【第1章】原作【推しの子】完全肯定論:有馬かなバッシングと処女性信仰①(絶望の枕営業篇)
In Defense of the Manga 𝑂𝑠ℎ𝑖 𝑛𝑜 𝐾𝑜:
The Definitive Refutation of Its So-Called Failure
【Chapter 1】
Kana Arima Bashing and the Virginity Cult (I):
The Despair on the Casting Couch
🟥 本章の要約(Summary of This Chapter)
全世界的な「有馬かなバッシング」という現象は、やはり全世界的な処女性信仰に由来する。
「ヒロインには絶対に処女でいて欲しい」──それこそあまねく✞ヴァージンキッズ✞たちの願いである。
その願望が少しでも裏切られた(ような気がした)時、✞ヴァージンキッズ✞たちは「事実上の非処女」である彼女を問答無用で血祭りに上げ、
彼女という穢れた存在をそもそもヒロインとして取り上げた当該コンテンツそれ自体ごと全否定することによって、
「純潔」という大事な大事な夢想的観念をどうにか死守せんと試みる。
つまり、有馬かなバッシングは現代の魔女狩りなのである。
総目次(全11回)
【序論】原作【推しの子】完全肯定論[↩︎]
【第1章】有馬かなバッシングと処女性信仰①──絶望の枕営業篇(本ページ)
【第2章】有馬かなバッシングと処女性信仰②──愛の死体ビンタ篇[↩︎]
【第3章】「矛盾だらけ説」の検証──特に心中事件の時系列矛盾説について[↩︎]
【第4章】「未回収伏線だらけ説」の検証①──結末篇[↩︎]
【第5章】「未回収伏線だらけ説」の検証②──総合篇[↩︎]
【第6章】「心理描写が雑過ぎる説」の検証①──ルビー・有馬・あかね・カミキ篇[↩︎]
【第7章】「心理描写が雑過ぎる説」の検証②──アクア篇[↩︎]
【最終章】結論──文化的キッズポピュリズムとの闘い[↩︎]
【補論1】雑多なバカ批判を手短に論破する①──対人戦の部[↩︎]
【補論2】雑多なバカ批判を手短に論破する②──対AI戦の部[↩︎]
(外伝:【推しの子】アンチスレに凸ってみた結果…[↩︎])
(⬆︎前回)
🔷 マグダラのアリマ──全世界的有馬かなバッシングの様相
「有馬かな」という女がいる。
またの名を重曹、ピーマン女、パンダ女、そして自他共に認める死ぬほど捻くれた究極に面倒くさい女。
ちなみに有馬アンチは何故か意地でも認めようとしないのだが、言うまでも無く【推しの子】という作品の首尾一貫した公式正ヒロインである。
(9巻82話49-58頁、11巻107話124頁、15巻150話154-6頁等を見よ)
それがどうしたことであろう、彼女は今や【推しの子】アンチ界隈は元よりファン界隈の一部においてすら、あたかも非公式サンドバッグキャラクターの如き扱いを受けているのだ。
サンドバッグとは言っても、「イジられキャラ」だとか言う生やさしい話ではない。
マジでガチの完全人格否定対象、つまりは「こいつになら何を言っても許される」対象としての純粋人間サンドバッグなのである。
悪役よりもぶっ叩かれている正ヒロイン。
かくして【推しの子】関連のポスト・コメントに今日も踊る名前は、Kana Arima, Кана Арима, كانا أريما, อาริมะ คานะ, 아리마 카나、有馬佳奈、有馬かな「お前は────
「お前3期では消えろよな屍体ビンタ女 まじで存在がきもいから」
「3期アニオリでこいつの出番全カットだろ笑笑」
「You nasty little red rat prostitute❗️ HAHAHAHAHA」
……上の如く、フィクションの世界に生きる一人の日本人女性に対する醜悪な罵言の数々が、実に世界各国語において電子空間を乱れ飛ぶ様は、
さながら人類全ての有り余る憎悪をその一身に受け止めるべく宿命付けられた存在──「罪の女」こそ、即ち彼女であるかのようだ₍₁₎。
それは殆ど神話的な光景とすらも言えよう。
……それにしても、彼女に一体何があったと言うのだろうか?
