99:1 ⑬
あずさは大きく息を吐き、両手をテーブルの上に重ねた。
「最初に構えたのははるか先生でした。同時にみんなも装着して、一気に撃ち合いになったんです。はるか先生ははくたかを狙ってました。それを幼馴染の子が庇って撃たれました。はるか先生ははくたかのファンの子に撃たれました。次にその子がなすのに撃たれて、なすのはさくらに。そこからはもう覚えてません。気が付いたら乱射状態で、下級生の子も、他校の子もどんどん倒れていって、逃げる間もなく山形ものぞみも撃たれていました。辺りは血だらけで、学校に残っていた人たちは銃声を聞いて逃げてしまったんで、周りには誰もいなくなってました。気が付いたら私とはくたかだけ残ってました。その時はまだ生きてる子もいたんですけど、声も出ないし体も動かなくて、助けを呼びに行けませんでした。そしたら、ははっ…て声がして、はくたかが笑ってたんです。それで私に言ったんです。どうしてお前みたいなデブだけ生き残ってんだ。みんな撃たれてるのにどうしてだよって。いつものにこにこしたはくたかとはまるで違う、三角の邪悪そうな目で睨んでたんです。私は怖くてただ首を振ってました。はくたかは続けて言いました。そうか、お前は最初から争奪戦に参加させてもらってなかったんだな。みんなが僕を取り合いしてても、対象外だから撃たれなかったのかって。99:1で女の方が圧倒的に少なくても、選ばれない奴は選ばれない。これはそういうことの結果だろって。あの撃ち合いははくたかの取り合いが原因で起こったけれど、私はこの体型だから、ライバルにならなかったんです。一番面積が大きいのに無傷だったのは、誰の標的にもならなかったからですよ」
あずさの体が前後に揺れていた。なにかを分散させるように手や足がもぞもぞと動く。さきほどまでの笑みも消え、一点を見つめながら大きく浅い呼吸を繰り返していた。お母さんを呼ぼうか?と声を掛けたが、いいですと無表情のまま答えた。額に汗が滲んでいた。
「はくたかは気が狂ったみたいに笑ってて、倒れてる女の子の周りを歩きながら、おい、おいって足で体をつつくんです。生きてるのか確かめてるんですけど、まるで別人で悪魔みたいでした。こいつはひどい男だ。殺さなきゃって思いました。それで私が銃を降ろそうとした時、二発発砲音がしたんです。のぞみでした。巻き込まれてお腹を撃たれていたのに、のぞみはまだ生きていて、はくたかの話を聞いてたんです。倒れるはくたかより、のぞみに駆け寄ってました。死なないでって何度も呼びました。のぞみは私に笑い掛けて「やっぱり男って敵なんだね…」って手を握り締めたまま死んじゃいました。今も最後の手の力を覚えてます。私は死ななかったけど、嬉しいのか分かりません。太ってるから助かったなんて、どうやって喜べばいいんですか。せっかくの卒業式に、友達がみんな死んでしまったのに…」
パソコンのキーボードを叩く音も止み、品川も息を飲んで上を見上げたが、気付かれぬように緩む口唇を噛み締めていた。つい笑いが込み上げてしまう。まるでコントだった。「デブだったから生き残りました」など、笑かすためのオチでしかない。なんという言葉を掛けていいのか迷った。咳払いでごまかしながら資料を開き、犠牲者の遺体写真などを見て無理やり感情をシフトした。 事件の全容が見えると、妙に納得する部分と、不思議に思うことが同時に存在した。
ひとつははくたかの言葉だ。女の数が少なくても男は厳選する。そして選り分ける。あずさは頭もいいし、素直で友達思いだ。彼女の長所も分かっているが、特殊な嗜好か性癖でもない限り、120キロの巨漢を第一印象で選ぶことはしない。とはいえ美人でなくてもほとんどの女性が結婚するのは、現実として数が少ないからだ。なのに彼女達は撃ち合った。金沢はくたかという男子ひとりを取り合って。男女比率99:1。ひとりの女性につき99人の求婚者がいるというのに、女は女でほしいものしかいらない。彼女らもまた厳選するからだ。
これは凶悪事件でもなんでもない。SSM法の延長線上で起こった結果のひとつに過ぎない。なぜ彼女らは撃ち合ったか。銃の携帯が義務化されているからだ。なぜ銃を携帯しているか。圧倒的少数の女性が身を守るためだ。なぜ女性が少ないのか。女性が女を生むことを拒絶したからだ。なぜ拒絶したのか。それはなぜだ?品川は腕を組んで思案したが、目の前にいるあずさが答えを握っている気がした。
