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温故知新(112)伊達政宗 中村八幡宮 徳川家康 丹生氏

氷川神社 秩父神社 行田八幡神社 マラケシュ 七輿山古墳 多胡碑 飯能丹生神社 大國魂神社 オリンポス山 瑞鳳殿 竹駒神社 大高山神社 アレクサンドリア 仙台城址(青葉城址) 大崎八幡宮 スカラ・ブレイ 鹽竈神社 ローマ

中村八幡宮と丹生氏、多氏、中村氏、伊達氏
 源頼朝の奥州遠征に参軍した当地領主中村宗村は、中村八幡宮(栃木県真岡市)に戦勝を祈願し、成就して功を挙げ奥州伊達郡(現在の福島県)の地頭職を授かり伊達に移住し、伊達氏の祖となったといわれています。

 中村八幡宮を創建した中村氏は藤原北家道兼流(後の奥州伊達氏の祖)とされていますが、中村八幡宮(真岡市)は、誉田別尊(品陀真若王、出雲建と推定)を祀り、大甕神社や大生神社とレイラインでつながっているので丹生氏や多氏と関係があると推定されます。

 中村八幡宮と武蔵七党丹党嫡流中村氏ゆかり秩父神社(埼玉県秩父市)を結ぶラインは、武蔵一宮 氷川神社(さいたま市大宮区)とマラケシュを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図1)。中村八幡宮と秩父神社を結ぶラインの近くには、上之雷電神社(熊谷市)があり、氷川神社とマラケシュを結ぶラインの近くには、誉田別尊、気長足姫尊、比売大神、大物主神、神素盞鳴尊を祀る行田八幡神社(行田市)があります(図1)。氷川神社は、ローマクサール・ヌアイラともレイラインでつながっています。

図1 氷川神社、中村八幡宮、秩父神社を結ぶ三角形のラインと上之雷電神社、氷川神社とマラケシュを結ぶラインと行田八幡神社

中村八幡宮と七輿山古墳、多胡碑
 中村八幡宮と丹生麿(継体天皇と推定)の子の古佐非の墓と推定される七輿山古墳(群馬県藤岡市)を結ぶラインは、氷川神社とヴェストラホルン(Vestrahorn)山を結ぶラインとほぼ直角に交差し、ヴェストラホルン山と秩父神社を結ぶラインは丹生氏と推定される多胡羊太夫の多胡碑(高崎市)の近くを通ります(図2)。

図2 氷川神社、中村八幡宮、七輿山古墳を結ぶ三角形のライン、氷川神社とヴェストラホルン(Vestrahorn)山を結ぶライン、ヴェストラホルン山と秩父神社を結ぶラインと多胡碑

中村八幡宮と飯能丹生神社、オリンポス山
 中村八幡宮と飯能丹生神社(埼玉県飯能市)を結ぶラインは、氷川神社とオリンポス山を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図3)。これらのラインから、中村宗村は、丹生氏の武蔵七党丹党嫡流の中村氏と関係があると推定されます。そうすると、中村八幡宮に誉田別尊(品陀真若王と推定)が祀られていることと整合します。

図3 氷川神社、中村八幡宮、飯能丹生神社を結ぶ三角形のライン、氷川神社とオリンポス山を結ぶライン

中村八幡宮と駿府城跡、大國魂神社、オリンポス山
 徳川家康の先祖は丹生氏と関係があると推定されるので、中村八幡宮と駿府城跡(静岡市)を結ぶラインを引くと、ラインの近くに飯能丹生神社や倭建命と関係がある御正体山があります(図4)。このラインは、大國魂神社(府中市)とオリンポス山を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図4)。

図4 大國魂神社、中村八幡宮、駿府城跡を結ぶ三角形のラインと飯能丹生神社、御正体山、大國魂神社とオリンポス山を結ぶライン

武蔵七党丹党嫡流中村氏
 徳川家康が関東に移封された後、豊臣政権の命令を受けて豊臣秀吉の家臣である中村一氏(なかむら かずうじ)が駿府城の城主を務めています。中村一氏は関ヶ原の戦いでは東軍に属しましたが病気で亡くなり、弟の中村一栄や、家督を継いだ長男の中村一忠の戦功によって、中村家は伯耆一国米子城17万5,000石および国持大名の格式を与えられています。

