表現を仕事にする人が、歴史と政治を学んだ方がいい理由
絵を描く人、
文章を書く人、
音楽を届ける人、
動画を作る人、
演技をする人、
喋りで人を楽しませる人、
写真を撮る人、
踊る人、
人間はさまざまな表現をする。
そして、
「表現する」という行為は、
それだけで社会と関わることになる。
表現がSNSと直結してる現代社会において、表現は、ただの自己発信ではない。歴史や政治と切り離された表現は、時に無意識の加害になる。だからこそ、描く前に知ること、奏でる前に学ぶことが求められる。自由に発信できる時代だからこそ、その自由を支える知識が必要になる。
この記事のポイント(読む時間がない方向け)
表現は、発信した瞬間に社会と接続される行為であり、無自覚でも加害やプロパガンダに加担してしまう危険がある
ヒトラー、毛沢東、ポル・ポト、宗教過激派など、権力は表現を利用・抑圧してきた過去がある
歴史を知らないと、自由を奪う言葉や制度を「正しそうなもの」として受け入れてしまう
歴史は、陰謀論・排外主義・ナショナリズムの使い古された手口を見抜くためのワクチンになりうる
歴史を学ぶことは、表現の自由と多様性を守るための土台をつくる行為である
表現者だけでなく、エンタメを受け取る側も歴史を知ることで、作品の解像度は飛躍的に高まる
表現には、メッセージを何倍にも増幅させる力がある。使い方を誤れば、差別の拡声器となって、無自覚にヘイトを撒き散らす可能性すらある。だからこそ、何をどう発信するかを判断するための知識が問われる。
その知識こそが、歴史と政治なのだと思う。
※この記事は、特定の思想や立場を押し付けるものではありません。表現を仕事にする者として、どんなリテラシーが求められるかを共有したいという個人的な問題意識です。
表現者が無自覚にヘイトを撒き散らす拡声器になりうる危険性と、表現規制の歴史、排斥主義にいたらぬ予防法については、続に記載しました。↓
今回の記事に、続を含め、表現とナチの話、エンタメを享受する側も歴史を知ると楽しみが跳ね上がる理由など、大幅に加筆した全部のせフルコースな【完全版】がこちらです。↓
歴史を知らない表現は、無自覚な加害になりうる
アーティストや表現者が歴史的・政治的な文脈を踏み外して炎上するケースをよく目にする。意図的じゃない分、余計に切ない。たぶん本人も、こんなつもりじゃなかった筈なのだ。
だが厳しいことに、今は「知らなかった」が免罪符にならない時代になりつつある。
絵を描くこと。
歌を歌うこと。
映像作ること。
文章を書くこと。
話すこと。
アーティスト、役者、声優、芸人、漫画家、文筆家、イラストレーター、フォトグラファー、映像作家、YouTuber、VTuber、作詞家、作曲家、歌手、落語家、講談師、広告業全般 ──数え出したらキリがないが、表現という仕事は、ある意味では「公共に触れる職業」でもある。誰かの心に届くものを作っているということは、それが社会に対して何らかの“メッセージ”として読まれる可能性があるということ。
だからこそ、自分の作品が、無自覚に差別や偏見、歴史の歪曲やプロパガンダに加担していないかを、自分自身がいちばん意識しておく必要がある。逆に、「あえて何も言わない」ことが、「この人はどんな悲惨なことが起きていても無関心なのか」と受け取られることもある。
例えば、いまガザではイスラエルによって、子供たちが大量に虐殺されている。何のメッセージも発しなければ、それを黙認しているとも取られかねない。「反対すべきことには反対」と明確に示す必要がある。
表現というのは、ほんとうに繊細なバランスの上に成り立っている。
“偉人”を疑うという学び
1年前、あるミュージックビデオが炎上した。「こういう表現はやってはいけません」という事例を豪華舟盛にしたようなMVだった。
コロンブス。日本では“偉人”として扱われがちなこの名前も、世界的には“侵略者”や“大量虐殺者”、先住民を奴隷化して搾取を行った植民地主義の象徴として批判の対象になることも多い。その背景を知らずにコロンブスをテーマに無邪気な演出をすると、「植民地主義を礼賛しているのか?」と指摘されるのは当然の流れだ。
しかしこれも、歴史的な背景と、世界史の政治的な文脈を知っていればある程度防げたはずだ。表現をするには、学ぶ必要がある。特に歴史。中でも今の生活に直結している近現代の世界史は重要だ。歴史を知れば、政治の背景が見えてくる。
どうして、あっちでもこっちでも戦争や紛争をしているのか。表現を生業にしている人間こそ、その経緯を知っておく必要がある。
何故か。
表現という仕事は、
