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インドに変えられたのは、人生観だけじゃなかった

人生観だけじゃなく、変わっていたものがあった━━

2023年4月に中国の人口を抜き、世界1位。推計14億3,000万人という途方もない数の人々が暮らしている、その国の名前はインド。

「インドに行けば、人生観が変わる」というキャッチフレーズが浸透し、異国情緒あふれるインドは、旅人たちが憧れる目的地として一目置かれるようになった。

僕も、いつか機会があったら行ってみたい、そんなふうに憧れていたひとりだった。「人生観が変わる」という言葉の意味だって知りたかった。

数年の間に、ひとり旅でいくつもの国へ旅行したのち、憧れていたその国への旅を決行したのは、いまから12年ほど前だ。

機内はほんのりカレーの香り

フライトは、レストラン並みに美味しい機内食が評判の「エア・インディア」を選んだ。日系の航空会社なら言葉は心配ないが、僕が優先したのは食だった。

この一皿から、毎日カレーの呪縛が始まっていたなんて…

評判通り、とても美味しい機内食カレーが出た。日本のカレーとは一味違う本場のカレーに、こんなに美味しいのか!と震えた。毎日食べてもいい、そんなふうに思ってしまうほどに。

新鮮なサラダ、しっかり甘いデザート、美味しい食事でお腹も心も満たされた。

いい旅が始まる予感が止まらない。


ニューデリーの朝は、「忍者ハットリくん」と

初日に滞在した「ニューデリー」はどこに行っても、人、人、人。通りを歩く人たちの雑踏、座り込んで話す人の笑い声、切れ目なく走る車から出る排気ガスの匂いと、そこここで鳴らされるクラクション、通りに並ぶネオンの看板…“喧騒”という言葉が相応しい雰囲気だった。僕は、夜に着いたため、チェックイン後はホテルから出ることなく眠りについた。

翌日の早朝、街を眺めたくなって屋上に向かうため部屋を出ると、廊下で、さらにはその先の屋上でも、床や椅子に寝転び、スースーと寝息を立てている人たちがいた。

従業員にしては、多すぎる。

昨夜、通りには人が溢れていたし、とても暑かった。でも、野宿するなら別の場所を選んで欲しかった、というのが本音だ。足音を忍ばせて部屋に戻り、しっかり施錠して、ベッドに横になったものの、緊張感からか目が冴えて眠れない。仕方なく、テレビを点けると、ニンニン!と懐かしい声が聴こえてきた。インドの片隅で「忍者ハットリくん」と再会した。

雑踏に佇む屋台

ツアーの迎えを待つあいだ、ホテル前の通りに出ていた屋台で朝食を摂る。宿泊プランは朝食付きだったけれど、そのことをフロントに確認するのは不安でもあった。前夜、チェックインした途端にフロントの近くにいた人から声をかけられ、勝手に観光プランを提案され、施設やタクシーの予約をさせられそうになっていた。

写真を見ると、屋台もなかなか緊張感ある佇まいだ。…当時は、冷静さを欠いていたのだろう。おなか壊さなくてよかった。

インドでは英語が通じるものの、発音のクセが強く”R”が巻き舌になっている人が多かった。例えば”写真”の英語”ピクチャー”は、”ピクチャル”と聞こえてくるように。

屋台のお茶は薄く、いわゆる”チャイ”かどうか確認したくて、店主に尋ねると「モラ?」と聞き返された。

それは、巻き舌発音のmore?(もっと?)だった。ただでさえ言い値で不信感があるのに、おかわりなんていらん!とムッとして「ノ!」と首を振った。

記念すべきインドでの初めての朝食は、排気ガスとクラクションの喧騒の中、3分たらずで終了した。


旅程の前半はツアーを予約し、定番の観光地である”ゴールデントライアングル”と呼ばれる地域を回った。世界遺産や観光スポットが多いインド北部の都市、ジャイプール・アグラ・デリーを結ぶと三角形になることから、そう呼ばれているらしい。

ガイド付きで回る3日間のツアーは、ピークを外して予約したことが奏功し、客は僕ひとりだった。


王様の趣味、カワイイじゃん

「ジャイプール」は、別名ピンクシティと呼ばれている。統治していた王様の趣味で、街中が濃い目のピンクで染められていた。街の入口では、“風の宮殿”と呼ばれている建物が迎えてくれた。

