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『ルックバック』考察 〜二人はなぜすれ違ったのか〜

※ネタバレ注意


『【推しの子】の愛と嘘』を書く上で参考にするため、映画で内容を知っていた『ルックバック』の原作漫画を読んでみた。
ところが当初書こうと思っていた部分については、思うところがあり書くのをやめることにした。
その代わり、別の部分をどうしても深掘りして書いておきたくなった。
藤野と京本、ふたりの関係性についてだ。
結果的に【推しの子】とは無関係な記事になってしまった。

そんなわけで、今回は『ルックバック』の考察である。


誰もが心の中に、後悔を抱えている。
幼く愚かだった自分の犯した過ちが、胸の奥に棘のように刺さっている。
『ルックバック』は、そんな胸の奥の柔らかい部分を鷲掴みにされるような作品だ。


✒️藤野の挫折


藤野はクラスの人気者。
漫画を描くのが得意で、学年新聞に4コマのギャグ漫画を連載している。
そのため、みんなから「絵が上手い」と言われるようになり、それが藤野のアイデンティティになっていた。
ただ性格上、見栄っ張りな一面があって、友人に4コマ漫画を5分で書いたとカッコつける様子が冒頭で描かれている。

ルックバック ©︎藤本タツキ 集英社


そんな藤野は4年生の時、不登校の京本が学年新聞に初めて載せた4コマを見て、驚愕する。
京本の絵は、小学生から見てまるでプロの絵かと思うような出来だった。
おかげで藤野の漫画への評価は一瞬にして暴落してしまう。
「京本の絵と並ぶと藤野の絵ってフツーだな」
そんな声が耳にこびりついて離れなかった。

ここで注釈を入れておくと、確かに画力という点では京本は藤野の遥か先を行っていた。
ただ、いかんせん京本の4コマにはストーリーがない。
「人間」も描かれていない。
いわばただの風景画でしかなかった。
漫画としては、文句なく藤野の方が上だった。
だが藤野はそうは考えない。
藤野が漫画を書くモチベーションは、みんなの評価だったからだ。
みんなが京本の画力を評価している以上、藤野はどうしても画力で負けたくないと思ってしまうのだった。

その日から、藤野は独学で絵の勉強を始めることになる。
来る日も来る日も、美術書を見ながら絵を描き続けた。
不登校で一日中絵を描いている京本に負けじと、藤野もすべてを犠牲にして絵を描くことに没頭した。
京本の絵に出会うまでの藤野は、クラスのみんなからチヤホヤされることをモチベーションに4コマを描いていた。
しかし今の藤野は、京本に負けない画力を身につけたい、絵が上手くなりたいという純粋な思いだけに突き動かされている。
藤野は、京本の背中を必死で追いかけた

ルックバック ©︎藤本タツキ 集英社


ところが6年生の夏、学年新聞で京本の4コマを見た藤野は、その日からパタリと漫画を描くのをやめてしまう。
2年かけて上達した藤野の努力を嘲笑うかのように、京本の画力にはさらに磨きがかかっていたからだ。
二人の間には、もはや絶望的な差が生まれていた。
しかしその差が理解できたのは、藤野が2年間本気で努力し続けてきたからこそだった


✒️京本との出会い


卒業式の日、藤野は京本に卒業証書を届ける羽目になる。
京本は自分から漫画というアイデンティティを奪った憎き仇だ。
藤野は、京本宅でついつい京本の不登校を揶揄する漫画を描いてしまう。
その紙を藤野がうっかり落とすと、紙はドアと床の隙間を通ってすうーっと部屋の中に吸い込まれていった。
驚いた藤野は慌てて逃げ帰ろうとするが、なんとそこへ紙を見つけた京本が走って追いかけてきた。

ルックバック ©︎藤本タツキ 集英社


京本は藤野の漫画の大ファンだった。
凄まじいレベルの画力を持っているにも関わらず、京本は決してそれを鼻にかけることなく、ちゃんと藤野の漫画の面白さを理解し、尊敬してくれていた。
自分から漫画を奪った当人の大袈裟な先生呼びに、最初はしらけていた藤野だったが、徐々に京本が本当に自分の漫画のファンらしいと分かり始める。

皮肉なことに今まで目の敵にしていた京本こそが、実は藤野の最大の理解者だったのだ。

藤野の才能を疑わない京本は、無邪気に尋ねる。
「どうして4コマ描くのをやめたんですか?」
まさか「いくら努力してもあんたに勝てないから」と答えるわけにもいかず藤野は咄嗟に「漫画の賞に応募するため」と見栄を張るのだった。


