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闇 502(大久保ラッキーホステル編)

闇 502(大久保ラッキーホステル編)

2026/03/18 wed
前回の章


二千二十年十月二日、金曜日大安。

今日は出勤時間を大幅に遅らせ、地元へ戻り元銀座通りの大成亭へ寄る。
カレーライスとポテトサラダを食べた。

2020/10/02 大正浪漫通り 大成亭

今月の十八日で、本川越駅元パーラいづみ跡地のビルへ入っていたガ
スト
が無くなるらしいと小耳に挟む。
まだあそこにできてから数年だよな?
やはりこのコロナ渦でかなり売上の影響を受けているのだろう。

すかいらーく時代が懐かしいものだ。
俺が高校生の頃まで、ガストではなくすかいらーくばかりだったのに。
二十歳前後で、ガストやバーミヤンといったリーズナブルな価格でという売り文句で始まったのを今でも覚えている。
車を運転している時に『麻婆豆腐三百八十円』と書かれた値段設定に、思わず当時その金額で食べられるのかと衝撃を受けたものだ。

ガスト自体に愛着はないが、これから新宿でホステル暮らしに入る。
多分来れるとすれば、今日が最後のチャンスかもしれないな。

ガストへ行き、二度目のランチを取った。

「あ、お久しぶりです」

隣りの席に座る親子連れの母親から突然挨拶され、振り向く。
見覚えのある顔。

「あ、滝沢か?」
「そうですそうです!」

「えーと…、滝沢公子…。妹のほうだろ?」
「そうですそうです」

まだ二歳ぐらいの隣りに座る女の子を優しく眺める。

「二歳ぐらい?」
「そうなんですよ。岩上さん、ご結婚は?」

「俺はある意味世捨て人だからな…。生涯ずっと一人だろ」
「えー、そんな勿体ないですよ」

「勿体ないって、もう俺は四十九歳だぞ? 別におかしくないだろ」
「あ、そうですよね。うちの姉より一つ年上でした。そんな私も四十四歳になりましたけどねー」

いつ以来だ?
家のすぐ近所。
姉は確かトウ子トウ子と、幼馴染の安達すみれが言っていたっけ。

安達はまだ同じ年だから少しは交流あったものの、滝沢姉妹は学年が違ったのでほとんど一緒に行動した記憶がない。
トンカツひろむの乗松一久、良江兄妹も大人しかったが、この子たちは年下というのもあり、さらにもの静か。
地味過ぎて、朝学校へ共に行く登校班で時間を共有した程度。

一番下の貴彦よりも、少し年下だったよな?
俺と同じ登校班だから、最低でも五年以内の年の差だ。

彼女の家はその頃質屋をしていた。
立門前通りへぶつかる角に定食屋『きねや』。
その手前にあったのは未だ覚えている。

きねやはいつの間にか閉め、あの忌々しい『姉妹』があの物件へ入った。
未だ忘れもしない二千八年の十二月三十日。
俺が処女作『新宿クレッシェンド』を世に出した年の年末を……。

作品に登場した『居酒屋 兄弟』。
ここは因縁というか、被害が大きかった。
うちのすぐ近所にあった『姉妹』というどうしょうもない店をモデルにコメディタッチで書いたが、様々な店を出入禁止になった酷い客ばかりで、その中のオカマのオヤジが家に泥棒に入る。
当時俺は、五百円玉貯金箱を三ヶ月で十万円貯め、おじいちゃんにプレゼント。
そのオカマはそれを盗んだのだ。
あとで警察の調べより判明。
おじいちゃんが家の花壇で育てていた小松菜を深夜何度も盗む客たち。
家の隣にあったトンカツひろむへ、その姉妹のママたちは五名で訪れ、二万五千円ほどの飲み食いをし、客一人だけ残し無銭飲食。
結果、その客一人に押し付け金は払わず。
先輩の岡部さんが警察へ突き出して、この件は何とか治まる。
俺の幼馴染である安達すみれのラーメン屋幸楽に、姉妹のママのシャブ中の娘がガソリンを巻き、放火寸前の行為。
これだけじゃないが、近所でも様々な異彩を放っていた『姉妹』。
二千八年十二月三十日。
『姉妹』は火事で死者二名を出し全焼。
家から歩いて三十メートルの距離だったので、俺はその光景を目にしていたが、まさかあの中で二人が焼け死んでいたなんて、思いもしなかった……。

