『パリ・ジョージア旅行記』ブログ記事一覧~トルストイとドストエフスキーを学ぶ旅
はじめに
2022年8月中旬から9月の中旬までおよそ1か月、私はパリ、ジョージアを中心にヨーロッパを旅してきました。
フランス、ベルギー、オランダ、ジョージア、アルメニアを訪れた今回の旅。
その最大の目的はジョージア北部のコーカサス山脈を見に行くことでした。

私は「親鸞とドストエフスキー」をテーマに2019年から3年間研究を続けてきました。そして2022年に入ってドストエフスキーをもっと知るために正反対の存在と言われるトルストイのことも学ぶことになりました。
そしてその過程で知ったのがこのコーカサスの山々だったのです。
「トルストイとカフカース(コーカサス)の強いつながり~圧倒的な山岳風景とトルストイの軍隊経験」の記事の中でお話ししましたようにコーカサスの山々はトルストイに巨大な影響を与えました。
トルストイといえば『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』などの大作が連想されますが、これらの作品にも彼のカフカース体験は大きな役割を果たしていますし、晩年の非暴力主義もこの時の経験がその根っこにあったのではないかと思われます。
だとしたらぜひ私もそのカフカースの山々を見てみたい。トルストイはそこで何を感じたのだろうか、ぜひそれを考えてみたいと私は思ったのでありました。
この記事では全34記事を一覧にして紹介していきます。私のパリ・ジョージア旅行記『秋に記す夏の印象』の目次として使って頂けましたら幸いです。
では早速始めていきましょう。
1ドストエフスキーとトルストイの眼で眺めるパリ~彼らはパリに対してどんな思いを持っていたのだろうか

ドストエフスキーは1862年、トルストイは1857年にそれぞれパリを訪れています。
彼らはそこで目にした出来事やそれらに対する思いを書き残し、後の作家活動の糧としていました。
この記事ではそんな二人を通して今回の私の旅についての思いをお話ししていきます。
2パリのパンテオンでフランス人の雄弁をからかうドストエフスキー~そして私はゾラとユゴーの墓参り

この記事ではドストエフスキーも訪れたパンテオンについてお話ししていきます。
ここにはヴォルテールやルソーなどの哲学者やゾラやユゴーなど国民的な文学者のお墓があります。
そしてドストエフスキーは彼の旅行記『冬に記す夏の印象』でこのパンテオンでのエピソードを記しています。これがすこぶるユーモアが効いていて面白く、この記事でその一部を紹介していきます。
ドストエフスキーというと暗くて厳めしいイメージがあるかもしれませんが、実は茶目っ気もある人物です。雄弁に酔いしれるフランス人とのやりとりは思わずくすっと笑わずにはいられません。
3ナポレオンの墓があるパリのアンヴァリッドへ~文豪達も憧れたナポレオンというカリスマを考える

パンテオンでルソーやヴォルテール、ゾラ、ユゴーのお墓参りをした後に私が向かったのはアンヴァリッド。ここにはあのナポレオンが葬られています。
それにしても、アンヴァリッドの堂々たる立ち姿にはため息が出るほどです。これほどの建築物がある意味ナポレオンの墓石なわけです。
そう考えるとナポレオンという人物がいかに巨大な人物だったかを思い知らされます。 この記事ではそんなナポレオンについてお話ししていきます。
4特濃コーヒーを愛飲したバルザックのコーヒーポットに感動!パリのバルザックゆかりの地巡り

この記事では『ゴリオ爺さん』で有名なフランスの文豪バルザックゆかりの地を紹介していきます。
小説中で重要な意味を持つブローニュの森、そしてバルザックの家と、彼のお墓があるペール・ラシューズ墓地を順に見ていきます。 特にバルザックの家では彼愛用のステッキやコーヒーポッドも見れて大満足でした。
5パリの下水道博物館が想像以上に面白い!レミゼファンにぜひおすすめしたい穴場!

