闇 541(決別ゴネス編)
闇 541(決別ゴネス編)

2026/04/26 sun
※この作品は俺の独り言であり、自分を納得させる為の長い演説のような小説です
前回の章

二千二十二年二月一日、火曜日先勝。
休みなので、アスクルームで夜まで寛ぐ。
いい加減漫画だけ見ていても虚しい。
大明飯店でしっぽりと酒でも飲むか。

「おや、いらっしゃい。今日は随分遅いね」
「今日は休みなんで、ゆっくり飲んでいこうかなと」
「いつも忙しそうだからね」
「お茶割りと餃子…、とりあえずあとでまた言いますね」
餃子をつまみに飲みながら、茄子と豚肉炒め定食も注文。

もっと野菜も取ろうかな……。

野菜スープも頼み、一人ぼっちの地味な休みを満喫した。

一緒に飲む相手がいないのは寂しい事だが、山下のようにタカるだけの人間や、神田のように派手に金遣いが荒くなるのはごめんだ。
それならまだ一人で、こうして大人しく飲んでいるほうが気が楽だった。
憂鬱なのが、明日から中番の昼三時出勤で、また小西と同じ番になる事である。
まあ仕事である以上選り好みできる立場でないのでしょうがない。
そういえば今日から新人が中番で入るらしいと聞いていたが、インカジ『レディ』の前、セカンドフロアーの後の裏スロ屋時代の名義社長だったようだ。
片屋敷は以前裏スロ時代一緒に働いた事があるようだが、人間性を聞くと「南沢さんが戻って来るなら俺、辞めようかな」と言っていたぐらいなので、相当癖の強い人物なのだろう。
二千二十二年二月二日、水曜日友引。
今日も変わらず大明飯店へ行き、豚肉の細切り味噌炒め定食を注文。
「お兄さん、マヨネーズ使うかい?」
「お願いします」

一月は変な流れになっていたからな。
こうやっていつもの自分のペースにしておかないと。
さて、これから二月初の出勤だ。
アスペルガー小西と一緒に働くのは苦痛である。
インカジ『レディ』へ行くと、南沢という前裏スロの名義がいて挨拶してきた。
年は俺より若干下であるが、とにかく喋りっ放しの騒々しい男であった。
かつて名義を辞めた理由が、大麻による逮捕。
かなり滅茶苦茶な性格の持ち主なようだ。
二千二十二年二月三日、木曜日先負、節分。
南沢と接して二日目。
かつて立場的に小西より上司だった彼。
現名義の小西からしてみると、南沢は扱いに困るような感じに見えた。
その分、ストレスからか、俺に当たりがキツくなる。
仕事さえ関係無ければ、その場でメガネを割ってやりたい衝動に駆られるのを必死に堪えた。
その時、南沢がちょっとした助け舟を出してくれ、少しばかりの感謝を覚える。
まだ京都から新宿へ来たばかりの南沢は、殺人的に金が無いようで、暇さえあれば「ビール飲みたいわ」と呟いていた。
俺も飲みたい気分だったので、仕事帰りに南沢を誘う。
一杯ぐらい酒をご馳走したい気分だったのだ。
従業員八人分の余計な酒代は掛かるものの、自分の存在を分かってくれている店で飲みたかったので、中川の豚小屋へ向かう。
この二日間小西と共に働き、やはり言いようのないストレスが溜まっているので店内状況を知る相手と愚痴をこぼし、発散したかったのだ。

南沢の分と俺、さらに豚小屋の全従業員へ一杯ずつで、会計は一万五千円を超えてしまったが、色々話せてスッキリできた感じがする。
考えてみたら、明日は朝から赤心堂病院の定期健診だったのを思い出す。
まあ一晩寝れば、この程度の酒など影響はないだろう。
二千二十二年二月四日、金曜日仏滅、立春。
朝七時頃目を覚まし、熱いシャワーを浴びて眠気を覚ます。
新大久保駅へ行き、川越へ向かう。
今日は赤心堂病院で診察の日。
心電図、採血と行い、あとは検診待ち。

「岩上さんは、何か特別な体質改善をしているんですか?」
「は? いえ、特に何もないですが……」
「退院後の数値の回復値が異常なぐらい、良くなっているんですよね」
担当医の塚越先生は医学用語で色々説明をしていたが、専門知識など無い俺にとって何を言いたいのかよく分からない。
しかし検査の結果、数値的にあり得ないほど良くなっているらしいという事だけは理解できた。
昨日の夜遅くまで酒を飲んだなんて、さすがに言えないな……。
でも、もっと真面目に検査へ臨んでいたら、もっとよりいい数値になっていたとでも言うのだろうか?
病院のあと薬を作るのに、時間が掛かるのは前回で自覚していたので、町鮨とろたくへ向かった。
辛気臭い薬局内で時間を潰すぐらいなら、マグっていたほうがいい。

