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雪の降る街で 第一章 「鼓動」 ①

あらすじ

 防衛大学校首席卒業の女性幹部で、陸上自衛隊の戦車小隊を率いる橋本藍はしもとあいは、冷静沈着な指揮官として部下の信頼を集める一方、その胸には今も忘れられぬ恋を抱いていた。

 それでも明るく振る舞い、配下の若手操縦手・成瀬光一なるせこういちと通信員・片倉菜々かたくらななの恋愛を後押しするなど充実した日々を送っていた最中、不測の事態が勃発する。場所は新潟。治安出動命令が下り、藍たちが先陣を切るが、奇襲に遭い、部隊は壊滅。菜々も瀕死の重傷を負う。

 敵の正体は第十六旅団を中心とした反乱軍。そして首謀者は、藍がかつて愛した元上官の仲木戸賢治なかきどけんじだった。

 急遽、大隊指揮を執ることになった藍は、愛と使命の狭間で揺れるも、元恋人への想いを胸に秘め、戦いに身を投じる。

 令和の日本を舞台に今、愛の叙事詩が静かに幕を開ける。


第一章 「鼓動」 ①



「とても静かね。こういうのをサイレント・イブっていうのかな?」

 この、甘ったるく鼻にかかるハスキーボイスで囁かれると、世の男どもはイチコロだろう。年の頃は二十代半ばから後半といったところか。

「ええ、とてもロマンチックな夜です。イブの夜を貴女の傍で過ごせる自分は幸せ者です」

 緊張気味に返す男はまだ二十歳前後だろうか? 

 クリッとした瞳にあどけなさを残し、キザなセリフが似合わないことこの上ない。それでも女は彼の返答に嬉しそうに微笑んだ。

 クリスマス・イブ。

 この国では「クリスマス前夜」と解釈されているイブだが、もとはイブニングの意味であり、一日を日没から日没までと定義する教会暦では、イブはクリスマスの始まりであって、クリスマス・イブとクリスマスは「同じ日」となる。

 そしてキリスト教を信仰する国々では、この日は「家族で過ごすもの」とされているらしい。

 もっともこの国の人々はそんなことなど、どこ吹く風だ。古くより八百万やおよろずの神を信仰してきた日本人。彼等にとってはキリストも仏陀も等しく受け入れ、崇め奉る神となる。

 そして彼等はいつしか、イブを「恋人達の日」と定義した。男達は愛する彼女の為、半年前から高級フレンチディナーと高級ホテルのスイートに予約を入れ、人気のジュエリーを求めてティファニーに殺到し、女達は彼がイブにかける金額の高低で愛情を測り、それを後押しするかのように、クリスマスの恋人達を歌う曲が街の彼方此方でこだました。

 あの喧騒と狂乱に満ちたバブルの頃と比べると、この聖夜に対する日本人の異様なまでの執着心はだいぶ落ち着いたのかもしれないが、それでも若い恋人達にとっての一大イベントであることに変わりはない。

 そして恋人未満の男女や片想いをしている者達にとっても、次のステージへと進むための重要な契機であることもまた然りだ。

 だから今宵、二人の男女が歯の浮くような甘い会話を繰り広げていたとしても、何ら不思議はないのだが……。

「あら上手いのね、コウ君。そんなこと言われるとあたし、勘違いしちゃうわよ?」

 冗談っぽくいなす口調は年上としての余裕か。コウ君と呼ばれた若い男がムッとした表情を浮かべる。

「勘違い? 俺は本気ですよ。今夜の貴女は世界の誰よりも美しい。その囁きはまるでカルメンのように俺の心を惑わせるんだ」

 彼の精一杯背伸びした口説き文句に、女はくすぐったそうに笑うと、身を乗り出した。

「あたしは年上よ? それでもよくて?」
「たかが四つくらい、年の差とは言いません。俺は今夜こそ貴女を振り向かせて見せる」
「あたしは嫉妬深いわよ。貴方を破滅に追い込むかもしれない」
「破滅? 貴女と一緒になれるのなら、畜生道でも地獄の底でも喜んでお供しますよ」
「コウ君……」

 手応えあったか。彼が必死に二の句を巡らせる。だが。

「ダメだわ。〝彼〟がきちゃったみたい」

 その言葉に若い男はがっくりと肩を落とすも、一転、厳しい表情で前方を見据えた。

「不粋な間男の登場ですか。俺の一世一代の口説き文句を邪魔しやがって。さっさと仕留めてしまいましょう」
「そうね。ジンさん、いける?」

 彼の言葉に頷くと、彼女は左の隔壁の向こうで眉を顰めているであろう、厳つい顔の男に問い掛けた。

「なんだ、もうピロートークは終わったのか? こっちはいつでも準備OKだ」

 彼女の父親と言っても差支えない年の男がつまらなさそうに答える。その返答に彼女は口元を緩めると、前方のモニターを睨んだ。

 切れ長の目にスッと通った鼻立ち。恐らく美人と思われるが、オリーブドラブ色のドーランで迷彩塗装を施された顔ではいまいち判然としない。

 そう、何せ彼女は――――――

「よし、行くぞ! 第一小隊前進! 三号車はあたしに続け! 二号車と四号車は左右に散開し援護!」

 静寂を破り、闇夜に咆哮する水冷4サイクルV型8気筒ディーゼルエンジン。月明かりの下、唸りながら塹壕を這い出したのは、陸上自衛隊が誇る四両の一〇ヒトマル式戦車。その容姿は、さながら地獄からの使者のようだ。

