【第5章】原作【推しの子】完全肯定論:「未回収伏線だらけ説」の検証②(総合篇)
In Defense of the Manga 𝑂𝑠ℎ𝑖 𝑛𝑜 𝐾𝑜:
The Definitive Refutation of Its So-Called Failure
【Chapter 5】
The “Full of Unresolved Plot Points” Claim (II):
In General
🟥 本章の要約(Summary of This Chapter)
原作【推しの子】には、矛盾点も未回収伏線もやっぱり存在しない。
総目次(全11回)
【序論】原作【推しの子】完全肯定論[↩︎]
【第1章】有馬かなバッシングと処女性信仰①──絶望の枕営業篇[↩︎]
【第2章】有馬かなバッシングと処女性信仰②──愛の死体ビンタ篇[↩︎]
【第3章】「矛盾だらけ説」の検証──特に心中事件の時系列矛盾説について[↩︎]
【第4章】「未回収伏線だらけ説」の検証①──結末篇[↩︎]
【第5章】「未回収伏線だらけ説」の検証②──総合篇(本ページ)
【第6章】「心理描写が雑過ぎる説」の検証①──ルビー・有馬・あかね・カミキ篇[↩︎]
【第7章】「心理描写が雑過ぎる説」の検証②──アクア篇[↩︎]
【最終章】結論──文化的キッズポピュリズムとの闘い[↩︎]
【補論1】雑多なバカ批判を手短に論破する①──対人戦の部[↩︎]
【補論2】雑多なバカ批判を手短に論破する②──対AI戦の部[↩︎]
(外伝:【推しの子】アンチスレに凸ってみた結果…[↩︎])
(⬆︎前回)
🔷はじめに
前章に引き続き本章でも、一般に「矛盾」だの「伏線未回収」だのと言われている点を片端から淡々と検証して行く。
結末関係に絞った前回とは変わり、今回は全16巻分をまとめて対象とする。
なにぶん数が多いんで、じゃあさっさと始めましょう。
🔷ツクヨミさん関連
◆ そもそもなんでさりなとゴローは転生できたの?
さりなはカラス=ツクヨミ(生死を司る神)を助けたから(15巻145話68-73頁)、アイの血脈と才能を継承する者としてアメノウズメ(芸能の神)に選ばれた。
(死後はずっと「中有」だか「根の国」だか「忘却の河」だか知らんがどっかにいた。「さりなとルビーの生死のタイミングが全然合わない!」とかいうバカ批判は誤り)
一方ゴローは、ルビーの守護者となるのに丁度良い時にたまたまあの地で殺されたから、さりなと一緒にツクヨミを助けた経緯なんかを踏まえてたまたま選ばれただけ。
なおアイの双子が本来「魂の無い子」(8巻75話96頁、2期23話)になるはずだった、というツクヨミの発言によれば、アイの子供は彼ら二人の魂がツクヨミとアメノウズメによって用意されていなかった場合、死産していたらしい。
(アイとカミキという "強" 過ぎる個体同士が交配したことで、一種の劣性致死遺伝子が発現したのだろうか?)
なお、そもそも二人の「転生」それ自体が「ズル」(16巻162話183頁)──つまり【推しの子】の世界にあっても飽くまで例外的な超自然現象であったことは、前章参照[↩︎]。
◆ ツクヨミって結局何だったの?

月読命=月の満ち欠けを司る神=時間を司る神=生死を司る神(13巻127話128頁参照)。
作中での目的はカミキという「純粋悪」を葬ることで(第6章参照[↩︎])、その為にアクアが死ななければならないことなども初めから大体わかっていた。
(時の神だから。16巻161話155頁参照)
余談ですが、日本神話の原典において月読命は性別不詳です。
ツクヨミさんも男の娘の可能性あり。
(下の水着姿でも体型は識別不能)

◆ なんでカラスなの?
日本神話でカラスといえばもちろん三本足の八咫烏ですが、これはもともと熊野の山中における道案内の神と考えられ₍₁₎、特に太陽神でも月神でもない。
(なお、京都の賀茂神社とは本来無関係)
世界的にはカラスが表象する天体はほぼ間違い無く太陽で、月と明確に同一視されている具体例を今のところ筆者は知らない。
(北米先住民には月とカラスが関わる神話こそ結構あるが、「月=カラス」ではない)
東アジアに特有の三足烏もやはり太陽の象徴である。
つまり、3本の足が日の出・南中時・日没という太陽の3つの相を表す訳だが、しかし同様に「3本の足が新月・半月・満月という月の3つの相を表す」という発想は十分あり得たはずだし、それが東アジアで興らなかったのは「月=兎」「月=蛙」の観念が強力過ぎたからだとも考えられる。
またカラスは死体を啄みに来るので死を連想させ、そこからやはり死を司る月とも結び付き得る(カラス=死=月)。
よって「ツクヨミさん=カラス」という設定は、今日伝わる日本神話での「月読命」とは飽くまで無関係に、作者が上のような神話学的知識・発想から独自に創造したものでしょう。
(そもそも「芸名はツクヨミ」としか名乗ってないし [13巻128話133頁])
しかし実際、ケルト神話における戦争と死と夜の女神モリガン(またはバズヴ)がカラスの姿で表象されるように、色彩上の共通点から「カラス=夜」との連想があるのは確か。
(これが神話的モチーフとして明確に認め難いのは、端的にカラスが昼行性だからだろう)
ここまで来れば「月=死=カラス=夜=月」と神話的シンボリズムの連想が一周するまであと一歩なので、十分説得力のある設定だと思いました。
何よりメンゴ先生のビジュアルがよい。美しい。
美しいは正義₍₂₎。
今更ですが神話学的根拠とかどうでもいいです。
◆ …よくわかんないけど、とにかくそういう説明が作中でもっと必要だったんじゃないの?
『千と千尋の物語』でカオナシの正体は少しでも説明されてましたか? これも「説明不足」になるんですか?
『もののけ姫』のシシ神様は、『進撃の巨人』の大地の悪魔はどうです?
つまり物語における「神」とはそういうもの、基本的に説明されてはならないものなんです。