平和でなければ成り立たないからだ。
歴史を知ることは、炎上を避ける知恵でもある
絵を描いたり、歌を歌ったり、映画を作ったりすることは、平和で、多様な価値観を持った受け手がいてこそ成り立つ営みだ。私自身イラストレーターを生業としているが、私がペン先一本で生活できているのも、今のところ日本がある程度平和で、私の絵を許容してくれる人がいるからだ。
逆に、全体主義や独裁国家では、そういう表現は「プロパガンダ」に取り込まれたり、「禁止」されたりしてしまう。
だからこそ、表現を仕事にする人には、自分が立っている平和という地盤がどういう過程で、どんな構造で出来ているのかを知る必要がある。それはつまり、歴史を学ぶことだったり、政治の文脈を知ることだったりする。
表現とは、ただの自己発信ではない。誰かの心に届き、時に社会の空気を動かし、意図せずして大きなメッセージを発してしまうこともある。とくに今のように、社会が分断と緊張に揺れる時代においては。
絵を描く人も、音楽を奏でる人も、言葉を届ける人も、歴史や政治の文脈を知らずに発信することは、偏った価値観や差別的な構造を無自覚になぞってしまう可能性があり、それは、本人の意図と関係なく、作品そのものが「プロパガンダ」になってしまうことすらある。
これは、表にでるアーティストだけでなく、裏方のスタッフにも言える。例のMVに関して言えば、作り手と意思決定のプロセスで、あの企画を止められるストッパーが何人もいたはずだ。大炎上するまで、誰もあのMVをおかしいと思わなかったのか甚だ疑問だが、もし歴史を知っている人間が責任者にいたら、あの大炎上は起こらなかったかもしれない。
歴史を学ばないと、自由が死ぬ
例えば、歴史を知らなければ、ヒトラーのナチ党が積極的に推奨した優生思想をなぞった発言を、無自覚にしてしまうかもしれない。
優生思想とは、「遺伝的に優れた人間を増やし、劣った人間を排除しよう」とする思想だ。20世紀初頭にアメリカや欧州で広まったが、ナチスはこれを極端な形で国家政策に取り入れた。
結果、「遺伝的に病んだ子孫を防ぐ」という名目で、知的障害、精神疾患、てんかんなどの人々に対して強制断種(不妊手術)を実施する断種法、障害者や精神疾患のある人々を「生きる価値のない命」として安楽死(実質は殺害)する国家プロジェクトT4作戦、「アーリア人」を「優れた人種」として美化し、ユダヤ人、スラブ人などを「劣等人種」として差別・迫害する人種衛生政策など、人権を無視した政策が国家的に行われた。
ソ連では、国家が芸術を「人民のためのもの」と定義し、「社会主義リアリズム」という唯一の芸術様式を強制した。体制に批判的な作家や作曲家は次々と粛清・追放され、芸術は個人の表現ではなく、国家の宣伝手段となった。芸術が“正しい思想”の証明手段にされたとき、創造は死に、自由も死ぬ。
自分の表現が、人の命や自由を奪うことになりかねないのだ。
歴史を学ばないと、繰り返してしまう
歴史を学ぶことは、世界がバッドエンドを迎えないように、先にシナリオを知っておくことに似ている。過去を知らない者は、何度もタイムリープを繰り返す羽目になる。タイムリープせずに済む方法は、「すでに一度あった未来」からの警告を受け取ることだ。
1、過去の過ちを繰り返す
独裁・戦争・差別・弾圧……それらがなぜ起きたのかを知らなければ、同じ状況に置かれたときに抵抗できない。「ナチスの台頭」や「治安維持法の濫用」を知らなければ、自由を奪う法制度が生まれても見抜けなくなる。
2、自由を奪う者の手口が見抜けなくなる
自由を奪う者ほど「大義」や「国益」を掲げる。歴史を学んでいれば、「あ、これは昔にもあった手口だと」と気づける。
3、市民の自由意識が薄れる
自由や人権は「当たり前にあるもの」ではない。血を流して勝ち取ったものであるという歴史的事実を知らなければ、簡単に手放してしまう。
現に、人類は同じような過ち、つまり大量死を繰り返してきた。その悲惨な過去から学んだ者、経験から学んだ者が警告する。だが、老いて死ぬ。過ちを経験したことのない層が実権を握る。そして、また同じ過ちをする。人がたくさん死ぬ。
ナチ党の台頭を例とる。現代の一部ポピュリズム政党や陰謀論系の運動に、過去にナチ党が使用した手法と類似の印象がみられる。
ナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)は当初、多くの人々に「とんでも政党」「過激で取るに足らない極右集団」と見なされていた。1920年代初頭、ナチ党は小さな極右政党の一つにすぎず、特に知識人層や都市部では「扇動的で下品な連中」という認識で、ヒトラー自身も、長らく「野心家の変人」「一発屋的な扇動者」と捉えられており、真剣に受け取られないことも多く、保守派政治家たちからも軽視されていた。
