応援しあえる素晴らしさ「創作大賞にレビュアー賞がある意味」➁【後編】
《連続2572日目》
「この一行が好き」
たった一言の感想に、はっとさせられることがある。
短いのに、その言葉には、書いた人の目が宿っている。どこに心を動かし、なぜ好きだと思ったのか。その人だけのまなざしが、確かに見えるのだ。
この人は、いったい、どんな作品を書くんだろう。自然とそう感じてしまう。
「創作大賞にレビュアー賞がある意味」
前編では、レビュアー賞という仕組みそのものの素晴らしさについて書いた。 その中で、いちばん伝えたかったのは、この一点だった。
読み手として一流の方は、書き手としても本当に魅力的な人ばかりなのだ。
ただ、書きながら…ずっと引っかかっていた。 言葉だけで終わらせては、意味がない。
「読み手として素晴らしい方は、書き手でも素晴らしい」 そう語るのなら、その方々の作品を自分の目で読み、自分の言葉で紹介するべきだろう。
感想を書くことは、立派なひとつの創作だ。前編でも、そう書いている。 ならば、その感想にこちらも感想を返したい。それもまた、ひとつの応援のカタチだと思う。
だからこの後編では、実際に心を動かしてくれたレビュアーの方を、ひとりずつ紹介していく。
取り上げるのは、その方の「感想」と「作品」の両方。 すぐれた読み手が、同時にすぐれた書き手でもあること。それを、作品そのもので確かめてもらえたら嬉しい。

J.Xplorerさん
最初に紹介したいのは、J.Xplorerさんだ。 私が書いた作品『スイカの種、夏のたより』に、感想を寄せてくださった。この感想がとんでもなく素敵だった。
➊ 創作大賞感想記事
J.Xplorerさんの感想は「まず、最初に謝らせてください」という一文から始まっている。作者とは違う解釈になるかもしれない。そう先に断ってから、慎重に筆を進めていく。その誠実さに、まず心をつかまれた。
そのうえで、言葉で説明するのは難しい、必要なのはスマホとスクロールする指だけだ、と言い切ってくれた。読んだ人がいて、はじめて完成する。そんなこの作品の狙いを、読み手として正面から受けとめてくれていた。作品の内側まで、深く潜ってくれた。それが本当に嬉しかった。
➋ 創作大賞応募作品『摩天楼に咲いたアストラル・パス』
J.Xplorerさんの作品は、追跡劇の疾走感で一気に引き込みながら、読み進めるほどに、これがアクションだけの物語ではないと分かってくる。
派手な立ち回りの隣に、カフェに流れる穏やかな時間が置かれている。その落差の付け方が、実に巧みだ。繁栄の裏で誰かを削り取っていないか。物語は、そう静かに問いかけてくる。娯楽の顔をして、芯には確かな問いがある。
感想であれほど作品の内側へ潜れる人が、自分の作品では、これだけの奥行きを組み上げる。読み手としての誠実さと、書き手としての力は、やはり地続きなのだと感じさせてくれた。
もつにこみさん
続いては、もつにこみさん。「平熱のエッセイスト」を名乗るクリエイター。以前の創作大賞で、一緒にベストレビュアー賞を獲った同士ともいえる存在だ。
➊ 創作大賞感想記事
もつにこみさんの感想は、妻の「それnote案件だね」という一言から始まる。論じる前に、まず生活の側から作品へ近づいていく。その距離の取り方がもつさんらしいというか…すごくいい。
みくまゆたんさんの長編を「恩返しみたいな作品」と、一言で射抜く。そして、物語のなかにnoteという実名を登場させた狙いまで、書き手の視点から丁寧に汲みとっていく。媚びではなく、時代に寄り添う描写なのだ、と。
読みながら、自分もまた書き続けたい一人として励まされている。その素直さが、もつにこみさんの感想の芯にある。論じるだけでなく、静かに応援しているのだ。
➋ 創作大賞応募作品
もつにこみさんの文章は、たしかに穏やかで、声を張らない。だが、その平熱の下に、確かな体温がある。
屋台での緊張も、毎食カレーが続いて思わず音を上げるところも、軽やかに笑いへ変えていく。かと思えば、道端の子どもや、夕空にはためく小さな凧の前では、ふと足を止めて見入ってしまう。旅の光と影を、どちらも同じ目線で受けとめている。
そして最後、思わず声が出るようなオチで着地する。誰かの作品に励まされる人は、自分の文章でも、こうしてそっと誰かの心をあたためている。
はそやmさん
次は、はそやmさん。創作大賞のベストレビュアー賞を、2023年から3年続けて受け取ってきたクリエイターだ。前編で書いた"読み手として一流"を、まさに地でいく方である。
➊ 創作大賞感想記事
はそやmさんの感想は、祖母がくれた「おとっとき」の思い出から静かに始まる。大切なものを、大切に扱う。その姿勢が、読み方そのものに表れている。
稿 累華さんの作品の芯を「不思議な力は万能じゃない。そこがいい」と、まっすぐに掴む。心が結ぶ、ほぐれる、もつれる。そんな言葉の手ざわりから、物語の主題へと橋を架けていく。児童文学は大人こそ読むべきだ、という持論にも、深くうなずいた。読み手として、これほど作品の奥まで潜れる人はそういない。
