闇 444(天皇賞・春先小紅編)
闇 444(天皇賞・春先小紅編)

2026/01/08 thu
前回の章
二千十八年四月一日、日曜日大安。
今日はエイプリルフール。
嘘をついてもいい日。
もう春だ。
幼い頃ベストテンで聞いたあの曲が頭の中で鳴り響く。
何だっけ?
春先小紅だ!
今あんな引っ掛かるような甘い声で唄う歌手っていないよな。
古き良き昭和時代の象徴だったようなフワフワするような曲。
気分一新俺も頑張らないといけない。
ラッキーハウスの店の準備を終わらせ、まだ客が誰も来ていないので椅子に座って携帯電話を眺める。
今は亡き斉藤弘一とのショートメールを眺めている内に、二俣川の戸田とのやり取りが目に入った。
二千十六年九月二十日だから約一年半前。
横浜市旭区にある旭総建工業へ来てくれと初出勤した日。

いきなり現場でまずペンキ塗れと言われた時に、すぐ気付けなかった俺もいけないよな。
あの男の噓八百に対し……。

十月三日には、あの山の坂道だらけの場所にあった暗くジメジメしたマンションへの引っ越しを促されている。

そして十月十一日には、川越から横浜へ住民票も移せと面倒な事を言ってきたっけな。
よくもあそこまで人の人生へ介入しておき、一ヶ月半で一万五千円しか金を払わなかったものだ。
こんな奴との過去のやり取りなんて、いくら見たところで何一つ生まれない。
気分悪くなるだけ。
そういえば俺の新宿クレッシェンドって、まだアマゾンとかで売っているのかな?
「……」

中古本なのに三千九百円?
新品の定価の約四倍じゃねえかよ……。
この本を一から生み出した作者が印税を一円ももらえず、どこの誰だか分からない人間が勝手に流通し金儲けをするようになった時代。
この構造は、どう考えてもおかしいだろ?
何でこんな国になってしまったんだろうな……。
店のインターホンが鳴り、佐藤充登場。
憩いの時間は終了。
ドアを開けるといきなり競馬の話を始める。
人のせいにするのも良くないのは分かっていたが、ひたすら競馬話をされ、シミュレーションしろと言い続けてくる充に嫌気が差し、昨日も競馬をやって負けた。
昨日の海外レースのドバイシーマクラシック。
日本の馬は入着に絡まずと予想し、外国馬のみで三連単買ってみる。
しかし土曜競馬で負け過ぎていた為、ドバイ外国馬全頭ボックスを買えず。
仕方無しに絞って買ったら、外した馬が来てしまう皮肉な結果。
当たりは7-5-6の一万七千五百七十円の万馬券。

何だか死んだほうがいいと思うほど運気がまるで無い。
今年に入って三ヶ月で八十万負け。
今日の大阪杯まで外れたら、生きる価値ゼロだなあ……。
「岩ちゃん! 馬券は買うんじゃなくて、まずはシミュレーションだって何度も言ってんじゃん! 今日はちゃんとやってんの?」
「やってますよ……」
毎週毎週土日になると、この繰り返し。
もう金を使いたくないから競馬を辞めたいのに、それを許さない充。
客とはいえ、本当に面倒臭い。
こんな事をしているぐらいなら、実際に金を賭けてレースをしたほうがまだマシだ。
阪神11レースメインの大阪杯。
1-2-4-8-15ボックス買い。
負けたら八万円以上の損失。

仕事をしながら一服の合間にレース結果を確認する。
「はあ……」
「だから岩ちゃん、シミュレーションして勝ててないのに、実際に金賭けちゃ駄目だって言ったじゃん!」
自分の金をどう使おうと俺の自由だろと怒鳴りつけたい気分だった。
負けました。
みなさん、賭け事は辞めましょう……。
俺はフェイスブックの投稿へ、このように補足するぐらいしかできない。
本当に何の為に働いているのだろうな。
二千十八年四月四日、水曜日友引。
ようやく休みが訪れる。
しかし競馬の負けがあるので、そんな贅沢な過ごし方はできない。
カフェアンジーからは、未だフォローの連絡一つ無し。
もちろん底辺の俺にだって最低限のプライドはある。
これまで贔屓にしたし、失礼な行為など何一つしていないのだ。
向こうからちょっとした気遣い一つもない状態で、俺から尻尾を振って店へ行く事だけはしない。
決まりきったコースではなく、たまには全然違う方向へ行こう。
川越市役所方面へ向かい、一番大好きなラーメン屋『ラーメン十八番』へ入る。
何だかんだでここへ来るのも随分久しぶり。
思えば俺が小学生の頃、親父に連れてきてもらったのが最初だから結構長い付き合いになる。
特製醤油ラーメン、俺はこのラーメンより美味いものを食べた事がない。

