京大薬博士が二年かけてティッシュに付けた価値と「創作の渦」
あなたはティッシュに字を書いたことはありますか?
ほとんどの人が「ない」と答えるだろう。
そもそもティッシュは、何かを書くためのものではない。
鼻をかむか、汚れを拭くか、その程度の役割しか与えられていない。
そんなティッシュに、私はロンドンのホテルで真剣に字を書いていた。
しかも、やたらと楽しかった。
これは京大で薬学博士まで修めた一人の男が、「無意味なこと」に取り憑かれ、二年かけてそれと向き合うことになった記録だ。
そしてこの話は、今もまだ続いている。
1.ティッシュを否定する
2024年7月──。
その時私は出張で1ヶ月ロンドンに滞在していた。
日本から二人の同僚と一緒に出張していたが、仕事が終わると二人ともそそくさとホテルの自室に戻ってしまうので、遠い異国の地で私は暇を持て余していた。
やることと言えばnoteしかなかった。
せっかくロンドンまで来たのに、部屋に引きこもってスマホと向き合う毎日。22時でも空が明るいロンドンでは完全に体内時計もおかしくなって、日本にいる時よりもむしろnoteが捗った。
そんな中でお友達noterである本田すのうさんの個人企画が発表された。
「ティッシュを否定する」
どこぞの美大では、「ガムテープを否定する」という課題で、鍋でぐつぐつ煮込んだ生徒がいるらしい。
こうして既存の概念をぶちこわすことで新しい表現が生まれるのだ。実に面白い創作の試みだ。
私も参加したい。ティッシュをコテンパンに否定してみたい。そしてすのうさんや参加者をアッと言わせたかった。
現地スーパーで調達した冷たいインドカレーをもぐもぐしながら、その日5杯目のインスタントコーヒーを啜った。
目の前のティッシュをじっと見つめてみるが、どこからどう見てもただのティッシュである。
なかなか否定されてくれない。