➋ 創作大賞応募作品
はそやmさんの作品は、タイトルからして目を引く。なにしろ、相手役は水槽のタニシなのだ。このファンタジーな設定、さすがすぎる。
その意外さに惹かれて読み始めると、どんどん引き込まれてしまう。人の悪意に敏感で、殻に閉じこもって生きてきた主人公が、小さなタニシとの会話で少しずつほどけていく。その過程が、丁寧で、あたたかい。
くすりと笑える場面は、しっかり笑える。なのに根っこにあるのは、生きづらさは心の持ちようで変わる、という静かな肯定だ。楽しく読ませながら、ちゃんと心に寄り添っている。感想で見せたあの優しさが、そのまま物語になっていた。
野やぎさん
続いては、野やぎさん。創作大賞やnoteの作品を読み続けている「読んで応援」の体現者だ。
➊ 創作大賞感想記事
野やぎさんが今年読んだ数は、なんと300作。まず、その物量に圧倒される。
だが、圧倒されるのは数だけではない。noteの海に埋もれてしまったかもしれない応募作を、自分から探しに行くことだ。Xでいいねをくれた人の作品を、一つずつ訪ねていく。そして、短くても確かに体温のある言葉を、必ず添える。
「読まれにくいなら、読んだれぃ」その精神で、たった一人でお祭りを始めてしまう。応募要項をちゃんと読み込んで、と何度も呼びかける親身さもいい。前編で書いた"応援のバトンを回す人"が、まさに目の前にいた。
➋ 創作大賞応募作品
野やぎさんの作品は、あの賑やかな感想まとめと同じ人が書いたとは思えないほど、静かだ。
庭で育てるポップコーンの話と、岩手へ向かう旅の話が、交互に進んでいく。畑にまいたスイカの種、地図に残したままのピン。何気ない描写が、少しずつ胸に積もっていく。
そして終盤、タイトルの意味が分かる瞬間に、こらえていた感情が一気に弾ける。会えなくなった大切な人への、祈りのような一編だ。それでも最後は「いただきまーす」と、また前を向く。読んで応援を誰より続けてきた人の、読み手をまっすぐ信じきった作品だと思う。
福島太郎さん
そして、福島太郎さん。
noteやTALESで創作を続け、創作大賞2025では中間選考を通過。いつも誰かを応援している。そして最後にご自身を宣伝するところまでも含めて、多くの人から愛されているクリエイターだ。
➊ 創作大賞感想記事
福島太郎さんが書くのは、読み終えてから、そっとその作品の世界が広がっていくような文章だ。
さわきゆりさんの作品を「柔らかなファンタジー」と思って読み進め、応募部門がお仕事小説だと知ってニンマリする。その遊び心のある入り方がいい。そこから、光を浴びる人と、その影について静かに考えていく。まばゆい光だけでなく、影にも寄り添えるか。作品の主題を、自分の言葉でまっすぐ受けとめている。
読後感を「雨上がりのお日様のような光」と記す筆致も美しい。読み終えたら和菓子を買って帰ります、という締めのユーモアと余韻まで人柄がにじみ出てくるようで好きだ。
➋ 創作大賞応募作品
福島太郎さんの作品は、「妖精美術館」という夢のあるタイトル。
舞台は、雪深い町役場だ。
事業を押しつけ合う課長たち、本音と建前のあいだで揺れる主人公。その心の中のつぶやきが皮肉に効いていて、ふっと笑ってしまう。かと思えば、煙草をくゆらせる上司が、実は陰で部下をかばっていたと分かる。お役所の生々しさの奥に、確かな人の温もりがあるのだ。
生まれ育った町の役に立ちたい。その願いが、物語の底に静かに流れている。誰かの幸せを祈るように感想を書く人は、自分の物語でも、人の営みをこんなに温かく見つめていた。手元に残しておきたい作品だ。
えむのマイトンさん
続いては、えむのマイトンさん。「読むサプリ」を看板に掲げ、noteの路地裏で遊び続けている書き手だ。
➊ 創作大賞感想記事
えむのマイトンさんの感想は、まず、相手への深い信頼から始まる。ふだんは、あの人のこういう話が読みたい、と正直に伝えられる間柄。そのうえで、今回のエッセイは違った、と書く。
大塚ぐみさんの作品では、完璧な母親像ではなく、等身大の姿が描かれている。それでいて優しく温かい。作品のいちばん柔らかい芯を、そっと指さしている。褒めるために読むのではなく、読んで心が動いたから書く。その順番が、まっすぐで気持ちいい。マイトンさんの書く文章ならではの読後感なんだろうな。
➋ 創作大賞応募作品
えむのマイトンさんの作品は、「ティッシュに字を書く」という、どこまでも無意味な遊びの記録だ。
ばかばかしい。でも、読むうちに引き込まれる。一人の思いつきが、仲間の手を借りて、いつしか大きな渦になっていく。誰かが拾い、誰かが広め、逃げていた本人がついに覚悟を決める。その過程が、驚くほど熱い。
無意味を全力で面白がる。その先に、人と人がつながっていく。強いから応援するのではなく、面白がるから集まってしまう。これはまさに、応援の渦の物語だった。読む前と後で、ティッシュの見え方が少し変わってしまった!
