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99:1 ⑫


「ちなみに君はどうだった?彼に救われたことがあった?」

ずっと饒舌だったあずさは口を噤んだ。弛んだ顎をきゅっと引き締めるように口を結び、カメラと反対方向を見つめながら「ー私のこと、デブだなって思うでしょ?」と、ちらと品川に目線を投げた。 答えに窮した。そんなことないよと答えるにはそらぞらしいほど彼女はよく肥えている。視線を外そうとしないあずさを見ているうち、どこかで見覚えがあるような気がした。 いつの防犯教室だったかと記憶を手繰り寄せてみる。こんなに太ってる子は珍しいが、引っ張る糸の先に彼女が見当たらない。話を聞く限り彼女の記憶力はずば抜けている。しかも「品川刑事」と名指ししたぐらいだから間違ってはいないのだ。海馬をほじくりながら「ご家族に愛されてるんだって思うよ」と良さげな回答で濁した。

「ただ病気にならないか心配だよ。お母さんの料理が美味しいのかな」 

「遠慮しなくていいですよ。自分でもデブだって分かってますから。同い年の子の2.5倍ありますからね。電車とかエレベーターに乗ると、あからさまに迷惑そうな顔されますし、制服も特注だし、教室の椅子も三つぐらい壊しちゃってみんなに笑われたし。でも勉強頑張ってるからって食べたいものたくさん作ってくれるんです。私もそれでいっぱい食べちゃうんですけど、時々傷つくことも言われるんで、痩せた方がいいのかなって思ってたんですけど、はくたかに掛けられた言葉で、自分らしくていいんだって思えたんです。秋にみんなで遊園地に遊びに行ったんですよ。クラスの十人ぐらいで。でも私だけシートにお尻が入らなかったり、安全バーが下がらなかったりして、アトラクションにほとんど乗れなかったんです。さすがにちょっと落ち込んで、お昼もあんまり食べられませんでした。そこの遊園地って、ランチスペースの前に特設ステージがあって、休みの日にイベントをやったりするんですけど、その日はサーカスが来てました。玉乗りやジャグリングも面白かったんですけど、妖精の衣装で踊ってた女の子がすっごく可愛くて、みんなでしばらく観てたんです。そしたら、今からマジックで人を宙に浮かせるので、やりたい人いますかって男の子が客席に呼び掛けたんです。いっぱい手が上がって、はくたかやのぞみも、はーい、はーいって、私以外みんなアピールしてたのに、なぜか私が選ばれたんです。妖精の子が客席に来て、私の手を掴んで連れて行こうとするんです。絶対上がらないよって拒否するんですけど、周りもおおーって盛り上がっちゃって、どうしようって思ってたら「行きなよ。今日イチのアトラクションを楽しんできなよ」って、はくたかが私の肩を押したんです。それでステージの台の上に寝かされて、赤いサテンの布を体に被せたままじっとしてたんですけど、 少ししたら「うわー!」って歓声と拍手が聞こえてきて、なんだろうと思ったら本当に宙に浮いてたんです。女の子やお客さんが下に見えるんですよ。ワイヤーもないし、誰かに持ち上げられてるような感触もないのに、女の子が杖を回す度に高く上がってくんです。ほんとに魔法みたいでした。会場は大喝采でしたけど、私はすごく恥ずかしくて。あんなデブ浮かしてすごいなっていう驚きですから。キャンディーもらって客席に戻ったら、どうなってたの?って聞かれるんですけど、「分からない」としか答えられませんでした。最後に観覧車に乗ったんですけど、四人用のゴンドラに私とはくたかの二人で乗ったら「まんま、あれは良くないよ」って言ったんです。僕達は君を見せ物だなんて思ってない。誇らしい気持ちで応援してたのに、まんまはずっと顔を伏せて一度も客席の方を向かなかった。あの時に君がにっこりして手を振っていたら、きっと素晴らしい景色が見えたはずだよって。人間の美しさは外見じゃない。大事なのは振る舞いの方で、みんなそっちを見ているんだ。知ってる?ある国のミスコンでは審査員に目の見えない人がひとりいて、喋り方や言葉遣いで審査するんだよ。それはとても正しい評価だと思う。僕はまんまと喋るのが好きだよ。君の発想が面白いから。僕は君のいい所をちゃんと知ってる。ふわふわじゃなくなったら触る楽しみなくなるからそのままでいてって、二の腕をつまんでフニフニするんですよ。大きい目で見つめながら。きゅんとしますよ。だから私も好きでしたよ。友達としてですけど。でもはくたかは学校のアイドルだったんで、彼氏にするのはルール違反的な風潮はありました。女子はみんな好きだったんですけど、取り合うとかはなかったですね」