「滝沢は、あのきねやのあと、『姉妹』という居酒屋が入って火事になったのは知ってるっけ?」

「あ、きねやさん…。懐かしいですね。私たちは父が亡くなってから、連雀を二十歳になる前には引っ越しているので、全然知りませんでした」

娘が泣きだしあやす公子。
そろそろ俺も仕事へ行く時間だ。

挨拶を済ませ、レジへ向かう。
彼女ら親子の分も払ってあげようかなと思ったが、さすがにそれは変な気を使わせてしまうかもしれない。

今日で俺は、このガストともお別れ。
レジのところで売っていたスミッコグラシの入浴剤を買ってみた。

滝沢の席へ戻り、すみっコぐらしを置くと泣き止む娘。

「え、岩上さん、何ですか」
「もうこのガストも閉まるんだろ? それにおまえにも久しぶりに会えた。娘いるからこういう入浴剤あってもいいだろ。何個か適当に買ったからあげるよ」

「すみません…、ありがとうございます」
「お袋さんは元気なのかい?」

「ええ、このあと会う約束をしてますよ」
「そうか、それは良かった。じゃあ俺は仕事でそろそろ新宿へ向かわないといけないから。またな…、あ、適切な言い方じゃないな。またどこかで会ったら。じゃあね」

2020/10/02 本川越ガスト 18日閉店

小江戸号に乗り、テーブルの上に残ったすみっコぐらし入浴剤を並べる。
アパホテルの浴槽に一日二回ペースで使えば何とか消火できるか……。

滝沢公子のような本当に地味な子も、結婚し子を産み、一児の母になっていた現実。
立派な日本の歯車の中にいる。

「……」

それに引き換え、一体俺は何なのだろうか?
あの腐った職場へこれからも向かい、また変わらぬ一週間が始まるだけ。

一日経っても気分が悪いままだった。
十月に入ってすぐ、またもや番頭香川の意味不明な呼び出しミーティング。
内容は中身のまるでないただの言い掛かりを抜かすだけ。

俺が責任者になってから、入客が減ったという嘘。
本当にあれから店の金を抜いていないのか?
責任者の任が重いなら、言ってくれれば解く。

こんなどうしょうもない事しか言えないのか、この馬鹿は?
さすがに痺れを切らした俺は、気分悪いから明日は遅い出勤にすると伝え、喫茶店クールを出た。

「……」

あれからちょうど二十四時間経つが、思い出すだけで腸が煮えくり返ってくる。

一体俺はアパホテルの宿泊料金を払いながら、電車賃を掛け川越へ帰り、仕事も遅らせ給料をその分ダウンし、何をしたいのだろうか?
今日明日と出れば、また日曜は休みに入るというのに本当に馬鹿げた行動だ。

セブンスターを口に咥え、ライターを持った時点で気付く。
そういえば随分前に禁煙になってんだよな。
そんな俺の心境などどうでもいいように、特急小江戸号は無情に新宿へ向かっていた。


二千二十年十月三日、土曜日赤口。

スプリンターズステークスが明日開催されるので、馬券を買う。
荒れるなら大荒れで来てほしいものだ。
一攫千金を手にして、この面倒臭いラッキーハウスを早くおさらばしたい。

「なあ、山ちゃんよ……」
「ん、どうしたんすか?」

「俺って責任者として力不足なのかね?」
「え、また香川さん、そんな事言ったんですか? 岩上さんに?」

「いや、昨日…、一昨日の話だけどさ」
「あの人は少しおかしいんですよ。変わってんだから、いちいち言う事真に受けないほうがいいっすよ」

自惚れでも何でもなく、これまでの実績から自分ではかなりしっかりと責任を果たしている方だと思っていた。
これを自身より立場の上の人間から否定されると、どうしても精神的に堪えてしまう。