「貴重な話をありがとう。事件のあらましが分かったよ。でも君は生き残ったんだ。ご両親だって君の無事をどんなに喜んだか。恥ずべきことなんかないんだから、堂々としていればいいんだよ」
「別に恥ずかしいなんて思ってませんけど。申し訳ないなと思ってるだけです」
あずさは目をしかめて品川を凝視した。つい口走った本音。そういう意味じゃないんだよとごまかしたが、失言だったと反省した。
あずさは表情を変えずにいた。普通はこんな話をしたら慟哭して取り乱すものだが、彼女は波がなく、一滴の涙も見せていない。事件に関わった子供が無感情になるのはよくある。恐怖心や罪悪感を封印しようとして心を閉ざすのだ。 だから胸の内を吐きだす時間が必要になる。つい吹き出しそうにもなったが、助かった命を慈しんでほしいというのは嘘ではなかった。
「明後日、みんなの合同葬儀なんですよ。私、出てもいいんですかね」
背中を丸め、あずさはぼそりと呟いた。
「お友達との最後のお別れなんだから出るべきだよ。もし心配なら護衛を付けるよ。大事件だったから世間も注目しているしね」
「はくたかのお葬式は地元でやるそうです。お父さんがそうしたいみたいですね」
品川は無言で頷きつつ、先程受け取った資料のバインダーをちらと見た。迷ったが、この際全て話すことにし、手に取ってテーブルに置いた。
「亡くなられた方のことをとやかく話すのは不謹慎かもしれないけど、君には話しておくよ。金沢君のことだけどね、学校のリーダーだったっていうけど、彼、地元にいた頃は不登校だったんだよ。中学一年の二学期から三年生まで、一度も登校していない。いじめられてたんだ。こちらの学校では受け入れられたけど、口が達者だったせいで仲間外れにされて、一年半自宅に引きこもってたんだ。それで環境を変えようと、お父さんの実家のあるこっちに転校してきたんだよ。彼は心機一転、新しい自分になって生まれ変わろうと、強い決意を持って教室に乗り込んだんだろうね。最初の挨拶に賭けて、 彼はこの学校ではそれに勝てたんだ。それで少しずつ自信を取り戻した。初めてみんなが自分の言葉に耳を傾けて、興味を持ってくれた。それで自らリーダー役を買って出て、果たせなかった青春をやり直そうとしたんだよ。体育祭も文化祭も前の学校では一度も参加していない。君達は彼にとって理想の支援者だった。けど皮肉にもその人気が事件の発端になってしまったわけだね」
「つまり私達ははくたかに踊らされて、最後は用無しになったってことですか。高校は向こうに戻るつもりだったんですから」
「彼は彼で必死だったんだよ。これ、金沢君のノートなんだけど、いろんな本の一節や、映画やドラマの台詞だとか、偉人の名言なんかがびっしりと書き連ねてある。いつか使おうと思って書き留めていたんだろう。自分も辛い思いをしたから、誰かのことも救いたかったのかもしれない。不遇な時期が長かったから、ヒーロー願望が強かったんだ。みんなに認められたくて仕方なかったんだよ」
「見せて下さい。それ」
品川は灰色の表紙のノートを前に滑らせた。すぐさま手に取ってページを開いたあずさの瞳はカーソルのように左右に動き 「ああ。これ聞いた」「これも言ってたな」と呟いては、時折笑いを漏らした。
「半分ぐらい聞き覚えあります。これを引用にしてたんですね。はは。だっさ。しかもその度に私達本気ではくたかを尊敬したり崇拝したりしてたんだから、気分良かったでしょうね。私のことまんまとか呼びながら、心の中では利用できるデブと思ってたんだ。こんな奴のためにみんな撃ち合って死んじゃうなんてばかみたい。のぞみや、はるか先生や、山形が…可哀相……」
あずさは机に伏せて大きな背中を震わせた。品川は後ろにいる書記係に合図をし、別室にいる母親を呼びに行かせた。間もなくして、開いた扉から腰を折り曲げた母親が入ってきた。ずっと口許にハンカチを当てながらあずさの肩を擦って一緒に泣いていた。 退室した母子を見送ってから、書記係に書類を全部渡し、品川は突き当たりの非常階段の扉を開いて踊り場に出た。外の空気を吸いたかった。
暦では春でも、空気はまだ冷たくて身震いした。四方に聳える連峰も透明な水色に染まったまま冠雪を被っている。日も延びてきて、光がなんとなく柔らかくなった気はするが、暖かさを実感するのはまだ先のようだ。
