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99:1 ①

西暦2112年。70年前に100%の確率で可能になった男女の産み分け。
世界中で解禁になった技術は、たった二度の遺伝子注射を打つことのみ。
だが9割の妊婦が男児を選択したことにより、男女差の均衡が大きく傾く。女性の減少で人口は激減。使用が全面禁止になった頃には既にその差は埋められないほど広がり、99:1にまで達していた。
1%のみとなった女性と世界はどう付き合ってゆくのか。
同じ理念を持つ国同士が合併して生み出した新たな「共存」方法とは。

なぜ産み分けの際、女性たちは「男児」を選択したのか。
滅亡に近付く世界を救うのは?

プロローグ

2112年6月21日。午前5時50分。ひとつのニュースが世界中を駆け巡った。

『SSM制度導入当時を知る最後の女性、死去。享年九十四歳』

平均寿命が六十五歳まで低下した現代において、彼女の長寿は驚異的だった。公開された写真はさらに人々に衝撃を与えた。凛とした瞳、口元に浮かぶ微かな微笑。刻まれた皺は年月を物語るが、その表情は晴れやかだ。オーク材のピーコックチェアに身を預ける姿は、静かな気品に満ちた白鳥のようだった。彼女は最期にこう遺した。

「女性は太陽。女性は大地。決してこの世から消えることはありません」

彼女の死により、男女比が五対五だった時代を知る証人は消えた。世界は、SSM制度以降に誕生した者たちだけになったのだ。

SSM(SEX SELECTION METHOD)

2035年、新生児の産み分けを権利として認めたこの法律は、瞬く間に世界へ広がった。2029年に誕生した性別遺伝子を操作する新薬。妊娠五週目までの投与で、ほぼ100パーセントの精度で性別選択が可能となった。

「神への冒涜」という反対意見もあったが、二度の注射で希望の性別が手に入る。副作用もなく、準備もスムーズに進む。多くの妊婦に「便利な制度」として歓迎された。

しかし十五年後、統計に異変が現れた。男女比が七対三と、男児が上回ったのだ。自由を掲げる大国でも、女性の地位が低い国でも、結果は同じだった。背景にあったのは、母親たちの悲痛な願いだ。育児の孤独、社会復帰の難しさ、野放しの法律。女として生きる不自由さを知る彼女たちは「我が子に同じ思いをさせたくない」と、二人目、三人目に男児を望んだ。

「なぜ女が嫌なんだ。いい思いをさせてやっているのに」

ある政治家の放言が象徴するように、相互理解を諦めた女性たちは、賢く生きるより、男として楽に生きる道を選別し続けた。

事態を重く見た国連が制度廃止を宣言したのは、さらに十年後のこと。だが時すでに遅かった。胎児への薬物投与は世代を超えてDNAに影響を及ぼし、自然妊娠でも男ばかりを産む体質に変異していたのだ。出生率は激減し、人口は百年前の半分以下となった。男性三十億人に対し、女性はわずか三千万人。この極端な格差を埋めるべく、同じ理念の国同士が統合し、世界は五つの共同体に区分けされた。

男女比99:1。この絶望的なアンバランスに対し、五つの国はそれぞれ全く異なる「共存方法」を定めた。互いの干渉は禁じられ、情報は遮断された。

なぜ、女はいなくなったのか。三十年前から研究が続いているが、答えはまだ出ていない。

 
 
   1 女性神格化制度


2096年。スノーシュー家に女の子が誕生した。夫婦は歓喜し、町内のみならず、州全体が祝福に湧いた。町長や知事も直接お祝いに訪れ、大統領までもが「素晴らしい神の贈り物」と映像付きのメッセージを発信した。一晩中花火が上がり、お祝いのパレードは一週間も続いた。

瞬く間に国中に名の知れたスノーシュー家には回線がパンクするほどの電話やメールが送られてきた。マスコミも一般人も家の前に詰め掛け、生まれたばかりの娘をこぞって撮影した。夫妻の暮らす町で二年振りに生まれた女の子は、一大ニュースとなって隅々まで駆け巡った。

スノーシュー家の夫であるトイガー・スノーシューは、それまで平凡な会社員だった。 大手のスポーツ用品メーカーの、目立たない営業マンだった彼が、娘の生まれた翌日に専務に出世し、個室まで与えられた。社員たちの態度も一変。廊下を歩けば称賛のまなざしが注がれ、どこに行っても特別待遇を受けるようになった。レストランに行けば一番いい席に案内され、高級ワイン付きのディナーが無料。子供服のメーカーから毎月可愛いベビー服が届き、日用品を扱う会社からはオムツやミルクが無償で提供された。他にもおもちゃが倉庫一個分。不動産王からは家と別荘までプレゼントされた。

王族並の待遇に初めは戸惑った夫婦だったが、いつしかその生活に馴染んでいった。ミヌエットと名付けられた娘をお姫様として大切にし、愛した。家族写真が町中に貼られ、幼稚園の劇でもミヌエットはいつも主役だった。 

