【補論1】原作【推しの子】完全肯定論:雑多なバカ批判を手短に論破する①(対人戦の部)
In Defense of the Manga 𝑂𝑠ℎ𝑖 𝑛𝑜 𝐾𝑜:
The Definitive Refutation of Its So-Called Failure
【Supplement I】
A Brief Refutation of the Countless Witless Criticisms (I): PvP
🟥 本補論の要約(Summary of This Supplement)

総目次(全11回)
【序論】原作【推しの子】完全肯定論[↩︎]
【第1章】有馬かなバッシングと処女性信仰①──絶望の枕営業篇[↩︎]
【第2章】有馬かなバッシングと処女性信仰②──愛の死体ビンタ篇[↩︎]
【第3章】「矛盾だらけ説」の検証──特に心中事件の時系列矛盾説について[↩︎]
【第4章】「未回収伏線だらけ説」の検証①──結末篇[↩︎]
【第5章】「未回収伏線だらけ説」の検証②──総合篇[↩︎]
【第6章】「心理描写が雑過ぎる説」の検証①──ルビー・有馬・あかね・カミキ篇[↩︎]
【第7章】「心理描写が雑過ぎる説」の検証②──アクア篇[↩︎]
【最終章】結論──文化的キッズポピュリズムとの闘い[↩︎]
【補論1】雑多なバカ批判を手短に論破する①──対人戦の部(本ページ)
【補論2】雑多なバカ批判を手短に論破する②──対AI戦の部[↩︎]
(外伝:【推しの子】アンチスレに凸ってみた結果…[↩︎])
(⬆︎前回)
🔷 アンチキッズ狩り──開猟の辞
本noteは、連載「原作【推しの子】完全肯定論」の補論篇①です。
趣旨は上記タイトル通り。
本篇を未読の方は、まずこちらの序論[↩︎]から読まれることをお勧めします。
なお本補論は基本的に通読されることを想定していないので、世の【推しの子】アンチキッズどもが「ウキーウキー🐵🐵」と普段どんなことを喚いているかを、まあ動物園にでも来たような気分でスラスラと流し見て貰えれば幸いです。
というか、押し並べてアホアンチどものゴミ文章は、真面目に読んでるとガチで知能指数を逐次吸い取られて行く正真正銘の特級呪物である。
(特に最後の「最恐アンチブログ篇」。これはやばい)
よってその意味でも、以下無数に現れる引用文は冗談半分に流し読まれるのがやはり賢明でしょう。(筆者のようになりたくなければな…ヒヒヒヒヒ…)
────────
……さて、「雑多なバカ批判を手短に論破する」とは一応言ってもですよ、片端からやっておってはもう審判の日まで終わりませんので、
一般によく閲覧されている批判・考察記事から特に酷いものを適当に取り上げ、これまで本稿にて触れられていない点を中心に淡々とぶっ叩いて行きます。
しかしまあ恐ろしいことに、まともな批評をしている人気記事は全くと言ってよいほど見出せず。
筆者がアカ先生・メンゴ先生なら絶対心折れとるでこんなん…
(余りにも酷いので敢えて全く引かなかったが、特にアカ先生への意味不明なインターナショナル人身攻撃ヤバ過ぎ。批判の形式さえ取れば何言ってもいいと思い込んでるトーシロ言論人気取りキッズどもが、恥を知りやがれ)
なお有料記事は無料公開分だけ読んで論評しているので、ひょっとすると有料部分の文脈に沿わない場合もあるかもしれないが、私の知ったことではない。
つーか、こんなカス駄文どもなぞにビタ一文払えるかボケ。身の程を知れ。
🔷 雑魚アンチnote篇
◆ その名前はすでに使用されています|「【推しの子】」はなぜつまらなくなってしまったのか(2023/2/3)
第7章でも言及[↩︎]した通り、これまでに最も広く読まれているアンチnote。
(♡1158とは…?…あっ今♡1159になりやがった…)
内容は…そうですね、オブラートに包むとゴミの山。包まないと糞の山。
マジで接続するだけで脳味噌腐るような代物なので、一応リンクは張りましたけど、絶対に押すなよ…?
…と言う訳でほんま話にならない汚物なんで、鼻をつまみつつさっさと済ませましょう。
────────
話の軸がブレブレ。
アイドル物をやりたいのか、復讐・サスペンス物をやりたいのか、演劇物なのか、ラブコメなのか、成長・成り上がりを描きたいのか、芸能界や社会問題を風刺したいのか、シリアスやりたいのか、ギャグやりたいのか…
はいはい、つまり「ぼくの期待してた内容じゃなかった❗️傷付いた‼️」ってことですね。よしよし、いいこいいこ〜〜
…ところで坊や、全体小説って言葉は知ってるかな?
知る訳ないよねえ。
君の貧弱な脳味噌でもわかるよおに言うとねえ、筋の一貫性ってのは古典劇時代のクッソ古臭いルール(三一致法則)であって、
全体小説からポストモダン文学まで、現代文芸ではテーマもモチーフも筋立ても何でもぶちこむのがデフォなんですよお。
わかんなかったら『戦争と平和』[↩︎]か『カラマーゾフの兄弟』[↩︎]か『重力の虹』[↩︎]読もうねえ。
あっ、まだ漢字知らないからよめないねえ。ごめんねえ〜〜
……はい、ここからは真面目に言いますと、【推しの子】は「ルビーを守ること」と「アイの復讐をすること」という二大テーマを終始貫いているんで、その時々のテーマが変わって行っても「話の軸」は全くブレておりません。
単純にあなたの記憶力・ストーリー把握力の方の問題かと。
ま、せいぜい『アラビアンナイト』[↩︎]か『サラゴサ手稿』[↩︎]か『太平記』[↩︎]でも通読して、そのスカスカおから脳みそを幾分なりと鍛え直してからまたいらして下さいね。
[ファーストステージ篇] 以降はいまいちカタルシスを得られない展開が続く。
[2.5次元] 舞台編は芸能界の闇とは程遠い原作者の我が儘という理由で停滞。
コスプレ編の問題提起と解決策自体は嫌いではないが、ルビーが自身の出世の為に利用した側面が強調されており、あまり後味がいいとは言えない。
スキャンダル編に関しても同様のことが言える。
窮地のかなを救うといえば聞こえは良いものの、「どうにもならない圧力」ではなく「自業自得のミス」としか思えないのでやはりカタルシスがない。
[…] 一番重要なのはそういった問題をどうやって乗り越えて成長していくかであって、他人の炎上を利用して成り上がっていくようなキャラ [ルビー] を描いてもリアリティ以前に話としてつまらないのだ。
ああ君は、2.5次元舞台篇でのアビ子・GOAの和解シーンやメルトの成長シーンや有馬・アクアの覚醒シーンにも、スキャンダル篇での有馬の枕営業拒絶シーンにも有馬とアクアの和解シーンにも全く「カタルシス」を感じない──そんな絶望的感性鈍麻カタルシスジャンキーフレンズなんだね。
じゃあ、君には一体何を与えればよいのかな?
「死ぬほどおかしくなっちゃう粉」か? あ?(最終章参照[↩︎])
それから「あまり後味がいいとは言えない」って、は?
まあサルでもわかるように、あれはそもそも「他人の炎上を利用して成り上がっていくような」ルビーの変化(いわゆる「闇堕ち」)を描くのが目的の、計算された「後味が悪い話」なんで。
ひょっとして、この程度の作劇意図も理解できないのかなあ?
まさかねぇ〜〜笑
[アクアが] 実際には年齢合算で50近くのおっさんであるというのだからキツすぎる。
[…] 勿論、精神年齢が肉体年齢に追い付くという謎設定があるのは知っているが、その設定のせいで主人公のキャラが崩壊し、余波を受けて周りのキャラもメンヘラ化し、ストーリーがつまらなくなったのだから何の意味もない。
はいバカ。第7章参照[↩︎]。終わり。
ようやく [アクアが] 復讐鬼に戻って本筋進めるのかと思えば、真っ先にやることが身内(故人)の尊厳の毀損 [アイの子であることの公表] とかなの尻拭いというのだから救えない。
かなに対しては異常なまでにアイの二の舞になることを恐れていたのに、なぜルビーに対しては「アイのファンの恨みが妹に向けられるかもしれない」と考えられなかったのだろうか?
死んだ人間よりも生きている人間の方が大切なら、何故彼は復讐なんてしようとしているのだろうか?
もう言ってることとやってることが滅茶苦茶である。
はいバカ。第1章[↩︎]・第6章[↩︎]・第7章[↩︎]参照。終わり。
演劇物やるのはいいが、もう少しルビーとの絡みを増やせなかったのだろうか?
ルビーの演技上手い設定とか作者はとっくに忘れてそうである。
は? どんな「設定」だ? キッズお得意の記憶改変か?
既存のアイドル物漫画に付き付けるだとか偉そうな事を言う前に、なぜそういった作品群が評価されているのかをきちんと理解してほしいものである。
要するに、「王道成り上がりアイドルスポ根ハッピー漫画」だと思い込んでたら、実は「反王道暗黒芸能界ドロドロ復讐シリアス漫画」だったから裏切られた❗️傷付いた❗️全否定してやる‼️──ってことでちゅねえ。
はいはい、わっかりまちた〜〜ばぶばぶばぶ、いないいないばあ〜〜🍼🍼🍼
────最後に────
てめえ如きカス低脳のアイコンでクリスタ陛下の御尊顔を汚してんじゃねえぞこの下賤の輩が。身の程を知りやがれ馬鹿野郎。分かったら今すぐ視界から消え失せろや穢らわしい。シッシッ。
◆ ペトロニウス@物語三昧|『推しの子』の面白さとはなんだったのか?ラストの結末をどう考えればいいのだろうか?(2024/12/21)
まずタイトルがおかしい。
「ラストの結末」って何? 頭痛が痛い。
かなり久々に、ガチで物語解析して見ました。
は?
「ペリぺテイア」も知らないバカが「ガチで物語解析」とは?(第6章参照[↩︎])
やはり、キャラクターが幸せなドラマトゥルギーを全うしないと、時代を超えて読み返すのは難しいと思う。
逆に最初から、悲劇に振り切っていれば、そういう名作もあるかもしれないけど。
「幸せなドラマトゥルギー」って、要するに「ハッピーエンド」って意味じゃねえか。
頭良さげに言い直したつもりか?
残念ながらあなたの主張が100%誤りであることは、三千年の「時代を超えて読み返」されている『ギルガメシュ叙事詩』[↩︎]の「幸せでないドラマトゥルギー」が既に証明してるんで。
十中八九、22世紀に「古典」として読み返されているはずの作品は【推しの子】であって、何がどう間違ってもあなたのゴミnoteではないんで。
また「最初から、悲劇に振り切っていれば」うんぬんってのは、先述の通りこいつが「ペリぺテイア」すら知らねえことの表れですね。
アクアは、ルビーを守りたいというロマンを、ドラマトゥルギーを全うしたわけなんだけど、やっぱり、どうしても、有馬やあかねやみやこさん、そしてなによりもルビー(さりなちゃん)は、生きる理由にはならなかったのか?って思うんだよね。
ルビーや有馬やあかねやミヤコと一緒に本当は生きて行きたかった、でもこうするしかなかったんだとアクアは明言してますが?(16巻162-4話)
また、だからこそ最期の時に彼はあれほどまで「後悔」したんじゃないんですか?(第4章参照[↩︎])
でも、こういう選択肢ルートは、ルビーに計り知れない心の傷を与えるじゃないですか?
そうでないオルタナティブな選択肢を考えるのが令和的な方向性だと思うんですよね。
これって男は黙って痩せ我慢、武士は食わねど高楊枝的なロマンなので、男のロマンを全うして、全てを引き受けたアクアとゴローは、満足度が高いけれども、やっぱり昭和的な選択に思えるんですよね。
男が黙って犠牲になって、人柱になって、好きな女を守るんだってのは、やっぱり一時代古い。
はいはい、「選択肢ルート」だの「オルタナティブな選択肢」だの、典型的な物語とゲームの区別が付いてないバカ。(最終章参照[↩︎])
ところで「令和的な方向性」とか「昭和的な選択」ってなあに?
フェミ批評かぶれのつもりか?
完全に向いてないから止めた方がいいと思うよ笑
もちろん有料部分(¥500)なんて死んでも読まないんで、じゃあね〜〜
◆ 海燕|『推しの子』はほんとうにひどい結末だったのか? 全力で再考してみた。(2025/2/2)
まず、「ほんとうにひどい結末だったのか?」というタイトルで「ほんとうにひどい結末だった」と結論するかなり汚い手口を使ってますね。
こうすることで「私は露骨なアンチとかとは違う、中立的な批評家なんですよ~」とアピールし、広い読者層に訴えようとするのである。
(さっきのヘドロニウスなんとかの「『推しの子』の面白さとはなんだったのか?」ってタイトルも同様の手口。「面白さ」も何も、てめえ作品否定派じゃねえか)
しかし、重要なのは、これがあくまで「アクアが自分の頭のなかだけで考えだした結論」であることです。
アクアの思考のプロセスとしては理解が及ぶものではあるものの、現実において「ほんとうにそうなのか?」というとかなり疑問が残るでしょう。
その意味ではアクアの行動決定には「他者」が介在していない。
カミキヒカルもまたユング心理学的な意味ではアクアのシャドウであるに過ぎないとするなら、アクアは自分ひとりで考え、自分ひとりで決定し、「もうひとりの自分自身」と相打ちになって死んでしまった、ということになります。
つまり、アクアの心はナルシシスティックに「閉じている」わけです。
これは、やはりストーリーテリングとしては大きな問題があるのではないか、と考えられます。
ルビーを含む物語のほかの登場人物はいったい何のためにいるのか、と思わずにはいられません。
はいはい、「私ちょこっと心理学かじりました~」系のありがちバカ。
「カミキヒカルもまたユング心理学的な意味ではアクアのシャドウであるに過ぎないとするなら」ってさあ、
集合的シャドウなんか持ち出したらもう全人類がカミキってことになりますけど。…何それ?
それとも、「人間同士の殺し合いは全て、『もうひとりの自分自身との相打ち』なんじゃあぁ〜 だから絶対にいけないんじゃあぁ〜」みたいなゴミヒューマニズムですか?
あと「アクアの行動決定には『他者』が介在していない」も意味不明。
百歩譲ってカミキが狭義の「他者」とは呼べないにしても(純粋悪だから)、
アクアは「他者」としてのルビーたちを守る為に死んだんだから、つまり「他者」との関わりの中で死んだんじゃねえか。
というか、自らの自由意志に従って何か行動した人間は全て「ナルシシスティックに閉じている」呼ばわりですか、じゃあ?
「他者他者」連呼してりゃあ何でも解決すると思ったら大間違いだボケ。
舐めんなよ。
『推しの子』は「人間賛歌」をめざしたのではないか。
[…] 徹底して「世界の不条理な残酷さにも負けない、人間の普遍的な高貴さ」が訴えられていて、それゆえに作品全体が「真の人間賛歌」として成り立っているのです。
そして、おそらく『推しの子』もそのような方向性を狙ったのではないか、そして失敗したのではないか、というのがぼくの推測です。
はい違います。
というか、アクアの死に様があなたの言う所の「人間賛歌」でないのなら一体何が「人間賛歌」なんですか?
