見出し画像

99:1 ⑤


ロシアンはなにも考えられなくなっていた。とにかくコラットをここから連れ出さなければ。息を止めて携帯電話を耳に当てた。

一州のーで、裏宿を…僕らは誘拐されて…。そんなことを口にしていた。兄はにやりと笑ってコラットの頬にキスをした。

「愛してるよコラット、幸せになれ」

 ぎゅっと抱き寄せた直後、眠るコラットに素早くシャツを着せ、一番上までボタンを留めた。そして「うまくやれよ」とウインクして部屋を出て行った。

間もなく数十人の警備隊が踏み込んできた。きゃあっ!と廊下から聞こえた。シャルトリュが倒れていた。腕をねじ上げられ二人の警備隊に押し付けられていた。

我に返ったロシアンは自分のしたことに愕然とした。膝が震えてくる。けたたましい足音。通報者どこにいますか!と呼び掛けていた。
銃を構えた警備隊が四人、部屋になだれ込んできた。佇むロシアンの携帯の通報者ボタンが赤く点滅していた。確認した彼らは「ご苦労さま」と点滅を切った。同時にソファーで寝ているコラットに怪訝な視線を向けた。この子は?と警備隊がロシアンに尋ねた。 

「か、彼は弟です。具合が悪くなって…」

声がうわずった。警備隊のひとりがゴーグルを外し、疑念に満ちた目で足の間を確認した。ロシアンは顔を逸らした。男だと確認したらしい警備隊員は 「女性と間違えられたら君が撃たれる場合もあるから気をつけなさい」と注意をした。

 ロシアンはこの夜だけで4900ポイントを取得し、結婚まで100ポイントとなった。宿の少年や客だけでなく、マスターやバーの常連も逮捕されたからだ。そこにはキムリックも彼の友人も含まれた。悪しき制度にとうとう手を染めた。骨がきしきし鳴ってあちこち痛かった。

警備隊の車でコラットと一緒に町に戻ったが、家には帰らず、ミケに事情を話して迎えにきてもらった。全てを打ち明けて味方になってくれるのは彼しかいない。コラットが?と驚いたが、 遺伝子研究員の彼はすんなりと事実を受け止めてくれた。

「アンドロギュノスは二十歳まで生きた前例がない。神話では神の子と崇められてるけど、 実際はSSMの副作用による奇形の一種で、政府は存在を抹殺したがっている。 コラットが今日まで生きてるってことは、多分出生届を出していないからだ。知られたら、死産扱いか実験施設に送られていたはずだから」

「じゃあコラットは戸籍がないってこと?」

「そう。アンドロギュノスに人権は与えられない。動物と一緒だ。対策委員は忌むべき存在と位置付けているからな」

「そんなのないよ。彼女は国が認可した制度の犠牲者なのに。救済措置はないの?」

「この国が一度でも異端に優しかったことがあるか?均一化してこその平和だ。信仰の一番の敵は人間だって言うだろう。異を唱えた時点で即逮捕さ。犠牲者にも関わらず怪物扱いされる。けど女性と男性の決定的違いは妊娠出産が可能かだ。だからコラットが妊娠すれば抹殺できなくなる。女性は神だからな。神は殺せない。君がコラットと生きたいなら、子供を宿すしかない。妊娠すればエストロゲンの分泌が活発化されるから、女性に変異するかもしれない。あくまで仮定だけど」

車の中で目覚めたコラットは、兄の不在に気付くと言葉にならぬ声で泣きわめいた。二人がかりで宥めても、子供のようにしゃくり上げて暴れた。黒い瞳から零れる涙も美しかった。哀しい宿命を背負った天使が愛しく、ロシアンはコラットを腕に包み込んで髪を撫でた。

「大丈夫だよ。守ってあげるから。もう誰にも傷つけさせない。約束する。本当だよ」 

華奢な小鳥の体。ロシアンは自分の道を決めた。コラットと生きてゆく。そのために出会ったんだと断言できた。結婚の資格まであとひとり。彼女の身体が女性になれるまで隠し続けることにした。

虫が多いからとミヌエットが嫌がって使わなくなった森の別荘を隠れ家にした。しばらく使っていなかったコテージはだいぶ傷んでいた。所々樹皮が剥げ、煙突は斜めに曲がっていて、手入れを怠けた木々は好き放題に延びきって鬱蒼としていた。初めての家にコラットはきょろきょろしていたが、リビングのソファーに座る大きいテディベアを見つけると、駆け寄って抱き付いた。ようやく戻った明るい笑顔にホッとした。