本章と次章では、異様なまでに熾烈を極めるこうした有馬かなバッシングが、如何なる性質のアンチによって如何なる心理の下に為されているのかを今一度確認し、
併せて、彼ら有馬アンチが【推しの子】そのものに対するアンチへと必然的に変貌して行く仕組みをも明らかにする。
その過程で、この作品へのバッシング全般に共通する独特な幼児性・狂気性・自己中心性が自ずから表面化し、これより始まる全8章の道筋に大まかな見通しを与えてくれることであろう。
🔷 聖女アリマの堕天──✞ヴァージンキッズ✞の心理的三段階
さて、およそ誰かを叩こうと一旦決めてしまえば叩く所など幾らでも見付かるものであるから、有馬アンチたちは日々飽きもせず彼女の色々な性質を論っている。
(「いつまでも成長が感じられない」とか「周期的に落ち込んでばかりでうざい」とか)
が、古参の筋金入り有馬アンチによる一部の例外を別とすれば、それらは概ね「有馬は叩いてもいい」「いや叩くべきだ」というバッシング風潮が完成した後に、「あれもあったぞこれもあったぞ」と尻馬アンチどもによって無理矢理引っ張り出されて来ただけの二次的な叩きに過ぎない。
そもそもの一次的な叩きは、要約すると第二部スキャンダル篇(11巻)の連載当時に進行した以下の心理的三段階から成っていたのである。
【その1】✞ヴァージンキッズ✞、枕営業未遂シーンにて「有馬はもう実質非処女」と発狂
【その2】✞ヴァージンキッズ✞、「何が『あーくん♡』だ実質非処女の暴力女のくせに」と激昂
【その3】✞ヴァージンキッズ✞、例の葬式シーンにて「正体現したねアッアッアッ叩かれるのは貴様だこの死体ビンタ女めが!」と歓喜
──ええ、マジでこれだけです。あのさぁ……
全巻通読者には上記のみでもう十分かもしれないが、念の為それぞれの段階について、✞ヴァージンキッズ✞の可愛らしい心理に寄り添いながら簡潔に説明しておきたい。
【その1】全ての始まり。
「有馬は女優業に早く復帰したい余り、枕営業で島監督にほぼ身体を許し掛けた(未遂)。つまり精神的には既に非処女と看做せ、よって実質非処女。故に当然ながらヒロイン失格」
──という✞ヴァージンキッズ✞(おっさん含む)一流の論理である。(11巻101話)
【その2】前段にて有馬のヒロイン失格は既成事実化しているので、今や彼女の一言一句、一挙手一投足が✞ヴァージンキッズ✞たちのピュアな心を苛立たせる。
極め付けが、捏造スキャンダルからアクアに救って貰った(11巻105話)末の、普通にアクアへの迸る愛と感謝しか感じられないティッシュ箱ぱこーん殴り(11巻107話146頁)と、渾身の「あーくん」呼び(11巻108話139-40頁)であった。
「あざとくて性格悪くてウザいだけのヴァイオレンス売女トラブルメーカー非処女」という固定観念の完成である。
こうなっては、もはや✞ヴァージンキッズ✞の憎悪は留まる所を知らない。
【その3】あの至高の神シーン(16巻165話229頁)の価値でさえ、やはり✞ヴァージンキッズ✞の🐓頭を以ってしては到底理解不能であり、「やっぱり暴力的なだけの度し難いクソ女」という前段の偏見を強化するのみで終わった。殴り返したミヤえもんは英雄になった。
(これは次章にて扱う)

(11巻107話126頁)

(11巻108話139頁)
──以上の三段階(本誌連載で言えば2022/12/1-2024/12/7の丸2年間)を以って「有馬=サンドバッグ」との認識が✞ヴァージンキッズ✞界隈で定着したものの、困ったことに肝心のメイン叩き対象たる上の部分が未アニメ化であった(3期に相当)。
こうして行き場を失ったアンチどもは、アニメ1・2期における有馬出演シーンの公式切り抜きショート動画コメ欄等にまで飽きもせずわらわらと押し掛けて行き、純朴なる有馬推しのアニメ勢たちに対し、
「あ知らないの? こいつまじヤリマンだから笑 まあ涙拭けよ笑」
──などと有ること無いこと得意げに説教を垂れ、一方的かつ暴力的に推し変を促すという鬼畜の所業にすら及び始めたのである。
というか、叩く対象とか正直もう何でもよかった。
第二部を読んだ彼らにとっては今や、第一部のあの名シーン「アンタの推しの子になってやる!」(4巻38話148頁、1期11話[↩︎])などは勘違い目立ちたがり女の傲慢な妄言シーンであり、
やはり名コメディシーン「このテンションだとお持ち帰られちゃぅ……///」(8巻73話58頁、2期22話[↩︎])などは、ただ単に彼女が頭と股のゆるい売女たることを証明するだけなのだ。
有馬憎けりゃベレー帽まで憎いのである。