キャリーバッグを転がしながら再び地元川越へ帰る。
一杯飲んでから帰るとするか。
苛立ちのせいで、酒の量が増える。

いっしょうけんめいへ入り、好きなメニューを注文。

2020/10/03 川越 いっしょうけんめい

美味いものを食べるささやかな幸せ。

2020/10/03 川越 いっしょうけんめい

このまま新宿ではなく、川越で仕事を見つけ働く……。

それでもいいんじゃないか?
思わず出る笑み。

馬鹿だな…、十一月分まで大久保のホステルをもう料金払ってしまっているじゃないかよ。
俺は呆れながら会計を済ませ、店を出た。


二千二十年十月四日、日曜日先勝。

いっしょうけんめいのあとは、自然とクレアモールヘ向かい、バーのリバティーへ寄る。
何だよ、十二時過ぎてもう日曜日突入か。

2020/10/03 Beer&Spice PUB Liberty チーズ盛り合わせ

チーズの盛り合わせや好物のマッシュポテトをつまみに、グレンリベットを煽る。

2020/10/03 Beer&Spice PUB Liberty マッシュポテト

「小沢、ボロネーゼももらえる? ちょっと腹減ってたわ」
「はい、智一郎さん。すぐお作りしますよね」

2020/10/03 Beer&Spice PUB Liberty ボロネーゼ

今日はスプリンターズステークスに凱旋門賞と国内海外で二つのG1が開催される。
一昨年一着、去年は二着のエネイブルで決まりかな。
8-1-3が本命。
ディアドラは唯一の日本馬なので、日本人として義理で買っておこう。
それにしても出走取り消し馬の多い事。
各馬主も凱旋門賞だから、とりあえず登録しておくから、厩舎や調教師たちから猛反対を食らい断念した形なのかな。

ゆっくり睡眠を取ってから、ランチは大成亭でチキンライスと茄子の味噌炒めを頼む。

2020/10/04 大成亭 チキンライス

何だかヤスのカガヤカフェの向かいにあるから、この店へ来る頻度も自然と増えたな。

2020/10/04 大成亭 茄子味噌炒め

櫻井さんから電話が入る。

「あ、智一郎。酒屋の橋本さんのところでおまえが頼んでいたセブンスターのボックス、うちに百個届いたよ。今川越にいるの?」
「今大成亭なんで、じゃあ食べ終わったらヤスのところいますよ」

カガヤカフェでスプリンターズステークスを見るも負け確定。
残るは凱旋門賞のみ。

ヤケ酒に近い形で再び飲み、セブンスターボックス十カートンを受け取る。

2020/10/04 大成亭 セブンスターBOX100個

「智ちゃん、いつもうちの恭央のところ使ってくれて、ありがとうね。これさ、いいシャンプーだから良かったら使ってよ」
「え、おばさん…、別にそんな気遣いいいですって」

