【百合小説】隣の彼女は秘密を知っている <1> 【創作大賞2025】
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第1章:美花の章 -胸の片隅の熱-
1
「うぅ、また、ダメだった…」
「そっか、残念だったね」
居酒屋のテーブルに突っ伏して肩を落とす彼女に、私はわざと軽く返す。
この店は、広いわりに各テーブルが仕切られていて、半個室のようになっている。他の客の姿も声も気にならない。それでいて適度に煩さもあるここは、彼女にとって感情をさらけ出せる、数少ない場所のひとつだ。
だから、私が彼女から相談を受ける日は、いつもこの店を選んでいた。
「これで4連敗だ。十代の頃から、4人目。……今回こそはって、少しだけ、期待したのに」
綺麗な黒髪が、ジョッキの水滴で濡れている。そんなこと、今日自分に起こった出来事に比べたら、気にしてなんていられないのだろう。
彼女は顔を上げて、まだ半分以上残っていたビールを、一気に喉に流し込む。
これまでの経緯は、おおよそ聞いていた。だから「ダメだった」——つまり、片想いしていた彼に振られてしまったということは、想定の範囲内だった。
心配する気持ちと裏腹に、どこかほっとしている自分に気づき、胸の奥にちくりと罪悪感が走る。
「どうしたら、自分が好意を持つ相手に、想いを返してもらえるんだろう…」
空っぽのジョッキを両手で包むように持ちながら、彼女はぽつりと呟いた。まるで少女漫画みたいな台詞だが、本人はいたって真剣だ。なぜなら彼女は、その恵まれた容姿や能力にも関わらず、二十六年間の人生一度も、恋人ができたことがないからだ。
彼女らしい分析的な言葉選びに、私は少し口元を緩ませ、自嘲気味に返した。
「それ、私に聞いてわかると思う?」
「…そうだよね。美花も、お仲間だった」
彼女は、鼻で軽く、ふっと笑う。「お仲間」という響きが、私の胸に、少し刺さった。
たしかに私も、今まで誰とも、恋人関係になったことはなかった。でもその理由は、彼女とは少し違う。
それは、彼女にはおろか親にすら、まだ話せていないことなのだけど。
彼女——深月菜奈と出会ったのは六年前。
あの日、大学のあの教室で、菜奈は私の『特等席』に当然のように座っていた。その出会いはちょっと強引で、でもなぜか不思議と今も心に残っている。彼女は、今までに出会った誰とも違う、私の心を惹きつける魅力を持っていた。
あれから一度も喧嘩らしい喧嘩をせず、気づけば今や、私たちはお互いに『かけがえのない友人』にまでなっている。
菜奈は、誰もが振り返るような美人だ。街を並んで歩くだけで、すぐに私たちに視線が集まる。
…いや違う。「私たち」ではなく、「彼女」に。
なのに彼女は、そんな視線に一切気づかないふうで、すらりとした体をまっすぐ前に向けて歩く。彼女にとっては、それが日常なのだ。美しい黒髪を靡かせ颯爽と歩く彼女は、私の目には、圧倒的に凛とした、かっこいい女性に映った。
彼女の魅力はそれだけではない。
彼女は、人との距離の取り方がうまかった。その場の空気を読むだけでなく、誰かの声色、仕草、表情の揺れをさりげなく拾って、それらをさりげなく気遣いの中に潜ませる。
偉ぶることは一切ない。誰にでも丁寧に物腰柔らかく接し、しかし隙を見せることもなかった。
彼女は、ずるいほどに完璧だった。
ただ——私が本当に惹かれたのは、その『完璧さ』では、なかった。
「一般的に、人ってどういう過程を経て、『両想い』が成立するんだろうね…」
ジョッキを空にした彼女が、ほんのり赤くなった頬を両手で包み、真顔でこちらを見つめてきた。
「相手の理想像に自分を合わせるのが、一番合理的なのかな。…それとも、私が知らないだけで、何かみんな秘密の裏技でもある、とか」
そのなんだかズレた言葉に、私は吹き出しそうになる。けれど、彼女の表情は、やはり真剣そのものだ。
菜奈は酔っ払ってくると、本来の可愛らしい姿が少しずつ顔をのぞかせるようになる。普段の理知的なかっこいい彼女とはまた違う、「乙女」の菜奈。
しかし彼女は、そういう姿を「好きな人の前」では絶対に見せない。好きな人には完璧な自分を見せたいと、そう思ってしまっている。この可愛らしい姿こそ、見せれば多くの人が簡単に落ちてしまう魅力だと思うが——当の本人は気づいていなかった。
でも私は、その彼女の魅力を、他の誰かに伝えようとは思っていない。むしろ…伝わらないといいとすら、思っている。
「両想い、ね。私もなったこともんなぁ。ほんと、どうやったらなれるんだろう」
はは、と諦め混じりに笑う私に、菜奈が首を振る。
「美花は今のままでいいと思う。十分に優しくて魅力的だよ。あなたの価値を理解できなかった人がいたなら、それは相手の判断基準に問題があっただけ」
ちょっと怒ったように、唇をとがらせて言う。あざといほどの可愛さだが、本人は全く意識していないのが、また更に魅力を増す。
——ほんと、この可愛さは反則だなぁ。私は心の中で呟いた。
「それを言うなら、菜奈こそでしょ」
私が言うと、彼女の表情がぱっと明るく輝いた。
「美花…そんなことを言ってくれるのは、美花だけだよ!」
菜奈は全身で喜びを表すかのように、テーブルに置いていた私の手を両手で掴み、自分の頬に寄せる。指先に彼女の体温が伝わり、自分の鼓動が強く跳ねるのを感じた。
もう慣れてもいいはずなのに。六年も一緒にいるのに。…自分に呆れる。
「みかと出会えたことは、わたしにとって、ほんとーにありがたい……これからも、よろしくれ、みかぁ……」
呂律の怪しい彼女が、ふにゃりとテーブルに突っ伏した。目を閉じると、あっという間に、静かな寝息が聞こえてくる。
きっと、疲れてたいたんだろう。最近は眠れていなかったのかもしれない。
私は、彼女の髪が口元にかかっているのに気づいて、そっと手を伸ばし——彼女の頬に届く寸前で、ぴたりと止めた。
……触れても、いいの?
一瞬逡巡し、いやダメだと、すぐに手を引っ込める。触れていいはずがない。
私は、波々と注がれたままのジョッキを握りしめた。冷たさが、じわじわと指先に染み込んでくる。
——ほんとは、ずっと前からわかってた。
大学の教室で、彼女が特等席から振り返った、あの瞬間。
切れ長の少し憂いを帯びた瞳、さらりと流れる黒髪、何気ない視線の強さ。全てが、私の『ど真ん中』だった。
そう、私はあの時——彼女に、一目惚れをしてしまったのだ。
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