まあ有料部分(¥500)に詳しく書いてあんのかもしれませんけど、もちろん読む気など1Åも無いんで、さようなら〜〜
🔷 非アンチ系バカ考察篇①──夏木バジル|【推しの子】の愛と嘘(2025/7/27-11/18)
さて、本篇を既にお読みの方は重々ご承知の通り、筆者の至上目的は【推しの子】アンチ説を一匹残らず駆逐すること──これに尽きる。
よって、非アンチ系読者による自称「考察」の類はこれまで概ね批判対象から外して来た。
と言うのも、第一には仮にも原作肯定派同士で仲間割れしている場合ではないから。
第二には、一般の考察まで一々批判し始めるともう永久に終わんねえから。
…がしかし、何事にも「流石に酷過ぎる」ということがある。
そういった「考察」の名を冠しただけの能天気な垂れ流しバカ妄想は、悪意あるアンチ説と同じだけ──いや、場合によってはそれ以上に有害なものだ。
そういう訳で、ここでは非アンチによる無数の考察記事の内で、特に最近でも割合広く読まれており、かつ筆者が「余りにも酷い」と思ったものを淡々と叩いて行く。
例えそれが純粋に作品に対する共感・愛着から書かれたものであったとしても、度を越してバカげたものをパブリックな場に発表するということそれ自体が既に立派な罪と言えるので、
批判するに当たってはアンチどもの邪説と同様、一切容赦はしない。
何故なら、いくら「仲間割れしてる場合じゃない」とは言ったところで、真に恐るべきは有能な敵よりも無能な味方なのだから。
◆ はじめに
こちらは筆者の「原作【推しの子】完全肯定論」連載開始とほぼ入れ替わりに完結した、全17回+αの超大作noteである。
主題は「アクアはなぜ死ななければならなかったのか?」と「アイは殺されることを知っていたのか?」の2点。
当然ながら尊ぶべき先学の御作として、筆者もまた連載開始前に繰り返し精読し、色々と勉強させて頂いた。
──あら、何を「勉強」させて頂いたかですって?
それはもちろん、「へえ、このレベルのバカが平気で『考察』とか発表してんだな。こいつぁ大変だ」ということですわね。
────────
まず第一部の「アクアはなぜ死ななければならなかったのか?」篇(#0-9)は、「【推しの子】はオイディプスモチーフだ❗️」とかいうもう2秒で言えるような結論を、無内容な駄文で延々全10回分にまで引き延ばしたような代物なんで、普通に読む価値無し。
はい終わり。
さてお次の第二部、「アイは殺されることを知っていたのか?」篇(#10-15)ですが、こっちは断然読む価値あり──特に「笑い」をお求めの方には。
言うまでも無く、夏木バジル氏の結論はタイトル通り「アイは殺されることを知っていた❗️」で初めから決まってる訳ですが、そこへ至るまでの論述スタイルが実に素晴らしい。
と言うのも、延々6記事も費やしておいて結局、事実上の「根拠」を提示していると言えるのは以下の一節だけなのです。
狼狽えもせず、なすがままに刺されている様子といい、まるでアイは自分の死を予知していたかのようだ。
[…] それにしてもナイフで刺されているのだから、痛みと恐怖で悲鳴をあげてもよさそうなものだ。
──以上。
……あー、はい、そうですねえ、「玄関の扉開けたらいきなり花束に隠したサバイバルナイフでぶっ刺され、腹部大動脈を切断されて大量出血する」という経験を一度されてから同じことをおっしゃって頂きたいものですね。
…ってかバジル氏、「血圧」って知ってる?
◆「アクアはウェルテル効果を防ぐ為に死んだ❗️」
これは既に二回ぐらいネタにしたのだが、やっぱり面白いので三度取り上げさせて頂く。
せっかくだから大サービスのほぼ全文引用じゃァァッ!!
もしアクアが苦しまずに死んでいたら、どうなっていただろうか。
アクアに感情移入するあまり、アクアのように憎い人物を道連れにして死のうとする若者が現れなかった保証はない。
──というか、きっと現れていただろう。
これは18世紀からある普遍的な現象だからだ。
ゲーテの小説『若きウェルテルの悩み』が出版されたあと、失恋を苦にして自死した主人公に影響され、主人公と同じ服を着、同じ方法で自死する若者が相次いだという。
こうした現象は「ウェルテル効果」と呼ばれ、現代の日本でもテレビドラマなどの影響でしばしば同じことが起きている。
また、作中でアクアへの感謝が余すことなく描かれていたらどうなっていただろうか。
アクアに共感するあまり、死んだあと称賛されるのではないかと勘違いして独善的な犯罪に走る者が出ていたとしてもおかしくない。
つまり、どんな理由があろうと復讐のために人を殺めたキャラクターを美化することは、そういった後追い犯罪の背中を押すことになりかねないのだ。
ショッキングな事件が大きく報道され社会問題になるたび、模倣犯が雨後の筍のように湧いて出る現代。
万一、【推しの子】が個人的な怒りを理由とした犯罪の正当化に利用され、後々大きな事件や社会問題にでも繋がった場合、それこそ読者への裏切りになってしまう。
[…] どんな理由があろうと、復讐殺人はいけない。
そして簡単に死を選んではいけない。
──それが作者、いやアクアからのメッセージなのだ。
アクアは身をもってそれを示してくれているのだ。
──はい。
第4章[↩︎]で既に述べた通り、低俗なヒューマニズムと幼稚なハッピーエンド願望の産物ですね。
また心理学的には、人の不幸に過剰な意味を見出そうとする認知バイアス──「公正世界仮説」に基づく誤謬でもあります。
つまり、「あのアクアがこんなにも報われない最期を迎えていいはずがない! だから、この死には当然何らかの正当な理由が無ければならない!」──という訳である。
(プロフ文にて誇らしげに「心理分析が得意です❗️」と言われるバジル氏その人に、こういう心理学的指摘をせねばならんのもまあ気が重いものよ…)
…それにしてもまあ、幼稚ですねえ。
空想だろうが現実だろうが、「死」に正当も不当も意味も無意味もありはしない──
それこそツクヨミの言う「死は死だよ」の明確な意図なのにね。(やはり第4章参照[↩︎])

◆「MEMちょ🥰💕✨👉アクたん‼️」
⚠️⚠️⚠️ ‼️CAUTION‼️ ⚠️⚠️⚠️
まず、他人の性癖を覗き見る趣味が特に無い方は(いや私だって無いけど)、下の引用は一気にすっ飛ばされることをお勧めします。
特にMEM推し勢はやめとけ。悪いことは言わん。
────よいか? では行くぞ……
「今からガチ恋♡始めます」の収録が始まると、MEMちょは共演者である高校生の役者に一目惚れした。
自分でもなぜだか分からなかった。
年齢はサバを読んだまま18歳で通していたが、実際にはもう25歳だった。
共演者が子供っぽく見えて本気にはなれないだろうな、収録開始前にはそう思って、どうカモフラージュするかばかり考えていたのだ。
MEMちょは知る由もないが、アクアの中身はアラサー医師だ。
若者らしさを装ってはいるものの、大人の落ち着きは滲み出ていたのだろう。
しかもルックスはMEMちょが憧れていたアイの血を受け継いでいる。
惹かれる要素は、実は揃っていた。
しかし、MEMちょがアクアに積極的にアプローチすることはなかった。
それはユーチューバーとしてのブランディングを意識してのことだったのだろうか、それとも自分のことを棚上げして、周りのことをまず第一に考える性格からだったのだろうか。
自分の気持ちを抑えることにかけては、MEMちょの仕事は完璧だった。
彼女の恋心には、誰ひとりとして気づかない。
MEMちょ自身、歳の離れた自分は引き立て役に徹するべきだと思っていた。
そして、しばらく我慢していればそのうち諦めもつくだろうと踏んでいた。
アイドルを諦めた時のように──。
ところが番組終了後、アクアはMEMちょを新生B小町に勧誘してきた。
一度は諦めた夢。
アイドルになるチャンスが当のアクアからもたらされたのだ。
一も二もなくMEMちょは飛びついた。
ただ、そこにアクアのそばにいられるかもしれないという気持ちがなかったかといえば、嘘になる。
責任感が強く、妹想いのアクアにMEMちょはどんどん惹かれていった。
MEMちょ自身、責任感が強く、弟のために自分の青春を潰した過去がある。
しかしアクアが自分に興味を持っていないことはわかっていた。
MEMちょは、そっと見守り陰から応援する立場を貫く。
難しいことではなかった。
自分の感情を押し殺し、隠し通すのは、オハコだ。
それは、18の時からずっとやってきたことだった。
そうしないと、母や弟が心配するから。
自分は好きで働いているんだ、そう思わせないといけなかった。
MEMちょは自分の心を偽り、完全に擬態して、引き立て役を演じ続けた。
時々、自分の気持ちを忘れてしまうことがある。
周りを欺くためには、まず自分から騙さなければならない。
「あるべき自分」になりきり過ぎて、本当の自分を忘れてしまうのだ。
あるとき、アクアを家に上げることになった。
話の成り行きで、アクアが覆い被さろうとしてきた。
そのときMEMちょは、改めて自分の気持ちを確認することになった。
何をされても怖くなかった。
いや、このままどうにかなって欲しいとさえ思った。
たとえ一夜限りの出来事でもいい。
アクたんに、この愛を伝えられるのなら──。
もちろん、そうはならなかった。
アクたんは、かなちゃんのことが好き。
それなら、私はそれを応援する。

(9巻83話50頁)
……いやいやいやお聞きになりましたか皆さん!
自称:心理分析のプロフェッショナル(プロフ文)こと夏バジ先生によればねえ、なななんと上のシーンのMEMちょはアクたんに今すぐ犯されたがっていたそうですよ!
おい聞いたか世の童貞ども! こんなシチュに遭遇したらもう迷わず襲っちまえよ! 抵抗されようが何だろうがそりゃただの演技だからな絶対!
なんたってまあ、あの自称:心理分析のプロフェッショナルこと夏バジ先生がおっしゃっとるんやぞ?! やぞ?!
なお当該行為に付随する一切の法的責任もまた夏バジ先生がお引き受けになられるそうだから(知らんけど)まあ安心して襲っちまえよウォォォォォイ!!! ヒィィィィィィヤッッハアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
天の声:「真面目にやって。」はい。
ひたすらにキモい妄想だと思います。終わり。
天の声:「いやキモいのは普通にわかるんだけど、もうちょっと。」はい。
僭越ながら、夏バジ先生の私的なオカズ妄想を下々の者共にも御開陳遊ばされる折には以後、もう少しばかり御思慮を巡らされた方が御賢明かと存じますね。
バジ氏ご自身は構わないんでしょうけどね、とにかく見てるこっちが恥ずかしいんでね。
というかもう、ほんまおぞましいんで。
…いやだってこの部分見てよ。
あるとき、アクアを家に上げることになった。
話の成り行きで、アクアが覆い被さろうとしてきた。
[…] 何をされても怖くなかった。
いや、このままどうにかなって欲しいとさえ思った。
たとえ一夜限りの出来事でもいい。
──なんですか、もうバ氏の右手(左手?)の生々しい動きがまんま眼前に見えるみたいっすわ。ヒェッ…
これ以上のおぞましさがあるかえ? かえ?
…はい終わり。
これ以上この場に留まって、一体誰が得すると言うんです?
もうそっとしておいてあげましょうよ。
なんかの間違いで「 #考察 」タグなんか付いちゃっただけで、バジの大事な大事なプライベートズリネタ妄想ノートなんだからさ、このnoteは。
天の声:「...夏バジ氏が女である可能性は?」無いですね。知らんけど。
──それからまあ、不要でしょうが一応付言しておきますと、当然ながらMEM推し勢一般への揶揄などであるはずがございませんよ。
アクMEMでもMEMアクでもMEMルビでもMEMかなでも、まあ好きなだけ私的に妄想すればよろしゅうおま。
がしかし、そうした個人的妄想を臆面も無く「考察」つまり「客観的な作品解釈」として発表できるような厚顔無恥バカを筆者は許せないだけなのです。
(なおあいにく拙稿では余り触れられませんでしたが、筆者もまた、物語の上では縁の下の力持ちたるMEMネキを普通に推しておりますよ)
◆「『ルックバック』は教訓譚❗️」
これは『ルックバック』(藤本タツキ)についての自称考察noteであって【推しの子】とは全然無関係だし、第一こんなゴミ記事一々叩くのもアホらしいんだが、
なんとまあ、高評価数的に結構読まれてやがるらしいんで、行き掛けの駄賃に殴っておきたい。
とは言えもう心底めんどくさいんで、こないだ最終章の註[↩︎]に書いたのをそのまま引用しますね。さーせん。
夏木バジル氏による最近のnote「『ルックバック』考察 ~二人はなぜすれ違ったのか~」[↩︎]などもまた、[「推しの子=人間讃歌説」と] 同様のバカげたヒューマニズム的誤りを犯している。
総じて噴飯ものの【推しの子】論(「シュレディンガーのミヤコ」説w[↩︎])と併せ見るに、夏木氏は何でもかんでも道徳の教科書レベルの低俗な美談や教訓譚に仕立て上げるのがお好きのようである。
しかしながら、もちろん『ルックバック』[↩︎]は「美談」でも「教訓譚」でもない。
ただ不可知で不可避で不可逆的な運命に翻弄される者たちに捧げられた、怒りと悔恨と諦念──そして祈りの物語なのだ(実に反王道志向の作品と言える)。
故に、「藤野は、京本に画力の高さを自覚させることを怠」っただの、
「美大以外の選択肢や東京の美大を選ぶなどの方法で、お互いに歩み寄ることによって、かろうじてコンビを継続する道もあったかもしれない。そうすれば──京本は事件に巻き込まれずにすんだかもしれない」
──だのといった、藤野と京本が「あの時どうす "べき" だったか」という無責任で上から目線の問題設定そのものがナンセンスも甚だしい。
…尤も、あいにく藤本タツキ作品についてここで本格的に論ずる暇など無いし、夏木氏のそのお花畑な脳味噌だけはどうせ今更どうしようもあるまいから、慈悲の心を以って敢えて何も申し上げぬこととする。
しかしまずは最低限、同作者の『ファイアパンチ』[↩︎]と『さよなら絵梨』[↩︎]ぐらいはご熟読になってから出直されるが宜しかろう。
──はい終わり。
◆「シュレディンガーのミヤコ‼️‼️」
……これが大トリぞ?
本稿公開以降にしれっと再編集・証拠隠滅されても癪なので、せっかくだし現状の記事をほぼ丸ごと引いておこう。
(「いや、バカが感染ったら困る」という方は例によって飛ばしてくださいね)
──さあ、刮目せよ!