今回のパリ散策において、マニアックながらも一般の方にぜひおすすめしたいスポットがあります。 それが今回ご紹介するパリの下水道博物館になります。
私の大好きな『レ・ミゼラブル』の主人公ジャン・ヴァルジャンはこのパリの下水道を踏破しマリユスを救います。
ですが当時のパリはすさまじい悪臭と汚物の都市として知られていました。しかも下水道はほとんど迷宮と化し人が立ち入ることさえ危険な魔窟でした。ジャン・ヴァルジャンが踏破したこの闇と汚染の世界を少しでも感じられるならと私はこの博物館に向かったのでありました。
6パリのゾラゆかりの地を訪ねて~『ナナ』の劇場やファンにはたまらない様々なスポットをご紹介

この記事では私が尊敬する作家エミール・ゾラの代表作『ルーゴン・マッカール叢書』ゆかりの地を紹介していきます。
『ルーゴン・マッカール叢書』はとにかく面白いです。そしてこの作品群ほど私たちの生きる現代社会の仕組みを暴き出したものはないのではないかと私は思います。
ぜひエミール・ゾラという天才の傑作を一冊でもいいのでまずは手に取ってみてはいかがでしょうか。そしてその強烈な一撃にぜひショックを受けてみて下さい。 叢書の代表作『居酒屋』や『ナナ』は文庫本でも手に入りますのでぜひおすすめしたいです。
7パリ・サクレクール寺院から見るモンマルトルの絶景~ゾラ後期の傑作小説『パリ』との関係についても

上の記事ではエミール・ゾラの『ルーゴン・マッカール叢書』ゆかりの地をご紹介しました。
そしてこの記事では『ルーゴン・マッカール叢書』を書き上げたゾラが満を持して執筆した「三都市双書」の最終巻『パリ』の主要舞台となったサクレクール寺院をご紹介していきます。
パリを一望できる絶景スポットとして有名なこの教会ですが、ゾラファンからするとまったく異なる意味合いを持った場所となります。この教会に対してゾラは何を思ったのか、そのことをこの記事で紹介していきます。
8パリのオペラ・ガルニエでファントムの5番ボックス席を発見!『オペラ座の怪人』ファン必見です!

パリといえばやはりオペラ座。
この記事ではそんなオペラ座ことオペラ・ガルニエについてお話ししていきます。 『オペラ座の怪人』ファンには間違いなくたまらない場所です。
この記事ではあのファントムのボックス席についてもお話ししていきます。 もちろん、『オペラ座の怪人』に詳しくなくともこの見事なナポレオン三世様式は必見です これはパリ観光の必須ポイントとして間違いありません。ぜひおすすめしたいスポットです。
9ルーブル美術館のマニアックな楽しみ~ドストエフスキーも愛したクロード・ロランを堪能!

パリといえばやはりルーブル美術館を思い浮かべる方も多いと思います。 ですが、ドストエフスキーの研究に来た私にとってはこの美術館はノーマーク。正直、特にこれといってものすごく見たい作品があるというわけでもなかったのです。「有名なルーブルだし、せっかくだし行っておきますか」くらいのものだったのでした。
しかし実際にここを訪ねてみて、そんな軽率なことを思っていた自分を大いに恥じることになりました。この美術館はやはり評価されるべくして評価されている素晴らしい美術館でした。今さら私がこんなことを言うのもおこがましい話ではありますがあえて言いましょう。「やっぱりルーブルはすごかった!」
10ルーブル美術館の『サモトラケのニケ』が美しすぎた件について

ルーブルの至宝『サモトラケのニケ』。
この作品は1863年にエーゲ海のサモトラケ島で発見された彫刻で、「ニケ」というのは「女神」を意味する言葉です。
そしてこのニケはヘレニズム期の紀元前190年頃に制作されたと考えられています。
この彫刻は私がパリで最も強烈な印象を受けた芸術作品になりました。あまりの美しさに完全に魅了されてしまいました。 この記事ではそんなニケの魅力についてお話ししていきます。
11モネの傑作『印象・日の出』は立体⁉パリのマルモッタン・モネ美術館を訪ねて

モネの『印象・日の出』は本当に不思議な絵です。全体がぼんやりしているものの、それが心地よく感じられ、夕陽とその光の反射の描写はまさに天下一品だと思います。なぜか引き込まれる不思議な魅力がこの絵にはあります。これ以上はうまく言葉にできません。 私がパリで最も好きになった絵画は間違いなくこの作品です。
ありがたいことにこの美術館はルーブルやオルセーと違ってそれほど混雑はしません。だからゆっくりと心行くまで好きな作品に没頭できます。ぜひこの美術館もおすすめしたいです。そして『印象・日の出』をじっくりと堪能していた頂ければ何よりです。
12パリ郊外のエミール・ゾラの家を訪ねて~文豪も愛したセーヌの流れに癒される

