【百合小説】隣の彼女は秘密を知っている<9>【創作大賞2025】
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第3章
3
ピンポン、とシートベルト着用サインが消える。と同時に、座席から次々と乗客が立ち上がり、降りる準備を始める。
そんなに急いだって、まだ扉が開くわけでもないのに。私は、座席に座ったまま、できるだけここから出たくないなと、小さな窓から外を眺めた。そこには、夏が終わったと思えないほど、強い日差しが降り注いでいた。
ゆっくりと飛行機から降りた後、流れる荷物を受け取り出口へ向かうと、こちらに向かって大きく手を振る三人組が目に入った。
「お帰り、美花!」
笑顔溢れる三人に、眩しさと嬉しさと少しの照れくささを感じて、私は目を細める。
それは、私の両親と妹——私の家族だった。
「久しぶりの飛行機疲れたっちゃない?大丈夫?」
「大丈夫。むしろ飛行機より、この外の暑さの方がやばいっちゃけど」
地元に降り立ち家族と喋った瞬間、自分の口から方言が出てきたことに、自分でも驚く。時々母や妹と電話する時に少し出るくらいで、もう何年も使ってなかったのに。
…やっぱり二十年近く染みついたものというのは、なくならないものだな。懐かしさと恥ずかしさに、少し口角が上がる。
「えーこんくらいで暑いと?美花も都会に染まったんやねぇ」
私の荷物を車のトランクに乗せながら、母がからかうように笑って言う。それにつられたのか、父と妹も笑った。
先週、私は父からの電話を一度無視した。しかし、その後間を置きつつまた何度か着信があり、さすがに何かの用事があってのことだろうと、そこでやっと折り返しの連絡をした。
「ほんっと、お前は全然電話に出んっちゃから」
小言から入った父の話は、帰省を促すものではあったが、いつもと少し事情が違った。それは、元々二つあったうちの一つの実家を妹に譲ることにしたから、自分の私物を回収してほしいという話だった。
「まぁこっちは、元々ばあちゃん家やし、美花のものがそんなにあるわけやないけど、一応な」
父が玄関ドアを開けながら言う。懐かしい匂いが鼻につき、私は思わず目を閉じた。胸いっぱいにその匂いを吸い込むと、この家の記憶が、頭の中にわっと広がる。
私が高校一年の時に、この家の持ち主であった祖母が亡くなった。それ以降この家は、親戚がみんな集まる時、私や妹の受験勉強の時や、時々はプチ家出なんかにも、頻繁に使われていた。きっと、祖母が元々どんな人でも自分の家に招き入れるような、懐の広い人だったからだと思う。
私にとって両親と妹のいる実家は、温かいけれど、時々息が詰まることもあった。でも、この家だけは違った。一人になりたい時には決まってこの家に来て、時間を過ごしていた。誰にも踏み込まれない、私の心を守ってくれる安全地帯。それがこの、祖母の家だった。
「ごめんねー私がこの家もらっちゃって。本当はお姉ちゃん欲しかったんやない?」
一緒に勉強部屋を整理しながら、妹——麻友が言ったその言葉に、私はどきりとした。
実家は実家で別に一軒ある。ほとんど使われない家に管理費・維持費もかかっている中、麻友の就職が決まって一人暮らしをすることになったらしい。その際、どうせならこの家に住んでもらった方が、家の管理・維持も兼ねて良いのではないかという話になったと聞いた。
遠くに住む私には、何の反論も、決定権も、なかった。
「え、なんで?麻友が使うのが一番理に適ってるでしょ」
なんだか少し気まずくて、早口になる。そうなんだけど、と少し言葉を濁し、彼女は部屋を見渡した。
「おばあちゃん亡くなる前に一回リフォームしてるけん、結構綺麗よね」
その言葉に釣られ、私も辺りを見渡す。確かに、亡くなってから十年経過してるとは言え、あまり使っていないからか水場も含めまだまだ綺麗な状態だった。
ふたりでいくつかの部屋を概ね片付け終わり、歩いてすぐの距離にある実家に戻る。結局、祖母の家には受験勉強の時に使っていた教科書やノート、その他少しの衣類くらいで、ほとんど私の物は見当たらなかった。
「ほんとはね、片付けなんて口実よ。お母さんもお父さんも、お姉ちゃんに会いたかったんやと思う」
父が先に実家に帰った後、片付け中に、くすくすと笑いながら麻友は言った。両親の可愛らしさに笑みがこぼれてしまう妹の反面、私は自分の親不孝さに心が痛んだ。
私がここに帰ってきたのは、実に五年ぶりだ。前回は大学を卒業し、就職が決まった時に報告に来たのだった。私は両親の愛に恵まれ、可愛い妹に懐かれ、何の不自由もなく育ってきた。だから、家族のことが嫌いだとか、そういうことは全く無い。ただ——なんとなく、足が遠のいてしまっていた、それだけ。
