見出し画像

【第4章】原作【推しの子】完全肯定論:「未回収伏線だらけ説」の検証①(結末篇)

In Defense of the Manga 𝑂𝑠ℎ𝑖 𝑛𝑜 𝐾𝑜:
The Definitive Refutation of Its So-Called Failure

【Chapter 4】
The “Full of Unresolved Plot Points” Claim (I):
On the Ending


🟥 本章の要約(Summary of This Chapter)

原作【推しの子】には矛盾点も未回収伏線も存在しない

総目次(全11回)
【序論】原作【推しの子】完全肯定論[↩︎]
【第1章】有馬かなバッシングと処女性信仰①──絶望の枕営業篇[↩︎]
【第2章】有馬かなバッシングと処女性信仰②──愛の死体ビンタ篇[↩︎]
【第3章】「矛盾だらけ説」の検証──特に心中事件の時系列矛盾説について[↩︎]
第4章「未回収伏線だらけ説」の検証①──結末篇本ページ
【第5章】「未回収伏線だらけ説」の検証②──総合篇[↩︎]
【第6章】「心理描写が雑過ぎる説」の検証①──ルビー・有馬・あかね・カミキ篇[↩︎]
【第7章】「心理描写が雑過ぎる説」の検証②──アクア篇[↩︎]
【最終章】結論──文化的キッズポピュリズムとの闘い[↩︎]
【補論1】雑多なバカ批判を手短に論破する①──対人戦の部[↩︎]
【補論2】雑多なバカ批判を手短に論破する②──対AI戦の部[↩︎]
外伝:【推しの子】アンチスレに凸ってみた結果…[↩︎]

(⬆︎前回)


🔷はじめに

未回収伏線多杉www」「これ打切りだろwww」とは、連載完結当時からアンチによってもう定型句の如く言われていることだが、これらは要するに次のいいである。

「この作品には、私の乏しい知能では理解できない点が多々残っています」
「もし打切りであれば、理解できない点がまだ残るのを私の低劣な知能のせいにしなくて済むので、大変嬉しいのですが」

──すなわち「伏線未回収」とは、おおむ自分自身の無知無能を棚に上げる為の魔法の言葉として、
また或る作品が駄作であるという既成事実を造り上げる為の便利な印象操作レッテルとして機能している訳だ。
(「この直後批判殺到」みたいな。前章参照[↩︎]

実際、「推しの子  伏線  未回収」などでググっても実は具体的な情報などほぼ出て来ないことからもそれは知られるだろう。
事実など無く、ただ既成事実だけが存在するのである。

一方の「これ打切りだろ」というのは単なる罵倒であると同時に、「この俺たちが炎上させて打ち切らせたんや!!!」という如何にもキッズらしい無邪気な凱歌でもあったろう。

こういった身の程知らずのアホキッズどもには、吉祥寺先生の例のお言葉を5億回は噛み締めてから出直して欲しいものである。
子曰く、「編集の仕事ってなんだと思う? それは──

(5巻47話127頁、2期14話)

【余談】:なお、全166話の「1」「6」「6はそれぞれアイ1=I・アクア・ルビー66=二人の胎児を表すものと思われる₍₁₎
(もうとっくに誰かが言ってるだろうが)

──さて、その上で結論から言えば、筆者の考えでは本作の結末までに残されたままの伏線など一切存在しない
残されたものはただ「想像の余地」だけなのだが、これが今日のキッズ批評によっては「伏線未回収と完全に混同されてしまうのである。

よって以下、一般に「未回収伏線」として指摘されている点₍₂₎を、前章などで未言及の瑣末さまつな「矛盾点」や「疑問点」の指摘とあわせて片っ端から再検証することで、上なる混同の事実を具体的に確認して行きたい。

……と言っても流石さすがに数が多いので、今回と次回の二章に分けることとする。
本章の対象は「全伏線丸投げエンドと大炎上したあの結末に直接関係するものに限り、次章でそれ以外の雑多なものをまとめて扱いたい。

──では参りましょう。



🔷アクアvs.カミキ戦関連(16巻159-65話)

◆ そもそもなんでカミキはあんな崖の上にいたの?

当然アクアに呼び出されたんでしょう。
カミキにはアクアの死の覚悟が読めていなかったから、殺されそうになったとしてもルビーの名誉を盾にして脅せば済むと高をくくって、ああしてのこのこやって来て余裕でスマホ見てたわけです。

(16巻159話132頁)

このシーンのカミキが「黒幕の絡新婦じょろうぐものくせに弱過ぎだろw」と言われてますが、カミキ自身が「非力な僕を殺す事は簡単だろう」と認めてます(16巻161話158頁)。
京極夏彦の絡新婦も『塗仏の宴』であっさり殺されてますしってやっべネタバレ本体の戦闘能力は割に低いということ。
普通に黒幕あるあるである。

◆ なんで目撃者もいなかったのに「カミキがアクアを殺した」って報道されてんの?