(画像:スタジオジブリ提供[↩︎])
◆ じゃあ、ツクヨミちゃんはアクルビのお姉さんという説はどうですか?
「そうかわかったぞ……アイがイザナミで、カミキがイザナギで、アクアがスサノヲで、ルビーがアマテラスなんだ! 現にルビーはかつてミヤコに対し『アマテラスの化身』と名乗ってるじゃないか!(1巻3話84頁、1期1話[↩︎]) だからツクヨミはアクルビの姉なんだ……謎は全て解けた!」
……ってやつですか? 「は? なんで? だから?」としか。

それともひょっとして、「スサノヲだけが最後は根の国(妣の国=母親がいる世界)に降った。これがアクアの死の伏線だったんだ!」とかですか?…ふーん……
◆ なんでわざわざ高千穂が舞台の一つになったの?
もちろん天孫降臨の地だから雰囲気的に神的存在であるツクヨミを登場させやすいことの他には、「アイ=芸能の神=アメノウズメ=荒立神社=高千穂」って以上のことは無いかと思います。
仮にそこから「カミキ=サルタヒコ」とか考えても「?」だし。
思うに、ツクヨミや高千穂ありきで日本神話使ってこれ以上深読みしても何も得るものは無いかと。
そもそも創作のロケーションに合理的理由なんぞ不要なので、「わざわざ高千穂を舞台にする必要あった?」などという批判はもちろん当たりません。
🔷アイのビデオレター関連
◆ アイはなんで、よりによって15歳のアクアとアイにビデオレターを遺したの? 死期でも悟ってたの? また、何でそれを特に五反田監督に託したの?
人に殺されるかはともかくも、佳人薄命──つまり「今が偶像としての自分の絶頂だから、これを過ぎてしまったら必然的にもう生きる(生かされる)理由が無くなってしまうかもしれない」といった漠然とした予感を抱いていた節はある。
(具体的に「カミキに殺されることまで予測していた」という夏木バジル氏などの説[↩︎]₍₃₎には従えない)
またそうでなくとも、「二度と訪れない絶頂期のアイドルである今の自分にしか考えられない・言えないことを、今の内に記録しておきたい」と思ったのだろう──というだけでも、敢えてこの時ビデオレターを撮った理由としては十分でしょう。
特に15歳の二人に宛てたのは、二人を妊娠した時に自分も15歳だったから、とアイ自身が言っている(13巻130話185頁)。
二人の出生の秘密を明かす(アクア宛DVDのみ)には同じ歳がよかろうと考えたのである。
まあそれに加えて、単純にキリが良いからということもあったかもしれない。
現実のビデオレターやタイムカプセルだって、大体10年とか5年刻みで宛先の時代を設定するものだろう。
(『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』のクラーラ・マグノリアじゃあるまいし)
五反田に託したのは、B小町のドキュメンタリー映画制作を依頼するほど彼を信頼していて、かつアクアが彼にだけは懐いてることも知ってたから(11巻110話)。
◆ じゃあ、ルビー宛の方のDVDはどうなったの?
少なくとも、ルビーがこれを観ているのは下の発言から確か。

(12巻112話29頁)
この際の五反田の独白から考えて、カミキの件が収録されていたのはアクア宛のディスクAのみで、ルビー宛のディスクBは単なる「15歳の誕生日祝いビデオ」であった。
その上でアイは、迷えるカミキを「救ってあげ」ることと(16巻154話40頁)、カミキの件をそもそもルビーに伝えるべきか、またいつ伝えるか判断することとを全て「頼れるお兄ちゃん」のアクアに委ねたのである。
(実際、ディスクA内でアイが呼び掛けるのは「アクア」一人だけ。同35・39頁)

ディスクBとはその内容の意味合いが違うことを示唆する
(尤も、ディスクA本体への書き込みは「15才のアクアへ」だが [16巻153話16頁])
よって、ディスクBで "具体的に" 何が語られてたかなど知るはずも無いし別に知りたくもないが、「或いはそれを観たことが、最終話のあのルビーの姿に幾許か資しとるのかもなぁ……」などといった自由な想像にしみじみ耽る以上にすべき詮索がありますか?
🔷メタ演出関連
◆ なんでゴローの死体がまだ見つかってない時点で葬式やってんの?(1巻2話46頁)