✒️藤野キョウ誕生


藤野の新作『メタルパレード』のネームを見せてもらった京本は、その背景描きを手伝うことになる。
藤野が学校に行っているあいだ、藤野が下描きした原稿に京本が背景を描き入れる。そんな分業体制で、二人は作画を進めていった。
結局、ふたりは1年かけて45ページの作品を完成させる。
「藤野キョウ」名義で応募した『メタルパレード』は、みごと準入選。
期待のホープとなった二人は、その後7作もの読み切りを発表していった。

ある日、遂にふたりは担当編集者から、高校を卒業したら連載させるという話をもらう。
喜ぶ藤野の隣で、浮かない顔の京本。

その帰り道、京本は恐るおそる「美大に行きたいから連載は手伝えない」と切り出した。
思わぬ言葉に、内心動揺する藤野。
しかし、藤野は顔色ひとつ変えることなく、アシスタントを雇えばいいから問題ないとここでも見栄を張り、一方で京本の不安を煽ることによって進学の意思を覆そうと試みるのだった。

「藤野ちゃんに頼らないで••••••、一人の力で生きてみたいの••••••」
京本が絞り出した言葉に、思わず声を荒らげる藤野。
ふたりの溝は決定的になってしまう。

ルックバック ©︎藤本タツキ 集英社


藤野には、京本が自分を拒否しているように思えていた。
京本は自分とコンビを組むことが嫌になったのだ、と。

もちろん読んでいる私たちには、そうでないことが分かる。
なぜならその直前に『背景美術の世界』という本に見入る京本の姿が描かれているからだ。
京本は本当に絵が上手くなりたいだけなのだ。
藤野に頼らず一人で生きてみたいというのも、人としてごく健全な感情だ。それより、5年以上コンビを組んできた二人が、今後のことをここで初めて話していること自体、コミュニケーション不足だったように思えてしまう。

そこには二人の特殊な関係性が影を落としていた。


✒️設定


二人のデビュー作『メタルパレード』の選評では、特に背景のクオリティが絶賛されていた。
なかでも林士平氏と思しき審査員は、背景をベタ褒めしている。
藤野はこれをどう感じていただろうか。

ルックバック ©︎藤本タツキ 集英社


二人の関係は、藤野が主導権を握る関係だ。
話を考えるのは藤野で、ネームもすべて藤野が切っている。
京本はそれを第一の読者として読み、下描き・ペン入れされた原稿に背景を描き込んで仕上げていくだけ。
しかし、もし京本が自分の絵に自信を持ち、二人の関係が変わり始めたら、このコンビはどうなるだろう。

自分より遥かに画力の高い京本が自分の漫画を崇拝しているという関係は、藤野の自尊心を十分に満たしてくれていた。
藤野は関係の変化を望まなかった。

今のままの関係をずっと続けたいーー。

そんな心理から、藤野は京本に画力の高さを自覚させることを怠った
そして京本が漫画制作に欠かせない相棒となってからも、ずっと当初の関係を引っ張り続けたのである。
そうやって無理をし続けた結果が、連載決定の帰り道での二人のやり取りにつながったように思えてならない。


ある雪の日の帰り道、
「連載できるようになったら超作画でやりたいよね」
と藤野が将来の夢を語ったことがあった。
京本は自信なさげに、「私、描くの遅いからなあ••••••」と弱音を吐いたが、藤野は意に介さず話を続ける。
それは、京本の画力には何の心配もないことを知っていたからだ。
どちらかといえば、問題は自分のほうだった。
自分の画力を早く京本のレベルに追いつかせて、ムラなく作画を評価される漫画家になりたい、そんな思いが「超作画でやりたいよね」という言葉になったのではなかったか。

しかし次の瞬間、藤野は京本の言葉で我に返る。
「じゃあ私も、もっと絵ウマくなるね! 藤野ちゃんみたいに!」
自分の方が上だという設定を思い出した藤野はハッとし、設定通りのセリフで帳尻を合わせてしまう。

ルックバック ©︎藤本タツキ 集英社


藤野に悪気はない。
藤野は、虚勢を張り続けることに精一杯だった。
絶対にこの関係を失いたくなかったからだ。
しかし、本当はずっと藤野が京本の背中を追い続けていた

京本の両親は作中、登場しない。
母子家庭なのか、あるいは何か特別な事情があるのか。
いずれにしろ、京本の自己肯定感はとても低い。
自分を正当に評価できず、藤野より自分の方が画力が下だと思い込むほど、自己評価が低いのだ。
もしかして京本は、コンビを組んでいる間、自分が藤野に寄生して原稿料をもらい続けているような居心地の悪さを感じていたのだろうか。
肩身の狭い思いをしていたのだろうか。