パステルカラーのピンクを思い浮かべていたが、オレンジ色に近いピンクだ。節度のある王様でヨカッタ…となぜかホッとしてしまう。

風の宮殿
テキスタイルおじさん

夕方、ホテルに向かう車中、ガイドさんから「占い興味ある?ハンドの占い、やってみる?」と聞かれた。ハンドの占い…それはきっと手相占い。

占いと称して宝石や謎のお守りを買わされたりするのではないかと緊張が走った。しかし、「死ぬ以外は笑い話」ということで、日本円を握り締め、ホテルのロビーで占い師と会った。

どことなく友人に似ていた占い師は、僕の手を広げ、じっくりと見たあと、ボールペンを取り出し、躊躇なく僕の手の平に書き込み始めた。うわ、くすぐったい。何か印をつけては、うーんと唸ってみたり、ボソボソっと説明してくれたり。

ボールペンが容赦なく僕の手を汚した

彼の占いは、行動を促すものではなく「あなたは◯◯のようです」みたいな性格診断的な内容だった。何を言われたのかほとんど覚えていない。ただ、エメラルドを身に付けよ、と言われたときだけはドキリとさせられた。

後から知ったことだけれど、実はジャイプールはエメラルドの加工業が世界的に盛んな街らしい。怪しげな予言に見せかけて、しっかり営業されていたようだ。

翌朝、街なかにあるラッシー屋台へ。インドで一番美味しいと言われているそのラッシーは、素焼きのコップで提供される。飲み終えたコップはその場に叩きつけて割り捨てるのが作法。簡素だけれど、模様があってセンスのある容器だった…捨てるのもったいなかったなぁ。

カレーだけじゃなく、ラッシーも毎日飲んだ

世界遺産であるアンベール城には、象のタクシーが並んでいた。以前、別の国でも乗ったことがあった象タクシー、とても揺れる。

象の背中で揺さぶられながら撮った象使いの背中は、お気に入りの写真だ。

城の道をゆっくりと登っていく
象の待機場所

かつての王の城はとても広く、庭園があったり、おびただしい数の鏡で装飾された“鏡の間”も目を瞠る空間だった。しかし、ピンクシティの真骨頂ともいうべき部屋が、この城にはあった。

王の趣味が爆発した現場

これが城の中枢とされる部屋だ。入った瞬間、かわいい!と声を弾ませてしまったけれど、隣にいるのはガイドのおじさん。急に恥ずかしくなる。美しさや美味しさ、驚きをすぐに分かち合えないこと、これはひとり旅をしたことがある人なら一度は味わったことのある、独特の寂しさでもある。

靴を選んでくれと言ったのに、ずっとカメラを見ていた店主

街なかの靴屋さんで、ラクダ皮のサンダルを購入。夏が来ると、いまも履いて、インドの感触を思い出している。革がとても丈夫で履きやすいので、インドに行ったら、ぜひラクダ皮のサンダルを買い求めて欲しい。

さすがに手で食べることは一度もなかった

ツアー中のランチ。ナンやカレー、漬物は日本でも食べたことがあった。しかし、ピンポン球のようなドーナツが蜜漬けされた、頭痛がしそうなくらい甘いデザートは初めてだった。インドの人は、甘いものも好きらしい。


タージ・マハルって白だけじゃないねん

続いて、「アグラ」の街へ。インドといえば、真っ白なタージ・マハルを思い浮かべる人も多いはず。算数の教科書に「対称」という単元の写真がこれだった。

赤い石で造られた門をくぐると、真っ白な建物が目に飛び込んできた。

右の木が無ければなぁ、もっとこうイメージ通りだったんだけどなぁ

とても大きいことに、まず驚く。白い大理石で作られたその美しさは写真では撮りきれないし、なぜか手が震えていた。さらに、近づいていくと、その造形は僕の想像をはるかに超えていた。