どう見てもアクアによる自虐ネタ表現だろうが。
「要約しすぎでは?」ってツッコミ見りゃあサルでもわかるぞ。
遺影でピースしてるし。(「最近は珍しくない」ってマ? えぇ…)
◆ 1巻で1話ごとに挿入されてるインタビューって何なの?
「『週刊ヤングジャンプ』は青年誌で読者の年齢層も高めだから、子どもが主人公のストーリーが長く続くのはちょっとしんどい」という編集者の意見から、間を持たせる為のアクセントとして挿入しただけと作者インタビュー[↩︎]で言ってます。
なおインタビュアーはカミキ(15巻152話183頁・194-200頁)。
あかねだけインタビュイーになってないのはその為である。
(MEMちょがいないのは、この時点ではまだメインキャラ化の予定が無かったから。第3章参照[↩︎])
よって、重曹氏インタビューの「あーくん」発言(1巻6話127頁)以外に伏線は特段ありませんし、元々それだけのものです。
まあ、アンチのいわゆる「逆張り」説への反証としては有効でしょうけど。
1巻時点でもうこれだけ筋が決まってたことの物的証拠になる訳だから(第3章参照[↩︎])。
ちなみに、撮影時期は『15年の嘘』撮影前後。
(故にあーくんはまだ生きてる。有馬アンチどもはこれをあーくん没後の撮影と完全誤読して、「やっぱこいつ倫理観皆無だわ」とかほざいているが誤り)
◆ タイトルの【 】って結局何なの?

記号化(≒偶像化)の役割。
例えば〈シニフィアン〉とか《エクリチュール》とか書く場合と同じ。
16巻末のおまけにて明示されたスレタイとしての用法は、通説に言うような一意的な答え合わせとかでは別になくて、「例えばこういう使い方のやつよ」という用法の具体的な例示に過ぎない。
(5巻42話42頁での「【役者】」や、1巻幕間インタビューでの用例にしても同様)

尤も筆者としては、このスレタイに即した説明は「タイトルの『伏線』がまだ回収されてない!」などというアホキッズの不粋なわがままに対するかなり親切な回答だったろうと思う。
と言うのもそもそも現代文芸においては、「タイトルの意味」なんてものは最初から最後まで曖昧にし、読者を引っ張る究極的なフック、物語全体の消失点として用いるのが一つの常石だからである₍₄₎。
よって、仮に連載終了後なお16巻のおまけによるヒントが与えられなかったとしても、【 】の意味不明性が「未回収伏線」と看做され得たはずは無い。
そもそも、その本質的な意味不明性こそ記号性の一部だからである。
故に、共に記号的存在であるアイ(「アイドル」という記号)やカミキ(「悪」という記号)の心理がほとんど描かれず、とうとう「意味不明」なままに終わるのもまた、作劇上の必然なのだ(第6章[↩︎]・第7章[↩︎]参照)。
なおデザイン上、両方の墨付き括弧に切れ目が入っていて、正確には「 |【推しの子】|」となっていることを特に深読みする向きもあるが、
単なる装飾と見るにせよ、二階述語論理的な「二重の記号化」と解するにせよ、はたまた『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』みたいに「物語の始まりと終わり」や「繰り返される物語」を暗示すると読むにせよ、全く以って読者の自由。
元より一意的な「正解」など無い。
(「いいや納得できぬ! わざわざ切れ目が入ってる以上は、何かしら明確で一意的な意味があるはずで、それが説明されとらんのは絶対に伏線放棄なんじゃぁぁ〜〜」という方はね、そうさな、まずモンドリアン[↩︎]やジャクソン・ポロック[↩︎]の任意の絵画に、あなたの考える「明確で一意的な意味」を提示して貰えますか?)
🔷個別キャラクター関連
◆ 片寄ゆらはなんでカミキに殺されたの?
「ああ、価値ある君の命を奪ってしまった僕の命に、重みを感じる」とカミキ自身が明確に言っているように、才能ある若い人間を何の意味も無く殺す、そのこと自体に喜びを覚える──という彼の純粋殺人嗜癖の為。
(なお、「アイを上回ってしまうような才能を殺す」というのは飽くまでニノの動機であって [16巻158話111頁、同159話125頁]、カミキにとってはせいぜい後付けの理由に過ぎなかった。第6章参照[↩︎])

「カミキ」とは一体どういう存在なのかを端的に示す挿話で、これを46話後の155話「ハッピーエンド」までちゃんと覚えていた読者は、「いや、こんな奴が本当に改心してこのままハッピーエンドになる訳が無い」と当然察しが付くようになっている。
尤も片寄ゆらからして物語上完全に独立したキャラクターなので(そりゃそうだ、出て来て12頁後には何か知らんが殺されたんだから)、連載時などにはまあほぼ全読者に忘れ去られていたろう。哀れ。
◆ じゃあ、アクアとあかねはなんで片寄ゆらがカミキの被害者だと知ってるの?(16巻155話60頁)
あかねの調査力。あかねを舐めるな。
(つまり、「人気絶頂の女優が目撃者無く事故死したこと」と「生前の彼女とカミキに交流があったらしいこと」の二つだけで名探偵アカネには十分だったはずである。ただ直接証拠があった訳でもないので、告発まではしようが無かった)

片寄ゆらの事件もちゃんと載っている [C]。
これはアクア没後のものだが、
以前から同じようなものを作っていた。
…まあ、あかねではなく警察の捜査ボード
なのかもしれんが、もうどっちでもええ)
◆ なんでツクヨミはゴロー殺害時のニノを「中学生位の男の子」と呼んでんの?(8巻79話163頁)
最近だと推しの子でニノが実は病院に来てたの判明してえっアレニノだったの!!?と読み返したら明確に男2人だった台詞があってマジでアカ先生ほんとに推しの子読んでます!!?になったの、凄かったですからね(よりによって上位存在の台詞矛盾したらもう信頼できる語り手いないんよ) pic.twitter.com/k85rj9VdJG
— MEX (@BQ36kkkk) October 15, 2024
下のようにニノが帽子被ってたんで、目撃者の看護婦には男子中学生に見えた。
ツクヨミはただその証言を中立的に引用してるだけで、間違えてる訳でも矛盾してる訳でもない₍₅₎。