「いやいや、本当にうちの息子の店を贔屓にしてくれてさ、おばさん感謝してんだよ。これはもらってよ。あとさ、これも……」

そう言いながら加賀屋のおばさんは、テレホンカードが入るような紙袋渡してきた。
中身を見るとクオカード五千円分のが二枚。

「おばさん! 俺、大丈夫ですって。こういうの使わないですから」
「気持ちなんだから貰っといてよ。ね?」

仕方なく財布の中へしまう。
高級シャンプーだけでなく、クオカード一万円分まで…、これじゃますます川越へ戻った際は、ヤスの店へ顔を出さないといけないな。

まだ飲み足りないと言うので、櫻井さんと大成亭へ三度向かう。
赤色のタコさんウインナーを注文。

2020/10/04 大成亭 タコさんウインナー

お好み焼きもあったので、ついでに頼む。

2020/10/04 大成亭 お好み焼き

「あ、智一郎。松永さんから連絡あって、連繋寺のライフで飲んでるって。一緒に来る?」
「ハンサム松永さんですか。行きましょう」

ヤスの店を出て経つ門前通りへ向かう。
元カフェアンジー跡地キッチンライフ店内で、松永さんが一人で酒を飲んでいる姿が見える。

「おう、サク。遅いじゃねえかよ。お、智一郎も一緒か」

「松永さん……」
「ん、何だよ?」

「入学金は用意できたんですか?」
「テメー! また抜かすか?」

「真理子とよ、一緒に飲んでいてさ。それで変な意味合いは無いぞ? もっと飲むかと俺の家へ連れてきたんだよ」
「……」
自分の家に女を夜引きずり込んで、変な意味合いは無いなど嘘に決まっている。
下心丸出しじゃねえかと突っ込みを入れたかった。
松永さんはこういう時、妙にカマトトぶる癖があるようだ。
「そしたらよ…、あの女、ふざけやがって!」
勝手に一人で話しだし、思い出したように一人でいきなり怒り出す松永さん。
「どうしたんですか? 真理子と何があったんです?」
「あいつ、やらせもしないくせによー…。上の子が高校で入学金がどうのこうの言いやがってよ!」
さっき自分で変な意味合いなど無いとか言いながら、やらせもしないで入学金と話す松永さんはとても滑稽だが、愛すべき存在である。
「松永さん……」
「何だよ?」
「それで入学金は用意できたんですか?」
「ふざけんじゃねえよ! 何で抱いてもいない女の子供の為に、関係無い俺が高校の入学金を用意しなきゃならないんだよ!」
「下心丸出しで、家に連れ込んで、真理子をやろうとするからですよ」
「別にそういうつもりじゃねえよ!」
「松永さんはそれで真理子に責任が発生したんですから、入学金を用意する義務ができたんですよ」
「だから、やってもねえ女に、何で俺が入学金用意するんだよ!」
本当にこの人は面白い。
しばらく入学金ネタでいじれそうだ。

あれって俺が佐川急便へ入る前だから、二千十年の話か?
つまり俺は十年間もこのネタで、松永さんに会う度からかっている訳だ。

「あれ、松永さん、赤ワインなんて洒落たもん飲んでいるじゃないですか」
「テメー、俺がワイン飲んじゃいけねえって言うのかよ!」

「別にそんな事言ってないじゃないんですか。俺もワイン付き合いますよ」

2020/10/04 キッチンLIFE 店内

櫻井さん、松永さんとライフでしっぽりと飲む。
サーロインステーキがあったので、ライスコロッケ同様色々頼んでみる。

2020/10/04 キッチンLIFE サーロインステーキ

「そうそう、智一郎。この店って面白いもんが飾ってあるんだよ」
「面白いもの?」

俺は額縁に入ったA4サイズの写真を見て吹き出す。

2020/10/04 キッチンLIFE 始さんが合成した松永さんの写真

松永さんの顔の下は、白いTシャツを持ち上げて人差し指と薬指の二本で乳首を隠すくだらないもの。
明らかに合成写真だと分かる。

「あー! テメー、サク! またどうでもいいもん智一郎に見せやがって」
「これ作ったの、どうせ始さんですよね?」

和菓子屋の伊勢屋始さんと、松永さんは同級生。
櫻井さんはその一つ下の後輩になる。
俺より六つも七つも年を食っているのに、本当何をやってんだか……。

悪ノリして店に飾ってある松永さんの写真を撮ってみる。
考えてみれば、このライフもこの写真を常備置いてあるなんて、かなりヤバい店だぞ?

