温故知新(142)黄帝 石峁遺跡 漢王朝 邪馬台国 崑崙山 有田遺跡群 テルロー遺跡 「南極の顔」
高千穂神社 スサ 御岩神社 奴奈川神社 モヘンジョダロ 亀ヶ岡石器時代遺跡 ロータル遺跡 青要山 スカラ・ブレイ 二里頭遺跡 須我神社 高雄関帝廟 生島足島神社 轟貝塚 アンコール・ワット 幣立神宮 馬王堆漢墓 バダ渓谷 グウィオン・グウィオンの岩絵 フゴッペ洞窟 由加神社本宮 サーペント・マウンド 蔵王大権現社
古代技術とレイライン
レイラインの作成にも使われたと思われる古代の技術が、下記のブログに紹介されていました。古代ギリシャのアルキメデス(前287頃 - 前212)は、紀元前300年頃に走行距離計を開発しています。シチリア島のシラクサのアルキメデスは、アンティキティラ島の機械と関連がある可能性が指摘されています。また、古代中国では黄帝の時代(紀元前2717ー2600年)に、常にある方角を指し続けるようなからくりが取り付けてある車(指南車)があったようです。
黄帝と夏王朝、邪馬台国
黄帝は、姫水のほとりに生まれたことに因んで姓は姫姓とされ、黄帝の他の五帝と、夏・殷・周・秦の始祖は黄帝の子孫であるとされていて、現在も多くの漢民族は黄帝を祖としています。夏王朝と推定される二里頭遺跡や秦の始皇帝陵はレイライン上にあり、レイラインから、邪馬台国は夏王朝と関係があると推定されます。投馬国と推定される青谷上寺地遺跡の人のDNA配列は、縄文人と漢民族の中間にあり、混血が進んでいたことを示しています。
日本の神社には龍の彫刻が多く見られますが、黄帝は、伝説において龍との関係が深いことから龍蛇形の神だったと考えられています。漢王朝や日本の古代天皇も龍と関係付けられていますが、古代天皇(特に「欠史八代」と呼ばれる初期の天皇)の諡号(漢風諡号)には、漢王朝の皇帝と同じく「孝」の字が多く当てられています。これらのことから、日本の天皇家は、黄帝と血縁関係があるのかもしれません。
中国の黄土高原で発見された約4000年前の石峁(せきぼう)遺跡(陝西省神木市)を黄帝と結び付ける説があります。遺跡の石垣は日本の城郭建築にも似た構造をもっています。
石峁遺跡と黄帝陵、漢陽陵
黄帝陵は陝西省延安市黄陵県にあり、石峁遺跡と咸陽市渭城区から西安市高陵区にかけてある前漢第4代景帝(在位:前157-前141)の陵墓(漢陽陵)を結ぶラインの近くにあります(図1)。漢陽陵の近くの咸陽市興平市に、景帝の九男の武帝の陵墓(漢茂陵)や始皇帝陵があります(図1)。

石峁遺跡とスサ、高千穂神社
始皇帝陵や関帝廟、大鳥大社や菊田神社、須玖遺跡群などとレイラインでつながるスサと高千穂神社(宮崎県西臼杵郡高千穂町)を結ぶラインの近くに石峁遺跡があります(図2)。

石峁遺跡とモヘンジョダロ、御岩神社
モヘンジョダロと縄文晩期の祭祀遺跡が発掘されている御岩神社(茨城県日立市)を結ぶラインは、石峁遺跡、権現岩(トトロ岩)(石川県輪島市)(図3)、奴奈川姫と大国主命を祀る奴奈川神社(新潟県糸魚川市田伏)(図4)の近くを通ります。奴奈川神社の西側には、古墳時代中期の田伏玉作遺跡があります。


石峁遺跡とロータル遺跡、亀ヶ岡石器時代遺跡
シチリア島の古代都市セリヌス(セリヌンテ)、アナトリア半島の古代都市セリヌス、シチリア島のシラクサとつながるインダス文明のロータル遺跡(ロータル博物館)と亀ヶ岡石器時代遺跡を碓ぶラインは、石峁遺跡の近くを通ります(図5)。

石峁遺跡と崑崙山、スカラ・ブレイ
黄帝の都は、主に河南省鄭州市の「新鄭(しんてい)」とされ、また、『山海経』では「青要山(せいようさん)」が帝の密都とされ、伝説上は「崑崙山(こんろんさん)」も下都として挙げられています。
崑崙山:中国神話において、西方にあるとされた神々の山。天界と地上を結ぶ、天梯のひとつでもある。現在、崑崙山と呼ばれている現実の山とは無関係である。
福建省 莆田市 仙游県にある崑崙山と旧石器時代からレイラインの指標となっていると推定されるスカラ・ブレイを結ぶラインは、新鄭市や石峁遺跡の近くを通ります(図6)。崑崙山の地名は複数ありますが、仙游県の崑崙山は、道教信仰が根付く地域で、仙游県などでは「五帝神」が広く祀られているようです。これらのラインから、石峁遺跡は黄帝の城だったと推定されます。