結果的にこの見誤りが、全権委任法の成立、ワイマール憲法の停止、独裁体制の確立へとつながる。
ナチ党の初期の主張には、突飛で荒唐無稽な陰謀論(「ユダヤ人が世界を操っている」など)や、極端な民族主義が含まれていたため、多くの人々は「まさかこんな連中が政権を取るはずがない」と考えていた。
しかし、不況・失業・共産主義への恐怖・第一次大戦後の屈辱感を、ナチ党自身が意図的に煽りまくった。「ドイツは不当に罰せられた被害者だ」「共産主義もユダヤ人の陰謀」国民の誇り」を取り戻すという名目でナショナリズムを過激に鼓舞し、社会不安のすべてを、架空の「敵」のせいにすることで憎悪を集中させた。
ナチ党は、社会にくすぶる不安や怒りを「見つけて煽った」のではなく、「意図的に作り出して増幅させた」と言って良い。彼らの手法は、恐怖と怒りのマーケティングだったのだ。
また、1960年代の中国では、文化大革命の名の下に「革命的でない表現」はすべて敵視された。書籍や絵画、音楽、演劇は焚書され、伝統芸能は「封建的」として排除された。芸術家たちは自己批判を強要され、沈黙こそが生存手段となった。「正義の名のもとで表現を一色に塗りつぶすこと」が、どれほど危険かを示す典型である。
カンボジアのクメール・ルージュ(ポル・ポト政権)は、「理想の平等社会」を掲げて都市文化を否定し、知識人・芸術家・教師を大量に虐殺した。伝統音楽や舞踊は「反革命」として禁じられ、創造すること自体が罪とされた。
イデオロギーが“純粋”を追い求めたとき、最初に消えるのは多様性と芸術だった。
今日本だけでなく、この流れが世界各国で起こりつつある。絶対に、このような流れを繰り返してはならない。
だが、現代人は歴史という膨大なループのログを読むことができる。攻略本が既にあると言ってもいい。それを無視して未来を選ぶのは、選択肢の意味も知らずに分岐を進み、何度もバッドエンドに行き着くようなものだ。
学びが必要なのだ。過ちを繰り返さないために。
陰謀論に騙されないために、歴史はワクチンになる
言い換えれば、歴史とは「自由の使用説明書」であり、「警報装置」でもある。哲学者ジョージ・サンタヤーナは言った。
「歴史を忘れた民族は、同じ過ちを繰り返す」
裏返せば、「歴史を学ぶ民族は、自由を守り抜ける」とも言える。
<歴史を学ぶことで得られる自由の防衛力>
・自分の立場を疑えるようになる
・他人の自由も守る視点が持てる
・「空気」や「同調圧力」に流されにくくなる
「歴史は繰り返さなさい、しかし、韻を踏む」
「トム・ソーヤーの冒険」で知られる米作家マーク・トウェインの言葉とされる。全く同じではないが、似たようなことはよく起きるという警句だ。歴史を知っていれば、過去と同じような文脈を辿っていないか警戒することができる。
また、歴史を知っていることは、陰謀論に騙されにくくなるための強力なワクチンになる。
なぜ歴史を知ると陰謀論に強くなれるのか?
1. 似た構造の「過去」を知っているから
陰謀論は「裏に黒幕がいる」「すべてが仕組まれている」といった、魅力的だが単純化された構図を提示してくる。歴史を学んでいれば、「そう単純じゃない事例」がいくつも思い出せるようになる。
例1:
「ユダヤ人が世界を支配している」という古典的陰謀論
→ ナチスがそれをプロパガンダに利用し、大量虐殺に発展した史実を知っていれば、警戒心が働く
例2:
1923年の関東大震災直後、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「放火している」といったデマが流れ、民間人や自警団、軍・警察によって多くの朝鮮人が虐殺された(数千人規模とも言われる)。
→
パニック時に流れる“誰かのせいにしたい”という衝動や、「異分子を排除すれば安心できる」という思考が、集団暴力を正当化する構造を生む。現代の陰謀論とまったく同じメカニズム。
2. 「何度も繰り返された」パターンを知っているから
陰謀論はしばしば「新しい真実」のように提示されるが、実際は歴史の中で何度も姿を変えて現れてきた「古い手口」だ。これらの繰り返しを知っていれば、「また来たな」と冷静になれる。
例1:
14世紀ヨーロッパ(ペストの流行):
ユダヤ人や異教徒が「井戸に毒を入れた」と非難され、虐殺された。
現代(コロナ禍):
「ウイルスは人工的に作られた」「特定の国や企業が仕掛けた」などの陰謀論が世界中で広まった。