和食系のメニューが並ぶ中、鰻た天丼も惹かれるが、ここはやはり鉄火丼に茄子の天ぷらしかないだろう。

単品で茄子の天ぷらが置いてあるのが最高だ。

食事を済ませ、軽く飲んでから再び薬局へ向かう。
恒例の薬約二ヶ月分。
薬剤師からも塚越先生と同様に、何か体質改善でもしているのか聞かれる。
「何もしていないですけど、そんな回復しているなら薬はもういらないですよね?」
「いえいえ、まだ心筋梗塞されて、半年も経っていないじゃないですか。しばらくは飲み続けて下さい」
そう念を押された。

実際に目にすると、とんでもない量である。
診察料込みで三万円近く掛かるので、医療費が平均月一万以上と見ておいた方が良さそうだ。
普通に生活していれば、特別困るような金額ではないが、神田との飲み方をするような真似は今後極力控えたい。
ちょこちょことタカってくる山下のようなタイプにも気をつけねば。
人の金を使わせる事に、何の疑問も持たないタイプの人間が、何故か寄ってきているような気がするのは考え過ぎだろうか?
さすがに深く考え過ぎだ。
よく一緒に飲む岡部さんにしても、先日会った神田兼二さんにしても、バランスの取れた人だってちゃんといる。
たまたま神田や山下が種類は違えども、今の考えに符号してしまっただけ。
ネガティブに捉え過ぎたら、誰とも会えなくなってしまうのだから。
そんな事を考えながらヤスのカガヤカフェに入り、コーヒーを頼む。
壁を見ていると『あやの工房』という雑な文字で書かれた作品展の案内が貼ってあった。

「ヤス、このあやのって、一体何よ?」
「ああ、綾乃ちゃんですか。ほら、前にここで智さんも何回か会っているじゃないですか」
「綾乃? 全然分からない」
「前にアッパーイーストサイドで競馬当てて、店にいる客全員に酒をご馳走したって言っていたじゃないですか」
「ああ、あのホットドック屋ね。はいはい、思い出した! いたね、俺が奢った事すら覚えていなかった子」
「その子が小物を作っているんですよ。ほら、ここにも綾乃ちゃんの作ったもの置いてあるじゃないですか」
「何、おまえ…、この子が彼女だったりする訳?」
「いえいえ、滅相もないです! ただ置かせてくれと言うから置いてあるだけの話でして」
「普通、自分の店に言われたからっていちいち置かないだろ。何か下心あるんじゃないのか?」
「いえいえ、あの子ちょっと変わった子なんで。変な意味合いなんてまったく無いですって」
「ムキになるのが怪しいんだよな。正直に白状しろ! ノッチに惚れてんのか?」
「のっちって誰ですか」
「綾乃の綾乃ッチから、今俺がつけた仇名」
「勘弁して下さいよー」
後輩のヤスをからかうのは非常に面白い。
ある事ない事を適当に話に織り交ぜながら、時間を潰す。
そこへ櫻井さんと古川さんが、カガヤカフェに入ってきた。
俺は二人も巻き込んで、ヤスとノッチカップル説を力説する。
どうでもいい事で、六時間以上ここで飲んでいた。
腹も減ったので、締めに呑龍へ向かう。

シフトが中番になってしまったので、今日中に新宿へ戻っておいた方が後々楽だ。

夜になり、俺はアスクルームへ戻り、ゆっくり睡眠を取った。
二千二十二年二月五日、土曜日大安。
昨日病院で先生や薬剤師から言われた「何か特別な体質改善でもしたんですか?」という問い。
その原因は数値が異様なほど良くなっているらしい。
よく分からないが、自然体でこうなっているという事は、自流の流れに沿って生きているのがいいのだろうと実感する。
新大久保駅近くにある皆中稲荷神社へお参りに行ってみた。
何でもここは賭博系に強いらしいとの噂。
薬を入れる巾着袋と招き猫のおみくじを買うと、ギャンブルの項目が勝機ありになっていた。
なので再びJRAの即パッドに再登録すると、東京新聞杯をちょっとやってみる事にする。
三連単五頭ボックスの六十点買い。
夕方の四時過ぎになって結果を確認すると、当たってないじゃんと勘違い。
何故ならレースは明日の日曜日だからである。
もしこれが当たるようなら、今度は田無神社へ行ってみようと思った。
昼になると、寿楽の焼売と春巻き定食を食べに行く。