石峁遺跡と高雄関帝廟、二里頭遺跡、崑崙山
スカラ・ブレイと台湾の高雄市にある高雄関帝廟を結ぶラインは、図6のラインとほぼ重なります(図7)。高雄関帝廟は、アンコールワットと沖縄のシヌグ堂遺跡を結ぶラインの近くにあります。

崑崙山と須我神社、有田遺跡群
石峁遺跡と崑崙山(仙游県)を結ぶラインの近くには夏王朝と推定されている二里頭遺跡があります(図7、8)。福岡県にある紀元前200年頃の有田遺跡群からは平絹が出土していますが、伝説によれば黄帝の后の西陵氏が絹と織物の製法を築いたとされます。崑崙山(仙游県)と日本初之宮 須我神社(島根県雲南市)を結ぶラインは、有田遺跡群の近くを通ります(図8)。もしかすると、このラインは絹織物の製法が伝わったルートと関係があるかもしれません。

石峁遺跡と高雄関帝廟、スカラ・ブレイ
スカラ・ブレイと台湾の高雄市にある高雄関帝廟を結ぶラインは、図6のラインとほぼ重なります(図9)。高雄関帝廟は、アンコールワットと沖縄のシヌグ堂遺跡を結ぶラインの近くにあります。

アレクサンドリアやモヘンジョダロとつながるアンコール・ワットとチャタル・ヒュユクとつながる生島足島神社(長野県上田市)を結ぶラインの近くに崑崙山(仙游県)やチチェン・イッツァやポヴァティ・ポイント・ワールド・ヘリテイジ・サイトとつながる轟貝塚(熊本県宇土市)があります(図10)。

石峁遺址と幣立神宮、テルロー遺跡
テルロー遺跡(Girsu Tello Archaeological Site)と「南極の顔」とレイラインでつながる幣立神宮を結ぶラインは、石峁遺址の近くを通ります(図11)。石峁遺址が黄帝の都とすると、このレイラインから、幣立神宮や黄帝はシュメールと関係があると推定されます。

石峁遺址と「南極の顔」、馬王堆漢墓、バダ渓谷
シュメール人は、「アトランティス」の都市があったと推定される南極大陸と関係があると推定されるので、石峁遺址とギザ、サーペント・マウンド、イースター島、ストーンヘンジなどとつながる「南極の顔」を結ぶラインを引くと、メンフィスや三星堆遺跡とつながる馬王堆漢墓の近くを通り、スンダランドにあったと推定されるバダ渓谷(MENHIR BADA)の比較的近くを通ります(図12)。また、このラインは、12,000年前に作成されたと推定されるグウィオン・グウィオンの岩絵がある西オーストラリア州キンバリー地域を通ります(図12)。

グウィオン・グウィオンの岩絵とフゴッペ洞窟
グウィオン・グウィオンの岩絵とつながるバダ渓谷はサギノー湾とつながっていて、グウィオン・グウィオンの岩絵が作成された時期は、12,800年前の彗星の破片が衝突した時期に近いので、これらは「アトランティス」と関係があると思われます。
グウィオン・グウィオンの岩絵は、「南極の顔」やサギノー湾や神津島とレイラインでつながるフゴッペ洞窟(北海道余市町)の岩絵と似ているように思われます(写真1)。フゴッペ洞窟は、約5,000年前の縄文海進による波浪侵食によって出来た海食洞で、岩絵は、堆積土層から発見された土器や骨角器の分析から、およそ2,000~1,500年前の遺跡であると推定されています。

レイラインから、12,800年前の彗星衝突と関係があると推定される火焔型土器は、約5,300〜4,700年前の縄文時代中期に作られた縄文土器です。これらの遺跡や遺物が、ヤンガードリアス期より比較的新しいのは、レイラインに基づいて長期間祭祀が継続されたためではないかと思われます。
フゴッペ洞窟と瑜伽山を結ぶラインは、三川山 蔵王大権現社の近くを通り、神津島とギョベクリ・テペを結ぶラインとほぼ直角に交差します。由加神社本宮(岡山県倉敷市)とサーペント・マウンドを結ぶラインは、三川山 蔵王大権現社(兵庫県美方郡香美町)やフゴッペ洞窟の比較的近くを通ります(図13)。八大龍王(水神)は、元は彗星だったと推定されますが、三川山 蔵王大権現社には、「八大剣龍王」と刻まれた石碑があります。蔵王大権現社は、7世紀後半に役行者が開創する以前から祀られていたと推定されます。

サーペント・マウンドや「南極の顔」は、12,800年前の彗星衝突と関係があると推定されるので、ギョベクリ・テペやギザの三大ピラミッドと同様に、先史時代の遺跡の多くは、「アトランティス」の滅亡の原因となった12,800年前の彗星衝突を記録しているのではないかと思われます。