一旦こうなってしまうと、もはや「有馬が終始一貫した公式正ヒロインである」という公然の事実そのものを否定する他無くなるので、
必然的に【推しの子】という作品そのものをも否定せねばならなくなる道理であった。

尤も、当の✞ヴァージンキッズ✞諸君に上の心理的三段階をそのまま指摘した所で、まあ顔を真っ赤にして「ドッッドドド童貞ちゃうわ!」などと否定し、思い付く限り他のどうでもいいような彼女の難点を捏造して羅列し始めるあたりが関の山であろうから、元より時間の無駄である。
そもそもその恥ずかしい事実自体を隠匿すべく、上の三段階以外の有馬叩き要素を必死になって彼らは博捜し、その成果がますます彼女への憎しみを育ませたのであるから、まあよく出来たフィードバックループであると言えよう。
しかし【推しの子】叩き全般にしてからがそうだが、恋リア篇におけるあかねの炎上騒動とまんま同一の様相なのは、余りにも効き過ぎた皮肉である。
🔷【その1】キッズとおぢさんの処女性信仰物語
◆ 絶望の枕営業──夢と誇りの間で
さて、有馬叩きの愚昧と不毛についてはこれで概ね十分だろう。
ただ特に指摘しておきたいのは、ここに言う✞ヴァージンキッズ✞には文字通りの「キッズ」のみならず、「心はキッズ☆」の良い歳したおっさんが相当に含まれると考えられる点である。
まず、連載当時の重曹バッシング投稿を延々見て行くと、時系列的にはやはり【その1】が決定的であったと明瞭に窺える。
推しの子は重曹がバカすぎるので当面読まんでええかな 単行本で消化しよう
— こねほ (@conejo2818) December 7, 2022
重曹こんなにプロ意識ゼロの自己中キャラだったか
— なつ (@natsuki__727) December 7, 2022
はじめはもっと応援したくなるキャラしてたと思うんだけどな
ジャンプラで推しの子最新話読んだけど、マジで重曹アイドルをナメ過ぎてて無理。コメ欄にもあったけど、枕しようとしてる時点でアウト。こういう女も被害者面してんだよな、きっと。知らんけど。笑
— ひろまさん@( ੭˙꒳˙)੭ (@unzyaku) December 7, 2022
101話(2022/12/8公開)のこの場面は、ルビーやMEMちょに対する劣等感に苦しんだり、愛するアクアに手酷く拒絶され続けたりして色々とボロボロになって(第3章参照[↩︎])、もう何もかもどうでもよくなって来た重曹氏が、
「あんなに酷い仕打ちまでされても、やっぱり私はアイツのことがどうしようもなく好きなんだ」
──と認めざるを得なくなって、不甲斐無いやら悔しいやら腹立たしいやら切ないやらでもう訳わかんなくなって泣き出してしまう──という、
重曹推しか否かなどに関わらず、その心理描写の巧みさにおいて作中有数の名シーンである。
が、✞ヴァージンキッズ✞どもの狭隘な視野と歪んだ認知は、左様な美点などには元より目もくれぬのだな。
そもそもキャラクターの心理は一から十までセリフやモノローグで説明してくれるような、サルでもわかる副音声漫画・副音声アニメ₍₂₎にどっぷり慣れ切った極め付けの情弱どもであるから、
セリフもモノローグも無いシーンのキャラクターは実質何も考えていないのと同じなのだろう。
ましてや彼らは大概スマホのちっせぇ画面で『ジャンプ+』を読んでおり、どうせ一々ズームもせずにスイスイ読み飛ばして行くのだから、
例えば島監督に迫られ、夢と誇りの間で逡巡する重曹氏の微細な表情変化などですら、ハナから観察も読解もできるはずが無かった。



故に例えば、初めは「あの日なので」と言ってやんわり断るつもりだった彼女が、なぜ結局その手を使おうとしなかったのかとか、
なぜ突然泣き出したのかとか、なぜその後一転して怒り出したのかなどとキッズどもに問うてもさっぱり答えられまい。
「いや笑こんなヤリマンの心理とかどうでもいいから笑」ってか。
畢竟彼らにあるのは、「あーあ、これでもう有馬は終ったな」という不可逆的結論だけなのだ₍₃₎。
◆ 偶像ブレイク! 反転アンチと化したピュアキッズたち
さて、この種の醜く歪んだ処女性信仰には、文字通りの童貞キッズによる無知で素朴な処女性信仰とはやはり些か異質なものが感じられる。
事実、殊に【その1】に対し明確な嫌悪感を表明していたバッシング投稿には、プロフィールや文章表現上、良い歳した(けれども余り頭のよろしくない)おぢさんによって書かれたと断定・推測できるものが少なくないのである。
(序論でも触れたこの人気アンチサイト[↩︎]などがその典型。運営者は非常にわかりやすい処女性信奉者だが、自称現役会社員)