[アクア・ルビーの母親代りとなった] ミヤコだが、何か引っ掛かるものを感じる読者もいるのではないだろうか。
なぜなら彼女には、アイの秘密を週刊誌にタレ込んでホストに貢ごうとした過去があるからだ。
いったいどちらが本当のミヤコなのか。
【推しの子】ファンの悩みの種といっていいだろう。
だが安心召されよ。
ツクヨミのセリフにヒントがある。
「世界とは観測が生み出す虚像──その全てが真ではない。君が生まれ変わる前と後では、世界がまるで別物に映っていた様にね」(16巻163話 [引用者註:199頁])
これは、量子論の影響で生まれた哲学やポップカルチャーの考え方だ。
「観測が現実を確定させる」という量子論の概念は、「現実はさまざまに解釈できる可能性を秘めており、見る人の意識によって違う現実の姿が立ち現れる」という考え方につながった。
確かに吾郎時代とアクア時代では、世界はまるで違って見えていただろう。
みなさんも自分の立場や年齢、その時の状態によって、同じものがまったく違って見えた経験はないだろうか。
もちろんミヤコ自身、試練を経て成長した面はあるに違いない。
しかし人間、そう簡単に本質まで変わるものではない。
ミヤコは例のリーク未遂事件からわずか数年後、アイの急死直後にアクアとルビーを育てるという大きな決断をしている。
ということは、変わったのはミヤコではなく、ミヤコを「観測」したアクアとルビーの意識のほうだったと考えたほうが自然ではないか。
つまり、当時のアクアとルビーはミヤコのことをよく理解しておらず、疑心暗鬼だったため、二人の目には“それなり”のミヤコ像が立ち現れた──。
平たくいえば、二人がミヤコを曲解してしまったために現実が歪んで見え、聞こえない声までもが聞こえた、ということになろうか。
「現実が歪んで見え、聞こえない声が聞こえる? そんなことあるものか」と思われるかもしれないが、これは案外私たちが日常、無自覚にやっていることだ。
人間はひとたび思い込むと、情報の空白をまったく関係ない別の記憶で補い、都合のよいレッテルを貼って他人を裁こうとする。
まして二人は、乳飲み子。
すべてを正しく認識できていると思うほうが不自然というものだろう。
知覚は乳児レベルなのに、知識だけは豊富。
空白の埋め方がえげつないのはそのせいなのかもしれない。
そもそもミヤコはその数年前まで芸能界の片隅にいて、多少なりともチヤホヤされていた側の人間だ。
それが今や自分が産んだわけでもない所属タレントの子供の世話を押し付けられ、やってることはまるでベビーシッター。
愚痴の一つや二つ出てきても仕方がない。
ところがそういった事情を知らない乳児からすると、愚痴を耳にした時点で「こいつは悪いやつだ」となり、すべてが悪く見えてきてしまう。
アクアとルビーは神のふりをして悪を懲らしめたつもりになっているが、客観的に見れば、おかしな乳児がわがまま放題言って親切な世話係を困らせていただけだったのかもしれない──。
そしてLINEをチェックしていただけなのに母子手帳を盗撮していると勘違いされ、あまつさえホスト狂いの濡れ衣を着せられ、挙げ句の果てに神の名を騙る乳児に脅迫されてしまったミヤコのほうこそ、とんだ災難だったのかもしれない──。
私たちは神ではない。
あらゆる可能性のうちで、たった一つの現実しか観測できない。
だとするならば、私たちのジャッジは常に、別角度から見ると間違っている可能性を孕んでいることになる。
SNS全盛時代、これは誰もが考えるべきことなのではないだろうか。
自分がこれから叩こうとしている人物は、もしかしたら斉藤ミヤコなのかもしれない、ということを。
自分は乳児時代のアクアとルビーになっていないか、ということを。
────ハハッ、「安心召されよ」っておい、「召され」てんのはてめぇの頭だ。
「ひとたび思い込むと、情報の空白をまったく関係ない別の記憶で補」うような「空白の埋め方がえげつない」人間って、ひょっとして自己紹介ですかね?
いやはや、流石に自己省察が大変正確なことで。
…しっかしまあ、一体どこから指摘すりゃあいいんですかね、これ?
下画像のミヤコが実は「LINEをチェックしていただけ」とかいうマジキチ解釈からですかねぇ?

……うーん、「マジキチ解釈ですね」以上の言葉が出て来ない。
まあ強いて一つだけ言うなら、「もっと原文を尊重せよ」ってことですかね。
漫画であれ文学であれその他なんであれ、一般に「原文」とはあなたの妄想を一方的に押し付けて無茶苦茶に独自解釈してよいものなどではない。
もちろん、上の場面のミヤコの言動が実はアクアとルビーによる一種の集団妄想・共同幻想だった──という「仮説」自体は一応誰にでも立てる権利がありますよ。権利はな。
万が一(万が一やぞ?)筆者が上記のゴミ仮説を公に提示したいと、何かの気の迷いから思ってしまったならば、そうさなまあ最低限、
幼少期のアクアとルビーが同様の集団妄想に陥っている描写の類例を、一つでも作中から見付ける
ミヤコの性格と行動規範が作中を通じてほぼ変化しなかったことを、作品に即して具体的に論証する
──以上の2つだけはもう真っ先にやるでしょうね。
仮にもパブリックな場に発表する以上、最低でもこれぐらいはやらないことには、「仮説」ですらなくただの「妄想」にしかならない訳だから。
にも関わらずバジル氏が当該記事で延々何をやっているかと言えば、まあ小学生の読書感想文並みの、検証不能のふわふわした感情論ばかり。
んで挙句の果てのリョーシロン(笑)ですからね。
あのね、「エッセイ」と題せばそれも許されるとでも思ったか?
顔洗って出直して来いよ。
…まあ、夏バジ氏のような天性の妄想狂に申し上げても無駄でしょうけど。
ともかくも、ミヤコの性格変化を「しかし人間、そう簡単に本質まで変わるものではない」などと自信満々に断じているあたり、
バジ氏が人間心理についてほとんど何一つ知らぬ御仁たることは明白であろう。(「意識の流れ」って知ってる?)
よって、まあプロフ文の
人間心理や人間関係について平易な表現で分析することが得意です。
──という過大なご自負ばかりは今すぐにでもご撤回され、
種々の勉学に重々励まれてから心機一転出直されるのが最もご賢明ではあるまいか──と、そう僭越ながら愚案致すものです。
────────
──いやいやいやというかね、そんなバジバジ先生通常運転のゴミのような戯言なんぞよりもこっちですよこっち!
驚くなかれ、量子論❗️ とうとう量子論と来やがったね!
それも何を隠そう、「シュレディンガーのミヤコ」だとよとっつぁん!
こいつぁアインシュタインもニールス・ボーアも仲良くびっくりだぜ…いやいやいやたまんねぇなぁおい!
ウェイウェイウェェェェーーーーイ、エルヴィン・シュレディンガー隊長見てる〜? ミヤえもんが、ミヤえもん神が遂にサイコロを振ったぞおい笑笑 ハッハッハハハのハッ………ぷッ、フアァァァァァァァァァーーーーーwwwwww
天の声:「真面目にやって。」はい。
……えーと、そもそも「量子論、量子論」と知ったような口で連呼される夏木氏が、ここで前提されているのがコペンハーゲン解釈なのか多世界解釈なのか、それとも自発的収縮理論その他のマイナー解釈なのかは全く以って不明なんですが、まあ少なくともウィグナー解釈なんぞではないでしょう。
(もしウィグナー解釈を知ってるなら、当然そう明記したはずだ)
よって、いずれにせよ「観測」という行為が観測者効果によって決定するのは被観測者の量子状態だけです(波動関数の収縮)。
で、その観測者効果はどこまでも物理的干渉に由来する即物的なものなので、観測者の心理状態とか、そういう抽象的変数には一切依存しません。
よって、例え夏バジ氏がおっしゃるようにバブバブアクアとバブバブルビーがこのとき仲良く発狂していたとしても、被観測者のミヤえもん波動関数はとっくに収縮しております。
故に、夏バジ氏の言う「変わったのはミヤコではなく、ミヤコを『観測』したアクアとルビーの意識のほうだった」──ってのは完全に意味不明です。
ミヤもんえを「観測」したのは重力か強い相互作用か電弱相互作用かのいずれかであって、断じて「アクアとルビーの意識」なんぞではないんでね(ハイゼンベルク=フォン・ノイマン切断)。
はい終わり。
天の声:「...つまりどういうこと?」量子論は1ミリも関係ないってことです。
天の声:「うんわかった。」お気に召して何より。
天の声:「じゃあ、最後に何か言いたいことある?」いやー、もう笑い疲れましたね。
でもまあせっかくだし、芸人・バジル夏木様に100円玉ブン投げちゃおっかな。
10円だけ投げられたらもっといいんだけどねえ、文字通り「ガキが…10円やるから帰んな」のノリで。でも仕様上ね。
しかしやっぱ、笑いの「モチベーション」をこれからも末長く上げてって欲しいしねえバ氏にはさ。
そうよそうよ、バイブスもモチベーションも上げてこ〜⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
お姉さん、テキーラ・バジル・スマッシュ追加ァ〜〜〜!!!
「安心召され」てこ〜〜笑笑⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎ ウェェェェーーーーーイwwwww

天の声:「...ところで、君と重曹ちゃんのどっちが口悪いと思う?」重曹。
🔷 非アンチ系バカ考察篇②──苦虫うさる|「【推しの子】をどう読んだか」をもう一度整理しながら、この物語のどこが好きかを語りたい。(2024/12/4)
苦虫うさる氏は【推しの子】について幾つかnoteを書かれているが、まあ人によっては多少とも読む価値があるかもしれないのは下の一つのみ。
それ以外は全て、「エディプスコンプレックス」や「母胎回帰欲求」や「運命の輪」といった初歩的な物語概念を、その言葉自体を出すことなくあれこれ言い換えて延々述べ連ねてるだけの内容空疎な駄文である。
つまりは結局どれ読んでも同じなので、今回は最も多く読まれているこれ(♡128)を取り上げる。
◆「【推しの子】はご都合主義の物語だ‼️」
◆【推しの子】は「ご都合主義の物語」である。
最初に【推しの子】を読んだ時から、これは「吾郎が必要としたから存在する、吾郎の内面世界に強烈にリンクしたストーリーだろう」と感じていた。
作内現実が吾郎の妄想でてきている、というわけではなく、「読み手である自分たちが観測しているストーリーは、吾郎が必要としているから存在するストーリーだ」ということだ。
163話の幻視のような「【推しの子】の現実世界では存在しない、吾郎の内面しか存在しないもの」を読み手が観測できるのはそのためだ。
【推しの子】の作内世界は、「現実世界」と「吾郎の思いが反映している世界」が重なってできている。
後者のルールが前者よりも圧倒的に強いので「現実のルールよりも吾郎の思いのほうが作内に強く作用する」
アクアと同一人物のはずの吾郎が、この瞬間だけ分離して「現実の存在」である神木ヒカルを殺せたのはそのためだ。
【推しの子】で最も上位にくるルールは、「吾郎の思い」である。
このことを踏まえて読むのが「『物語の枠組みに沿った読み方』だろう」というのが自分の意見だ。
──はい、冒頭から意味不明。
まず、「アクアと同一人物のはずの吾郎が、この瞬間だけ分離して『現実の存在』である神木ヒカルを殺せた」ってのは、象徴的暗喩表現を理解できていないことによる完全な誤読である。(第4章参照[↩︎])
それから「現実世界では存在しない、吾郎の内面しか存在しないものを読み手が観測できるのはそのためだ」って、いや違います。
単にアクアが主人公かつ語り手だからです。
……とまあ初めからツッコミどころ満載なのだが、とは言え「観測」だの「内面世界」だの「物語の枠組み」だの、一応それっぽい言葉を羅列しているので、
「あ゛〜、なんが頭よざぞうなごど言っどる人がおるだよ〜。どりあえず聞いどぐだ〜ズッギ♡もじどぐだ〜」
──という哀れな方々が続出するのもまあ無理はあるまい。
がしかしね、上の460字って、要約するとこうですよ。
「【推しの子】の世界は、全て主人公たるアクアの思い通りになる」
……は? どこが?
──と思わせた辺りで、記事は以下の如く続くんですね。
「キャラの思いひとつで『生まれ変わり』なんていう超常現象が出来るなんて、超ご都合主義じゃないか」と言われるとその通りだ。
【推しの子】は、「吾郎の都合」で出来上がっているご都合主義の物語だ。
では「吾郎の都合」とは何か。
「推しであるアイの息子になって愛されたい」という願望か。
本来であれば「ご都合主義」という言葉には、「本人にとって都合がいいこと」という含意がある。
しかし「吾郎の都合」は、一般的に考えられる願望や特権など社会的な利益ではない。
前記事で書いた通り、吾郎が望んだことは「自分自身を殺すこと」だ。
──この辺りが苦虫うさる氏お得意の卑怯な詭弁である。
つまり冒頭部で「【推しの子】は『ご都合主義の物語』である」などと力強く断言しておく。
その後で「本来であれば」だの「しかし『吾郎の都合』は」だのと、言い訳がましくチマチマとした後追いの留保条件を付けて行き、なんだかんだ辻褄を合わせようとするのだ。
(極めて初歩的な猫騙しレトリックである)
◆ さてはアンチだなオメー?
それにしても、「【推しの子】はご都合主義の物語である」──これは実に強力な惹句と言えよう。
というのも、アンチと中立層とファンの全てを巧みに「おっ?」と思わせてしまうからだ。
第一にアンチどもは、「そうだそうだ、推しの子はご都合主義のゴミ漫画なんだ!」と喜んでウジャウジャ寄って来て、この意味不明な記事を知ったような顔で読み飛ばした挙句、「やっぱそうだやっぱそうだ思った通りだ!」などと納得して帰って行く。
第二に中立層(未読者が多い)は、「へえ、よく知らんけどやっぱご都合主義の駄作なんだ。ふーん」などと意味不明な記事を流し見て、よくわからんままにまあ納得して帰って行く。
第三にファンは、初め「は?」となるかもしれないが、しかし当のnote本文が意味不明なので反論のしようも無く、「まあ…認めたくはないけどそういう面も確かにあるのか…」などと結局納得して帰って行く。
──つまりはアンチからファンに至るまで、全読者層に「ご都合主義説」をなんだかんだ納得させてしまうのだ。
(筆者が夏木バジル氏のものと並んで、特にこれを「有害な非アンチ系考察note」として取り上げたのは正にこの為である。「この物語のどこが好きかを語りたい」などという一見いかにも肯定派っぽいタイトル故に、デマゴーグ記事としてなおさら悪質と言える。現に高評価数がそれを語っていよう)

では、この圧倒的ポピュラリティはそもそもどこから生じているか?
…見ての通り、記事自体が意味不明なことなのだ。
その意味不明さを翻訳・要約してしまえば何のことは無い、「【推しの子】の世界は、全て主人公たるアクアの思い通りになる」なんぞというバカげた主張なのである。
このバカバカしさを覆い隠す厚化粧こそ、上述の「意味不明性」なのだ。
以下、このしょうもない事実を淡々と指摘して行こう。
◆「アクアは死にたかったから勝手に死んだんだ‼️」
◆吾郎は自分(神木ヒカル)を殺すために、アクアに生まれ変わった。
このシーン [下画像] であかねは「自分も死んでしまった」ではなく「自分も殺した」と言っている。
アクアは、神木ヒカルを殺すために自分の命を犠牲にしたのではない。「自分を殺すこと」も目的のひとつだったのだ。
違います。
下であかねが「だからカミキさんを殺した。そして自分も殺した」と言ってるのは文脈上、単に「殺人者としての自分の存在がルビーに迷惑を掛けぬよう、自殺した」の意。

しかしそれを、
「だからカミキさんを殺した。そして自殺した」
「だからカミキさんを殺した。そして自死した」
「だからカミキさんを殺した。そして自分も死を選んだ」
──などと言わせたのではどう見ても座りが悪いから、
カミキの方の動詞に合わせて「殺した」という表現を選び、対句にしているだけ。
(赤坂アカ氏はいつも、こういった言葉選びにはかなり念を入れている)
よって、この言葉遣い一つを論って、「自分を殺すことも目的のひとつだった説」の根拠とするのは全く誤りである。
(…ってか、じゃああかねが「そして自殺した」とか言ってたら違うことになるのか? 「自殺」だって「自ラ殺ス」なんだが…)
また、確かにアクアの生涯はタナトスとの戦いだったのだが、しかし彼は物語の第二部においてはっきり「生きたい」と願えるようになったのであり、であればこそ彼によるあの決死の選択に一層重みが増すことは、第4章[↩︎]・第7章[↩︎]参照。
逆に言えば、要するに苦虫氏の意味不明独自解釈は、ただいたずらにアクアの死を貶めるものなのである。
(もちろん「だから誤りだ」とはならないが、しかし作品の悲劇的価値は確実に低下させることになる)
◆「アクアとカミキは実は同一人物だ‼️」
前回の記事[↩︎]でも書いたように、吾郎(アクア)と神木ヒカルの同一性はとことどころで示唆されている。
アクアと神木ヒカルは親子なので「同じ目をしている」のは、本来指摘するまでもないことだ。
ではなぜあえて「同じ目をしている」と指摘するのか。
「親子であるから目が似ている(同じ)」という「現実的な当たり前のこと」を超えて、文字通り「(二人が)同じであること」が重要だからだ。
「目」という媒介を通して、アクアとヒカルは同一性を持つことを示唆している。
神木ヒカルは「吾郎が生まれ変わってでも、殺さなければならないと思っている自分」である。
吾郎の主観世界ではそうとらえられるべき人間なのだ。
違います。
16巻160話144-7頁でのアクアとカミキの対話自体はもちろん、二人が父子同士として同じ性質を有していることを表現している。
がしかし、当然ながらそれが即ち二人が「同一性を持つ」ということにはならない。
(私とあなたの身体の原子組成は、性別・体格さえ同じならまず99%等しいでしょうが、それが我々が「同一性を持つ」ことの根拠になりますか? せいぜいが「共通点を持つ」ってとこでしょう?)