女性の人口激減を受け「女性神格化制度」を採用したこの国では、女性を神のごとく崇め、その誕生を国を挙げて守り抜く。スノーシュー家はあらゆる税や学費を免除され、莫大な祝い金を手にした。豊かさはいつしか当たり前の空気となり、母のペルシャはVIPとしての扱いに慣れ、少しでも特別扱いを欠かれれば不機嫌を見せるほど、その特権階級の振る舞いを身に付けていった。

  ♢♢♢

ミヌエットが四歳を迎えた日、岬のホテルを貸し切って盛大な誕生会が開かれた。千人を超える名士たちが集う中、会場は初夏の柔らかな光に満ちていた。知事や大企業のCEO、スポーツ選手に、芸能人なども詰め掛けた。開放されたテラスの向こうには、五月の太陽を反射してきらめくアクアブルーの海。このあと屋外で演奏会も催されるため、芝生の庭には椅子も用意されていた。明るい昼下がりは笑い声と拍手でさざめいていた。

小さな彼女が母親と手を繋いでステージに登場すると会場は歓声に湧いた。マイクを握ったミヌエットが歌う「ドレミの歌」は大喝采だった。この日のためにミヌエットと母親のペルシャは何か月も前から準備してきた。ハイブランドの総レースドレスに身を包み、おしゃまなカールヘアとメイクを施した彼女は、まさに国のプリンセス。
五回も衣装替えをこなし、スポットライトを浴びて踊る愛娘をトイガーは最前列で見守り、誰より大きく拍手し、声援を送った。

「ミヌエット、最高だ!」

娘の晴れ舞台に涙を浮かべながら何度も手を振った。誰もが彼女の拙いダンスを笑顔で見つめていた。

「ねえ、パパお腹空いた」

ロシアンは父親であるトイガーのタキシードの裾を引っ張った。退屈だった彼は、グレーのスーツに膝丈のハーフパンツで体を捻った。

「もう少し待ちなさい。ミヌエットがステージにいるんだから、ロシアンも応援しておやり。素晴らしいよ、ミヌエット!ブラボー!」

父親の視界に自分がいないとロシアンは悟った。父親だけでない。母親も、招待客も、 みんなミヌエットだけに視線を注いでいた。

言ってもムダか。ロシアンは溜息をつき、会場後方のビュッフェへ向かった。整列する十二人のシェフたちの前には、母ペルシャが厳選したオーガニック料理が並んでいる。だが撮影や衣装替えが長引き、食事はなかなか始まらない。朝食を抜いていたロシアンは空腹の限界だった。

ローストチキンにえびのフリッター。トリュフのかかったクリームパスタ。カニとソーセージがトッピングされたピザ。白いチョコレートケーキに、イチゴたっぷりのパフェ。

メニューはミヌエットの好物ばかり。四歳の女の子らしい子供っぽい料理だが、市場に出回ることのない限定品の素材だけが使用されていた。母親のペルシャは添加物や合成着色料を嫌い、家で作るパンやケーキも特別栽培された小麦粉しか使用せず、シロップやジャムも天然物を取り寄せていた。

ロシアンはどこの小麦粉でも気にしない。両親がミヌエットには禁じてるファストフードのハンバーガーも本当は大好きだ。昔は父親のトイガーとサッカーで遊んだ帰りに食べ寄った。バニラシェイクにとろけるチーズのハンバーガーは最高の組み合わせだった。トイガーもテリヤキチキンサンドが好きで、向かい合って頬張る時間は、男同士の特別な至福だった。けれどミヌエットが生まれてからは一度もバーガー屋に行っていない。ロシアンがせがんでも父親は首を横に振る。

「もうそんな安い店に行かなくても、もっともっと美味しいものを食べられるんだよ」 

そう言って100グラム200ドルもする高級ステーキを400グラムぺろりとたいらげるのだった。

会場にハンバーガーはないが、空腹のロシアンにはどの料理も美味しそうに見える。だがミヌエットのファッションショーに全員が釘付けで、料理は手付かずのまま寂しく湯気を立てていた。

「出来立てがおいしいのよ」といつも叱る母親が、今は千人の客を二十分も待たせている。ミヌエットのためならこだわりも後回し。ロシアンは冷めていくピザを眺め、心の内で皮肉をこぼした。

手持ち無沙汰に歩き回るロシアンを、シェフたちがテニスの試合を見るように視線を送る。その中の一人、恰幅の良い白髪のシェフが微笑みかけた。

「坊っちゃん、ミヌエットちゃんのお兄さんかい? 向こうにビスケットがあるよ、おいで」

終わる気配のないショーを背にロシアンが頷くと、シェフは厨房へ招き入れて、おかわり用にストックしてある料理を並べてくれた。

「どうぞ、いくらでもお食べ」

まだ温かいチキンやピザを、ロシアンは夢中で頬張った。咳き込む彼に、シェフは「ほら慌てない」と優しく水を差し出した。

「お腹が空いていたんだね」

グラスの水を飲み干し、袖で口を拭って頷くと、次はカスタードパイを口に運んだ。「おいひい」と声を漏らすロシアンをシェフは静かに見守っていた。けれど満腹になるにつれて、ロシアンの手は止まった。

