雪の降る街で 第五章 「警報」 ①
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第五章 「警報」 ①
突如鳴り響いた聞き慣れぬサイレン音に、人々が一斉に足を止め、不安げに空を見上げた。
アポカリプティックサウンドと聞き紛う、不気味で不愉快な不協和音が織り成すそれは、否が応にも音の届く範囲にいる人々の不安と焦燥感、そして警戒心を駆り立てる。もっともそれがこの警報音の意図なのだ。
通称、Jアラート。正式名称は全国瞬時警報システム。
大規模災害や某国からのミサイル攻撃に備え、二〇〇四年より総務省が導入した全国規模の警戒警報だ。
実際に発生した地震を瞬時に伝える緊急地震速報とは異なり、Jアラートは事態発生を予測した段階で通信衛星を介して瞬時に地方自治体に情報を伝達すると共に、防災無線等を自動的に起動させ住民達に避難を呼び掛ける。
従って余程の確証が得られない限りこのシステムが作動することは無い。
やがて、「国民保護サイレン」と呼ばれる不快極まりない警報音が鳴り止むと、少しの間をおいてから男声によるアナウンスが始まったのだが―――
〝ゲリラ攻撃情報
ゲリラ攻撃情報
当地域に
ゲリラ攻撃の可能性があります
屋内に避難し
テレビ、ラジオをつけてください〟
ゆったりとした抑揚の無い声で、丁寧過ぎるほどに文節を区切ったアナウンス。
曇天に響き渡る薄気味悪い音声もさることながら、突拍子過ぎる内容に人々が一様に唖然とする。
状況の理解に努めようとした人々の大半は、やがてそれが誤報だと判断して折り合いをつけると、日常生活に戻っていった。
ゲリラ豪雨と誤解する人もいたが、この時期にあり得ないと思い直し、やはり誤報としてアナウンスの指示に従う者は誰一人いなかった。
無理もない。
至って平穏な平日の昼時。まして聞き慣れぬゲリラ攻撃という言葉。この平和な街角のどこにそのような危機が迫り来ているというのか?
人々が落ち着いた後も警報は繰り返し鳴らされたが、もう気にとめる者はいなかった。
すぐ近くで事態が静かに進行していることなど、誰も気づくこともなく。
*
その頃、東京・市ヶ谷にある防衛省の大会議室は天地を引っくり返したような大騒ぎになっていた。
怒号が飛び交い、職員達が慌ただしく行き来し、情報が行き交う。
そんな中、ダァン!! と机を激しく叩いた音に、部屋にいた者たちが一斉に振り返った。
「奴は一体どこにいるんだ!!」
一瞬にして静まり返る室内。
真っ赤な顔でギロリと職員達を一瞥する強面の男は防衛省情報本部長の藤川巌陸将。
陸上自衛隊で第十三旅団長や第二師団長を歴任したつわものだが、現在のポストは就任してまだ数カ月。これまで情報畑とは無縁だったため、今回も勝手が分からず苛立ちだけが募っていた。
「藤川陸将、怒っちゃいかん。情報戦は冷静であることが肝要だ」
「いや、しかし門真統幕長……」
制服組トップである門真英生統合幕僚長に窘められ、藤川が天を仰ぐ。
花形のイージス艦やヘリコプター搭載護衛艦の艦長を歴任し、清廉で高潔な人柄から、将兵達の信望を一身に集める彼には誰も頭が上がらなかった。
「彼のことは聞いているよ。頭脳明晰で冷静沈着。人望も厚く、陸自の未来を背負って立つと言われていたそうだね。君たちの言うような事態を引き起こす男とは思えないが」
門真の指摘に、岩見聡陸上幕僚長以下、陸自の高級幹部達が一様に押し黙る。
「何だい? 彼に何かあったのか?」
門真が訝しげに一同を見回す。
「おや、何も知らんのですか、統幕長殿は」
その声に振り向くと、部屋の入口に中肉中背の男が数名の配下を従えて立っていた。
トレンチコートのポケットに両手を突っ込み、小馬鹿にしたようにこちらを見ている男は、ヒューミントを生業とする情報機関・公安調査庁調査第一部長の宮本博。
「奴はここ二年ほど、十条の閑職に追いやられていたんですよ。ね? 岩見陸幕長殿?」
宮本はコートも脱がずにズカズカと室内に入ってくると、空いている席にドカッと腰を下ろした。岩見が不機嫌そうに顔を背ける。
「そうなのか? 補給統制本部でバリバリやっているものと思っていたが……」
海自出身の門真に陸自の人事仔細など知る由も無い。逡巡し、再び口を開きかけた時。
「ご到着されました!!」
一同が弾かれたように立ち上がり、直立不動の姿勢をとる。
少しの間を置いて、颯爽と入ってきたのは内閣総理大臣の久峨芳郎。