相変わらずここの焼売は美味しい。

またこれからいつもの日常が始まろうとしている。
二千二十二年二月七日、月曜日先勝。
神社で願掛けした競馬の東京新聞杯も見事外れ、新大久保の皆中稲荷神社はあまりご利益が無いと自覚した俺。
インターネットで調べてみたところ、パワースポットだと田無にある田無神社がいいそうだ。
せっかく生きているのだから、ここ辺りで大きな競馬を取れれば、小西とこれ以上我慢して働く必要性もない。
心筋梗塞からせっかく生き残った運気があるのだ。
神懸かり的な何かがほしかった。
使いきれないほどの金を手にすれば、自由にやりたい事ができる。
「……」
しかし今の俺に一体何が残っているのだろうか?
小説も一切書かなくなってしまった。
それでも落ち着いた時間させあれば、また昔のようにきっと書けるはず……。
例え競馬や宝くじで億単位の金を当てたところで、今の俺は何ができるといのだ?
億単位の金か…、そういえばプロレスリングノアにいた泉田さんは、詐欺で騙され八千万円の金を失った。
少し命日から過ぎてしまったけど、全日本プロレス時代の先輩の泉田さんが亡くなって五年ちょっと。
死因、心筋梗塞だったんだよな。
まさか俺も心筋梗塞を経験するとは思わなかった。
ひょっとして泉田さんが、向こうからあの時助けてくれたのかもしれないな。
俺がそれだけの金を持っていたら、泉田さんもあんな死に方をしなくて済んだのでは?
いやいや、そんな金を掴んだ事もないくせに、何夢見がち事を想像している?
「ほら、岩上さん! 十卓呼んでるよ。ボケッとしないで!」
小西が不機嫌そうに俺に向かって言ってくる。
何で他にスタッフがいるのに、いつも俺にしか言わないんだよ……。
たまにはおまえが動けよな。
中番の時間帯は一番忙しい。
過去に浸る時間もあまりなく、客からひっきりなしに呼び鈴が押される。
また遅番に戻りたい気分だった。
二千二十二年二月八日、火曜日友引。
今日もクタクタになって仕事を終える。
仕事帰りに、オスロバッティングセンター斜め向かいにあるタイ式マッサージへ寄り施術を受けている内に深い眠りについてしまう。
目を覚ますと翌日になっていたので、そこそこの時間を寝てしまった訳だ。
俺はタイ人に非礼を詫びる。
この店はマッサージも上手いし、過去有馬記念が当たった際もいたゲンのいい場所。
寝かせてくれたお礼に焼肉でもご馳走しようか聞くと、『幸永』に行きたいというので一緒に連れて行く。

酒や肉を頼み飲んでいると、タイ人女性があとから友達が来ると後付けで言い出した。
てっきり女性だけだと思ったら、カップルのタイ人が来て好きな注文を始める。

幸永も以前より値段が上がっていて、上タン塩で一人前三千円以上もした。

結果四人分の会計を俺一人で払う羽目になり、四万円近くの金が財布から出ていく。
いや、マッサージでも一万円使っているので、こんな形で五万も使うんじゃ、別の事をすればよかったと激しい後悔に覆われながら帰路へ着いた。
休み前の夜だというのに、本当に無駄遣いしてしまった俺。
お人好しも、大概にしないといけない。
二千二十二年二月九日、水曜日先負。
前もって告知していたのをチェックしていたのか、昼間西武新宿駅から田無駅へ向かっていると、山ゴネスから連絡が届く。
『今日自分も休みなんで、良かったら田無神社案内しますよ。 山下哲也』
確かにあの辺の地理に詳しい人間がいたほうがいいかもしれないと思った俺は、仕方なく山下も付き合わせる事にした。
駅から若干離れた距離にあった為、山下の案内無しに、田無神社へスムーズに到着するのは難しいので、結果連れてきて正解である。

ここは五龍神が祀られているというご利益のある神社。
早速五つの龍を探してみる。

白龍をまず発見。

次に撫龍。

参拝客がみんなこの龍の頭を撫で過ぎたのか、部分的にだけ変色してしまっている。

三匹目、青龍。
古代中国から伝わる天の四方の方角を司る守護神『四神』の玄武、朱雀、青龍、白虎とはまた違うものなのかな?

続いて赤龍。
これで四匹目。

「なあ、あと一つ金龍だっけ? どこにあるんだろ?」
「あの本堂のじゃないですかね?」
金の玉のようなものを持っているが、果たしてこれでいいのか?

