『【推しの子】』の愛と嘘#16 〜愛と嘘〜
【ネタバレ厳重注意】
※原作漫画全16巻読了されていることを前提にしています。
❺愛と嘘
★世界は嘘でできている
「この物語はフィクションである。ーーというかこの世の大抵はフィクションである」
【推しの子】はこんなモノローグから始まる。

歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリによれば、私たちホモ・サピエンスが他の人類を滅ぼし、現在の繁栄を勝ち取ることができたのは「認知革命」の成果ということになるらしい。
「認知革命」によって虚構ーーつまり存在しないものを信じることができるようになったことで、私たちの祖先はより高度なコミュニケーションが可能になり、大規模な集団として協力することができるようになったというのだ。
「部族」「守護霊」といった概念から始まり、人類はこれまで数えきれないほどの虚構を作り出してきた。
今の私たちの社会は、その進化系と思われる「虚構」で溢れている。
「国家」「宗教」「法律」「貨幣」「会社」ーー。
これらの「嘘」なくして今の私たちに社会生活を営むことは可能だろうか?
もはや不可能だ。
だとするなら、私たちは「嘘」に足を向けては寝られまい。
なぜなら今こうして便利で快適な生活を送れているのは、ひとえに「嘘」のお陰なのだから。
この作品の舞台になっている芸能界やエンターテインメントの世界に、虚構や演出という名の嘘はつきものだ。
エンタメの目的は、人々を楽しませたり感動や気づきを与えることであって、事実の伝達ではない。
しかし、一体どれだけの人がそれをしっかり理解した上で楽しんでいるだろうか。
あるいは報道にしても、メディアからもたらされる情報が嘘かもしれない、一面的な情報かもしれないということを、どれだけの人が理解して受け取っているだろうか。
エンタメと報道が明確に分別されていないという問題もあって、これについてはメディア側の責任も大きい。
私たちの日常はどうだろうか。
毎日、会社で自分が思っていることとは違うことを言い、SNSではもりもりに加工した写真を上げ、飲み会の誘いを「親の体調が悪くて」と断っていないだろうか。
「私は一切嘘をつきません」という人がいたら、その人こそが一番の嘘つきといっていいだろう。
アイだけではない。私たちはみんな嘘つきなのだ。

嘘をつくのが人間だけとは限らないが、極めて人間的な行為であるのは確かだ。
しかしもちろん、世の中には許されない嘘もある。
詐欺などの犯罪は許されることではない。
許される嘘と許されない嘘の境目は、一体どこにあるのか。
★瞳の星
本考察ではさまざまなトピックを取り上げてきたが、瞳の星の色の謎を解くのも実は一つ重要な課題だった。


私の仮説は、「自分のことだけを考えているときは星の色が黒くなり、自分以外の人のことを考えているときは星の色が白くなる」のではないか、というものだ。
例えば、アイが神木を傷つけずに別れようとしていたとき。
あるいはステージ上でファンに向けてパフォーマンスするとき。
そういうときのアイの瞳には、白い星が輝いている。
これは自分以外の誰かーー神木やファンのことを考えて嘘をついているからだ。
「いつもの嘘で塗り固めたお前なら撮らない」と突き放す五反田に「本物の私を撮ってください」と答えたときのアイの瞳には、黒い星が宿っていた。
このときのアイは、五反田の言葉によって自分の内面に意識が向き、自分のことだけを考えている状態だったはずだ。
ところが、この基準がアイだけでなくアクアやルビーの瞳の星すべてに適用されているかというと、これについては最後まで確信を持つことができず、残念ながら考察として論じるには至らなかった。
しかし、自分ではない誰か他の人のために誰も傷つけない嘘をつくときは、瞳の星は白く光り、自分の都合だけを考えて嘘をつくときは、瞳の星が黒く光る。
そういう世界観だとしたら素敵だと思うのだが、どうだろうか。
人は嘘をつく生き物だ。
ただ、その嘘には2種類ある。
自分のためにつく嘘とーー自分以外の誰かのためにつく嘘。
もし嘘をつくのが人間の宿命であるとするならば、なるべく大切な人のために嘘をつきたいと思う。
そして自分を守るための嘘をついているときは、きっといま瞳の星は黒くなっているのだろうな、と考えることにしよう。
人が自分以外の誰かのために嘘をつくとしたら、きっとそれは愛から生まれるものに違いないのだから。
(❺愛と嘘 終わり)
『【推しの子】の愛と嘘』完結 オマケ考察
MEMちょは母子家庭で、弟2人のいる長女として育った。
母はアイドルになる夢を応援してくれていたが、MEMちょが高校3年の時、無理がたたって病気になり、入院してしまう。
弟2人を大学に行かせるため、MEMちょは高校を休学。
アイドルへの挑戦も棚上げし、母に代わってバイトを掛け持ちして昼となく夜となく働いた。

