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瞑想は快感?

瞑想上級者や
仏教やヨガの修行者は言う。
「瞑想は快感である」

本当だろうか?

私の答えはYES。

しかし、そう思えない人の気持ちも分かる。

なぜだろう?


普段我々が快感と呼ぶもの。

私たちが「快感」と聞いて思い浮かべるものを考えてみる。

サッカーでシュートを決める。
受験に合格する。
仕事で成功する。
美味しいステーキを食べる。
キャンプでBBQをしてワインを飲む。
性的な快感。

多くの人がイメージする、普段の快感は、
このような激しい快感ではないでしょうか。

激しい快感は、はっきりと気持ちが良い。
達成感もある。
充実感もある。
高揚感もある。

私も大好きだ。

しかし、
それらは激しく燃え上がり、
長くは続きません。

場合によっては一瞬で消えてしまいます。
喪失感すら残る場合があります。

そして、
その激しさ故に
繰り返し求めると
病気や依存、中毒になることもあります。


瞑想の快感は違う。

例えば、森に行く。

小鳥の声に耳を澄ます。
右から左へ飛んでいく小鳥に意識を向ける。

すると、普段は頭の中を埋め尽くしている
考え事が少し遠ざかる。

そして、呼吸を見つめる。
身体感覚を感じる。

そうして、
絶えず考え続ける頭、
不安、
焦り、
緊張、
そんなものから少し自由になる。

そのため、
私は解放の快感と呼びます。

激しさはない。静かだ。
しかし、その静けさは思いのほか深い。
そして長く続く。

何かをしなくていい。
何かを考えなくていい。
何かを証明しなくていい。
評価する必要もないし、評価されることもない。

ただ在ることを知る。
自分が存在するだけで満足する。

そんな状態。

これは快感なの?
そう思うかもしれない。


それは当然です。

瞑想の快感は
普段、我々が快感と呼んでいるものと、
全く質が異なるもの。

だから、瞑想の快感は、
快感として認識するのが難しいかもしれない。

普段の快感は
「何かを得る感覚」

瞑想の快感は
「何も足さなくても既に満たされている感覚」


では、瞑想の快感は、本当に快感なのか?

慌ただしい日常に戻るたびに気づく。

私たちは思っている以上に、
何かを求め、
何かを考え、
何かを証明しながら生きている。

だからこそ、
瞑想により、すべてから解放された静寂は、
私にとって快感なのです。

つまり、
瞑想は快感なのです。


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