カミキを呼び出したアクアがあらかじめ、そういうシナリオの通報が行くような時限リーク装置を何か仕組んでたから──としか説明不能。
アクアなら周到にそれぐらいやっているでしょう。

「いや、そんなことしてる暇あったらもっとマシな作戦考えられたのでは?」というのは有りがちな岡目八目であって、
本当に焦った人間というのは普通周りが完全に見えなくなり、「もうこれしかない」と一度決めた方針に一点集中してしまうものである。
(村上春樹の言う「徹夜でラブレターを書き上げた早朝、ポストへと走っている状態」)

故に、むしろリアルな人間心理を描いていると言えるんですが、リアル過ぎてフィクションとしては却ってリアルと思って貰えない──という皮肉の好例でしょう。

◆ てかカミキの死体が上がったって記述無くない?

下のように、ゴロー初め犠牲者たちの亡霊が地底の奥底まで引き摺り込みました。

もちろん本物の亡霊ではなく、
カミキにはこんな風に感じられたという暗喩表現
(16巻162話175頁)

まあ、アクア同様にその後上がったけど、単に描かれてないだけかも。

いずれにせよ、そもそも自分やカミキの死体が都合よく上がるなどとあのアクアが決め付けてる訳は無いので(アクアの死体だって20km先でたまたまドザえもんしただけなんだから)、
もしカミキの死体が上がってないにも関わらず上のように「カミキがアクアを殺した」報道が為されてたんだとすれば、逆にアクアによる事前の工作が余程周到だったことの証左になるでしょう。

◆ 自分で刺した傷って検死でわかるんじゃないの?

ためらい傷のことですか? あんな切腹みたいなぶっ刺し方で一々ためらい傷が出来ると思いますか?
仮に出来たとしてもだ、溺死体のグチャグチャ写真見てから出直して来てどうぞ。

◆ でもアカネチャンは「冬の海の冷たさのお陰だろうね、損傷は少なかったみたい」(16巻165話220頁)って言ってるよ? グチャグチャじゃないらしいよ?

損傷は「少なかった」っつってんだろ言葉の綾だよ本当はグチャグチャだったんだよ言わせるなよ。

◆ でもでも、棺の中は全然グチャグチャじゃなかったよ?

あれは高度なエンバーミングです。
(或いは、ツクヨミさんが気を遣ってグチャグチャにならないよう何かしてくれたと考えてもよい)

◆ ってかさ、そもそもナイフにアクアの指紋付いてるよね?

赤井秀一みたいに接着剤で指紋消すとか、まあ何かやってたんだろ知らんけど。
グチャグチャの溺死体ならそんな細かいことまでわからんし、またわざわざ検死で調べもしないだろうし。

ナイフが飛び降り後どこ行ったのかは原作から判定不能だが、いずれにせよあのアクアが馬鹿みたいに自分の指紋をベタベタ付けていたということだけはあるまい。
というか、所与の情報からしてそう考えるしかないです。
一応は何らかの説明が付く以上、「矛盾」とは言わない。「余白」と言う₍₃₎



🔷アクア葬儀関連(16巻165話)

◆ 葬式でのMEMちょ、顔違い過ぎない?

(16巻165話236頁)

それナチュラルメイクMEMちょ。シン・MEMちょ

◆ なんで重曹ちゃんはベレー帽被ったままなの?

それはトークハットです。

(同228頁)

◆ じゃあ、なんで遺族でもない重曹ちゃんがトークハット被ってるの?

正妻だから

あと、「遺族以外はトークハットNG」ってのは別に絶対のルールではない。
(「葬式ではネクタイにディンプル作るな!」みたいな非合理謎マナーの一種と言ってよい)
またアカ先生の発言「有馬かなは、帽子を被ってなんぼだから」(『【推しの子】1stイラスト集 Glare×Sparkle』136頁)より、有馬の本体は帽子とわかる。

◆ じゃあじゃあ、なんで雷田さんはサングラス掛けたままなの?

ライダーだから。

(同236頁)

◆ じゃあじゃあじゃあ、なんで壱護社長はサングラス掛けたままなの?

サングラスが本体だから
あと度付きだから。知らんけど。

(同235頁)

◆ でもでもでも、社長は最終話でサングラス外して泣いてたよね? 何で外せたの? サングラスが本体なんでしょ? 外した瞬間死ぬんじゃないの? ほら矛盾してるじゃん。矛盾してるよね? ほらほら何か言ってよ。ねえなんで?

