雪の降る街で 第一章 「鼓動」 ②
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本作はだんだんと内容が重くなっていくので、今回から末尾にあとがきも掲載させていただきます。合わせてお読みいただけますと幸甚です。
第一章 「鼓動」 ②
野営地まで戻ってくると、光一はエンジンを停止させ、一息ついてから操縦席のハッチを開けて外に這い出した。
底冷えする聖夜。こんな日に夜間演習とは何の因果か。
例年なら年次有給休暇の消化を含めてとっくに冬休みに入っている。しかも今回は急遽決まった演習。家族や恋人のいる隊員達からは不満の声も漏れ聞こえてくる。
もっとも光一は憧れの女性の傍に居られるだけで気分が高揚していた。
砲塔の下で待っていると、やがて車長用ハッチが開き、お目当ての人物が降りてきた。
「橋本小隊長! お見事でした。その、気持ち悪くないっすか? かなりブン回しちゃったんで……」
敬礼をしながら上目遣いに覗き込むと、藍がクスッと笑う。
「大丈夫よ、九〇の乗り心地に比べたら天国だわ。コウ君こそ見事な操縦、ありがとうね」
「いえ! 俺は小隊長の……藍さんのためなら火の中水の中ッ」
「フフ、可愛い子ね」
藍がヘルメット越しに光一の頭を撫でる。
「じゃあ本管に行ってくるね。後をお願い」
彼女は微笑むと答礼し、行ってしまった。光一はその背中をぼーっと見つめていたが、コツンとヘルメットを叩かれ我に返った。
「なに鼻の下伸ばしてんだ、お前は」
「ジンさん……」
振り返ると相原が呆れた表情を浮かべて立っていた。彼は溜息をつくと、胸ポケットから煙草を取り出して口に咥えた。
「コウ、火」
「ああ、はい」
ライターを取り出し、相原の煙草に火を着ける。
「一本もらっていいっすか?」
「ん? ほれ」
渡されたケースから一本拝借すると、口に咥え火を着けた。演習の余韻に浸りながら、男二人で煙草を燻らせる至福のひととき。
「やっぱり綺麗っすよね、小隊長」
光一が呟くと、相原がゴホゴホとむせた。
「……藍ちゃんは確かにべっぴんさんだが、ドーランで顔じゅう真っ黒の彼女にあのセリフは吐けんわ。しかもベタベタの口説き文句。寒イボ出ちまったろうが」
「あれがいいんですよ! ドーラン塗ってるのに可愛いって、犯罪レベルじゃないですか」
「マニアックだな」
「好きなら何だっていいんですよ」
相原が少し驚いた表情で光一を見る。
「なんだ、お前。マジなのか?」
「マジじゃダメっすか?」
むくれた様子で吐き捨てる光一に、相原は再びハアっと息をつく。
「俺はてっきりEKBだとかのアイドルにきゃーきゃー言っとる感じかと」
「樫原志乃は普通に好きですよ」
「全く似とらんじゃないか。……彼女はほら、あれだ。ゆずちゃん?」
「七瀬ゆず? それこそ似てないっすよ。年甲斐もなくミーハーなんだから……イテッ」
ゴツンとヘルメット越しに落ちた鬼軍曹の拳骨に、頭を抱える。
「彼女はやめとけ。確かに気立ては良くて美人、ノリもいいが、階級も学歴も向こうが上だ。今は若さで乗り切れてもいずれ傷つく。まあハナから相手にされとらんとは思うが」
カミナリが落ちると思いきや、光一を思う戒めの言葉。こういうところが、厳しいながらも若手隊員達からの人望を集める所以だ。
「分かってますよ。分不相応だってことは」
そう、藍はただの幹部自衛官ではない。
防衛大学校首席卒業の超絶エリート。以前は市ヶ谷の陸上幕僚監部に勤務しており、将来を嘱望されていたらしい。
そんな彼女が何故、戦車隊にやってきたのか、誰もが首を傾げるばかりだった。
「しかし大したタマだな、あの隊長殿は」
「ジンさん、最初は散々いじめてたクセに」
「教育と言って欲しいね。新人指揮官を立派に育て上げるのは古今東西、古参兵の役目だ」
「ええ、分かってますよ。少なくとも俺は」
藍が配属されてきた当初の相原の扱きは相当のものだった。
言葉遣いこそ上官に対するものだが、面と向かって投げつける辛辣な言葉。
相原が砲手席に座りながら藍を無視して光一に命令を出すこともしょっちゅうで、見るに見かねた大隊の幹部達がやんわりと相原に注意しても、最古参の鬼軍曹に睨まれたとあってはそれ以上の口出しもできなかった。
それでも彼女は決して弱音を吐くこと無く、歯を食いしばり相原についていった。まるで何かの試練を自らに課すかのように。
そこらの人間ではきっと耐えられなかったであろう。事実、これまで何人もの新人幹部達が彼の扱きに耐え切れずに異動して行ったほどだ。
二人の関係が変わったのは、彼女の配属から半年が経過した頃に実施された大規模演習でのこと。相変わらず、素気なく砲手席に乗り込もうとしていた相原を捕まえた彼女。
「今日の演習、全てあたしが指揮します。貴方に叩き込まれた全てを吐き出すつもりです」
睨みつけるように見上げる彼女を、相原はしばし驚き混じりの表情で見返していたが、やがて鼻を鳴らすと不敵な笑みを浮かべた。