狭い室内をうろうろと歩き回って考えるも、やっぱりいいアイデアは降って来なかった。
ふと部屋の隅にある電話台の上を見ると、ホテルの備品のボールペンが転がっていた。
その横にはメモ帳がある。
これでティッシュに字を書いたらどうなるだろう?
たまたま頭にふっと浮かんだアイデアだった。あまりにあほらしくて、普段なら実際にやってみようとはならなかったかもしれない。だけど、1か月の孤独な長期出張で頭も相当おかしくなっていたのだと思う。
気が付くと私はおもむろにボールペンを手に持ち、ティッシュの上を滑らせていた。
「あれ? なにこれ」
思わず声が出るくらい意外と上手に書けた。
もっとぐちゃぐちゃになると思ったのに。
確かに力の入れ具合は難しいが、丁寧に書けばきれいに書ける。
そしてきれいに書けると、むしろ楽しいとすら感じた。
そこからはすらすらと創作のアイデアがわいてきて一気に書き上げた。その時に生まれた作品はこちらだ。
「ティッシュ字検定」
あなたはティッシュに字を書いてみたことはあるだろうか。
ティッシュが破れない適度な筆圧と何より根気が要求される。
名前一つ書くだけでも一苦労だ。
ここまで苦労するのだから、好きなあの子へのラブレターをティッシュに書いたらさぞ喜ばれるのではないか。
「まぁ、彼ったらこんなに手をかけて私への想いを綴ってくれたのね、、、すき」
とならないだろうか。
それとも
「字が滲んでなんて書いてあるのか読めないわ」と丸めてポイだろうか。
捨てる際には手紙と違って罪悪感がなくていいかもしれない。
あるいは下駄箱に入れたラブティッシュは風が吹けば容易に違う子の所に飛ばされるかもしれない。
風で飛ばされたラブティッシュが、いつも仏頂面の先生の顔に張り付いて教室の空気が一気に和むかもしれない。
ティッシュに上手に字を書くにはどうするか?
ティッシュ字講座なんてものが出てきて、プロのティッシュ書家も現れるかもしれない。
いつしかティッシュ字を綺麗に書く資格が生まれるかもしれない。
「おれさぁ、昨日ティッシュ字検定一級取ったんだよ。」
「まじで?すげーじゃん!どこでも就職し放題じゃん!」
「おぉ、生まれて初めて親に褒められたわ。」
なんてアホな会話が生まれるかもしれない。
文具メーカーもこぞってティッシュ専用のペンなど売り出すかもしれない。
ティッシュへのストレスフリーな書き心地の秘密“クリネックシステム”とは
① 安定したペン先:ペン先の中芯に最先端のクリネック構造(特許取得済)を採用し、ティッシュの動きに合わせて先端が最適な角度を安定して保持します。
② 滲まないジェルインク : 通常のインクよりも粘性を高め、それでいてスムーズにペン先から流れるインクにより、かすむことも滲むこともありません。
さらに調子に乗った文具メーカーが、通常よりも書きやすいティッシュを出すかもしれない。
というか、それはもはや普通の紙だ。
書く専用のティッシュで鼻を噛むと肌が荒れるので注意が必要かもしれない。
皆がティッシュに文字を上手に書けるようになったら、どうして自分はティッシュに字をかけないのか悩む人たちも生まれるかもしれない。
「大丈夫。ティッシュに字を書けなくったって、あなたの人生は輝ける」
なんて勇気の出るワードも生まれるかもしれない。
その中から、
「私、ティッシュに字を書くのを辞めました!今日から普通の紙に字を書きます!」
なんて宣言する人が現れて、一周回ってかっこいい!ってなるかもしれない。
PRESIDENT誌あたりに『ティッシュではなく紙に字を書く若者たち』なんてタイトルの特集が組まれるかもしれない。
やっぱりティッシュは字を書くための物じゃなかったかもしれない。
恐らく読んだひとが皆同じ感想を抱いただろう。
なんのはなしですか、と。
こうして、多様性の都市ロンドンで「ティッシュ字検定」というワードが誕生したのである。
駄菓子菓子
この時は「ティッシュ字検定」よりも「ラブティッシュ」というワードが私の周辺で少し盛り上がったのみで、まさかまた「ティッシュ字検定」というワードを目にする日がくるとは思いもしなかった。しかもそれは私自身ではなく、他人の手によって再現されることとなる。
2.ティッシュに字を書く
2025年1月──。
最初の創作から半年が経っていた。
世の中が新たな1年の始まりをよろこんでいる最中に、noteの街の路地裏では再び「ティッシュ字検定」というワードが出現していた。
使ったのは私ではない。
お友達noterのすーし。氏だった。
そう、彼は実際にティッシュに字を書いたのだ。
想像してみてほしい。
目の前に怪しげなおもちゃが落ちているとする。
みんな気にもせず通り過ぎていたのに、すーし。氏はそれを拾ってみんなの前で遊んでみせた。
触ると怪我をするかもしれないし、面白いかどうかも分からないのに。
なんてあほな人だろう。
彼が居なければ間違いなく何も始まらなかったし、私の人生も平穏なままだったはずだ。
そんな愛すべきすーし。氏の、いや人類の記念すべき初ティッシュ字がこちらである。

彼の名誉の為に断っておくが、「変態道」を標榜しているのはすーし。氏ではない。私だ。
誰もやらないことに異常な情熱を燃やすことを「変態道」と呼んでいる。
ただティッシュに本当に字を書くなんてあまりにも「変態道」そのもので、だからこそ、この行為がまた別の人の心に火をつけたのだろう。
間髪入れずに2つ目のティッシュ字が誕生した。

あまりにも美しい「変態道」だった。
そしてやはり優谷さんの名誉の為に言っておくが、彼女も普段は日本語学校の先生であり、変態道の対極にいるような人である。
「え? 優谷さんがやるなら私もやってみよう」
きっとこれは遊んでも大丈夫なおもちゃだ。
皆そう思ったに違いない。
ここから三日間で40点ものティッシュ字が誕生した。中には私とそれまで交流のなかったnoterさんも沢山いらっしゃって、正直何が起きているのか分からなかった。
ティッシュに書く文字は危うく「変態道」縛りになるところだったが、何人かの良識ある人がその流れを止めてくれて「変態道」以外の好きな言葉も綴られるようになった。ファインプレーである。
こうして私の頭の中で生まれたティッシュに字を書くという行為が、多くの人の手で具現化され、広がった。中には一人で20点以上の作品を生み出す猛者も現れた。
やがて文字に留まらずイラストが描かれたり、ティッシュに字を書くゲームが作られたり、と遊び方も自然と多彩になっていった。
無意味なことを面白がって楽しむ大人たち。
その様子はSmartNewsにも二度掲載され、外から見ても「なんか分からんけど楽しそう」と思ってもらえたのかもしれない。