結局、【その1】に対するバッシングの根幹には大きく二種類の心理があったと考えられよう。
第一に、クラス一の美少女にして純真無垢の天使(&実は僕のことが一番好きだったりする)に実はしっかりピッピがおって、しかも駅前のお城で連日やることバンバンやっておるらしいと知っちまった時のピュアピュア中高生男子のような絶望。
第二に、最近仕事から帰っても目を合わせてくれない反抗期の一人娘(&実は俺のことが一番好きだったりする)に実はとっくにピッピがおって、しかも平日昼間はこのリビングのソファで連日やることバンバンやっておるらしいと知っちまった時のピュアピュアおぢさんのような絶望₍₄₎。
もちろん女性の有馬アンチも存在するにはするのだが、それは後述する【その3】などに由来する場合が多く、【その1】のシーンには寧ろ共感する女性読者が大半であったかと思われる。
ルビー推しやあかね推しに比して特に有馬推しには女性の比率が大きいのには、
例えば周期的に感情・体調が激しく浮き沈みする彼女の様子がなんかもうリアル過ぎて共感しかしないこと(これがもう殆どの男からするとウザい理由にしかならない)など複数の理由があろうが、
【その1】がそもそもバッシング対象たり得なかったことがやはり大きいだろう。
要するに【その1】のスキャンダル騒動に対する有馬バッシングは、推しアイドルの熱愛スキャンダルを知ったピュアヲタどもによる反転バッシングと構造がほぼ同じなのである。
この点で、元々の有馬アンチに「ほらやっぱりこういう女だっただろ」という恰好の燃料を供給し、
それまでのピュアな有馬推しの幾許かをも「こんな女だとは思わなかった、裏切られた」という反転アンチに変貌させたスキャンダル篇は、
作中では未然に終わった有馬への炎上とバッシングを、実に全く同一の心理構造において現実世界の方でこそ実現させてしまうという、謂わば究極のメタ表現としてこれ以上無い成功を収めたのだとも言えよう₍₅₎。
🔷【その2】「ぜんぶ有馬のせいだ。」説の誤り
【その2】については、
「この女の身勝手なスキャンダルのせいで、アクアはバーター記事としてアイとの関係をわざわざ公表しなければならなくなった。延いてはそのせいでカミキに目を付けられ、あのバッドエンドに繋がった。だからあの結末は全て有馬のせいだ」
──といった主張が結構見られるが、全くの誤りである。
そもそもアクアが特にあの時点で公表を断行したのは、もちろん愛する有馬(ここ重要)を守りたかったからだが、
公表自体はそもそもそれによって映画『15年の嘘』の制作を可能とし、カミキへの復讐に繋げる為の周到な作戦だった。
つまり有馬の件が無かろうと遅かれ早かれ公表はしていたはずだし、仮にいつまでも公表せずとも、カミキはとっくにルビーには目を付けていたのだから(8巻72話37-40頁、2期22話)、こちらから手を打たなければそれこそなおさら酷い結末が待っていたろう(第6章参照[↩︎])。

結局、アクアの第一目的は飽くまでもカミキへの復讐(社会的に断罪し、自分のやったことを思い知らせ、可能なら改心させる、無理なら殺す)であり、有馬を守ることは第二目的──つまりは所詮「口実」でしかなかった₍₆₎。
それが彼による次の言葉の意味である。
「[公表は] 必要なことだった。有馬にとって、そして俺たちにとって」
「この情報 [アイの子であること] は、今生きてる人間の為に使うべきだ」
故に上記のありがちな誤読は、連載オンリー読者(主に『ジャンプ+』ユーザーで、単行本など無論買わない乞食キッズ)特有の大筋忘却病と、
上の「有馬にとって、"そして俺たちにとって"」という明確な説明すら読み落とし、「今生きてる人間」とは独り有馬だけを指すのだと決め付けてしまう単純なリテラシーの低さ、
そして何より【その1】が直前に生んでいたピュアキッズたちの失望とヘイトによるものと言えよう。
つまるところ、ピュアな✞ヴァージンキッズ✞どもの如く重曹氏を変に偶像化すること無く、端的に「有りのままの有馬かな」(11巻103話55頁)というキャラクターに共感・感情移入して来た真の有馬推したちにとっては、
【その1】【その2】は寧ろ彼女の株を爆上げするエピソードでしかないはずなのだ。(仮に処女性信奉者であろうとも)

──がしかし、✞ヴァージンキッズ✞らにとって有馬バッシングはもう魔女狩りみたいなもんであるから、この異端審問官気取りの狂人どもに何を言おうが畢竟無駄なのである₍₇₎。
「✞✞✞悪魔の乳首だ……!!!!!