なお、「中学生位の男の子」とはカミキのことで、ルビーを復讐へとけしかける為にツクヨミが故意に嘘を吐いたのだとする説[↩︎]には従えない。
他では一貫して真実しか言ってないツクヨミが、ここでだけそんな却って話がこんぐらがるような嘘を吐く理由など無かろう。
◆ 中堅篇のコスプレイヤー兼Vチューバー吉住未実って何だったの?
彼女がB小町に入った場合、毒舌キャラが有馬と被るということによって有馬にアイドル引退を意識させ、次なるスキャンダル篇への導入を作るだけで専らその役目を終えているので(10巻99話156-60頁)、それ以上活躍させる理由は無し。お疲れ様でした。
つまりは吉住兄や漆原Dと同様このエピソード限定のサブキャラに過ぎぬのであって、もちろん出番が少ないからと言って物語上の欠陥などにはならない。
◆ じゃあ、12巻119話にもなって今更さりなの母親(天童寺まりな)出したのに、ルビーと全然絡ませなかったのはなんで?
絡んでますよ13巻121話で(遠目でだが)。
で、予めこの母親とアクアを引き合わせた上で彼に
「ああ[…]こんな親が居るのか。さりなちゃん、君は地獄に生きていたんだね」
──と思わせておき、その後さりなのことを忘れて至極幸福そうに生きる母親を目撃してルビーが絶望、これをアクアが宥めようとして、喧嘩中だから拒絶されてぶつかり合って、なんだかんだアウフヘーベンして「アクア💢→せんせ❤️」のカミングアウトと和解に至る(122話)──という一連の展開の契機を作るだけでこの母親の役目は終了です。
もう使う意味無し。お疲れ様でした。
第一アクアが、ルビーとさりなの母親がもう会うことの無いように裏から手を打ってるから(13巻124話67頁)、以後一切登場しない理由は丁寧に説明されてます。
……というか上のVチューバーもそうですけど、誰か名前付きの新キャラが出て来たのに特に見せ場の無いまま退場すると、鬼の首を取ったように「シナリオ上の欠陥だ! 伏線放置だ!」とかぎゃーぎゃー喚くの止めて貰っていいですか?
初登場して名乗ってから「誰です⁉︎」「誰⁉︎」「誰だよコイツ」と罵られる以上の活躍ほぼせずに、そのまま24頁後には問答無用で首刎ねられた中村を見てやれよ。

(藤本タツキ 2020『チェンソーマン』集英社、7巻59話145頁)
◆ 壱護社長はニノとリョースケの交際を知ってたのに(16巻159話122頁)、リョースケがアイを刺した後なんでそれを警察に言わなかったの?
ニノが噛んでたっぽいことはもちろん社長も察していた。
が、となると今まで自分がやって来たことは究極的には全部アイの死の為だったとも看做せるから、かつての自信を完全に消失し、何をするにもその結果が恐ろしくなった社長は鬱って何をする気も無くなった。
(いつも釣りしてたのは、その間何もしなくていいから。なんなら餌も付けずに針だけ垂らしてたんじゃないかね。釣り堀なのに掛かってる描写が一度として無い)
だから、「アイの復讐をする」とか口では言っていたが、もちろんそんな気力も実行力も無かった。

ここで社長が呑んでるのは持ち込みボトルの森伊蔵)
また、今更ニノを告発した所でアイは帰らないし、そもそもニノによる殺人教唆を立証できる可能性は小さい。
(アクアvs.カミキ戦にしてもそうだがこの点、「正直に警察に言えば全部解決したはずだ!」とかいう能天気ミステリ無教養性善説キッズが多過ぎる)
更に、仮にやはりニノがリョースケを唆したのだとしても、ニノは飽くまでもアイ一人に対する私怨から突発的・例外的にそうした(──としか、カミキの存在を知らない社長には思えなかった)んだから、放っておいても罪を重ねることは別に無いはずだったし、ましてや15年後に今度はルビーを襲いに来るなどと予測できるはずも無かった。
何より、アイ同様に自らの手で育て上げたようなニノに自らの手で復讐しようなど、到底考えようもなかったのである。

だから、「敢えて今更言っても誰も得はしない、いずれにせよアイは帰らない」と考えて黙っていた──というか、わざわざ警察に言う理由が見付からなかった。
あかねが言うように「死人の墓を暴くものじゃない」(10巻87話116頁)と考えたのだろう。
なお、世のアンチによる「壱護クズ説」(ひでぇ)では、「単純に保身の為に黙ってたんだ」とか散々に言われている。
まあ確かにそういう要素は否めないものの、自分自身の保身を図ったというよりは苺プロ、もといミヤコ新社長とアクア・ルビーを守ろうとしたという方が正しいだろう。