調べてみたところ、田無神社は本来なら鳥(朱雀)や虎(白虎)であるはずの守護神も、すべて龍神様としてお祀りしているという、全国的にも珍しい龍神パワースポットらしい。
青龍は東方を守護。
四神の『青龍』と同じ。
赤龍は南方を守護。
四神の『朱雀』に相当する方位を龍として祀っている。
白龍は西方を守護。
四神の『白虎』に相当する方位を龍として祀っている。
黒龍は北方を守護。
四神の『玄武』に相当する方位を龍として祀っている。
最後に金龍は中央を守護。
本殿に祀られている主祭神で、神社全体を統べる存在。
つまり先ほどの龍が、金龍という事でいいのか?
お賽銭を入れて二礼二拍手一礼。
五十歳になってから、碌な目に遭う事が多いので、何卒平穏無事に……。
おみくじを買うと、何と大吉。

恋愛は混迷の時を過ぎ、周囲の信頼を得て結婚への道が開ける?
本当かよ……。
慎重になり過ぎないように、到来した運気に乗っていけば、金運も上昇?
今のインカジ『レディ』で働いていて、運気なんて到来するのかよ。
学業は粘り強く取り組めば望みが叶う?
最近何も勉強なんてしていないしなあ……。
「岩上さん、そろそろ腹減りませんか?」
「どこか食べに行くか」
山下の案内で、デパートのような建物に入り、中でハンバーグを食べる。
普段なら写真を撮るのが、妙に疲れていて撮るのを忘れてしまう。
そのあと「軽く飲んで行きませんか」という提案を飲み、居酒屋へ向かった。
「あ、岩上さん、自分、この店だと田中という偽名で、三軒茶屋に住んでいる事になっているんで、話を合わせて下さい」
「はあ? 何だ、それ?」
「いえ、この店だとそういう感じで自分は常連になっているんで」
「何かおまえ…、本当に面倒くせえよ……」
そんなどうでもいい薄っぺらい嘘をついて、何が面白いのはまるで理解できない。
店を出る際、山下が当たり前に伝票を渡してきたので思わず怒鳴りつけた。
「おまえよ、また俺に全部出させるつもりかよ?」
「出さないなんて言ってないじゃないすか! こういうのは割り勘とかだとセコく見られるから最初に片方が払って、あとでこうやって割り勘にすればいいじゃないすか!」
外へ出ると、五千円札を手渡しながら一丁前に口答えをしてくる山下。
「だったらおまえが先に全部払えば良かっただけの話だろ? 人に伝票押し付けといて何抜かしてんだ。それよりいい加減貸した金払え」
「でも……」
「でもじゃねえよ。おまえ、いい加減にしろよ」
俺は山下から貸した二万円を強引に返済させる。
「分かりましたよ、返しますよ。あ、次もう一軒お勧めのバーがあるんで、次そこ行きませんか?」
「いや、もう帰るよ」
「そこだけ付き合って下さいよ」
仕方なく山下のプランに乗ってあげる事にした。
三軒目の騒々しいバーは、会話も満足にできないほど音量がデカい。
中の店員に予め持ってきていた服やら靴をあげているのを見て、何をしているのか聞く。
「あの子、いい奴なんで、服とか今度来た時あげる約束をしていたんですよ」
俺には山下の行動がまるで理解できなかった。
何故客として来て、男の店員へわざわざプレゼントをあげるのか。
そんな意味不明な格好のつけ方ばかりしているから、コイツはいつも金が無いのだ。
田無神社へ付き合うという名目で来たが、こうした服などを予め持参してきたところを見ると、最初から計画的に俺をここへ連れて来るつもりだったのが丸分かりだ。
恐ろしい事に、山下は先ほどの五千円と俺に返した二万円しか持ち金がなく、ここの会計はすべて俺が出す羽目になる。
「もう帰るわ……」
「あ、岩上さん。山崎さんって分かります? ほら、斉藤さんの葬儀の時、会っていると思うんですけど」
「誰? 山崎って?」
「潰れたジョーカーの店長です。前に斉藤さんとかと一緒にいた。岩上さん、葬儀でも会ってますよ」
山下のいう葬儀とは、おそらく斉藤弘一の火葬式の事を指しているのだろう。
ジョーカーのオーナーは火葬式に来た人間たちと親しそうに話をしていたが、俺の顔を見ると不思議そうな表情で近付いて来る。
「えーと…、失礼ですが、お会いするのは初めてですよね?」
「ええ、そうだと思います」
「ん-…、失礼ですが、斉藤とは古くからのお知り合いの方なんでしょうか?」
俺はポケットからセブンスターのボックスを取り出す。
ニヤリと笑いながら静かに言った。
「古くからではないと思います。大倉や山下、そして大山や中口は随分昔から知っていますけどね」
「はあ……」
セブンスターの箱をゆっくり掲げた。