空原ゆにさん
そして、空原ゆにさん。
「エッセイを書いて生きる文筆家」を名乗る、暮らしの書き手だ。
➊ 創作大賞感想記事
空原ゆにさんの感想は、冬飼 陸さんの作品に自分の実感を惜しみなく重ねていくところがいい。
グルメ好きの自分ならなかなか書けないこと。上司に怒られながら食べた昼食は本当に味がしなかった。そんなふうに、作品の中の感覚を、自分の記憶で確かめていく。だから読んでいて、物語のもどかしさが手ざわりとして伝わってくる。脇役の存在を「作中のスパイス」と言い表す、言葉選びのセンスも楽しい。頭で分析するのではなく、体で味わう、それを咀嚼しながら伝える。そういう読み手だと思う。
➋ 創作大賞応募作品
空原ゆにさんの作品は、梅シロップと赤紫蘇ジュースを仕込む、その週末の話だ。写真もいっぱいあって、ぐんぐん読み進められる。
読むと不思議と心が弾む。赤黒い煮汁にクエン酸を落とし、鮮やかな色へ変わる瞬間を「私は今、キッチンを司る魔女だ」と書く。この一行で、台所がぱっと魔法の場所になる。氷砂糖を食べたいとだけ言う子どもに、成長の寂しさをふとにじませる筆も優しい。
家族の「美味しい」のために、何度でも魔女になる。暮らしのささやかな瞬間を、こんなにも愛おしく切り抜けるのは才能なんだろうなあ。
みくまゆたんさん
続いては、みくまゆたんさん。書くことでどんどんご自身の世界を広げていく。その姿をお手本にされている人も多いはず。
➊ 創作大賞感想記事
みくまゆたんさんの感想は、感想文でありながら、ひとつの物語としても読める。感想の中にもセンスが溢れている。
創作大賞で出会った人たちとの縁を、愛をこめて書いていく。作品への気持ちを熱く語りすぎて、あとから自分の軽薄さに赤面する。その正直な自虐に、思わず笑ってしまう。
そのうえで、大塚ぐみさんのエッセイを「言葉を選び、温度を測り、相手の心にどう届くかを考えている」と評す。その読みの解像度が高い。人との縁は、ひとさじの勇気から生まれる。そう書くみくまゆたんさん自身が、勇気を出して声をかけ続けてきた人なのだと伝わってくる。
➋ 創作大賞応募作品
みくまゆたんさんの作品は、10万字を超える群像劇だ。
主人公は、エッセイストに憧れる、工場で検品の仕事をする青年。書けない焦り、才能への嫉妬、そして大切な人の喪失。その果てに彼は、震えながら願い出る。僕に、エッセイを書かせてください、と。
なぜ人は書くのか。誰かのために言葉を残すとは、どういうことか。AI時代に問われるその問いが、静かに、そして熱く描かれていく。書くことでつながる喜びを知る人が、書くことそのものを物語にしていた。
noteクリエイターみんなに勇気をくれる作品だろう。
みねのもみぢばさん
みねのもみぢばさん。創作大賞2024で激戦のオールカテゴリ部門の中で、note賞を受賞したガラスペン研究家としても有名なクリエイターだ。
➊ 創作大賞感想記事
みねのもみぢばさんは、感想文を書くことそのもので、作品を応援している方だ。
感想を書かれたのは、未来へ手紙を出す旅さんのある市場の「最後の一日」を記録した連作。みねのもみぢばさんは、その感想で「鮮やか」という言葉を書こうとして、ふと手を止める。最後の一日なのに、そこにある営みは、いつもの日常とほとんど変わらない。だから、この言葉は相応しくない、と。
言葉ひとつを、これほど注意深く選ぶ。作品への敬意が、その慎重さに表れている。読むとは、こんなにも丁寧な行為なのだと教わる。あのガラスペンの繊細さがここにもつながってくるだ。
➋ 創作大賞応募作品
みねのもみぢばさんの作品は、ガラスペンへの、とてつもない偏愛の記録だ。