例2:
1930年代 ナチス・ドイツ:
「ユダヤ人が裏で社会を操っている」「秩序を壊している」という陰謀論が広まり、ホロコーストへとつながった。
現代の日本(SNSや一部メディア):
クルド人に対し、「不法滞在者で犯罪者だ」「乗っ取りを狙っている」などの根拠のない言説がネット上で拡散し、偏見や排外的感情を煽る動きが見られる。
例3:
冷戦期の反共パニック(アメリカ):
「政府に共産主義者が入り込んでいる」として市民を監視・排除(マッカーシズム)。
現代のQアノン等の陰謀論:
「政治家の中に悪魔崇拝の犯罪者がいる」と主張し、実際に事件化(米議会襲撃など)。
例4:
19世紀初頭 イギリス(天然痘ワクチンの登場):
ジェンナーによる牛痘ワクチンが広まると、「牛の病気を人に打つなんて危険だ」「打つと牛になる」といった荒唐無稽なデマが流れ、接種を拒否する人が多数いた。
現代(新型コロナウイルスのワクチン):
「ワクチンでDNAが書き換えられる」「政府が国民を監視するための陰謀だ」といった根拠のない噂や陰謀論がSNSを通じて拡散された。
特定の民族や宗教、国籍を「脅威」と見なして攻撃する構図は、繰り返されてきた。歴史を知っていれば、「このパターンは前にもあった」と気づくことができる。
3. 「知識のグラデーション」が見えるようになるから
歴史を通じて、「100%真実」も「100%嘘」も少なく、複雑な背景や偶然の積み重ねで社会が動いていると知ることができる。そのため、「ぜんぶ裏で操られている!」という極端かつ単純な見方に対して、違和感を覚える感覚が育つ。
例1:太平洋戦争の開戦理由
・陰謀論的な見方:
「アメリカにハメられた」
「石油を止められたから戦争せざるを得なかった」
・実際の歴史を見ると:
資源封鎖は確かに圧力だったが、それ以前に日本が中国侵略をやめなかったことや、軍部の暴走、外交的失策、国民感情の操作など複数の要因が絡み合っていた。
→ 白黒では割り切れない複雑な意思決定と背景があった。
例2:大政奉還と明治維新
・陰謀論的な見方:
「薩長が幕府を裏切ってクーデターを起こした」「イギリスの操り人形だった」
・実際の歴史を見ると:
幕府側も改革を模索していたし、朝廷も絡んでいた。薩摩・長州にも内部で意見の分裂があり、外国勢力との関係も一枚岩ではなかった。
→ 誰か一人が仕組んだのではなく、多数の利害と偶然が交錯した結果として歴史が動いた。
歴史を学ぶと、世界はグレーでできていると気づく。陰謀論が提示する「悪いやつ vs 操られる人々」という構図は、あまりにも雑だ。歴史の動きは、まるでピタゴラスイッチのように。
・誰かが落としたビー玉
・何気なく立てられたドミノ
・何の関係もなさそうなレールの接続
など、無数の偶然や行動が連鎖している。
歴史を学ぶというのは、「なぜこのスイッチが作動したのか」「どこで転倒したのか」「なぜ次の装置が動かなかったのか」を考えることだ。つまり、単純な黒幕探しではなく、構造と連鎖を理解することなのだ。
4. リテラシーが育つ
陰謀論のすべてが荒唐無稽なわけではない。実際に、かつては「陰謀論」として扱われながらも、後に事実と判明した例も存在する。
たとえば、ウォーターゲート事件、CIAによるMKウルトラ計画、アメリカのタスキギー梅毒実験などだ。だがそれらは、証拠、証言、内部告発などに基づいて明らかになった“検証可能な陰謀”だった。
一方で、現代の多くの陰謀論は、証拠のない主張や“信じたい物語”によって広まりやすい構造にある。だからこそ、どの情報が信頼できるのか、誰がどの立場から語っているのかを見極める目が重要になる。
歴史を学ぶことで、「どの情報が信頼できるか」「誰が何の立場から語っているのか」といった視点が身につく。それは陰謀論への耐性だけでなく、現代のフェイクニュースや政治的プロパガンダを見抜く上でも重要な力となる。
歴史を「断片」でなく「文脈」で捉える習慣が、思考のリテラシーを鍛えてくれる。
例1:ナチスと映像プロパガンダ
1930年代のナチス・ドイツは、映画やポスターを通じて「ユダヤ人=敵」「ヒトラー=救国の英雄」と描いた。これらは当時の最先端メディア戦略だったが、多くの市民はそれを「中立の事実」として受け取っていた。
→ 歴史を学べば、「映像や言葉は誰かの意図で構成されている」という視点が持てるようになる。
例2:近年のSNSと戦争報道
現代では、X(旧Twitter)やYouTubeで戦争の映像や証言が瞬時に拡散されるが、それが加工・編集されたものだったり、出どころ不明なケースも多い。