母が健康を取り戻したのは、MEMちょが23歳のときだった。
約5年もの間、MEMちょは家族のために一人で働いていたことになる。
弟は2人とも無事大学に進学していた。
もうアイドルを目指せる年齢ではなくなっていたMEMちょは、「現役JK(笑)ユーチューバー」として活動し始める。
アイドルとして最も脂が乗り切るはずの大切な時期を家庭の事情で棒に振ったMEMちょは、自分の気持ちはひとまず抑え、自分よりもまず周りの人間のことを優先して考えるようになっていた。
自分は我慢し、あるべき姿に合わせる。そんな行動・思考が染みついてしまっていた。
ユーチューバーとして有名になり始めた頃、業務提携しているプロダクションから恋愛リアリティショーに出てみないかと声がかかった。
YouTubeチャンネルをさらに伸ばすチャンスだ。
いや、それどころかもっと有名になれるかもしれない。
そう思ったMEMちょは、出演を二つ返事で引き受ける。
恋リア『今からガチ恋♡始めます』の収録が始まると、MEMちょは共演者の一人である高校生の役者に一目惚れした。
自分でもなぜだか分からなかった。
年齢はサバを読んだまま18歳で通していたが、実際にはもう25歳だった。
共演者が子供っぽく見えて本気にはなれないだろうな、収録開始前にはそう思って、どうカモフラージュするかばかり考えていたのだ。

MEMちょは知る由もないが、アクアの中身はアラサー医師だ。
若者らしさを装ってはいるものの、大人の落ち着きは滲み出ていたのだろう。
しかもルックスはMEMちょが憧れていたアイの血を受け継いでいる。
惹かれる要素は、実は揃っていた。
しかし、MEMちょがアクアに積極的にアプローチすることはなかった。
それはユーチューバーとしてのブランディングを意識してのことだったのだろうか、それとも自分のことを棚上げして、周りのことをまず第一に考える性格からだったのだろうか。
自分の気持ちを抑えることにかけては、MEMちょの仕事は完璧だった。
彼女の恋心には、誰ひとりとして気づかない。
MEMちょ自身、歳の離れた自分は引き立て役に徹するべきだと思っていた。
そして、しばらく我慢していればそのうち諦めもつくだろうと踏んでいた。
ちょうどアイドルを諦めた時のようにーー。
ところが番組終了後、あろうことかそのアクアが、MEMちょを新生B小町に勧誘してきた。
一度は諦めた夢。
そのアイドルになるチャンスが当のアクアからもたらされたのである。
幸運の女神には前髪しかないという。
ーーこんなチャンスはもう来ない、私は夢を実現するんだ!
MEMちょは長いこと無縁だった胸の高鳴りを感じていた。
ただ、そこにアクアのそばにいられるかもしれないという気持ちがなかったかといえば嘘になる。
責任感が強く、妹想いのアクアにMEMちょはどんどん惹かれていった。
MEMちょ自身、責任感が強く、弟のために自分の青春を潰した過去がある。
しかしアクアが自分に興味を持っていないことはわかっていた。
MEMちょは、そっと見守り陰から応援する立場を貫く。
難しいことではなかった。
自分の感情を押し殺し、隠し通すのは、オハコ中のオハコ。
それは、18の時からずっとやってきたことだった。
そうしないと、母や弟が心配してしまうから。
自分は好きで働いている、母や弟にそう思わせないといけなかった。
MEMちょは自分の心を偽り、完全に擬態して、引き立て役を演じ続けた。
時々、自分の気持ちを忘れてしまうことがある。
周りを欺くためには、まず自分から騙さなければならない。
「あるべき自分」になりきり過ぎて、本当の自分を忘れてしまうのだ。
ある日、たまたま夜遅い時間にアクアを家に上げることになった。
そのとき話の成り行きで、アクアが急に覆い被さろうとしてきたのである。