つまり、アイがファンに殺されたというだけなら苺プロもただの被害者で済むが、それが実はプロダクション内部での怨恨殺人だったとなれば当然管理問題になり、ただでさえ弱小な苺プロの評判は失墜、ミヤコらもたちまち路頭に迷う公算が大きい。
その時点ですでに失踪しフーテンと化していた壱護にはもはや失うものなど無かったが、ミヤコやアクアやルビーは違う。
自分の憂さを晴らす為だけにわざわざ告発なんかしたとして、もしニノが検挙されれば苺プロが破滅、また検挙されなくても事情聴取だなんだで事情を察したニノが逆上して、それこそミヤコやアクアやルビーを襲いに来ることすら危惧された。
(敢えて怒らせてしまった場合、そういうことをやり兼ねない女だとは壱護自身がよく知っていた)
壱護も一応は頭の切れる男だから、多分最低でもこれぐらいのことは(釣りしながら?)万事考え尽くしていて、だからこそ全てを心中に秘め、その痛みに耐えながら、ただ黙っているしかなかったのではないか。
語り得ぬことについては、沈黙せねばならない。
つまり彼は、ただ「家族」を守りたかったのである。

──しかし、これでも彼は「クズ」ですかね?
◆ なんでアクアは、好きでもないあかねに宮崎旅行で2度目のキスをしたの?(8巻78話150頁、2期24話[↩︎]) クズなの? スケコマシ三太夫なの?

クズではない。スケコマシでもありません。
アクアは自分があかねを特に異性としては見ていないと自覚していたし(4巻31話15-6頁、1期8話)、あかねがアクアに対して抱いているのが正確には恋愛感情じゃないことにもまた、下のように気付いていた。

またあかねの方でも、アクアが本当に好きなのは有馬だけだと気付いていたし(9巻87話117-8頁)、自分がアクアに対して抱いているのが正確には恋愛感情じゃないともやはり自覚していた。


以上の事情を暗黙の内にお互い知り尽くし、また理解し尽くした上で、宮崎旅行での謂わば「けじめ」としてのキスから20話後の中堅篇での離別(10巻98話144頁)に至るまで、完全な暗黙の相互承認に基づいて継続された一種の「契約恋愛」こそ、二人の関係だった訳です₍₆₎。
(横槍メンゴ『クズの本懐』[↩︎]における麦と花火の契約恋愛と比較せよ)
アクアがわざわざこんな面倒なことをしていた理由は、自分自身には「あかねを復讐に利用する為」とか露悪的・自己暗示的に繰り返し言い聞かせているが(3巻30話185頁など)、
究極的には最愛の有馬から距離を置く正当な理由を作り、自分とのスキャンダルから──即ち「アイのような運命」から、現役偶像たる彼女を守る為(9巻83話54-7頁)。


であるから、そういう自分の目的の為にあかねの青春の一分一秒を奪っているという罪悪感はもちろんあった。
だが前述の通り、あかねが自分に寄せる感情が「恋愛感情」と言うよりは「母性愛」であることにも彼は気付いていたので、二人の関係が明らかに共依存的なものと化して行く中で、「私はアクア君の全てを受け容れるよ」というあかねの全肯定的な庇護欲に少しずつ絆されながら、その罪悪感は薄れて行った(第6章参照[↩︎])。

──が、いよいよ『15年の嘘』の制作を開始し、カミキへの復讐を実行に移し始めるに及んで、「これ以上はあかねを巻き込めない、破滅するのは自分だけでいい」との判断から、彼は一方的にあかねを振った(10巻98話)。
あかねは以上のようなアクアの複雑極まる心理をほぼ完全に見抜いていたので、もはや自分には絶対に彼を止め得ないことをもまた、直ちに理解した。
その果てしない無力感が彼女に涙を流させ、ただ一言、ごく必要最小限に、「私は君を "救えなかった" んだ」とだけ言わせたのだ。
これが「私は君を "救えない" んだ」という未来形でなく、過去完了形で述べられているのはそういう意味であった。
あかねの精緻な頭脳はこの時、確定した未来を全て見通してしまったのである。

(10巻98話148頁)
よって、
「あかねはこれだけアクアの事情知ってて、なんでアクアが死ぬの止めなかったんだよ無能かよ」
──といったお馴染みのバカキッズ批評[↩︎]などは、無論完全なる誤りである。
あかねは、「何をしてでも復讐をやり遂げ、かつルビーと有馬を守る」というアクアの意志を、自分が今更何をしようとも決して曲げられないことを正確に悟っていた(15巻148話122-5頁)。
だからこそアクアからの離別の申し出を素直に受け入れたのであり、アクアの死後にはルビーでも有馬でもなくただ彼女だけが、客観的・即物的な独白者・狂言回しの役を担い得たのである(第6章参照[↩︎])。
かくて、あの結末においてあかねは──いやただあかね独りだけが、鋼鉄の冷静さを貫き、決して自分自身の涙を読者に見せること無く、語り部としての職責を静かに全うした。
彼女の涙は夙うに枯れていたのだ。


◆ ……じゃあ、そこまでアクアに想われていた重曹ちゃんの願い、「アンタの推しの子になってやる」(4巻38話148頁、1期11話[↩︎])は結局叶えられたの?