→歴史の中で「情報がどう使われ、どう信じられたか」を学んでいれば、「この発信はどの立場からのものか?」という視点が自然と働く。
例3:「テレビや新聞は嘘だが、YouTubeは本当だ」という思い込み
「マスコミは嘘ばかり。テレビは信用できない。でも、YouTubeやSNSには“本当のこと”がある」という主張を目にすることがある。しかし、YouTubeにも政治的意図・ビジネス目的・視聴数稼ぎなど、情報のバイアスや演出は当然ある。映像で見せられると信じやすくなるが、それが「客観的事実」であるとは限らない。
→ 歴史を学ぶことで、「メディアの裏にある意図」や「発信者の立場」を考える習慣が身につき、「誰が何のために語っているのか?」という視点が養われる。
「テレビはウソ、YouTubeは本当」という単純な対立構造に引っかからないためにも、“情報の成り立ち”を疑う訓練が必要だ。そしてその訓練は、歴史を学ぶことでこそ得られる。歴史は、情報がどうつくられ、どう信じられてきたかの記録でもある。
歴史の学びが、メッセージを読み解く鍵になる
また、学びがあれば、作品の中に込められた象徴やメタファーを読み解くことができる。逆に、自分の作品に、それを織り込むことで、直接的ではない方法で強いメッセージを伝えることもできる。
手前味噌で恐縮だが、この記事のサムネイルも、何も知らなければ、潰れて飛び散った「ただのスイカ」にしか見えないかもしれない。しかし、背景にある歴史や文脈を知っている人には、それが発する“叫び”のようなものが見えてくるはずだ。
赤・緑・白・黒の組み合わせは、パレスチナの国旗の色である。
第三次中東戦争でイスラエルがヨルダン川西岸地域、ガザ地区、東エルサレムを占領すると、イスラエル当局はヨルダン川西岸地区とガザ地区でパレスチナの旗を使用することを非合法化した。 そこで、パレスチナ人たちがイスラエルを欺くために闘争のシンボルとしてスイカを用い始めた。
スイカは、パレスチナ人のアイデンティティを示す抗議行動や芸術作品における公への表現の象徴であり、パレスチナ領域のイスラエルによる占領に対する苦闘と抵抗を表している。
学びがあれば、何故昨今のSNSにスイカのアイコンが並ぶのかその歴史とメッセージの重なりを知ることができる。(もっとも、ただスイカが好きという人もいるが。)
補足:スイカは黒人のステレオタイプの側面も持つ食べ物である。奴隷解放後、黒人たちはスイカを育てて生計を立てたが、それに反発した白人が「怠惰で貪欲」と嘲る風刺画を流布し、蔑視の象徴となった。同様にフライドチキンも、20世紀中ごろまで、「南部の黒人奴隷の食べ物」という偏見の目で見られた。たとえ善意や好意であっても、アメリカの文脈において黒人の客にスイカやフライドチキンを出すことは、人種差別的なステレオタイプを想起させる恐れがあり、無意識の差別(マイクロアグレッション)と受け取られる可能性がある。
歴史を先に学ぶ意義
表題では、「歴史と政治を学んだ方がいい」と言っておきながら今までずっと歴史を学ぶ意義ばかりを唱えてきた。政治は歴史の文脈上にある。歴史を先に知れば、何故いまその政治に至ったのかが自ずと見えてくる。だが、逆に政治から入ると、その政治が極右的だったり、差別主義だった場合、歴史を曲解しかねない。
以下にまとめる。
1、政治の土台には歴史的文脈がある
現代の政治制度、思想、対立構造、外交関係などは、すべて歴史的な経緯を踏まえて成立している。 たとえば、日本国憲法の成立には、戦後の占領政策や大戦の反省が不可欠だ。
2、事実と解釈を見分けるリテラシーが育つ
歴史を丁寧に学ぶことで、ある出来事を「どう語るか(解釈)」と「実際に何が起きたか(事実)」を区別できるようになる。これにより、政治的な主張(ときにプロパガンダ)に対しても、冷静な判断ができる素地ができる。
3、歴史が政治利用されるリスクを見抜ける
歴史を知らないまま政治的言説に触れると、「都合のよい歴史観」に染まってしまう危険がある。特に極端な思想(極右・極左問わず)は、過去の出来事を恣意的に解釈して自己正当化する傾向がある。
表現と政治は、親和性が高すぎる
表現と政治は、本質的にとても親和性が高い。なぜなら、どちらも「人々の感情に働きかける言葉やイメージ」を扱う領域だからだ。だからこそ、表現はしばしば政治に“利用”される。本人がそのつもりでなくとも、結果的にプロパガンダの一部になってしまうことがある。
表現者は歴史を学び、「免疫」を持っておく必要がある。そうでなければ、無知ゆえに自らの表現が、知らず知らずのうちに政治的な意図を補強してしまうという危険すらある。