酒の入った松永さんは落ち着きがなくなり、狭い店内をウロウロしながら店のオーナーに話し掛けていた。

2020/10/04 キッチンLIFE 落ち着きのない松永さん

「もう俺は明日早いから先に帰るからな!」

俺たちを置いて連繋寺前の中央通りを信号無視で渡ろうとする松永さんの写真を激写。
その瞬間、青二変わる信号。
この人は変なところで運がいい。

2020/10/04 キッチンLIFE 一人先に帰る松永さん

昼から飲み続け、気付けば日が明けようとしていた。

櫻井さんはこれで帰り、俺は凱旋門賞の結果も気になっていたので一人クレアモールへ歩いていく。


二千二十年十月五日、月曜日友引。

二日連荘でリバティー

2020/10/04 Beer&Spice PUB Liberty ペンネアラビアータ

凱旋門賞の結果を待ちながらペンネアラビアータやマッシュポテトを食べる。

エネイブル沈没により、連続で競馬の負け確定。
競馬にしろ、タバコにしろ、飲み代にしろ、この二日間で金を使い過ぎた。
明日から節約せねば。

スプリンターズステークスも駄目、凱旋門賞も駄目
有馬記念まで競馬辞めよう。

今日寝て新宿へ行けば、一ヶ月間のホテル暮らし。
いや、あれはホステルでありホテルではないのか。

起きてから地元へしばらく戻らない為、レストランシブヤのランチを食べて歌舞伎町へ向かう。

2020/10/05 レストランシブヤ ランチ

相変わらずここの酢豚は絶品だ。
レストランでなくとも中華屋として充分やっていけそうなものだけど、洋食屋という括りの中にこんなメニューがあるのがまたいいのだろう。

警戒していた香川の行動も、この日は何もなく無事に週初日が終わる。
仕事を終えると飲みに誘う山下を追い払い、本田と共に大久保のラッキーホステルへ向かった。

入口にはワイファイのIDとパスワードが書いてある紙が置いてある。

2020/10/05 大久保ラッキーホステル Wi-Fi

「え、これってインターネットも使えるって事?」
「そうですよ」

「じゃあパソコンもこっち用に買わないと駄目か」

ここを拠点に俺の新生活が始まろうとしていた。


二千二十年十月六日、火曜日先負。

マンションの一室のようなダブルベッドのある部屋で寝泊まりするようになった俺。
八畳ほどの広さのフローリング。
自分一人なので住むには充分過ぎた。

歌舞伎町のラッキーハウスの仕事が終わると、歩いて新大久保駅方面へ向かい、大久保通りをひたすら真っ直ぐ歩く。
現在滞在しているラッキーホステルへは徒歩十五分程度の距離。
アパホテルの超近距離的な便利さはないものの、それでも川越から通う事を考えたらかなり楽である。

今では宿泊代も六千円を超えたアパホテル。
本来の形に戻っているだけだが、これを毎日捻出する身になると継続するには無理が出てきた。

一泊千六百円なんて、本田もいい場所を教えてくれたものだ。

「本田ッチ。今日はお礼に焼肉でもご馳走しようか」
「いや、いつも赤崎さんにはご馳走になってもらってばかりで悪いですって」

「俺が肉を食いたい気分なんだよ。付き合ってよ。金は出すからさ」
「いつもいつもすみません……」
「えー、岩上さん! 俺は連れてってくんないんすか!」

俺たちの話に食いついてくる山下。
まあ仲間外れにする訳にもいかず、山ゴネスも一緒に連れて行く事にした。

「ダッチは焼肉でいいの?」
「え、ダ、ダッチって……」
「岩上さん、ダッチって何すか」

この手の話になると、山下は面白くて堪らないといった表情で絡んでくる。

「本田ッチだから、略してダッチ。今俺がつけた仇名」
「ダッチ。いいすね、ダッチ!」

こうして山ゴネスとダッチを連れ、歌舞伎町一番街通りの『焼肉どんどん』へ向かった。

この店も俺がワールドワン時代の途中にできてから、今も健在に営業をしている。
数えるほどしか来店していないが、最初は自分一人で、次はあのどうしょうもない安田を連れて来た時か……。

一週間ほど経って妙にやつれた表情の安田が店に顔を出した。
「岩上さん、何も言わず十万貸してもらえませんか?」
状況をとりあえず聞く。
俺は部下に店を任せ、目の前にある焼肉屋ドンドンへ入る。
何故か早番の責任者の吉田まで呼んでもないのに一緒に来た。
他の一円ゲーム屋で働いたが、ワールドワンほど面倒見が良くない。
不満で店を辞め、生活に窮しているようだ。
できればここへ戻りたいと安田は言う。
求人で新人は入り、早番へ送った代わりに川端が遅番に来た。
金を彼に貸したところで戻ってくる保証も何も無い。
安田に対し隣で吉田が偉そうに説教をしていたが、不器用な性格なだけなのだ。
俺は焼肉代をご馳走し、帰りに「これは返さないでいいぞ」と一万円札を握らせる。
吉田はちゃっかり「ご馳走様です」と一円も出さず、安田は俺の姿が消えるまで深々とお辞儀をしたままだった。