パッケージから抜いた煙草を銜えて火を付けた。先ほどまでいた事件とは打って変わって静かだった。田に囲まれた警察署周辺の農道は終日ほとんど人通りがない。柵に頬杖をついてぼんやりと煙草をふかしていると、署の裏側に左右に伸びる一本道から荒く激しい息が響いてきた。
散歩している犬だった。皮が垂れた白と茶のずんぐりした犬で、小さな歩幅でペタペタと歩いている。へっ、へっ、へっ、へっと競り上がる呼吸はあずさの笑い声とよく似ていた。
長いリードを握っているのは、奇妙な出で立ちの男だった。白髪交りのぼさぼさの髪に、長く伸びた顎髭。 痩せて、かなり背丈がある。足が悪いのか、斜めに傾きながら歩いているが、あんな男を目にしたのは初めてだった。
身を乗り出して目を細めた。国民に割り振られている個人ナンバーが分かれば正体が判明する。それでなくとも悲劇が起きたばかりで、住人も用心深くなっている。これ以上いらぬ不安を与えたくなかった。
「すいません、ちょっと、そこの方」
品川が声を掛けたが、激しい犬の息で聞こえないのか、耳が遠いのか、男は振り向く素振りもなかった。もう一度呼び掛けたが、黄色い日差しに染まる道を犬に引っ張られながら通り過ぎてゆく。
品川は電話で部下に連絡し、裏通りにいる犬を連れた男を追ってくれと指示した。男の動向を見張っていると、彼は突如として立ち止まり、仮面を外すようなゆっくりした動作で振り向きながら品川を見上げた。
「恐ろしいですな刑事さん。この度の事件は、誠に恐ろしいですなあ!」
男は笑っているように見えた。止まれ!止まれ!と叫んだが、男と犬はそのまま歩いて行った。見た目に反する若い声。なぜか背筋がぞくぞくする。T字路に差掛かると、男は犬を抱き上げ「こいつが一緒だとなかなか家に着きやせんなあ」と、突然走り出した。
正面玄関から部下が飛び出してゆくのが見えた。右壁奥の非常階段にいた品川は彼にいきさつを話した。部下は了解を示すように手を上げてから駆け出した。男の姿はとっくに見えなくなっているが、聞き込みすればどこの誰か分かるかもしれないので、 取りあえず行かせた。小さくなる部下の背中を見ていた時だった。
「刑事さん」
背後から女性の声がした。振り向くとあずさの母親が廊下に立っていた。顔の半分がハンカチで隠されている。「さきほどは娘がお世話になりまして」とゆったりした所作でお辞儀した。品川は指に挟んだ煙草をズボンの後ろに隠して心ばかりに返した。
「本当にひどい事件でございましたね。亡くなられたお子さんや親御さんの無念さを思うと胸が痛くて言葉になりません。心からご冥福を祈るばかりです。あの惨状の中で娘だけが無事だったのは奇跡としか言いようがありません。親というのは恐ろしいものでございますね。子供を失う悲しみは痛いほど分かるのに、やはり我が子の生還を喜ばずにいられないのですから、母性とは罪深いものですわね」
無意識の癖なのか、母親は話しながら微妙に体が揺れる。いつでも動ける準備をしている警戒心の現れであった。顔が全部見えた試しがないが、目許は整っており、若い頃は美しかったろうと察しが付く。危険な目に遭った過去があるのか、彼女の防犯意識の高さが伺えた。品川も動かずに適当に頷いていた。
「私、繰り返しこの事件について考えましたの。何が原因だったのか。今日もここに来るまで散々思い巡らせました。本当はこの任意同行も気が進みませんでした。でも亡くなられたお子さんのためにも話すべきだと主人は言うので、娘も同意して来た次第なんです。なのにどうですか。娘は命もあって怪我こそしてませんけど、被害者でもありますのよ。お友達が殺される場面を目の当たりにした辛い辛い記憶を打ち明けているというのに、 主人は途中で退席しましたのよ。どうしても行かなければいけない仕事があると言って。 信じられませんわ。私が咎めても通じませんの。主人はそれを正当な理由と思っているんですから。私達の恐怖を察しようとしてくれないんです。男がもっと賢い生き物であれば、男女の比率はこんなにも広がらなかったでしょうに。同時に追随する犯罪も起こらなかったはずですわ。刑事さんもお辛い経験をされておりますものね。存じ上げてます。刑事さんのご不幸を。奥様のお誕生日にサプライズを計画されたお嬢さんがクローゼットに隠れていたのを強盗と間違えて発砲してしまい、ご自身も罪悪感から命を絶ってしまわれたと。