次々登場する名前にページを捲るのが追いつかなかった。資料を行ったり来たりしながらも、金沢はくたかのたらしぶりに辟易する。十五歳でそんなことを言うなんてロクな奴じゃねえと思った。根っからの詐欺師か、マジで頭がおかしいかのどちらかだ。 知らず知らずのうちに下口唇が出ており「モテんだなあ。金沢君は」と鼻の下を掻いた。

「他校にもファンがいて、毎日門の前で待ち伏せしてました。あの事件で亡くなった子達がそうで、全員はくたかガールズです。すごく顔が広くて、私より知り合いが多いんです。でも別にうちの学校の子といがみ合ったりはしませんでした。下校するまではうちのもの。門を出たら他の子たちに貸してあげるみたいな感じで許容してました。誰もはくたかを独占できない、してはいけない共通意識がありましたから」

「じゃあ特定の交際してる子はいなかったのかな。亡くなった子の中にひとり首都の子がいるよね。この子は金沢君と同じ中学だったみたいだけど、本人からそういう話は聞いたことある?」

「幼なじみがいるってのは聞いてました。でもはくたかは自分の話はあんまりしないんです。だから詳しいことはなにも知りませんでした。卒業式の終わりにその女の子が来て、ああこの子かって初めて確認した感じです」

「みんなの反応はどうだった?新参者だけど、金沢君とは一番古い仲で、 彼は中学卒業したら首都に戻る予定だったらしいね。人気者の金沢君を連れていってしまう彼女に対しての敵対心みたいなものが生まれたりしたのかな」

「ピリッとしましたよ。だってその時まではくたかが首都に戻るって誰も知らなかったんですもん。私も驚きましたけど、山形がすごい取り乱して、そっちにもびっくりしました。山形にとってははくたかは初めての友達で、同じ高校に合格していたのに、実は向こうに戻るんだって言われたら、そりゃショックですよね。なんで言わないんだ、ふざけんなってものすごく怒鳴って、騒然としましたもん」

「そこで二人は喧嘩になった?」

「喧嘩にはなってないです。逆上する山形をはくたかがいなしてました。言おうと思ってたけど、悲しくて切り出せなかったんだよ。つばさはもう強くなったじゃん、僕がいなくても平気だよってにこにこしてるんですよ。自分の決めたことに周りは賛成して当然と思ってるから、他人のなんで?に対して明確な答えをしないんです。堂々巡りの口論になるだけで、山形の消耗戦なんです。はくたかは絶対自分の意見を曲げないし、なにがあっても押し通すから、空しくなるだけなのに、山形はずーっと疑問 をぶつけてるんです。それではるか先生が止めに入ったんですけど、余計にこんがらがっちゃって…。その後ですね。事件が起きたのは。話す前に一回休憩もらってもいいですか?お腹が空いてしまいました。お母さんがおにぎり作って持ってきてるんで、食べてきてもいいですか」

あずさは息を吐いて背中を丸めた。事件の芯の部分に近付いてきた緊張感もあるのだろう。品川も一度整理したかったので「そうだね。じゃあ三十分休憩取ろうか」と後ろにいた書記官に目配せした。立ち上がってカメラのスイッチを切ると、電源がオフになり赤いランプが消えた。

「だいぶ話して疲れただろう。これから先は思い出したくないことになるからしんどいと思う。ご両親に同席して頂こうか」

「大丈夫です。親がいると途中で止められますから。最初にも言いましたけど、原因をはっきりさせたいので。そうじゃないと正しい報道がされないし、どうして死んだのかを遺族にも教えてあげたいですから。私しか事件の当事者はいないけど、私もあんなことが起きるって思ってなかったですから」