「……」

あれは俺が総合格闘技の試合へ復帰する前だから、二十九歳か二十八歳の頃。
本当に無駄な金の遣い方をしてきたものだ。

安田など、あれだけ面倒を見たのに最後は裏切っておしまいだもんな……。

二十年前と今。
これだけ時間が経ったはずなのに、今では安田と吉田の代わりに、本田と山下が横にいる。

2020/10/06 一番街通り 焼肉ドンドン

「あれ、岩上さん、肉焼けてますって。食べないんすか?」

2020/10/06 一番街通り 焼肉ドンドン

「食べるよ。人がじっくり焼いているホルモン取るんじゃねえよ」
「また頼めばいいじゃないすか。あ、ダッチも遠慮しないで好きなのバンバン頼みなよ」
「ありがとうございます! じゃあカルビとライスのお代わりを」

会計は一万五千円だったので、俺が一万円札を出しあとは山下に出せと声を掛ける。

「えー、自分金余裕無いんすよ」
「おまえさー…、いつもそれじゃん……」

「あ、赤崎さん、自分出しますよ!」
「いや、ダッチが出すぐらいなら、俺が出すからいいよ」

新人の分は俺が誘ったから元々出すつもりでいたが、山下のこの人が出してくれるだろうからという当たり前の精神が気に食わなかった。
もらっている日払い額に数千円の違いはあるにせよ、みんな給料をもらい日々働いているのだ。

俺はしばらく甘ちゃん精神の山ゴネスへ説教してから、本田とラッキーホステルへ戻った。


二千二十年十月八日、木曜日大安、寒露。

本田が休みで相模原へ帰ったので、仕事が終わると一人でラッキーホステルへ帰る。
大久保駅北口近くにあるタイガー餃子会館
大久保通り沿いで歩いて途中の場所なので、数日前から気にはなっていた。

普通タイガーなんて餃子の店につけるか?
その破天荒ぶりが何となく面白く、入ってみる事にする。

2020/10/08 大久保 タイガー餃子会館

一見デブった餃子だなと思ったが、まあまあ美味しい。

2020/10/08 大久保 タイガー餃子会館

中華風焼きそばも一緒に食べ終わると、この日は大人しく帰って眠った。


二千二十年十月九日、金曜日赤口。

ラッキーハウスの業務中、また香川から呼び出しが掛かる。
いつもの喫茶店クールではなく、職安通りのドンキホーテ二階にあるコメダ珈琲店へ。

内容はいつもと同じ。
責任者を続けられる覚悟はあるのか?
店の金を抜いていないか?
客が減った現状をどう考えている?

この男の脳みそは本当に腐っていると思う。
俺以外に誰が適任がいると言うのだ。
オーナーの酒井さんに恩義を感じているのに、その店で抜きなどする訳ねえだろうが!

客入りに関しては何度説明し、顧客来店表を見ているはずなのにただの言い掛かり。
これは俺だけが思っているならただの自己都合。
だが早番の従業員すべてが俺を評価し、また慕ってよく来てくれる常連客にも本当に感謝を覚えていた。

だが俺の話を真正面から受け止めず、湾曲した取り方しかしない丸メガネ。
仕事じゃなかったら、真っ先にこの拳でメガネを割っていただろう。

仕事中に人をわざわざ呼び出してまでするようなミーティングなのかよ?
ただの嫌がらせ…、または橋本と裏で結託し俺を辞めさせようとしているようにしか思えなかった。

ラッキーハウスへ戻っても、苛立ちは隠せないまま。
山下が心配そうに聞いてくる。
俺はまだ抜きをしているだとか、意味不明な事を抜かしていると簡潔に説明。

「岩上さんが抜きなんてやる事、ある訳ないじゃないすか!」
「それは毎度あの馬鹿に会う度、散々言ってるよ。それでもこんな毎回毎回ネチネチ呼び出され、同じ事言われてみろよ」