また文学的・心理学的概念としても、父殺し願望と自殺願望は全くの別物。
場合によっては同一視され得ることもある、というだけ。
だがここで疑問が出てくる。
もし【推しの子】が吾郎の主観がストーリーに最も強く反映されるというルールがあるならば、なぜ吾郎は神木ヒカルを即座に殺すことができないのか。
「神木ヒカルを殺すことはアクア自身を殺すことだ。だからできない」わけではない(実際に、アクアは最終的に自分=神木ヒカルを殺す決断をしている)
「吾郎の主観世界」において「神木ヒカルを殺す」とはどういうことなのか。
神木ヒカルとは何者で、どうすれば殺せるのか。
「吾郎の主観がストーリーに最も強く反映される」だの「【推しの子】の世界は吾郎の主観世界」だのという前提がそもそも完全に間違っているので、何も言うこと無し。
(【推しの子】の世界観が原則リアリズムに則っていることは、第4章参照[↩︎])
◆「アクアはオイディプス王だ❗️(ドヤァ)」
◆「母親を救うためには自分自身を殺すしかない」という苦しみ
【推しの子】の一番奥底に眠るストーリーラインは、「自分を出産すること(愛すること)で母親が死んでしまった。その罪の意識に苦しむ吾郎が、母親の死の原因である自分自身を殺すことを望む」というものだ。
アクアの母(吾郎の二度目の母)であるアイは、腹部を刺されて出血しながら、アクアとルビーに「愛している」と言って死ぬ。この状況は出産とイメージが重なる。
吾郎は「自分が母親から生命(愛情)を受け取った瞬間に、母親が死ぬ」という運命を二度繰り返している。
吾郎の(生まれ変わり前の)母の死は吾郎を出産したことが原因だし、アイを殺した首謀者は神木ヒカル(≒吾郎)である。
「母親を救うためには、その原因である自分自身を殺すしかない」
吾郎(アクア)のこの考えが、【推しの子】のストーリー(観測された世界)を作り出している。
吾郎は、アイに対する妄執を持つ自分自身(神木ヒカル)によって殺された。
そして(無意識下で)母を守るためにアクアに生まれ変わった。
しかしまたしても、母親を殺されて(殺して)しまう。
そして母を殺した犯人(神木ヒカル)に復讐を誓う。
しかしこの「母を奪った相手への復讐(という妄執)」こそが、吾郎自身の悪性(神木ヒカル)なのだ(『母を奪った相手』が実は自分自身である、と考えると吾郎が陥っている状態のキツさにウッとなる)
つまり復讐の気持ち(母に対する執着)を持ち続けるうちは、吾郎は神木ヒカルを殺すことはできない。
吾郎の主観世界では、神木ヒカル(推しへの妄執・自己の悪性)は存在し続けるからだ。
吾郎は神木ヒカルと同じように、母親(推し)に対して「あるべき姿」という幻想を持っている。
この妄執(悪性)を持っている限り、吾郎は「あるべき姿を推しに押しつけるために推し本人すら殺す神木ヒカル」になってしまう。その可能性を持ち続ける。
吾郎自身は自己の中の神木ヒカルに自覚的である。だから「母親を殺したのは自分ではないか」という罪悪感に苦しむのだ。
──クッソ長いですが、要するに「アクアはオイディプス王だ!」っつってるだけです。終わり。
(それから「自分を産んで死んだ母への憧憬」というモチーフ〔トンプソン・インデックスのT584.2とか〕の指摘自体は正しいが、こんなのはそもそも自明なので割愛)
「復讐」という妄執に囚われているうちは(こうあるべきだという推し方をしているうちには)、吾郎はこのループ(自分自身)から逃れることができない。
復讐というモチベーションで神木ヒカルを殺せば、その妄執は来世に持ち越される。
吾郎は再び生まれ変わり母親を殺され、母を殺した自分を殺さなければならなくなる(ルビーの息子に生まれ変わるんじゃないか説があったが、たぶん復讐で神木ヒカルを殺した場合はそうなると思う。そして生まれ変わった神木ヒカルにルビーを殺される)
そのことに気付き、アクアは「愛し方(推し活)」を「推しに対する執念(復讐)」から「推しを守ること」に変化させる。
「母に対する妄執」を捨て去った時点で、推しは母とは限らなくなる。
そのためアイとさりなを同じくらい推すことができる。
推し活を変化させることで、ようやく自分自身の悪性(神木ヒカル)を殺し、推しを守ることができたのだ。
「ルビーの息子に生まれ変わるんじゃないか説があったが」…って、無えよ。
アクアの転生は何がどうあろうと、ルビーのおこぼれに預かった時のただ一回切りである。(第4章参照[↩︎])
「推し活を変化させる」うんぬんのくねくねした文章が一体何言ってるかと言えば、「マザコンを卒業する」ってだけです。
(D.H.ロレンスの『息子と恋人』[↩︎]的な)
しかし、「それによって初めてカミキを殺せる&転生の輪から逃れられる」という結論は普通に意味不明。
輪廻転生からの解脱や運命の輪のイメージに基づくものかと思われるが、【推しの子】の作中にそれを思わせる要素は全く無く、実際、当の苦虫氏も具体的には一切引用していない。
…まあ、いいとこ「独自解釈」でしょうね。無理だろうけど。
◆「ルビーの転生には何の意味も無いんだ‼️」
◆さりなが生まれ変わったのは、「妹(母とは別の推し)を必要とする」という吾郎の都合によってである。
「吾郎が必要とした吾郎のためのストーリー」において、なぜさりなだけが吾郎と同じように生まれ変わりという「ズル」ができたのか。
「さりなが可哀想だから」という理由だけなら、さりなが死んだ直後に生まれ変わらせるはずだ。
これは吾郎が妄執から逃れるために、アイ(妄執の対象である母親)以外の(守るべき)推しを必要としたからだ。
さりなは吾郎と同じ「推し(母=アイ)」を持つ。吾郎にとっては精神的に妹である。
「同じ推し(母)を持つさりなは、自分の妹である」という吾郎の主観が現実に作用したため、さりなは吾郎(アクア)の妹として生まれ変わったのだ。
はい、ここに来て致命的な誤り。
アクア自身がその末期に推測している通り、さりなとゴローの転生はそもそもさりなが主、ゴローが従であった。
だからゴローが転生し得たのは飽くまでも「ズル」(16巻162話183頁)だったのであり、さりな(ルビー)一人だけが遂に生き残ったこともまた、定められた必然であったのだ。(第4章[↩︎]・第5章[↩︎]・第7章[↩︎]参照)
だから、ゴローを世界の中心に据えて「なぜさりなだけが吾郎と同じように生まれ変わりという『ズル』ができたのか」などという倒錯した問題設定をしている時点で、見当違いもいいところである。
正しくは、「なぜ "ゴロー" だけが "さりな" と同じように生まれ変わりという『ズル』ができたのか」と問うべきなのだ。
でなければ16巻162-3話のアクアとツクヨミによる対話も、アクアが絶対に死なねばならなかった──つまりハッピーエンドなど初めからあり得なかった理由も、共に全く理解不能である。
(つーか、苦虫氏が認識するゴローって一体何者なんですか? 自分の意思次第で自分や他人を転生させたりさせなかったりって、もう神そのものじゃねえか。それとも、「【推しの子】は要するにセカイ系だから、何でも許されるんだ❗️」とでも強弁するつもりだろうか。【推しの子】ほどセカイ系から程遠い作品も無いんだけどねえ)
で、この根本的な誤りが結論部に至っていよいよ効いて来る訳であった。
◆ そしてアホキッズの化けの皮が剥がれる
◆【推しの子】は、「自分の中の悪性(妄執)」から逃れるにはどうしたらいいかを描いた話である。
【推しの子】は自己の内面の牢獄(妄執)からどうやって脱出し、理想の推し方(愛し方)で推しを推せるようになるか(人と関われるようになるか)という話である。
吾郎の内部に存在する、自己嫌悪と処罰感情で作られた牢獄は余りに強固だ。だからこそそこから脱出しようとする力が、物語に大きなエネルギーを与えているのではないか。
そう思いながら読んでいた。
いや、自己嫌悪・自罰感情との戦いが「物語に大きなエネルギーを与えているのではないか(ドヤア)」と言われましても、そんなの漱石の『こころ』から『エヴァ』まで、内省系フィクションでは大体そうである。
故に【推しの子】が特別な訳では全くないし、それだけ言った所で何一つ説明したことにならない。(第7章参照[↩︎])
魅力的なキャラたちが芸能界という場で織りなすエンタメ作品としても、とても面白かった。
子役編、リアリティーショー編、舞台編、アイドル編、どれも好きだった(特に舞台編が良かった)
「特に舞台編が良かった」って、しかも第二部のスキャンダル篇や映画篇には一切触れないって……ああそっかそっか、やっぱり君もカタルシスジャンキーフレンズなんだね! 正体現したね。(最終章参照[↩︎])
(ところで「アイドル編」って何? 中堅篇のことか?)
ただ自分が【推しの子】に惹かれたのは、自己の悪性への葛藤という要素があったからだ。
これがなければ今の五分の一も興味を惹かれなかったと思う。
それだけにこのテーマをもう少し正面から描いたものが見たかった(見たかった。二回言う)
ここをきちんと片をつけられれば、かなとのハッピーエンドもありえたのではと思うが、そういう気持ちはおいておいても十分面白い物語だった。
はぁ? ハッピーエンド? あるわけねえだろうがボケ。
アクアの死は第1話から決まり切った予定調和であった。
こんなこたぁな、少しでも物語読み慣れた奴なら一瞬でわかるわ。
逆に死ななきゃ物語全体がスカして大崩壊だバカ野郎。
それをなーにが「ここをきちんと片をつけられれば」だ。
「このテーマをもう少し正面から描いたものが見たかった」だ。
そりゃあてめえが勝手に脳内で拵えた独自テーマだろうが。
貴様何様のつもりだ批評家気取りの何も知らねえアホの分際で。
それこそ「勝手な偶像の押し付け」というこの作品の主題だっつーの。
「そういう気持ちはおいておいても十分面白い物語だった」って笑
「ぼくちんほんとはハピエンがよかったにゃー😿」ってだけじゃねえか。
顔洗って出直して来いやハピエン厨低俗お花畑キッズめ。シッシッ。
🔷 最恐アンチブログ篇──ダイヤを見ながら渡る旅|【推しの子】のストーリーはどこからゴミ漫画化した?問題点を探る。 (2024/11/23)
お前は最初に殺すと言ったな。あれは嘘だ。
────────
──さていよいよ、序論[↩︎]にて「栄えある第一サンドバッグの座を与える」と宣言しておいた本命アンチサイト様のご登場である。
実際、当初は本補論での第一サンドバッグにするつもりだったのだが、殴り始めてみたらどうもこいつだけで3万字ぐらい行きそうなので、急遽トリにお出で頂いた。
既に触れた通りこのアンチサイトは、「推しの子 時系列」「推しの子 矛盾点」などとググると堂々のトップに踊り出て来やがるので、
アンチは元より、純粋に物語のタイムテーブルを参照したい方々によってもかなり広く読まれているようである。
…がしかし、はっきり申し上げて相当に頭のお弱い方が書かれているのが明白のサイトであって、唖然とするような誤謬と妄想に満ちている。
如何せんこれだけ多く閲覧されているページにおいて、「ゴミ漫画」などと端的に作品そのものを貶める題を付けておられるのだから、
自らもまた、相応に強い言葉で批判されることは当然ながら重々覚悟しておいでのはずだろう。──そうだよねえ?
よって言うまでも無く、以下では言葉遣いの上で一切容赦しない。
◆「アクルビは双子だから双子座生まれだ‼️」
まず「時系列順にまとめてみた!」の記事だが、このタイムテーブル考証のデタラメさと「致命的時系列矛盾説」の根本的誤りについては、第3章の本文[↩︎]や同章註(3)[↩︎]なんかで散々ネタにしているので、今は繰り返さない。
とは言えただ一点だけ、当該サイト運営者の粗雑な思考の有り様を端的に示す、象徴的な一節を再度擦っておきましょうかね。せっかくだし。
アクアとルビーが双子であることを踏まえると、アクルビの誕生日はふたご座生まれの5月21日~6月21日とメタ読みするのが妥当でしょうか。
……あのー…「メタ読み」とは一体?
「妄想」とお間違えでは?
◆ 全体所感
では本題、「【推しの子】のストーリーはどこからゴミ漫画化した?」の記事に入りましょう。
(どうでもいいが、まずタイトルがおかしい。「ストーリー」がどうやって「ゴミ漫画化」するんだ? 頭悪いカテゴリエラーである)
記事の構成は、全体所感→各章ごとの論評→キャラクター別論評→まとめとなっています。
【全体所感】
まずはストーリー全体の評価について。
【推しの子】は最初の部分は非常に面白く、多くの人が魅了されたと思います。
誰もがこの物語の結末がどうなるかワクワクしながら、おおよそ週1回更新される同作品を読んでいました。
しかし、途中から不評意見が散見されるようになり、最終的には否定的な意見が多い結末を迎えることになりました。
「おおよそ週1回更新される同作品」とは、「誰もが」を主語にするという卑怯な逃げを打っているものの、実質『ジャンプラ』乞食キッズの自己紹介ですね。
つまりはコンテンツに1円たりとも払ってねえ癖に、ふんぞり返った批評だけは偉そうに垂れる権利が自分にはあると錯覚した、典型的な世間知らずキッズの妄言。
また「途中から不評意見が散見」だの「最終的には否定的な意見が多い結末」だのは、非常に幼稚な論点先取の詭弁であり、執筆者の根性の下劣さが早くも滲み出ておりましょう。
【推しの子】のストーリーが転落する原因はどこにあったのか?