どこの家庭にもあるティッシュとペン。
それさえあれば誰にでもすぐに始められる。
そしてやってみると、意外に書くのが楽しい。
そんな手軽な「ティッシュ字」という遊びは沢山の人に受け入れられ、二ヶ月の間に100点ほどの作品が生み出された。
【考察】 人はなぜティッシュに字を書くのか
あまりにもくだらない「ティッシュ字」に、どうしてこんなに沢山の人が虜になったのだろうか。ここでは少しだけ、真面目に考察してみたい。
(視点①) 「脆弱性」がもたらすフローによるマインドフルネス
少し力の入れ方を間違えたり、ペンを動かすことを躊躇して一か所にインクが染みたりすると簡単に穴が開いて破れてしまうティッシュ。
その存在はあまりに脆い。
だからこそティッシュに最後まで書きあげるには、思いのほか集中力を要する。
集中して書くことで、人の目や周りの音から強制的に遮断され、自分と向き合うことができるのだ。
あまりにもノイズの多い現代社会において、フロー状態に連れていってくれる「ティッシュ字」は、こころを整える効果がある。
(視点②) 脳の報酬系に多面的に作用し発揮される中毒性
何度も繰り返したくなるような中毒性がある物にはいくつか共通の要素があるとされる。
考えてみると「ティッシュ字」はこれらの要素を複数兼ね備えていることが分かる。
・不確実性 : 上手く書けるか、失敗するかわからず予測できない。
・自己決定感 : 誰かに決められるのではなく、自分の書きたいものを書く。
・即時性 : その場ですぐに結果が出てフィードバックが得られる。
・至適難度 : 簡単では無いが難しすぎることもない。
やってみると意外と楽しい。そしてまたやりたくなる。
「ティッシュ字」は脳の報酬系に直接作用し、ついついまたやってしまう中毒性を発揮する。
(視点③) 社会的肩書・責任をひととき脱却し、「無意味」の共犯者へ
人は皆、多かれ少なかれ社会的な肩書や責任を背負って生きている。
当てはめられた枠組みからはみ出ることは許されず、息苦しく窮屈な思いをしている人も多いだろう。
そういった社会的な肩書や責任を一旦脱ぎ捨てて、無意味なことを全力で楽しむことを許容する空気が「ティッシュ字」にはある。
誰しも普段は真面目な顔をしながら、実のところあほなことをやってみたいという願望があるのだろう。
ティッシュに字を書くことで「ここなら自由に好きなように自分自身を解放し表現できる」という安心感が得られる。
そして周りを見れば同じように「ティッシュ字」で遊ぶ人たちがいて、「こんなあほなことをしているのは自分だけじゃないか?」という羞恥心も消えていく。
その時私たちは「無意味」なことに付加価値を付けてしまった共犯者となるのだ。
1枚あたり0.3円という低コストでありながら、日常の隙間にスポット的に出来上がった癒しの空間。それが「ティッシュ字」であり、有益性や効率性とは無縁な、現代人にとっての贅沢な遊びであると言える。
ありそうでなかったこの遊びの楽しさに気が付いた人は、その中毒性に虜になり、口コミでその楽しさが伝わり、共犯者の数が増えていったと考えられた。
3.風とともにティッシュぬ
一部界隈でちょっとしたブームになった「ティッシュ字」だったが、バズが一瞬で消えるのは世の常である。
一気に盛り上がったものの、二度目のまとめ記事を書いたあたりで急速に終息の気配を見せ始めた。
一陣の風によってティッシュは舞い上がり、空高く飛んで行ってしまった。
そしてまた元の「ティッシュ字のない生活」に戻ったのだった。
何故「ティッシュ字」ブームが続かなかったのか。
その理由は明白である。
私に覚悟がなかったから。
「ティッシュ字検定」が生まれたきっかけも人の企画で、実際にティッシュに字を書き始めたのも、それを広めたのも私ではない。
だから「ティッシュ字」は私のものではない。
それは、「ティッシュ字」は皆のものです、なんてキレイゴトを言いたいわけではなくて、シンプルにその責任から逃げていたんだと思う。
背負いきれないと思ったし、あそこまでティッシュに字を書くことを楽しめる人たちを見て、正直羨ましいとさえ思っていた。
覚悟のない人には誰も付いていかない。
紛れもなくこれは真理だ。
当時の私はそのことを残念だとすら思っていなかったし、日々の忙しさに流されて、気が付けばティッシュ字のことも忘れかけていた。
4.ティッシュ字の可能性
noteの街の路地裏にはコニシ木の子という人がいる。
「#なんのはなしですか」の生みの親で、今やそのハッシュタグを使った記事は二万件を超える。
個人が作ったタグとしては驚異的な数字だろう。
タグの誕生から五年経った今では、累計1000人以上が「#なんのはなしですか」という「意味のないことに最大の価値を見出す魔法の言葉」を使って発信するようになったが、最初の三年間で使っていたのはコニシさんただ一人だったという。
三年もの間、ただ一人孤独に「なんのはなしですか」の言葉の力を信じてきたコニシさん。
「ティッシュ字」ブームが風とともに去った後も、その可能性を信じ続けていたのはやはりコニシさんだった。
「なんのはなしですか」を使う路地裏コミュニティの公式遊びとして、ことあるごとにティッシュ字を皆で遊ぶ機会を作ってくれた。
それでも覚悟の決まらない私の返答は「ティッシュ字って需要ありますかね」だった。
どれだけコニシさんがテンション高く「ティッシュ字面白いって」と言っても、(さすがにそれはない。またふざけて面白がってるだけだろう)としか思えなかった。自分なんかが前に出て皆の貴重な時間をティッシュ字で奪うことに耐えられないと思った。
2025年7月 渋谷──。
オフラインで50人程が集まった「なんのはなしですか」パーティーが行われた。やはりそこでも「ティッシュ字」を推すコニシさんの提案で『マイトンによるティッシュ字実演』が行われ、私の書いたティッシュ字が作品として額に入れられ、そしてくじの景品としてプレゼントされた。