「ただいまー…あ、今日春巻きだね?」
玄関を開けるなり、麻友が鼻をくんくんと鳴らし、名探偵のように言った。私も匂いに集中すると、たしかにほんのり醤油と胡麻油の香り、そして薄皮が揚がる香ばしい匂いが漂っている。
「おかえりぃ。手、洗っといで。できあがりが一番美味しいんやから」
母は慣れた手つきで春巻きを油に潜らせながら、こちらに目を向けた。春巻きは、母の料理の中で私が一番好きなものだ。私に何かお祝い事があるときは、基本的に私のリクエストはいつも春巻き。今日は何かのお祝いだったっけと一瞬考えるが、母の嬉しそうな顔を見て、あぁと腑に落ちた。私が帰ってきた、ただそれだけが、この春巻きの理由なのだ。
揚げ物は自分一人のために家で作ることはほとんど無い。久しぶりのご馳走に、私の喉がごくりと鳴った。
◇
「そういえば美花、高校で一緒だったタカマサくん。覚えちょる?」
「えー…あぁ、佐田くん?」
春巻きをほおばり、その美味しさに舌鼓を打っていると、母が突然久しい名前を出してきた。彼は、三年間同じクラスで、私の数少ない気の置けない友人の一人だった。何度か遊んでる時に母とも遭遇したことがあった気がする。卒業後は連絡もとっておらず疎遠になっているが、今どうしているのだろうか。
「覚えちょるけど、どうしたん?」
母の口から佐田くんの名前が出ることを意外に思いつつ、そういえば彼のお母さんとヨガか何か同じところに通ってると言っていたな、と思い出す。
母は家族しかいない食卓で、なぜか少し声を小さくして言った。
「あの子ね、最近お家に恋人連れてきたらしいんやけど…それがびっくりなんよ」
「連れてきたの———男の子やったんやって」
何も身構えていなかったところのボディブローに、思わず手が滑り、食器をがちゃっと鳴らしてしまう。しかしその出来事を通常の驚きとして処理したのか、母は私の反応に、うんうんと頷いた。
「えぇ、すごくない?リアルBLやん。てかちゃんと親に紹介するってそれだけで尊いわ。めっちゃ勇気出したやろうし、その彼氏さんも絶対いい人やね」
私は言葉が出ずにいると、麻友が明るく、肯定的な意見を言った。その言葉に、母は少し眉を顰める。
「まぁ今はね、そうやって自由に生きれるようになって、本人たちはいいやろうけど」
「結局ね、孫の顔が見たいって思うのは、親にとっての一番の願いやからねぇ。それがないんやったら、どんなに立派に育ったとしても、親御さんは子育てに失敗したって、思うやろねぇ…」
頬に手を当て、自分のことのように残念そうにため息をつく母。父はまるで「興味がない」という風に、テレビの方に視線を向けている。
初めて聞く、自分の母親の『親としての価値観』に、全身の血が一気に引いていくような感覚を覚えた。先ほどは肯定的だった麻友も何も言わず、私は、隣に座る彼女の表情すら、怖くて見ることができなかった。
口の中の春巻きを無理やり喉に押し込み、言葉を捻り出す。
「…佐田くんのお母さんたちが、そう言ったの?」
正直、佐田くんが同性愛者であったことは、特に驚きはなかった。あれだけ時間を共にしても、いくら一緒にいても、佐田くんとは『恋愛的な』雰囲気に一度もなったことがなかったのだ。それこそが、居心地のいい時間を過ごせた一番の理由なのだと思っていたし、それがお互いに恋愛対象じゃなかったからということが根本にあるのであれば、むしろそれは納得感の強いものだった。
「まさか。タカマサくんの好きに生きなさいって言ったらしいんよ。でも私には、相手の人とふたりでいるのを見るのは辛いって、こぼしちょったわー」
母はまた、大きなため息をつく。その様子を見て、本当に母は、私のことは何も気が付いていないんだなと、少し心の中に寂しさを感じた。母は遠回しにこういうことを言ってくるタイプではない。これは、本当に『自分の身近に同じことが起こる可能性』を全く考えていないが故の、単純な、世間話なのだ。
私は、自分の皿の上に残っている春巻きに視線を落とす。
一般的に見て、佐田くんの親は『良い親』なのだろう。反対するでもなく、相手の人を貶めることもなかったのだと思う。二人が決死の覚悟で挨拶に来たのを見て、自分たちもそれに真摯に応え、「好きに生きろ」と背中を押してくれたのだ。
…でも。
——やっぱり私たちの告白は、親のことを、少なからず苦しめることになる。
その現実を目の当たりにし、さっきまではご馳走だったはずの春巻きが、突如として色を失い、香りまでもすっかり消え失せてしまったのだった。
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