それは以下の3つにあるかと思います。
① 有馬かなの取り扱いのミス(特にスキャンダル編)
② サスペンスにおける致命的な時系列の矛盾
③ サスペンスにおける作者が想定していた結末と読者が期待していた結末の不一致
延いては、【推しの子】が抱える3つの柱である「業界内幕物・復讐物・ラブコメ」の扱いを誤ったからだと考えられます。
そして、作者がこれら3つを最後まで描き切ることから逃げたことが今の【推しの子】の不評に繋がっていると考えます。
① そう、有馬こそA級戦犯。…すぐにわかる通り、この執筆者は典型的な処女性信奉者。✞ヴァージンキッズ✞有馬アンチおぢさんの理想的モデルケースである。(第1章参照[↩︎])
② 完全に誤り。(第3章参照[↩︎])
③ 100%不当な非難。(第6章参照[↩︎])
──はい、以上でこいつの言う「駄作説の3論拠」が全て崩れました。
以下の諸批判もほぼこれまでの各章にて論破済みなので、もうこれにてご愛読ありがとうございましたにしちまってもいいんですが、まあ折角なのでまだまだ行きます。
◆ 第1章:幼年期篇
アニメ1話を見た時、アイの死の衝撃の大きさからこの物語をサスペンス・復讐物として捉えた視聴者は多かったと思います。
そして、そのサスペンスに芸能界や恋愛が絡むようになったと捉えられたのではないでしょうか。
誤り。
アニメ勢はともかくも、原作連載に即したキッズ読者の大部分は、本作を最後の最後まで「転生系ラブコメアイドル漫画」と信じていた。
だからこそ「あかねエンドか、ルビーエンドか?」などという心底バカげた話題が成立し得たのだし、本格的にサスペンス漫画化した第二部以降いよいよ彼らの評価は急落したのである。(最終章参照[↩︎])
◆ 第2章:芸能界篇
第一章でアクアにより大きな屈辱を受けたかなは、屈辱を与えたアクアと再会したことによって、アクアにしつこく付きまとうようになります。
そして、アクアがかなに褒められたことと、そんなかなが業界から不当な扱いを受けていたことを踏まえ、彼女をドラマ撮影の中で救ったことで有馬かなはアクアに恋をするようになります。
誤り。
有馬のアクアへの片思いは3歳での『それが始まり』撮影時以来のものであって、再会してから突如好きになった訳ではない。(第2章参照[↩︎])
また「アクアにしつこく付きまとうように」とは、有馬に「しつこく付きまとう」悪質粘着反転アンチのこいつにそのまま返してやりたい言葉だが、
ともかく「しつこく付きまと」っているようにも見え得るのには、正当な心理的根拠があった。(やはり第2章参照[↩︎])
ただ、この章で台頭した有馬かなの恋模様というのは、有馬かなが新生B小町というアイドルユニットに加入することを決めてしまったことで早くも暗雲がたちこめるようになりました。
なぜなら恋に落ちたにも関わらず、恋愛が御法度であるアイドルになるという矛盾を抱えてしまったからです。
作者的にはこの矛盾を後々の展開で解決しようとしていたと思いますが、それによって生ずる様々な犠牲が【推しの子】を今の評価にしてしまったと個人的には考えます。
「恋に落ちたにも関わらず、恋愛が御法度であるアイドルになるという矛盾」ってのはつまり、
「偶像=ヒロインは肉体的にも精神的にも絶対に処女でなければならない(だから恋すらも許されない)」という、典型的な✞ヴァージンキッズ✞流処女性信仰を露呈してますね。(第1章参照[↩︎])
◆ 第3章:恋リア篇
重要なことは、なぜ黒川あかねというキャラクターが新規に登場したのかということです。
同じ女優であれば、有馬かなが恋愛リアリティショーに参加しても良かったはずです。
この点について、個人的には恋愛が御法度であるアイドルになった女優・有馬かなを恋愛をメインとしたリアリティショーに参加させる訳にはいかなかったのだと考えます。
有馬かなとは別の女優キャラとして黒川あかねの誕生したのだと思います。
馬鹿かこいつ。
「個人的には恋愛が御法度であるアイドルになった女優・有馬かなを恋愛をメインとしたリアリティショーに参加させる訳にはいかなかったのだと考えます」も何も、それ以外にどんな理由があんだよ?
第一、「有馬かなが恋愛リアリティショーに参加しても良かったはず」って、んなことしたらラブコメとしてはもう有馬一強になっちまうだろうが。
マジで無知だなお前。
聞き及んだ話だと、原作公開時点でこの章の反響は大きかったようです。
アニメでも特に7話のラストでアイを完璧にトレースした石見舞菜香さんの演技は凄まじく、反響は大きかったように思います。
逆に言えば、この反響によって黒川あかねのレギュラー化が決定されてしまい、有馬かなに恋のライバルが生まれてしまったと思います。
は?
つまりあかねのメインキャラ化は作者の想定外で、やはり「ライブ感」によるアドリブ展開だったって意味ですか?
馬鹿なの? ◯ぬの?
急遽メインキャラ化したMEMちょとは物語上の役割が全然違ぇだろうが。
「創作」とはどういうものかまるでわかってない、典型的なコンテンツ消費豚キッズの発想ですね。乙乙。
(そもそもアンチの言う「ライブ感逆張り説」が完全に誤りであることは、第3章参照[↩︎])
◆ 第4章:ファーストステージ篇
ファーストステージ編は、復讐劇とは全く関係ない展開でした。
MEMちょが加入して本格的にB小町が始動する話です。
この回では今ガチでメンタルショックを受けた有馬かなの精神を回復させる話でした。
かなはアクアに誘われてアイドルを始めた経緯があるため、ルビーやMEMと比較すると、アイドル活動へのモチベーションに問題がありました。
有馬かなにはアイドルにも関わらず恋に落ちているという問題もありましたが、それはひとまず置いておいて、まず新生B小町のスタートダッシュの成功に注力する流れでした。
そして、そのためにアクアがB小町をサポートしていました。
結果としては、アクアのサポートが奏功し、JIFでの初ライブを無事に成功させました。
これにより有馬かなはアイドル活動にやる気を出すようになります。
ちなみにここでは、「推しの子宣言」を有馬かながやることについて、異論を上げる声があります。[…]
馬鹿かこいつ。
【推しの子】という作品の独自性は、メインテーマたる復讐劇=シリアスドラマと、サブテーマたるラブコメ=コメディドラマとが相互に干渉し合い、絡み合う複雑な多層性にこそある。
だからメインエピソード・サイドエピソードの違いこそあれ、結局は全ての挿話が主題の復讐劇へと収斂しているのであり、「復讐劇とは全く関係ない展開」など全166話中に一つもありはしない。
実にこのファーストステージ篇における有馬の「アンタの推しの子になってやる宣言」こそ、エンディングまでを貫く作中最大のフックとして機能しているのだからなおさらである。(第5章参照[↩︎])
「異論」もヘチマもあるものかボケ。
◆ 第5章:2.5次元舞台篇
あかねが自身と鞘姫、かなとつるぎを重ね、ヒロインレースに対する焦りを見せています。
こういった感情が後に歩道橋での「キスもHも嫌いじゃないよ」の発言に繋がっていると思います。
ヒロインレースにおいて、かなに負けたくないという想いがあったと考えられます。
また言うまでも無く、アクアがPTSDを起こしあかねが五反田監督の自宅まで連れ添った話は、ヒロインレースにおいて大きな影響を与えています。
[…] あかねの方が遅れていたアクアを巡るヒロインレースが一気にあかねがリードする形となり、プライベート編ではさらにアクあかを補強する根拠が生まれました。
逆にかなが最後までアクアの深い所まで知ることが無かったことを踏まえると、この時点でアクかなENDは詰んでいたと思います。
「キスもHも嫌いじゃないよ」がそのまんまあかねの本心だと呑気に思い込んでる、典型的な✞ヴァージンキッズ✞くんの浅読みですね。キモ過ぎる。(第6章参照[↩︎])
またアクアが有馬だけを好きになったのは、まさしく彼女が「最後までアクアの深い所まで知ることが無かった」からこそなんで、「アクかなENDは詰んでいた」もクソも無いわ。(第2章参照[↩︎])
加えて、「ヒロインレース」だの「誰ルートが詰んだ」だのとバカの一つ覚えで連呼しているあたり、やはり一本の物語とマルチエンディングのギャルゲとを区別できないキッズ特有の思考を露呈してますね。(最終章参照[↩︎])
あかねとかなの演技バトルも個人的には良かったと思います。
二人の勝負に決着を付けなかったことに批判の声がありましたが、これも今の【推しの子】の惨状を踏まえれば、優劣を付けなくて正解だったと思います。
意味不明。どういう論理?
◆ 第6章:プライベート篇
ラブコメについても大きなターニングポイントでした。
主にアクアが勘違いによって復讐が終わったとしていたので、かなとあかねのどちらを選ぶかという段階に来ていました。
そんな中、かな・あかねそれぞれでデートが描かれました。
ただ、アクアは有馬かなから黒川あかねに心変わりしており、[…] 結果として、アクアはあかねを選んでいます。
最終話までの描写を見る限り、プライベート編のラストのアクアとあかねのキスには嘘は無かったと言えるでしょう。
馬鹿野郎、何度も言わせんじゃねえ。
「どちらを選ぶか」も「心変わり」も何も、アクアの本命は終始一貫して有馬ただ一人だっつーの。
また既述の通り、アクアとあかねとの2回目のキスは飽くまでも、共依存的契約恋愛の締結を相互確認する為の謂わば「誓約」であった。
だからこのキスに「嘘は無かった」も何も、その意味ではアクアにもあかねにも「嘘 "しか" 無かった」と言う方が寧ろ正しい。(第5章[↩︎]・第6章[↩︎]参照)
──つーか、こんなこと普通に読めばわかるだろうが。
マジで絶望的に読解力低いね君。
加えてアニメでは両人のデートの時系列を逆転させ、有馬かなのデートを黒川あかねのデートの前座にするような描写がありました。
誤り。
原作8巻71-3話で「あかね→有馬」の順だったプライベート篇でのデートが、アニメ2期22話では「有馬→あかね」の順になっているのは、単純に1話分の尺の都合。
つまり、
「復讐相手はもうこの世にいない」と思い込んだアクアが、全てを忘れて有馬とのデートを楽しむ
→あかねとのデートで彼女がアクアの誤りに気付き、復讐劇がまだ続くことが示唆される
→ついにカミキ現る
→♫羊文学「都合良い理想ばっか、並べたって…」
──として1話に収めるのが、次回の宮崎旅行へ向けての不穏かつ皮肉なクリフハンガーとして最も有効だったからそうしただけのことである。
この程度の初歩的シナリオテクニックに対して「有馬をあかねの前座にした」などという倒錯した解釈を下せるのは、あなたのように無知で下劣で品性の歪んだ人間だけです。
[中堅篇] 以降はほぼ陰鬱とした展開しかないため、中々読者がカタルシスを得られない構成になっていました。
【推しの子】全体の評価としてもここが限界だったと考えられます。
はいはい、絵に描いたようなカタルシスジャンキーキッズの妄言ですね。(最終章参照[↩︎])
言うまでも無く、元々第二部とはそういう「陰鬱とした」話だから。
◆ 第7章:中堅篇
個人的に【推しの子】のストーリーが転落していったのは、この章からと考えます。
ここで①の「有馬かなの扱いのミス」をしていたと考えます。
前半は良かったと思います。
81~83話のかなを遠ざけている件も本当はかなのことが好きなのではなく、単純にPTSDになっているだけと考えられますし、ルビーをメインとする夏コミでの炎上事件も私は問題なかったと思います。
もし夏コミのストーリーに問題があるとすれば、今回の炎上を裏から意図的に作り上げたルビーに対して、話が幾らが進んでも結局しっぺ返しが無かったことでしょう。
この点を踏まえると、次章のスキャンダル編のメインは、有馬かなより星野ルビーの方が良かったと思います。
個人的に一番問題があるのは、夏コミの炎上が終わった後の展開だと思います。
B小町内において、ルビーと他のメンバーの人気に差がついたのは良いとして、そこからかなやMEMが再起することが無かったというのが一番の問題だったと思います。
はい、一から十まで有馬アンチ✞ヴァージンキッズ✞特有の、偏見と曲解に塗れた典型的思考ですね。
「かなを遠ざけている件も本当はかなのことが好きなのではなく、単純にPTSDになっているだけ」って、「いやこいつ本当に9巻83話読んでんのか?」って話ですが、
有馬アンチどもの目にはもう世界の全てが歪んで見えているので、これくらいは序の口です。
「炎上を裏から意図的に作り上げたルビーに対して、話が幾らが進んでも結局 "しっぺ返し" が無かった」ってのも中々に意味不明ですが、
つまり「物語は必ず勧善懲悪的でなければならない!」という幼稚極まる性善説の産物ですね。
「そこからかなやMEMが再起することが無かったというのが一番の問題」ってのも「は?」ですが、
つまりは「困難に直面→乗り越える→また困難に直面…」という安直少年漫画流プロットこそこいつにとっての「正しい物語」なのだな。
(そもそもB小町でスランプに陥ってたのは有馬だけで、MEMに「再起」も何も無いんだが?)
あと「スキャンダル編のメインは、有馬かなより星野ルビーの方が良かった」って、「ルビーにこそ枕営業してほしかった」ってことか? 頭大丈夫か?
…まあ、こいつの「ぼくがかんがえたさいきょうの【おしのこ】だい2ぶ」妄想なんぞ心底どうでもいいんだが、しかしいずれにせよ、
この作者がどれだけ全てのキャラクターに満遍なく見せ場を与えようと苦心しているかさえ読み取れていれば、偉そうにこんなアホ抜かすことなんぞ絶対に出来ぬはずであろう。
スキャンダル編に繋がる出来事として、アクアが誤解に気づいた後に思わず有馬かなを突き飛ばしたことは、今日の【推しの子】の低評価に繋がるきっかけになったと思います。
この出来事が無ければ、有馬かながスキャンダルに巻き込まれることは無かったと考えられるからです。
はいバカ。
「低評価に繋がるきっかけ」も何も、あの有馬突き飛ばしシーンからスキャンダル篇への流れはシナリオ上、特に優れたエピソード間インターバルの筋運びと評価される。(第3章参照[↩︎])
「この出来事が無ければ、有馬かながスキャンダルに巻き込まれることは無かった」って、いやまさしく「有馬をスキャンダルに巻き込むこと」こそあのシーンの意義だから。
或るシーンが持つシナリオ上の意味を客観的に分析できず、ただその時々の自分の快・不快を直ちに当該シーンの価値評価へと結び付ける──そんな絵に描いたようなアホキッズの思考と言えよう。
その後、あかねがカミキに辿り着く所やアクアとあかねが破局する展開については、個人的には問題なかったと思います。
特に破局展開については描写の解釈が複数あるかと思いますが、どう解釈しても後の展開で挽回出来ていたので、大きな問題ではなかったと思います。
これまた意味不明ですが、つまり「トゥルーエンドであるアクあか展開から見ると、正直この破局シーンは理解不能」の意でしょう。
話になりませんね。(第5章参照[↩︎])
◆ 第8章:スキャンダル篇
個人的に一番の問題と感じるのはこの章です。
この章で有馬かなの取り扱いを間違えていたと思います。
このスキャンダル編は、章単体でも賛否両論分かれる内容で、例えば一連の有馬かなの行動に対し、ミヤコが「週刊記者の実態」というズレた話題を延々と語り、かなの方は何も悪くないという雰囲気を出していました。
本来は不倫の是非について挙げるべき状況です。
ええと、このバカが何言ってるかと言うと、「有馬は枕営業未遂によって実質処女を捨てたのだから、当然その罰を受けねばならない」ってことです。
✞ヴァージンキッズ✞の面目躍如よな。(第1章参照[↩︎])
つーか「かなの方は何も悪くないという雰囲気」って、実際そうなんだが?
一体何読んでんだお前?
このような状況で、かなのスキャンダルを塗りつぶすためにアイの秘密を暴露するという展開になりますから、この原作105話が更新された際はかなり炎上していました。
この時の「アイの秘密を暴露してまで、かなを守る必要があったのか」という疑問は、結局何も解決しないまま完結しました。
はい誤り。
サルでもわかる通り、アクアによるあの暴露はどこまでも計画的なものであり、遅かれ早かれ彼は同じことをしていた。
よって、本質的に有馬のスキャンダルは無関係。(第1章参照[↩︎])
ここでもしかなのスキャンダルが隠されずにそのまま公にされていたら、たとえ世間が彼女に対して非難轟轟だったとしても、彼女の成長に繋がっていただろうと思います。
「成長成長」って、いい加減少年漫画の文法を卒業しろってんだよタコ。
幾つだてめえ。
第一、有馬はこの件でもう十分「反省」も「成長」もしてたから。
11巻103話を5億回読み直せよこの抜け作が。
(下のnoteで最内翔氏が、週刊誌発売日の朝に有馬が自分で「とりゃ!」とテレビを付けられたこと [11巻105話94頁] を重視されているのは正しい)
────────
かなは原作107話でアクルビの両親がアイであるという事実を知りましたが、かなは秘密を暴露して話題の渦中にあるアクルビを心配せず、自身が起こした事態に対する謝罪をアクアにせず、「自分も可哀想」と自分語りを数ページかけて展開します。
そもそもアイとの関係の公表に激怒したのはルビーと壱護社長だけで、それ以外は誰も「謝罪」されるような迷惑など蒙っていない。
第一、愛する有馬を守る為にそれを選んだアクアが、今更「謝罪」なんかされて嬉しかったと思うのか?