しかも現実には、政治や思想の側から表現に“擦り寄ってくる”ことすらある。まるで善意に見える言葉や、魅力的なテーマ(郷土愛、教育、家族、国の誇り)で誘い、水面下でイデオロギーや歴史観を刷り込む。歴史に無自覚な表現者は、気づけばその思想の「媒介者」となってしまう。
実際、過去には多くの表現者たちが、政治に利用された事例がある。以下に、いくつかの歴史的実例を挙げてみたい。
《表現が政治に利用されたケース》
① ナチス・ドイツと映画『意志の勝利』
1935年、リーフェンシュタール監督の記録映画『意志の勝利』は、党大会を記録したドキュメンタリーでありながら、その映像美と演出でナチスを「英雄的」に描き出した。本人は「芸術としての映像美」を追求したと語っていたが、結果的にナチスのイメージ戦略を決定づけるプロパガンダ映画となった。“芸術は中立”という建前が、政治と結びついたときの危うさを象徴する事例。
② 日本の戦時下の「翼賛芸術」
1940年代、日本でも「大政翼賛会」などの体制下で、演劇・小説・漫画・映画・音楽などが「国策」に従属する形で発信された。たとえば、人気漫画家が戦意高揚を目的とした戦争賛美漫画を描いたり、有名作家が戦争を正当化する小説を発表した。彼らの一部は戦後、「知らなかった」「強制された」と弁明したが、結果的に表現が国民を戦争へと導く装置として機能した。
③ 現代日本の右派系SNS・YouTubeとイラスト文化
現代においても、右派思想や歴史修正主義と親和性のある表現が、SNSや動画プラットフォームを通じて広がっている。「かっこいい日本」「誇れる国」などをテーマにしたイラストやアニメ風の映像が、無自覚にナショナリズムの補強に利用されることもある。。
ときに「政治性がない」「愛国心はいいこと」といった“無色の言葉”で包装されるが、その背景にある歴史観や政治性を見抜くには、やはり歴史の学びが必要だ。では、政治から先に学ぶとどのようなリスクがあるのだろうか。
政治から先に学ぶリスク
政治家や、煽動家の言葉は、しばしば「共感されやすい正論」の形をしている。たとえば、「自国を誇ろう」「教育を立て直そう」「日本の未来は日本人で決めよう」といったフレーズ。これだけ聞けば、誰もが「それは正しい」と思ってしまう。だが、上記の表現は「日本人ファースト」的なナショナリズム文脈と非常に親和性が高い。
問題はその言葉の背景にある文脈だ。
1、イデオロギーに先に染まりやすい
政治的な思想は、「こうあるべきだ」という価値判断が前提にあるため、感情に訴える力が強く、共感しやすい傾向がある。
たとえば、近年注目されている一部の新興政党は、「教育」や「健康」「日本の誇り」といった共感を得やすい言葉を掲げ、政治への関心が薄い層にも訴求力を持っている。しかしその一方で、ワクチン陰謀論や歴史修正主義、排外的なナショナリズムといった過激な主張が混在していたり、組織的な同調圧力や“信者化”とも言える強い帰属意識が見られる点で、カルト的な性質を帯びているようにも見える。
政治を先に学ぶ(あるいは触れる)ことで、こうしたイデオロギーを「良さそうな言葉」だけで受け入れてしまい、背後にある歴史観や価値観に気づかずに引き込まれてしまう可能性がある。表面上の「正論」やキャッチーなスローガンに引き寄せられるだけでなく、その内側にある価値観や構造を冷静に見つめる視点が、ますます重要になっている。
安倍晋三元首相と旧統一教会の関係も同様だ。保守的な家族観や反共思想を共有する中で、政治と宗教が接近し、その接点が見えにくくなっていた。もし、信仰や政治の背後にある歴史的な背景を知らなければ、私たちは
・もっともらしいことを熱く語る人
・耳ざわりのいい正論を強く訴える人
・信念のように聞こえるセリフで共感を集める人
に無批判に賛同してしまう危険がある。
SNSでは、アルゴリズムによって「自分が見たい意見」や「気持ちよくなれる主張」が優先的に表示される。たとえば、「日本はもっと誇りを持つべきだ!」「移民は治安を悪化させる!」といった投稿に先に触れてしまえば、それが事実かどうかを検証する前に「そうだよな」と感情的に共感してしまうことがある。そこにナショナリズムや、不安を煽る要素が加われば、さらに偏った視点に引き込まれやすくなる。
かの、アインシュタインはナショナリズムを、しばしば次のように語ったと伝えられている。
“Nationalism is an infantile disease. It is the measles of mankind.”