──叶いませんでした。
ゴロー=アクアの単推し対象は、一貫してさりな=ルビーだったので。
(「言っただろ。俺は君を推すって」[13巻123話49頁])
しかし上述の通り、彼が異性として想いを寄せていたのもまた一貫して有馬ただ一人です₍₇₎。
(「好き」≠「推し」なのが厄介なところ)


アクアは最終的にその両者を天秤に掛けて、ルビーを守ることを最優先に選び、結果として有馬の引退ライブには行かなかった。
つまり有馬は「選ばれなかった」のだ──というのも一つの解釈でしょう。

──が、もしあの場で彼がカミキを抹殺していなければ、アイドルのルビーのみならず女優である有馬やあかねにしても、片寄ゆら同様に奪うべき「価値ある命」(11巻109話172頁)として遠からず狙われていたはずである。
(カミキはそもそも「改心」だの「更生」だのという概念と無縁だから₍₈₎。第6章参照[↩︎])
よって、もちろん第一にはルビーを守る為に死んだにせよ、しかし実質的には有馬やあかねやMEMちょやミヤコさんや姫川や……、
つまりは彼が最期の時に思い浮かべた、本当は一緒に生きたかった人々(あかねの言う「君が愛して守ろうとした、君が守ろうとした皆」₍₉₎)の為に死んだのだ──と解する方こそ、あの時の彼の心情には近かろうと筆者は思う。
であればこそ、あの最期の安らかな微笑みがあったはずなのだ(前章[↩︎]・第7章[↩︎]参照)。
以上により、「有馬は選ばれなかったのだ」という解釈は全く一面的でしょう。
死を前にして「俺には夢がある」と言ったアクアが、まず思い浮かべた人物は他ならぬ彼女だったのだから。

(16巻161話162頁。「外科医」がそれより前なのは、
単にカテゴリーが違うから最初に持って来ただけ)
また「うたがきこえる そんな気がした」のカット(前章参照[↩︎])で、文字通りの天上世界からアクアへと歌を送り掛けて来る有馬・ルビー・MEMちょ(構図が三美神っぽい)の内、有馬だけが口を閉じているのも非常に暗示的です。

もちろんたまたまこのコマの瞬間には歌ってなかっただけなんでしょうが、何だろう、
「だって、この私が一々歌うまでも無いでしょう? どこ行ってんのよもう、早く帰って来て "答え" を聞かせなさい、バーカ……」
──といった、アクアへの深い深い信頼が滲み出ている…ように見える。
このシーンは第一には実際に歌っている三人の客観的描写なのだが、また一方では、海上より微かに聞こえる(ような気がした)歌声から死にゆくアクアが再構成した、彼自身の心象世界であるとも言える。
その意味では、ここに表れた有馬からアクアへの信頼の程度は、そのままアクアから有馬への信頼の程度を表すと解してもよかろう。
この「信頼」は、ルビーへの「推し」──つまり、その人の為には文字通り全てを無条件に捧げられるという思いとは、やはり異質なものだ。
(アクアはルビーを全く「信頼」していなかったと思う。だからこそ守ってやらなきゃならんかった訳で)
故に、有馬がなりたいと望んだアクアの「推しの子」とは事実上、この「最も信頼される人」のことだったのだ、彼はその人のことを思いながらああして安らかな表情で死んで行った、だから最後の最後に彼女の願いは聞き届けられたのだ──という解釈もまた可能なんではなかろうか。
いずれにせよ最も切ねえのは、当の有馬がそれを知ることは永久に無いという事実なんですがね……くぁぁぁーーっっ……

◆ …なんか自分の世界に入ってらっしゃるとこ悪いんだけど、アクアがあんなにわかりやすい好意表明してたのに、重曹ちゃんはその本心に気付いてなかったというの? アホの子なの?
失礼ながら、あなたには「有馬かな」という存在がまだわかっていない。
何しろ彼女はね、自他共に認める死ぬほど捻くれた究極に面倒くさい女ですよ。この称号は伊達ではない。
例えば例のシュラスコデート(8巻73話、2期22話[↩︎])では、終始エスコートされてる側なのに、なんかもう生まれて初めて女子をデートに誘った男子高校生みたいに鯱張り上気せ上がっておりましたが、
あれなんか重曹アンチの目にはもうただ軽薄で騒がしいだけの、神聖かまってちゃん帝国皇女殿下の超甘口 ブリッコニアンソース仕立て勘違いアホ女風味~ゆるふわファーベレーを添えて~としか見えまいな。そうだろう?

……が、違うのだ。
彼女はもうただ単純に、「ああ、この私があのアクアと、こんなにスマートにエスコートされながら、こんなに大人っぽいデートを楽しんでいる…」という事実それ自体が、まあ嬉しゅうて嬉しゅうて仕方が無い──それだけなのである。
初心なんである。女の子なのである。

第一おかしいだろう、カフェの会計男に払われただけであんな舞い上がっちゃってさ。
芸歴=年齢じゃなかったのかよ。
やはりジンジャーエールで酔える女は格が違うのだ。

(7巻67話122頁、2期20話)
あんだけ薄汚ねえ芸能界で散々苦労して来ながら、「周りの役者は全員敵みたいな目」なんぞして孤高に孤独に生きて来おったもんだから(14巻135話83頁)、一体何の因果やら、未だまるで俗世の汚れというものを知らんのである。
(であればこそ、スキャンダル篇があれほどまで全世界の✞ヴァージンキッズ✞どもを発狂させてしまった訳であった。第1章参照[↩︎])
だから「このテンションだとお持ち帰られちゃぅ……///」(8巻73話58頁、2期22話[↩︎])とかね、これ精一杯の背伸びして言ってんですよ。
何ならいざお持ち帰られたとして、一体何すりゃいいのかなんぞ実は(この時点では)余りようわかっとらんかった可能性まであるぞ?
(とすれば、あの異様な慌てっぷりもまた意味合いが変わってくる)

まあそんなザマなんで、アクアの様子を冷静に観察するとか、このデートが社会通念上どれだけの意味を持つか客観的に評価するなんて芸当は皆目出来ておりません。
どうせ帰宅後は寝るまで延々脳内反省会でしょう。