そして107話での会話に続く有馬との関係回復が、一人復讐へと突き進む孤独なアクアにとって、んなどうでもいい「謝罪」なんぞよりどれだけ救いになったかすら貴様には読み取れんのか? あ?
また107話での有馬の発言も決して「自分語り」などではなく、アイに纏わるアクアの封印された記憶を共に掘り起こして行こうとする、彼女なりの治療行為の一環であった。
その直後のティッシュ箱ぱこーん殴りもまた同様である。(第2章参照[↩︎])


予てより有馬かなについては角が立つ言動が散見され、それに不満が溜まる読者が居ましたが、特に大きく目立つものではありませんでした。
しかし、それがこのスキャンダル編で一気に顕在化し、ギャグでは済まなくなった印象です。
「不満が溜まる "読者"」(クソデカ主語)。
つまりあなたの感想ですよね。
(つーか逆に聞くが、重曹氏からあの「角が立つ言動」を取っちまったら何が残ると言うのだ? あの口の悪さこそ彼女そのものなんだっつーの。やれやれ、ガキにはわかんねーかな…)
この辺はアニメのみ視聴勢と原作既読勢とで有馬かなに対する評価が大きく異なる点によく表れていると思います。
最初は有馬かなを推していた人も、スキャンダル編以降の彼女の問題行動を見て脱落してしまった人は多いでしょう。
んなあっさりと反転アンチ化するような尻軽ピュアキッズどもの存在とか、心底どうでもいいです。
この際だから再度はっきり言っとくが、真の重曹推しはスキャンダル篇でこそ彼女に惚れ直したんでね。舐めんなよ。(第1章参照[↩︎])
なおこのスキャンダルについては、後の展開でもかな自身に反省の色が見られず、さらに読者から反感を買っています。
実際原作156話では、MEMのスキャンダル対策に対して「私から言うことは無い」と上から目線で発言しています。
「成長」だの「謝罪」だの「反省」だの、そればっかだな貴様は。
傲慢クソデカ主語は相変わらず。てめぇこそ「反省」しやがれ。
大体「上から目線で発言」も何も、実際有馬に「言うことは無い」だろうが。100%アクアに助けて貰ったんだから。
ここでMEMちょに対し偉そうにアドバイスする方が余程「上から目線」だっつーの。阿呆め。
最後に最も厄介な事として、かなはこれをきっかけにB小町を辞めることを宣言しています。
もちろんこれ自体はかなの一連の心情の流れを考えれば妥当かと思いますが、これによってB小町の躍進にブレーキが掛かり、この章以降のアイドルパートをまともに描けなくなったと思います。
事実、この章以降のB小町の活躍は全てダイジェストで描かれていました。
それを考えれば、有馬かながB小町を辞める原因となるスキャンダル編をかなメインでやらないで欲しかったです。
は?…………は?(大事なことなので2回)
いや、有馬のB小町卒業予告がなんでその「躍進にブレーキ」を掛け、「この章以降のアイドルパートをまともに描けなくな」る理由になんの?
マジで頭痛いんで、このバカが一体何おっしゃってんのか、親切などなたかコメントにてご教示下さいませ。
さて言うまでも無く、映画篇以降B小町のアイドル活動が余り描かれなくなったのは、話の主軸がいよいよ『15年の嘘』制作にシフトしたからである。それ以上でもそれ以下でもない。
要するにこいつは映画篇の比較的地味な展開にカタルシスをまるで得られず、ルビーやMEMちょのアイドル姿を鑑賞して安易な脳汁をドバらせたい欲求が満たされぬ不満から、その不愉快さを全てスケープゴートたる有馬の責任に帰しているのだな。
ほんま魔女狩りそのままやんなぁ?(第1章参照[↩︎])
結論の「それを考えれば」以下など、「何か気に入らないことがあったら全て有馬のせいにする」というアンチ特有の幼稚極まる思考回路が露骨に表れていよう。
どれを考えればじゃボケ。
話を纏めると、まずこの章が原因で有馬かなの評価が地に堕ち、この章の前後に渡ってかなの一挙手一投足を肯定的に見れなくなりました。
「かなの一挙手一投足を肯定的に見れなくなりました」
……もう一度行きましょうか? はい、3、2、1──
「かなの一挙手一投足を肯定的に見れなくなりました」
──翻訳すると、「こいつはもう精神的に非処女だから、永久に穢れた女としか見れなくなった」となるでしょう。
「反省してない」だの「成長してない」だの「上から目線」だのという彼女に対する諸々の非難は、上の醜い本心を糊塗し、かつ正当化する為の方便に過ぎぬことがここで暴露されておりますね。
これぞ✞ヴァージンキッズ✞クオリティ。
さらに後のストーリーにおいてもアイドルパートをまともに描けなくなってしまったことで、最終話でのダイジェストな展開になってしまったと思います。
さっきの以上に理解不能。
「有馬のせいで映画篇以降、B小町のアイドル活動がダイジェストになった」とかいうこいつ独自の謎理論と、
「最終話が打切りダイジェストだ!」という通り一遍のバカ批判(第6章参照[↩︎])とを、何をどう思ったかそのまま結合させてしまったものと思われる。
なぜ作者は有馬かなメインでスキャンダル編をしてしまったのでしょうか。
それは有馬かなのポテンシャルを読み切れず、他のキャラと比較して妥当なポジションを与えることが出来なかったからだと思います。
「ポテンシャルを読み切れず」も何も、重曹ちゃんは明らかに作者が一番人物造形に自信持ってるキャラなんですが。
(例えば単行本表紙での登場回数は3回で、アイの4回に次いで第2位。成長後のアクア・ルビーでさえそれぞれ2回で、あかねと同数の3位タイである)
そんな唯一無二の正ヒロインにすら「ポテンシャル」とやらを見出せぬ、度し難いまでの明き盲バカであるから、作品そのものの価値を理解できぬことなどそもそも至極当然と言えよう。
スキャンダル編は原作の更新時期がアニメ1期よりも前です。
この話を展開していた当時、作者が今ほど新生B小町がアニメの外部コンテンツとして大きく盛り上がり、人気を集めるとは考えていなかったと思います。
この盛り上がりにより、新生B小町は「ルビー・かな・MEM」の3人で構成されて新生B小町足り得るようになり、それ以上でもそれ以下でも無くなりました。
それが「有馬かなB小町脱退」によって新生B小町が欠けた結果、新生B小町の躍進に説得力を欠くようになってしまったと考えます。
すっごーい超絶理論。
なんで12巻117話(全166話中の70%)で有馬がアイドル卒業予告をし、16巻164話(99%)で実際に卒業したことが、「新生B小町の躍進に説得力を欠く」原因になるの?
「POP IN 2」[↩︎]聴く人は、「でも有馬って最後は引退しちゃうんだよな…萎えるわ…」とか考えながら聴いてるとでも言うの? 頭沸いてんじゃねえのか?
…いやいや、マジで頭痛いわ。
一体どうなってんのこいつの脳内?
教えて、バカの脳味噌に詳しいエ□い人!
また、このスキャンダル編で不用意に有馬かなをヒロインレースに引き戻そうとしたことも、後の展開に悪影響を与えたと思います。
もちろんスキャンダル編が展開されていた当時においても、[有馬・あかねの] 双方ともに [アクアが] 気があるような描写をすることに批判がありました。
「ヒロインレースに引き戻」すも何も、本作の正ヒロインは終始一貫して有馬ただ一人だ。
同じこと何遍も言わすなヴォケ。
それから「双方ともに気があるような描写」なんぞ一度たりともされとらんがな。
「私アクアくんとなら、キスだってHだってやじゃないよ?」などという、まあサルでも疑って読むようなミスリードセリフにすら即発情してこれを鵜呑みにする、
そんなてめえの如き度し難い低脳低リテラシーピュア童貞野郎だけがんな低レベルで幼稚な誤読すんだよ。
バカ。ヴァーカ。(第6章参照[↩︎])
このように、スキャンダル編は【推しの子】のストーリーの柱であった「業界内幕物・復讐物・ラブコメ」全てにおいて、悪影響を及ぼした章と言い切って良いと思います。
「有馬かなの取り扱いを間違えた」ことが作者の予想以上に作品全体に悪影響を与えたと言えるでしょう。
はい誤り。
他ならぬスキャンダル篇こそ、「業界内幕物・復讐物・ラブコメ」全ての要素における重要な転換点である。
このアホが言う「悪影響」ってのはつまり、「ここから物語が本格的に悲劇へと突き進み始めた」というシナリオ構成上の必然的事実を根本から誤認したものと言えよう。
◆ 第9章:映画篇
第八章「スキャンダル編」の低評価を挽回するべく、新たに展開された第九章「映画編」。
109話から147話までの非常に長い章となりましたが、最終章を踏まえると、結果的に映画を撮影した意義がよく分からない章となりました。
まず書き出しから意味不明。
「挽回するべく、新たに展開」って何? スキャンダル篇が貴様らバカキッズに評判悪かったから、それを受けて急遽映画篇を作ったとでも言いたいのか? 頭大丈夫か?
…まあこいつの自称日本語は元々壊滅的だから、こんなのに一々突っ込んでたらもう永久に終わらんのですが。
姫川愛梨が小児性愛者であることによる芸能界の闇の描き方についても、芸能界の闇を描くという意味では良かったと思います。
しかし、このエピソードが描かれたことでカミキのキャラクターがブレることになり、同情の余地が生まれてしまったと思います。
誤り。
元々カミキは「純粋悪」だから、姫川愛梨とのエピソードは彼の末路と実質無関係である。
よって、カミキにどんな過去があろうがそもそも「同情の余地」など無かった。(第6章参照[↩︎])
紆余曲折を経て映画のアイ役はルビーになりましたが、ルビーの躍進において重要な「ルビーのアイへの理解が徹底して行われたか」と言われれば怪しい所です。
原作では、アイとニノの喧嘩した所しか詳細に描かれず、そこからアイが亡くなるまでのアイの心境の変化は詳しく描かれませんでした。
そもそもルビーとかなの喧嘩によって生まれたルビーの演技についても、小説「一番星のスピカ」の描写と整合性があるか怪しい内容でした。
だから散々言ってるように、アイとはそもそも理解不能な存在なのである。
その鏡像であるカミキがやはり理解不能なのと同じ。
「アイへの徹底的理解」「アイの心境変化の描写」もヘチマもあるものかボケ。
なお『一番星のスピカ』はそもそも別作品だから知らん。
結果としてルビーがアイを超える存在へと成長出来たかについて、説得力に欠ける内容でした。
そして、最終回の描写を見る限り、ルビーはアイ2号へ精神が歪んでいます。
いや、あの最終回はそもそも「ルビーが自分の望み通り『アイ2号』になる」話だから。
それを「精神が歪んでい」るなどと断じているのは、明らかに典型的な「立ち直った心理がダイジェスト説」を承けているが、これが100%誤りであることは既に論じた。(第6章参照[↩︎])
…つーか「ルビーがアイを超える存在へと成長出来たか」って何?
ルビーがアイを超えられる訳ねえだろうが。
アイはこの物語における一種の「神」であるぞ。
ルビーはな、この先もアイ(とアクア)の背中を死ぬまで追い掛け続けんだよ馬鹿野郎。
私は、ゴロさり及びアクルビが特別な関係として強固なものになり、とても良かったと思っています。
時空を超えた二人の関係は非常に尊いものでしたから、このエピソードを読んだ誰もが兄妹の幸せを願ったでしょう。
多少インモラルな展開はありましたけどね。
ただそれは、転生という常識外のことが起こったが故の展開であり、最終的には兄妹愛という形で決着していました。
あかねとかなのヒロインレースについては、描写が為されるたびに一喜一憂する状況でした。
解釈の仕方も複数あるような曖昧な物であり、最終話を見るまでは断定しかねる状況だったと思います。
は? 「断定しかねるヒロインレース」?
それはバカのあなたにとってだけです。
◆ 第10章:終劇によせて
主に不評だったのは、相も変わらず「有馬かなの泣き落としからの周りがヨシヨシする流れ」がまた展開されることへの嫌悪感でした。
これは、スキャンダル編の一件で有馬かなの好感度が下がっていたからこそ、なおのことこの反応になったと言えると思います。
それに加えて、アクあかと比較して大してエピソードを重ねていないのに、今までの積み重ねを無視して無理矢理アクかなで決着を付けようとする展開が150話でなされたことで、主にSNS界隈では否定的な意見が大勢となりました。
この章が展開されるまで比較的穏やかだったSNS内の論調も、ここから一気に否定的な見方が始まった印象です。
詳しいことは当時の感想記事で書いていますが、例えばアクアはアイの死によるPTSDがあるのに、人気がそれなりに高まったかなとキャッチボールをした点が挙げられます。
しかも最終章の内容を見る限り、アクアとしてはかなのことを特に好いていなかったと考えられます。
結局の所、アクかな推しがあらぬ幻想を抱いて落とされる前フリでした。
そもそもの話として、この話の前にアクアはあかねと口づけを交わしていました。
この場面の解釈はどうあれ、アクアがかなのことを「ずっと好きだった」というのは、あかねに対して不義理でしかありませんから、最終的にしっかりとアクかなが否定されて良かったと思います。
まだ単行本に追加エピソードが挿入されるそうですが、作者にまともな良識があればアクかなで決着することはもう無いでしょう。
( ゚д゚) ポカーン……
…えーと、なんというか…まあ、あの……やっぱ偏見ってすげえなあ、と…大変勉強になりましたね……
◆ 最終章:星に夢に
最終章は前章で読者が【推しの子】に対して否定的な見方をするようになって突入しました。
そしてその見方を肯定するように拡げた風呂敷を畳めないツッコミ所満載の展開となっていました。
クソデカ主語定期。
まず最初のアイのDVDのネタばらしは、アクアの方のDVDしか公開されず、しかも時系列の矛盾が生じていました。
何度も言うように姫川夫妻の心中事件はアクルビ出産後であり、アイ妊娠前ではありません。
アイとカミキが結ばれ、その後別れる経緯はサスペンスにおいて重要な部分でした。
しかし、そこが矛盾していたことで、【推しの子】の物語の根幹が崩壊していたことが発覚し、なぜ映画を撮影したのか、何故カミキを殺害するのかロジックが繋がらなくなりました。
はい誤り。「何度も言うように」第3章[↩︎]にて完全論破済み。
加えて、アイはカミキに対して鬼畜かつノンデリな発言で傷つけながら別れています。
アイは「嘘は愛」などと言っていますが、結果としてはカミキを狂わせ、カミキのアイ殺害の動機として十分な所業を行い、アクルビに面倒事を押し付けることになるという戦犯ぶりでした。
「ノンデリ」はてめえだ低脳ブーメラン野郎。
ただただカミキのことを想って下したアイの判断が、結果として18年後にこうした事態を招くに至ったのは、偏にカミキがたまたま規格外の悪人だった為である。(第6章参照[↩︎])
それをなーにが「鬼畜」に「所業」に「戦犯」だ。
一年後の同日同地点での気象状態を正確に予測して見せてから同じこと言いやがれボケナス。
このような内容が展開されて、アクアはDVDを見せて「アイを理解しなかったカミキへのアクルビからの復讐だ」などと涙を流しながら発言しています。
この様子を見ると、アクア自身真にアイを理解しているとは言いづらく、アイを盲信しているように見えるようになっていました。
だからアイはそもそも理解不能な存在なんだって何度言わせんだちくわ野郎。
この致命的な矛盾は、作者及び編集も問題視したのか、その後156話・157話で時間稼ぎをするような展開が為されます。
この時点で軌道修正を強いられていたと考えられます。
その結果、2枚遺したDVDの内容が回収できなくなったと考えられます。
未回収の伏線のいくつかはこの時系列の矛盾によるサスペンスの破綻が原因で回収できなくなったのではないでしょうか。
はーいバカ。
繰り返すが、「致命的な矛盾」なんぞどこにも存在しないことは第3章[↩︎]にて完全証明済み。
156-7話のほのぼの日常エピソードは、直後のペリぺテイアに向けたハッピーエンド匂わせの為のどこまでも意図的なミスリード挿話である。(第6章参照[↩︎])
それをなーにが「時間稼ぎ」に「軌道修正」じゃ、この間抜け。
一度破綻した物語は、その後挽回することはありませんでした。
さらに作者が想定していた結末と読者が期待していた結末と不一致を起こしたことで、現在の大炎上に繋がったと思います。
「破綻」してんのはてめえの頭じゃボケ。
この解釈不一致については、様々な見解があろうかと思いますが、個人的にはやはりアクアがカミキを殺害した点は倫理的に駄目な展開だと思います。
どんな動機・理由があれどカミキを殺害すべきではなく、誰かと協力しても良いから何とかしてカミキを逮捕する流れにして欲しかったです。
はいはい、典型的な「正直に警察に言えば全部解決したはずだ!」系の能天気ミステリ無教養性善説キッズですね。ばぶばぶ〜〜🍼👶🍼👶(第6章参照[↩︎])
ただヒロインレースについては、アクアがルビーやあかねを優先するような展開となっていました。
そこは(アクかな派には申し訳ありませんが)合理的な判断が為されていて良かったと思います。
「合理的な判断」笑笑
なんつーか、やっぱ傲慢とは最大の武器よなあ、と…
やはり命のやり取りがあるルビーやあかねと、命のやり取りがないかなとでは最終評価に差がついて当たり前でしょう。
個人的にアクかなをどうしても推せない理由は、アクルビやアクあかと比べて軽薄な関係のままだったからだと今となっては振り返ります。
はいヴァカ。
「命のやり取り」ってのはつまり、アクアがあかねの自殺を防いだことと、あかねの「一緒に殺してあげる」発言と、アクアがルビーの命を守って死んだこととの3つを指してるんでしょうな。
──まあ、そうだねぇ。
これらは直接的に人が死んだり死にかけたりというモチーフだから、「あ゛〜、如何にも『命のやり取り』してんなあ〜」って、君みたいな低脳キッズにも簡単に思えるよねぇ。
いやそりゃあ別にいいんだけどさ、「だから有馬とアクアとは『命のやり取り』をしてない! だから『軽薄な関係』だ!」──ってのは、それこそ余りに「軽薄な」発想ではないのかね。え?
