【百合小説】隣の彼女は秘密を知っている<18>【創作大賞2025】
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最終章:二人の章
最終話
自分の家で、誰かに紅茶を入れるのは初めてだった。少し手が震え、ティーポットとカップが当たり、音が鳴る。「大丈夫ー?」と、聞き慣れた柔らかな声が、リビングのソファから投げかけられた。
「ごめん、大丈夫。…ちょっと、緊張してるかも」
頬に熱が帯びるのが、自分でも分かる。二人分の紅茶と焼き菓子をテーブルに並べ、私は彼女——菜奈の座るソファに、腰を下ろした。
自分の耳に、心臓の鼓動が強く響く。自分のものなのか、それとも、すぐそばにある菜奈の音なのか。もうそれすらもわからなかった。
私がちらりと横目に彼女を見ると、私を見つめていたのだろう彼女と、ばっちり目が合った。
「わっ!なっ、見てたの」
菜奈を盗み見ようとしたことがバレ、頬に帯びていた熱が、一瞬で耳にまで広がる。いやでも、菜奈もこちらを見ていたのだ。別に恥ずかしがることではない。
思い切って、再び菜奈の方へ顔を向けると、彼女は私から全く視線を外さず、微笑んでいた。
「それは、見るよ。今、あなたへの『愛しい』っていう感情が、溢れて仕方がないの」
言葉通り、彼女の瞳からは、今までにないほどの愛情が見て取れた。
高校の頃、あれほどまでに恋焦がれた、私の方には永遠に向くことがないと思っていた、あの眼差し——それが今、私の方に向いている。
温かくて、どこかくすぐったいその感じには、まだ慣れない。
私はついさっき、喫茶店で菜奈からの告白を受けた。私も、最後は泣きじゃくって言葉にならなかったけれど、しっかり伝えたいことは伝えられたと思う。
ありのままの自分を晒し、それを大切な人が、全て包み込んでくれる。その奇跡のような安心と喜びが、これほどまでに心を満たすものだとは、想像もつかなかった。
「少し浮かれているのが、自分でもわかる。…正直、美花の家に入れてもらえるとは、想定してなかったから」
菜奈は照れたように頬を染めながらも、隠しきれない喜びをその顔いっぱいに輝かせ、笑みをこぼした。彼女の言葉に、私は以前、家に来たいと言われ拒否した時を思い出す。
「あの時は…まだ、話せてなかったから。本当のことを言わないと、家にはあげられないって、思ってた」
あの時の記憶は、今なお私の胸を締め付け、息苦しさを覚える。菜奈への気持ちを隠したまま、彼女を自分の家に呼ぶことは、彼女への裏切りなような気さえしていた。だから私は、菜奈がもし家に来るのであればと、あの時カミングアウトをしたのだ。
——結果あの時は、恐怖が勝って、誤魔化してしまったのだけれど。
「そうだったんだ。…あなたを追い詰めるようなことをしてしまって、本当にごめん」
菜奈は、私の方に体ごと向き直り、謝罪の言葉を口にした。
「私のこれまでのたくさんの言動が、あなたを苦しめていたよね。亮太のことも、そう。ごめん…謝って済む問題じゃないって、自分でもわかってる」
彼女は、うつむきがちに目を伏せる。その周囲には重く、気まずい空気がまとわりつき、今までの言動に対する彼女の後悔が漂っていた。
「……笹本くんのことは、確かにずっと、きつかった。でもあれは、菜奈の隣に友人として立ち続けるためには、必要なことだったから…受け入れないとと、思ってた」
私はもう、包み隠さず、全てを菜奈に語る。菜奈が私を試しているのかもしれない、そう感じたことも確かにあった。でもそれは、彼女が悪いわけではない。私が本当に彼女を親友としてだけ見ていけるのか、その瀬戸際なんだと感じていたからこそ、必要なことだと思った。
「でも……もし私が自分の気持ちを、もっと早い段階で自覚できていれば…あなたをあんな風に傷つける必要も、なかったはずなのに」
菜奈は真剣な眼差しで私を見つめ、私の頬にそっと手を触れる。その手は戸惑うように、どう扱っていいかわからないかのように、私の頬の上で微かに揺れた。
私は差し出された手へと、自分の指先を伸ばし、一瞬その動きを止める。
——もう、大丈夫。
私はそのまま、自分の手を彼女の手に重ね、頬を寄せた。自分からは決して触れることのなかった彼女の肌は、信じられないほど温かく、その心地よさに、私は思わず瞳を閉じていた。
その、直後。
私の唇に、柔らかく、しかし確かな温もりが、触れた。
はっと思わず、目を開ける。目の前には、息を呑むほど美しい、菜奈の顔があった。
彼女は瞳を閉じていたが、名残り惜しむように唇を離すと、静かに、そして緩やかにまぶたを開いた。
「…ごめん。つい」
そこには、菜奈のいつもの理論的な言葉の構築はなく、頬を真っ赤に染めて顔を逸らす彼女の姿があった。私はその感触を確かめるように、自分の唇を指でなぞる。
それが現実だと気づいた瞬間、私の頬は沸騰したかのように熱くなり、頭の中が真っ白になった。
「え、あ、い、今……」
「……はぁ、心臓が、うるさい。こんなにも、苦しくなるもの、なんだね」
菜奈が困ったように眉を下げ、私に笑いかける。その笑顔すら眩しすぎて、私はさらに何も考えられなくなる。
「わ……私なんて、初めて、だよ!?菜奈は、笹本くんとだって、したでしょう!」
パニックになった私は、余計なことを口走る。しかし菜奈は、そんな私をよそに、自分の唇に手を当て、何かを確かめるようにつぶやいた。
「ううん、全然違う。もう全く。キスどころか…触れるだけで、こんなに心拍数が上がるなんて。…私にとって、初めての経験だよ」
そのあまりに冷静な分析に、私は一瞬、虚をつかれて思考が止まる。
「…それ、笹本くんに、ものすごく失礼じゃ…」
思わずまた余計なことを言ってしまって、慌てて口元を押さえた。菜奈は私の言葉に一瞬きょとんとしたあと、私の慌てた様子を面白そうに眺め——とても幸せそうに、微笑んだ。
「そう、私はそういう人間なんだ。それでも——美花は、一緒にいてくれる?」
その意外な菜奈の問いかけに、私は瞬きを忘れて彼女を見つめた。
しかし、考えなくとも私の答えはもう、決まっている。
「…当然。私は誰よりも、菜奈の一番の味方だから」
窓の外では、夜の帷が静かに下りていた。冬の空気がガラス越しに伝わってきて、部屋の暖かさをより際立たせる。
私と菜奈は、互いに何かを確かめるように、そっと寄り添う。
まだ、不安が全部、消えたわけじゃない。
でも、それでも。
「——一緒に、幸せになろう」
菜奈がそうささやいた瞬間、私は彼女の手を、もう一度ぎゅっと握った。
言葉にできない思いが、静かに、そして確かに、私たちの間を満たしていく。私はこのかけがえのない感覚を、決して忘れないよう、心の奥底に、深く、深く刻み込んだ。
了
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