受け取ってくださった方は、今も大事にお宅に飾って下さっているらしい。冷静に考えて、ティッシュに書いた字を家の神棚に飾っていただいているってどうかしているとしか思えない。
ではこの状況を見て「ティッシュ字」には特別な力がある! となったかと言えばそんなことは無かった。
むしろ「なんのはなしですか」界隈の熱が異様に高いのだとしか思えなかった。
この時でもまだ私は「ティッシュ字」の可能性を信じられていなかったのだ。
5.ティッシュ字と向き合う
そんな風にティッシュ字に背中を向けていた私に対して、コニシさんは最後の勝負に出た。
2026年4月──。
国分寺で開催されるイベントに「マイトン師範のティッシュ字検定ワークショップ」を立てるというのだ。
その話を聞いて私は大きく動揺した。
なんせ、ティッシュに字を書く経験はまだまだ浅く、私よりもアーティスティックでファンタスティックなティッシュ字を書く人たちが既にいたから。その人たちを差し置いて、「師範」と名乗ることにとても抵抗があった。
そしてワークショップとなれば、来てくれた人たちが帰る時に「やってみて良かった」というお土産を渡さねばならない。
そんな芸当を私が出来るとはとても思えなかった。
「いやぁ、ティッシュ字はいらなくないですか?」
逃げ腰の私に対して、コニシさんは諦めなかった。
「なんのはなしですか」の世界観を体現する「ティッシュ字」をどうしても表舞台に出したかったようだ。
いつにも増して前のめりなコニシさんは、信頼できる相棒のモスキートエリさんに協力を仰ぎ、イベントにJ:COMさんの取材を呼ぶことに成功する。
それまで私はイベントに対して、子供も連れて行ってお客さんとしてのほほんと参加すればいいやと思っていた。「ティッシュ字検定」もその場の空気でテキトーにお茶を濁すつもりだったが、さすがにメディアが取材に来ると知って事態の深刻さを理解した。
マイトン「え、それって私、顔出ししますよね?」
コニシさん「当たり前じゃん。師範だもの。マイトンは出るでしょ(笑)」
マイトン「てぃ、ティッシュでメディアデビュー……」
コニシさん、エリさん「「京大出てるのにね(爆)」」
取材の話を聞いて真っ先に浮かんだのは両親の顔だった。真面目に受験勉強を頑張って京大に合格した時、一番喜んでくれたのは他でもない両親だった。
まさか息子が44歳で取材を受けるなんて夢にも思っていないだろう。
しかもティッシュに字を書く師範として、だ。
そこからの3時間。頭を抱えながら私はどうすべきか考えた。
ずっと背中を向けて、私のものじゃないし、と責任から逃げ続けてきた「ティッシュ字」。
だけどメディア取材というきちんとした外の人を巻き込むということは、大人としてしっかりと対応する責任が生じる。
そしてそれをできるのは、紛いなりにも師範である自分しかいないのだ。
強制的に退路を断たれて、もはや向き合うしかないと覚悟することができた。
と同時に、ひとりじゃないとも思った。
こんなにもくだらなくて意味のない「ティッシュ字」を推し続けている人たちがいる。
ぶっ飛んだやり方ではあるが、私が表舞台に立って「ティッシュ字」をリードしていけるように、最大限のバックアップをしてくれているのだ。
「ティッシュ字」の力はまだ信じることができていなかったが、コニシさんとエリさんのことは信じられた。
ふたりの気持ちに応えられないなら、そんな自分のことを許せないと思った。
ロンドンで「ティッシュ字検定」を生み出してから1年と9ヶ月が経っていた。
その間、ずっと背中を向けていたのに、初めてまともに目を合わせた「ティッシュ字」は思いのほか優しい表情で、ふがいない生みの親である私を受け入れてくれた。
私も力を抜いて全てを受け入れてみたら、自然と私がどうすべきか、どうしたいのかが浮かんできた。
ティッシュ字の楽しさを多くの人に伝えたい。
そうすることで、誰もがどんな些細なことでも、楽しく、自由に、表現できる喜びを知って欲しい。
それは「なんのはなしですか」が掲げるミッションそのものだ。
不思議なもので、覚悟が決まった途端、再びティッシュに字を書く人たちが現れた。
その中には、以前一緒に遊んでくれていた人たちが沢山いた。彼ら彼女らも、私の覚悟を待っていてくれたのかもしれない。
もちろん新しくティッシュ字に興味を持ってくれた方も沢山出てきた。
そこかしこでティッシュを使った表現が生まれ、気が付けば作品数は200点を優に超えていた。