この記事ではパリ郊外メダンにあるゾラの家をご紹介します。 『ナナ』などの大ヒットによって資産を蓄えたゾラが長い年月をかけて完成させたのがこの邸宅になります。
フランスの文豪が愛したセーヌ河畔の静かな住宅地。 小舟を浮かべて時を過ごしたとされる美しきパリ郊外の雰囲気もこの記事では紹介していきます。
13パリ滞在を終えてドストエフスキーに思う~なぜラスコーリニコフはラスティニャックにならなかったのだろうか

一週間ほど滞在したパリでの日程もいよいよ終わりを迎えます。
『秋に記す夏の印象』ということでドストエフスキーに倣って私の印象を述べていこうという趣向でありましたが、なかなかドストエフスキー本人についてのことはここまで多くは語れませんでした。
ドストエフスキー自身もパリの名所や芸術などについてはほとんど語りませんでしたが、パリ篇の最後はやはり彼について思ったことを書いていきたいと思います。
この記事のメインテーマは『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフと、バルザックの『ゴリオ爺さん』の主人公ラスティニャックについてです。
14ユゴーが『レ・ミゼラブル』完成のために訪れたワーテルローの古戦場の大きな意味とは

パリを出発した私が向かったのはベルギー国内にある古戦場ワーテルローの地。 ここは1815年にナポレオンが最終決戦の末に敗れ、彼の栄光に終止符が打たれた場所として知られています。
そしてここは『レ・ミゼラブル』を書き上げたユゴーにとっても非常に重要な場所でした。 この記事ではそんなナポレオンとユゴーのゆかりの地ワーテルローについてお話ししていきます。
15オランダ・デルフト訪問記~フェルメールゆかりの地をご紹介!

フランス、ベルギーを経て私はいよいよオランダにまでたどり着きました。
私がオランダへ来たのはジョージアへの飛行機に乗るためであったのですが、何と言っても大好きなフェルメールに会いに行くこともその大きな目的でした。
私がフェルメールにはまるきっかけとなったのは『デルフトの眺望』という作品です。

このリアルを超えた現実感、不思議な魅力に私は一発でやられてしまいました。
フェルメールは1632年にこのデルフトの町で生まれ、生涯のほとんどをこの町で過ごしています。いわばデルフトは彼の故郷であり、画家としての本拠地であったのです。
この記事ではそんなデルフトの町を紹介していきます。
16オランダでレーウェンフックの顕微鏡の実物を見学!フェルメールとの意外な関係についても

上の記事ではフェルメールの故郷デルフトを紹介しましたが、この記事ではフェルメールと全く同じ1632年にこの町で生まれたもう一人の天才レーウェンフックについてお話ししていきます。
顕微鏡で微生物を発見したことで有名なレーウェンフックとフェルメールはご近所さんでした。レンズを通して「見えない世界」を探究した二人の偉人の存在には驚くしかありません。
17フェルメール『デルフトの眺望』現地で見たからこそ感じたその魅力とその秘密について

フェルメールの町デルフトから電車で30分もかからぬ距離にあるデン・ハーグという街。 ここにフェルメールの代表作『デルフトの眺望』と『真珠の耳飾りの少女』が展示されているマウリッツハイス美術館があります。
私がオランダにやって来たのも、デルフトの町を見てみたいという思いもありましたがやはり1番は私の大好きな『デルフトの眺望』や、フェルメールで最も有名なあの『真珠の耳飾りの少女』を観てみたいというのがその最大の目的でした。
この記事ではその『デルフトの眺望』についてお話ししていきます。
18フェルメール『真珠の耳飾りの少女』はなぜ魅力的なのか。その秘密を考える

上の記事ではフェルメールの傑作『デルフトの眺望』をご紹介しました。
そしてこのマウリッツハイス美術館にはもうひとつ、フェルメールファン必見の名画があります。 それがあの『真珠の耳飾りの少女』です。
実は私はこの絵にそこまでの期待をしていませんでした。私は『デルフト』が一番好きなのであって、この絵には元々あまり興味がなかったのです。 ですがそうした私の思いはこの日を境にがらっと変わりました。こんなにすごい絵だったとは!
この記事ではそんな『真珠の耳飾りの少女』の魅力をお話ししていきます。
19いざジョージアの首都トビリシへ~精神性を感じる美しき教会に感動