トマトスープとチーズバゲットとソーセージの夕飯を三人で食べた。コラットはお腹いっぱいになると、テディベアを抱きしめながらソファーで眠ってしまった。長い睫毛。ロシアンは寝室から持ってきた毛布を掛けてやった。眺めているだけで幸せな気持ちになり、ミケと代わる代わる「可愛いなあ」 と繰り返した。本当に可愛かった。なんとかしてやりたいと心から思った。

「マンチカン博士のラボでは、新薬が臨床の段階まできてるんだ。マウスではメスの誕生率が17%アップしたんだぜ。妊娠初期に投薬すれば、XXの染色体を持つ個体が増加するデータがもう出てる。来月学会で発表するんだ。国から正式な認可が降りれば世界が変わるぞ」

ミケが内密情報をこっそり教えてくれた。少し早い祝杯だと、地下に残っていたワインを4本空にし、ディキシーランドジャズのレコードに合わせて踊った。コラットと新薬の情報。部屋の中に希望があった。

コラットの立ち直りは思ってたより早かった。兄の不在にめそめそしたのは数日だけ。すぐにロシアンに懐き、猫のように扉の前で待ち構えるようになった。時々外で摘んできたらしい花を手渡してくる。太陽より眩しい満面の笑み。だがロシアンはあくまで保護者として接すると決めていた。時が来るまで待つ。正式に結婚できる日まではなにもしない。コラットが無邪気に抱き付いてきても、 そっと抱きしめ返すだけに留めていた。とにかく今は安心させたかったからだ。

  ♢♢♢

数週間後、別荘に行くと、ミヌエットと父親がいた。ロシアンが家に帰ってこないのを不審がってやってきたのだった。 

「この人知ってるわ。サーカスにいた子でしょ。お兄ちゃま、まだ好きだったの?」

コラットはソファーで親指を噛みながら絵本を開いていた。ミヌエットは薄笑いを浮かべて腕を組んだ。

「友達になったんだよ。家族がいないからここに住まわせてるんだ」

「どうしてよ。女の子でしょ。なら施設が引き取るはずじゃない。どうして家がないの?」

「うるさいな。色々あるんだよ」

「そんなの変よ。ねえパパ、女の子なら保護対象になるはずよね?」

「 この子は特別なんだよ。いちいち詮索するな!」

「こわーい」とミヌエットは父親の後ろに隠れたが、コラットがテディベアにもたれてるのを見つけると「私の!返して!」と駆け寄って奪おうとした。コラットも素早く反応し、ソファーで引っ張り合いになった。テディベアの手が千切れそうに伸びていた。間に入ったロシアンは力ずくで奪い取ってコラットに渡し、ミヌエットに取られぬよう手で遮った。

「ひどい!私のなのに」

ミヌエットは地団駄を踏み、手元のクッションを投げてきた。ピンクのワンピースにツインテール。キッズモデルもしているミヌエットは爪もメイクもばっちりだった。それが余計むかつく。

「ずっと置きっぱなしで忘れてたくせに。これはもうコラットのだ」

ああーん!とミヌエットは父親の腰に抱き付いた。でも涙なんか出てない。味方にしたいだけの演技。父親のトイガーは口唇を一文字にしてミヌエットを撫で、こちらをじっと見つめた。

「ーパパ、これには理由があるんだ。コラットは…」

次の瞬間、コラットはいきなりソファーから飛び下りて二階へ走っていった。知らない人間が次々やってきて驚いたらしく、彼女は言葉でない悲鳴を上げて駆けて行った。部屋の扉がバタンと閉まるのが聞こえた。

「パパ頼むよ。コラットは身寄りがいないんだ。誰にも迷惑掛けない。僕が面倒みるから。お願いだよ」

 「絶対嫌!ここは私のお家だもん」ミヌエットがイーをした。 

「ミヌエット、いじわる言ってはいけないよ。あの子は人と少し違うけど、
とてもいい子じゃないか」

父親のトイガーは多くを問わずにコラットを受け入れてくれた。その代わり二つの約束を提示した。 学校は毎日行き大学にも進学すること。勝手にどこかに行かないこと。

「日中はパパが様子を見に来るから、ロシアンはきちんと勉強をしなさい」

これでコラットも自分も安心して暮らせる。心強かった。ロシアンは約束通りに毎日学校に通った。あとはラボでの研究が一日も早く認可されるのを待つだけ。明るい未来を願ったが、二週間後、マンチカン博士が動物愛護に反する研究をしていた罪で逮捕された。ミケたち研究員も同罪で捕まり、研究も全面禁止になった。