悪魔の乳首を見付けたぞ……!!!!!✞✞✞」
──第2章へ続く──
◇ 註(Notes)
(1)「有馬かな」が「マリアかな?」のアナグラムだってことなんかも一々註釈しといた方がいいですかね? まあいいか。(結末において、アクアがはっきりと殉教者に見立てられていることと比較されたい。最終章註(7)参照[↩︎])
(2)セリフで全てを説明してくれる「副音声 "映画"」とは、映画評論家の柳下毅一郎氏による表現[↩︎]。
(3)ははあ、「凡そ婦を見て色情を起す者は中心すでに姦淫したる也」(『マタイ伝福音書』5:28)ってか? そういう貴様は重曹ちゃんをこれまで何度「姦淫」したんだ? あ? ただの一度として無いと天地神明に誓えんのか?
……というかこの✞ヴァージンキッズ✞どもは、例えば『戦争と平和』第2巻第5部のナターシャ駆け落ち未遂シーンとか読んでもやっぱり「あーあ、これでもうナターシャは終った。ヒロインが売女だったんだから駄作確定」とか言うのだろうか? こんな貞操幻想精神童貞キッズどもは、桐野夏生の『グロテスク』[↩︎]か綿矢りさの『夢を与える』[↩︎]でも読んで発狂すればいいのに。
(4)作画担当、横槍メンゴ氏の過去作『クズの本懐』(2012-8)では、ヒロイン安楽岡花火が処女であると告げるシーン(1巻5話167頁)での読者の評判が殊に良かったという。氏曰く、「『そこはみんな安心して読みたい』って」[↩︎]。『クズの本懐』の掲載誌は青年誌の『月刊ビッグガンガン』で、オンライン掲載無し。つまりは【推しの子】と異なり、読者の年齢層は至って高かった。
もちろん、上記引用元のインタビューで横槍氏は揶揄めいたことなど一切言っていないが、要するにここにも良い歳した✞ヴァージンキッズ✞たちが大勢いた訳である。(しかし「安心」も何も、1巻での花火の挙動見てりゃまず判ろうに。一体何年生きて来たんだお前ら?)
(5)アニメ3期では当然ながらスキャンダル篇が全くそのままの筋で描かれるはずだが、その際アニメ勢の有馬推したちが一体どんな反応を示すやら非常に楽しみではある。やはり一定数のピュアキッズは発狂して反転アンチと化することだろう。哀れ。
(6)ルビーに対しては事実、事前に「口実」として用いている(11巻104話75-7頁)。カミキを「可能なら改心させる、無理なら殺す」という、15歳ビデオレターでのアイの希望を汲んだ計画を策定したのは、最終巻よりも遥か前、スキャンダル篇直前で「あいつを最も苦しめる方法は──」(10巻99話153頁)と考え込んでいた頃であろう。ここからスキャンダル篇での例のバーター記事に至ることからして、やはりアクアは有馬のスキャンダルを、ルビーに対する口実として都合よく利用しただけだったと知れる。つまりアンチによる「あの結末は全部有馬のせい」説は全くの誤りである。
(7)誰推しであれ良識的な原作愛好者諸兄姉に出来ることと言えばまあ、異端審問官気取りの有馬アンチがアニメ勢の純朴な有馬推しを魔道に引き摺り込もうとしている所を目撃したら、「こいつら単なる [シマカンへの] 嫉妬アンチの童貞キッズだから気にしなくていいよ。3期のスキャンダル篇最高だから楽しみにしててね!」とでも端的に横槍を入れておくぐらいが関の山であろう(めんごめんご)。それでこのキッズが顔真っ赤にして連レス反論を始め、馬脚を現しでもしたら儲けもんである。
(サムネイル:【推しの子】11巻表紙)