皆さんの中にはきっとこう思われている方も多いのではないでしょうか。
「それにしても、なぜジョージアまで来なくてはならなかったのか。ドストエフスキーとトルストイを学ぶためと言ってもそのつながりは何なのか」と。
実際私も出発前に何度となくそう質問されたものでした。「何でジョージアなの?」と。 たしかにこれは不思議に思われるかもしれません。ドストエフスキーとトルストイを学ぶために行くなら普通はロシアだろうと。なぜジョージアなのかという必然性が見当たらない。 というわけでこの記事ではそのことについてお話ししていきます。
20ジョージアの古都ムツヘタ訪問~「聖母子像」ならぬ「聖父子像」のフレスコ画がある教会へ

ジョージアに来てまず最初に訪れたのが古都ムツヘタ。ここにはジョージアらしさを感じることができる素晴らしい教会がいくつもあります。
そしてその中には「聖母子像」ならぬ、「聖父子像」のフレスコ画が描かれた教会もあったのでした。
これは珍しいです。私も初めて見ました。ジョージア正教の中でもこれは珍しく、やはり古都ムツヘタは初期キリスト教と土着の宗教とが入り混じった独特な感覚というものがあるのでしょうか。実に貴重な体験でした。
21スターリンの生まれ故郷ジョージアのゴリへ~スターリン博物館で旧ソ連の雰囲気を感じる

私がジョージアにやって来たのはトルストイを学ぶためであることはこれまでもお話ししました。
ですが、せっかくジョージアに来たのならどうしても行きたい場所がありました。
それがスターリンの生まれ故郷ゴリという町です。この記事ではスターリンの若き時代やスターリン博物館を訪れた私の体験をお話ししていきます。
22ジョージアから隣国アルメニアへ~ノアの箱舟の聖地アララト山や独特な歴史を持った教会を求めて

はるばるジョージアまでやって来た私でしたが、せっかくここまで来たのだからコーカサス山脈に行く前にどうしても行きたい場所がありました。
それが隣国アルメニアでした。
最古のキリスト教国アルメニア、時が止まったかのような修道院、そして今なお旧ソ連の空気が残る国・・・ 知れば知るほど興味深い国です。この記事ではそんなアルメニアについてお話ししていきます。
23アルメニアの世界遺産ハフパット修道院へ~時が止まったかのような不思議な空間に驚く

アルメニアで私が最初に訪れたのはハフパット修道院という場所です。
まさに時が止まったかのような不思議な空間がそこにはありました。
私にとって驚きの体験ばかりとなったアルメニアの始まりです。
24【圧倒的廃墟感】アルメニアの山中のマトサヴァンク修道院~時が止まった姿に言葉を失う

アルメニア滞在二日目。 この日は朝から山道を走り、マトサヴァンク修道院を目指します。
この修道院はまさに時が止まったかのような姿で有名です。 私はその修道院を目指してアルメニアの山の中を1時間以上かけて歩いたのでした。
圧倒的な廃墟感漂うマトサヴァンク修道院を目の前にして私は言葉を失ってしまいました。異世界としか言いようのない光景に驚くしかありません。
25ノアの方舟の聖地アララト山を一望できるおすすめスポット!ホルウィラップ修道院を訪ねて

アルメニア滞在3日目はあのノアの箱舟が漂着したとされる、『旧約聖書』の聖地アララト山に向かいました。
このアララト山を最も美しい姿で見られることで有名なホルウィラップ修道院から私はその景色を眺めることになりました。
この記事ではアルメニア人にとってのアララト山、キリスト教についてお話ししていきます。
26あの「ロンギヌスの槍」が保管されているアルメニアのエチミアジン大聖堂へ

アララト山の後、私はエレバン近くにあるエチミアジン大聖堂も訪れました。
エチミアジンは界最古の大聖堂として知られる世界遺産です。残念ながら私が訪れた時は工事中で中に入ることはできませんでしたが、私がここに来たかったのはここに「あるもの」が展示されているからでありました。
それが「ロンギヌスの槍」と「ノアの箱舟の木片」です。
なんと、神話の世界の遺物がここに展示されているというのです!
27アルメニアの独特な宗教や文化にカルチャーショックを受ける

