温故知新(136)ケルト バタシーの盾 盾形銅鏡 ハルシュタット遺跡 サーペント・マウンド タルテッソス ケルト神話 浦島伝説 羽衣伝説
ザルツブルク スケリッグ・マイケル モン・サン・ミシェル 聖ミカエルの山 カラニッシュ グラストンベリー ミラノ オリンポス山 エーヴベリー ベリー・セント・エドモンズ パリ ロンドン スター・カー遺跡 モイン修道院 ケシュの洞窟 カサス・デル・トゥルヌエロ サルデーニャ島 ニューグレンジ ストーンヘンジ カルナック列石 アテネ 古代都市セリヌス ジェベル・イルード遺跡 クサール・ヌアイラ
ハルシュタット遺跡、ザルツブルク、スケリッグ・マイケル
「ケルトの遺跡」として有名なハルシュタット遺跡は、青銅器時代から鉄器時代の中央ヨーロッパの文化を代表するハルシュタット文化の遺跡で、オーストリア中部、ザルツブルク(写真トップ)に近い岩塩坑で発見されまし1)。
ハルシュタット博物館(Hallstatt World Heritage Museum)とケルト人が信仰する聖地だったモン・サン・ミシェルを結ぶラインの近くに中央ヨーロッパで最も重要な古代ケルトの中心地の一つドイツのホイネブルク(Heuneburg – Stadt Pyrene)があります(図1)。スケリッグ・マイケルとハルシュタット博物館を結ぶラインの近くには、ドイツのシュトゥットガルトがあり(図1)、周辺にはケルト語に由来するいくつかの地名があります。アルトブルク (Altburg)(図2)には、ケルト人の集落を再現したオープンエアミュージアムがあります。


ザルツブルクのザルツは「塩」、ブルクは「砦」の意味で、ハルシュタットの地名のハルはケルト語で塩の意味があります。鉄器時代にはザルツブルクの人々は岩塩の採掘を行っていて、その後のハルシュタット文明につながっています。ザルツブルクとスケリッグ・マイケルを結ぶラインは、ミュンヘンを通り、紀元前1世紀に、ガリアのメディオマトリキ族が定住したザールブリュッケンの近くを通ります(図3)。

カラニッシュ、グラストンベリー、ミラノ、オリンポス山
巨石文化と関係があると推定されるオリンポス山とストーンサークルのあるカラニッシュを結ぶラインの近くにハルシュタットがあります(図4)。また、カラニッシュとモン・サン・ミシェルを結ぶラインの近くにアーサー王伝説で知られるグラストンベリーがあり、モン・サン・ミシェルとオリンポス山を結ぶラインの近くにミラノがあります(図4)。

エーヴベリー、ベリー・セント・エドモンズ、パリ、ロンドン
イングランド北西部カンブリア州にあるキャッスルリッグ・ストーン・サークルは、カラニッシュとパリを結ぶラインの近くにあります(図5)。パリの語源はParisiiで、ローマ人が入ってくる以前からの先住民であるケルト系部族の、ローマ側からの呼称です。このラインはロンドンを通り、聖ミカエルの山とベリー・セント・エドモンズ(Bury St Edmunds)を結ぶセント・マイケルズ・ラインとほぼ直角に交差します(図5)。ロンドン周辺にはケルト系のブリトンの集落跡が点在した形跡が確認されています。セント・マイケルズ・ラインにあるエーヴベリー(Avebury) は、3つのストーンサークルを含んだ新石器時代のヘンジです。カラニッシュと聖ミカエルの山を結ぶラインの近くには、紀元前2,500年~紀元前2,000年頃のゴーワード・ドルメン(Goward Dolmen)があります(図5)。