なにしろ、集めた本数は280本。しかも自慢するのは高価な一点物ではなく、変わった線が書ける「特殊ニブ」の数々だという。その一本一本を、みねのもみぢばさんは分類し、図に整理し、系統に名前まで付けていく。好きが高じて、いつしか一人の研究者になっている。
「身代を潰しかけながら」「字はド下手」と自らを笑いに変える軽さもいい。何かを心から好きになり、とことん突き詰める。その姿そのものが、読んでいて気持ちいい。好きだから、ここまでやる。応援の原点が、ここにもあった。
アルロンさん
そして、アルロンさん。エッセイ部門で中間選考を通過し、ベストレビュアー賞を2年続けて受け取ってきたクリエイターだ。
➊ 創作大賞感想記事
アルロンさんは、「もりあげ広場」という企画で応募作を募り、集まった作品に感想を書いている方だ。読んで応援を、自分から仕組みにしてしまう人である。
この回で取り上げたのは、3つの作品。春菊さんのおにぎりのエッセイでは、母と娘の言外の絆を掬い取る。平良誠さんの沖縄をめぐる一編では、迷彩柄の帽子という小さな道具に潜む痛みを見逃さない。短い言葉で、作品のいちばん奥を的確に指さしていく。やきいもさんの作品を、野やぎさんの連作になぞらえて紹介する目配りもいい。読み手同士を、そっとつなげようとしている。
➋ 創作大賞応募作品
アルロンさんの作品は、その描写がそのまま目に浮かぶようなリアリティを感じさせる。
主人公は、自分なんていてもいなくても変わらない、と思っている役場の青年。飲み会では気づけば店員役、窓口ではうまく立ち回れない。まぶしい人を「太陽のよう」と見上げては、影のような自分にうつむいてしまう。
読み進めるほど、その控えめな眼差しの奥に、確かな優しさと誠実さが見えてくる。感想であれほど作品の奥を見つめる人が、自分の物語では、細やかに心の動きを丁寧に照らしていた。この幅の広さが魅力なのだと思う。
「よい読み手は、よい書き手だった」
ここまで、心を動かしてくれたレビュアーの方を、ひとりずつ紹介してきた。紹介し終えて、あらためて思う。
前編で書いた、あの一行のことを。
読み手として一流の方は、書き手としても本当に魅力的な人ばかりなのだ。
今日のこの記事で、これを証明できた気がする。
感想で作品の奥まで潜れる人は、自分の作品でも、こんなにも深く世界を組み上げていた。誰かの痛みにそっと心を痛められる人は、物語の中でも、人の心の機微を丁寧に照らしていた。読むことと書くことは、やっぱり地続きだったのだ。
この記事で大切にしたかったのは、創作大賞という大きなコンテストを支え、盛り上げているのは、そういった人だということ。
そして、そのようなクリエイターを素直に応援したかったからだ。
どんな目で作品を読み、どこに心を動かし、どう言葉にするのか。ひとりひとりの読み手の姿を、ちゃんと伝えたかったからだ。
今回の記事を書いている中で、こんな場面にも何度も出会った。紹介したある方の感想が、これまた紹介した別の方の作品に宛てられていた、ということ。それは、小さな偶然と驚き。創作大賞を通じてできた応援のバトンが、どんどんまわっているということなのだろう。
読んだ人が感想を書き、書いた人がまた別の誰かの作品を読む。前編で書いた「温かさの循環」は、こうして緩やかに続いていく。
その奥底にあるのは人の感情。
凄いから応援するのではない。好きだから応援したいのだ。AIが席巻する時代において、この好きという感情のつながりはとても大切なものだと思う。
正直に言うと、まだまだ書き足りない。 本当は、もっともっと、他のクリエイターの感想も読みたい。その感想をもっと書きたい。
創作大賞の読者応援期間も、あと少し。
ギリギリまで全力で楽しんでいこうっ~と。

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