で結論から言うと、アクアは有馬と立派な「命のやり取り」を──それも、見ようによってはルビーやあかねとのそれよりも一層深く、濃密な「命のやり取り」をしていたのである。
例の死体ビンタこそ、実にそのやり取りの象徴なのだ。
──がしかし、これについては第2章で詳しく述べた[↩︎]ので、今また繰り返すことはしない。
ただ一つ言っておきたいのは、「もっと深読みせよ」ってことですかね。
「深読み」っつっても、上述の夏木バジル氏や苦虫うさる氏の如き、自称「考察」の単なる「妄想」なんぞとは全く違いますよ。
(この違いのわからぬアホキッズが多過ぎるのだが)
要するに、「明らかに公式正ヒロインである有馬が、何故かあかねやルビーに比してアクアとの間での『命のやり取り』をしていないように見える」という観察事実がまず存在しますね。
ここから直ちに「だから有馬は正ヒロインなんかじゃないんだ! ただの売女、邪魔者なんだ!」といった結論に飛び付いてしまうのが「妄想」です。
まさしく今殴っているアンチサイトがそれですね。
一方、同じ初めの観察事実から出発して、以下のような推論を経たとすればどうであろう──
──客観的事実に鑑みて、明確な正ヒロインである有馬とアクアとが相対的に『命のやり取り』を行なっていないのは、やはり奇妙である。
これは作品そのものの欠陥なのか?
それとも意図的なものなのか?
もし意図的なものであれば、敢えて『命のやり取り』をさせないことにこそ意味があるのか?
それとも、実は既に『命のやり取り』をしている──ないし、『命のやり取り』よりも遥かに深い関係を彼らは既に結んでいるのだが、それを私がまだ読み解けていないだけなのか?
とすれば、それは一体何だ?
……そう、アクアと有馬との関係が明確に『命』という要素に触れたのは、恐らく4回だけだ。
第一に、『今日あま』撮影での「殺人者」と「殺されそうになる者」という役柄上の関係。
第二に中堅篇からスキャンダル篇に掛けての、「愛しているからこそ、危険から守る為に拒絶する/される」というアンビヴァレントな関係。
第三に映画篇での、「このまま死んでしまいたいよ」「アンタが死んだら死体にビンタしてやるわ。だから二度と死ぬなんて言わないで」という問答。
第四に、言うまでも無くあの死体ビンタ。
──これらが或る意味での「命のやり取り」を表象しているという解釈は可能だろうか?
仮にそうなら、それ以外の彼ら同士のやり取りもまた違ったように再解釈可能だろうか?
もしそうならば──────
──もちろん、こうした「深読み」が立派な批評・作品解釈として成立し得るか、それとも単なる妄想に終わるかは、端的に各々のセンス次第である。
このセンスばかりはまあ、はっきり言ってどうしようも無いよね。
まあ強いて言えば、上記のような「もしこうならば、またもしそうならば…」という無数の推論の繋ぎ目ごとに、漫画の原文に即したクソめんどくせえ検証作業を逐一行えるか否か──こそ、その有無の第一の分かれ目であろう。
(この補論篇では原則省いているが、本文篇での筆者がどれだけ細かく原文の単行本頁数まで一々明記しているかをご存知の読者には、説明は無用であろう)
詰まるところ、こうした「実証的深読み」の手間を一切排除して、観測事実から直ちにお望みの結論に飛び付き、その結論こそが唯一無二、絶対不変の「事実」と化してしまう──そんな当該アンチサイト作者なんぞには、永久に独り善がりの「妄想」しか書けぬということですね。
がしかし、妄想に生きる一生──それはそれで幸せな人生と言えましょう。
私などは死んでもお断りですけれど。
◆ キャラクター別論評:メインキャラ
……はぁ。
ここまででようやく章別の論評(笑)は終了。
この後キャラクター別論評(笑)とやらがまだ延々続くんですが、概ねこれまでの繰り返しで、かつ批判点はほぼ全て本文篇にて論破済み。
よって読む価値無し。(「ここまでも無えよ」というツッコミ待ち…)
また加えて、バカによるバカの為のバカ文章を精読し続けることによる筆者自身の精神汚染が既に相当進行しているので(たぶん開始時からIQ5ぐらい下がってると思う)、全文論評はもうむりぽ。
よって、特に笑える箇所だけちゃっちゃと取り上げて行きます。
なお繰り返しますが、この馬鹿によるアホ非難は原則私が既に論破済みなので、論評は基本「第◯章参照[↩︎]」で済ませることにする。
無論、肉塊すら残らぬまで一々罵倒の弾幕を浴びせてやりたいのは山々なのだが、しかしもううんざりなのだ🐹
よって以後は、「私の言葉数の少なさ」即ち「相手の発言の終わってる度」である──とご承知おき願いたい。
【アクア】
[アクアは] 自分自身を愛するということは出来ていなかったと思います。
もし自分を愛することが出来ていたら、カミキとの決着の仕方も変わっていたでしょう。
この自己愛に関しては、アクアが凶行に走る前にメインヒロインの3人からの言及があったにもかかわらずという状態です。
特にあかねに関しては、アクアがしようとしていることに対してダイレクトに指摘していました。
アクアの精神面に関する側面としてもう一つ重要なのが、アイを殺害した黒幕に対する復讐心です。
こちらは作中では幼少期アクアが象徴として担っていました。
この復讐心については、【推しの子】のサスペンス部分を推進する原動力となっていました。
しかし、途中でアクアにはアイの死に関連したPTSDがあることが発覚し、復讐に対して積極的ではないことが明らかになりました。
したがって、アイが亡くなった直後の「絶対に殺してやる」という精神からは変化していることが分かります。
この段階で、アクアの復讐は黒幕であるカミキを殺害して終わりなどという倫理的な正当性が無い終わり方はしないだろうと個人的には思っていました。
しかし、実際には最後にカミキを殺害し、自分も死んでしまうという最悪の結末となりました。
こんな展開をやられてしまうと「今までの積み重ねは何だったのか」という話になります。
正直に言えば、作者がやりたい展開のために今までの積み重ねを無視して、アクアのキャラクターを都合よく改変させたのだと推察されます。
これが星野愛久愛海の結末なんて、およそ納得できるものではありません。
なぜアクアはカミキを殺害することに対して、葛藤が無かったのか?
なぜ一人で何とかしようとせず、他の人の助けを借りようとしなかったのか?
なぜあかね等他の人がアクアの様子を見て全力で止めようとしなかったのか?
あるいはなぜ他の人の制止を振り切って凶行に走ってしまったのか?
全てが結末ありきで都合よく展開されていると思います。
ご都合展開をするなら誰かの手を借りてでもカミキを逮捕し、降りかかる火の粉を振り払うという展開の方が余程納得できるでしょう。
結局の所、最後までサスペンスを描き切ることから逃げたようにしか見えません。
一生懸命連載を追って来たのにとても残念です。
はいバカ。第4章[↩︎]・第6章[↩︎]・第7章[↩︎]参照。
(…にしても「一生懸命連載を追って来たのにとても残念です」って、一体これが『ジャンプラ』乞食タダ飯食らいキッズに吐ける言葉だろうか。盗人猛々しいとはこのことだな)
【ルビー】
ルビーを主軸とするアイドル街道の躍進という部分についても、最後まで描き切らずダイジェストで逃げられた印象です。
[…ルビーが] アクアの死によって絶望の淵に立たされた状況から如何にして立ち直ったのかは、詳細に描かれませんでした。
加えて、ルビーの躍進もB小町の躍進もダイジェストで省略してしまいました。
本来であれば、有馬かなが脱退し、新メンバーを加えて再スタートを切る過程も、そこからドーム公演まで突き進む過程ももっと詳細に描くべきだったと思います。
はいバカ。第6章参照[↩︎]。
映画編ついては、「カミキへの社会的制裁」だけでなく「死してなお【推しの子】の大黒柱であり続ける星野アイとは何者なのか」ということを探る目的もありました。
星野アイを知ることはルビーの躍進には非常に重要な過程であるにも関わらず、アイのことが詳細に語られませんでした。
【有馬】
本作【推しの子】において最も問題児と言うべき人物、有馬かな。
彼女に関しては物語の序盤より、性格面に難があることが示されてきましたが、結局それが改善されることはありませんでした。
物語の序盤は、彼女の性格の粗さもチャームポイントとしてギリギリ許容できる範囲内ではありました。
もちろん、アニメ7話における「リタイア発言」など度し難い発言があったことは間違いないですが。
そんな状況下で有馬かなはスキャンダルをやらかします。
彼女の言動を看過できなくなり、今までの不満が一気に膨らんで爆発しただろうというのは想像に難くありません。
そこで、改めて彼女の言動を振り返った時に「有馬かなは成長していない」ということに気づかされるのです。
有馬かなの初登場は最序盤の第1章、子役時代の頃からです。
その時は天才子役と持て囃されて天狗になり、他のスタッフと軋轢を生んでいました。
そんな言動が原因で少しずつ仕事を失っていき、世間ではオワコン扱いとなっていました。
そうした彼女の凋落を踏まえ、世間で上手くやっていくにはコミュ力が重要と気づいていたはずです。
しかし漫画原作ドラマを撮影した後の彼女の言動は、とても過去の愚行を反省しているようには見えませんでした。
先の「リタイア発言」もそうですが、他にも「漫画家の家に行ったことがある」とマウントを取ったり、あかねを攻撃するための材料を探すということもしています。
アニメではわざわざ事前に睨み合う描写を挿し込んでいたため、あかねにマウントを取る材料を獲得したのを機に攻撃するのを始めたと解釈できます。
作者もアニメ開発スタッフもわざと有馬かなの性格を悪く描写している気がします。
加えて、有馬かなはアイドルであるにも関わらず、アクアのことを恋愛的な意味で好きであるという精神面での構造的な欠陥を抱えていました。
そして、この欠陥に対する回答をスキャンダル編で完全に間違えたと個人的には考えます。
一人の乙女が恋に落ちること自体は何も間違っていません。
しかし、曲がりなりにもファンからお金を頂いているプロのアイドルとして、ケジメのある行動を取らなければいけないでしょう。
原作151話にてかなはアクアを誘い、母校である陽東高校でキャッチボールをしていました。
週刊記者が節操なく学校に侵入しパパラッチをする可能性や、在校生の目からあらぬ噂を流される可能性があるにも関わらず男女でキャッチボールするのは、反省が足りていないと言わざるを得ません。
しかもこの時のアクアは、上記のような危険性がありながらPTSDを起こさないという、余りにも都合が良すぎる反応をしています。
この辺のアクかな描写について、批判が集まるのは当然と言えるでしょう。
そもそもアクアを巡るヒロインレースにおいて、ルビーやあかねと比べると、有馬かなの場合は積み重ねるエピソードに重さが無く軽薄なものでした。
その軽薄さはスキャンダル編や終劇によせて編で無理矢理アクかなENDに話を持っていこうとしたときに批判として挙がっています。
アクアは、当初アイを殺した黒幕を知った当初は「絶対に殺してやる」と復讐の炎を燃え上がらせていました。
しかし、物語が進むうちにアイの死をきっかけとしたPTSDを患っていることが発覚し、これが復讐に対する推進力という点で大きく関係してくるようになります。
この時点でアクアの復讐劇というのはアクア以外の他の人との人間関係、つまりラブコメにも密接に関わるようになっていきます。
黒川あかねはこの流れに自然に入り込むことが出来ましたが、有馬かなはずっと蚊帳の外の状態でした。
アクアの復讐劇に絡めたのは原作146話のすしの子回くらいです。
そのすしのこ回すら、後にアクアがルビーを放置したとして間接的に批判を喰らうようになっていました。
結局の所、ルビーやあかねは復讐劇に関連する一連の命のやり取りに参加していたのに対して、有馬かなは一貫して命のやり取りには参加出来ていません。
結果、アクルビやアクあかと比較してアクかなのエピソードには重みが無く、軽薄なエピソードしか積み重ねられなかったと言えます。
このような状態にもかかわらず、スキャンダル編や終劇によせて編で無理やりアクかなENDに話を展開しようとしましたので、批判が殺到するのは当然といえます。
そして結論を言えば、有馬かなにヒロインレースを走らせ続けたことは悪手だったと個人的に考えます。
ここまでの話を総合すると、有馬かなに関して作者はポジショニングをミスしたと言えます。
中堅編の時点でアクかなはアクあかと比較して覆しようがないほど差が付けられていましたし、アクアにとっての帰るべき場所は、ルビーが前世バレを通して確固たる地位を確立してしまいました。
結果有馬かなは、メインキャラクターの割に安心して座れるポジション・役割が得られませんでした。
もし有馬かなの立ち位置について原作の結末と違ったものが与えられていたらと思うと、非常に悔やまれる所です。
個人的に思う有馬かなの理想のポジションは、もしアクアの彼女でもアクアにとっての帰るべき場所でもなく、MEMと同じ業界内幕物の中心人物としてB小町に残留し続けるポジションです。
有馬かなはアクアと初めて出会う前から役者業に対して強い思い入れがありました。
有馬かながアクアの演技を見て撮り直しを五反田監督に懇願したのは、役者に対して(アクアとは関係なく)プライドがあったからに他なりません。
有馬かなは、アクアのことを深い所まで理解せず、アクアに対してあらぬ幻想を抱いています。
もし中堅編以降でアクアへの未練を断ち切れていたら、おそらくここまで有馬かなの評価が下がることも無かったでしょう。
そして、その有馬かなのキャラクターの集大成と言えるのが、最終回1話手前で展開された葬儀場での醜態の数々でした。
この言動に対して、ほとんどの読者が「有馬かならしい行動」と評価が一致していたのが何よりの証拠かと思います。
そういう意味では、結果的に作者からの扱いが最も悪く、立ち回りを失敗したキャラクターと言えます。
アニメ3期ではまだ中堅編以降が描かれていませんので、是非修正をして欲しい所です。
( ゚д゚) ポカーン…… 🤛...(°д゚]💥🤛...…..あぅ。…ええと失礼、はい、そうですね、何でしたっけ?