「付き合い自体は三年程度です。でも…、同じセブンスターを愛した盟友でした」
俺はそれだけ言うと軽く会釈をし、式場をあとにした。
あの時元々の知り合い以外で、俺に話し掛けてきたのはあのオーナーぐらい……。
「あの時のオーナーって人?」
「いえ、その人とは違って、前にラッキーハウスをにもいたんですよ。大倉と一緒に」
「ん? 待てよ…、何か吉岡から聞いた事あったな……」
「岩上さんがまだラッキーハウスじゃない頃の話ですよ。その時の店長が大倉で、次が山崎さんだったんですよ」
「それは聞いた事あるな」
他の店の事だから、どうでもいい事で気にしていなかったが、当時の吉岡との会話の記憶が蘇ってくる。
「最初の頃、木下さんは点数計算が全然できなくて、山崎さんに算数のドリルを渡されて勉強させられていたぐらいなんですから」
山崎?
誰それ?
木下が算数ドリル?
じゃあ、何か?
あのオカマって殺人的な馬鹿って事?
あー、イライラしてくるなー。
「あ、赤崎さんは山崎さんって知らないんですよね? ラッキーハウスがここへ移動した時くらいまでいた店長なんですよ」
「……」
色々な点が線になっていく。
つまり当初大倉が最初にいた。
次がその山崎。
普通の仕事をやると筋を通して退職した大倉へ、酒井さんは退職金まで出し厚遇して送り出した。
それを大倉は裏切り、ラッキーハウスにいた山崎を引き抜き、客まで引き抜こうとした。
それでできた母体が『ジョーカー』。
その店へ斉藤弘一や山下哲也が従業員として入ってきた図式。
「分かった、その山崎という奴は。顔は知らないけど」
「いや、斉藤さんの葬儀で顔を合わせてますよ」
「だからお互い面識ないのに、斉藤さんの火葬式で一緒にいたところで、分かる訳ないだろ」
「ま、まあそうなんすけど……」
「それでその山崎が俺に何の関係あるんだよ?」
「いえ、今日これから山崎さんも田無へ来て合流するんすよ」
「……」
山崎といえばラッキーハウスを裏切り、逆にジョーカーから客を引っ張ったと聞いている。
つまり裏稼業でいえば御法度な事を平気でやるような人間なのだ。
恩義のある酒井さんを裏切った形で……。
「さっき岩上さんに金返しちゃったじゃないすか。もう自分手持ちゼロなんすよ。それに山崎さんには岩上さんを会わせると約束しちゃってるんです」
「……。おまえさー……」
呆れてものが言えない。
ラッキーハウスを辞めたにせよ、俺の酒井さんへの恩義が消える事は無い。
少なくともその人を裏切った人間を会わせようと、この馬鹿は何を考えているのだ?
それに山下自身、酒井さんの店で世話になっている身分なんだぞ。
はなっから田無神社へ付き合うでなく、この状況を話していたなら、会うかどうかは別にして、まだ百歩譲って分かる部分はある。
このなし崩し的に物事を運ぼうとして起きながら、金までないコイツは一体何なんだ?
「岩上さんも仕事できますけど、山崎さんも違ったタイプのできる人なんすよ。その二人が会うと、何が起きるのか……、痛っ!」
無言で山下の頭を叩いていた。
まあせっかくだから顔ぐらい拝んでおくか。
俺は山下とその辺の居酒屋に入り、山崎を待った。
十分もしないで到着した山崎。
スキンヘッドでメガネを掛け、体系はだらしならく腹も出ている。
年齢は俺より一つ年上らしい。
お互いに紹介を済ませ、酒を飲むが、一つ分かったのが自分の領域へ相手を引き摺り込んで、勢いで話を進めるタイプだという事。
この手のタイプは裏稼業で本当に多い。
嫌というほど見てきた。
相手が何も反論しないのを幸いに、とにかく勢いとゴリ押しで話を進めるのだ。
簡単にいうと強引なだけ。
知性も何もない。
唯一俺より優れている部分を挙げれば、喋り口調が達者なだけ。
いわば口先だけで、実が伴っていないのだ。
居酒屋で会計の際、山下は金を持っていないのを知っていたので、まとめて俺が払う。
そのままスナックへ連れていかれ、電車の最終を逃がす羽目になる。
とにかくどうでもいい事をひたすら話し続ける山崎。
俺は連絡先も交換せず、三万円だけ置いてタクシーを呼び、新宿へ帰った。
あれだけ金を払えば、俺と山下の分以上の会計はあるはず
また山下のせいで、無駄な金をいくら使ったのか?
外の景色を眺めながら、出るのは溜め息ばかりだった。
田無神社…、どこがご利益あり、どの辺が大吉なんだよ……。
二千二十二年二月十一日、金曜日大安、建国記念日。
山下哲也からの着信で起こされる。
田無神社へ着いてきて、タカられてから二日後。
その間、ご馳走様でしたの一言も無し。