画面の中の人と比べてみると、その大きさがわかる

白一色ではない壁面は、赤と緑の大理石が装飾に使われていた。床面も大理石なので、強い日差しの下でも冷たくて快適だった。

見上げる首が痛い

僕は、タージ・マハルは上から見たら長方形になっていると思っていた。

しかし、違った。ほぼ完全な正方形だった。

どの面も外観は全く同じ。上の写真は、正方形の右上の角に当たる部分から撮った建物の姿である。

見事なシンメトリー。さすが数学の国である。

タージは「王冠」、マハルは「宮殿」(ともにペルシア語)らしいが、実際の目的は王妃の墓とのこと。愛妻家の王による、最大級の愛情表現である。美しい佇まいがもしまた観られるなら、夕焼けも映えそうだ。

最近ではセキュリティーの強化により、カメラの持ち込みもできないのだとか。ますます、行ける時に行くことの価値を感じてしまう。


眠っている英雄と、英雄になれない僕

ゴールデントライアングルの最後の都市は「デリー」。その街には、インドの英雄”ガンジー”の墓があった。向かった先にあったのは、とてもシンプルな墓所だった。

タージ・マハルに比べ、めっちゃ質素…!と驚きつつも、彼の意思と行動があったからこそ今のインドがあるのだと、ガイドさんが熱弁する姿を目の当たりにして、彼の功績を改めて思う。彼がいなければ、僕もここに来られなかっただろう。

ガンジーが眠る
赤と白の組み合わせが美しいフマユーン廟は、タージ・マハルより前に建てられた。


道中、信号待ちなどで車が停まると、窓をコツコツと叩かれることがあった。見ると、小さな子どもたちが手を差し出している。物乞いだった。小さな子どもの物乞いは、ほかの国でも出会ったことがあるけれど、いつだって心がザワザワして馴れることはない。

子どもたちは、ニコニコ作り笑いをしているが、目がギラギラしている。ちょっとでもお金を出してしまったら、どこからか手も声も湧いてくる。それは別の国で経験したことがあった。

純粋に同情する気持ちだけではなく、まとわりついてくる子どもたちから離れたいという面倒臭さや、旅行者である優越感もあったと思う。何もできない自分にも嫌気がさして、お金を手渡してしまった苦い記憶があった。

道端には、子どもだけでなく、大人の物乞いもいた。「日本とは違う」と、言葉にすればそれだけかもしれないが、同じ時間を生きている人間として、あまりにも差のある姿に愕然とする光景だった。目を逸らして、キラキラした観光の部分だけを消費する観光客にはなりたくないと思いつつ、なす術が思いつかない。

小さな目がこちらを向くたびに、子どもたちには幸せになってほしいと願わずにいられなかったし、日本で生まれたことの幸運を噛み締める瞬間が、毎日のようにあった。楽しい観光だけではない、光と影をインドは突きつけてきた。


ツアーはここで終了。ガイドさんたちとお別れし、本当のひとり旅の始まり。インドといえばガンジス川、そのほとりの街に向かった。

日本で買った扇子をプレゼント。運転手さんのは北斎だったはず…


聖なる川は、ゆるやかに濁って

ニューデリーから国内線のLCC、スパイスジェットで「バラナシ」へ飛んだ。出発時、搭乗客を待って1時間遅延、到着時は機体不良で前扉が開かず、後ろの扉から降りるなど、スパイスが効いたフライトだった。

とにかく飛んでくれてよかった

空港からほどなくして、ガンジス川沿いのホテルに到着。荷物を置いて、カメラと共に散歩へ。まずは川のそばを歩いていたら、この風景に出会った。

祈る男性

一人の男性が、祈りを捧げている。

奥に見えるのは、水面を漂う小舟だ。人がたくさん乗っているように見える。

夕方だった。まとわりつく空気はむっとして、蒸し暑かった。なんとなく物寂しい雰囲気と、喜怒哀楽をすべて呑み込んだように、ゆったりと流れていく広大なガンジス川に圧倒され、立ち尽くしてしまった。

あぁ僕は今、インドにいる。

小舟では「葬い」が行われていたのかもしれない。よく見ると、船の上でみんな立ちあがっているようにも思えた。

聖なる川と呼ばれるガンジス川、そこでは日々の沐浴をするだけでなく、火葬された死者が流されていると聞いたことがあった。


このときはまだ気がついていなかった

ホテルの窓から顔を出してみると、川に沿って立ち並ぶ建物が見えた。チェックインの時、フロントの人から告げられたのは「窓は開けないでね!」ということだった。こんなに蒸し暑いのに、なぜ?と思って見回すと、すぐそばで視線がぶつかった。