こんな悲しい事故があるでしょうか。刑事さんの悲嘆は察するに余りあります。娘は宝物です。喪失感は相当でしたでしょう。堪え難い苦痛の日々を過ごされたことと思います。ですから防犯教室を通して子供を守ろうと尽力されていたのですね。けれど亡くなられたお嬢さんと同じ年頃の女の子を見ているうちに、恋しさから気の迷いが生まれたのでしょう。私、見てしまったんですのよ。六年前の冬。雪の日でしたわ。ひとりで歩いていた小学校低学年の女の子を車に連れ込もうとした誘拐の現場を。女の子は振り切って逃げましたけど、心臓が止まりそうになりました。あの道の山の上に私の実家がありましてね、その日偶然帰っていましたの。買い物から戻ってきた時に目撃して、怖くて怖くて身を伏せたんですけど、気配に気付いたのか男がこちらを向いたのです。目が合った気がしました。驚きましたわ。だってそこにいたのは、四か月前に娘の学校に防犯教室の指導にこられた警察官の方だったんですもの。 品川さんは悲劇の刑事さんとして知られていましたから覚えていたんです。子供を守ろうとする熱心な思いに胸を打たれました。けど品川さんにとって、あの防犯教室は選別作業だったんですね。わざと自分の顔を覚えさせて、帰り道に声を掛ける。向こうは警察の人間と分かっているから信用して近寄りますわ。そうなれば車に連れ込むなど簡単です。私一瞬で分かりましたの。なすのちゃんの後ろ姿を見つめるあなたのぼかんとした姿を見て。 ここ数年の誘拐事件は同じ犯人の仕業だと。それで私、実演した娘を忘れてもらわなくちゃと思い、あの子にどんどん食べさせて別人のようになるまで太らせたんです。全く面影がありませんでしょう。車に連れ込もうとしても重くて諦めてもらえると必死でした。だから品川さんは娘を一切覚えていなかったんです。安心しましたわ。私のことも分かりませんでしたものね」
そっとハンカチを外した母親の顔に、記憶のモンタージュが切り替わる。ずっと顔を隠していた理由が明るみになった。品川は短くなった煙草を非常階段の床に落として靴で踏み、腰のホルスターに手を掛けた。同じモーションで母親もショットガンを構えた。
「感謝しておりますのよ。おかげで娘は助かりました。本人は複雑な思いでいるようですが、親としてはどんな理由であれ娘が助かったならそれでいいのです。あの誘拐現場を目撃していなければ、娘は銃撃戦で命を落としてたかもしれなかったんですから。ついでに教えますわ。なすのちゃんは双子ですの。防犯教室のあった日は熱を出して学校を休んでいて、妹さんだけが参加してたそうなんです。品川さんはなすのちゃんと妹さんを間違ったんです。なすのちゃんは逃げて未遂で済みましたが、信じてもらえずに転校せざるを得なくなったんです。けれど、さきほどの調書を聞いていて分からなくなりました。この事件、一体誰が悪いのですか?どこがスタート地点だったのでしょう。金沢君のせいですか?いいえ。彼もいじめの被害者でした。では品川さんですか。いいえ。あなたも奥様とお子さんを亡くされて混乱されておりました。銃の所持を反対する声もありますが、私は支持派です。だって世の中は愚かですもの。今回の銃撃、娘は贅肉のせいでショットガンが抜けませんでしたのよ。危ないのでこれからは少しダイエットさせますわ。悪い人間がいたら撃っていいと教育してきましたからね」
母親が微笑んだ次の瞬間、三発の銃声が鳴り響いた。部屋にいた刑事達が一斉に飛び出してくると、開いた扉の先の非常階段に血だまりができていた。廊下にはショットガンを構えたあずさと、娘の脚にすがりつく母親がいた。
品川刑事の放った銃弾は、あずさの紺色のコートの肩口を掠り、火薬と焦げた匂いが通路に立ち込めていた。へっへっへっ…と場違いな笑い声が灰色の通路にエコーしていた。
品川は薄れゆく意識にまどろみながら、ありし日の防犯教室の日のことを蘇らせていた。やたらはきはきと演技する女の子。こちらの目を覗き込みながら彼女は台本にないアドリブを口にした。
「男は全員信用してはいけないってお母さんが言ったわ。私お母さんの言うことはなんでも聞くの。だからおじさんがいい人に見えても、本当の姿は違うって知っているのよ」
クソ生意気なガキだった。絶対いらねえやと思ったが、そうか。こいつだったか…。