あー、取り敢えず第1章参照[↩︎]…? いや第2章[↩︎]からのがいいかな…?
…いやというか、そもそもこの患者はもう手遅れなんじゃないですかねぇ……私からは以上です。
【あかね】
[10巻98話146頁での、アクア・あかねの] 破局シーンをどう捉えるかは読者に依るかと思いますが、どう解釈したとしても後の展開にはプラスに働いていたと思います。
それが原作116話の「アクアくんの企みは私が止める」発言ですね。
この発言には、アクアがあかねに危害が及ぶことも手を汚させる心配も無くしたかったことをあかね自身が察して、アクアに対しても手を汚させまいと立ち上がったことが行間として読み取れます。
このままアクアを救えばよかったのですが、そこからは作者の都合が強く働いてしまいました。
あかねのことを過剰評価しているかもしれませんが、あかねは頭の良いキャラクターとして登場したからこそ、【推しの子】における諸問題を吹き飛ばす、少年漫画の主人公のようなムーブをかましてくれると期待していました。
しかし実際はそうはならず、あかねは選択を間違え続けました。
結果として、アクアを自死へ向かわせてしまいましたから期待外れにも程があるという所です。
個人的にははっきり言って作者が用意していた結末に向かって都合よくキャラ設定されていた印象です。
もしあかねが利他的になり過ぎず自我をもっと表に出していたら、このような結末に向かわなかったと思います。
自己犠牲が過ぎるという点において、アクアとあかねはよく似ています。
とはいえ、あかねはアクアに最後ルビーを守るよう託すくらいには信頼されていました。
またアクアがカミキに特攻する直前には、あかねに受けた恩を全て返して今度こそ対等な関係を築きたいという告白が為されていました。
そう考えると、アクアはあかねを都合の良い駒とは利用していた訳ではなく、プライベート編でのキスは本気だったと読み取れます。
はいバカ。第5章[↩︎]・第6章[↩︎]参照。
(「少年漫画の主人公のようなムーブをかましてくれると期待」という辺りに、こいつの幼稚で単純で自己中心的な思考がよく表れてますね)
【アイ】
ではアイとはどんな人物なのかというと、「発達障害故に他人の心情を考慮せずに心無い言動をズケズケと言ってしまう女性」という人物でした。
延いてはカミキが狂ってしまった原因も彼女であり、一連の事件の切っ掛けを作った戦犯とも言えるかと思います。
アイのキャラクターは小説「一番星のスピカ」の内容も含めて徹頭徹尾一貫していたと思います。
原作153話・154話でのカミキへのノンデリカシーな発言も彼女らしいと個人的には考えます。
そういう意味では、有馬かなと同様にこの物語における問題児の一人に数えて良いと思います。
究極のアイドルとして表舞台では天真爛漫に振る舞いますが、実態は性格に難ありという所でしょうか。
はいバカ。底無しのバカ。第6章参照[↩︎]。
【MEMちょ】
元々レギュラー化する予定がなかったためか、他のメインキャラクターに比べてストーリー内で活躍する機会が少なかった印象です。
しかし、その分だけMEMちょにヘイトが溜まることは少なかったと思います。
はいバカ。
MEMちょは確かに目立って活躍することこそ無いが、しかし狂言回し・調停役として物語上極めて重要な存在である。
(拙稿では特に彼女を論ずる暇が無かったが、狂言回しとしての役割は第7章参照[↩︎])
…つーか「ヘイトが溜まることは少なかった」も何も、そもそもMEMちょアンチって存在すんのか?
「この年齢詐称ババアが‼️ ◯ね‼️」とかかね? ファーw(知らんけど)
また、MEMちょはB小町に加入する段階で精神が成熟したキャラクターでした。
[…] 正直な所を言えば、【推しの子】のキャラクターの中でMEMちょが最推しという人は一番女性を見る目があると思います。
キィッッッッッッッッッモ!!!!!!!!!!
は? 何様だこいつ??? はぁ??????
全世界のMEM推しに向けて焼き土下座しろよ今すぐ。
ほらはよ。きっかり10秒。失禁したらやり直しな。
結局最終的にアクアは亡くなり、ルビー・かな・あかねは全員精神が壊れてしまったので悲惨な結末となっています。
…は?
【壱護社長】
中堅編で再登場した時は何か主人公たちに有益な情報を持ち帰るかと思いましたが、そんなことは全くありませんでした。
それどころか、原作159話でニノとリョースケが交際関係であることを知りながら放置していたことが発覚する等、むしろ主人公勢に害悪と言える無能ぶりが明らかになりました。
ニノ殺害の犯人がリョースケと分かった段階で、真っ先にニノを疑うことが出来たはずです。
他にも、映画編でアイの孤独を示唆した割にそれが作中で描かれないなど、サスペンスにおいて重要な内容を公開しないという描写不足ぶりを見せます。
原作のラストはルビーがアイ2号となっていたので、完全にアイの時の反省が活かされない結末となってしまいました。
また葬式の場ではサングラスを取らずに参列するというマナー違反を犯しているのに対し、その直後のルビーのドーム公演ではサングラスを外すという矛盾した行動もしています。
もはや作中でアクアやかなと肩を並べて不快なキャラクターになったと言えるでしょう。
はいバカ。第4章[↩︎]・第5章[↩︎]・第6章[↩︎]参照。
(なお「映画編でアイの孤独を示唆した割に[…]」以下は完全に意味不明)
【ツクヨミ】
ラスト3話のモノローグについて、ツクヨミではなくあかねにやらせたことに読者から異論の声が上がっています。
個人的にも確かにその通りだと思います。
そもそもツクヨミは何者だったのかという疑問も投げかけられています。
しかし、個人的にはツクヨミゴロさりが助けたカラスの転生体であり、それ以上でもそれ以下でもないと考えます。
ツクヨミは助けられたお礼にゴローとさりなをアイの子供として転生させ、彼らが生まれた後も手助けをしているという所かと。
しかし、実際にツクヨミがしたことはおよそアクルビを幸せにしたとは言えず、むしろバッドエンドに導いた存在として読者からヘイトを買っています。
はいバカ。第5章のこの節[↩︎]と同章のこの節[↩︎]参照。
(なお「カラスの転生体」ってのは誤り。そもそもの初めから「ツクヨミ=カラス」なのである)
【カミキ】
アイの夫にしてアイを殺害した黒幕とされたカミキヒカル。
個人的な当初の想定ではカミキヒカルは生まれながらのサイコパスかと思いましたが、実際は姫川愛梨という芸能界の闇に犯された性被害者でした。
しかしカミキヒカルは性被害者だけに留まらず、金田一敏郎の何気ない一言で狂い始め、アイの心無い言葉によって完全に狂ってしまうという、同情の余地がある可哀想な男でした。
もちろん最終的に何人もの人を死に追いやっているとのことなので、生きていたら然るべき裁きを受けるでしょう。
と、ここまでカミキヒカルのキャラクターについて肯定的に書いてきましたが、正直物語序盤から引っ張り続けてきた割には、ボスとしての格が弱い印象です。
ほんの少しの促しで殺人に走ってしまうリョースケやニノの狂人ぶりから比べれば、カミキは幾分小物でしょう。
キャラ設定として「私はクズです」と言わせているだけにしか見えない。
もちろんそんなリョースケやニノといったヤバい人物を探し出して来ることは凄いのですが、逆によくそんな人材を見つけて来れたなと思います。
またアクアと対峙した時は、腹部を自ら刺したアクアに崖から簡単に突き落とされており、物語のラスボスとしては滅茶苦茶弱いです。
(ツクヨミパワーで都合よく被害0という前提ですが)もう少し主人公勢を苦しめるような展開があっても良かったと思います。
そもそも都合良く海岸の崖の上に立っていたり、物証が全く出ていないのにアクアの追及に白を切ることなくあっさりと自身の悪行を認めてしまったりと、物語にガバがあり過ぎるという問題があります。
そういう意味では作者都合で動かされたキャラクターと言えるでしょうね。
【上原大輝】
作中内での扱いは最も悪く、父親が悪いと思っていたら実は母親の姫川愛梨の方が小児性愛者という事実を知らされ、それを映画にて盛大に暴露された後、数少ない血の繋がった人物であるアクアが若くして亡くなるという不遇ぶりでした。
最終話で両親の墓の前で佇む彼の姿は決して報われたとは言い難く、完全にバッドエンドだったと言って良いでしょう。
彼の報われなさ加減を考えても、原作の結末はおよそ納得できるものではありません。
下のコマ5億回眺め直してから出直して来いよイモ野郎。

◆ キャラクター別論評:サブキャラ
【寿みなみ】
寿みなみも登場回数が少なかったために魅力が保たれたキャラの1人です。
Gカップ巨乳の持ち主とは最高ですね。
ファンが一定居るキャラです。
もう物語が完結してくれましたので、心置きなく愛でると良いでしょう。
────(唖然)
【不知火フリル】
唯一アクアの葬式で髪を結んでいないというマナー違反が見られ、作者陣の常識の無さに巻き込まれた人物でもあります。
心底どうでもいい。
【GOA】
映画編にてアクアが脚本について相談を受けた頼子とアビ子が出演しましたが、彼が登場しなかったのは個人的に非常に残念です。
はいバカ。
少年漫画的クライマックスオールスター出演慣行の奴隷よな。
【シマカン】
第八章「スキャンダル編」でメインを務めた女遊びが活発な新人映画監督、島政則ことシマカン。
倫理観の欠如が分かりやすく描写され、アザミマコの罠に嵌って週刊記者によるスキャンダルに発展させた張本人です。
彼は当初日本の映画業界について、役者が実力ではなく事務所のコネや内部政治などによって選ばれている現状を嘆いていましたが、一方で「有馬かなのことを知りたい」と自身が役者とコネを持とうとするような言動をしており、ダブルスタンダードなクソ野郎と言うのが個人的な印象です。
不倫は、法的には不貞配偶者(シマカン)と不倫相手(有馬かな)の両方に責任が問われます。
したがって、当然シマカンも咎められるべきですが、ここはアクアの思惑によって公になることはありませんでした。
不倫が世間に明らかにならなかったことで彼が咎められる展開も無くなり、その後の展開を踏まえると、彼は漆原Dと同様に苺プロに取り込まれたと考えられています。
ルビーは露悪的に描かれたのに対し、かなの場合は露悪的に描かれませんでした。
この漆原Dとシマカンとの処遇の差が、作者が有馬かなを贔屓していたことの一つの証明と言えるでしょう。
この後映画編にて今までの積み重ねを無視して150話付近にて有馬かなとアクアをくっつけようとする訳ですから、それはアクかな派以外の読者から反感を喰らって当然と言えます。
端役なのに、有馬ヘイトの煽りを食らって無駄に長ぇ。
哀れなシマカン。
でも土壇場で有馬の気が変わった後は少しも無理には求めなかったし、「そういうのは女優の人間性をより深く知る為の一つの手段に過ぎない」って言葉に嘘は無いし、その後のキャスティングではちゃんと有馬に仁義を通したし、別に悪人じゃないのにね。
少なくとも誇りあるクリエイターなのは確からしいし。
(だからこそあのハリネズミみたいに警戒心の強い有馬が、招かれてつい部屋に上がってしまうほどまで好感を持った訳で)
【天童寺まりな】
天童寺さりなの母、まりな。
彼女が初登場した当時、主人公勢と深く接触し大きく荒れるかと思われましたが、アクルビの前世バレをきっかけに結局目立った活躍もなくフェードアウトしました。
はいバカ。第5章参照[↩︎]。
【リョースケ】
物語最終盤で明かされた事実として、リョースケはニノの彼氏であることが判明し、ツッコミ所満載のキャラクターになってしまいました。
このキャラも作者都合で支離滅裂な人物になった被害者の一人と言えるでしょう。
まず、ニノの彼氏だったということで、世の中の全男性と比較したら十分リア充だったこと。
さらに、アイドルと交際できるリア充の癖にニノでは満足せず、アイに想いを寄せ、アイに彼氏や子供が居ると知った瞬間凶行に走るクレイジーぶりが極まった男でした。
さらにニノと交際関係だったことで、なぜ壱護はすぐにニノを怪しまなかったのか疑問に思う結果となってしまっています。
結果、この事実を理由で壱護に「稀代の無能野郎」というレッテルが貼られることになりました。
原作者赤坂アカ先生が構築したサスペンスのガバガバさ加減の象徴のような人物、それがリョースケです。
ははっ、ガバガバなのはてめえの頭じゃヴォケ。
リョースケはな、ドルヲタの悪質な部分を凝縮した記号的存在なんだよ。
「クレイジー」で当たり前だろうが。それとも自己紹介かそれ?
(なお「壱護無能説」の誤りについては第5章参照[↩︎])
【ニノ】
ニノ自身が拗らせた原因について、カミキが何か関与したわけではなく、ニノ自ら拗らせただけというのが真相です。
したがって、カミキはニノという格好の人材を見つけただけで、元からニノの頭がおかしいというのが一連の事件の真相となります。
ニノにしてもリョースケにしても、正直な所カミキが居なくても何かしら事件を起こしただろうというのは容易に想像できます。
はいバカ。
ニノが初めからイってる人だったのは事実だが、その燃料に着火したのは飽くまでもカミキ(16巻160話参照)。
【片寄ゆら】
(これは個人的な見解になりますが)作者がカミキヒカルの素顔を登場させる際にインパクトを持たせたくてサクっと殺されてしまった可哀想なキャラ、それが片寄ゆらだと思います。
CV長谷川育美という破格の声帯をお持ちの美女です。
……あの、長谷川育美が「破格の声帯をお持ちの美女」であることがいま何か関係あるんでしょうか?
このバカが相当に歳行ったジジイキッズであろうと推測させるのが、例えばこの辺のセクハラめいた言い回しですね。
…あ、いい機会なのでこの辺りで一言だけいいですか?
はい、どうもありがとうございます。では手短に…スゥ…
てめえ如き無知と偏見と迷妄に塗れた下賤の輩の支離滅裂な妄言で恐れ多くもミリーゼ少佐の高貴なるお声を汚しやがって断じて許されんぞ貴様直ちにその軍靴の爪先にひれ伏してお詫び申し上げんかいこの老い耄れめが恥を知りやがれバカ野郎。
[…] 片寄ゆら自身には特にツッコミ所は無いのですが、この片寄ゆらの死をアクアとあかねが把握していた描写があるというツッコミ所があります。
どうやって片寄ゆらが亡くなったことを二人が知ったのかという事が作中では明かされていません。
アクアやあかね程度で片寄ゆらの死とカミキ関与が把握できるような事件の全容が何なのか?
そしてその程度の殺人事件なのにどうして警察はある程度の所まで捜査されていないのか疑問が色々湧いてきます。
片寄ゆらも赤坂アカ先生のガバガバ脚本の犠牲者ということなのでしょう。
…だ、か、ら、、、ガッッバガバなのはてめぇのあたm
( し ば ら く お 待 ち 下 さ い )
………第5章参照[↩︎]。
◆ まとめ
ということで、【推しの子】のストーリーはどこからゴミ漫画化したのかという事をストーリー面とキャラクター面の両方から探ってきました。
原作は凄惨な結果となってしまいましたので、アニメでオリジナル展開になることに期待です。
まずはスキャンダル編のカットあるいは大幅改変ですね。
最低でも有馬かなを当事者に据える事から変更して欲しいです。
SutarelaS's SAN value has overflowed.──補論2(対AI戦の部)へ続く──
(サムネイル:アニメ1期9話6:30の重曹氏に加工)