ロシアンは怒りに任せたまま対策委員の事務所へと放課後直行し、委員長室の机の前に座る母親に抗議した。

「なぜだよ。ミケやマンチカン博士は人口増加のため新薬の開発をしていたのに、逮捕されるなんておかしいよ。女性を増やすための対策委員だろ」

憤慨に震えるロシアンを見つめる母親のペルシャは、ダイヤの指輪が光る指で髪をかきあげると「そうではないのよ、ロシアン」と静かに言った。

「対策委員の真の意義は女性を守ることであり、増やすことではないのよ」

「でも人口を増やさなければこの先人類は絶滅してしまうじゃないか」

「そんな先のこと知らないわ。私が死んでからの世界がどうなろうとどうでもいいのよ。 私たちはもう手に入れた地位と権利を手放すわけにはいかないの。今の待遇を遵守するための対策委員なのよ。数が少ないからこそ女性は神格化される。私たちは神なの。神でなければならないの。それを邪魔するものなら、誰であろうと排除するわ。たとえ息子であってもね」

ペルシャは電話の脇にある通報ベルに手を置いた。ロシアンは体を後退させた。ベルに手を乗せて見据える母親が知らない人間に見えた。

「せっかくポイントを貯めたというのに、あのバケモノと結婚するつもりなの?」

「バケモノ?コラットのこと…知ってたの?」

「忌ま忌ましい娘だから調べたのよ。あんな商売をしている娘がミヌエットよりちやほやされてるのが許せなかったから。それで戸籍のない両性具有者と知ったのよ。見せ物にして吊し上げてもよかったけど、あなたが夢中になっている子だったから、サーカスを解散させるに止どめたのよ。正体を知ったら悲しむと思ってね。なのにどういう偶然かしら。アルバイト先の裏宿にいたなんて。そうそう、パパの計らいで牧場の息子さんは釈放されたわ。自分のせいで巻き込んでしまったからと言ってね」 

「パパがキムリックを?なぜ?」

「あなたの通報で逮捕されたからでしょう。バーのマスターもね。知り合いみたいだから」

 一瞬にして、ばらばらだった点と点が頭の中で奇妙な線で繋がりだした。ロシアンは部屋を出て走り出していた。そうだ。パパはなぜか知っていた。

「あの子は人と違うけど」

捕まえたタクシーで別荘へ駆け付けると、父親の車が停まっていた。車から降りたロシアンは、作りかけの白い柵の横を足音を静めて歩いた。動物好きのコラットのためにあひるを飼おうと思い、庭をならして小屋を作っていた。コラットが時々泣くので元気づけてやりたかったのだ。

立て掛けてある鍬を掴み、そっと室内に入っていった。コラットも父親の姿も見えなかった。いつもなら抱き付いてくる足音も聞こえない。けれど人の気配はあり、鉄が熔けるような奇妙な臭いが漂っていた。

すると二階からドサッとなにかが落ちる音がした。ロシアンは鍬を握ったまま階段を駆け上がった。 コラットの寝室の扉が開いていた。彼女が喜ぶように壁を空色に塗り替え、お姫様風にデコレーションした部屋。白いベッドに白いチェスト。ぬいぐるみや人形を並べてコラットだけの城を作った。

中に入ると、メルヘンの小部屋に鮮血が飛び散っていた。頭から血を流した父親のトイガーが目を見開いたまま床に倒れていた。コラットは若草色のソファに丸まって眠っていた。動かない父親の傍らには男が立っていた。 