「……」
うん、もうコイツはいいか……。
過去何度も呆れた。
二度意図的に手を出した。
一度目はワールドワンの時。
クソ忙しい店内で、食事休憩を空気も読まず出掛け、四十分と言ったのに一時間半も掛けて酒を飲み帰ってきた。
俺がいくら注意しても、酒のせいか辞めればいいんでしょと強気な山下に頭突きをお見舞いして、店をクビにした。
二度目は長谷川昭夫の秋葉原の裏ビデオ屋『アップル』の時。
俺が作り上げたシステムに胡坐を掻き、月に百万の給料を貰っていた山下は明らかに図に乗っていた。
月三十万の給料で我慢しながら働く俺。
それだけの金額をもらいながら「休みが無い俺はほんと可哀想すよ」と愚痴をこぼす山下。
こちらの指示に従わず適当に店を開けた為、あの馬鹿は秋葉原へ着いて僅か三十分でパクられた。
危険を侵し、野方警察署まで面会に行った俺。
身元引受人もいないと泣きを入れたので、知り合いの岡部さんへ頭を下げて裁判へ出てくれるようお願いした。
そんな俺に対し、一言の例もない馬鹿。
そして裁判終了後、毎日飲み歩くだけで、岡部さんの店へ挨拶一つ行かなかった。
ブチ切れた俺は、長谷川にクビを懸けて山下を事務所へ呼び出すように言ったのだ。
新宿の事務所のインターホンが鳴る。
山下が入ってくるのが見えた。
俺の存在に気が付くと、ビクッと一瞬仰け反るようにしてから怯えた表情に切り変わる。
「お、お疲れ様です……」
「山下……」
「は、はい……」
DVDが並ぶ棚を指さす。
「おまえが入ってから、何番くらいまで作品が出たか覚えているか?」
「あ、はい…、ええと……」
棚の前で前屈みになり、DVDを数えるふりをする山下。
俺は真横から、山下の顔面を蹴り上げた。
悲鳴を上げながら倒れる。
「随分と舐め腐った真似してくれたな、小僧」
もちろん加減はしているが、大袈裟に山下の身体を何度も蹴飛ばす。
「い、岩上さん、ヤバいですよ」
長谷川が止めに入るが、手で制し蹴り続けた。
「コイツはね、先輩を舐めたんですよ。そういう馬鹿はきっちりヤキ入れとかなきゃ駄目なんですよ。なあ、山下? 何だ、この間の態度は?」
「すいません! すいません!」
「随分前に教えたろ? すいませんじゃなくて、すみませんだと。おい、顔上げろ」
攻撃が止み、ゆっくり顔を上げた瞬間、また蹴飛ばした。
俺がこいつをここまで駄目に…、馬鹿に作り上げてしまったのだ。
長谷川から見れば、何て酷い事を思うだろう。
かなり加減して、後遺症が残るようにはしていない。
これまで俺を馬鹿にしてきた人間たちへの見せしめ。
そして叩かないと分からないほど、狂った山下。
いわばこれは愛の鞭だ。
事務所内が凍りついたような静けさに包まれ、山下の吐息だけが聞こえる。
「もう帰っていいぞ。おまえ、岡部さんところにお礼行かなかったら、また同じ事するから。分かったな?」
「はあはあ…、わ、分かりました! 失礼します!」
ヨロヨロしながらも、自分の足で事務所を出ていく山下。
出血はどこもしていない。
本人的にただ痛いというだけ。
執行猶予四年もつき、保証金だって前借りしているから、残り百数十万しか残っていない。
これから惨めな人生を送らねばならない山下に対し、俺は暴力を使うのが最善の療法だと思った。
馬鹿なのはしょうがない。
ただ心まで忘れたら、それは動物と変わらない。
年齢は関係無しに、叩いてでも教えないといけない事だってある。
少しはこれであいつも凝りて、身に沁みて分かってくれれば良いが……。
そんな山下と再び再会したのは、俺が川越で岩上整体を開業した時だった。
いや、正確には再会ではない。
あの馬鹿から連絡が来ただけだ。
「岩上さん、整体始めたんですって?」
「始めたんじゃなくて、もうちょいで一年になるよ」
「俺、岩上さんの整体受けに行きますよ!」
「いつ?」
「そうですね、明日なら時間作れそうなんで」
そういえば山下の近況をまったく知らなかった。
猥褻図画で起訴され、執行猶予四年。
二千五年の話だから、あと二年は最低でも執行猶予中なはず。
「今山下は何を仕事してるの?」
「風俗の受付です」
「大丈夫なところなの? 警察にパクられたら問答無用で懲役行きだぞ?」
「それは問題ありません。俺、あの時凄い給料もらっていたじゃないですか。あの時つるんでいた後輩連中は、俺の金目当てなだけだったすよ。金が無くなった今、ようやく物事の真理が分かって来た気がします」
何が物事の真理だ。
月に百万の金を上げていたのに、裁判の時点で二百万くらい借金してやがって……。