「勘違いしてあんなに舞い上がっちゃった、どうしようどうしよう、やっぱりスレてるなとか思われてたらどうしよう…もう…もう…あ゛あ゛ぁ゛ぁぁぁぁ///」
──とかね、知らんけど。
今さら何が「スレてると思われてたら」だアホかって話ですが、but this is Juso.
んでまあ、翌朝にはもう脳内麻薬ドバドバの離脱症状で鬱状態でしょう。

「……やっぱりコーヒー代1432円くらいは、後で払った方がよかったわよねー… 遅れた私が悪いんだし、夕食代もタクシー代も向こう持ちだったんだし… 金のかかる女って思われちゃったかしらねー… でも、日を変えて改めて払うなんてなんか当て付けがましいし、お返しに今度はこっちが食事に誘って相殺するってのも、すぐにまたじゃおかしいわー… 変な誤解されても迷惑だし… 何かプレゼントでもあげようかしらー… でも改まって何かあげて、妙な勘違いされても困るのよねー… あっ、1432円分のア[🐤]ギフ券とか匿名で送り付けたら、私だって察した上で黙っててくれるんじゃないかしらー… でも1432円って覚えてるの、絶対私だけなのよねー……(略)」
──どうですか、死ぬほど捻くれた究極に面倒くさい女でしょう。だから伊達じゃないんだよ。
後に「有馬は俺にとって特別だ」₍₁₀₎とか真顔&ガチトーンでアクアに告げられてもまだ、脳内反省会で「ほんとは私の事好きなの??///」って疑問形ですから(12巻117話130-2頁)。わかれよ。