「よお坊主。悪いがコラットはもらってくぜ」

コラットの兄だった。彼は血の付いたランプを放り投げると、眠ったままのコラットを抱き上げて肩に乗せた。ロシアンは鍬を握ったまま、なぜ…なぜ…と問い掛けた。 

「まさかお前がこいつの息子だったとはな。こいつはコラットの客だぜ。おれたちはこいつから逃げ回ってたんだ。特急列車の客室係をやってた時に、こいつはコラットを手篭めにしやがった。でも対策委員の関係者とかで通報できない。言いなりになるしかなかった。だがコラットが日に日に衰弱していくんで逃げ出したんだ。けどこいつはあらゆる手を使っては居場所を突き止めてやってくる。異常な執着心でな。この男はコラットを愛してたわけじゃない。神の子と呼ばれる両性具有者を組み伏せて、自分の力を誇示したがっていたんだ。あの宿にコラットがいると知って、お前は当て馬にされたのさ。さすが父親だ。息子の気持ちを知っていて、連れ出すだろうと目論んでわざと宿に連れて行かせたんだ。恋心を利用されたな。方々で聞いたらお前がペルシャ・スノーシューの息子と知ってな、コラットを施設に送るつもりじゃないかと、気付かれないよう尾行してたのさ。そしたらこいつが来たから驚いたぜ。おれを通報しようとしやがったんで揉み合ってるうちこうなっちまった。どうせコラットと逃げるつもりだったから、このままおさらばさせてもらうぜ」

「どこへ、行くんですか…」

「今夜、国を出る船に密航する。こんなバカげた所にはいられねえからな。コラットに手術を受けさせてくれる所へ行ってつましく暮らすさ。またサーカスでも始めるかね。ジャグリングの技術も落ちてねえからな」

ロシアンは鍬を降ろした。横たわる父親に惜別を感じたのはわずかの時間だった。 

「―僕も連れて行ってくれない?もうここにいる意味がないんだ」

「いいのかよ。お前対策委員の息子だろ」

「ママはもうママじゃない。自分を神だと言っていた。そのためのルールだって」

「神と名乗る人間が出現した時点で破滅が始まるのさ。全能のように振る舞うくせに、周りが神の願いを叶えてやらなきゃならないあべこべな世界になるんだからな。めちゃくちゃになるに決まってる。よし来いよ。その代わり二度戻ってこれないぜ。いいんだな」

「未練はない。ここじゃない場所ならどこでもいいよ」

「父親をこのまま放っておいていいのか」

「彼ももう僕の知る人じゃない。気付くのが遅かった。みんな狂ってる。狂ってしまったんだ。どちらにも属さないコラットだけが未来を変えられたかもしれないのに、この国は彼女の存在を無視した。未来など必要としていないからだ。パワーバランスが崩れている国には自由も民意もない。歴史はその繰り返しなんだ。今は女性だけど、昔は男性が権力を握ってた。そしてまたいつか逆転するんだ。男女は常に反撃し続ける生き物だ。コラットはどちらでもない。彼女だけが争わない。僕は僕の神様についてゆきたいんだ」

 ロシアンは鍬を投げ捨てた。「パパ、さよなら」心の中で一度だけ告げた。

荷物はなにも持たず、深夜、別の町の港から出港する貨物船に乗り込んだ。多めに金を払うと、狭い部屋をひとつ用意してもらえた。目を覚ましたコラットは兄とロシアンの真ん中で二人と腕を組み、遠ざかる明かりを甲板で見つめながらはしゃいだ。

「行き先は決まってるんですか?」

ロシアンは肩を縮めて兄に尋ねた。海の上は風が冷たくて少し寒かった。

「さあな。けどこの女神がいれば航路は必ず開けるさ。あばよ故郷。滅びる時まで遠くで見届けてやるよ。近いうちにここは女だらけの地になるだろう。けど女だけになったって平和にはならない。今度は女同士でどちらが偉いか競うのさ。新たな主従関係が生まれるだけ。人間は最後の二人になったって平等にはならない。権限は常に一人分しかないからな。どこに着こうと、ここよりはマシだろう。おれは元々サーカスの出身だ。流れものだからどこでだってやってゆける。お前もまだ若い。なんだってできるだろ?」

船が沖へと進んでゆくと、コラットが鼻歌を口ずさみながらバレエを踊りだした。サーカスのオープニング、動物たちを引きつれて行進してゆく時のステップだった。 ロシアンも一緒に回った。くるくると。サルのように、クマのように。そうだ。今この時から、彼女の魔法に掛けられる道化になろう。言葉をラッパに変えて世界に鳴らせ。

さあ踊れ。愚か者のダンスだ。高く跳べ。夜明けを目指して。ヨーソロー!