まあ痛い目に遭い、心を少しは入れ替えたのなら見方を変えてやるか。
「分かったよ。明日は何時頃、俺の整体へ来るの?」
「えーとですね…、お昼頃には」
「山下。あのさ俺のところ予約とか、急に患者が飛び込みでとかある訳ね。お昼頃とか曖昧な時間じゃ困るんだよ。何時に来れるの?」
「じゃ、じゃあ十二時には行きます」
「分かった。昼の十二時に予約で取っておくからね。他の患者来ても、その時間帯は受けないようにするから」
その言葉を信じた俺は、飛び込みで患者が来ようと予約があるからと待ち続けた。
「あ、岩上さん、すみません! 今向かっているんすけど、電車が遅れちゃって」
「あーすみません、すみません。もうちょいです」
一向に時間になっても現れない山下へ再三電話をした時の答え。
「すみません、すみません。岩上さん明日じゃ駄目ですか?」
「はあ? おまえさっきもう少しだって言ってたじゃねえか!」
「いえ、あの…、実は手持ちが少なくて……」
「おまえから金取ろうなんて思ってねえよ! いつ来るんだよ!」
「あ、明日になれば……」
「おい…、おまえのせいでこっちは三人も患者帰してんだよ! 山下、おまえさ、自分のした行動で、相手がどれだけ迷惑被っているか、考えた事あるの?」
「は、はい…、ですなら明日でしたら……」
「オメーは二度と俺の前に面出すな、馬鹿野郎!」
電話を切った。
馬鹿は馬鹿でしかない。
駄目だ、あんなのと絡んでいたら、こっちまでおかしくなる。
この日俺は、山下哲也と決別する事を決めた。
あの時で一度、俺は見離したのだ。
しかし神の悪戯か、再び再会したのは二千十五年。
岩上整体のあの時から、八年後だった。
今思い返しても、忌々しいクソヤクザの〇〇会直営のゲーム屋の回想。
店のインターホンが鳴る。
大倉斉藤コンビともう一人がモニターに映る。
ドアを開け中へ招き入れる時、大倉が妙にニヤニヤしていた。
最後に入ってきた男の顔を見て思わず言葉が出る。
「山下か?」
「岩上さん?」
以前大倉が何かを匂わせるような事を言っていたのは、山下の事だったのかと気付く。
長谷川昭夫と共に秋葉原で裏ビデオの仕事をしていた時、名義人として雇った山下。
野方警察署に捕まり、裁判を終え出てきた時あまりにふざけていたので殴って制裁を加えた男。
その前の職場ゲーム屋『ワールドワン』時代は、クソ忙しい中、山下は食事休憩で大倉と待ち合わせ一時間半も帰って来なくて切れた俺が頭突きをお見舞いしてクビにした事もあった。
こうなると、この男とは因縁を超えた腐れ縁なのだろう。
そしてまた同じ店で働くようになったのは、当時のオーナー酒井さんによる鶴の一声だった。
ほぼ満席状態で客が引かない。
そんな中、オーナーの酒井さん一向まで来店。
さすがに席数が足りないので、連れの小田川や女性客を優先して打たせ、酒井さんは待機席のソファで店内の様子を眺めている。
「ちょっとこの状況って、岩上さんと橋本の二人だけじゃキツくないですか?」
「まあ先日一人辞めさせたものでして。とりあえず現状で頑張るしかありません」
「ジョーカーの山下君って、彼も元ワンオン系の人間ですよね?」
突然山下哲也こと山ゴネスの名前が、酒井さんの口から出たので驚く。
しかし考えてみれば、山下や大山などがいた東通りのゲーム屋『サン』、あの頃俺は風俗のガールズコレクションで働いていたが、あの店に酒井さんや金太郎が客として通っていてもおかしくないのだ。
「酒井さん、山下を知っているんですか?」
「ええ、彼はサン時代からよく知っていますよ」
「もともとワンオンのワールドワンで自分が店長をしている時に、山下が入って来たんですよね。大倉も同時期ですが」
「岩上さんが元で、大倉も山下君もそこの従業員だったんですね。それなら大倉はともかく、山下君今ジョーカーが無いんだから、岩上さんからここへ誘ってやればいいじゃないですか」
オーナー直々のスカウト。
これなら店長の橋本はおろか、番頭の根間、そして側近の金太郎にしても文句は無いだろう。
内心山下の今後について気にはなっていたのだ。
「ありがとうございます。では近日中に山下へ自分から電話を入れてみます」
もちろん馬鹿でだらしないのは把握していた。
だが、正直内心どこか憎めない可愛い昔からの後輩という慈悲に近い複雑な心はあったのだ。
亡くなってしまった盟友斉藤弘一から、俺があの馬鹿を引き継ぐ事が何となく宿命のような勘違いをしてしまった。
しかし再びタッグを組んだ山下は、以前にも増して口だけ達者になり、中身は何一つ変わっていなかった。