(16巻166話261頁)

────(絶句)₍₄₎



🔷アクアの来世…?

◆ じゃあサングラスはもう君の負けでいいんだけど、死んじゃったアクアは今度は誰の子供に転生するの? 重曹ちゃん? アカネチャン? ルビーちゃんだったらなんか「輪廻の蛇」[↩︎]みたいだよn……

──いや待て待て待て、転生なんか二度とする訳ないだろうが

……あの、いい機会だから強調しておきたいんですが、さりなとゴロー(特にゴロー)の転生は飽くまでもズル」(16巻162話183頁)であって、【推しの子】の世界観にあっても本来あってはいけないこと、この世の摂理を歪めてしまうことだったんですよ。
ツクヨミによる次の発言はそのいいです。

「私の定義からすると、前世の記憶を持つ君達も神と言えてしまうからね」

(13巻127話121頁)

上の発言、特に「記憶」の部分に注意されたい。
ツクヨミは更に、

「死者の記憶を赤子の体に移す様な技術」(同、125頁)
「転生で君に与えられた雨宮五郎の『記憶と意志』」(16巻163話202頁)

──とも言ってるので、要するにアクアとルビーの身体に移植されたのは飽くまでもゴローとさりなの記憶と意志であって、ではない

つまり、アクアとルビーはそもそも「転生者」というより「スワンプマンSwampman」、ないし人造人間(神造人間?)なのである。
本来のゴローとさりなの自我(ないし)はそれぞれの死亡時に、完全に消滅しているのだ₍₅₎

この点、「【推しの子の世界では転生という現象がごく当たり前に起こるという誤解が余りに多く、

そもそもの初めが転生っていう非現実的な要素から始まってるから、もう何でもアリになっちゃってさあ、サスペンスとしては現実感も緊張感も全然無いんだよな笑」

──などというトンチンカンな批判を多く生んでいる。

しかし正しくは、【推しの子】の世界観は原則としてリアリズムであり、そこに最低限の非現実的要素を挿入することによる異化効果Verfremdungseffektを狙った一種のマジックリアリズム的物語なのだ₍₆₎
だからこそああして理不尽に殺されて行ったアイですら転生することは無いし、アクアにしてもやはり同様なのである。
ゴロー・さりな以外の転生者が作中一切現れないのがその証左)

カミキと差し違えることを覚悟したアクアにしてもそれは先刻承知であって、であればこそあの最期の瞬間の、「生きたい」「死にたくない」という切実な後悔があったのだ。

苦痛と後悔(16巻164話211-2頁)

アクアが地獄の苦しみ絶望的な孤独の中でゆっくりと死んで行くこのシーンは、シリアスドラマに慣れない多くのピュアキッズたちに衝撃を与えたようで、

「『どんな理由があろうと復讐殺人はいけない。そして簡単に死を選んではいけない』という作者のメッセージだ」
「読者へのウェルテル効果(自殺誘発効果)を防止する為の過剰な苦痛描写だ」

夏木バジル氏note[↩︎]からのパラフレーズ)

この苦しみに耐えた後でまた転生して、そこで幸せな人生を送ったんだ」

立花もも氏発言[↩︎]からのパラフレーズ)

──などと必死に救いを求めようとする解釈がわらわら現れたが、ことごと低俗なヒューマニズム幼稚なハッピーエンド願望に毒された、浅はかで見当違いの了見である。

あのな、てめぇで腹刺して岩場に墜落した上での真冬の海での溺死とかいうトリプルコンボが苦しくねぇ訳ねぇだろうが

その厳然たる事実から一切目を背けず、飽くまでもリアリズムを貫いてあの苦しみの4頁を描き切ったからこそ、
あの「うたがきこえる そんな気がした」の救済解放、そして最期の瞬間での、諦念安堵に満ちた彼のあの安らかな微笑があったのだ。

うたがきこえる(16巻164話215頁)

──この辺り、特に一連のアクアの表情においてメンゴ先生の作画はもう入神の域だと思う。

もちろんこれは全166話中の最重要シーンだから、例えば水木しげるの戦争ものや手塚治虫のシリアスものなどの如く、敢えて画風を一気に転調し、写実的に顔の線を増やすという選択肢もまた一応あり得たろう₍₇₎
そうすれば多少は読解力の低い読者に対しても、「ここはこれまでとは全く意味合いの違うシーンなのだぞと明示できたはずである。
(実際、上の「苦しい」の一コマ [211頁] ではこれが部分的に用いられている)

死の表現に伴う画風の転換特に描線密度の増大は、
単なる血や傷ややつれの記号以上の意味を持つ

水木しげる『総員玉砕せよ!』[↩︎]350頁)
という最も現実的な二主題を、
描線密度のコントラストによって明示する王道技法。

手塚治虫『奇子』[↩︎]14章9-10頁)
では何故アクア死亡シーンでは、
この種の演出がほぼ用いられなかったか?