京本は、藤野がどれだけ自分を必要としているか、知らなかった

もし藤野が京本の画力を褒め、もっと対等に接していれば、京本はどんなに感激し自信を持てたことだろう。
そうすれば藤野と京本の心の距離はもっと近くなり、本音で気持ちを語り合える関係になっていたかもしれない。
そして、藤野が京本の本音をもっと早く把握していれば、二人の将来設計のすり合わせもできていたかもしれない。
美大以外の選択肢や東京の美大を選ぶなどの方法で、お互いに歩み寄ることによって、かろうじてコンビを継続する道もあったかもしれない。
そうすれば、あるいは京本は事件に巻き込まれずにすんだのかもしれない。

もっとも、同じ状況に置かれて、著しく自己肯定感の低い京本とイーブンな関係を構築できる人はそう多くないだろう。
不登校で引きこもりだった京本が外の世界に出て、大学に通えるまでに成長したのは、多分に藤野のおかげだ。
初めは編集者の前で脂汗を流しながら俯くだけだった京本が、高校生の頃にはちゃんと顔を上げて話を聞けるようになっている。
それは、京本を外に連れ出し、少しずつ外の世界に慣れさせてくれた藤野の存在があったからこそだ。
一人で生きてみたいという気持ちになったこと自体、藤野との交流を通じて京本が精神的に成長した証でもある。


✒️何のために描くのか


あるとき、漫画を描きながら藤野が京本に愚痴をこぼした。
「だいたい漫画ってさあ••••••私、描くのはまったく好きじゃないんだよね」
「楽しくないしメンドくさいだけだし、超地味だし」
「一日中絵ずーっと描いてても全然完成しないんだよ?」
「読むだけにしといたほうがいいよね、描くもんじゃないよ」

ルックバック ©︎藤本タツキ 集英社


藤野が漫画を描く理由はたった一つだった。それは、

京本に読ませたいから

実力を認め、ライバルとして目標にしてきた京本が、自分の漫画を面白いと言ってくれる。
一番最初に読めることを喜んでくれる。
また読みたいと目を輝かしてくれる。
そして、自分の才能を認めてくれる。
ーーそれに勝る報酬はなかった。
それだけが、藤野が今まですべてを犠牲にして漫画を描き続けてきた理由だった。

京本の顔を思い浮かべながら、京本が喜びそうな話を考えた。
京本を笑わせるために、ギャグセンスを磨いた。
京本を泣かせるために、ストーリーを練った。
京本を驚かせようと、鮮やかなどんでん返しを狙った。
京本の画力を活かすための背景を考え、シーンを工夫した。
京本の反応を見て、次回作の構想を変更した。
京本にすごいと言わせるために、夜を徹してアイディアを捻り、プロットを何度も組み直し、必要な知識や資料をたくさん集め、何度も何度もネームを切り直した。
それもこれも全てーーすべて京本に読ませるためだった。

その京本が、もうこの世にいない。


✒️ルックバック


京本の部屋の本棚には、藤野キョウの『シャークキック』が並んでいた。
同じ巻が何冊も購入されている。
机の上には読者アンケートハガキが置いてあった。
壁にはシャークキックのポスター。
窓に貼られているのは、スクラップした藤野の4コマ漫画だろうか。

京本は相変わらず、藤野のーー藤野キョウの大ファンだった。
京本が藤野を拒否したわけではないことは、もう明らかだった
ふと後ろを振り返ると、ドアフックに京本の半纏がかかっている。
藤野の名前が書いてあった。
それは、生まれて初めて書いたファンへのサインだった。

藤野は『シャークキック』最新巻を手に取り、涙で濡らしながら読んだ。
あの頃のように、京本がどう読むかを想像しながら。
最後のページには、こう書いてあった。
「このつづきは12巻で」

京本が読みたかったはずの「つづき」を描くために、藤野は重い腰を上げ、東京に戻った。


藤野はこれからもずっと、京本に向けて漫画を描き続けるのだろう。
記憶の中にいる京本に向けて。
もう二度と感想を聞くことのできない京本に向けて。

そしてきっと、永遠に追いつけない京本の背中を追い続けるのだろう。

今までと、同じようにーー。

ルックバック ©︎藤本タツキ 集英社

(終わり)


見出し画像:「ルックバック」表紙・カバー折返し ©︎藤本タツキ 集英社

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