「二時方向、敵戦車補足! 殺るか!?」
「ジンさんまだよ! 九〇キュウマル(九〇式戦車)は正面だとダメージゼロでしょ!? コウ君、スラロームで接近して!」

 彼女は橋本藍はしもとあい二等陸尉。静岡県駒門に駐屯する陸上自衛隊第一師団第一戦車大隊で第一戦車小隊を預かる女性幹部自衛官だ。

「了解! 任せてくださいよ!」

 彼女の命令に心を弾ませながら、趣味のクルマよろしく一〇式を縦横無尽に操る若い男。

 成瀬光一なるせこういち三等陸曹。

 まだ二十一歳の大隊最若手下士官だが、捕捉した目標に返り討ちに遭わぬよう、蛇行スラロームしながら接近する操縦手としての技術はかなりのものだ。

「やるじゃねえか、コウの奴。高工校(陸上自衛隊高等工科学校)出にしちゃあ筋がいい」

 標的を見据えながら不敵な笑みを浮かべるのは砲手の相原仁あいはらひとし陸曹長。大隊の生き字引のような存在で戦車長としての経験も豊富だが、現在は藍の砲手を引き受けている。

「藍ちゃん、ドテッ腹見えたぜ!」

 の九〇式が光一の鋭い操車について来れず、側面を晒した瞬間を相原は逃さなかった。

〝よし! ッ!!〟

 一瞬の間の後、暗闇を切り裂く閃光と轟音。四十四口径一二〇ミリ滑空砲の強烈な反動で車体が傾ぐところ、自慢のアクティブサスペンションが作動して瞬時に体勢を立て直す。

「撃破! 側部に命中!」
「ジンさんナイス!」

 レーザー交戦装置バトラーにより撃破が判定されると、藍は素早く戦況モニターを凝視した。四両いた敵の九〇式が一両に減っている。配下の戦車が撃破したようだ。
 
 残るは一両。

 一〇式戦車の最大の特徴はC4Iシステム、すなわちCommand指揮Control統制Communication通信ComputersコンピューターIntelligence情報のシステム搭載により、展開する全ての部隊が戦況をリアルタイムに共有できること。

 よって九〇式がいかに強力でも、自車での捕捉情報しか持ち得ないとあっては、戦場全体を俯瞰できる一〇式の敵では無かった。

「コウ君、次! 九時方向!」
「うっし、ケツ振りますよ! 掴まって!」

 雄叫びを上げ、派手に土砂を巻き上げる四十四トンの鉄の塊。

「捉えたぞ! 正面だが一発かますか!?」
「まだよ! 照準はそのままで! コウ君! 派手に逃げて!」
「えーっ! 隊長車自ら囮っすかー!?」

 光一がわざとらしく不満の声を上げるも、どことなく楽しげだ。

「いいさ! ゲロ袋忘れないで!」

 不整地の凸凹を拾い、車体が激しく揺れる。

 その動きを捉えようと敵の九〇式の砲塔が素早く転回する。暗視ビジョン越しに浮かび上がる九〇式の漆黒の車体。

 北海道に侵攻してくるソ連軍の戦車を狩る為に開発された、一〇式よりも一回り大きい総重量五十トンの鋼鉄の悪魔。

 無慈悲な砲口がこちらを見据えた瞬間――――――

「今よ! 四号車!」

―――ッ!!〟

 一閃。窪みに身を隠していた四号車が、おびき出した敵を側面から難なく仕留めた。

〝四号車より隊長車へ。敵戦車を撃破〟

「了解。終わりね。みんな見事だったわ」
「よっしゃ!」

 相原が声を上げ、光一も拳を握る。藍はふーっと息をつくとインカムを手繰り寄せた。 

「一小隊より本管へ。敵戦車四両を撃破」

〝良くやった。状況終了、帰投せよ〟

「了解」

 藍は満足げに笑みを浮かべると、光一に本部への帰投を指示した。

 一〇式の乗員は三名。指揮官である車長、砲手、そして操縦手で構成される。

 諸外国ではこの他に装填手がいることが多い。これは弾薬装填を手動とすることで戦闘時の装置故障のリスクを減らすと共に、乗員を増やすことで、見張や偽装作業、塹壕掘り、故障時の修理対応など、一人当たりの作業負荷を軽減し迅速化を図るためだ。

 もっとも日本は少子化による人員不足という問題があり、自動装填装置で省人化せざるを得ない事情がある。

 戦車の内部は狭く、一旦乗り込めば移動することはできない。操縦席に至っては完全に別室で隔離されている。車長が操縦手の肩を蹴って進行方向を指示していたのも今や昔。

 車内での会話は全てインカムによる無線通信が基本、エンジンが始動したら大声で話さなければ聞こえないほどだ。

「各車、まだ終わってないぞ! 周囲の警戒を怠るな!」

 状況は終了したが、実戦を想定し本部に帰投するまで周囲の警戒は怠らない。後方には藍の配下である三両の戦車が続いている。

 陸上自衛隊の戦車小隊は通常四両で構成され、三個小隊で一個中隊を、二個中隊と一個管理中隊で一個大隊を編成する。

 その一つである、第一小隊長を任されている彼女。女性自衛官の機甲科への配属は最近では珍しくなくなってきたが、実態は庶務業務が殆どで戦車搭乗員としての配属は滅多にない。

 女性幹部としては全国でも彼女ひとりだけ。転入当初は好奇の目で見られていたが、その見事な指揮能力に今や異を唱える者はいなくなっていた。


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