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雪の降る街で 第三章 「大社」 ②

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第三章 「大社」 ②


 総人口八十万を越える日本有数の市の中心部からほど近く、比較的交通量の多い通りに面した場所にその土地はあった。

 かつては駐車場として使われていたが、ここ数年は四方を柵に囲われたまま放置され、行き交う人々も特に気に留めることもない。

「ここ広いよな。何かできないのかな?」
「だねー。ショッピングモールとかできて欲しいな、アミューズメントとかでもいいや」
「またマンションだけは勘弁だよなー」

 通りすがりのカップルの会話。触れても繋ぎ程度。彼らに限らず、常にその程度だ。そして大抵の場合は誰の記憶にも残ることもない。ごくありふれた日常の光景。

 だからバーバリーの黒いコートに身を包んだ男がそこで足を止めていたとしても、誰も気にする者はいなかった。

 全体的にスマートな印象だが、よく見るとがっしりとした体つき。映画俳優を彷彿とさせる端正なマスク。年の頃は四十歳前後か。

 厳しい目つきで街中にぽっかりと空いた空間を見つめている。

 どのくらい佇んでいたのだろうか? やがて彼は口元に薄い笑みを浮かべた。

「……志士は溝壑こうけんに在るを忘れず、勇士は其のこうべを失ふを忘れず。書を読むの要は、是れ等の語に於いて反復熟思じゅくしすべし」

 日本の将来を憂い、その身を維新の礎に捧げた吉田松陰の言葉。

 彼の人とは何の所縁もないこの場所に相応しい言葉とは思えなかったが、彼の呟きもまた、人に聞かれることもなく喧噪にかき消された。

 踵を返し、ゆっくりと立ち去る男の意図も測りかねるままに。
 
           *
 
 厚木航空基地の南東に位置する官舎の一室で、夕食の片づけを終えた門真敏生と夕陽の二人は、ぴったり寄り添いながら、ネットクリックスで選んだ映画を観ていた。

 ソファであぐらをかく敏生の上に腰を下ろし、身体を預ける夕陽。この官舎で暮らし始めてから、すっかり板についてきた夫婦のルーティン。

 馴れ初めは敏生の一目惚れ。

 初対面で自分のことを強烈に敵対視し、睨みつけてきた彼女に一瞬で心を奪われた。超絶なイケメンで「稀代の女ったらし」との異名を取った彼にとっては衝撃以外の何物でもなかった。

 一方の夕陽は、両親が共に中学教師という厳格な家庭に育ったこともあり、これまで男を撥ねつけて生きてきた生真面目で優等生タイプの女の子。

 そんな彼女にとって、初対面から馴れ馴れしく呼び捨てしてきた女たらしの彼は、正に唾棄すべき存在であり、同じパイロットとして彼が「最強」と言われていること自体が心底腹立たしかった。

 そのような経緯いきさつから、当初は夕陽が敏生に何かと喰ってかかり、敏生はそれを受け止めつつ、アプローチを試みる、といった日々。

 そんなことを繰り返しているうちに、夕陽もいつしか、この明るくフランクで、圧倒的な腕前を鼻にかけることのない彼に次第に惹かれていった。

 そして出会いから一年半。あやふやな関係に終止符を打ち、交際を開始した二人は、更に半年間の交際期間を経て、三カ月前に晴れて入籍を果たしたのだった。

 今や隊内の誰もが認めるバカップル街道まっしぐら。挙式は、いくつかの長期航海が終わって落ち着きそうな秋頃を考えている。

 ぼんやりと画面を眺めながら、指を絡ませる二人。たまに敏生がエッチないたずらを仕掛けてきて、夕陽が迎撃する。

 お互い頬や耳に触れる程度のキスが心地よい。スイッチが入って雪崩れ込むこともあるが、ゆっくりとお互いの温もりに身体を預ける方が多かった。

「休み、終わっちゃうね……」

 夕陽が寂しそうにポツリと呟く。

「ああ。でもそろそろ空が恋しいだろ?」

 妻の美しいショートボブの黒髪を掻き分けながら、敏生が覗き込むように問い掛ける。

「ん……。でもこうして一日中、敏生とくっついていられるのもいいな、って」

 甘えるように夫の胸に頬ずりをする年下の恋女房に、夫の心臓は射抜かれっぱなしだ。

「どこまで可愛いんだよ、俺の嫁さんは」
「にゃん」

 敏生が抱きしめて頬ずりすると、夕陽が甘えて喉を鳴らす。普段は、無愛想で冷ややかな態度から「魔女」と揶揄されている彼女。

 その姿からは誰も想像しえないであろう、夫だけに見せる甘い雰囲気を纏った妻。

「ああもう。可愛いんだよ、マジで」
「えへへ。幸せ。長期航海だとそばにいるのに別居状態だもんね」
「こら、変な言い方しないの」

 海自では艦内恋愛ご法度の不文律があり、航海時は夫婦であっても殆ど一緒にいることができない。

 一ヶ月後には中東歴訪の長期航海が予定されているので、この正月休みは何処にも行かず、二人で濃密な時を過ごした。

「ねぇ、敏生……」
「ん?」

 夕陽が敏生の逞しい腕に指を這わせながら顔を上げる。

 こういう無意識な仕草のひとつひとつが夫を揺さぶっていることなど、恋愛経験が敏生だけの彼女には知る由もない。

 そんな彼女が爆弾を落した。

「子供、つくっちゃおうか?」
「……へ?」

 敏生にとってはメガトン級の爆弾。

 絡み合う視線。妻の潤んだ瞳がたまらなく色っぽい。

「ゆ、夕陽はパイロット続けなくていいのかよ? ウィズ・ウォリアーはどうすんだよ?」

 あれほどまでにタイトル獲得への強いこだわりを見せていた彼女の、まさかの心変わり。

「ん……続けたいけど……。でも敏生の子供が欲しいの、すごく。ダメ、ですか?」

 不安げな表情の夕陽に、敏生はノックアウト寸前だ。慌てて妻の両肩をがっちりと掴む。

「ば、ばっか! ダメなわけないじゃん! 俺だって欲しいよ、俺たちの子供!」
「ほんとう?」
「ああ! マジで!」
「嬉しい……。じゃ、頑張っちゃおうか」

 そう言うなり、するりとスウェットを脱ぎ、タンクトップ姿になる夕陽。

 豊かな二つの膨らみと見事に括れた腰、そして妻の妖艶な表情に敏生が生唾を飲み込む。

「え? い、いきなりっスか?」
「善は急げよ。イヤ?」
「俺の嫁さん、肉食系……。イヤじゃないっす、いただきまーす」

 敏生は夕陽の腰を抱き寄せ、唇を重ねるとソファに押し倒した。


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あとがき

 冒頭、怪しい男の謎の呟きから始まっての、バカップルによるイチャラブシーン。

 自分でも落差大きすぎだと思います、ハイ~♪ バカップルは、アホウドリとはちょっと異なる展開からの妊活開始ですね。はてさて、どうなることやら^^;

 さて、次回は9月1日(月)に掲載予定です。
 この物語のキーとなる、既に歴史上の人物となったあの御方が登場します。
 今後、どんな展開を迎えるのか、引き続きお付き合いいただけますとありがたいですm(_ _)m