ナショナリズムは幼児病だ。人類のはしかだ。
過剰な国家への忠誠心や排他的な愛国心が戦争や対立を引き起こす原因になると考えていた。特に、第一次世界大戦や第二次世界大戦の時代背景の中で、ナショナリズムが軍国主義や人種差別と結びつき、破壊的な結果をもたらすことを強く懸念していた。
大切なのは、どんな主張や理念であっても、その背景にある歴史や構造を知った上で、自分の意思として判断することだ。
2. 歴史的因果関係を無視しやすい
歴史的背景を知らないまま政治を語ると、「なぜその制度があるのか」「なぜそういうルールになっているのか」といった背景に目が向かない。
制度や社会の仕組みには、過去の失敗や反省が反映されている。たとえば、憲法九条は、かつての戦争と軍国主義への反省が形になったものであり、生活保護制度は戦後の極貧状態を背景に整備されたものだ。
しかし、こうした歴史を知らずに政治から学ぶと、制度を「今この瞬間の感情」や「政治家の言葉」だけで評価してしまう。
たとえば、一部の新興政党やその支持層のあいだでは、「国民を守るには軍備が必要」「今の憲法はアメリカの押しつけ」といった主張が聞かれる。これも一面的な歴史理解の上にある意見だ。戦前の国家神道や教育勅語的な価値観に言及する動きもあり、背景を知らないまま受け取ると、気づかぬうちにかつての過ちを繰り返す論理に同調しかねない。
生活保護制度に対して「働かない人に税金を使うな」という批判がある。背景を知らなければ、制度の本来の意義や必要性を見誤ってしまう。
3. 歴史の歪曲・否認に鈍感になる
極端な政治思想に触れると、歴史的事実が恣意的に解釈されたり、あるいは否定されたりすることがある。それに対して「おかしい」と感じられるかどうかは、歴史の知識があるかにかかっている。
例えば、「南京事件は捏造だ」「慰安婦は自発的だった」など、歴史修正主義的な発言がネット上には日常的に流れており、そこに初めて政治の関心を持った若者が触れると、「それが事実」と思い込んでしまう可能性がある。
安倍政権時代、教育勅語や道徳教育の強化、戦後レジームからの脱却という言葉が繰り返されたが、これらの政策も過去の歴史との連続性を無視して語れば、危険な意味合いを持つ。
このように、歴史を先に学べば、政治的立場にかかわらず「冷静に考える軸」を持つことができる。政治に関心を持つことは、とても大切だ。しかし、その前に知っておくべきなのは、「どうして今の社会がこうなったのか」という歴史の積み重ねなのだ。
とくに現代のように、SNSやYouTubeで断片的な政治的メッセージが溢れる社会においては、「歴史に裏付けられた視野」を持つことは、民主主義を健全に保つためにも重要だ。
歴史を知らずに政治に触れると、
極端な主張に引きずられ、
歪められた歴史を信じ、
そして自分の立ち位置さえ見失ってしまう。
誰かの言葉に乗っかる前に、
誰かの思想を信じる前に、
まずは、自分で歴史を学んでみる。
そして忘れてはならないのは、自国の加害の歴史を直視する勇気だ。戦争や差別の加害者であったという過去に向き合うことは、決して自国を貶めることではない。むしろ、過ちを認め、教訓として未来に活かす姿勢こそが、真に誇れる社会を築く礎となる。
歴史を先に学び、土台を築いてから政治を考えることが大切なのだ。
※この内容は事実関係に基づいていますが、特定の政党や人物を中傷する意図はありません。むしろ、市民一人ひとりが自分の目で歴史と政治を見つめ直すことの重要性を伝えるための文章です。
じゃあ、どうやって学べばいいの?
しかし、「よーし、じゃあ歴史勉強しよっと!」と、いきなりYouTubeやTiktokを開くと虚実ないまぜ(むしろ虚多め)な極右系・陰謀論系の“歴史系”チャンネルがポッカリ口を開けて待っていたりする。本当にたちが悪い。
なので、個人的にはこういうところから入るのをおすすめしたい
NHK『歴史探偵』
NHK『知恵泉』
NHKスペシャル『映像の世紀』
BSプレミアム『英雄たちの選択』
Eテレ『ダークサイドミステリー』
NHK『フランケンシュタインの誘惑』
長々読ませておいて、結局NHKかあああーい!という批判の声が、一部から聞こえてきそうだが、これらはエンタメ要素もありながら、しっかりと史実に根ざしていて、「歴史っておもしろい」と思わせてくれる良質な番組たちだ。陰謀論に対する“耐性”も育ててくれる。NHK以外のテレビや動画番組もある。
● テレビ東京『世界ナゼそこに?日本人』
● Netflix『ヒトラー(原題:Hitler – A Career)』
● YouTube「COTEN RADIO(コテンラジオ)」
もちろん、本を読むことも必要だ。
歌う前に学ぼう、描く前に振り返ろう
ナチスの宣伝映画も、文化大革命のポスターも、そして日本で「地上の楽園」と呼ばれた北朝鮮への幻想も、すべては“正義”や“希望”の名のもとに現実を塗り替えた試みだった。表現はいつも、信じたい物語と結びつき、時にその力で人を盲目にする。
表現とは、自由であると同時に、社会とつながる行為だ。だからこそ、過去を知らずに発する言葉や作品が、無意識のうちに加害や歪みに加担してしまうことがある。しかし、歴史を知れば、見える世界は変わる。怒りの背景が、痛みの理由が、伝えるべき真実が見えてくる。