アルメニア滞在の3日目、私はノアの箱舟の聖地アララト山や世界遺産エチミアジン大聖堂を訪れました。 しかし実はその前日の夕方から私の身体に異変が生じ、エチミアジンの辺りで完全にダウンしてしまったのです。
これは単に体調が悪くなったで済まされる話ではありません。私とアルメニアという国についての根本問題がそこに横たわっていたのでありました。 私の身に何が起こったのか、この記事でお話ししていきます。
28最後の教会を経てアルメニアを脱出~しかし思わぬ事態に笑わずにはいられなかった

アルメニア滞在最終日。私はジョージアへ向かう帰路、いくつかの修道院を巡りました。 そしてその中でも最後に訪れたアフタラ修道院が私の心を揺さぶりました。
なぜこの修道院にこんなにも心惹かれたのだろうか。 よくよく考えてみるとまさかの事態に私は笑うしかなかったのでした。
アルメニア滞在は私にとって強烈な印象を残しました。苦しかったですが、来てよかったと心の底から思えます。
29いざトルストイも歩いたコーカサス山脈へ!雄大な軍用道路とカズベキの山々に感動!

アルメニア滞在を終えトビリシに戻ってきた私は1日の休息の後、いよいよこの旅の最大の目的地コーカサス山脈へと出発しました。
首都トビリシからコーカサス山脈へと向かう道は軍用道路と言われ、かつてロシア王朝がジョージア征服のために切り開いた道として知られています。トルストイやプーシキンもまさにこの道を通ってこの地にやって来たのです。
この記事ではそんな軍用道路とコーカサス山脈についてお話ししていきます。
30【絶景】ツミンダ・サメバ教会訪問記~「限りなく天国に近い教会」へ

カフカース(コーカサス山脈)の拠点カズベキについた私は早速「限りなく天国に近い教会」と言われるツミンダ・サメバ教会へと向かいました。
笑ってしまうほどの悪路を走り教会へ到着。
これは素晴らしい・・・!教会そのものも歴史を感じさせる堂々たるたたずまいですがやはり何と言ってもその背景の切り立った山の美しさたるや!
31知る人ぞ知る絶景のエリア修道院!カズベキの雄大な山々が目の前に!

ツミンダ・サメバ教会を堪能した私はカズベキの町からすぐそばの絶景ポイント、エリア教会付近も散策し、カフカースの山の迫力を感じました。
この日はカズベキからすぐ近くの絶景に心底驚いた一日でした。カフカース滞在一日目にしてその迫力に圧倒されてしまっています。
これから先の数日で私はこのカフカースにさらに驚くことになりました。そしてトルストイ、ドストエフスキーに対する思いがどんどん膨らんでいくことになりました。
32カズベキ近くの絶景グヴェレティの滝目指して岩登り!トルストイの山岳体験を追体験

この日はまず軍用道路をさらに北上し、山中にあるグヴェレティの滝を目指しました。
雄大なカフカースの山を歩き、私はトルストイが出会ったであろう山の民に思いを馳せたのでありました。
33ロシア国境近くのダリアリ渓谷へ~雄大な山々を舞う鷲の姿に感動

上で紹介したグヴェレティの滝から下山した私が次に向かったのはダリアリ渓谷という場所。こちらはまさにロシア国境の目と鼻の先にある地点です。
私はカフカースに2022年の9月12日までいたのですがその数日後、ロシア国内で徴兵が始まり、このロシア・ジョージア国境がロシア脱出者の殺到でとてつもない事態になったことはニュースでも目にされた方がおられるのではないでしょうか。まさにその国境がここなのです。
そんなダリアリ渓谷でトルストイの大きな視点に私は気づくことになります。 いよいよ私はカフカースで大きな収穫を得始めたのでありました。
34ジョージアの秘境ジュタバレーは信じられないほどの美しさだった~カフカース滞在で最も印象に残った地

この日の目的地はジュタバレーという、カフカースにおいても特に素晴らしい景色を楽しめることで有名な秘境。
何もかもがどうでもよくなるくらい圧倒的な景色がそこに広がっていました。
トルストイもきっとこんな景色を見ていたのでしょう。 このジュタバレーでの経験はこの旅の最大の収穫となりました。私はカフカースでドストエフスキーの『死の家』を見出したのです。
おわりに
ジュタバレーでの衝撃的な体験を終え、あとは帰国の時を待つのみとなった私は早速ドストエフスキーの『死の家の記録』を読み始めました。