変わらない旨さ。
何でもっと早く食べに来なかったのだろう。
これまで近所だからとアンジーにばかり拘った自分を恨む。

店主夫婦と会話しながら、一度店を閉めた事実を聞き驚いた。
「俺ももういい年だろ? 一旦閉店したんだけどよ。いざ隠居ってなると、暇で暇でねえ。だから昼の間だけまだやる事にしたんだよ」
「全然知らなかったですよ。じゃあ俺、今日本当にたまたま来たけどついていたんですね。今、営業時間ってどうなってんです?」
「営業時間はねー、昼の十一時半から二時まで。日月休みにして無理しないようにしてんだよ」
また復活してくれた事に、何より感謝を覚える。
知らない間に十八番が終わっていたなんて知ったら、どれほどの後悔をしたか分からない。
ジミードーナツやグリルトーゴーであれだけ懲りたはずなのに、俺はまるで成長がない男だ。
二千十八年四月八日、日曜日赤口。
無性にピザ食べたくなったので、所沢で途中下車して、プロペ通りにある珈琲と無国籍ダイニング海峡でピザや肉を腹一杯詰め込んだ。
浅草ビューホテル時代、仕事帰りに川越駅西口にあった海峡には当時よく足を運んだものだ。
もうとっくに潰れてしまったが、あの海峡が所沢にあるというのを知って、我慢できなくなり寄ってしまった。

まだ歌舞伎町も知らなかった二十代前半の頃。
こうしてローストビーフを食べたり、パスタを食べたり。

洋風系のメニューが多いから、この店好きだったんだよな。
ピザを切りながら、あの大サイズの唐揚げを思い出す。
何だかあの頃って本当に楽しかったなあ……。

川越店だったら、この大根サラダも「岩上さんは海苔を掛けなくてよろしかったんですよね?」と店員が笑顔で覚えてくれていた。
「ラッキーライラック鉄板だよ! もうこの馬しか考えられない」
佐藤充の声が脳裏にこびり付いている。
あ〜、桜花賞負けたじゃねえかよ。
あのチビが一着固定でなんて言わなければ、一応当たっていたのだ。
二番人気のアーモンドアイが余裕で勝ってしまい、肝心のラッキーライラックは二着。
三着も三番人気のがリリーノーブル来て、配当はすべてガチガチ。
まあ今週これだけ固かったので、来週の皐月賞は荒れるのではないか?
次こそ頑張ろう。
二千十八年四月十日、火曜日友引。
仕事を終えとっとと着替えて外へ出る。
明日は休みなのでちょっと解放感を覚えた。
西武新宿駅方向へ歩きながら、ふとステーキが食べたくなる。
どうせ休みだし、たまには目黒まで行っちゃうか……。
進路を新宿駅に変え、一番街通りを歩いていると声を掛けられた。
振り向くと伊達が立っている。
同じ早番同士なので、店は違えどもこういったニアミスもあるのか。
いつもと違うところを歩いていたので、どこへ行くのか聞かれ、素直にステーキを食べに行くと伝えると彼も一緒についてきた。
前回俺が東京新聞杯を負けた時ご馳走になったので、邪険にする意味合いもない。
目黒駅に着き、タクシードライバーに『ステーキリベラ』を告げる。
五反田か目黒か聞かれるも、店内の広さの違いなのでどちらでもいいと答えた。