人間ではないものと。

猿が、いた。

目つきが悪い、怖すぎる…。

猿は、部屋に入って荷物を物色するらしく、虎視眈々と狙っていたらしい。

夜、ガートと呼ばれる岸辺のあちこちで行われる祈りの儀式(アルティ)は圧巻だった。輪の中心の男たちは、ファイヤーダンスのように、火を振り回している。音楽が賑やかに鳴り、歓声が響く。とても衝撃的な夜だった。

もはやショー
やはりショー

祈りが終わると、そこにいたみんなが立ち上がり、クルクルと回った。きっと意味があるはずだが、通りすがりの旅人には不思議な光景だった。

子どもたちは観光客に興味津々だ

突然、後ろから肩を叩かれ、写真撮って!と言われ、何枚か子どもたちを撮った。写真に撮られるのは好きなようで、カメラを見ている目が穏やかで、人懐こさが溢れている。みんな元気かな。


臆病な沐浴と、決死の2ケツ

翌朝、日の出を見るためにサンライズクルーズに出かけた…ものの、早朝からフロントの係員を叩き起こすように呼び出し、なんとかボートを出してもらった。

日の出直後の街並み

朝日が街を照らしていく。ボートからみる街並みがあまりにも美しく、ついつい見入ってしまう。静かな川面に光が差し、建物の陰影がより濃くなって、さまざまな色が見えてくる。

川沿いに並ぶ建物は、都市部のような整然とした美しさはない。しかし、徐々に増える光が、命の始まりを告げているようで、この”ツギハギ”のような街並みに、いくつもの命があることを見せてくれるようだった。

その反面、ボート乗りへのチップがかなりかさむのではないかという、しょうもない気持ちが湧いてきて、心の中はガンジス川のような穏やかさは消えていた。

岸が人で埋まっている

昨晩お祈りをしていた場所では、朝日を浴びながら沐浴をしようと、大勢の人が集まっていた。観光客らしい姿もあり、日本人学生らしき2人がパンツ一枚で、真っ白な肌を晒していた。

その姿に影響されて、不意にガンジス川に飛び込…むことはせず、船を降りたあと川に入ることにした。せっかく来たのに、入らないのは勿体ない!などと意気込んでいたけれど、濁った水で、近くに火葬場があるなどと聞くと、かなり怖くなってしまい、膝下だけ沐浴することに決めた。

濁っているので足元がおぼつかないし、川に入ったあとお腹を下したとか、肌がボロボロになったとか怖い話を聞いていたので、かなり迷う。でも、この機会を逃すともう入れないと思い、意を決して岸辺の階段を下る。

ゆっくりと足を川面へ。チャプンと水音がした。感覚が研ぎ澄まされた足の裏は、砂のようなものに触っている感覚はあって、生き物や水草のような存在は感じ取れなかった。

水はとてもぬるく、匂いはなかった。流れを感じられるほど速くないこともあり、目線が少しだけ低くなって水面に近くなると、周囲の音がだんだんと遠くなって、とても穏やかな気持ちになったのを思い出す。

川に流す花、水を持ち帰るための壺を売る店

岸からホテルに戻る途中、座っていたおじさんに声をかけられた。顔をこっちに近づけろというジェスチャーをしたので、顔を向けると指で僕の額に粉を塗った。突然のことで戸惑っていたら、おじさんが「バクシーシ!」と呟くので、僕はムッとして額の粉を慌てて拭って立ち去った。

「バクシーシ」とは、喜捨(施し)のこと。チップと言わずに、バクシーシと言っていることが多いと知っていたけれど、やはり衝撃だった。頼んでない!No thank you !

部屋に戻り、慌てて足と顔を洗った。その後、痒みもなく、皮膚が剥けることもなく、無事に初沐浴を終えられた。ありがとう、ガンジス川。

バラナシの街では、牛ともすれ違う

バラナシの近くにある「サルナート」という街にも行った。迎えに来たのはバイクで、ヘルメットも渡されず、僕は大きなバックパックを背負っていたこともあり、落ちたら死ぬかもな…と、必死だった。

人がほとんどいない

サルナートは、ブッダが初めて説法をした場所、いわばデビューライブ会場だ。寺院の中には、日本人画家による壁画もあった。生誕から入滅(死亡)まで描かれていたが、観光客どころかガイドも誰もおらず、具体的な内容はわからなかった。