「別に悪い事してないんだから、正面から戦えばいいじゃないすか」
「逃げてねえだろうが! 真正面から受けて、堂々と言ってんだろ。ただそれでもしつこいから、うんざりしてんだよ」

「岩上さんは絶対に抜きなどしてません! 俺が断言できます。抜きをしているのは橋本ですから」
「じゃあそれを俺の前じゃなく、香川の前で言ってこいよ!」

そう…、俺の口から出るから言い訳に見えるのだ。
同じ番で働く山下が、同様に言うなら話は違ってくるはず。
第三者が伝えるのと当人が話すのでは、あの馬鹿な香川もさすがに聞く耳ぐらい持つだろう。

「……」

何故か黙ったままの山下。

「おい、何だよ? 香川に俺の正当性を伝えるんじゃなかったのかよ?」

「……。じ、自分は…、自分が同じように責められたら、キッチリ戦います!」

「……。おい、山下……」
「な、何すか?」

「もういいや、おまえ…。向こう行け」
「え、何でですか?」

「テメーよ…、年取って俺が丸くなったと勘違いしてんのか? 悪いけど、元は何も変わっちゃいねえぞ、おい……」

「す、すいません……」

この日俺が、山下と仕事以外の会話をする事はなかった。

同じ新宿区でも、歌舞伎町と大久保百人町界隈はまるで空気が違う。
まず歩いている外国人の数が断然多い。
KDDIがある都庁側はオフィス街で、歌舞伎町は歓楽街。
大久保はまるで多国籍街といった雰囲気だ。