五反田のリベラへ到着。
伊達は何故俺がこんな店を知っているのか不思議がっていた。

1ポンドステーキとサラダを頼む。
伊達は店内をあちこち落ち着かないようにキョロキョロしている。

この店はすべてのプロレスラーが訪れる聖域でもあった。
左右の壁だけでなく天井にまでレスラーの写真が額縁に入った状態で飾られている。

「岩上さんの写真はないんですか?」
「俺はプロレスだと試合出場経験ないから、純粋な言い方をすればレスラーではないですからね」
「え、でもリングに上がっていたんですよね?」
「俺は総合格闘技のほうですよ。覚悟が足りないから、そうやって誤魔化して生きてきただけなんですよ」
俺の台詞に対し、伊達はいまいち理解できないような中途半端な返事をした。
まあ確かに俺自身の経歴自体、分かり辛いもんな……。
いい感じのレアのステーキが目の前に置かれる。

「凄いっすね、この店のステーキ!」
「そこにある醤油ベースのソースを掛けて食べるんですよ」
俺がこの店を知ったのは、最初の全日本プロレス入門が大沢史博によって壊されたあと。
定職も決まらずフラフラしていた頃、北海道倶知安の同期鳥谷部がこちらへ上京してきた。
彼は軌道屋に住み込みで働いていて、無職だった俺は誘われた形で目黒へ一時期住んでいた時代があったのだ。
その時目黒駅の階段を上るところにデカデカと看板を出していたリベラ。
あの時はロードウォーリアーズのホークの写真が大きく写っていた。
大食漢だった俺は、それを見てリベラへ行く事を夢見ながら日々仕事をした思い出。
結局仕事量が少なくそんないい稼ぎにならず、数ヶ月で軌道屋を辞め川越へ戻った。
なので目黒といえば俺にとってリベラぐらいしかいい思い出はない。
食事を済ませると、今回は俺がお返しにすべてご馳走をした。
川越へ戻ると、いつものように猫たちへ餌を与えてから家に帰る。
二千十八年四月十一日、水曜日先負。
競馬だけで目減りしていく金。
悶々とした時間を過ごしながらも、昨日行ったリベラで何となく変わろうと思えた。
小さな幸せを感じられれば今はそれでいい。
昨夜のステーキは、生きている充実感を少しは覚えられた。
せめて休みぐらい好きで美味しいものを。
自然と寿司割烹栄へ足が向く。

マグロの赤身の握りをつまみながらウイスキーを飲む。
久しぶりにマグった気がする。

こうした茄子味噌のような旨いものを食べながら、ちょっとずつの幸せを感じる時間。
二軒目は仲町にあるワインスタンドポンへ行く。
赤ワインを嗜みつつ、チリビーンズを注文。

ここへ来ると、どうしても隣りにあった仲町のおばあちゃんを思い出してしまう。
今では駐車場になってしまい、あの頃の思い出も欠片もない。
せめて今こうして思い出すだけでも、ちょっとは違うのではないだろうか。
個人を偲ぶ。
店の人に分からぬよう静かに黙祷を捧げた。

頼んだつまみが出来上がる。
岡部さんが好きそうな料理だ。
待てよ…、最近水曜日休みにしていたが、また日曜にしてもいいんじゃないのか?
そうでもしないと岡部さんと飲む事もできない。
佐藤充との接触する日を減らすだけでも全然違ってくるだろう。
俺には人生を逆転できるような決定的な力など何もない。
今は挫けないよう、生きていく意味を少しでも見つけられるよう考えろ。
欠けているものが多過ぎるのは事実。
でもそう焦らないでいい。
人生は結局なるようにしかならないのだから。
二千十八年四月十四日、土曜日赤口。
今日は新宿で泊まり明けの出勤。
曜
飯野君からゴールデン街のけいこの店へ行かないかと誘いあり、終電を逃す羽目になったのでサウナで寝た。
彼の前だったので必要以上けいこを意識せず、彼女を気に入っている飯野君の為にフォロー役へ回る。
それでも久しぶりに顔を見れたので、変に満足していた。
出勤してしばらくすると、お決まりの佐藤充来店。
「岩ちゃん、このお守りあげるよ。由緒ある神社で博打の運気上がるやつなんだよ」
お守りなので変に捨てる訳にもいかず、仕方なしに受け取る。
またシミュレーションシミュレーション言われるのが嫌だったので、今日は先手を打っておいた。
全レース四、六、九、十三人気の馬四頭ボックス買い。
三連複だったら四通りしか掛からないので、使う金額も抑えられた。
十三頭出ないレースを除き、予め買ってしまう。
充が話し掛けてきたので自分の買い目を見せ「もう全レース買っているので」と話題に乗るのを辞める。
不服そうだったが俺の知った事ではない。
早速充お守り効果が出たのか、見事全レースを外す。