宿のカフェからはカフカースの山々を正面に臨むことができました。私はカフカースの山々を眺めながら一心不乱に『死の家』を貪り読みました。これほどまでに貪欲に本を読んだのは久々です。ジュタバレーでこの本を見出し、一刻も早くその中身を確かめたい一心だったのです。
「トルストイの原点はカフカースにあったのではないか」そんな仮説を立てて私はここまでやって来ました。
そして実際にトルストイが見たであろう景色や山の民に私は思いを馳せることになりました。
それが結果的にドストエフスキーと結びついたのです。
「ドストエフスキーはトルストイは正反対である。だから一方を学べば他方も学ぶことになる」
まさにその通りでした。

私はアルメニアで体調を崩し、もはや旅の続行は不可能かと思い詰めたものだった。ですがなんとかここまでたどり着くことができました。
その苦しさがあったからこそカフカースでの体験はそのひとつひとつが幸運なものに感じられました。本来体験することすらできなかったはずだったのにこうして一日一日を過ごすことができたのです。私は持てるかぎりの感性をフル活動させてカフカースを全身で受け止めようとしました。
そうして見出したのがドストエフスキーの『死の家』だったのです。嬉しくないわけがありません。泣きたくなるくらい嬉しかったです。カフカースでの最後の時間は、そんな気持ちを噛みしめながらの一時でした。

カフカース最終日の朝、そんな私をねぎらうかのようにカズベキ山が真っ赤に染まっていました。
幸い、現地で処方された薬が効いてきてこの頃には体調もかなり回復してきていました。そうなってしまえば、「あぁ、もう少しいたかったなぁ」という気持ちが湧いてきてしまうのも人情です。
しかし悔いはありません。やれることはやった。見るべきものは見た。
あとは帰国してこの旅をどう書いていくかです。
私はもう次に進んでいました。
そしてこの旅を終えてから1か月半後には第二次ヨーロッパ遠征が控えていました。実はこちらの方が私の本丸なのです。私の三年半の集大成と言ってよいでしょう。そこに向けての前哨戦がこの旅でもあったのです。
「私には時間が残されていない。今動かなければもう一生行くことはできなくなるだろう。」そういう思いでこの三年半を過ごしてきました。その旅のひとつがこれで終わったのです。
パリはヨーロッパを考える上でのひとつの基準となるでしょう。ドストエフスキーもロシア対ヨーロッパという構図を考えた時にまずはパリとロンドンを念頭に置いています。ドストエフスキーにとってもパリはひとつの基準だったのです。そういう意味でもパリをじっくりと見れたのはこれからの私にとっても大きな基準を与えてくれるでしょう。
そしてオランダでフェルメールを見れたことも大きかった!
絵画に対する考え方をいい意味で吹き飛ばしてくれた『真珠の耳飾りの少女』は私にとって忘れられない存在となりました。微生物の発見者レーウェンフックと光の画家フェルメールとの繋がりを考えながら歩いたオランダは心躍る体験となりました。
そしてアルメニア。ここはもう何も言うまい。すでに本文で語り尽くしました。ですが行ってよかったと心から思えるのは間違いありません。
ジョージアで過ごした日々は本当に貴重なものでした。ここに導いてくれたトルストイには感謝しかありません。
『秋に記す夏の印象』と題しておきながらこの原稿を書き終えたのは2023年の1月上旬です。この原稿の多くは2022年11月からの第二次ヨーロッパ遠征中に書かれました。旅をしながらその前の旅についてひたすら書き進めるという作業は何とも不思議な気分でした。そしてそれが終わるとすぐに『ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行』に取り掛かりました。私にとってこの旅行記は三年半の集大成です。
この連載記事もnoteで順次公開中です。
ドストエフスキーの祖国ロシアのゆかりの地を訪れ、それを記録に残した作品や文章は数多くあることでしょう。
ですが、ヨーロッパのゆかりの地に特化して書かれたものはほとんどありません。そうした意味でもドストエフスキーを愛する方々にも微力ながらお役に立てるのではないかと僭越ながら感じております。
ドストエフスキーは面白い!肩肘張らずに読める旅行記を執筆したつもりです。ぜひ楽しんで頂けましたら幸いでございます。
以上、「【パリ・ジョージア旅行記』ブログ記事一覧~トルストイとドストエフスキーを学ぶ旅」でした。
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