見出し画像

温故知新(111)大生部多 倭文神社 意富比神社(船橋大神宮) モン・サン・ミシェル 壬生部 大生神社 大甕神社(大甕倭文神宮) 大生古墳群   

秦河勝 聖徳太子 尾綱根命 春日和珥童女君 東大寺山古墳 舂米女王 壬生車塚古墳 恵那神社奥宮 村山浅間神社 神崎神社 富士山本宮浅間大社 ローマ 中村八幡宮 静神社 ヴェストラホルン山 筑波山神社 メンフィス 大神神社 ギョベクリ・テペ 鹿島神宮 香取神宮 大生殿神社 西之宮大神宮 ラス・ダシャン山

壬生部と倭文神社、東大寺山古墳、壬生車塚古墳
 『日本書紀』によれば、大化改新(645年~)の始まる一年前に、駿河国の富士川付近に居た大生部多という人物が、「常世の虫」を祀るよう村民を扇動したため、秦河勝によって討伐されたとあります。大生部は職業部の内の壬生部の一つで、壬生部は、聖徳太子(崇神天皇と推定)の一族である上宮王家と関係があります。

 静岡県富士宮市星山にある倭文神社(しどりじんじゃ)は、古代、倭文部によって奉祭された神社で、駿河国と常陸国のみが、調として倭文布を納めていたといわれます。春日和珥童女君が尾綱根命の娘であれば、壬生部と関係があると推定され、舂米女王(上宮大娘姫王)が壬生部に対する権限を持っていたと推定されることから、東大寺山古墳(奈良県天理市)と壬生車塚古墳(栃木県下都賀郡壬生町)と倭文神社(富士宮市)の関係を調べてみました。

 倭文神社(富士宮市)と壬生車塚古墳を結ぶラインの近くには、村山浅間神社(富士宮市)があります(図1)。東大寺山古墳と壬生車塚古墳を結ぶラインは、恵那神社奥宮(長野県下伊那郡阿智村)の近くを通り、倭文神社(富士宮市)とモン・サン・ミシェルを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図1)。このレイラインから、春日和珥童女君は、壬生部と関係があると推定され、尾綱根命の娘と推定されることと整合します。

図1 倭文神社、壬生車塚古墳、東大寺山古墳を結ぶ三角形のラインと恵那神社奥宮、村山浅間神社、倭文神社(富士宮市)とモン・サン・ミシェルを結ぶライン

 倭文神社(富士宮市)のある星山の地は、神代、香々背男が支配し、中央に叛いたため、倭文神社の祭神の健羽雷神(建葉槌命、武羽槌命)によって討たれとされています。これは、「出雲の国譲り」で、建御雷神(武甕槌神)が大国主神に対して談判をおこなったという話や、聖徳太子が蘇我氏と共に物部守屋と戦ったという話と同様に、縄文・弥生系の氏族同志を争わせるという創作の点で共通しています。

倭文神社と大生神社、意富比神社、富士山本宮浅間大社
 飯富一族(多氏)が氏神として祀った茨城県潮来市にある大生神社と倭文神社(富士宮市)を結ぶラインは、千葉県船橋市の天照皇大御神を祀る意富比神社(船橋大神宮)とモン・サン・ミシェルを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図2)。意富比神社と大生神社を結ぶラインの近くには、須佐之男命(孝霊天皇と推定)を祀っていると推定される神崎神社(千葉県香取郡神崎町)があります(図2)。意富比神社の祭神は、大日孁貴(倭国香媛、意富夜麻登玖邇阿礼比売命と推定)と推定され、このラインは、意富比神社が多氏(意富氏)と関係があると推定されることと整合します。

図2 意富比神社、大生神社、倭文神社(富士宮市)を結ぶ三角形のラインと神崎神社、意富比神社とモン・サン・ミシェルを結ぶライン

 倭文神社(富士宮市)は浅間大社旧摂社で、3kmほど北に富士山本宮浅間大社(富士宮市)があります(図3)。

図3 図2のラインと富士山本宮浅間大社、富士川

倭文神社と意富比神社、大甕神社
 富士宮市星山と同様な伝承が残る茨城県日立市にある大甕神社大甕倭文神宮)と倭文神社(富士宮市)を結ぶラインは、意富比神社(船橋大神宮)とローマを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図4)。

図4 意富比神社(船橋大神宮)、大甕神社、倭文神社(富士宮市)を結ぶ三角形のライン、意富比神社とローマを結ぶライン

大生神社と大甕神社、 静神社、中村八幡宮
 大生神社とヴェストラホルン山を結ぶラインの近くに建葉槌命(倭迹迹日百襲姫命、豊玉姫命、卑弥呼と推定)を祀る常陸国二之宮 静神社(那珂市)があります。このラインは、大甕神社と誉田別尊(品陀真若王、出雲建と推定)を祀る中村八幡宮(栃木県真岡市)を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図5)。

図5 大生神社、大甕神社、中村八幡宮を結ぶ三角形のライン、大生神社とヴェストラホルン山を結ぶラインと静神社

 大生神社(写真1、2、3)は、健御雷之男神を唯一の祭神とする元郷社で、鹿島の本宮といわれ、古く大和国の飯富一族(多氏)の常陸移住の際、氏神として祀ったことに始まるといわれています。大生神社拝殿の破風拝飾の彫刻(写真2)は、静神社本殿のと同様に、波や渦巻きを表しているようです。大生神社の境内にある石の祠にも、西之宮大神宮の祠と同じ紋章が見られます(写真4)。

写真1 大生神社 拝殿
写真2 大生神社 拝殿の破風拝飾の彫刻
写真3 大生神社 本殿(千葉県指定有形文化財)
写真4 大生神社境内の石の祠

大生神社と筑波山神社、大神神社
 大生神社とメンフィス博物館を結ぶラインは、筑波山神社(つくば市)の近くを通り、ギョベクリ・テペと大生神社を結ぶラインは、豊城入彦命による創建と伝わる大神神社(栃木市)の近くを通ります(図6)。このレイラインは、飯富一族(多氏)と崇神天皇との関係を示していると推定されます。

図6 大生神社とメンフィス博物館を結ぶラインと筑波山神社、ギョベクリ・テペと大生神社を結ぶラインと大神神社

大生古墳群と鹿島神宮、香取神宮
 大生神社の近くには、大生古墳群(写真5)や大生殿神社があります。大生古墳群の被葬者は鹿島神宮と密接な関係のあった飯富一族(多氏)一族で、子子舞塚(写真6)はその奥津城であったことが立証されています。

写真5 大生古墳群の鹿見塚古墳
写真6 子子舞塚(まごまいづか)古墳

 大生殿神社と鹿島神宮と香取神宮をラインで結ぶと、香取神宮と大生殿神社を結ぶラインは、鹿島神宮とラス・ダシャン山を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図7)。これらのレイラインは、飯富一族(多氏)と加具土命少彦名命との関係を示していると推定されます。

図7 鹿島神宮、香取神宮、大生殿神社を結ぶラインと大生神社、西之宮大神宮、鹿島神宮とラス・ダシャン山を結ぶライン