【百合小説】隣の彼女は秘密を知っている <11> 【創作大賞2025】
<プロローグ> <1> <2> <3>
<4> <5> <6> <7> <8>
<9> <10> <11> <12> <13>
<14> <15> <16> <17> <18>
<エピローグ>
<前の話 次の話>
第4章
2
「…また、繋がらない」
私は、自分の携帯を固く握りしめ、画面を睨みつけていた。そんなことをしても、状況が好転するわけではないことは、わかりきったことなのに。
——美花からの返信が完全に途絶えて、七日が経とうとしている。
ここ最近、美花は私の誘いを断り続けていた。けれど、私に恋人ができたということを考えれば、きっと遠慮をしているのだろうと思っていたのだ。だから、この状況も一時的なもので、時間さえ経てばまた元に戻れると、そう考えていた。…なのに。
私が送信したメッセージには、すべて『既読』の文字がついている。つまり、美花はそれを読んだ上で、意図的に応答していないということだ。
やはり、私に恋人ができたことが原因だろうか。
ため息をついて、携帯を机に置いた、その瞬間だった。短い振動とともに、着信を知らせる音が鳴る。
——美花?
私は弾かれたように携帯をつかみ、その表示名を確認する。
そこに表示されていたのは、『笹本亮太』——私の恋人の名前、だった。
期待が、失望に変わる。私はもう一度、今度は深いため息をついて、肩を落とした。
今日は十二月二十四日、クリスマスイブ。今日の夜は、彼と予約したレストランで食事をする約束になっている。この電話は、その集合場所や時間の最終確認だろう。
私はバッグを手に取り玄関に向かいながら、携帯の通話ボタンを押した。
◇
「んー、やっぱここ正解だね。めちゃくちゃ美味しい」
「うん、ほんと…」
目の前のコース料理に、亮太は素直に声をあげて、子供のように笑う。そんな彼に対して、私はどこか、上の空だった。
机の上に置くことこそしなかったが、私の意識の大半は、スカートのポケットの中の携帯に割かれていた。美花からの着信があっても、すぐに気がつくように。
「…心配なのは分かるけど、こっちもちょっとは、気にして欲しいなー…なんて」
亮太が、遠慮がちに、私の顔を覗き込む。その声で、私ははっとして、ごめん、と小さく謝罪した。
「謝んなくていいよ。心配だよね。でも今だけはさ、この時間、楽しもう」
亮太の声には、純粋な優しさが滲む。それなのに、その言葉を受け取った私の心は、なぜかきゅっと縮こまったような気がした。
私と彼が恋人になって、半年以上が経つ。
彼は常に、私を大切にしてくれていた。私が何かを話そうとすれば、どんな作業中でも必ず手を止めて耳を傾ける。私が体調を崩せば、彼の最優先事項は私の看病になる。突然の雨に降られれば、いつだって駅で彼が待っていた。
彼は、恋人として『完璧』に思うほどだった。
——でもその優しさは、美花とは、明らかに違った。
美花の優しさは、私が欲しいと思う言葉を、欲しい時にくれる。私が間違った方向に進めば、それをちゃんと指摘し、叱ってくれる。私が向き合うべき課題から、決して目を逸らさせてはくれない。そんな優しさだった。
亮太と過ごす時間は、常に穏やかで、心地良い。けれど、美花といる時に感じるような、腹の底から笑いが込み上げるほどの高揚感も、胸が張り裂けるほどの心の揺さぶりも、存在しなかった。
そこまで考えて、私は、自分が無意識に二人を天秤にかけていることに気がつき、頭を振った。
恋人と友人を、同じ土俵で比較すること自体、論理的に間違っている。
「そうだね。今は亮太との時間を、楽しむ」
私は、自分の表情筋を意識的に動かし、今出せる最大限の笑顔を作って、亮太に向けた。
私のその表情を見て、「よかった」と安心したように微笑む亮太。その反応を確認し、私は「この選択で間違っていない」と、自分に言い聞かせる。
仕事の話、最近見た映画の感想、今後一緒にやりたいこと。そんな、当たり障りのない話を続けているうちに、時間は過ぎていった。
コース料理が終わり、デザートを待つのみとなった、その時だった。
それまで流暢だった彼の言葉が、急に、口の中で迷子になったように不明瞭になる。額にはわずかに汗が滲み、落ち着かないように目線が揺れる。
——もしかして。
そう思った瞬間、ふっと店内の照明が落ちた。
同時に、祝福ムードを演出するための、穏やかな音楽が流れ始める。次いで、キッチンから、花火のついたケーキが運ばれてくるのが見えた。
周囲のテーブルから、「誕生日かな?」「なんだろ、もしかしてさー…」と、状況を推測する声が聞こえてくる。
けれど、今日は私の誕生日ではない。流れている曲も、バースデーソングやクリスマスソングといった、祝いの席で定番のメロディとは違う。
目の前に置かれたケーキと、その横に添えられた、小さなベルベットの箱。それらが意味するものは、一つしかなかった。
私は一度、大きく息を吸う。そして、プレートにチョコレートで書かれた文字列を、目で追った。
「——"Will you marry me?" ………」
予想通りの言葉。その確認を終え、私は心の中で、大きく肩を落とす。
亮太が、結婚を視野に入れた交際を望んでいることは、これまでの言動からも明らかだった。
私が、その話題をずっと意図的に逸らし続けてきた結果——彼は、こうして明確な返事を出してほしいと、最終手段に打って出たのだろう。
「…菜奈。びっくりさせて、ごめん」
固唾を飲むような視線が、私から離れない。その瞳の奥に、確かな決意と、わずかな震えが見て取れた。
「…結婚、してほしい」
亮太の真剣な声に、思わず私は目を伏せる。
——結婚。
今までぼんやりとしか意識していなかったその言葉が、今、現実の問題として目の前に突きつけられている。その現実は、私に、あの夜の美花の顔を思い出させた。
「私、女の人が好きなんだ」
隠しきれていなかった手の震えを、私はあの時、目にしていた。なのに私は、その真実を『冗談』という嘘で上書きさせた。あまりに卑怯で、残酷な選択。
そんなことをした私が、これを受け入れたとして、一体誰が、どんな幸福を得られるというのだろう。
ふと、視線を窓の外へ移す。
眼下に広がる夜景は、本当に綺麗だ。無数のイルミネーションが、計算し尽くされた配置で、宝石のような輝きを放っている。
本来であれば、高揚感を覚えるはずのこの景色を前に、私の心は、まるで夜の底にいるように、ただ静かで暗かった。
私の意識は、目の前の亮太でも、テーブルの上の指輪の箱でもなく、スカートのポケットの中で依然として沈黙を続ける携帯にだけ、向けられていた。
<前の話 次の話>
<プロローグ> <1> <2> <3>
<4> <5> <6> <7> <8>
<9> <10> <11> <12> <13>
<14> <15> <16> <17> <18>
<エピローグ>