……が、飽くまで普段の画風を貫いて正解だったのだ。
海中暗黒苦痛──そのただ中には確かに「いつものアクア」がいる。
その「いつものアクアが、8頁掛けて確かに、着実に、留保の余地無く死んで行くのである。

そこにはほとん肉感的なまでの死の手触りがある。
そして、顔面の描線をストイックに抑制するどちらかと言えば少女漫画寄りのスタイルによってかえって、「そのものが持つ底知れぬ不気味さがその余白からにじみ出て来るのだ。

この不気味さは、例えば江戸川亂步芋蟲」[↩︎]萩尾望都半神」で描かれたあの悪夢的なの手触りと同種のものである。

死の不気味さ、生の不気味さ
萩尾望都「半神」[↩︎]11頁)

しかし、その類例を本作中に求めるならばもちろんアイの死顔しにがおであろう。
その後のアクアが(前世の記憶とは言え、医者のゴローとして何度と無く「死」を見て来たはずのアクアが)繰り返しフラッシュバックすることになるこの顔を、決していわゆる「綺麗な死顔に描かなかったことこそ重要なのだ。

その表情はやはり「いつものアイ」であり、殊更ことさらしわや陰の線を入れて死を強調するといった小手先の技法は一切排除されている。
だからこそこうまでも不気味なのであり、そして実にこの不気味さこそ、3歳のアクアがあの日目前に見たものであった。

(1巻9話197頁)
アイの死は壮絶というより不気味でなければならない。
アニメではこの意図が正しく汲まれていた
(1期1話1:12:44)


……とまあこういった細部ディテールを観察・考察・評価しようともせず、

「この作者って平然と登場人物殺すよな逆張り酷すぎるわ笑」

──などとしたり顔で知ったような口を聞き、えつっているだけの明きめくらキッズどもにくれてやる言葉など、あいにく何一つ持たぬ。

あのな、自分の手でゼロから創り育てて来たキャラクターを自分の手で殺すなんて、自分が一番辛いに決まってんだろうが。
でもやらなくちゃいけないんだよ。

またアクアが最後の最後まで本当は生きたかったという歴然たる事実すら読み取れず、

ピンチに陥ったら『ここからどうやって挽回するか?』こそが見せ場になるはずなのに、その努力を放棄して勝手に一人で死んだ腰抜け無能主人公

──などと平然とのたまう、少年漫画流熱血純情ハピネスヒューマニスティックドラマツルギーしか知らぬ身の程知らずの批評家気取り低脳キッズどもについてもまた同様である。

死は平等
(大場つぐみ・小畑健 2006『DEATH NOTE』
集英社、12巻107話181頁)
死は死(12巻118話144頁)

……さて繰り返しますが、アクアはあれで死にました。
不可逆的かつ留保の余地無く確かに死亡し、その自我と記憶はこの世から完全に消滅しました

そう、死神リュークが「死は平等だ」と言い、ツクヨミが「死は死だよ」と言うように。
転生なんかする訳ないでしょう、現実的に考えて。

はい、わかりました?

◆ でもサングラスは君の負けだよね?

────(絶句)


──第5章へ続く──

付記:結末関係の代表的な批判はこれで駆除し尽くしたかと思いますが、他の疑問点をコメントで挙げて頂ければ追記するので、お気軽にどうぞ)

◇ 註(Notes)

(1)ひょっとすると、166(=2×83)が55番目の半素数(如何にも双子っぽい数)なのも掛けられてるかも。まあ流石さすが深読みが過ぎると思われるかもしれないが、しかし知的なクリエイターというのは、こういう誰も気付かねーような数字遊び・言葉遊びを結構仕込ませているものだ。もっとわかりやすい「045話」(推しの子)や「111話」(アイ・アイ・アイ)で終わらせる訳にも行かなかったし。

(2)各種考察・批判・アンチ記事の他、『ジャンプ+』やYouTubeのコメ欄及びアンチ動画、Twitterや2chやAmazonレビューや読書メーター等を片っ端から読んで集めたものなので、もうキリが無いから一々の出典は省略する。
なお、漫画本篇と公式スピンオフ小説(田中創『一番星のスピカ』『二人のエチュード』)との間での矛盾点も指摘されているようだが、筆者はこれらを飽くまで別作品看做みなすので(『一番星のスピカ』所収、赤坂アカ「視点B」のみ一応別)今は問題としない。