師範としての技術は未熟かもしれない。
だけどティッシュ字を楽しむ姿勢だけは模範となりたい。
こうして一緒に遊んでくれる多くの人の笑顔の輪をもっと広げていきたい。
そしてこの気持ちをもう手放さない。
ティッシュと共に生きる。
私は静かにその一歩目を踏み出した。
6.TWE~Tissue Writing Examination~始動
ワークショップをするからには、ただ書くだけじゃ面白くないと思った。ここではたと気が付く。これは「ティッシュ字検定」である。ワークショップの場を、実際に検定会場として級の認定を行うのはどうだろうか。
早速、ティッシュ字検定の基準を設定してみた。
【ティッシュ字検定とは】
ティッシュ字とは、日常においてただ消費される運命にあるティッシュに対し、あえて役に立たないティッシュ字という表現を当てはめることで、「無意味の密度」を高めることを目的としている。
そこで、本検定では書いた瞬間に訪れる小さな達成感とその直後に訪れる「これ何やってるんだろ」という感情の落差を最大化する技術の習得を目的とする。
役に立たない行為の中に宿る美しさを発見し、ティッシュという脆弱な媒体において、どれだけ儚く、そして無駄に美しく表現できるかを探求する。
尚、使用する筆記具、ティッシュの種類は問わない。
【ティッシュ字検定審査基準】
本検定は、イベントやワークショップでの審査会場で行う。
会場内のティッ衆(観客)から発生した空気の総量により合否を判定する。すなわち、集まった皆さんの主観であり、パッションである。
三級:「ティッシュの道の入り口」
自分自身が、ティッシュに書いて「これなに、フフ」と笑えたら合格とする。文字でも絵でもよい。まずは自分を満足させるべし。
二級:「あなたもティッシュの共犯者」
できたティッシュ字を見た人が「なにやってんだよ」と笑いながら「自分もやってみたくなる」ような表現ができれば合格とする。
くだらなくも面白いティッシュ字は伝播する。
一級:「あなたも今日からティッシュ字伝道師」
見た人がなぜかちょっと感動する。「なんのはなしですか」と言いたくなる。無駄なのに、一言で説明できないのに、捨てるのが惜しくなるような「作品」を生み出すことができれば合格とする。
手元に置いておきたくなるティッシュ字ができたところから、あなたもティッシュと共に生きることとなる。
そして認定証も三日かけて用意し、4月29日のイベントに臨んだ。