不測の事態に、MEMちょは改めて自分の気持ちを確認することになった。
正直いって、何をされても怖くなかった。
このままどうにかなって欲しいとさえ思った。
たとえ一夜限りの出来事でもいい。
アクたんに、この愛を伝えられるのならーー。
もちろん、そうはならなかった。
アクたんは、かなちゃんのことが好き。
それなら、私はそれを応援する。
MEMちょは大人で、そしてアクアのメンタルまでは理解できていなかった。
クリスマスに行われたB小町ライブツアー最終公演が無事終了し、みんながその余韻に浸っていたとき、テレビから流れてきたのはアクアの死を伝えるニュースだった。
ーー世界が終わる音がした。
信じられなかった。
信じたくなかった。
それでも、MEMちょは自分の役割をわきまえていた。
私はどんなときでも前に出てはいけない。
主役は私じゃないのだから。
ああ。大声で泣き叫んだり、思いの丈を吐き出せたらどんなにいいだろう。
かなちゃんはアクたんの遺体の前で「まだ言ってないのに、アンタにちゃんと好きだって!」と泣き叫んでいた。
私も同じだ、と思った。
ーー私はアクたんに何をしてあげられたのだろう。
そして私は何のためにここまできたのだろう。
本当のことをいえば、あの時、もうアイドルになる情熱なんてほとんどなかった。
ユーチューバーとして成功した自分に満足していた。
昔の夢は夢のままでいい、そう思っていたはずだった。
それがなぜB小町に入ったのかといえばーー。
アクたんに頼まれたからだ。
自分でも不思議なくらい落ち込んだ。
何もやる気が起きなかった。
「MEMちょの部屋」の登録者数100万人突破の記念として約束していた企画も放置したまま、ただ時間だけが過ぎていった。
心配する声が多かったので、チャンネルは休止宣言をした。
でもそれが余計にみんなを心配させたのかもしれない。
どうやら私は思考能力を失っていたらしい。
それがわかったのは、かなちゃんが家に押しかけてきてくれたからだった。

アイドルを続けるモチベーションはもうなかった。
社長はルビーの意思を尊重し、B小町を継続するという。
考えた末、私はプロデューサーとしてB小町をバックアップする側に回らせてもらうことにした。
ある意味それまでも似たようなことはしていたし、何よりB小町から離れる決断はどうしてもできなかった。
メンバーではなくなっても、何らかの形でB小町に関わり続けたい。
ーーなぜと言われても、自分の気持ちを説明することは難しい。
でもきっとこういうことなのだろう。
B小町の一員というアイデンティティは、アクたんが私にくれたたった一つのプレゼント。
そう、「アクたんに頼まれたから」

(『【推しの子】』の愛と嘘 完)
★あとがき
最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。
スキしてくださった方、コメントをくださった方、現在トータルで4000以上ものビュー数に達していますが、お読みくださった方、すべてのアクションに支えられて、ここまで書くことができました。
この素晴らしい作品をみなさんが楽しむうえで、いくらか貢献できたとすれば、とても嬉しいです。
【推しの子】については、今後もエッセイのような形で何かしらマイペースで書いていきたいと思っていますので、よかったらそのときはまた読んでやってください。
引用:【推しの子】/赤坂アカ・横槍メンゴ 集英社
参考文献:サピエンス全史/ユヴァル・ノア・ハラリ 柴田裕之:訳 河出文庫
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