(3)物語における余白の価値について。
例えば『進撃の巨人』の最終話で、ミカサが結ばれた相手ジャンであるともしはっきり描いていたならば、あの例えようも無い読後感は決して生まれ得なかったろう。
確かに既出人物から探せば第一候補は当然ジャンとなり(当然じゃん!)、その「伏線」と言えるものは十分にあるのだが、だからと言って作中で彼だと確定させて、この「伏線回収しなければならない理由など全く無いのである。
第一、(『進撃の巨人』は、主人公たちの背負った運命が余りに過酷過ぎるせいで年齢感覚がバグるのだが)ミカサは最後の「マフラーを巻いてくれてありがとう」(34巻139話239頁)のシーンでもまだ22歳なのだ。
これから幾らでも新しい出会いがあって当然であって、既出人物中にその唯一無二の伴侶を求めねばならぬ理由など無論ありはしない。
もちろんジャンは訓練兵団時代から一貫してミカサに想いを寄せていたが、しかしエレン亡き今こそとばかりに傷心のミカサを優しく慰め、その心を奪いに行く──などということは到底彼の矜持が許すまい。
10年以上は引きずっててほしい!!」(同200頁)というエレンの言葉をアルミンがミカサ当人に伝えることだけはあり得まいが、しかしジャンあたりに対してならポロっと言ってしまうことは考えられる。
これを聞いたジャンは、

「10年か……いやしかし、あのミカサのことだ……
 最低でも10年くらいはエレンにみさおを立てるはず……
 そう大丈夫、大丈夫なはずだ……
 ああ、待っててやるよエレン……」

──とかなんとか一人で勝手に納得し、ミカサとは敢えて距離を置いた上で、世界を股に掛けた連合国関係の仕事やなんやにバリバリ打ち込み始める。
そして10年後

「待った、待ったぞ、俺は待ったぞエレン……
 さあミカサ、今行くぜ……」

などと思っていた矢先、たまたま仕事で会ったコニーとかから、

 「なんだジャン聞いてねーの?
  ミカサ結婚したんだぜ


と告げられ絶句するのであった────
────といった全き個人的妄想が可能なのも全て、そもそもあの省筆と余白のお陰なのである。(以上、劇場版『The Last Attack」でのスタッフロール加筆分情報は考慮に入れず)
…がしかし、こうしたオープンエンディングさえもキッズにとっては説明不足」「伏線未回収」になってしまう訳ですねえ。
「ミカサがエレン以外を好きになるはずはない! だからエンディングのこの女はミカサなんかじゃない!」などと無茶苦茶言い始めるピュアキッズの存在もまた、有馬かなバッシングに見られる強固な処女性信仰第1章参照[↩︎]の産物であるのと同時に、こうした省筆の技法に対する根本的な無知と無理解を表していよう。やれやれ……
(ってか、ミカサじゃねぇなら誰だよこの黒髪は? ピークさんか?)

(4)まあ信じ難かろうが、このサングラス論法はアンチキッズどもが大真面目に使っているものである。ほれ[↩︎]

(5)「なにいってだこいつ」という方は、グレッグ・イーガン『順列都市』[↩︎]『ディアスポラ』[↩︎]か、ないしは飲茶さんの "殺人どこでもドア" の話[↩︎]でも読んで下さい。これなどはスワンプマンと等価な思考実験だから。

(6)アカ先生の言[↩︎]に従えば、「できるだけ最小限の設定と、その設定がもたらす波及作用によって全てを説明できる方が、読者への説明も少なくなり物語自体が濃くなる」。つまりは「大きな嘘は一つだけ」というフィクションの大原則を言っているのである。

(7)メンゴ先生高校生の頃から『空手小公子 小日向海流』(馬場康誌)のアシが務まっていたくらいのやばい人なので、画風転換などやろうと思えば簡単だったはずである。
なおアクアの最期に限らず、同氏が一般に表情のリアリスティックな描き込みを敢えて避けていることについては以下のインタビュー参照。

「Q. 作画する際に、メリハリを付けるためなどの理由であえて描き込まないようなところはありますか?
 A. あります。私は自分で描くぶんにはあくまで漫画的な記号や表現が好きなので、たとえば顔のパーツ・目は描き込みますが、他の部分はかなり簡略化していたりします」
横槍メンゴ 2017『横槍メンゴときどきヨリ』スクウェア・エニックス[↩︎]、199頁)

(サムネイル:アニメ1期ED[↩︎] 1:19)

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集