橋本へお守りをあげようとしたが、汚い異物を見るような目で嫌がりしょうがなくポケットへ戻した。
それにしても本当に博才の無い俺。
それでもまだ充絡みで負けた訳ではないので、幾分だけ清々していた。
負けて金を失いながら、こんな風に思う俺は異常だ。
生きている価値をこれ以上減らさぬよう気をつけねば。
二千十八年四月十八日、水曜日大安。
先日けいこの顔を見てしまったせいか、仕事帰り休み前に強飲へ飲みに行く。
これまで彼女へ距離を取ってしまったせいか、飯野君の手前なのかは自分でも分からない。
それでも俺はこの子が好きなんだなと実感した。
気付けば日が明けて十八日。
まあ始発まで飲んで帰ればいいだけだ。
「岩上さん、紹介します。彼女イスラエル人のノアです」
「ドーモー、ハジメマシテー。旅行デ日本キマシタ。日本ダイスキデス」
「あ、日本語結構話せるんだね」
「彼女、今私の家で寝泊まりしているんですよ」
「じゃあせっかく日本で会ったお祝いで、俺から一杯ご馳走しよう」
「オー!」
本音はけいこと二人きりが良かったが、ノアがいる以上仕方ない。
朝まで陽気に飲んで川越へ帰る。
すっかり明るくなってしまったが、埼玉りそな銀行の駐車場へ行くと猫たちが出てきた。
「ごめんな、遅くなっちゃって」
俺は餌を与え泥のように眠ってから、昼飯を食べに出掛ける。
アンジーへ行かなくなった選択が、自身の行動範囲を広くしていた。
まずは近所なのにこれまで不義理してしまった店から回りたい。
俺は仲町のビストロ岡田へ入る。
まずこの店でお決まりのデミグラスソースのロールキャベツとサーモンクリームコロッケを頼む。
さらにエスカロップもお願いした。
「岩上君、相変わらず食べるねー」
「まだまだ育ち盛りですから」

箸でも切れるほど柔らかく煮込んでロールキャベツ。
そして豚肉衣焼きのエスカロップは、下にデミグラスソースが引いてある。

この店の料理は美味しくいただきながらも、いつか絶対にパクってやろうと思っている。
久しぶりなのに嫌な顔せず、笑顔で快く出迎えてくれるシェフ夫婦を見て、何故もっと早く来れなかったのだろうと心が痛む。
何となく理解できたのが古くからあるお店の数々は、俺にとっての故郷なのだ。
確かに味はカフェアンジーのほうがお洒落で美味しいかもしれない。
ただ言い方は悪いが、所詮新参者の余所者なのだ。
だからあのように失礼な真似を客にして、フォロー一つしてこない。
もっと本当の地元を大事にしなきゃなと思えた有意義な一日だった。
二千十八年四月二十日、金曜日先勝、穀雨。
インターネットの記事を見ていて、イラッとした事がある。
一部の政治家たちのパフォーマンス運動にしか見えない『# me too』という背景が赤色に白文字で書かれた紙を持つ意味不明な行動。
調べてみると、セクハラや性的暴行などの性犯罪被害の体験を告白や共有する際、SNSで使用されるハッシュタグらしい。

年収何千万も給料もらっといて、恥も外聞もなくよくこんな真似を大勢でできるなと呆れてしまう。
こんな馬鹿な連中が、この国の代表なのか?
そりゃあどんどん衰退していくよな……。
パフォーマンスはいいから、ちゃんと議員の仕事しろよと、俺はフェイスブックへ投稿しておく。
恥を知らない人種というのは、見ていて非常に滑稽で情けない。
物事に便乗すればいい、それが政治の仕事だと感じているのなら、今すぐ辞任してほしいものだ。
極論だが、短期間だけ帝国国家にして統制取らないと、この国ヤバいんじゃないかと思う。
セブンスターボックスをポケットから取ろうとして、妙なものが手触りであった。
取り出してみると、先日佐藤充が競馬で当たるよと強引に持たされたお守り。
考えてみれば、このせいで俺はずっと不運続きなのでは?
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