帰り道、昨日行ったタイガー餃子会館の隣の隣くらいにある『麺処直久』へ入ってみる。
メニューを眺め、何にしようか迷う。

2020/10/09 大久保通り 麺処直久

ラーメンはコク旨ラーメンの醤油。

2020/10/09 大久保通り 麺処直久

そして焼き餃子としそ餃子の二味餃子定食を注文。

2020/10/09 大久保通り 麺処直久

頼んだあと思ったのが全ラーメン醤油と味噌があるので、次は味噌ラーメン頼んでみようと思った。

写真を撮りフェイスブックへ載せると、同級生の飯野君がコメントをしてくる。

『職安通りから線路伝いに行くと、学生時代にお世話になった大明飯店の、豚肉の細切り炒め定食を機会ありましたら是非。 飯野誠

明日辺り行ってみようかな。

ラッキーホステルへ帰り、ベッドへ横になる。
一人になり色々考えてみた。

セブンスターへ火をつける。
ゆっくりと煙を吐き出しながら、昔を思い出す。

新宿の事務所のインターホンが鳴る。
山下が入ってくるのが見えた。
俺の存在に気が付くと、ビクッと一瞬仰け反るようにしてから怯えた表情に切り変わる。
「お、お疲れ様です……」
「山下……」
「は、はい……」
DVDが並ぶ棚を指さす。
「おまえが入ってから、何番くらいまで作品が出たか覚えているか?」
「あ、はい…、ええと……」
棚の前で前屈みになり、DVDを数えるふりをする山下。
俺は真横から、山下の顔面を蹴り上げた。
悲鳴を上げながら倒れる。
「随分と舐め腐った真似してくれたな、小僧」
もちろん加減はしているが、大袈裟に山下の身体を何度も蹴飛ばす。
「い、岩上さん、ヤバいですよ」
長谷川が止めに入るが、手で制し蹴り続けた。
「コイツはね、先輩を舐めたんですよ。そういう馬鹿はきっちりヤキ入れとかなきゃ駄目なんですよ。なあ、山下? 何だ、この間の態度は?」
「すいません! すいません!」
「随分前に教えたろ? すいませんじゃなくて、すみませんだと。おい、顔上げろ」
攻撃が止み、ゆっくり顔を上げた瞬間、また蹴飛ばした。
俺がこいつをここまで駄目に…、馬鹿に作り上げてしまったのだ。
長谷川から見れば、何て酷い事を思うだろう。
かなり加減して、後遺症が残るようにはしていない。
これまで俺を馬鹿にしてきた人間たちへの見せしめ。
そして叩かないと分からないほど、狂った山下。
いわばこれは愛の鞭だ。
事務所内が凍りついたような静けさに包まれ、山下の吐息だけが聞こえる。
「もう帰っていいぞ。おまえ、岡部さんところにお礼行かなかったら、また同じ事するから。分かったな?」
「はあはあ…、わ、分かりました! 失礼します!」
ヨロヨロしながらも、自分の足で事務所を出ていく山下。
出血はどこもしていない。
本人的にただ痛いというだけ。
執行猶予四年もつき、保証金だって前借りしているから、残り百数十万しか残っていない。
これから惨めな人生を送らねばならない山下に対し、俺は暴力を使うのが最善の療法だと思った。
馬鹿なのはしょうがない。
ただ心まで忘れたら、それは動物と変わらない。
年齢は関係無しに、叩いてでも教えないといけない事だってある。

「……」

人間の性根は、どれだけ時間が経ったところで変わらないのか……。

長谷川昭夫の元で一緒に行った秋葉原の裏ビデオ屋『アップル』。
その時名義人として山下哲也を使った。
警察に摘発されやすい商売。
それを案じた俺は、長谷川へ売上に応じた歩合もつけるようにアドバイスをする。
結果俺が描いた図式通り商売は上手く行き、半年で六千万の売上を作れた。
山下は歩合も含め月に百万円近くの報酬。
だが、すべてのシステムを作った俺は日当一万二千円。
月にして三十万円程度の給料だけだった。

馬鹿に権力と金を与えても碌な事にならない。
それを正に地でやってしまった訳だ。

図に乗った当時の山下は酷かった。
それだけの金を貰っていたのに仕事は遅刻。
店の売上は飲みに行って無くす。
俺がお願いして、岡部さんを身元引受人で裁判へ出てもらった事に対して感謝すらなかった。
オマケにあれだけの金を飲み食いで格好つけ散財し、借金まで作っていた山下。

あの時俺は、二度目のヤキ入れをしたのだ。

二千五年で今が二千二十年。
十五年間の歳月で、山下の性根は何も変わっていない。

人にタカるだけタカり、それが当たり前。
そこに感謝も何もない。

得意なのは喋るだけ。
責任感も何も持ち合わせていない。

だから俺の現在の状況に対し、最もらしい事だけは偉そうに話す。
しかしいざ自分がとなると、正論を言っているように見せ掛けているだけで、ケツを割って逃げ出す。

昔から分かっていたはずなのに、何故俺はこんな奴を少しでも頼りにしてしまったのだろう。
以前より年も取り、気弱になった?
経験と知識がついた分だけ、イケイケじゃなくなってしまった。

勢いがいいという話ではない。
ただ今の自分がとても情けなく自己嫌悪しているだけ。

味方だったと思っていた人間が、何も役に立たない現実。
この店での絶望の底が見えたような気がした。

まず他を批判する前に、己を恥じよ。
色々な面で俺は衰えていたのだ。

何がジャンボ鶴田師匠の背中を見てきただって……。

レスラーは攻撃を避けちゃ駄目って、俺、元々レスラーでも何でもないじゃん。
受けるだけ受けてきたつもりさ。
でも、さすがに物事には限度というものがある。

酒井さん…、すみません……。

ひょっとしたら俺…、あなたが捕まっている間はラッキーハウスを護ろうと思っていましたが、無理かもしれません……。

池袋のちかからLINEが届く。

「……」

この子も全然俺が客としてキャバクラなど行っていないのに、よくまあ毎日毎日飽きずに連絡してくるものだ。

何度かやり取りしている内に、ラッキーハウスでの現状を少しこぼしてしまう。
それでも彼女は親身になって返信をしてくる。

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