後に続くのは官房長官の永野健史、防衛大臣の宇垣晋太郎をはじめとする国家安全保障会議のメンバー、そして諮問機関である事態対処専門委員会の委員達。
敬礼で迎える職員達を久峨が両手で制する。
「いらんいらん、みんな忙しいんだ。気にせず引き続き仕事に専念しなさい」
門真は久峨達に歩み寄ると、頭を下げた。
「総理、大臣、この度はご迷惑をお掛けし誠に申し訳ございません」
「全くだ。今回の件はどう責任を取るおつもりか!? 門真統幕長!!」
久峨が口を開くよりも早く、噛みついてきたのは宮本。いつの間にかコートを脱ぎ、ふんぞり返るように座っている。
「やめんか。今、門真君のような優秀な男に辞められたら私も宇垣君も叶わんよ。それに何かが起こると決まった訳じゃないんだろう?」
「いいえ総理、事態は深刻です」
宮本はふてぶてしく立ち上がると、スクリーンの前に立った。そして一同を見渡すと頷き、照明を落とすよう配下に指示した。
「では早速始めますか。出してくれ」
プロジェクターが大スクリーンに一人の男を映し出す。映画俳優と見紛う端正なマスク。
「仲木戸賢治、四十一歳。階級は一等陸佐。防衛大学校、指揮幕僚課程を首席で卒業。第一空挺団や西部普通科連隊、対馬警備隊といった最精鋭部隊で部隊長を歴任し、三年前に異例の若さで陸幕防衛課長に就任した、陸自きってのエリートです。〝石原莞爾の再来〟と謳われ、市街地戦闘と離島防衛の作戦立案では彼の右に出る者はいません。以上のプロフィールに間違いないですね? 岩見陸幕長」
岩見は宮本と目を合わせず、頷いた。
「実に優秀な男じゃないか。そんな彼が何故?」
久峨が感嘆混じりに疑問を呈する。
「実は彼には我々が追いかけていたもう一つの顔がありました。次、送って」
映し出された写真に室内がざわめく。鉢巻をして、拳を振り上げ叫んでいる制服姿の男。
「そう、三島由紀夫です。これはここ、市ヶ谷のバルコニーで自衛官たちに決起を促している時の写真です。この後、彼は側近である森田必勝と共に、総監室で割腹自殺を遂げた」
当時、中学生だった門真も衝撃を受けたあの事件。
興味を抱いた彼は雑誌に掲載された三島の「檄」を貪るように読んだ。それは、「国」の在り方を考えるきっかけとなり、結果として彼はこの道を選ぶことになったのだ。
「事件の後、彼が主宰していた民兵組織〝楯の会〟は解散。高度経済成長、そしてオイルショックの喧騒を経て事件そのものも風化し、現代史の一コマとして記憶の片隅に追いやられ、世間からは完全に忘れ去られました」
もっとも忘れ去られたのは事件だけでは無い。
世論を二つに割った安保闘争の終焉と共に、この国の人々は国の在り方を考えることすら忘れてしまった。同盟国・米国の核の傘と強いドルの庇護の下で経済繁栄を謳歌し、平和は当たり前だと考えるようになった。
殆どの国民は憲法九条が平和を作っていると曲解し、長きに渡り自衛隊は余計なものとして冷遇されてきた。
門真の人生の大半は国民の無理解から来る、虚しさとの戦いだった。
その後の冷戦終結とバブル経済の崩壊、米国の影響力低下により混迷を極める世界秩序の中、自衛隊の相対的地位は飛躍的に上がりつつあるが、国民の多くは未だ国政には無関心。
彼らの大半は「何も変わらない」ことを言い訳に己を優先する。その意味では、強烈にこの国を愛した三島の死は、現代日本にとってターニングポイントだったのかもしれない。
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雪の降る街で 第一章 「鼓動」 ①|京
あとがき
章題通り、Jアラートから始まりました。
この物語を書き始めた2016年頃はJアラートなんて誰も知らなくて、何なのそれ?と言われないように丁寧な説明を入れていたのですが、その数年後にあの国からミサイルがバンバン飛んできて、あっという間に皆さんの知るところとなりましたね💧
ちなみにこの「ゲリラ攻撃情報」は実在します。未来永劫使用されないことを切に願います。
そして、満を持して登場しました、敏生パパと久峨首相。この二人、アホウドリではちょい役でしたが、今作ではバリバリ存在感を発揮します。
瑞々しい若者たちが躍動する雰囲気から一転、狭い会議室内で繰り広げられる熱いおじさん達の手に汗握る攻防💧
どうか離脱せずについてきていただけるとありがたいです。゚(゚´Д`゚)゚。
次回は9月16日(火)に掲載予定です。
敏生の親友で海自随一の頭脳、槙村和馬も本領を発揮し始めます。お楽しみに。