「バタシーの盾」と盾形銅鏡
ロンドンを流れるテムズ川に架かるバタシー橋付近で、文献1の表紙にあるケルトの「バタシーの盾」が発見されています。「バタシーの盾」は、紀元前300~前100年頃の七宝などで装飾されている盾で、ケルト人の儀式に使われたと考えられています。神功皇后の陵墓と推定される富雄丸山古墳から見つかった盾形銅鏡と似ているように思われます。富雄丸山古墳は、ストーンヘンジ、聖ミカエルの山、モン・サン・ミシェルとレイラインでつながっています。
スター・カー遺跡、モイン修道院
カラニッシュと聖ミカエルの山を結ぶラインは、スケリッグ・マイケルとベリー・セント・エドモンズを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図6)。カラニッシュとスケリッグ・マイケルを結ぶラインの近くには、モイン修道院(Moyne Abbey)があります(図6)。ベリー・セント・エドモンズとカラニッシュを結ぶラインの近くには、中石器時代の考古学的遺跡で「英国最古の家」、ヨーロッパにある最古の大工仕事の証拠などが見つかったスター・カー遺跡(Star Car)があります(図6)。

ベリー・セント・エドモンズとサーペント・マウンド
ベリー・セント・エドモンズと、アテネや聖ミカエルの山とつながるサーペント・マウンド(オハイオ州)を結ぶラインは、アイルランドのケシュの洞窟(Keshcorran Caves)の近くを通り、スケリッグ・マイケルとカラニッシュを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図7)。これは、ヨーロッパの古代文明とアメリカ大陸の古代文明のつながりを示していると推定されます。

ハーバード大学教授 故バリー・フェル博士は、コロンブスより約3000年も前に、ケルト人、フェニキア人、エジプト人、リビア人などが大西洋を渡り、アメリカ大陸に到達して定住したと主張しています2)。南北アメリカと旧世界(地中海やオリエントなど)との接触は、ローマ帝国の支配とキリスト教の勃興によって断たれたとしています2)。
タルテッソス、サルデーニャ島、アトランティス
ケルト中世文学・言語学の専門家のジョン・コッホは、それまで欧州中央部がケルトの起源とされていたのに対し、ブレイス(ブルターニュ)やイベリア半島などの大西洋沿岸地域がケルト文化の発祥の地で、巨石文化すなわち石器時代末期と近い時期なのではないかと主張しています1)。また、コッホは、タルテッソス語が最古のケルト語であった可能性があると述べています。
アトランティス伝説の起源ではないかともいわれるスペインのグアレーニャにある古代遺跡「カサス・デル・トゥルヌエロ(Casas del Turunuelo)」は、この地で栄え2500年ほど前に歴史の表舞台から姿を消した古代文明「タルテッソス(Tartessos)」によって建設されたものであるといわれています。一説によるとタルテッソスは紀元前9世紀にもさかのぼり、西地中海の古ヒスパニック系とフェニキア系の両方のグループの子孫である可能性が高いとされています。
カサス・デル・トゥルヌエロとオリンポス山を結ぶラインは、アトランティス説のあるサルデーニャ島を通ります(図8)。また、オリンポス山とプルナブロン・ドルメン(Poulnabrone dolmen)を結ぶラインの近くにストーンヘンジがあり、プルナブロン・ドルメンとサルデーニャ島を結ぶラインの近くにモン・サン・ミシェルがあります(図8)。ストーンヘンジは、ハドソン湾やパレルモ、サギノー湾やアテネ、ポヴァティ・ポイント・ワールド・ヘリテイジ・サイト、サーペント・マウンド、エルサレムとレイラインでつながっています。

カサス・デル・トゥルヌエロとロンドンを結ぶラインは、パリとアイルランドのスケリッグ・マイケルを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図9)。十字のレイラインは、ケルト十字と関係があるかもしれません。

ニューグレンジ、ストーンヘンジ、カルナック列石
カラニッシュとカサス・デル・トゥルヌエロを結ぶラインの近くには、「ケルト十字架」が立つモナスターボイス、ニューグレンジ、グレンダロッホがあります(図10)。また、カサス・デル・トゥルヌエロと、ストーンヘンジを結ぶラインの近くにカルナック列石があります(図10)。