 武蔵七党丹党嫡流中村氏の下中村家(中村氏、大河原氏)は播磨国宍粟郡三方西郷に地頭職を得て播磨国に西遷していますが、本貫地に拠った上中村家は、南北朝の動乱期には、足利氏に応じて結城氏に従軍し、鎌倉府が成立すると、鎌倉公方足利氏に仕え、安保氏三浦氏千葉氏などと姻戚関係を結んだようです。中村一氏の出自は諸説あり不明ですが、家康の中村家への待遇などを考えると、中村一氏は丹生氏と関係があると思われます。

伊達政宗と大高山神社、竹駒神社、アレクサンドリア
 伊達政宗公の霊屋 瑞鳳殿(宮城県仙台市青葉区)と大高山神社(柴田郡大河原町)を結ぶラインは、豊玉姫命と関係があると推定される小野篁が創建した竹駒神社(岩沼市稲荷町)と豊玉姫命と関係があると推定されるアレクサンドリアを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図5)。

図5 竹駒神社、瑞鳳殿、大高山神社を結ぶ三角形のラインと仙台城址、竹駒神社とアレクサンドリアを結ぶライン

 大高山神社は、社伝によれば、敏達天皇元年(572年)に日本武尊を主祭神として創建されたといわれます。大高山神社の祭神の日本武尊(倭建命)は品陀真若王と推定されるので、品陀真若王と推定される中村八幡宮の祭神と一致します。

 伊達氏の始祖である朝宗(常陸入道念西)は、もともと常陸国真壁郡伊佐荘中村(現在の茨城県筑西市周辺)に住んでおり、当初は伊佐氏または中村氏を称していました。伊達氏の祖とされる常陸伊佐氏は、従来は藤原氏の藤原北家山蔭流とされてきましたが、下毛野朝臣とする説も提唱されています。大国玉神社(茨城県桜川市)と秩父神社を結ぶラインは筑西市を通り、このラインは、麻賀多神社奥宮(千葉県成田市船形)と聖ミカエルの山を結ぶラインとほぼ直角に交差し、後者のラインは、中村八幡宮の近くを通ります(図6)。

図6 麻賀多神社奥宮、大国玉神社(茨城県桜川市)、秩父神社を結ぶ三角形のラインと筑西市、麻賀多神社奥宮と聖ミカエルの山を結ぶラインと中村八幡宮

 中村八幡宮の創始は、藤原定任の長男・実宗が常陸介に任じられ、常陸国伊佐郡に住し伊佐氏を称したとされる天永2年(1111年)よりは古いようです。1111年は、藤原北家閑院流藤原公成の娘を母とする第72代白河天皇が上皇(法皇)として院政を行っていた時期で、誉田八幡宮(大阪府羽曳野市)が仲哀天皇を祀るようになったと推定される頃です。

伊達政宗と徳川家康
 伊達政宗は、仙台開府後、仙台城(青葉城)の乾(北西)の方角にあたる地に、大崎八幡宮(宮城県仙台市青葉区八幡)を祀りました。ローマとつながりのある鹽竈神社(塩竈市)と大崎八幡宮を結ぶラインは、仙台城(青葉城)と日光東照宮とも関連付けられているスカラ・ブレイを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図7)。これらのラインから、伊達政宗は、徳川家康と同族だったと推定されます。

図7 仙台城跡(青葉城址)、鹽竈神社、大崎八幡宮を結ぶ三角形のライン、仙台城跡とスカラ・ブレイを結ぶライン

 スカラ・ブレイは、大丹生直 丹生麿と推定される第26代継体天皇の長子の第27代安閑天皇の陵墓と推定される河内大塚山古墳や、継体天皇の第二子の第28代宣化天皇の陵墓と推定される雲部車塚古墳ともレイラインでつながっています。

 伊達政宗は、1613年に遣欧使節(慶長遣欧使節)を送り、伊達氏家臣の支倉常長は、スペインを経由してローマに赴き、ローマ教皇・パウロ5世に謁見し、ローマ貴族となっています。伊達氏は、鹽竈神社の改築などを行っていますが、ローマとのつながりを知っていたのかもしれません。

 伊福部氏(尾張氏)の祖神を祀る尾針神社(岡山市北区京山)もローマとつながっています。松平信重は、伊福部氏(丹生氏や多氏と同族)だったと推定されますが、伊達政宗は、慶長13年(1608年)に、「松平」姓を許され、陸奥守に任じられています。伊達政宗関ケ原の戦いの本戦には参加しませんでしたが、代わりに奥州で上杉氏を牽制する任務を負いました。徳川家康の天下統一に伊達政宗が協力したのは、ルーツが同じだったためではないかと思われます。