「ごちそうさま…」

パイ生地の欠片が散る皿にフォークを置いた。

「まだスープが残っているよ。もういいのかい?」

シェフの問いに、ロシアンは小さく頷いた。会場から拍手の渦が聞こえてくる。そちらの扉を一瞥し、すぐに視線を落として、所在なげに足をぶらぶらと揺らした。

『ランチタイム、開始します』

ヘッドセットから響く無機質な声に、シェフは「すぐ行く」と短く応じた。

「さあ、戻ろう。パパとママが待ってるよ」

シェフはロシアンの肩に手を置いた。林檎を容易く握り潰してしまいそうな、節くれ立った逞しい指。その短く切り揃えられた爪を見つめながら、ロシアンは力なくかむりを振った。

「僕のことなんか気にしてないよ。ミヌエットだけいればいいんだから。男なんかどうだっていいんだ。男は砂なんだから。たくさんいるから、ひとりぐらいなくなったって誰も気付かないよ」

「そんなことないよ。大事な家族なんだから。さあ行こう、きっと心配しているよ」

口唇を突き出すロシアンをシェフは優しく励ました。促されて、ロシアンはようやく椅子から立ち上がり、銀色の迷路のような厨房を歩きだした。

「おじさんにも妹がいるから、君の気持ちは分かるよ」

会場へと歩くすがら、四角い顔のシェフは言った。

「妹が生まれた途端、両親の関心はすべて彼女に移ってしまってね。とても寂しかったのを覚えているよ。気を引きたくて、わざとひどい悪戯もした。車にペンキで落書きをしたり、冷蔵庫にカエルを入れたりね。でも、それは逆効果だった。両親の心はどんどん僕から離れていって、君の言う通り、家に舞う砂埃みたいに煙たがられたよ。なのに妹は何をしても叱られない。女の子というだけで優遇されて、みんなが何でも許してくれる。ずるいなって思ったよ。僕より運動も勉強も苦手だったのに、地域の名門校に無試験で入学して、成績が悪くても追試なしで進級できる。どこへ行くにも護衛がついて、知らない男が声をかけただけで相手は腕をねじり上げられた。女性が少ない世界だから、国ぐるみで守ろうとするのはわかるけれど、男にとっては居心地が悪い世の中だよな」

ロシアンは何も答えなかったが、心の中では深く頷いていた。会場の光が見えてくると、招待客たちの話し声が聞こえてきた。ようやくミヌエットの出番が終わったらしい。調子外れの歌声が止み、ロシアンはそっと胸をなでおろした。そして鉛色の開閉ドアをぐいと押した直後だった。

「ジャン・ノルウェーフォレスト!動くな!両腕を頭の後ろにして跪け!」

武装した警備隊が四人、ショットガンを構えて周囲を取り囲んだ。

「君は向こうに。ご両親の所にお行きなさい」

右前にいた警備隊がロシアンに顎をしゃくった。慌ててやってきたホテルの従業員が「さ、こちらへ」とロシアンの背中に手を添えながら連れ出した。歩きながら振り向くと、シェフは両手を上げながらゆっくり跪いた。

「密告があった。ジャン・ノルウェーフォレスト。女性侮辱罪で逮捕する」

ジャン・ノルウェーフォレストがシェフの名前らしい。警備隊はショットガンを下ろすと無抵抗の彼を後ろ手に手錠を掛け、引きずるようにして四人掛かりで連行した。
 ロシアンは佇みながら茫然とした。去り際にシェフがちらとこちらを向いた。拘束された彼の目は悲しげに揺れながら微笑んでいたが、やがてその背中は会場の外へと消えていった。 

「さあさあパーティーに戻りましょう。お料理の準備が整いましたわ。みなさんたくさん召し上がっていって下さいね」 

母親のペルシャは笑顔で招待客に言った。警備隊がいなくなると、ざわついていた客たちもテーブルに集まり、シャンパングラスを手に談笑を始めた。 

「おお、嫌だ。ミヌエットが怖がっちゃう。ああいう男は一生檻の中に閉じ込めておいてほしいわ。ロシアンももう近付くんじゃないわよ」

腕を組む母親は汚いものを見るように目をしかめた。あの人はママたちが遅いから食べさせてくれたんだよ。ロシアンは喉まで出掛かった言葉を飲み込んだ。言ってもムダだからだ。パパとママはミヌエットが一番。脅かす人間は全員敵。本当はいい人かなんて関係ないのだ。自分達が安心なら何人でも連行していいと思っている。

ふとロシアンは黒髪の若いシェフと目が合った。彼は何かを繕うように襟元を直すと、銃を下ろした警備員に肩を叩かれ、共に扉から出て行った。ロシアンは気が付いた。今の男がジャンを陥れたのだと。自分との会話を通信機で聞いていて、それを警備隊に知らせたのだ。

この国の憲法第1条「女性保護法」では厳罰が課されていた。女性に暴行を加えようものなら未遂でも死刑、その場で射殺もある。死体はしばらく晒され、犯人の家族も離島送りになるほどの重罪だった。警備も厳重な昨今では滅多に起こりはしないが 「侮辱罪」での摘発は珍しくなかった。