しかも、屋外は遊園地のような施設もあり、ひとり旅でわりとよくある「この感情をどこに持っていけばいいのかわからない状態」になった。

日本人画家の壁画

タクシーの運転手と喧嘩をするように値段交渉を繰り返しながら、命からがらバラナシに戻った。ため息まじりに街を散歩していると、家々の屋上から、黒くて細い線がいくつも空に向かって伸びているのが見えた。

雨かと思って緊張したが、それは糸だった。

糸の先まで視線を上げて、驚いて息を呑んだ。

それは、たくさんの小さな凧だった。

黒い小さな菱形の布が、いくつも空に揚がっていた。

風が出てきた夕方、子どもたちが遊んでいた。お祭りでもお祝いでもない、バラナシの日常だった。夕暮れに向かうぼんやりとした空に、静かにはためく多くの小さな凧、その光景はきっとずっと昔から変わらないのだろう。

僕と同じように、それぞれの家の屋上や岸辺から、子どもたちが見上げていたのかもしれない。思わず泣きそうになる、そんな景色だった。


健やかであって欲しいと願う

散歩中、視線を感じてそちらを向くと男の子がいた。肌の色が違う男が、カメラを下げていたのが気になったのかも知れない。カメラを向けると、パッと顔をほころばせた。

カメラを向けると思いのほか笑顔になってくれる人が多く、ファインダーを覗くたびに、とても幸せだった。

赤いシャツが似合う

朝ごはんに立ち寄ったカフェにいたイケメン。彼は、店員でもないし、お客でもない。いったい何者なのか不安だったが「日本語を勉強している大学生で、いつか日本に行きたい」と”英語で”話していた。名前を聞いたが、忘れてしまった。

ポテサラさえもカレー味

朝ごはんは、どこでもたいていこんな感じで、揚げた薄いパン(プーリー)と、もれなくカレー味のおかずとチャイ。ほとんどのチャイは味が薄かった。

フルーツの屋台
石像屋

バラナシでは、日本人が好きだというインドの若者に何度も絡まれていた。騙されるのでは…と感じるたびに「ごめんね」といって彼らから離れるものの、数分後に別の場所で再会しては、また絡まれていた。

ひとり旅って常に緊張感があるものだけれど、特にインドは良くも悪くも、緊張の連続だった。その分、景色だとか食事だとか素晴らしいものに出会えた時に、感動の幅が大きくなるような気もする。

冗談ではなく毎食カレー(カレー味のおかず含む)を食べていたので、いいかげん飽きてきてもいた。カレーって美味しいから毎日でもイケる!なんて言っていたのはどこの誰だったか。

インドの凱旋門


マハラジャ・マックは救いの神か

旅の終盤は、スパイスジェット(インドのLCC)で、バラナシからニューデリーに戻った。ニューデリーは首都、なんでもある。

いよいよインドでの最後の夕食。さすがにカレー味にも飽きてしまったので、なにか違うものを食べたい…と思い、調べてみると、近くのショッピングセンターにマクドナルドのマークを発見した。

これこれ!と嬉しくなった。

塩味のポテトを齧り、ケチャップ味のハンバーガーを頬張る姿を想像しながら、スキップしそうなくらいフワフワと勇んでお店に向かった。

あぁ、これでようやくカレーから解放される。

店には、いわゆるご当地マック的な特徴的なハンバーガーが多くあった。それもそのはず、インドでは牛を食べないので牛肉を使ったハンバーガーが無い。

ビッグマックのような、何層にもなった分厚いハンバーガーの写真があり、maharajah-macの文字が…マハラジャ…これは気になる。

せっかくのインド、一番大きなハンバーガーを頼もうではないか、とマハラジャ気分でオーダー。トレイには、マハラジャ…ならぬ大きなハンバーガーが鎮座していた。

マックが恋しくなるとは…

日本でも数回しか食べたことのない、僕にとって”ご馳走”のビッグマック。想像すればするほどにマハラジャ・マックへの期待が高まる。テンションが上がっていたのか、冷たい飲み物を添えていた。インドに限らず、海外旅行での冷たい飲み物は、ペットボトルが安全なので、ぜひ覚えて帰って欲しい。

機内食のカレーに感激し、本場のカレーやナンを食べ続け、夜はタンドリーチキンをいくつもお腹に収め、時々ラッシーで喉を癒やし、毎日毎日カレーを食べ続けていた。

いくら本場とはいえ連日のカレー、さすがに飽きてしまった僕の舌は、ハンバーガーの、ケチャップやマスタードを切実に求めていた。

まずはポテトで準備運動。うん、いい塩味!