だから、俺は前の店『ラッキーハウス』を辞める決意をしたのである。
その決定的となったのは、山下の口先だけなのが分かったから……。
仕事中に人をわざわざ呼び出してまでするようなミーティングなのかよ?
ただの嫌がらせ…、または橋本と裏で結託し俺を辞めさせようとしているようにしか思えなかった。
ラッキーハウスへ戻っても、苛立ちは隠せないまま。
山下が心配そうに聞いてくる。
俺はまだ抜きをしているだとか、意味不明な事を抜かしていると簡潔に説明。
「岩上さんが抜きなんてやる事、ある訳ないじゃないすか!」
「それは毎度あの馬鹿に会う度、散々言ってるよ。それでもこんな毎回毎回ネチネチ呼び出され、同じ事言われてみろよ」
「別に悪い事してないんだから、正面から戦えばいいじゃないすか」
「逃げてねえだろうが! 真正面から受けて、堂々と言ってんだろ。ただそれでもしつこいから、うんざりしてんだよ」
「岩上さんは絶対に抜きなどしてません! 俺が断言できます。抜きをしているのは橋本ですから」
「じゃあそれを俺の前じゃなく、香川の前で言ってこいよ!」
そう…、俺の口から出るから言い訳に見えるのだ。
同じ番で働く山下が、同様に言うなら話は違ってくるはず。
第三者が伝えるのと当人が話すのでは、あの馬鹿な香川もさすがに聞く耳ぐらい持つだろう。
「……」
何故か黙ったままの山下。
「おい、何だよ? 香川に俺の正当性を伝えるんじゃなかったのかよ?」
「……。じ、自分は…、自分が同じように責められたら、キッチリ戦います!」
「……。おい、山下……」
「な、何すか?」
「もういいや、おまえ…。向こう行け」
「え、何でですか?」
「テメーよ…、年取って俺が丸くなったと勘違いしてんのか? 悪いけど、元は何も変わっちゃいねえぞ、おい……」
「す、すいません……」
この日俺が、山下と仕事以外の会話をする事はなかった。
袂を分けたあの時、しかしそれでも腐れ縁なのか、ズルズルここまで来てしまった。
俺にとっては馬鹿でも可愛い部下だった。
だけどもう手の施しようがない。
いい加減断ち切ろう。
この悪縁を……。
「……」
斉藤さんよ…、ごめんよ。
やっぱり俺にはあの馬鹿、ちょっと無理だったわ……。
俺は山下を着信拒否に設定する。
次にしつこくLINEの電話が鳴った。
動揺にLINEもブロック。
そしてフェイスブックもすべてブロックする。
もう可哀想とか、昔からの付き合いではない。
この馬鹿を切らないと、こっちがどんどん泥沼に嵌るだけ。
二十九歳からの三十年以上の付き合いがあった山下哲也。
俺はこの日、本当の意味合いで自ら縁を切った。
そしてこの残った空虚な感情をそのままフェイスブックへ投稿する。
『細胞と教育の結果ですものね。生まれ変わるしか方法ないと思います。 いしかわまさゆき』
『馬鹿とは関わらずが、抜けてました。 岩上智一郎』
横浜時代の盟友石川。
彼とは本当に考えや価値観が合う。
『その言葉、身に染みるわ。 神田浩典』
『いやいや、馬鹿でも自分でケツ拭ける馬鹿ならいいんだよ。ツケがこっちに来る馬鹿がほんとタチ悪い。 岩上智一郎』
一応フェイスブック上なので、神田にはそう返信した。
しかし、彼もまた種類の違う馬鹿である事は確か。
キャバクラなどでの散財さえ除けば問題はない同級生。
複雑な気分で返事を打つ。
『そうです。関わらないのが一番です。なんせ言葉が通じない。 青木怜子』
『関わるとこっちにツケが回ってきますからね。 岩上智一郎』
ミクシィ時代から長いインターネット上だけの付き合いである北海道奥尻島のれっこ。
彼女との根本的な感覚が似通っているので、こうして未だ関係が続いているのだろう。
ベランダへ出て、セブンスターに火をつける。
人間的には嫌いじゃなかったんだけどな……。
いや、この甘さがこれまで駄目にしていたのだ。
同じ構造の連鎖にもう組み込まれるなよ。
心筋梗塞を二度食らい、それでも生きているのは何故だ?
山下を甘やかす為ではない。
何も見えないが、まだこの先何かしらの使命があるからだろうが!
大きく煙を吐き出した。
自分の中に芽生えた非情な判断。
何故か身体が大きく身震いした。
この震えは寒さからなのか、よく分からないでいた。
心に小さな穴が空いたような感覚。
奇妙な罪悪感のようなものが残り、気持ち悪い状態のまま、俺はインカジ『レディ』へ出勤した。

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