかき乱されてきた。

 今から私が彼女に伝える言葉で、この笑顔が、深い悲しみへ変わるかもしれない。もう二度と私と彼女は、この席に座ることはできなくなるのかもしれない。それは私の人生で、きっと最も辛く、耐え難いことだろう。

 ——それでも。

 私は、バッグを持つ手に力を込める。
 このまま何も言わず彼女のそばにいることはもう、考えられなかった。無理やり押さえつけた感情の蓋はもう壊れかけ、割れた時のその破片は、自分自身も、もしかしたら彼女も、傷つけてしまうかもしれない。その前にもう、この蓋を取り除いてしまわないと。

 私は、まっすぐに菜奈のいるテーブルへ向かう。背筋をしゃんと伸ばしたまま、彼女の向かいの席に腰を下ろした。

「ありがとうって…誘ったのは、私だけど。こっちこそ、ありがとう」

 菜奈はそう言って、私に微笑んだ。
 テーブルを見ると、そこには固めながらもしっかりとした味わいのあるプリンと、昔ながらのレトロな容器に注がれているメロンソーダが、すでに置かれていた。

「これ…」
「あぁ、懐かしすぎて、つい。いつも私たち、喫茶店ではプリンとメロンソーダを頼んでいたなって」

 菜奈は弾んだ声で言う。正直、とてもメロンソーダを飲むような心境ではなかったけれど、そのことを菜奈も覚えてくれていたという事実に、胸の奥が温かくなった。私はそっとメロンソーダを手に取り、ひとくち口に含む。

「この店、だよね。私があなたに、親友になりたいって伝えた、最初の場所。…今になって考えると、本当、不審者だと思われても仕方ないよね」

 菜奈は、こらえきれないと言った様子で、肩を震わせくすくすと笑った。
 それは紛れもなくいつも通りの菜奈なのだが、ここ最近見ていた彼女とは、何かが決定的に違っているようだった。体全体から、幸せや嬉しさが溢れ出ているようなその雰囲気。
 その理由は——一つしか、思いあたらなかった。

「…結婚」
「え?」

 思考がそのまま音になった。まだ口にするつもりはなかったのにと、慌てて口元を押さえる。菜奈は目を丸くしたまま、次の言葉を促すように私を見つめている。
 言ってしまったものは取り返しがつかない。私は観念して、あのことを話した。

「結婚…するんだってね。笹本さんに聞いた。おめでとう」

 『おめでとう』という言葉が、何の抵抗もなく自分の口から滑り出たことに、自分でも驚く。そうか、私は本当に、受け入れられたんだ。ずっと胸の奥に刺さっていた氷の棘が、静かに溶けていくような、不思議な感覚だった。

 菜奈は、驚きからか、その場に縫い付けられたように固まっていた。何を言うか考えているのか、もしくは、どうして私と笹本さんが連絡を取っているんだろうなんて、考えているのかもしれない。誤解を与えないようにしなくちゃと口を開こうとした瞬間、彼女の唇が動いた。

「…『おめでとう』で、いいの?」

 彼女の声は心なしか、僅かに震えていた。その瞳はまっすぐこちらを捉えているが、そこに先ほどまで宿っていたはずの喜びや幸福は、ない。
 言葉の真意を測りかね、私は一瞬、思考を巡らせる。

「それは、結婚なんだから…おめでとうじゃ、ないの?」

 私のその言葉を聞いた瞬間、菜奈の全身からふっと力が抜ける。彼女はそのまま柔らかく、ソファの背にもたれかかった。

「…美花は…」
「え?」

 菜奈の口からこぼれ落ちた言葉は、小さく掠れ、何を言っているかが聞き取れなかった。私は耳を向けもう一度聞き直す。
 菜奈は、今まで見たこともないほどに寂しげな顔をして、問いかけた。

「美花は、私のことを…どう、思ってる?」

 その問いかけに、私は呼吸すら止まったかのように、全身がこわばった。

 今日、確かに私は、これまでに募らせた思いを伝えるためにここに来た。でもまさか、相手からの問いに答える形で伝えるということは、想像もしていなかった。用意していた言葉ではこの場にふさわしくなく、頭の中で必死に言葉を紡ごうとするが、なかなかうまくいかない。

 私が口をつぐんでいると、彼女は頭を振り顔を右手で覆った。

「いや、ごめん。私の方がまだ何も話してないのに、それを聞くのは、違った」

 はぁ、と大きく息を吐き、視線を落としたまま、菜奈はしばらく動かなくなった。
 やっぱり、今日の彼女は、いつもと違う。
 彼女のその気配から、確信した。きっと彼女も私と同じように、何か大きな決意をして、ここに辿り着いたのだと。

 私は、息を詰めるようにして、彼女の続きを待った。
 ほんのひととき、お互いの言葉が途切れたあと、彼女は徐に、口を開いた。

「…私、亮太とは、別れたよ。自分の…本当の気持ちにがどこにあるか、ようやくわかったから」

 菜奈は、まるで私の真意を確かめるかのように、私の瞳の奥を見据える。

 ——本当の、気持ち。

 私は、分かっていた。
 菜奈が本当は、笹本のことを好きではないということを。
 それでも、本当に彼のことを尊敬していて、大切に思っていることは確かだと、彼女の言動から感じていた。だからこそ、そういう形の愛もあるだろうと、二人を祝福しようと思っていたのだ。
 でも、菜奈が求めていた愛は、そういう形ではなかった。きっと、そういうことなんだろう。

「…そっか」

 私は、目を伏せる。こういう時に、なんと言っていいかが分からない。
 心の底で、ほんの少しだけ、喜んでいる自分がいることは事実だった。でも、菜奈が笹本と別れたからと言って、私と菜奈との間には何の関係もない。
 私が言葉に詰まっていると、菜奈が真剣な声で言った。

「美花、ここから少し、話が長くなると思う。…聞いて、くれるかな」

 彼女の意を決したような表情に、私は一瞬、虚を突かれた。一体何を話すのだろう。だがそれはきっと、彼女の人生にとって、これ以上ないほど大切で、重要なことであるに違いなかった。

「うん、いいよ。…というか、聞かせてほしい」

 私も視線を菜奈に合わせ、しっかりと頷く。
 私のその反応を見て、菜奈はこわばっていた表情をふっと緩め、安心したような微笑みを浮かべた。

「ありがとう。…私ずっと、気づかないふりをしてたんだと、思う」
「まず、最初に伝えるね」

 菜奈は一度きつく目を閉じ、先ほどの落ちたため息とは違う、覚悟に満ちた深呼吸をした。一瞬、決意を固めるように、唇をまっすぐに結ぶ。
 そしてゆっくりと目を開くと、私の瞳を射抜くように見つめ、こう告げた。

「…美花。私、やっと分かったんだ。私の『特別』は、亮太じゃなかった。最初からずっと、美花——あなただけだったんだ、って」



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