あずさはテーブルに両手をついて大きい尻を持ち上げた。立ち上がると大木が部屋にあるようだった。樹齢を重ねた木の皮が乾いて変形し、たまに人の顔に見えることがある。 一筆書きできそうな彼女の顔面はそれに似ていた。のしのし歩く姿は現存するマンモスだった。別室へ移動すると、待っていた母親はすぐにあずさを抱き寄せて彼女を労った。

「頑張ったわね。疲れたでしょう。おにぎり、明太子とツナマヨどっちにするマドレーヌとチョコクッキーも持ってきてるわよ。疲れると甘いもの欲しくなるものね。たくさん喋って、本当に偉かったわねえ」

そして白地の大きいトートバッグから銀色の水筒と半透明のタッパーを二つ取り出してテーブルに置いた。まるで遠足のランチタイムだった。ひとつには海苔を巻いた三角おにぎりが六つ、もうひとつのタッパーには桜色のカップに入ったマドレーヌとナッツ入りのクッキーが詰められていた。甘ったるい匂いがプーンと立ち込めた。

「よろしければどうぞ召し上がって下さい」

母親が品川たちにも勧めてきた。書記官とマドレーヌをひとつずつもらった。どれも母親の手作りだというが、警察の任意同行で食べ物を持参した親子は初めてだった。あずさはさっそくおにぎりを頬張っていた。

卵とバニラエッセンスの香り。品川の記憶がゆっくりほどけていった。昔、家の中にも充満していた。笑い声と金色の陽差しと一緒にキッチンを占領していた。

十年前、不幸な事故で亡くなった妻と娘。朗らかで家庭的な妻はお菓子作りが趣味だった。九歳だった娘と一緒にメレンゲを泡立て、クッキーの型抜きをしていた。 それは幸せの風景だった。一番最初の味見。娘が焦がしたクッキーの処理係。どちらも父親ならではの特権。まだ温かさが残っている、きつね色のマドレーヌの香りが、閉ざされた扉をゆっくり開こうとしていた。

出てはいけない…。出るな…!

目眩がして外に出たくなった。ちらと時刻を確認した。午後の一時半。まだそんな時間かと思い直し、落ち着けと自分に言い聞かせた。手にあるマドレーヌを反射的にゴミ箱に捨てた。食べたらあずさのようにぶくぶく太りそうな気がして気持ち悪くなった。 クラスメイトが大勢亡くなったというのに、食欲が衰えない神経を疑わずにいられなかった。

部署に戻って煙草に火を付けると「お疲れ様です」と、殺人課の若い刑事がやってきて、捜査で新たに分かった情報の資料を置いていった。彼は立ち去る際に「あの娘の言うことが本当なら、この真実は信じ難いでしょうね」と、書類を指差して苦笑いを浮かべた。

思わせぶりな言葉が気になり、品川はすぐに脇に置かれた黒いバインダーを開いた。犠牲者たちの周辺を聞き取り捜査した内容だった。亡くなった生徒の家庭環境や経歴についてこれまでより詳細な情報が書かれてあった。そしてB5サイズのノートが一緒に挟まっていた。灰色の表紙のノートのページには、びっしりと文字が書き込まれていた。それはとても興味深い内容で、缶コーヒーを飲みながら読み込んでいるうちに三十分はすぐに過ぎた。

資料を脇に挟み、廊下を歩きだして間もなく、あずさが休憩をしていた部屋の扉が開いた。腹が膨れて機嫌が良くなったのか、へっへっへっと笑みを浮かべていた。 佳境に入り、これから一番辛い話をするというのに、まるで船の上で鎮座している恵比須様のようだった。開いた部屋からは色んな食べ物が混じり合った匂いが漂ってきた。ちらと見えたタッパーの中身は全部空だった。

「ご両親は一緒じゃなくてよろしいですか」 

「お父さんは用事があるのでこれで帰ります。お母さんはいるでしょ?」

母親は白いハンカチで口許を隠しながら頷き、「ここで結構です」と頭を下げた。華奢な母親は、自分の三人分の体積のある娘を猫可愛がりしており、優しい声で「しっかりね。お母さんはここにいるからね」と髪を撫でていた。帰るという父親に挨拶をして見送った。

