温故知新(117)石の宝殿 生石神社 バールベック ゴルナヤ・ショリア ティワナク遺跡 プマ・プンク オリンポス山 アララト山 カイラス山 イースター島 古代ティラ遺跡 スサ
「石の宝殿」は、『播磨の国風土記』に「聖徳太子の時代に物部守屋が作った」と書かれていて、多くのレイラインの指標になっています。「石の宝殿」の巨石(写真1、2、3)は500tと推定され、バールベックのジュピター神殿の土台に使われている「トリリトン」650t~970tに近い重さです。「石の宝殿」のある生石神社(兵庫県高砂市)(写真トップ)は、バールベックと同じ北緯34度にあります。「石の宝殿」は、太陽崇拝に関係する人工的に造られた鏡石で、後ろの出っ張りは鈕を表しているのかもしれません。



バールベックと不動山の巨石(和歌山県橋本市)を結ぶラインは、大山(鳥取県西伯郡大山町)、神功皇后ゆかりの破磐神社(兵庫県姫路市)、生石神社の近くを通ります(図1)。このラインは、巨石でつながっていると推定され、物部氏と古代フェニキア人との関係を示していると推定されます。

ロシアのゴルナヤ・ショリア(Gornaya Shoria)にある石積は、3,000~4,000トンを超える巨石が使われていて、日本の古代の巨石遺構(磐座や巨石信仰の場など)との間に、多くの共通点がみつかっています。生石神社との関係を調べてみると、ゴルナヤ・ショリアは、オリンポス山と生石神社を結ぶラインの近くにありました(図2)。また、このラインは伊邪那岐命と伊邪那美命を祀る那岐神社(鳥取県八頭郡智頭町)の近くを通ります(図3)。図2のラインの比較的近くにある、エカテリンブルクから約100キロメートル離れた中部ウラルのシギルの泥炭地から「ジギルの偶像」といわれる11,000年前の木像が見つかっています。


ボリビアのティワナク遺跡では、石材が長方形に切り出されたものが多く見られ、プマ・プンクには、ピラミッド状の遺跡があり、数トンもある一枚岩でできた建築の一部が残っています。生石神社とプマ・プンクを結ぶラインは、守屋神社(福島県会津若松市)の近くを通ります(図4)。このラインの近くには、大聖院(京都市右京区)、位山(岐阜県高山市)、清水寺(長野市)があります(図5)。生石神社は、ティワナク遺跡(プマ・プンク)とも関係があると思われます。


物部氏が古代フェニキア人(アトランティス人)と関係があるとすると、諏訪の守矢家の家紋である「丸に十字」がエーゲ文明の線文字Bと関係があると推定されることと整合します。
オリンポス山とプマ・プンクを結ぶラインは、パレルモ、クサール・ヌアイラ、スス・マサ・エコミュゼ国立公園の近くを通ります。したがって、オリンポス山、生石神社、プマ・プンクを結ぶラインは、地球上に球面三角形を描きます。

生石神社、ゴルナヤ・ショリア、プマ・プンクは、切断された巨岩で共通していますが、下記のブログを見ると、オリンポス山の頂上には、船のような形の巨岩があります。これは、日本神話の天磐船やアララト山のノアの方舟を連想させます。
マラケシュと須弥山ともされるカイラス山を結ぶラインは、オリンポス山やアララト山の比較的近くを通ります(図7)。カイラス山の4つの面は、ほぼ完全に方位と一直線に並んでいることなどから、ピラミッドという説もあります。

カイラス山と、「南極の顔」とつながっているモアイ像のあるイースター島を結ぶラインは生石神社の比較的近くを通ります(図8)。

アトランティスがあったともいわれるサントリーニ島にある古代ティラ遺跡とイースター島を結ぶラインの近くにマラケシュがあります(図9)。マラケシュ、カイラス山、イースター島を結ぶラインは、球面三角形を描きます。

メンフィスにあるメンフィス博物館とカイラス山を結ぶラインと、饒速日命が降臨した山と推定される摩耶山とつながっているロータル遺跡にあるロータル博物館と古代ティラ遺跡を結ぶラインの交点付近に、ポセイドンと同一視されたと推定される須佐之男命と関係があると推定されるスサがあります(図10)。

これらのラインは、マラケシュや古代ティラ遺跡のあるサントリーニ島にアトランティスの都市があったと推定されることと整合し、アトランティス文明と古代日本との関係を示していると推定されます。
レイラインの指標となっていると推定されるゴルナヤ・ショリアの石積や南極ピラミッドやカイラス山が、人工的なものであるという科学的な証拠はありませんが、もしも加工された物だとすると、現在の人類が知らない技術や能力が用いられたと思われます。