学ぶことは、表現を縛るのではなく、守り、強くする。
文章、絵、音楽、映像、その影響力で世界が変わった過去の実例がある。表現とはそれほど大きな力なのだ。だからこそ、表現者は、感性と知性の両輪で走るべきだ。
「描く前に振り返る」「歌う前に学ぶ」──
それは、言葉を社会に届けるすべての人が持つべき基本姿勢なのだ。
伝えたいなら、まず知ろう。
届かせたいなら、まず学ぼう。
それが、表現を生きる者の覚悟だと思う。「正しそうな言葉」に流されず、自分で考え、選び取る。その姿勢こそが、これからの時代に必要なのではないか。
それでは、長文読んでいただきありがとうございました。
もしこの記事が、少しでも考えるきっかけになったり、共感いただける部分があれば、スキ、フォロー、SNSでのシェアやコメントなどのリアクションをいただけると、とても励みになります。これからも、表現と社会の間について、考えていきたいと思っています。
※たくさんの反響を受け、今回の記事に「続」を含め、表現とナチの話、エンタメを享受する側も歴史を知ると楽しみが跳ね上がる理由など、大幅に加筆した全部のせフルコースな【完全版かつ保存版】を作成しました。宜しければ、こちらもご一読ください。
追記:
しかし、歴史を学んでいなくても、声を上げるべき政治的姿勢はある。
私は、イスラエル政府によるパレスチナへの軍事行動を、断固として非難する。
これは決してユダヤ人全体への憎悪ではない。だが今、ガザでイスラエルが行っているのは、もはや「軍事衝突」や「紛争」などという言葉では言い表せない。人類の良心を踏みにじる、大規模な虐殺行為だ。
病院が爆撃され、難民キャンプが焼かれ、無抵抗の市民、特に子供たちが飢え、喉を渇かせ、爆撃で命を奪われている。
これは正当防衛でも抑止でもない。ただの暴力であり、国家による計画的な殺戮だ。
どれだけ複雑な歴史的背景があったとしても、無抵抗の子どもを餓死させ、爆撃することが正当化されるはずがない。
私は、どんな立場や宗教、民族であっても、人間の命と尊厳を踏みにじる行為に対しては、少なくとも自分の言葉で「NO」と言いたい。
さらに追記:
先週の木曜(6/19)朝に投稿した記事が11,350ビューを越え、先週もっとも多く読まれた記事の一つになった。スキも、月曜(6/23)朝の時点で945と、1,000に届く勢いである。

11,350ビューとは、つまり1万人以上の人がこの記事を読んでくれたということ。自分の文章が誰かのニーズに応えている。書いて良かった思ったと同時に気づいた。
関心の領域が広がっている。
先日、私は『関心領域』という映画についての記事を書いた。アウシュビッツ収容所の隣で、所長の妻が理想の庭を作り上げる。その庭は彼女の“好き”が詰まった空間であり、彼女は塀の向こうの出来事を、意識的に「関心の外」に追いやっていた。
『関心領域』という映画が作られ、その映画を見た私が今回の記事を書き、その記事が拡散されていく、我々は関心の領域を確実に広げることができる。例えば、アーティストのライブ会場や、ママさんゴスペルのコンサートで歌う曲を選曲する際、ガザの虐殺に対しての祈りの歌を加えるなど、歌う前に、その選曲理由をほんの少しでも語る。それだけでも関心の種はまかれる。
一人ひとりが「自分の関心の外側」に、少しずつ手を伸ばしていくことで、点は面になる。
我々には、まだできることがある。
声にし、書き、描き、作り、撮り、伝え、歌うことで。
関心を、広げていくことができる。
全ての表現者たちよ
我々には、できることがまだある。
それでは、読んでいただきありがとうございました
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また、この文章に加筆した完全版がこちらです。良かったら目を通してみてください。
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— ウラケン・ボルボックス🇵🇸🇺🇦『すごい危険な生きもの図鑑🐻』好評発売中‼️ (@ulaken) June 19, 2025
というお声をいただいた。
自分の文章が誰かのニーズに応えている。
本当に書いて良かった。
必要としている多くの人に届いてほしい。
🎨表現を仕事にする人が🎸
📚歴史と政治を学んだ方がいい理由🍉https://t.co/25Sdomm4o2
Bluesky
何でこんな口酸っぱく、表現を仕事にするなら歴史と政治を知っとけって言うかというと、実際、歴史も政治も全然知らないイラストレーターが結構いるから。
— ウラケン・ボルボックス🇵🇸🇺🇦『すごい危険な生きもの図鑑🐻』好評発売中‼️ (@ulaken) June 23, 2025
例えば、テレビもネットも森友学園関連のニュースだらけで「忖度」という言葉が飛び交ってた時期、たまたま…https://t.co/25Sdomm4o2
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