──とまあ、これで重曹という存在の何たるかを少しはご理解頂けましたかね?
…って、誰もいない……
🔷おわりに
──さて、或いは拍子抜けされたかもしれない。
前章と本章を見ての通り、これまでアンチキッズや批評家気取りのアホどもによって指摘されているざっと30余りの問題点は、いずれも「矛盾」でも「未回収伏線」でもなんでもない、
サルでも考えればわかるような説明不要の道理か、それとも敢えて説明されず読者の想像に委ねられた「余白」に過ぎぬのだ。
常識レベルの文化的リテラシーを備えた者は普通、寧ろこういった余白が多いほど、読了後・視聴後もなお噛めば噛むほど味の出るスルメの如く嬉しいものである(エヴァ旧劇などが典型)。
…がしかし、キッズどもは一から十まで幼稚園児並みの言葉で説明して貰えなければ忽ち「伏線未回収だ!風呂敷を畳んでない!駄作だ!」などと発狂し始め、
これが気付くと「【推しの子】は矛盾・未回収伏線だらけ」という印象・レッテル・固定観念として完全に定着している訳であった。
たまげたなぁ…
故に、第3-5章を総じての結論。
【推しの子】のシナリオに有意な矛盾点・未回収伏線は存在しない。
──第6章へ続く──
(付記:これで代表的な雑魚批判は大体駆逐したかと思いますが、他の点をコメントで挙げて頂ければそれについて追記しますので、お気軽にどうぞ)
◇ 註(Notes)
(1)カラスは残飯や死骸を求め人里を指して飛ぶので、山で迷ったらこれを追えばよかった(南方熊楠 1971「本邦における動物崇拝」「牛王の名義と烏の俗信」『南方熊楠全集』2巻、平凡社、84頁・188頁)。
なおヤタガラスが三本足だと最初にわかるのは、日本神話の原典である8世紀の『古事記』や『日本書紀』でなく、『和名抄』という10世紀の史料。
(2)まあ信じられんでしょうが、アクアのあの断末魔の表情とか平気で「変顔w」とか言うからね、こいつら。桿体細胞腐ってんじゃねぇのか? きっと『乙嫁語り』も『BLUE GIANT』も『孤高の人』も『バガボンド』も『AKIRA』も『ベルセルク』も『風の谷のナウシカ』も平気でスマホですいすい飛ばし読んで、「うーん、意味不明。駄作w」とか抜かすんだろうよ。
…ってか、もうこの際だから全世界を敵に回す勢いで言いたいんですが、紙面想定作画の漫画をスマホで読めるって一体どういう神経なんでしょうね? シンプルに大変興味があります。筆者ならもう、一頁めくるごとに漫画家さんに申し訳無くなってもうて、読めたもんではありませんわ。「暴論だ❗️」「人それぞれの自由だろ❗️」「傷付いた‼️」などというコンテンツ消費豚キッズどもには、『浦沢直樹の漫勉』(NHK Eテレ)全回を正座でご鑑賞願いたいものです。
(3)最近絶賛連載中の夏木バジル氏note[↩︎]によれば、
「狼狽えもせず、なすがままに刺されている様子といい、まるでアイは自分の死を予知していたかのようだ。[…]それにしてもナイフで刺されているのだから、痛みと恐怖で悲鳴をあげてもよさそうなものだ」
──だそうですが、失礼、いつもながら意味不明です。
「玄関の扉開けたらいきなり花束に隠したサバイバルナイフでぶっ刺され、腹部大動脈を切断されて大量出血する」という経験を一度されてから同じことをおっしゃっては?
(4)現代文芸における記号的なタイトルの例としては、ロベルト・ボラーニョの『2666』[↩︎]などがわかりやすかろう。やたら長い小説だが(邦訳で2段組850頁ぐらい)、最後まで読んでも結局「2666」とは何なのか直接的には全くわからない。しかし「666」はもちろん悪魔の数字だし、かつ明らかにジョージ・オーウェルの『1984』へのオマージュだから……などとぼんやり考えながらいつ読み終わるとも知れず読み進めて行くと、それまで無意味で記号的だったはずのこのタイトルに何と無く不穏なイメージが纏わり付いて来る……という訳である。
トマス・ピンチョンの『V.』[↩︎]というタイトルにも似た効果がある。夏目漱石にもこの種の例が多い。(『門』とか『道草』とか。まあ漱石自身がタイトルに極めて無関心だっただけってのもあるが)
(5)但しアニメ2期24話(9:43-49)[↩︎]では、この「中学生位の男の子」が帽子無し&カミキっぽい髪色で明確に描かれている。これも目撃者の主観を忠実に表現しただけの接続法的描写なのかもしれないが、或いはアニメ4期では、ニノがこのとき高千穂にいた設定は消える可能性もある(特にいる必要も無かったし)。が、仮にそうなったとしても原作のシナリオ自体に矛盾は無い。
(6)なお、9-10巻を通しての二人の遣り取り(特に9巻87話)やアクア自身の主義・思想から考えて、一種の「けじめ」として断行した二度のキスと、あと腕組んだり頭撫でたり(9巻87話119頁)くらいのスキンシップを除けば、まあ多分ペッティングすらしてなかったんじゃないですか。知らんけど(第6章参照[↩︎])。
この点、あかねが特に有馬に対して「私、アクア君のことならもう何でも知ってるよ?」的な強烈匂わせ元カノマウントをかまし続けている為(15巻87話143-5頁)、「あかねとアクアは完全に出来ていた、行く所までしっかり行っていた」というあかね推し✞ヴァージンキッズ✞たちによる熱烈な誤読を誘っている。
しかしもちろん、「あかねとアクアはどこまで行ったのか?」という点が作中にて飽くまでボカされているのは、そのまま「あかねはアクアをどう思っていたのか?」と「アクアはあかねをどう思っていたのか?」という二点をも飽くまでボカし通さんが為の、作者による周到なる方策であった(これも第6章参照[↩︎])。
…まあ、とは言え筆者としては、仮に二人が行く所まで行ってたとしても、シナリオ上の矛盾自体は特に生じないと思う(だから二次創作の設定としては十分許容される)。ただ作品全体の文脈上、「アクア(=ゴロー)はそれを許容しないし、あかねもまた(アクアを「この世」に引き留めるという至上目的があってなお)それを強いて求めないはずだ」──と勝手に思ってるだけ(やっぱり第6章参照[↩︎])。
(7)アイ/あかねに惚れ掛けてから(3巻29話、1期8話[↩︎])、有馬とのキャッチボールを通じてそれが錯覚だと気付かされるまで(同30話、アニメ同話[↩︎])の短期間のみ除く。
(8)「これで僕は社会的に抹殺されるだろう」(16巻153話15頁)という如何にも「観念しました」風の言葉にしても、ただアクアの気勢を削ぐ為のハッタリで、本心ではバリバリ逃げおおせて、また殺し続けるつもりだった。ただアクア(とあかね)だけがこうしたカミキの本質を見抜いていたのであって、「カミキヒカル、お前は自分の為だけに嘘を重ねてきた醜悪な嘘つきだ」(16巻159話133頁)という彼の言葉はその謂である。
こうしたカミキのクソ白々しい態度をまんま素直に受け取って、「もう観念してたんだから殺すまでもなかっただろう」とか能天気な寝言を言ってやがる筋金入りのピュアピュアお花畑キッズが余りに多い。あのエンディングに対する壊滅的な無理解を齎している主因の一つである(第6章参照[↩︎])。
(9)15巻148話124頁。なお、「この作品は『人間讃歌』(?)を目指そうとして失敗した駄作である」などという意味不明なアンチ批評(海燕氏note)[↩︎]があるが、この馬鹿の言う「人間讃歌」がそもそも何を指すのかは皆目知らんけれども、上のような思考と判断の下に決然として死んで行ったアクアの死に様がもし「人間讃歌」でないのだとすれば、一体何が「人間讃歌」になると言うんでしょうねえ。
(この偽善的ヒューマニズムの臭味に満ちた言葉がそもそも筆者は大嫌いなのだが)
つまりは誰一人死なない、または全てに納得して安らかに死んで行く──そんなみんな幸せハッピーエンドこそ「人間讃歌」なんですかねぇ。
なお、筆者はこのnote(♡79…?)の有料部分(¥500)など読んでないし、読む気も一切無い。無料部分だけで執筆者の頭の悪さは十二分に知れている。だってね、みなさん例えば次の文章は一体何おっしゃってんのかお分かりになります?
「アクアは自分ひとりで考え、自分ひとりで決定し、『もうひとりの自分自身』と相打ちになって死んでしまった、ということになります。つまり、アクアの心はナルシシスティックに『閉じている』わけです」
──ははあ、なるほど! じゃあカミキ殺害は実質アクアの勝手な自殺だったんだ! はは、主人公の癖になんたらハタ迷惑な奴っちゃのう! めでたしめでたし……って、は? ──とまあ、無料部分だけでこんなツッコミ所しか無い。もうお腹いっぱいである。
(10)このアクアのセリフが彼流の意識的な自己暗示であり、一周回った本心だったことは第7章参照[↩︎]。
(サムネイル:アニメ2期24話9:14のツクヨミに加工)