下記の遺伝子分析の結果から、これらのレイラインでつながった地域の文化には、人の移動を伴った関係があったと推定されます。
氷河期のおわり、まだブリテン島がヨーロッパと陸続きだった紀元前9,600-7,500年あたりにフランスあたりとスペインあたりから人が移住。アイルランドへは、紀元前8,000年あたりにイベリア半島から直接+ブリテン島経由で人が移住。そのあとローマがやってきて、ブリテン島の南半分はローマ化される。
カサス・デル・トゥルヌエロ、アテネ、古代都市セリヌス
カサス・デル・トゥルヌエロとアナトリア半島の古代都市セリヌス(Selinus Ancient City)を結ぶラインは、元はアトランティス人の都市だったと推定されるアテネを通ります。

ジェベル・イルード遺跡、クサール・ヌアイラ
図9のロンドンとカサス・デル・トゥルヌエロを結ぶラインの延長線は、棚畑遺跡、おのころ島神社、安房神社などとつながる、約30万年前のホモ・サピエンスと見られる人骨が見つかったジェベル・イルード遺跡(Grotte ighoud)の近くに到達します(図12)。また、カサス・デル・トゥルヌエロは、アトランティスの都市があったと推定されるクサール・ヌアイラと聖ミカエルの山を結ぶラインの近くにあります(図12)。

ケルト神話と浦島伝説、羽衣伝説
アイルランドのケルト神話のオシーン物語が浦島伝説と酷似しているといわれますが、宇良神社(浦嶋神社)とつながる龍宮総宮社は、オリンポス山とレイラインでつながっています。また、龍宮総宮社と聖ミカエルの山を結ぶラインは孝元天皇(山幸彦、椎根津彦と推定)と関係があると推定される牛窓神社の近くを通ります。
ケルト神話には、羽衣伝説に似た神話もあるようですが、三保の松原や白山比咩神社もオリンポス山とレイラインでつながっています。ウクライナの守護聖人は、かつての日本と同じく聖ミカエルで、ウクライナ正教会では聖母マリアも深く信仰の対象となっています。日本と同じく女神信仰が遺っているのではないかと思われます。
「ケルト神話」と「羽衣伝説」でGoogle検索すると、AIから「白鳥の乙女(Swan Maiden)」や「セルキー(Seal-folk)」の伝承を紹介されました。セルキー(あざらし)の伝承は、箸墓古墳、七日市遺跡、熱田神宮、大國魂神社などとつながるスカラ・ブレイのあるオークニー諸島や天王山古墳群、五香宮、能褒野神社などとつながるフェロー諸島などに伝わる伝承です。能褒野神社は、ヤマトタケルが死後に白い鳥(白鳥)と化して大和へ向かって飛び立ったという「白鳥伝説」の起点として知られています。
キンメリア人とアトランティス
孝元天皇(大国主命と推定)は、ケルト系民族のキンメリア人と関係があるのではないかと推定されます。キンメリア人は南ロシア・ウクライナの遊牧騎馬民族(紀元前9〜7世紀)で、ケルト人とは、鉄器時代初期のインド・ヨーロッパ系の文化を共有していたようです。紀元前7世紀の終わり頃、キンメリア軍はアナトリア半島のリュディアの王アリュアッテス(在位:前610年頃 - 前560年頃)に敗れ、その姿をほぼ消したといわれています。古代都市セリヌスはギリシャの植民都市ですが、フェニキア人や、西北部の先住民と接触を持ったようで、キンメリア人とも関係があったかもしれません。ロバート・E・ハワードの著した「英雄コナン」の設定にあるように、キンメリア人は、「アトランティス人」の末裔だったのではないかと思われます。
文献
1)原 聖 2025 「ケルトとは何か」 講談社選書メチエ
2)バリー・フェル 喜多迅鷹・元子(訳) 1981 「紀元前のアメリカ : 古代アメリカの移住者たち」 草思社