「おっしゃりたいことはそれだけですか?」
「いいえ」
屈強で強面の相原。
嘘か真か、若かりし頃、街で集めたヤクザの金バッジを手のひらでジャラジャラと弄んでいたとの逸話を持つ彼を、瞬きひとつせずに睨みつける藍。
「その結果、あたしが指揮官として生命を預けるのに相応しくないと貴方がいうのであれば、あたしはこの職を辞します」
駆け出しだった光一にとっては衝撃の言葉。強烈な扱きにいよいよ耐えられなくなったのだろうか? だが、彼女の目は縋るわけでもなく、とても強い意思が込められていて。
「わかりました。貴女の技量を見せてもらいましょう。今日は一切、口出しをしません」
冷たく言い放つ相原。だが、車長席に乗り込む藍を見つめる鬼軍曹が、嬉しそうな表情を浮かべた瞬間を光一は見逃さなかった。
もっとも、周囲は事の成り行きをハラハラと見守る。厳しい相原のこと。万が一、彼女が失敗をすれば「やっぱり辞めたくありません」では済まされないのではないか。
だが、そんな心配は杞憂に終わった。藍はひとりの配下も失うことなく、敵を殲滅した。
「見事な指揮でした、橋本小隊長殿」
先に下車し、藍を最敬礼で迎えた相原。
「相原曹長、貴方のお陰です……」
気丈に答礼した藍だったが、後は言葉に詰まると顔を覆い泣き出してしまった。そんな彼女をあやすように優しく抱きとめた相原。
その日以来、駒門で彼女を色眼鏡で見る者は誰ひとりいなくなった。そして今やメキメキと頭角を現し、大隊のホープとなった彼女。光一との立場の差はますます開く一方だ。
いいんだ、俺は。近くにいられるだけで。
光一は眩いばかりの星空から視線を落とすと、携帯灰皿を取り出し、煙草の火を消した。
*
本部テントの周辺はいつもより多くの車両や隊員が行き交い、ごった返していた。
今日の夜間演習が富士の教導団や習志野の第一空挺団との合同演習となっているからで、藍は敬礼を繰り返しながら進んでいく。
見知った顔も何人かいたが、暗い中、迷彩のドーラン顔では向こうも気づきようが無い。
テントに入ろうとしたところで、中から勢いよく出てきた隊員とぶつかりそうになった。
「あ、ごめんなさい」
よろけながらも咄嗟に謝ると、
「いえ! こちらこそ申し訳ありません!」
と、大きな声が返ってきた。
その特徴ある場違いな幼い声に、藍はハッと相手の顔を見る。くりっと大きな瞳の愛らしいルックス。
本部管理中隊の女性通信員・片倉菜々二等陸士だった。
高卒で入隊してまだ一年に満たない。年齢も二十歳前のはず。
全国の部隊から選りすぐりの美女を集めた来年の女性自衛官カレンダーで表紙ガールにも選ばれた、駒門駐屯地のアイドル的存在。
男性隊員達からのデートの誘いは引く手数多なのだが、全く誘いにのることも無く、かといって特定の彼氏がいる訳でもないらしい。もっとも、藍には理由が分かっていた。
ぶつかりそうになった相手が藍だと分かった瞬間、ふてぶてしく豹変した彼女の表情。
「あ、あの橋本二尉殿、コウちゃ……成瀬三曹殿はどちらに?」
視線を合わせること無く、それでいて上官の藍を意識した慇懃なまでの尋ね方。あまりの分かりやすさに藍は思わず吹き出した。
「な、なんで笑うんですかぁ!?」
「ごめんね。彼なら戦車にいると思うわよ」
「ありがとうございますっ!」
不貞腐れたようにズカズカとその場を立ち去る彼女。後ろ姿が闇の中に消えるまで、藍は寂しげな表情でしばらく見つめていた。
いいな。素直で純情でかわいくて……。
すべてがキラキラと輝いていた二十歳前のあの頃。未来は希望で溢れていた。見上げた夜空には寂しげに光る冬のオリオン。
ねえ、貴方は今でもアルテミスのことを想っているの? アポロンに騙され、誤って貴方を射抜いてしまった彼女を。
縋るように問うも彼は答えない。藍は寂しげに笑うと、踵を返し本部のテントに入った。
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雪の降る街で 第一章 「鼓動」 ①|京
あとがき
第一章「鼓動」、いかがでしたか? 藍の意味深な呟き、気になった方はぜひ、オリオンとアルテミスのギリシャ神話を調べてみてください。
この神話は一つだけではなく、色々な言い伝えがあるのですが、本作ではその幾つかが、ラストへの伏線にもなっています。
そういえば前作「アホウドリの空」の登場人物にガイアってTACネームの人がいましたねー。はてさて……。
そしてもう一つ、この物語には壮大な(←嘘です。ちょっとした遊びの)仕掛けがあります。気づかれた方はぜひコメント欄に! このタイミングで気づかれた方はすごいですよ~!
次回は終戦記念日の8月15日(金)に掲載予定です!
今回は顔見せ程度だった菜々ちゃんが満を持して本格的に登場。そして、世界線の異なるあのバカップルも登場します^皿^ お楽しみに!