イベントの舞台は東京国分寺の古民家『にわには』。ここはかつて、太宰治と深い交流があったとされる画家の鰭﨑潤氏のお宅だったらしい。
そんな文化的な場所の一角に、「なんのはなしですか」のグッズショップと並んで「TWE (ティッシュ字検定)」のワークショップブースを出させていただくことになったのである。
そして迎えた2026年4月29日──。
イベントにはnoteで関わりのある人だけでなく、近隣の多くのご家族が訪れ非常に盛況だった。
この日の為に全国から郵送してもらったティッシュ字を見て、「これがティッシュなんですか?」と驚きの声をあげる方も沢山いた。

最初は誰も来ないかも、なんて心配していたが、蓋を開けてみると30人近くものお客さんが遊びに来てくれた。年齢層も幅広く、小学生のお子さんから、私の母親くらいの年代の方まで。中には外国人のお子さんもいらっしゃった。
印象的だったのは来てくれた方の表情だ。
やる前は、「ティッシュに書くってどういうこと?」と不思議そうな顔だったのが、書き終わってとても楽しそうな”いい顔”に変わっていくのだ。
そんな表情を見るにつれ、「ティッシュ字に需要はあるのか?」と疑っていた最初の頃の弱気な私はどんどんしぼんでいった。
「えー、めっちゃうまいですね! ほんとにティッシュ字初めてですか?」
「もちろん初めてよ、ふふふ。でもこれ集中できていいわねぇ」
なんて会話を交わしながら、私が一番”いい顔”をしていたかもしれない。
その日初めて会った人たちと、ティッシュ字をきっかけに、にこやかに会話して優しい時間を過ごしている。
noteでひとり、創作を綴っていた時からは想像も出来ない世界だった。
苦労して作った認定証だったが、賞状を渡すと大人も嬉しいらしい。みんなとびきりの笑顔で受け取ってくださった。

右が筆者。
沢山のお客さんと実際に会ってやり取りをして、ようやく「ティッシュ字」の力を実感できた。
こんなに意味のないことが、こんなにも多くの笑顔を連れてきてくれる。
振り返れば色んな方のバトンが受け渡されてきた。一度は落としてしまったけれど、再び拾いあげたことで今またこの瞬間に繋がったのだと思うと、胸の奥がじんわりとあたたかく会場の景色が滲んで見えた。
この日、国分寺の『にわには』には確かにティッシュの花が沢山咲いていた。
私はあの景色を決して忘れないだろう。
7.ティッシュは巡る
誰でも手軽に楽しめるティッシュ字だが、一つだけ懸念があった。
書いたティッシュをどうするか問題だ。
もちろんそのまま鼻をかんだり汚れを拭いても良いのだけど、一度は作品となったティッシュ字を捨てるのはなんだか忍びない。
なんとかいい方法はないかと考えていたら、こんな記事を出してくださった方が現れた。
書いたティッシュを溶かして再び紙に戻せば、そこからさらに新たな創作ができる。
るるさんの示してくださった道は、「ティッシュ字」の未来だと思った。
ティッシュは巡るのだ。
早速私はこの「かみのぎしき」をやってみることにした。
まずは道具が必要だ。せっかくだからハガキとして使えるくらいちゃんとしたカタチに再生してあげたい。その為に必要な紙すき枠は、フォトフレームと洗濯ネットで作ることにした。
ちょうどいい大きさのフォトフレームに、これまたちょうどいい可愛さの洗濯ネットを合わせてみたら、思いのほかいい感じにできた。