「しっかりしたお嬢さんですよ。このぐらいの年齢の子ですと、話が散らかって、とりとめがなくなるパターンが多いんですが、お嬢さんは時系列に基づいて、人間関係もしっかりと教えてくれるので、とても分かりやすく助かっております。 ましてや警察相手です。ご自身も事件の当事者でありながら、冷静に気丈にお話されるなど立派ですよ。何かあればすぐにお母様にお声を掛けますので、宜しくお願いします」

品川はなるたけ穏やかな声で告げたが、母親は決して一定の距離から近付かなかった。護身教育をずっと守っているのだろう。 子供のいる女性は特に警戒心が強い。もちろん彼女も脇に銃を抱えており、雰囲気はおっとりしてるが、娘のためならすぐにでも構える準備はできている気迫を感じた。

日差しの角度が違っており、室内が暑くなっていた。先にいた書記官が窓の半分で止まっていたブラインドを下まで降ろし、カメラのスイッチをオンにした。調書も大詰め。さすがにこちらも緊張しているのか、品川は軽くネクタイを緩めて椅子に腰掛けた。

「じゃあ、当日のことを話してもらうけど、大丈夫かな。君のペースで構わないから、なるたけ詳しく、覚えていることを順番に教えてほしい」 

あずさはさきほどと変わらなかった。顔をこわばらせることもなく「きっかけは、はくたかの幼馴染みが来たせいです」と斜め上を見つめながら話しだした。

 「卒業式が終わってから一旦教室に戻って、卒アルにみんなで寄せ書きしたり、写真撮ったりしてたんです。それから最後のホームルームが始まったんですけど、 そこではるか先生が今日で学校を辞めるって言ったんです。にこにこしていたんで、結婚するんですか?って聞いたら、はっきり答えなかったんですけど、そうなのかなって表情でした。美人だし、二十五歳ぐらいで結婚する人が多いから不思議じゃないですしね。一度みんなに無視されたりしましたけど、二学期は元気になってたし、髪形や服装やメイクもちょっと派手になって笑顔が増えましたから。それでお祝いムードも重なって、気分が最高潮になってたんです。とにかくテンションだけ異様に高くて、 みんな全然帰らないんです。はくたかと山形とのぞみとなすのとさくらと私で校門出てからも喋っていたんですけど、そこにはくたかファンの下級生が花束を渡しに来たり、別の学校のはくたかの知り合いの女の子たちも集まってきちゃったんで、私とのぞみはそろそろ帰ろうかって言ってたんです。最後にはるか先生に挨拶しようと思っていたら、ちょうどはるか先生が来てくれたんで、はくたかを囲む大きい輪の横で三人で話したんです。そしたらそこに幼馴染みの女の子が来て、そこで初めてはくたかが向こうに帰るって知ったんです。本当にピタッって静まり返りました。あっけらかんとしたまま「みんな元気でね、楽しかったよ」とか言うんです。唖然としましたよ。しーんとなった直後に山形が怒りだしたんです。ものすごい剣幕だったから誰も止められなくて、はるか先生が仲裁に入ったんです。そしたら山形がはるか先生にすごんだんです。あんたわざと黙ってたろ、あんたははくたかが好きだもんなって。私達は知らなかったけど、胃潰瘍で入院してた時、はくたかは先生のお見舞いに行ってたんです。夏休み中にとっくに仲直りしていて、退院してからも二人でよく会ってたみたいなんです。はくたかは優しくするのが上手だから、お嬢様育ちのはるか先生は、生徒って分かっててもはくたかが好きになっちゃったんでしょうね。先生が元気になったのは、 はくたかのせいだったんです。どういう会話があったのかは知りませんけど、はくたかを追いかけてくつもりで学校辞めたみたいなんです。山形だけが二人の関係に気付いてました。はるか先生は下を向いたまま肩を縮めてました。私達はただ呆気に取られてたんですけど、そしたらはくたかの幼馴染みの女の子が言ったんです。 向こうに戻って一年したら一緒に海外に留学する予定だって。はくたかはリハビリに来てただけで、こんな所になんの思い入れもないのにって笑ったんです。その直後だったと思います」