マハラジャ・マックを掴み、ゆっくりと口に近づけると、鼻腔をくすぐるのは、肉の焼けた匂いと、油とチーズが混ざったような魅惑的なあの香りだった。

小さな声で、いただきます、と呟いて、その瞬間のために目を閉じる僕。

ガブっと、ひと口頬張って…パッと開いたのは目だった。冷静な僕が、頭の中で残念そうに告げる。

あぁ、ここはインドだったんだ。

ケチャップや、マスタード、ピクルスなどの香りが絡み合った、あの味…ではなく、ついさっきも食べた「カレー味」が口中に広がっていく。紛れもない、インドの味、マハラジャの味、である。

ぐぬぬ…マハラジャ恐るべし。ひとり、店内で笑いながら泣いた。マクドナルドに行けばカレーから逃れられるだろうと考えた、あさはかな発想を恥じた。ごめんよ、インド。

タクシーの車窓から


黄昏の向こうに、新しい僕がいた

帰国便のフライトに向けて、空港に移動する道のり。薄い緊張感を抱えつつも、なんとか無事に帰れそうだという安堵を感じながら、数日間の体験をあらめて反芻していた。

そのどれもが自分の想像を超えたものばかり。文化や人の違いを身をもって経験できて、緊張もしたが喜びもあった。「インドは強い」たった数日間なのにこんなにも驚くことが多いのかと、自分の無知を知った旅でもあった。

空港でチェックインをして、待合室でも何か落ち着かずぼんやりした。ひとり旅の終わりは、大抵いつもそんな心境になる。搭乗時刻が近づいて、目まぐるしくも楽しかった旅に黄昏を感じながら、搭乗口に向かった。

途中、緑色の女神の見慣れたマークのコーヒーショップを見かけた。ふと思いついて、チャイティーラテをオーダー。緊張しながら英語でオーダーするのも、これで終わりかと思うと、少し寂しくなる。

いかにも外国らしい、オーダー後に名前を聞かれるのも、日本に帰れば体験できなくなる。商品が出来上がると、僕の名前で呼んでくれる。

名前は?

I'm KAZUYA.


飛行機に乗って、チャイを飲んだら、ようやくこの旅行が終わった感じがするのかな、少し眠れるかな。

毎日のように飲んだチャイはどれも薄い味だった。しかし、それは行った者にしかわからない、現地の味だ。

「インドでは誰でも必ず一度はお腹を壊す」なんて友人に言われて、衛生面に気を配り、ずっと携帯していたアルコールスプレーは、食事のたびに手に吹きかけた。旅の間、一度たりとも腹痛は起きなかった。


Hey,KAZUYA!Here You’re !

店員が僕の名前を呼んだ。ハッと我に返って、カップを受け取りにカウンターに向かう。カップには、オーダー時に告げた僕の名前が書かれているはずだ。

お礼を言って、搭乗口に向かおう。



よく見て!!


KAZUNYA……?


ちょっと文字数が多い?


あれ?……カズヤの、ズとヤのあいだに“N“が入ってる。


・・・かずにゃ?


「インドに行けば、人生観が変わる」


人生観どころか、名前が変わっていた。


どこでNが入ってしまったんだろう…、変なものは食べていないはずだし、食事前には毎回アルコールスプレーで手を消毒していたのに…。どこまでも僕の想像を超えてきたインドの旅は、結末すら想像を超えた。

黄昏の空に飛び立った機内で飲んだチャイは、旅の間に飲んだチャイのどれよりも香りと甘味が強かった。

「インドに行って人生観変わりましたか?」と誰かに聞かれたら、僕は堂々と答えるだろう。


「人生観だけじゃなく、名前も変わりました」



みんなもインドで名前を変えてもらおう!


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もつにこみ 最後まで読んでいただき、ありがとうございました! いただいたチップは、モンブラン研究費用や子どものおやつ代にします(笑)