これなら、ティッシュもさぞかし美しい紙に生まれ変わることだろう。この時点で私には「勝利」の2文字しか見えていなかった。
「かみのぎしき」で一番大切なアイテム、それはもちろん素材ティッシュである。
この時のために、私は『にわには』イベントで皆さんが遊び終わった素材ティッシュを根こそぎ持ち帰っていた。
素材ティッシュは大事、ゴミにしないよ。
……SDGsである。
5枚ほど素材ティッシュを手に取ると、水を張ったトレイに迷わず投入した。

これを30分かけて手で揉みほぐす。「ぎしき」だから、ミキサーなんて文明の利器には頼らないのだ。
初めてだからどれくらいやれば十分か分からないが、それっぽいので良しとする。

これを紙すきの型に流し込んで──。

型から外したら、手で挟んで余分な水分を出来るだけ絞る。
そしてドライヤーで乾かす。乾かす。とにかくかわ……かないやん。あれ?
30分以上は格闘したが、途中ドライヤーの風に吹き飛ばされて破れたので、諦めて浴室乾燥に放置する事にした。
そんなこんなで四時間に及ぶ初の「かみのぎしき」は終了した。
「ぎしき」によって誕生した新たな紙はこちら。

せっかくだからハガキとして使えるくらいちゃんとしたカタチに再生してあげたい。
なんて意気込んでいた4時間前の私には速やかにご退場いただきたいが、それでも確かにここにティッシュから再生した紙が誕生したのだ。
師範がんばった!
感動した……!!(自己暗示)
それではこの紙に今の気持ちを全て込めた字を書いて「かみのぎしき」をお開きとしたい。
もちろん、書くことばは決まっている。

この一枚に、どれだけの思いが込もっているのだろうか。
それは皆さんのご想像にお任せしたい。
♾. ティッシュ字は創作の渦へ
「ティッシュ字に需要なんてありますかね」
ほんの1ヶ月前まで確かにそう思っていたのに、今では「私の地元にもTWEワークショップ来て欲しいです」なんてお声を、北は北海道、南は九州まで、ほんとに全国から頂けるようになった。
ここまでの流れでも十分なんのはなしか分からないのだが、さらに予想もしていなかったことが起きた。
「私にも『ティッシュ字ワークショップ』をやらせてくれませんか?」
そんなお声まで届いたのだ。
「ティッシュ字」の可能性を皆さんが感じてくださった結果だろう。
実際に、noteとは全く関係ないところで、30人近くもの方がティッシュに字を書いて創作を楽しんだという。
これはもう、創作の渦だ。
私ひとりの力なんて無に等しいが、皆で動かすことでこの創作の輪はどんどん大きな渦となって巡るのだ。
二年前には全く予想もしていなかった光景が今目の前に広がっている。
ティッシュに字を書くなんて、鼻で笑ってその鼻息で吹き飛びそうな話なのに。
無意味だと思うことに一生懸命取り組んでみたら、いつの間にか創作の渦が出来ていた。
創作の仲間が沢山出来ていた。
こんなに嬉しいことはない。
ここまで読んでくれた方は皆、同じ感想を抱いただろう。
やっぱり、なんのはなしですか、と。
そう。本当に意味はない。
意味はないのだけれど、
きっと、これでいいのだ。
さぁ、あなたもうずうずしてきたのでは?
ほら!
ティッシュとペンを用意して
ちょっと深呼吸して
あ、あまり息を強く吐くとティッシュが飛んじゃうから気をつけて!
そう、頭に浮かんだことを自由に書いてみてください。
その扉の先は、くだらなくて、なんの意味もない、だけど笑える「ティッシュ字」の世界──。

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